《嘘を平気で言う。ばれても恥じない》ー「橋下徹対野田正彰」訴訟 判決紹介
本年(2017年)2月1日付の、「橋下徹」対「新潮社・野田正彰」損害賠償請求事件、上告審の決定書を入手した。橋下から、新潮・野田医師に対する上告を棄却するとともに、上告受理申立も不受理とする三行半の決定。
その原判決が、大阪高裁第5民事部(中村哲裁判長)の2016年4月21日言い渡しの判決。このほどその判決書も入手し一読した。その内容は、紹介するに値するものである。
周知のとおり訴訟は公開で行われるが、その法廷外への公表においては、市井の人のプラバシー保護への十分な配慮を必要とする。しかし、本件判決において話題とされた事項は、政治家橋下徹の政治家としての資質に関する情報である。公的人物の公的関心事にかんする情報として、むしろ積極的に世に知らしむべき内容といってよい。
私は、問題となった雑誌記事はまったく読んでいなかったが、訴訟になったおかげで、野田医師の「誌上診断」と橋下の「病状」を知ることになった。訴訟提起の偉大な効果である。せっかくだから、判決を通じて、何が問題となって、裁判所がどのような理由で橋下の請求を棄却したのか、ご紹介したい。
控訴審判決は、事件の概要を次のようにまとめている。
「本件は、元大阪府知事であった被控訴人(橋下徹)が、精神科医である控訴人野田が執筆し、控訴人会社(新潮社)が発売した月刊誌『新潮45』平成23(2011)年11月号(以下「本件雑誌」という。)に掲載された「大阪府知事は『病気』である」と題する原判決添付の別紙記事(以下「本件記事」という。)によって名誉を毀損されたと主張して、控訴人らに対し、不法行為(民法719条・共同不法行為)による損害賠償請求権に基づき、連帯して、1100万円及びこれに対する不法行為日(本件雑誌の発売日)である平成23(2011)年10月18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
原審は、被控訴人の請求のうち、控訴人らに対し、連帯して、110万円及びこれに対する平成23(2011)年10月18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余は、理由がないとしていずれも棄却したことから、これを不服とする控訴人らが控訴した。」
この控訴審判決の主文は以下のとおり。
1 原判決中、控訴人ら敗訴部分を取り消す。
2 上記取消部分に係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、1、2審を通じて披控訴人の負担とする。
つまり、橋下側から見て、一審では一部(請求額の10分の1)勝訴判決だったが、控訴審で逆転し全面敗訴となったのだ。
掲載記事のうち、原告が名誉毀損の言論と主張したのは、A?Dと符号をつけられた4カ所。一審判決は、その内C部分について違法を認めた。
名誉毀損とは、人の社会的評価を低下させることだが、ある言論が人の評価を低下させただけでは損害賠償の責任は生じない。違法な名誉毀損行為だけが責任を生じる。訴訟実務では、被告の側で当該の言論が、真実であるか、真実と信じるについて相当であれば、違法性は阻却される。
本件一審判決は、C部分について、真実であることの立証も、真実と信じるについての相当性の立証も足りないとした。控訴審判決はこれを逆転して、真実であることはともかく、真実と信じるについての相当性は認められる、としたのだ。
「C部分」とは、野田医師が橋下の高校時代のA教諭から得た、橋下の高校時代の行動についてのエピソードである。判決書きの中から拾えば、次のようなもの。
「大掃除の時汚れ仕事から逃げていく。帰ってしまう。地味なことはしない。」、「目と目をあわせることができず、視線を動かし続ける。嘘を平気で言う。ばれても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。」「バレーボールで失敗した生徒を罵倒。相手が傷つくことを平気で言い続ける。」、「文化、知性に対して拒絶感があるようで、楽しめない」、「話していても、壁に向かって話しているような思いにこちらがなる」「感情交流ができず共感がない」「伝達、伝言のようでコミュニケーションにならない」「馬鹿にされていると敏感に感じるのか、見返そうとしているようだった」など。
控訴審判決は、「当裁判所は、被控訴人(橋下)の本件請求には理由がないからこれをいずれも棄却すべきものと判断する。」と結論した。その理由として、野田医師が、橋下の「教科のみならず生活指導や進路指導にも関係したA教諭」から本件記載部分Cのエピソードについて聴き取りをした経過を詳細に認定して、「C部分を真実と信じるについての相当性が認められる」としたのだ。
また、判決は、別人が「その取材活動で、Cと重なり合う、同様の事実、たとえば、『体育のバレーボールの時間などに失敗した子を徹底的に罵倒する』、『掃除の時間になるといつの間にかいなくなる』、『校内大掃除などみんなでやる作業も徹底して拒否する』、『約束も守らず友達も少ない』、『ラグビー部の練習をさぼるときに平気で嘘をつき、嘘がばれても全然気にしない』などの事実を得ていた」を認定し、「それぞれ異なる取材であったのに本件記載部分Cのエピソードと別件記事に係る上記内容とが重なり合っていた」としている。
確かに、裁判所の認定は、野田医師の記事の真実性ではなく、相当性(真実と信じるについての相当性)ではある。しかし、ことの性質上、厳密な意味での記事の真実性立証は不可能に近い。本件での相当性の立証は、実は真実性の立証に近いものと言って間違いでない。
野田医師の、橋下に対する「診断」名は「自己顕示欲型精神病質者」「演技性人格障害」という精神疾患であった。関係者に取材して情報を集めての誌上診断であるのだから、臨床診察による診断ではない。また、収集された情報は厳密に立証された事実とも言えない。しかし、それに代わる高校時代の橋下の教師の証言を得るについての真摯な姿勢は、判決が認定しているところである。
そのような真摯な姿勢で野田医師が収集した、「大掃除の時汚れ仕事から逃げていく。帰ってしまう。地味なことはしない。」、「嘘を平気で言う。ばれても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。」「バレーボールで失敗した生徒を罵倒。相手が傷つくことを平気で言い続ける。」、「文化、知性に対して拒絶感があるようで、楽しめない」、「話していても、壁に向かって話しているような思いにこちらがなる」「感情交流ができず共感がない」などは、政治家の資質に関わる重要なエピソードではないか。
その意味で、野田医師の記事は社会的に極めて有益な情報なのだ。政治家の名誉を毀損するものとして、これを軽々に違法としてはならない。違法とする判決によって貴重な情報をシャットアウトしてはならない。
「嘘を平気で言う。ばれても恥じない。信用できない。約束を果たせない。自分の利害に関わることには理屈を考え出す。」などという指摘には、橋下に限らず、思い当たる政治家の顔が、いくつも浮かんでくる。
厚顔な輩に負けてはおられない。野田医師も新潮社も、萎縮することなく有益な情報提供を続けていただきたいと願う。先日まで、被告業を余儀なくされていた者として、連帯の意を表明する。民主主義の前進のために。
(2017年2月6日)