(2020年9月18日)
9月18日である。中国現代史に忘れることのできない日。そして、日本の歴史を学ぶ者にとっても忘れてはならない日。満州事変の端緒となった、柳条湖事件勃発の日である。
柳条湖事件とは、関東軍自作自演の「満鉄爆破」である。1931年の9月18日午後10時20分、関東軍南満州鉄道警備隊は、奉天(現審陽)近郊の柳条湖で自ら鉄道線路を爆破し、それを中国軍によるものとして、北大営を襲撃した。皇軍得意の謀略であり、不意打ちでもある。
満州での兵力行使の口実をつくるため、石原莞爾、板垣征四郎ら関東軍幹部が仕組んだもので、関東軍に加えて林銑十郎率いる朝鮮軍の越境進撃もあり、たちまち全満州に軍事行動が拡大した。日本政府は当初不拡大方針を決めたが、のちに関東軍による既成事実を追認した。「満州国」の建国は、翌1932年3月のことである。
こうして、泥沼の日中間の戦争は、89年前の本日1931年9月18日にはじまり、14年続いて1945年8月15日に日本の敗戦で終わった。その間の戦場はもっぱら中国大陸であった。日本軍が中国を戦場にして戦ったのだ。これを侵略戦争と言わずして、いったい何と言うべきか。
この事件の中国側の呼称は、「九一八事変」である。「勿忘『九一八』」「不忘国耻」(「9月18日を忘れるな」「国の恥を忘れるな」)と、スローガンが叫ばれる。「国恥」とは、国力が十分でないために、隣国からの侵略を受けたことを指すのであろうが、野蛮な軍事侵略こそがより大きな民族の恥であろう。日本こそが、9月18日を恥ずべき日と記憶しなければならない。
ネットに、こんな中国語の書き込みがあった。
「九一八」,是國恥日,也是中華民族覺醒日。面對殘暴的侵略者,英勇頑強的中國人民從來不曾低下高昂的頭!
(「9・18」は、国恥の日であるが、中華民族目覚めの日でもある。勇敢な中国人民は、暴虐な侵略者を見据え、けっして誇り高き頭を下げることはない。)
中国は、9月21日に事件を国際連盟に提訴している。国際連盟はこれを正式受理し、英国のリットンを団長とする調査団が派遣されて『リットン報告書』を作成した。これは、日本側にも配慮したものであったが、日本はこれを受け容れがたいものとした。
1933年3月28日、国際連盟総会は同報告書を基本に、日本軍に占領地から南満州鉄道付近までの撤退を勧告した。勧告決議が42対1(日本)で可決されると、日本は国際連盟を脱退し、以後国際的孤立化を深めることになる。こうして、国際世論に耳を貸すことなく、日本は本格的な「満州国」の植民地支配を開始した。
今、事件現場には「九一八歴史博物館」が建造されている。その展示は、日本人こそが心して見学しなければならない。そして、1月18日(対華21か条要求)、5月4日(五四運動)、7月7日(盧溝橋事件)、9月18日(柳条湖事件)、12月13日(南京事件)などの日は、日本人こそが記憶しなければならない。
ところで、89年前と今と、日本と中国の力関係は様変わりである。中国は、強大な国力を誇る国家になった。しかし、国内に大きな矛盾を抱え、国際的に尊敬される地位を獲得し得ていない。むしろ、力の支配が及ばない相手からは、警戒され恐れられ、あるいは野蛮と軽蔑され、国際的な孤立を深めつつある。
かつての日本は、国際世論に耳を傾けることなく、孤立のまま暴走して破綻に至った。中国には、その轍を踏まないよう望むばかり。国際的な批判の声に中国の対応は、頑なに「内政干渉は許さない」と繰り返すばかり。然るべき相互の批判はあって当然。真に対等で友好的な日中の国交と、そして民間の交流を望みたい。
(2020年9月17日)
「週刊金曜日」は、毎週木曜日に届けられる。本日(9月17日)、9月18日号が届いた。メインの記事は、菅新政権の下での「与野党対決新時代」。表紙に、「菅『アベのまま』政権の高笑い」の文字が踊る。
その号の「金曜アンテナ」欄に、《本田雅和・編集部》の署名記事がある。本田さん、朝日を退職されて金曜日の編集部に入られたのだ。今後の健筆を期待したい。
本田さんの記事のタイトルは、「青法協・弁護士学者合同部会設立50周年集会」「弾圧との闘い、次世代へ」とボルテージが高い。その一部を紹介させていただく。
戦後の司法反動の流れに抗し、憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した青年法律家協会(青法協)の弁護士学者合同部会の設立50周年記念集会が、9月4日、東京・神田で聞かれた。
青法協に加入したり、賛同したりしていた裁判官志望の司法修習生への任官拒否が相次いでいたI971年4月の修習終了式で、「任官拒否された人たちの話も聞いてほしい」と発言しただけで「修習生の品位を辱めた」として罷免され、法曹資格を奪われた経験を持つ阪口徳雄弁護士(77歳)=大阪弁護士会=が語った。
司法研修所教官が障害を持つ任官希望者に「君は(障害で)背が低いが、裁判官席に座ったら傍聴席から顔が見えるか」と発言したり、「裁判官に女性は要らない」との考え方で女性修習生へのさまざまな志望変更誘導が行なわれたりした。これらが阪口弁護士ら同期修習生の運動の中で明るみに出され、告発されていった。
「裁判所がまだ古い風土にあったこともあるが、そこに戦前からの思想統制の体質をもつ石田和外という人物が最高裁長官に就任(69年)。直後から青法協脱退勧告などで会員を排除しようとする動きは強まった。法曹が憲法に基づき人権を守ろうとするのは自然な流れで、裁判官の中にも青法協会員は多かったからだ」と阪口氏は分析。法曹資格を取り戻し、弁護士になって以降は、政治家の「闇資金」の情報公開や大企業の「裏金」の追及に力をいれ、森友問題でも実績をあげた。
あれから半世紀にもなるのだ。来年(2021年)4月5日が、阪口君罷免の23期司法修習終了式から、ちょうど50年になる。その終了式に、私も居合わせた一人だ。私は怒りに震えた。この体験が、私のその後の法曹としての生き方を決定した。必要なのは、裁判官の独立であって、司法官僚をのさばらせてはならない。そのために、「司法という権力」と対峙しなければならないのだ。
あの時代の空気も、あの日の出来事も、そして石田和外という人物についても、決して忘れることができない。石田和外については、当ブログでも何度か取りあげている。下記を参照されたい。
反動・石田和外最高裁長官が鍛えた23期司法修習の仲間たち
https://article9.jp/wordpress/?p=9471
石田和外とは ー 青いネズミの存在を許さなかったネコ
https://article9.jp/wordpress/?p=15254
私に法曹としての生き方を教えてくれた、反面教師・石田和外
https://article9.jp/wordpress/?p=11316
いまなお、ニホン刑事司法の古層に永らえている《思想司法=モラル司法》の系譜
https://article9.jp/wordpress/?p=15372
ところで、本田さんの「戦後の司法反動の流れに抗し、憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した青年法律家協会(青法協)の弁護士学者合同部会の設立50周年記念集会」という一文に、当時渦中にあった者としては、若干の違和感があって、一言しておきたい。
青年法律家協会の設立は1954年である。「憲法の平和と民主主義、基本的人権の理念を守ろうと若手研究者や弁護士、裁判官らが組織した」のは、本田さんの筆のとおりである。設立発起人には、芦部信喜・潮見俊隆・加藤一郎・小林直樹・高柳信一・平野竜一・三ケ月章・藤田若雄・渡辺洋三などの名も見える。とうてい、尖鋭な政治団体などではあり得ない。
この青年法律家協会には裁判官部会があって活発な研究活動をしていた。それが、石田和外を領袖とする司法官僚体制から厳しい弾圧を受けることになる。これをレッドパージになぞらえて、ブルーパージと呼ばれた。その真の原因は、1960年代、とりわけその後半に積み重ねられた、リベラルな最高裁諸判決の傾向である。右翼がこれを攻撃し、自民党がこれに続いた。このとき、石田和外らは、裁判所・裁判官を外部勢力から護ろうとはしなかった。内部で呼応して、裁判所内のリベラル派追い落としをはかったのだ。
もともと、石田は治安維持法体制下の思想判事だった。戦後も、反共・反リベラルの思想を隠さなかった。退官後は天皇に忠誠な右翼として活動した人物である。69年11月には、最高裁内の局付判事補に対する青法協脱退工作を開始する。最高裁が、裁判官の思想・良心の自由や、結社の自由を侵害したのだ。1970年5月2日、石田和外最高裁長官は、恒例の憲法記念日に寄せた長官記者会見で、こう言っている。「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりした共産主義者が裁判官として行動するためには限界がありはしないか。少なくとも道義的には裁判の公正との関係でこれらの人たちは裁判官として一般国民から容認されないと思う」。
「極端な軍国主義者、無政府主義者、はっきりした共産主義者」などというレッテルで、青法協裁判官を攻撃した。この青法協裁判官部会の切り崩しに対抗するための防衛措置として、同年7月の青法協総会は、青法協本体から、「裁判官部会」を規約上独立させた。そのことが同時に、「弁護士学者合同部会」と「司法修習生各期部会」を設立することとなったのだ。以来50年、ということになる。
石田和外は、権力的に裁判官を統制することに心血を注いだ。彼の裁判官統制は、表面的には成功したかに見える。しかし、作用あれば反作用がある。石田の所業は、多くの法曹や、ジャーナリストや、市民の反対運動を招くことになった。「司法の独立を守れ」という空前の市民運動が生じたのだ。
本田さんの記事のタイトルが、「弾圧との闘い、次世代へ」となっている。阪口徳雄君も、この日同席した梓澤和幸君も、そして私も、気持は元気だが、石田和外が没した齢を超えた。「次世代へ」語り継がねばならない。
本日(9月16日)、アベ内閣が総辞職してスガ新内閣組閣となった。長いトンネルを抜けて、またトンネルに入っただけ。あるいは、ラッキョの一皮を剥いても同じラッキョでしかなかったという印象。歴史的な意味は無に等しいスカみたいな日。
確かに、最低・最悪のアベ政権は終わった。しかし、居抜きのママ、首をすげ替えただけのアベ後継スガ政権の再発足である。何しろ、スガは「安倍後継」以外に、何の政治理念も語らない。語るべき何もないのだろうか、なんにも語らないことがボロを出さずに安心と思い込んでいるのかもしれない。
前政権による国政私物化疑惑への国民の批判に対しては、弁明も、反省も、再発防止の決意の表明もない。まるまるこれを承継するという態度。にもかかわらず、この点に対する国民的な批判が乏しい。メディアの甘さにも、歯がゆくてならない。
そのスガがこだわっているのが、アベ政権数々の不祥事のお蔵入りである。蔵に鍵をかけて、近づくなという姿勢。蔵の中は、モリ・カケ・サクラ・カジノに黒川・河井、公文書の隠蔽・改ざん、ウソとゴマカシの政治姿勢まで、まことに盛り沢山。全てはもう済んだこと、再調査はしない。
つまりは、アベからスガへ、政権の体質は何の変わりもないままに承継された。その上で、「巨大な負のレガシー」と言われる不祥事について、この機に隠蔽を決めこんだのだ。スガにすれば自分も共犯なのだから、こうするしかないと言わんばかり。
またしばらくは、アベ政権との闘い同様の姿勢で、スガ政権と対峙していかなければならない。そのような決意を固めるべき日。
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ちょうどこの日に、かもがわ出版からの新刊書の贈呈を受けた。
上脇博之さんの最近著「忘れない、許さない!」、副題が「安倍政権の事件・疑惑総決算とその終焉」というもの。アベ退陣以前からの出版企画だそうだが、アベ辞意表明となっての緊急出版とある。その筆力に脱帽せざるを得ない。
「許そう、しかし忘れまい」は、戦後補償を求める運動の中での、侵略戦争被害国の民衆の気持として語られる。しかし、それは加害国の真摯な謝罪の存在を前提としてのことである。アベ旧政権とスガ新政権は、旧悪を徹底して隠蔽し、丁寧に説明するなどと嘘を言って、ゴマカシ続けている。
この書の題名のとおり、最低・最悪のアベ政権悪行の数々を「ワスレナイ、ユルサナイ!」でなくてはならない。
この書の構成は以下のとおり。
第1章 「お友達」行政と公文書改竄・廃棄?財務省の「森友学園」事件
第2章 公金の私物化と裏金?「桜を見る会」&「前夜祭」事件
第3章 自民党本部主導選挙と使途不明金?河井議員夫妻「多数人買収」事件
第4章 政治的な検察官人事?黒川検事長の定年延長と検察庁「改正」案
第5章 安倍政権の政治的体質と自民党の変質?保守からの右旋回
終 章 国民置き去りの新型コロナ対応と支持率の低下〜政治的体質が招いた終焉
そして、あとがきの最後の一文がこうなっている。
「本書が安倍政権の政治的体質を総決算し、安倍政権が生み出した体質そのものの終焉を決定づける一冊になることを願って。」
アベが退陣しても、実は何も変わらない。この最低・最悪のアベ政権が生み出した体質そのものを終焉させなければならない。そのためのこの書のご紹介である。
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/wa/1114.html
出版社名 かもがわ出版
発売予定日 2020年10月1日
予定税込価格 2,090円
そして、出版社は、この書についてこうコメントしている。
「安倍首相辞任 緊急出版! 森友学園、桜を見る会、河合選挙買収、黒川検事長…安倍政権の相次ぐ不祥・疑惑事件を総棚卸。安倍自民党の政治的体質、ここに極まれり。転換期の今、民意に寄り添う清潔・公正な政治を!」
(2020年9月15日)
9月24日、東京弁護士会が臨時総会を開く。その第2号議案が、「死刑制度廃止に向け、まずは死刑執行停止を求める決議」(案)の件である。
その趣旨は、「死刑制度廃止は望ましい方向だが、議論はまだ十分に煮詰まっていない。性急に廃止の結論を出す前に、まずは弁護士会として死刑執行停止を求める決議」を成立させようというもの。
死刑制度の存否は、刑事政策・司法制度の重要テーマである。倫理・哲学・死生観・社会観・刑罰の本質論、そして被害感情や死刑冤罪の防止等々から、深刻な議論が尽きない。
死刑廃止論も存置論もそれぞれが十分な根拠をもっていることを認め合わねばならない。が、そのうえで、死刑制度を存続させてよいのかを常に問い直さねばならない。そして、死刑制度の存廃について結論を出さねばならない。とりわけ、人権擁護を使命とする弁護士・弁護士会は、議論をすること、態度表明することを避けて通ることができない。
私は、死刑廃止論を強く支持する。人権尊重を第一義とする国家が、犯罪者であれ国民の生命を奪う制度を合法的に持てるとは思えないからである。被害者の人権が重要であることは当然である。しかし、加害者の生命を奪うことが、被害者人権尊重の唯一の手段だとはどうしても思えない。とりわけ、相次いだ死刑確定4事件(免田・財田川・松山・島田事件)の再審無罪判決以来、死刑廃止論の妥当性は私の確信となった。
盛岡に居たころ、松山事件の死刑囚だった松山幸夫さんが我が家を訪ねてこられたことがある。再審無罪判決の直後、母親のヒデさんとご一緒だった。短い時間だったが、「この人が、死刑台から生還された方か」と感無量だった。その以前、ヒデさんが仙台の街角に、息子の無実と再審無罪を訴えて一人立っていたのを、何度か見かけている。どんなにか、息子の「死刑判決」が辛かったことだろうか。
このとき、我が家の一員だった、30キロを超すチャウチャウが斎藤幸夫さんを熱烈歓迎して、その顔をなめまわした。30年近くも拘禁されていた斎藤さんが、なんとも上手に犬と楽しそうに遊んだことに驚いた。およそ「死刑囚」という印象とは縁遠い人柄。人なつっこく明るい印象だった。
弁護士なら、みな死刑廃止論かと言えば、決してそうではない。強い存置論がある。私は、死刑存置論者の主張にも敬意を払ってきた。が、いずれは死刑存置論は勢いを失うだろうと確信もしてきた。今、世界を見わたせば、文明社会の趨勢は明らかに死刑制度は廃止に向かっている。
世界の趨勢に比して、日本における廃止論の成熟は遅々としている。日弁連が廃止論をリードしていることをありがたいと思う。その日弁連の姿勢については、下記URLを参照されたい。
死刑制度の問題(死刑廃止及び関連する刑罰制度改革実現本部)
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/criminal/deathpenalty.html
そのような最中、死刑存置論者のグループが、東弁の臨時総会に向けて「2号決議反対」のキャンペーンを始めた。私の事務所にも、「東京弁護士会が、死刑制度の廃止を『決議する』のはおかしいよね。」というビラが、郵送されている。ビラの内容は、後掲のとおりである。
死刑制度存置論を揶揄したり軽蔑する気持ちはさらさらない。しかし、このビラの内容が、全部とは言わないが、どうにも薄っぺらで浅薄なのだ。死刑制度存廃についてのこんな議論のしかたが、どうにも情けない。この郵送されたビラを見て、敢えて一言せざるを得ないという気持ちにさせられた。
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ビラで、まず引っかかったのは、次の一行。
「我々弁護士は、犯罪から国民・市民を守る存在であるというメッセージをもっと発すべきです。」
「犯罪から国民・市民を守る」のは、第1次的には公権力の行使者である警察・検察や司法当局の役割であって、決して「我々弁護士」の役割ではない。「我々弁護士」は、公権力行使に逸脱がないかを厳正にチェックすることで、「権力から国民・市民の人権を守る」ことを本務とする。このビラを作ったグループには、弁護士とは異質な権力的な臭みを感じざるを得ない。
また、次の一節。
「私は被害者支援やっているけど、死刑廃止決議されると、信頼関係を築くのが難しくなるから、業務に支障あるのよねぇ。若手弁護士に仕事広げろって言いながらなんで邪魔するようなことばかりするのかしら。」
このビラを作ったグループにとっては、死刑制度廃止は「業務に支障あるのよねぇ。だから反対」というのだ。この議論のしかたは、弁護士としてあまりに志が低くはないか。人権や社会正義の視点から、考え直していただけないだろうか。
このビラの随所に出て来る以下の議論のしかたも、明らかにミスリードというべきであろう。真正面の死刑制度存廃の議論からは逃げていると指摘せざるを得ない。
強制加入団体なのに、個々の会員の価値観は尊重されなくてもいいの?
この問題は、死刑制度の当否が問われているのではないと思う。
一部の意向で、思想統一するような決議をするのが問題だわ?。
会員には思想信条の自由があり、何が正義かは、会員自身が決めるべきです。強制加入団体が、多数決でいずれが正しいと決めるべきではないと思います。
問われているものは、純粋に「死刑制度存廃の当否」(今回の決議案では、「死刑執行停止の当否」)である。言うまでもなく、死刑制度の存否は国民の人権と深く関わる重大な問題である。だから、弁護士会が人権に関わる課題として、死刑制度に関して会則に則って「建議及び答申」をすることは、会の責務と言ってよい。これを「思想統一するような決議」「何が正義かを多数決で決める」と問題をすり替えてはならない。「強制加入団体が」「一部の意向で」と、ことさらに作為を凝らすのも真っ当な議論のしかたではない。成立した決議は、決して会員個人の思想と直接の対峙や軋轢を生じる関係にはない。もちろん、死刑の廃止は自分の個人的な思想や信念との深刻な衝突を来すという人もいるであろう。しかし反対に、死刑の存続こそが自分の個人的な思想信条との堪えがたい葛藤を来しているという人もいるのだ。個人的な思想や信念は、この局面では問題とならない。「死刑制度存廃の当否」を議論し決議することを「問題だわ?」と非難される筋合いはない。
さらに、「死刑廃止運動を見るだけで傷つく遺族もいるそうです。私は、人を傷つける活動に参加したくないな…でも強制参加…」という主張。問題を客観視し全体像を眺める姿勢に欠けること甚だしい。
今、袴田巌さんとその姉の秀子さんのことをお考えいただきたい。あるいは、最高裁で8対7の1票差で死刑が確定した竹内景助さんのご遺族のことも。明らかに、「死刑存続運動を見るだけで傷つく」人もいるのだ。誰もが、人を傷つける活動に参加したくはない。しかし何もしないことも人を傷つけるのだ。死刑制度の存廃を論じることが避けて通れない以上は、単にひとつの局面だけに焦点を当てるのではなく、全体をよく見ての議論でなくてはならない。
下記も、不真面目で不見識な議論ではないか。
「東弁も決議したら、日弁連みたいに、1億円近くの会費を使うのかな?」「そんなに使ってんの!」
「弁護士会は、金がかかる人権問題に取り組むな」というメッセージである。人権擁護の使命を全うするために、ある程度の費用がかかることはやむを得ない、予算規模や決算については意見を述べて然るべきだが、こういう不真面目な議論の仕方はあらためなければならない。
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9/24臨時総会
やっぱり、東京弁護士会が、死刑制度の廃止を『決議する』のはおかしいよね。
未だに多くの凶悪犯罪があるのに、東弁の『総意』が死刑廃止って決めていいの?
強制加入団体なのに、個々の会員の価値観は尊重されなくてもいいの?
「日弁連の要請があるから」で、決議しちゃっていいの?
死刑検討協議会が「意思統一できない」って言ってるのに無視していいの?
この問題は、死刑制度の当否が問われているのではないと思う。
一部の意向で、思想統一するような決議をするのが問題だわ?。
死刑廃止運動を見るだけで傷つく遺族もいるそうです。
私は、人を傷つける活動に参加したくないな…でも強制参加…東弁は、いろいろな立場の会員のことを考える、そういう寛容な会であって欲しいです。
関弁連アンケートで、廃止派の弁護士が46%ってハガキで見たけど、回答率は6%だって。死刑廃止に熱心な人はアンケートに答えるから、6%×46%=2.76%!! 大半がサイレントマジョリティなんだね。
私は被害者支援やっているけど、死刑廃止決議されると、信頼関係を築くのが難しくなるから、業務に支障あるのよねぇ。若手弁護士に仕事広げろって言いながらなんで邪魔するようなことばかりするのかしら。
東弁も決議したら、日弁連みたいに、1億円近くの会費を使うのかな?
そんなに使ってんの!しかも、コロナなのに臨時総会って不要不急だし!
やるべきことはもっと別にあるんじゃないの?
会員には思想信条の自由があり、何が正義かは、会員自身が決めるべきです。強制加入団体が、多数決でいずれが正しいと決めるべきではないと思います。誤判・えん罪は、絶対にあってはなりませんが、そのためにはえん罪の防止を検討すべきです(スーパーデュープロセス等)。
個々の事件での死刑量刑の適否と、制度としての死刑を廃止するかどうかは別問題であり、誤判・えん罪の問題は死刑廃止の論拠となりません。
執行部は、「日弁達の要請で、京都コングレスが開かれる今年決議したい。長々と時間をかけていられない」と述べ、昨年12月半ばに突然、関連委員会と会派に意見照会しました。
東弁の死刑制度検討協議会(死刑存廃を検討するために設置され、刑事系委員会から委員が選出されて設置された)は、この議案について「撤回されるべき」「賛否両論あり、統一的な回答はできない」と回答しており、他の委員会等からも同様の回答や、慎重な検討を求める回答が多くありました。
執行部は「多<の反対意見や慎重意見があることは承知している」と言いながら「全会員アンケートはとらない」と述べています。昨年決議した札幌弁護士会は、執行部が問題提起した後1年内に2度にわたり全会員アンケートを実施しています。なお、昭和56年の東京三会弁護士ァンケートでは60.4%が死刑存置。廃止は39.6%でした。また、弁護士会がどう対処すべきかについて、63.9%が「存置論、廃止論の両説のあることをふまえたうえで継続的にこの問題に取り組むべきである」との回答でした。
東弁が死刑廃止を表明するにつぃて、会内の適正な手続が踏まれ、議論が尽くされ、会内意見が一致団結してまとまったとはぃえません。なお、千葉県弁護士会では、総会決議が否決されました(今年2月)。今年3月にほぼ桔抗した票数で可決した埼玉弁護士会も、一昨年には否決されています。
国民・市民の8割以上は、死刑制度を存置する意見です。令和元年11月の調査は80.8%が賛成で前回調査(平成26年11月)から微増しました(終身刑※を導入した場合も同様)。「国民の理解が得られないのではないか」との質問に、執行部は具体的な回答ができず、これまでも国民の理解を得るための活動をしていません。理解が得られない意見表明は、国民一市民の反感を招き、弁護士自治を危険にさらします。執行部は、弁護士自治のリスクについて「そうならないと信じたい」と述べるだけで、何ら危機感をもっていません。あえて弁護士自治を危険にさらすよりも、我々弁護士は、犯罪から国民・市民を守る存在であるというメッセージをもっと発すべきです。
弁護士会は、コロナウィルス感染症拡大に伴う諸問題、司法・訴訟制度の具体的な在り方や、法テラス扶助償還免除、法律事務独占に関する他士業際問題、東弁財政赤字削減、若手支援、谷間世代支援など、もっと他にやるべきことがあるはずです。
死刑廃止は国際的潮流と言われますが、死刑を廃止した国の中には、逮捕現場での犯人射殺が多数発生している国もあると言われています。日本がどのような刑事政策を採るかは、外国が決めるのではなく、国民が決めるべきです。
(2020年9月14日)
私・スガです。本日、形だけの選挙の結果、自民党総裁になりました。明後日16日には、臨時国会で内閣総理大臣として指名を受けることになります。
しかし、今、自問しています。私は、いったい、どうして政治家を目指したのだろう。どんな政治家になりたいと思っていたのだろう。どんな国家ビジョンを描き、どんな社会をめざそうと考えたのだろうか。私にとって克服されねばならない社会の現実とはなんだったのか。到達されるべき社会の理想とはなんだったのか。そして今、政治家スガとは何者なのだろうか。
正直言って、私・スガには、政治家という生き方の原点たるものが何も思い浮かばないんです。社会の現実との葛藤の経験も、若くして目指した熱い理想も、自分のこととしてはな?んにもない。その意味では、なんともスカスカ。こういうことも事実であります。だから、私には渾身の力で国民に訴えるべきなにものもないし、共感を呼ぶ力もない。
戦争の悲惨を経験して、平和な世の中を作ろうと決意した政治家。貧乏の辛酸を嘗め尽くして、格差や貧困のない社会を志した政治家。基地被害の実態に憤って安保廃棄を目指した政治家。母の堪え難い生き方に涙して、女性差別のない社会を理想とした政治家。身近に障害者の苦悩と接して福祉社会を目指した政治家。労働運動の限界を感じて、政界に転じた政治家。原水爆の悲惨を学んで、核廃絶のために生涯を捧げた政治家。多くの政治家が、自分の政治を志す原体験を語ります。その原体験が理想を追求する情熱となり、国民の共感を呼ぶ力の源泉となります。でも、私・スガには、そのような原体験も理念も理想もない。だから、スカスカというしかないのです。
それでも、総裁選立候補ともなれば、なにか言わねばなりません。そこで、私は繰り返しこう言ってきました。
「私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助』であります。まず自分でやってみる。そして地域や家族がお互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします。さらに縦割り行政、そして前例主義、さらには既得権益、こうしたものを打破して規制改革を進め、国民の皆さんの信頼される社会を作っていきます」
我ながら冷や汗が出る。自分の原体験から出た自分の思想ではなく、肚の底からの自分の言葉でもない。だから、実は自分でも何を言っているのかよくは分からないのです。でも、なんとなく、それらしくは響くでしょう。私は、これまでのそのときその場を、こうして凌いできたのです。
「私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助』」。何のことだか分からないと、真面目に分かろうとする人からはたいへんに不評です。そうでしょう。真面目に分かろうとするほどの言葉ではないのですから。
「私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助』のバランスがよく整った社会」と言えば、日本語として少しは分かるでしょうか。「『自助・共助・公助』のバランスをどうとろうとしているのか、それを明確にしなければ何を言おうとしてのかさっぱり分からん、ですか。そう言われればそのとおりですから、はっきり申し上げましょう。
この世の現実も、私・スガが目指す社会も、「自助」がほぼ全てです。そう考えていただかなくてはなりません。「共助」もあってしかるべきですが、それは飽くまで「公助」の出番を抑えるため。セーフティーネットという「公助」は、最後の最後にようやく出てくるもので、最初から当てにしてもらっては困るのです。飽くまでも、「自助」中心のこの世の中。私だって、高卒で上京して自分で働いて、誰にも甘えることなく、自分でなんとか暮らしを支えてきた。自助努力で自己責任を全うすること。これが資本主義社会の大原則。そういうことも事実であります。「公助」に甘えるとは、他人の稼ぎを当てにすることで恥ずかしいことと考えていただかねばなりません。
もう一つ。私・スガが目指すものは、「規制改革を進めていく」です。概ね、「規制」とは弱者保護のためにありますから、規制を緩和し、あるいは規制を撤廃するということは、弱者の保護を引き剥がすことを意味します。結局は、「自助努力・自己責任」論と同じことになります。
この世は企業社会です。企業あっての経済繁栄であり、企業あっての雇用であり、企業あっての福祉です。国家の経営を支えるものは企業なんです。企業活動の自由なくして、国民生活の繁栄はあり得ません。労働規制も、消費者保護も、建築規制も、都市計画規制も、環境法制も、全ての規制が企業活動の自由に桎梏とならざるを得ません。
労働者保護とか、消費者保護とか、自然環境擁護とか、社会福祉を充実せよとか、農林水産業を守れなどという縦割り行政を盾にした既得権益擁護派の諸君と果敢に闘い説得して、企業活動の自由を断固守る。これが、私の目指す政治なのです。こうすることで、国民の皆さんの信頼される社会を作っていこうというのです。
こうお話しているうちに、自分の政治家志望の原点を思い出してきました。そうそう、私は、この苛酷な社会で勝ち組になりたい、そう考えたことも事実であります。そのためには「強者である企業活動の自由のための政治を行う」ことが必要だ。しかし、「票は、多数の弱者からいただかなければならない」。この二つを両立させようとしてきたのが一貫した私の政治姿勢ですね。
(2020年9月13日)
コロナ禍のさなか、現職総理大臣が任期途中で職を投げ出して、突然の総裁選となりました。事実上の次期総理大臣選挙です。もちろん、国民のみなさまご存じのとおり、選挙は形だけのもの。私・菅義偉の総裁当選は派閥領袖たちの談合で決まっています。この密室の密謀による密議で、私はようやく陽の当たる明るい場所に出ることになりました。これまでは陰険な印象のつきまとう執権職でしたが、ようやくにして晴れがましい将軍職へのステップ・アップ。まことに本懐とするところです。
もう決まっているなら、なぜいま面倒な選挙をしているのか。しかも、「政治に一瞬の空白も許されない今日」などと言いながら…。それは、必要な儀式だからなんですよ。いまは、ミンシュシュギの世の中。お分かりでしょう、ミンシュシュギって、頭数で決めるってことなんです。厄介なことに、この頭数を数える儀式は、密室ではできないことになっています。
ですから、私が自民党総裁としての正当性を獲得するためには、形だけでも選挙が必要なんですね。できれば、ダントツで当選したい。私・菅義偉の人望や能力には党内からも、疑いの目で見る人が多い。圧倒的に選挙に勝たなければ、人望や能力に疑問符がついたままになってしまいます。選挙に勝ったからって能力の証しにはならないだろう、なんて突っ込みはためにする議論。
選挙をする理由は、それだけではない。もちろん、この選挙では、各候補者がどんな国家ビジョンを描いているか。誰が国民のために真剣に政治を行おうとしているか。どんな政治思想や見識や政策をもっているか。国民の声を聴くよい耳を持っているか。廉潔な姿勢や誠実性があるか、外交手腕や調整能力に優れているか。そんなことは、実はまったく問題ではありません。投票の権利をもっている議員にとっては、どの候補者の陣営に擦り寄れば、どんなポストにありつくことができるか。それが、いや、それだけが問題なのです。当然のことでしょう。
負ける候補者を支持しても得るものはない。士たる者は士道に生きる。そりゃ嘘だ。どんな主君に使えるかだけが生き残る道。当たり前すぎる処世術。私・菅義偉を支持して、選挙運動に参加すれば、望みのポストに近づきます。今回はあぶれても、その次の機会には。選挙がなければどのように論功行賞をすればよいか、材料がない。選挙をすればこそ、候補者への忠誠心を量れるということになります。だから、いま、圧倒的に私への支持が増えていますね。みんなが勝ち馬に乗ろうとしているというわけです。
とは言うものの、明るみでやらざるを得ない選挙にはリスクもつきまとうのが悩みのタネ。他の候補と対等の議論の場に引っ張り出されると、私の地金を隠しきれなくなってしまう。無能・無才・無知・無学・無教養・無見識・無定見の馬脚が表れてしまう。とりわけ、私には討論の能力がない。昨日(9月12日)の日本記者クラブ主催の3候補「討論会」を報じるメディアの評も厳しい。たとえば、毎日新聞。揶揄されているようでもあって不愉快だけれど、そのとおりだから反論のしようもない。
岸田氏は菅氏に「社会保障の持続可能性をどう維持するのか」と質問したが、菅氏は幼児教育の無償化や雇用創出など安倍政権の実績を強調しただけで正面から答えなかった。ここは菅氏の「説明能力不足」を指摘するチャンスだったのに、岸田氏は何も言及しなかった。石破氏は新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正の必要性について明確に答えない菅氏に対し、「私が尋ねたことにお答えをいただきたかった」とクギを刺した。この「正面から説明しない」姿勢は、石破氏が争点化する安倍政権の負の側面と重なるので、もっと指摘してもよかったはずだ。
一方、菅氏は相手が話している時に下ばかり向いている姿が目立った。応答要領の資料をめくりながら次に発言する内容を確認していたのだと思うが、相手の発言をメモすることもほとんどなく、「討論」とはほど遠い姿勢だった。
象徴的だったのは、安倍政権の「負の遺産」が話題になった場面。森友学園問題をめぐって、朝日新聞の坪井ゆづる氏が再調査の必要性を尋ねると、財務省が内部調査をしたことなどを挙げて「結果は出ている」と従来の政府見解を繰り返した。財務省による身内の調査だと指摘されても「いま申し上げた通りだ」と答えるのみだった。
どうひいき目に見ても、私は、他の候補者に較べれば能力の面において見劣りがしますよ。そりゃそうだ。そのことを天下にさらけ出してしまった。でもね、私は安倍さんを見ているからね。あれでも総理は務まるんだから、私だってね。総裁選で当選してしまえば、こっちのものだと思っていますよ。
安倍さんも、きちんとした論戦のできる人ではなかった。でも、彼独特の「ご飯論法」で乗り切りましたね。あれは、安倍さんが意識的に編み出した、「論争手法」ではなく、追い詰められ、逃げ回って、苦し紛れにああなったというだけの話です。それが身について、とにもかくにも逃げおおせた。
私は、もっと意識的に、「美談論法」というものを採用したい。下記は、週刊文春最近号「菅義偉『美談の裏側』集団就職はフェイクだった」の一節。私の例の、「秋田の貧しい農家から、集団就職で上京して…」という叩き上げ苦労人の『美談』について。
「集団就職というのは、学校の先生に引率されて上京し、就職先を回って働き口を見つける、というもの。ところが、義偉君は一人で上京している。『集団就職で上京した』という記事を読むたび、どうしてこうなったのか、と不思議なんです」
菅氏の親戚の一人も「間違ったイメージが広がっていることに懸念を抱いていた」と漏らす。「ある時、義偉さんに言ったんです。そしたら本人も『集団就職したことになっているけど……』と認めていました。ただ、『本当に集団就職した人たちもいる。わざわざ、訂正してそういう人たちを傷つける必要はない。そう思われているなら、それでもいい』と」
つまり、菅氏は、自身が「集団就職」だということが「誤解」だとはっきり認識していながら、あえて訂正せずにいたのだ。
だってそうでしょ。敢えて美談を否定することはない。みんな美談が好きなんだから、あえて訂正する必要はない。私が積極的に嘘を言ったわけではない。安倍さんの「ご飯論法」での「ご飯は食べていない」という答弁は、パンを食べていたとしても、決して嘘を言っているわけじゃない。
私も、安倍後継を以て任じる以上は、できるだけ側近の官僚たちも「居抜き」で、「忖度文化」も、ウソとゴマカシのアベ政治も大事に受け継ぎたい。あとで弁解出来ない極端なウソはできるだけ控えるようにはしますが、都合のよい誤解を敢えて訂正するような愚かなことはしませんね。ご飯論法を私なりに受け継いで、美談のイメージを大切にする「美談論法」で、国会を乗り切りますよ。
えっ? できるかって? 私は安倍さんを見ていますからね。あの、安倍さんだってできたんですよ。大丈夫。ご安心ください。
(2020年9月12日)
中国の香港民主派への弾圧の印象が強烈で、以来この大国の人権状況が気にかかってならない。香港以前には、チベット・ウイグルに対する弾圧が問題とされており、香港後は台湾だろうと思っていたら、突然に内モンゴル自治区における「同化政策」が大きな住民の反発を招いているという報道である。
私は、昨年(2019年)8月に、旧関東軍の戦跡をめぐる内モンゴルの旅に参加した。ハイラルからノモンハン、ホロンバイル、そしてロシア国境の満州里まで。あの独特の縦書きのモンゴル文字をあちこちで見かけたが、その文字と言語の消長が問題となっているとは気が付かなかった。見る目のないことは如何ともしがたく、バス旅行の行程では不穏な空気を感じ取ることもできなかった。
それでも、モンゴル族の現地ガイドに「漢族との差別はありますか。不満はないのですか」と聞くと、漢族の通訳に聞こえぬよう配慮しつつ、「それは、当然にありますよ」と語っていた。が、明らかにそれ以上に話はしたくないという態度で、このテーマでの会話の発展はなかった。
あれから1年。この9月から始まった新学期での学校教育が様変わりだという。これまで保障されていた内モンゴル自治区内小中学校でのモンゴル語教育が、事実上中国語(北京官話)だけとされることに、モンゴル族の住民が激しく反発して抗議行動が噴出し、これを当局が厳しく取り締まっている、という。ああ、香港と同様の構図だ。
本日(9月12日)のNHKWEBNEWSは、「中国 内モンゴル自治区 小中学校での中国語教育強化に抗議活動」として、以下のように報じている。
中国で少数民族のモンゴル族が多く住む内モンゴル自治区の小中学校で、新学期から中国語の教育が強化されたことを受けて、現地では生徒や保護者らによる抗議活動が起きています。
これに対して地元の公安当局は、騒動を起こしたなどとして100人以上の顔写真をインターネット上に公開して出頭や情報提供を呼びかけるなど、抑え込む姿勢を示しています。
中国内陸部の内モンゴル自治区では、地元政府が先月下旬、新学期に合わせて一部の教科書をモンゴル語から中国語に変更すると発表しました。
アメリカに拠点を置く人権団体「南モンゴル人権情報センター」によりますと、中国語の教育が強化されることにモンゴル族の生徒や保護者の間で反発が広がり、複数の地域で抗議活動が起きているということです。
これに対して地元の公安当局は、騒動を起こしたなどとして、インターネット上に100人以上の顔写真を公開して、出頭や情報提供を呼びかけています。また、現地には公安省のトップも訪れ、「反分裂主義との闘いを進め、民族の団結を促進しなければならない」と訓示していて、抗議活動を抑え込む姿勢を示しています。
これについて中国外務省の趙立堅報道官は、11日の記者会見で「これはあくまで内政問題だ」と述べるにとどめ、海外メディアの報道に神経をとがらせています。
《公安省のトップ》《反分裂主義との闘い》は意味不明だが、住民の抗議行動と、公安当局の取締りの意図は、よく分かる。そして、相変わらずの「あくまで内政問題だ」という逃げ口上。
時事ドットコムニュースの見出しは、より深刻である。『中国・内モンゴル、標準語教育に住民反発 同化政策、「文化絶滅」の懸念』というのだ。内容も詳細でよく分かる。
【北京時事】中国北部の内モンゴル自治区で、小中学校の授業で使う言語をモンゴル語から標準中国語に変更することにモンゴル族住民が反発し、抗議デモや授業のボイコットが相次いでいる。当局は参加者の拘束など弾圧を強めている。
同自治区は1学期開始前の8月26日、少数民族系の小中学校1年の国語の教科書をモンゴル語から標準中国語にかえると通知。来年以降は段階的に道徳や歴史にも中国語授業を広げる方針だ。保護者や一般市民が各地の街頭で抗議活動を展開し、授業をボイコットした生徒は数千人以上とみられる。
米国のNGO「南モンゴル人権情報センター」によれば、警察はデモ参加者を暴力的に取り締まり、一部を拘束。インターネット上で100人以上の参加者の顔写真を公開し、出頭や情報提供を呼び掛けた。寄宿制の学校では生徒が自宅に帰らないよう警官隊が敷地を封鎖したという。
AFP通信によると、住民の1人は「ほとんどのモンゴル族は授業の変更に反対だ」と述べ、子供が母語を流ちょうに話せなくなると危惧。「言葉は数十年で絶滅の危機にひんする」と訴えた。
こうした「同化政策」は、チベット自治区や新疆ウイグル自治区でも進む。「中華民族」の結束を目指し標準中国語の浸透を図る習近平政権は異論を排除する構えだ。趙克志国務委員兼公安相は2日まで内モンゴル自治区に入り「反分裂闘争を推進し、民族の団結を促せ」と警察幹部に訓示した。
国際社会には波紋が広がり、モンゴルのウランバートルでは抗議活動が行われた。エルベグドルジ前大統領はツイッターで「モンゴル文化のジェノサイド(抹殺)は生存への闘いをあおるだけだ」と非難した。しかし、中国外務省の華春瑩報道局長は3日の記者会見で「国の共通言語を学んで使うのは各市民の権利であり義務だ」と主張し、批判に耳を貸そうとしなかった。」
中国は、今や世界の悪役を買って出ようというのだろうか。「モンゴル文化のジェノサイド」といわれる政策を何故強行しようとするのか。清の時代の中央政府は、地方や辺境を決して中央一色に染め上げようとはせず、「因俗而治」(俗に因りて治む)を国策にしたという。「因俗而治」を訳せば、「各地の文化習俗を尊重した統治」と言えようか。現代中国はこの知恵を失って、退化してしまったのではないか。
それにしても、香港も内モンゴルも当局の力があまりに強い。中国の横暴に有効な歯止めとなる手立てはないものかと思っていたら、こんな報道が目に入った。
「北京冬季五輪、実施再検討を 人権団体がIOCに文書」「160 超の人権団体、北京冬季五輪開催の再考をIOCに要請」という、ロイターやAFPの記事である。もしかしたら、この方式は効くかも知れない。中国だって、国際的な孤立は避けたいのだろう。
「2022年に開催を予定している北京冬季五輪について、世界各国の160以上の人権団体が9日までに、実施再検討を求める文書を国際オリンピック委員会(IOC)に連名で送付した。中国政府の人権侵害を理由に挙げている。
新疆ウイグル自治区や香港での対応をめぐって、中国政府に対して国際的な批判が上がっている。8日に公開された連名の文書には、「中国での人権侵害の悪化を見過ごせば、五輪精神が損なわれる」などと記された。これに対して中国外務省の報道官は、IOCに送られた文書をスポーツの政治利用だと非難。「五輪憲章の精神に反している」などと反論した。(ロイター時事)。」
「160を超える人権擁護団体が連名で国際オリンピック委員会(IOC)に書簡を送り、2022年の北京冬季オリンピック開催を再考するよう要請した。中国政府による人権侵害を理由に挙げている。
過去数カ月間、この種の要請は各人権団体から何度も行われていたが、今回の書簡はこれまでで最大規模。新疆ウイグル自治区に暮らすウイグル族への対応や「香港国家安全維持法」の施行を巡り、中国に対する国際的な批判が高まっている。
8日に公開された書簡には、アジア、欧州、北米、アフリカ、オーストラリアに拠点を置く、ウイグル族やチベット族、香港住民、モンゴル族の人権団体が署名。「中国全土で起きている人権危機の深刻化が見過ごされてしまえば、オリンピック精神と試合の評価は一段と損なわれるということをIOCは認識しなければならない」としている。(AFP)」
公開質問状に対する回答に接して
2020年9月11 日
関東弁護士会連合会
理事長 伊藤茂昭殿
本年8月17日付公開質問状別紙に記載の弁護士計65名
〒113-0033 東京都文京区本郷5丁目22番12号
代 表 澤 藤 統一郎
「関弁連だより」(№272)に掲載されたアパホテル専務インタビュー記事(以下、「アパホテル記事」と言います)に関して本年8月17日付「公開質問状」を発送いたしましたところ、同月28日付の「回答」に接しました。期限内に誠実なご回答をいただいたことに感謝申し上げます。
また、当該回答書中に、「執行部としては,弁護士法に基づく公的法人である構成弁護士会の連合会として,この記事の掲載を継続することは適切ではないと判断し」「今後は,会員からの疑義が述べられるような事態が発生しないよう,慎重に取り組む所存」との記載があり、あらためて関弁連の基本姿勢を確認して安堵いたしました。
とは言え、「回答」書中にはやや納得しかねる点も散見されます。とりわけ、個別の質問についての回答はいただけなかったため、この度のアパホテル記事掲載という不適切な事態がどうして生じたのかについてのご説明はなく、またアパホテル記事が何故に不適切なのかについての理由の開示も不十分と感じざるを得ません。
今後の適切な会務運営と、さらに充実した会報を期待して、ご参考にしていただきたく、以下の意見を申し上げます。
(1) 回答書中には、アパホテル記事掲載を不適切とする理由として、「私企業の経営者のインタビュー記事は、その人の思想信条を支持するかのような誤解を与える可能性があり」とあります。しかし、私たちは、決して私企業性悪説に与するものではありません。その経営者の思想信条が、憲法の理念や関弁連の基本方針に合致するものであれば、記事掲載になんの支障もないことは明らかと考えます。また、必ずしも合致するとは言えない場合でも、大きく背反することのない常識的な範囲のものであれば、敢えて問題とするには及ばないとも考えます。
私たちは、「極端に反憲法的な思想や行動と緊密に結びついた企業、あるいは社会正義や人権の擁護に悖る企業を弁護士会連合会の会報に無批判にとりあげること」が問題であり、弁護士会の姿勢について社会に誤解を与える点で不適切だと考えます。
今回の公開質問状は、私企業一般の問題ではなく、歴史修正主義・憲法改正・非核三原則撤廃・核武装などという極端な反憲法的イデオロギーと緊密に結びついたアパホテルグループの特殊な姿勢を問題とし、これを無批判に広報紙に掲載することが関弁連として不適切と主張していることをご理解いただきたいと存じます。
(2) 回答書中に「『(アパホテル)経営者一族の思想信条には触れておらず、記事そのものについては問題がない』という意見もあった」とあります。この意見こそ、弁護士会内において克服されねばならないものと考えます。
アパホテルグループが、その反憲法的言動において突出していることは、社会的に顕著な事実となっています。アパホテルやその経営者を会報記事に取りあげるとすれば、とりあげる側の歴史観や憲法についての姿勢が問われることになります。そのような客観的な状況が存在しているのです。読み手は、よく知られたアパホテルグループの反憲法的な見解や姿勢と連動して、掲載者側の姿勢を推し量ることにならざるを得ません。関弁連だよりが、アパホテル記事を掲載すれば、関弁連のみならず、日弁連や単位会の憲法についての姿勢までが社会から問われることになります。「『経営者一族の思想信条には触れておらず、記事そのものについては問題がない』という意見」は、その意味で余りに軽率で不見識と言わねばなりません。
(3) 「アパホテル記事は、『経営者一族の思想信条には触れておらず、記事そのものについては問題がない』という意見」は、別な角度からも、批判されねばなりません。
例えば、人権弾圧をおこなっていると広く認識されているある外国の指導者が来日した場合、有力なメディアがその指導者のインタビュー記事で、その人権弾圧の点に何も触れない記事は、当該人権弾圧を不問に付しているとみなされることになります。そのことは、「何も触れていない」ことで、世論における批判を希釈しあるいは免責するという効果を生むことになると言わねばなりません。
同様に、アパホテル記事も、弁護士会が「経営者一族の思想信条に触れないこと」で、関弁連がアパホテルグループの反憲法姿勢を不問に付すべきものと判断したと受け取られ、憲法を大切に思う世論に負の影響をもたらすことを考えていただくよう、要望いたします。
(4) 弁護士会は、日本国憲法の理念にもとづいて社会正義と基本的人権とを顕現すべき立場から、一定の企業には批判的立場をとらざるを得ず、そのため過度な親密化は好ましくないと考えます。
そのような企業としては、憲法や法律をないがしろにすることを広言する企業、労働者に対するハラスメントで指弾されている企業、公害や消費者被害を頻発している企業、不当労働行為や労働基準法違反の常習企業、反社会的勢力と結託している企業、デマやヘイトを事としている企業等々が考えられます。このような企業を、無批判に他の企業と同列に遇してはならないと考えます。今回のアパホテル記事問題は、そのような典型事例と考えて然るべきではないでしょうか。
今後、会務の運営に以上の点をご参考にしていただけたら幸甚に存じます。
そして、会報広報委員会の皆様には、ますます魅力的な「たより」をお届けいただくよう、お願い申し上げます。
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関東弁護士会連合会(関弁連)の会報「関弁連だより」(№272・2020年6月30日発行)に、アパホテル専務インタビュー記事が掲載された問題。当ブログは、まずこれを批判し、65名の弁護士連名での公開質問状を提出して、これに回答を得た。その一連の経過は、下記URLをご覧いただきたい。
不見識きわまれり、弁護士会広報紙にアパホテルの提灯記事。
https://article9.jp/wordpress/?p=15193
アパホテル記事について、関弁連に対する公開質問状。
https://article9.jp/wordpress/?p=15444
関弁連から、アパホテル問題についての「公開質問状に対する回答」
https://article9.jp/wordpress/?p=15553
この経過における問題提起とその回答は、それなりに考えるべき興味深いテーマを浮かびあがらせている。冒頭の「公開質問状に対する回答に接して」は、そのまとめとなっている。
上記のとおり、意見は4項目である。要約すれば、以下のとおり。
(1) なぜアパホテル記事掲載は不適切なのか。「極端に反憲法的な思想や行動と緊密に結びついた企業」だからである。私企業一般を問題としているのではない。歴史修正主義・憲法改正・非核三原則撤廃・核武装という極端な反憲法的イデオロギーと緊密に結びついたアパホテルグループの特殊な姿勢を問題としているのだ。
(2) インタビュー記事は「経営者一族の思想信条には触れていない」、だから問題ないとしてはならない。この経営者一族が、その反憲法的言動において突出していることは、社会的に顕著な事実であって、アパホテル記事を掲載した弁護士会が憲法についての姿勢を問われることになるのだ。これに目をつぶるのは、余りに軽率で不見識。
(3) 弁護士会が、アパホテルを記事にして、「経営者一族の思想信条に触れないこと」は、弁護士会がアパホテルグループの反憲法姿勢を不問に付すべきものとのメッセージを社会に発信したということになる。憲法を大切に思う世論に負の影響をもたらすことを考えなければならない。
(4) 弁護士会は、その任務から、一定の企業には批判的立場をとらざるを得ず、そのため過度な親密化は好ましくない。たとえば、「憲法や法律をないがしろにすることを広言する企業」「ハラスメント企業」「公害や消費者被害の垂れ流し企業」「不当労働行為や労働基準法違反の常習企業」「反社会的勢力と結託している企業」「デマやヘイトを事としている企業」等々。このような企業を、無批判に他の企業と同列に遇してはならない。アパホテルは、その典型ではないか。
一応の成果はあったと考えて、上記意見書を再度送付することで、今回のアクションは終了することとなった。
(2020年9月10日)
本日(9月10日)の赤旗国際面に《香港 「扇動」で民主派起訴 英国統治時代の法根拠》という【香港=時事】の記事。恐い話だが避けて通れることではない。せめて声を上げよう。これは、私たち自身の問題でもあるのだから。
短い記事だから、全文をご紹介しよう。
香港当局は9日までに、民主派政党「人民力量」副主席の譚得志氏を「扇動的発言」を繰り返したなどの罪で逮捕、起訴した。問題視された発言は、昨年以降の反政府デモで多用されてきたスローガン「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、革命の時だ)」などで、民主派は「言論弾圧だ」と反発している。
香港メディアによると、譚氏に適用された罪は英国統治時代に制定された法に基づくもの。1997年の中国への香港返還後、同罪での訴追は例がない。植民地支配に抵抗する親中派の取り締まりに用いられた歴史があり、社会の現状にそぐわないとの批判の声が司法関係者からも上がっている。6月末の国家安全維持法施行後、香港の民主派摘発は加速しており、同法以外にもあらゆる手段が当局側の選択肢にあると示した形だ。
以上が、時事ドットコムからの引用だが、赤旗の記事には以下の、恐るべき一文が続いている。
当局側の資料によると、譚氏は1月17日から8月23日までの間、デモや集会で、「光復香港」を389回、警察を罵る言葉を324回、「打倒共産党」を34回繰り返しました。罪に問われたのは、3?7月の言動に関してだといいます。
なんという権力の野蛮。デモや集会で、「光復香港」と叫ぶことも、「打倒共産党」と声を上げることも犯罪というのだ。民主主義の原則からは、「光復香港」も「打倒共産党」も、最も擁護されねばならない言論である。「表現の自由」とは、権力が最も不快とする言論こそが自由でなければならないという原則なのだから。
しかも、この野蛮な権力の末端は、どこかにじっと身を潜めて民主派政治家の「違法」発言回数を数えている。そうして作られた「資料」が、どこかに山を成して積まれているのだ。権力の恣意が、その資料のどこかをつまみ上げて活用することになる。
香港での「光復香港」・「打倒共産党」は、今の日本での「安保条約廃棄」「自民党打倒」「天皇制廃絶」程度のスローガンだろう。こんなことを口にできない社会は、想像するだに恐しい。
かつての天皇制国家も野蛮を極めた。今、香港に三権分立はなく、三権を睥睨する至高の存在としての中国共産党がある。その至高の中国共産党に対して、人民風情が打倒を叫ぶなどは、逆賊の犯罪として許されない。これと同様に、大日本帝国憲法下の三権を睥睨する至高の存在としての天皇がいた。その天皇の神聖性や権威を冒涜することは、逆臣の犯罪として許されなかった。
当時刑法第74条(不敬罪・1947年廃止)は、「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ處ス」「神宮又ハ皇陵ニ対シ不敬ノ行為アリタル者亦同シ」という、バカバカしい犯罪を作っていた。また、治安維持法が、国体(=天皇制)の変革を目的とする結社を禁じてもいた。今にしてバカバカしいが、当時は思想警察が国民生活に立ち入って、不敬の言動に耳をそばだてていた。ちょうど、今、香港の警察が民主派活動家の「違法」発言回数を数えているように、である。
いったいいつの間に、中国共産党は天皇制権力に擬せられる存在になってしまったのだろう。かつての天皇制権力の野蛮を繰り返させてはならないように、今香港で行われている中国共産党の野蛮を批判しなければならない。
心しよう。常に権力への警戒を怠ってはならない。いかなる権力に対しても、批判を継続しなければならない。その批判の武器としての「表現の自由」を鈍麻させてはならない。香港の事態を他人事と看過してはならないのだ。
(2020年9月9日)
久しぶりに、小村滋君から「アジぶら通信?」の配信を受けた。「アジぶら通信」は、究極のミニコミだが、さすがに朝日記者OBの筆。読ませるし、何よりも怒りのボルテージが高い。
今回はワンテーマで、《沖縄のコロナ禍「地位協定」が呼ぶ》という記事。本年7月の在沖米軍基地におけるクラスターの発生と、これに対する県と政府の対応の落差を中心にまとめたもの。情報源は琉球新報である。いつにもまして、怒りのボルテージが高い。
小村君は、誰に怒っているのだろう。文面から読み取れるものは、何よりも無法な米軍に対する怒りである。それだけでなく、米大統領にひたすら追従する安倍政権と菅官房長官にも怒っている。せめて、韓国・オーストラリア並みのプライドをどうして持てないのだと。そしておそらくは、安倍政権を容認し沖縄の事態を傍観している本土の我々にも怒っているのだろう。
一方、安倍政権にもの申す玉城知事、米軍を追及する沖縄2紙やTVの在沖メディア、そして沖縄の人々には、「我が国民主主義のトップランナー」として敬意を表している。
そして、彼は結論として、「米軍無法の根源『地位協定』を改定させることが、安保条約反対に目覚めさせる近道ではないのか。」という。
米軍無法の根源を「地位協定」と認識し、まずは明らかに不合理な「地位協定」改定を目指し、さらには「安保条約反対」にまで及ぼうというのが彼の立場なのだ。そうでなくては、沖縄県民も本土の基地周辺住民も、いつまでも米軍の無法を甘受せざるを得ないまま。彼のように沖縄に寄り添えば、彼のような考えになるしかないのだ。
以下、「アジぶら通信」を、当ブログの体裁に合わせて再構成し、紹介させていただく。
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リード《前提となる基礎知識》
※米国の基地から直行
沖縄の米軍基地で7月に発生した、新型コロナウィルスの感染拡大は、日米地位協定の治外法権ぶりの新たな一面をあぶり出した。地位協定9条は、その2項で「合衆国軍隊の構成員及び軍属は旅券及び査証に関する日本国の法令の適用から除外される。……構成員及び軍属並びにそれらの家族は、外国人登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外される。」としている。
※復帰後に新たな占領状態
1952年4月28日の対日平和条約発効で終わるはずだった米軍の日本占領が、同時に発効した日米安保条約に引き継がれた。その安保条約に基づいて出来たのが「日米行政協定」であり、60年安保により現在の「地位協定」になった。沖縄は、戦後ひたすら米軍の占領状態だったから、安保条約は適用されなかった。72年の日本復帰から地位協定の理不尽に捕らえられた。沖縄戦から75年の今夏、沖縄県民は、新型コロナと米軍と安倍政権という「三敵」と闘った。
毎年7月、8月は米軍の異動時期だ。海兵隊は、米国本土の基地から5千?7千人が沖縄の基地に飛んでくる。毎年繰り返されるローテーション異動だが、地位協定の通り、日本の法律の適用を受けず、米軍の自由に行われる。検疫も、パスポート検査もなく。6月下旬から7月に。沖縄では4月30日以降2か月余り新型コロナ感染者が全く出なかった時期だ。
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本文《2020年7月・沖縄で何が起こったか》
※突然、基地従業員に足止め
7月7日、米軍普天間飛行場で基地従業員が説明もなく足止めされた。米兵のクラスター(集団感染)発生ではないか、と基地従業員から新聞社などに電話が殺到。大規模感染が明らかになった後も、メールやSNSで基地従業員などから情報提供が続いた。
在日米海兵隊は、6月中旬、コロナへの警戒レベルを引き下げ、基地外での行動制限を緩和した。7月になると部隊展開計画に基づき、新型コロナまん延の米国から多くの兵士が沖縄に移動してきた。6月中旬から7月4日の米独立記念日の前後、沖縄本島中部の基地周辺でバーベキュー名目のビーチパーティーに大勢の米兵が集まり、県民の姿もあったという。
※情報を出さない米軍、連絡しない防衛省や安倍政権。
7月7日夕5時、米海兵隊から入った情報は「普天間で複数感染。感染源は不明」。米軍に大規模クラスター発生の概略を掴むのは5日後の11日だった。
7?11日の間キャンプ・ハンセンで複数人感染など連日、1面トップで報道。しかし米軍は感染者数を報道向けに公表しない方針で「県は、米軍の了解が得られた時だけ報道陣に知らせる」とした。勝手に知らせた場合、今後は県にも知らせない、と言われたらしい。
県議会は10日、「米軍に感染情報開示を要求」全会派一致で決議した。さらに「地位協定の抜本改定」を求める意見書も全会派一致で採択した。
しかし菅官房長官は10日、東京での記者会見で「米軍病院から地元保健所に必要情報は伝えられ共有しているはず」と粛々と述べた。河野防衛相も「情報開示は十分」との見方を示した。また北谷町の民間ホテルを米軍が借り上げ、移動者隔離に使用することが明らかになり、町長は「基地内で隔離してほしい」と沖縄防衛局に抗議した。海兵隊にも抗議しようとしたが、防衛省で玉城知事らと河野防衛相で決めたこと、と断られたという。
だが県議会の全会一致「情報開示要求」決議が米軍には効いたらしい。11日、クラーディー在沖米四軍調整官と玉城知事との電話会談が行われ、米軍普天間飛行場とキャンプ・ハンセンで7?11日までに61人がコロナに感染したことが明らかになった。玉城知事が米軍調整官に要求した7項目には、この二つの基地の閉鎖の他に、ローテーション配備で沖縄に入ってくる人数・時期の情報の要求もあった。
12、13日でさらに34人の感染が判明。「海兵隊クラスター」がはっきりすると、県の政府への苛立ちが増した。相変わらず「必要情報は共有」とする菅官房長官ら政府側の開き直り記事も。
これと並んで、玉城知事の怒りのツイッターが掲載された。
日本政府が米軍に対して国民の命を守るためにとるべき協議や措置などを事務方任せにしているのではと憂慮しています。どれだけの数の外国からの人が、どこから国境を越えて日本へ入り、どのようにして、どこへ移動しているのか。全く情報がないなんて異常としか言いようがありません。
※韓国、米軍を二重チェック
しかし在韓米軍は、情報開示の方針を変えなかった。感染者数は勿論。感染が判明した経緯、陽性確認後はどこで隔離されていたか。全て公表した。
韓国では米軍人たちは韓国到着後にPCR検査を受け、2週間の隔離を経て、再びPCR検査を受ける。感染していても3割が陰性反応になるため、二重チェックが欠かせない。それに引き換え日本ではPCR検査も隔離も米軍任せ、チェックするすべもない。
※豪は一時、米軍の配備停止
豪州の場合、海兵隊は一時駐留扱い
米軍感染は7月下旬になっても止まらず、県民感染を越えて増え続けた=25日付電子版
だから配備を断ることができる。豪州国防相は3月末、米軍内の感染拡大を知って海兵隊のローテーション配備停止を決めた。その後、5月に米側と話合い、隊員規模を半分にして、6月に配備が決まった。厳格な検疫とPCR検査が実施された。
日本の場合、地位協定3条で日本が提供する施設について米軍に排他的管理権が与えられている。日本は一切口も手も出せないのだ。
サテ、感染者数の追及に戻ろう。7月15日キャンプ・ハンセンで新たに36人の感染者が出て、合計136人になった。この日、県と米海軍病院が初めて会合を持った。米側は「感染者は殆ど軽症か無症状で基地内で隔離」といい、感染者が増えたのはPCR検査を積極的に進めた結果という。感染者のうち、少なくとも23人は基地外に出て、県民と接触していた。問題は県民への感染の広まりだろう。
その後、感染米兵46人が基地外に出ていた、と報じた。
※知事、防衛相らに面会
玉城知事は15日、基地を抱える仲間・金武町長、當眞・宜野座村長と上京し、河野防衛相らと話し合った。
玉城知事らは「米本国からの異動中止」「検疫などに国内法を適用するよう地位協定の抜本改定」などを求め、「県民は大きな不安に追い込まれているのが現状」と訴えた。河野防衛相は「不安を抱かせ申し訳ない」と陳謝し、地元と連携して対策に当たりたい、とした。茂木外相も「真摯に取り組んでいく」と応じた。官邸では安倍首相も菅官房長官も会わなかった。玉城知事は、米大使館でヤング臨時代理大使と会い、対策を要請した。
※市中感染への不安が…
16日、キャンプ・ハンセンを拠点とするタクシー運転手がコロナ感染したと確認された。また基地従業員やその家族が一部の病院で出入りを制限された。市中感染への不安の行きすぎた反応だろう。
市中感染への不安は、国が推進する「Go To トラベル」への懸念となって現れた。同紙が実施した県内41市町村長へのアンケートに7割の29首長が「22日からのGo To延期を」訴えた。
玉城知事たちの東京への訴えは、一応の効果を生んだ。17日、記者会見した河野防衛相は、日本に入国する全ての米軍関係者にPCR検査を義務付けるよう、日米間で調整していることを明らかにした。米国を出発する際と日本に入国した際、それぞれPCR検査を実施するよう日本政府が要請し、米国も応じる構えだという。一方で沖縄県など基地負担都府県が求めている地位協定の抜本改定は「運用で対応」といつも通り否定した。
※全基地従業員へPCR検査
無責任な米軍と日本政府の間に挟まれた基地従業員のコロナ対策も、県が声を上げなければならなかった。玉城知事は20日、米軍基地の日本人従業員のPCR検査を沖縄防衛局と連携して実施すると県庁で発表した。普天間やハンセンから始め、沖縄の全従業員に実施するとした。
24日、沖縄の米海兵隊で新型コロナ感染者が新たに42人ふえ、205人に達した。この数字は県民の感染者数172人を上回っていた。
その後も米軍の感染者は増え続け、28日には240人に。県民感染者232人を上回り続けた。県民感染者には、人数は定かではないが、基地従業員も含まれていた。しかし7月29日には本土からの「Go To」関係者や那覇の繁華街でのクラスターで44人の県内感染者を出し、米軍関係者を逆転した。以後、感染の主役は県内感染者に移ったように見える。