澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「山高きが故に貴からず」「アベ長きが故に大きな迷惑」

9月8日深夜から9日未明に、台風15号が関東を直撃した。週明けの9日(月)には首都圏一円の交通機関混乱一色の報道となり、10日以後本日(9月12日)に至るも、千葉の大規模停電と断水が大きな話題となっている。

第4次安倍再改造内閣は、このような時期を見計らったように発足した。慌てふためいて首相自ら災害地に飛んで見せ、組閣を遅らせるなどというパフォーマンスも不要とする政権の傲慢ぶりを見せつけてのことである。「何をしようが、内閣の支持率は下がらない」。そう、国民は完全に舐められている。国民は、そんな内閣の存続を許してきたのだ。

昨年(2019年)の「赤坂自民亭」事件を思い出す。7月5日夜、熊本が未曾有の水害に襲われたその最中に、安倍晋三以下の与党首脳がこぞって,赤坂の議員宿舎で酒盛りをしていたというあの事件。世人がこれを知ったのは、西村康稔なる自民党議員(当時官房副長官)がツイッターで赤い顔の安倍晋三以下のスナップをネットにアップしてのことである。言わば、証拠写真の社会への提供。その西村が、今度は経済再生担当大臣である。

さて、今回の組閣ならびに党役員人事に関して、昨日(9月11日)の首相記者会見冒頭のコメントでこう発言した。

 内政、外交にわたる各般の挑戦を進め、令和の時代の新しい日本を切り開いていく。そして、その先にあるのは、自民党立党以来の悲願である憲法改正への挑戦です。いずれも困難な挑戦ばかりでありますが、必ずや、成し遂げていく。そう決意しています。

 「内政、外交にわたる各般の挑戦を進め、令和の時代の新しい日本を切り開いていく」は、この人らしい、まったくの無内容。要は、「自民党立党以来の悲願である憲法改正への挑戦」「困難な挑戦でありますが、必ずや、成し遂げていく。そう決意しています」とだけ言いたいのだ。

幹事社質問に対する彼の回答が次のとおりである。

「さきの参議院選挙では、常に私は、この選挙において、しっかりと憲法の議論を進めていくのか、あるいは議論すらしないのか。それを決めていただく選挙ですとずっと訴えてまいりました。その結果、私どもは国民の信を得ることができたと思いますし、最近の世論調査においても、議論はしなければいけないという回答が多数を占めているというふうに承知をしております。正に議論は行うべきというのが国民の声なんだろうと考えています。

 そうではなかろう。自民党は9議席を減らしたではないか。自民党が改憲についての国民の信を得るこことができたとの強弁は見苦しい。また、共同通信社が8月17、18両日に実施した全国電話世論調査によると、安倍首相の下での改憲に反対が52・2%と、賛成の35・5%を大きく上回っている。
さらに、最近のNHK世論調査でも次の結果が出ている。
 安倍総理大臣は、9月11日に内閣改造を行います。新しい内閣が最も力を入れて取り組むべきだと思うことを、6つの選択肢をあげて聞いたところ、
 「社会保障」が28%で最も多く、次いで、
 「景気対策」が20%、
 「財政再建」が15%、
 「外交・安全保障」と、
 「格差の是正」が11%、
 「憲法改正」が5%でした。
「正に議論は行うべきというのが国民の声」も、牽強付会と言うほかはない。

選挙でお約束したことを実行に移していくことが政治の責任であり、自民党としては本日発足をした新しい体制の下で憲法改正に向けた議論を力強く推進していく考えであります。それは党四役を含め、自民党の役員あるいは自民党の議員共通の考え方だと考えています。

約束とは当事者双方の意思の合致をいう。自民党が、「改憲をお約束した」と一方的に言っても、国民の側が改憲を依頼した覚えはない。成立していない「約束」を実行に移していくことは政治の責任ではない。自分だけがやりたいことを勝手にやらせていただくと駄々をこねているだけのこと。

 なお、質問には、「党の憲法改正推進本部長にはどのような人物を起用するお考えなのでしょうか。」があったが、これには答えない。完全スルーだ。質問者も、重ねての質問をしない。これでは困ったものだ。

令和の時代にふさわしい憲法改正原案の策定に向かって、衆参両院の第一党である自民党、今後、憲法審査会において強いリーダーシップを発揮していくべきだろうと、私は考えております。

 安倍くん、今キミは首相として記者会見をしている。お分かりかね。キミは、憲法99条によって、憲法の尊重擁護義務を負っている身だ。それが、勝手に国民の声を僭称して改憲の議論を進めようとは、なんたること。少しは、自分の立場を弁えたまえ。

自民党は、既に憲法改正のためのたたき台を示しています。このたたき台については、既に党大会で承認をされた党としての意思となっていると思いますが、立憲民主党を始め、野党各党においても、それぞれの案を持ち寄って憲法審査会の場で憲法のあるべき姿について、与野党の枠を超えて活発な、国民が注視している、注目をしているわけでありますから、その期待に応えるような議論をしてもらいたいなと期待をしています。
また、国民投票法の改正案については、憲法審査会の場で、与野党でしっかりと議論していただきたいと期待をしていますが、同時に、憲法改正の、先ほど申し上げましたように、中身についても議論をしていくことが、やはり国民の皆様に求められているのではないかと、このように思います。」

 「自分の方は、憲法改正案のたたき台を作った」「だから、あなたも作るのが当然」だという、何と身勝手な世間には通用しない議論。何を焦っているのやら。

安倍首相は2019年11月には在職期間が戦前の桂太郎を超え、歴代一位となる見込みだという。東京新聞社説は、これを「長きをもって貴しとせず」といい、「国民やその代表たる国会と謙虚に向き合い、政治の信頼を回復する。そんなまっとうな政治姿勢こそ安倍政権には求められている」と結んでいる。まことにそのとおり。

 安倍晋三ほどに尊敬されざる政治家も少ない。政治の私物化、行政の私物化、ウソとゴマカシ、食言、歴史修正主義、オトモダチ優遇,上から目線、トランプ追随、詐欺的演説でのオリンピック誘致…。これほどの批判、非難にかかわらず、永らえてきたことの不思議。もう、いい加減に終止符を打ちたい。

たまたま手許に、映画『記憶にございません!』のチラシがある。チラシのトップに、「この男に任せて」
「あなたは、第127代内閣総理大臣 国民からは、史上最悪のダメ総理と呼ばれています。総理の記憶喪失は、トップシークレット、我々だけの秘密です」

もちろん架空の設定だが、「史上最悪のダメ総理」は大いに現実とかぶるところ。まことに「アベ長きがゆえに迷惑」ではないか。
(2019年9月12日)

愚かな文科大臣から、邪悪な文科大臣へ。

またまた安倍内閣の新装開店セールである。11か月前の「在庫一掃内閣」の組閣で払底したはずの在庫商品を、またどこからか引っ張り出しての並び替えである。こんな目先幻惑商法に乗せられてはならない。

11か月前、私は在庫一掃内閣を象徴する「愚かな人材」として、教育勅語への思い入れをアピールした新文科大臣・柴山昌彦を取りあげて論じた。2018年10月4日の下記ブログをぜひお読みいただきたい。安倍内閣の性格とその閣僚のレベルとを的確に描写し得ていると思う。

柴山昌彦くん、愚かなキミには文科大臣は務まらない。
https://article9.jp/wordpress/?p=11246

その柴山昌彦くんは、今回店先からは外される商品のお一人となって庫に戻る。その彼が去るにあたってまったく無視をするのも礼を失する。なにか言わねばと思っていたところ、やっぱり言うべきことが出てきた。

本日(9月11日)朝刊各紙の見出しはこうだ。「高校での政治談議、柴山文科相『適切な行為?』と投稿」(朝日)、高校生が友人相手に政権批判、違法ですか? 柴山文科相のツイートに波紋広がる(毎日)、英語民間試験、反対投稿に文科相異議 高校生は政治議論禁止!? 専門家『飛躍しすぎ』」(同)。

アベ内閣の一員である柴山くんとしては、若者の政治意識が向上することはたいへんに憂慮すべきことなのだ。20才だった選挙権年齢を18才に引き下げたのは、若者の保守化著しいことを見極めてのこと。近年の教育行政の成果ようやくにして結実し、若者は黙っていても自民党に投票してくれる存在となった。いや、正確に言えば、周囲が黙ってくれる限りは自民党に投票してくれるのだ。下手に政治意識を刺激されて、アベ政権のウソやゴマカシを論じるようになられては困る。人権や平和や民主主義や、あるいは憲法や、憲法の理念形成の歴史などを議論し合うようになられてはなおのこと。取り返しのつかないことにならぬうちに手を打たねば、せっかくの若者保守票が野党に流れてしまうではないか。そんなことになったら、安倍チームの一員としての柴山の面子が丸つぶれだ。

もっとはっきり言えば、こういうことだ。高校生に政治を議論する必要はない。その資格もない。むしろ、政治的な意見交換は有害だ。黙って、自民党に投票するだけでよい。そのための18才選挙権ではないか。政治とは何か、アベ政権とは何か、その利権との結び付きはどうだ、などとつまらぬ入れ知恵をする大人や教員の存在こそが諸悪の根源なのだ。もひとつ大事なことは、「柴山はこんなにガンバっていますよ」という姿のアピール。それが、ツイッターでの発信となった。

ことの発端は、2020年度の大学入試への英語民間検定試験導入を巡る高校生たちの議論である。9条改憲でも、辺野古基地建設でも、モリ・カケでもない。政治性は希薄だが、大学受験生の深刻な問題。
大学入試のあり方をめぐる問題を通じて、多くの高校生が自分たちの生活や将来と、政治や行政とがつながっていることを意識し始めたのだ。そして、ツイッターで、高校生や教員が不満や反対意見を述べた。そのやり取りの中で、こんなツイートがあったという。

 教員 「次の選挙ではこの政策を進めている安倍政権に絶対投票しないように周囲の高校生の皆さんにご宣伝ください」
 高校生 「私の通う高校では前回の参院選の際も昼食の時間に政治の話をしていたので、きちんと自分で考えて投票してくれると信じている。もちろん今の政権の問題はたくさん話しました」

これに反応した柴山くんは考えた。これは、たいへん深刻な事態だ。大学入試のあり方などは些事に過ぎないが、高校生が日常政治の話をしていることは看過しがたい。「きちんと自分で考えて投票する」「今の政権の問題はたくさん」とはいったいなにごとか。こんなことを勝手に喋らせておいてはならない。大学受験問題をきっかけに、高校生が政治的に先鋭化しているとすれば、オレの失敗でオレの責任ではないか。ここは、押さえ込んで、高校生を善導しなければならない。

そこで、こんなコメントを発信し,これが「高校生が友人相手に政権批判、違法ですか? 柴山文科相のツイートに波紋広がる」と話題となった。

「こうした行為は適切でしょうか?」「公選法137条や137条の2の誘発につながる」「学生が時事問題を取り上げて議論することに何の異論もない。しかし未成年者の党派色を伴う選挙運動は法律上禁止されている」

重ねて、柴山くんは、9月10日の閣議後の記者会見でこう言っている。弁明でもあり、再度の挑発でもあろうか。

 「教育基本法は学校の政治的中立確保を求めている」「教員が規定に反する行為を行っていたとすれば不適切」「昼休みであっても生徒の選挙運動は禁止することがあり得る」「公選法に反する行為を誘発する恐れもあると考えたので問題提起した。高校生の政治談議を規制することは全く意図していない」

 これって、要するに「高校生諸君、諸君らの『昼食の時間にする政治の話』も、公職選挙法違反になることがある」「未成年者の選挙運動は法律上禁止されているのだから、政治に触れた話はせぬ方が無難だぞ」と脅しているのだ。文科大臣がこう言えば、これを忖度する教育委員会も校長もあるだろうとの思惑が透けて見えている。あるいは、「文科相の意向は、総理のご意向と承れ」とでも言いたいのだろうか。バカげた話、バカげた文科大臣というほかはない。

優れた文科大臣、気の利いた政治家ならこう言うところだ。
「民主主義は、主権者一人ひとりの政治的自覚を基礎にするものです。そして、民主主義の政治過程は自立した主権者の徹底した議論によってしか成立しません。民主主義社会の国民は政治的な自分自身の意見をもって、他の人びととの政治的な議論に習熟しなければなりません。そのためには、物心ついたときから息をするのと同じように、政治な会話ができなくてはなりません。高校生と言えども、また未成年者と言えども、常に政治に関心をもち、人の意見に耳を傾け、自分の意見を述べられるよう、ことあるごとに経験を重ねましょう」

優れていない文科大臣、気の利かない政治家も、これくらいのことは言わねばならない。
「高校生が政治に関心をもち、政治的な話題を口にすることは、犯罪でも何でもありません。公職選挙法違反だという脅かしは、民主主義大嫌いな右翼勢力や、自由な選挙運動を恐れる与党勢力の常套手段です。『18才になるまでは政治的な話題を口にしてはいけない』では、せっかくの18才選挙権を生かすことができません。校内でも校外でも、政治的なテーマの議論をすることに躊躇する必要はありません」

なお、毎日が解説しているとおり、「選挙運動とは『特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為』(総務省ホームページ)を指す。いつの選挙で、だれを当選させるための特定なければ、選挙運動には当たらない。教員のツイートが問題になる余地はない。公選法137条、137条の2違反のおそれなどというのは、「若者の政治参加や教育現場に萎縮を招きかねません」(広田照幸・日本教育学会長)との指摘のとおりである。

さて、本日(9月11日)発表の改造人事。柴山に代わる次の文科相は、萩生田光一である。愚かな文科大臣から、邪悪な文科大臣へ。嗚呼。
(2019年9月11日)

「知ってますか」 日本が朝鮮の皇后に何をしたかを。

私は、未開時代の遺物である王制を支持しない。もちろん、その一つである日本の天皇制も。一日も早く、このような不合理極まる支配の小道具が地上から消滅することを願ってやまない。だから、王だの王妃だの王子だの,あるい天皇や皇后に、隣人にする以上の礼をせよと言われれば断固として拒否する。

しかし、だからといって、他国の王や王家をことさらに侮辱しようとは思わない。その国の国民感情を不必要に逆撫でする必要はないからだ。他国の王や王家をことさらに侮辱するのは、国民全体への挑戦的侮辱と捉えられてもやむを得ないだろう。

一国の外交官や軍人らが、他国の王宮に乱入して、寝所の皇后を襲い、その衣服を剥いで斬殺し、死体を焼却した。信じがたい「歴史上古今未曾有の凶悪事件」ともいうべき蛮行を、天皇制の日本がした。その被害国が末期の李氏朝鮮である。この事件は、日本では「閔妃暗殺事件」というが、今、韓国では「明成皇后弑害事件」と呼ばれている。「明成皇后」は、殺害された閔妃の諡(おくりな)である。

被害国を日本に置き換えれば、外国軍人やその指揮下のゴロツキどもが皇居に乱入して寝所の皇后を襲って殺害し、遺体を焼き捨てるという蛮行。天皇制を支持しない私も、こんなことをされたら腹を立てる。当たり前のことだ。

しかし私は、角田房子『閔妃暗殺(1988 新潮社)を読むまで、長くこんな事件があったことを知らなかった。歴史の教科書に出て来ないのだ。景福宮のこの暗殺現場には、最近2度行った。有能な日本語ガイドから詳細な説明を受けたが、「韓国の教科書には記載されており、韓国の誰もが知っていること」だという。そうだろう。当時、「国母」と呼ばれていた英邁な皇后が、侵略国日本の手先に斬殺された歴史上の大事件。韓国民には印象深く、日本人の多くは知らない。この日韓の両国民の認識の落差は、意識の相違とならざるを得ない。

角田房子『閔妃暗殺』の宣伝文句は、以下のとおりである。

「時は19世紀末、権謀術数渦巻く李氏朝鮮王朝宮廷に、類いまれなる才智を以て君臨した美貌の王妃・閔妃がいた。この閔妃を、日本の公使が主謀者となり、日本の軍隊、警察らを王宮に乱入させて公然と殺害する事件が起こった。本書は、国際関係史上、例を見ない暴挙であり、日韓関係に今なお暗い影を落とすこの『根源的事件』の真相を掘り起こした問題作である。第一回新潮学芸賞受賞。」

その『閔妃暗殺』の中に次の一節がある。

「彼ら(犯人ら)の多くが、殺人は刑法上の重大犯罪であり、特に隣国の王妃暗殺は国際犯罪であることを知らなかったわけではない。しかしそれが、?国のため?であれば何をやっても許される、それをやるのが真の勇気だという錯覚の中で、殺人行為は「快挙」となり、?美挙?と化した。」

 大方の日本人には「快挙・美挙」とされたが、客観的には「歴史上古今未曾有の凶悪事件」(外務省に事件を報告した京城領事内田定槌の表現)である。朝鮮の民衆には、この上なく残忍な屈辱的行為として、今も記憶され続けているのだ。

なお、今年(2019年)7月24日付「赤旗」に、朝鮮史研究者の金文子(奈良女子大学)による、この件についての長文の寄稿がある。その中に目を引くのは、次の2点である。なお、ネットでは、次のサイトで全文を読むことができる。
https://blog.goo.ne.jp/kin_chan0701/e/b0d50b1721580890141e5d8cb41004f7

朝鮮人同士の権力争い偽装
 この事件の前年7月、日清戦争開戦直前にも、日本軍が景福宮を占領して国王を虜にしたことがあった。日本軍は王宮から撤退後も王宮前に駐屯を続け京城守備隊と称した。再び王宮に侵入して王后を殺害したのは、この京城守備隊だった。しかもこれを朝鮮人同士の権力争いに偽装するため、国王の実父大院君を無理やり引き込んだ。真夜中の殺害計画が夜明けまで遅れ、多数の西洋人が目撃したのは、大院君が抵抗したからである。
 ひと月前に着任したばかりの駐韓公使・三浦梧楼(ごろう)は、外務大臣西園寺公望への電信で日本人の関与を認め、自分が「黙視」したと告白した。さらに《日本人は殺害等の乱暴は一つもしなかったという証明書を朝鮮政府から取っておいた。大院君にも、随行の朝鮮人に日本服を着せて日本人を装わせたと言わせる。この二点は外国人に対し「水掛論」に持ち込む考えである》と、偽装計画まで報告している。(『日本外交文書』)

本国の訓令に忠実にうごく
この事件は愚かな軍人三浦梧楼の暴走と見られてきたが、決してそんな単純な事件ではない。三浦は公使着任後、大本営の川上操六参謀次長と通信し、事件の3日前には朝鮮駐屯軍の指揮権を獲得していた。(「密大日記」)
 三浦の部下、書記官の杉村溶は『在韓苦心録』を書き、自ら首謀者だったと認めた。そしてその目的は「宮中に於ける魯国(ロシア)党(其首領は無論王妃と認めたり)を抑制して日本党の勢力を恢復(かいふく)せんとするに在り」と明言した。杉村は事件の2カ月前、西園寺外相に王后の政権掌握を報告し、傍観すべきか、親日政権の成立に尽力すべきか、訓令を求めていた。西園寺の回答は、親日政権の成立に「内密に精々尽力せらるべし」であった(『日本外交文書』)。三浦も杉村も本国の訓令に忠実に動いたのである。

 こんなことをやった日本と、こんなことをやられた韓国。やった方の国民はほとんど事件を忘れても、やられた方の国民は容易に忘れることができない。両国の関係は、このような微妙な事情の上にあることを肝に銘じるべきなのだ。
(2019年9月10日)

<蟋蟀よ 嵐の夜にも鳴け> ― 東京新聞の覚悟

昨日(9月8日)の東京新聞社説の表題は、桐生悠々と言論の覚悟」である。桐生悠々を論じつつ、言論人としての自らの覚悟を語って格調が高い。その覚悟に敬意を表したい。それにしても、である。いつの間にやら、言論に覚悟を必要とする時代が再来してごとくの不気味さが感じられる。

その全文は、下記URLで読むことができる。

https://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2019090802000112.html

桐生悠々は、1933年8月に信濃毎日新聞の論説主幹として「関東防空大演習を嗤ふ」を執筆し、これが軍部の逆鱗に触れて同社を追われる。しかし彼は、その後も名古屋に拠点を移し、個人誌「他山の石」に拠って軍部や政権を厳しく批判する言論活動を続けたという。東京新聞社説はその「他山の石」に、悠々はこう書いていると紹介している。

悠々は「他山の石」に「言いたいこと」と「言わねばならないこと」は区別すべきだとして「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」と書き残しています。
悠々にとって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だったのです。
正宗(白鳥)が言う「いかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以つて考慮した」悠々の命懸けの言論は戦争への流れの中では顧みられることはありませんでしたが、戦後再評価され、今では私たち言論、報道活動に携わる者にとって進むべき方向を指し示す、極北に輝く星のような存在です。

<蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜>
悠々のこの句作が世に出た35(昭和10)年は、31(昭和6)年の満州事変、32年の五・一五事件、33年の国際連盟脱退と続く、きなくさい時代の真っただ中です。翌36年には二・二六事件が起き、破滅的な戦争への道を突き進みます。

もし今が再び<嵐の夜>であるならば、私たちの新聞は<蟋蟀>のように鳴き続けなければなりません。それは新聞にとって権利の行使ではなく、義務の履行です。
来る10日は悠々の没後78年の命日です。大先輩を偲ぶとともに、業績や遺訓を思い起こし、私たち新聞のなすべきことを考え続けたいと思います。

その言や大いに良し。権力や権威への無難な忖度か、弱い立場のものをあげつらって批判する論調溢れる中で、東京新聞はこう自らを戒めている。「私たちの新聞は嵐の中でも蟋蟀のように鳴き続けなければなりません」「それは新聞にとって権利の行使ではなく、義務の履行なのです」「大先輩を偲ぶとともに、業績や遺訓を思い起こし、私たち新聞のなすべきことを考え続けたいと思います」と。つまりは、「多くの場合犠牲を伴う」ことを覚悟した言論人の義務履行の決意を述べているのだ。

言うまでもなく、言論の自由とは、権力や強者や社会の多数派を批判する言論が抑制されることなく自由であることを意味する。権力や強者や社会の多数派に耳の痛い、内容の言論である。その表現が、権力や強者や社会の多数派から疎まれ憎まれる類の言論。「多くの場合犠牲を伴う」ことになる言論である。悠々の言葉を借りるなら、このような「言わねばならぬこと」「多くの場合犠牲を伴う」ことを、犠牲の心配なく、躊躇も萎縮もなく、言えることの保障が必要なのだ。嵐の夜に鳴き続ける蟋蟀は貴重な存在である。いかなる嵐が吹こうとも、いかに小さな蟋蟀であろうとも、その鳴き声を途絶えさせてはならない。

悠々には、正宗白鳥をして、「彼(悠々)はいかに生くべきか、いかに死すべきかを、身を以つて考慮した世に稀れな人のやうに、私には感銘された。」と言わしめた覚悟のほどがあった。嵐の夜に鳴き続けた蟋蟀として、その生涯を貫いた悠々の姿勢は尊敬に値する。

しかし、今大切なのは、一人の大悠々ではなく、無数のミニ悠々ではないだろうか。何としても嵐を防止しなければならない。一匹の蟋蟀では無理でも、無数の蟋蟀の大きな鳴き声は嵐を押し返すことができるのではないか。私も、悠々ほどの覚悟はないにせよ、ミニ悠々の一人になりたい。

また、どんなときにも萎縮することなく、セミもマツムシも蟋蟀も鳴き続けることのできる社会を作ることはできないだろうか。誰もが、自分なりの音色で鳴き続けることを当然とし、認め合う社会。それは、すだく虫の音色を止める嵐のない,居心地のよい社会なのだと思う。
(2019年9月9日)

よりによって,私の誕生日は「韓国併合の日」

8月29日から10日が経過した。
8月29日を意味ある日として記憶されている人がいるだろうか。この日は、私の誕生日である。夏の盛りを過ぎ、もうすぐ夏休みも終わろうというこのころ。私の誕生日に関心をもつ人は、昔も今も殆どない。

ところで、8月29日とは、韓国併合の日として記憶される日である。手許の「日本史総合年表(吉川弘文館)」には、1910年8月22日のこととして「韓国併合に関する日韓条約に調印(29日公布施行,同日併合に関する詔書)」とあり、8月29日欄には「韓国の国号を朝鮮とあらためる件、朝鮮総督府設置に関する件を各公布」とある。

この8月22日と29日の関係について、アリの一言」というブログに読むべき書き込みがあることを教えられた。「『8・29』は忘れてならない歴史の日」というタイトル。執筆者は、「K・サトル」氏。1953年広島県生まれで、政党機関紙記者・論説委員、夕刊紙報道部長・編集委員、業界紙編集長などの経歴がある方だという。その記事の抜粋を引用させていただく。
引用元の記事のURLは以下のとおり。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/d4f122a66c81f3bf1de888561dc6d064

きょう8月29日は何の日か、と聞かれて答えられる日本人が何人いるでしょうか。
 「1910年6月、寺内正毅(当時陸軍相、長州出身―引用者)を3代目『統監』(朝鮮統監府―同)に任命した日本は、『不穏』な動きを封じ朝鮮とういう国そのものを完全に消滅させるための『併合』計画に着手した。同年8月22日、憲兵、警察に戦闘準備をさせ王宮と政府の重要部署を包囲し、総理大臣李完用をして『韓日併合条約』に調印させた。日本と親日売国奴は朝鮮人民の反抗を恐れ、『条約』を1週間ものあいだ秘密に付し、新聞を停刊、愛国団体を解散させ、反日運動家を検挙するなどして、8月29日にいたって、その事実をやっと公表した」(金昌宣著『加害と被害の論理』朝鮮青年社1992年)

 「8・29」は「日韓併合条約」が公表され、日本が朝鮮半島の植民地支配を“正式に”開始した日。韓国・朝鮮の人たちにとってはまさに「屈辱の日」なのです。

 「『併合』という言葉がどういう理由でもちいられたのか、当時の…倉知鉄吉外務省政務局長は、後にこういっています。…『韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となる』という意味を明確にすると同時に、その『言葉の調子があまり過激にならないような文字を選ぼう』と思い、いろいろ苦心し…『併合』という文字を閣議決定の文書にもちいた…。『併合』とは『韓国が全然廃絶に帰して帝国領土の一部となる』ということだったのです」(中塚明著『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2002年)

 「日韓併合条約」は第1条で、「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」とし、第2条で、「日本国皇帝陛下は前条にかかげたる譲与を受諾しかつ全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」としています。
 韓国側が統治権を「譲与」し日本はそれを「承諾」するという姑息な形式の「条約」を、日本は軍隊・警察の武力の中で強行したのです。
 この「譲与」「受諾」の主体が、「韓国皇帝」と「日本国皇帝」=天皇であったことに留意する必要があります。

 この日(1910年8月29日)、天皇睦仁(明治天皇)は「韓国併合の詔書」を出しました。その中でこう述べています。「民衆ハ直接朕ガ綏撫(すいぶ=いたわること―引用者)ノ下ニ立チテ其ノ康福ヲ増進スヘシ…」。こうして「朝鮮人は天皇の赤子として位置づけられました」(宮田節子氏『日朝関係史を考える』青木書店1989年所収)。
 「日本の36年間にわたる朝鮮支配(1910?45年―引用者)の基本方針は、『同化政策』とよばれるものです。つまり朝鮮人を日本人化することに最終のねらいがあったわけです。その根拠になったものは…明治天皇が出した『韓国併合の詔書』です」(宮田氏、前掲書)

 1945年8月15日まで続いた日本による朝鮮植民地支配の基本方針は、朝鮮を「廃絶」し、朝鮮人を日本人に「同化」させることであり、その根拠になったのが天皇睦仁の「詔書」だったわけです。
 日本による朝鮮植民地支配は、文字通り天皇の名による、天皇の言葉に基づいた、天皇制国家の暴挙・蛮行でした。この事実を、今に生きる私たち日本人は肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。

なお、周知のとおり、1910年日韓併合条約の効力の有無が戦後日韓関係での懸案事項となり、1965年日韓基本条約第2条の文言は、「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」となった。明確に、日韓併合条約も『もはや無効』が確認されている。

しかし、その解釈は両国で異なる。韓国政府は「日韓併合条約は当初から無効であった」という立場であり、日本は65年条約締結によって無効になったとする。両国の歴史認識のズレは戦後も一貫してあり、現在なお大きいのだ。
(2019年9月8日)

「知ってますか」 日本が朝鮮の民衆に何をしたかを。

昨今の不愉快極まりない、「嫌韓」の嵐。官邸・外務省が発生源で、メディアと右翼「言論人」がこれを煽っての悪乗り現象。さすがに、そろそろこのバカバカしい騒動に終止符を打とうという良識派の論調が見えはじめている。

本日(9月7日)の毎日新聞夕刊「週刊テレビ評」に、金平茂紀が「嫌韓ワイドショー 憎悪あおり『数字』得る愚行」という記事を書いている。表題のとおりの至極真っ当な内容。その一部を抜粋してご紹介したい。

「今はさあ、とにかく韓国をたたこう」。在京某テレビ局のワイドショーの制作デスクが定例会議の席で言い放ったそうだ。「数字(視聴率)取れるんだよね」。他国に対する偏見・差別や憎悪をあおって数字(視聴率)を上げる。公共の放送が決してやってはならない禁じ手だ。悪化している日韓関係に便乗する形で、日本のテレビは、程度の濃淡はあれ、公認の「嫌韓キャンペーン」を繰り広げているかのようだ。特にひどいのが情報系生番組だ。もちろん一部の報道ニュース番組も例外ではない。

なぜこんなことになってしまったのか。僕らテレビ人は頭を冷やして考えてみた方がいい。今回の日韓対立の直接の引き金は、去年10月の徴用工判決とされているが、徴用工問題とは一体どのような歴史的な事象なのか、ディレクターの君は知っているか。この徴用工問題では、中国との間では裁判で和解が成立し、和解金が支払われている事実を、放送作家のあなたは知っているか。歴史認識の隔たりが対立の根底にある。AD(アシスタントディレクター)のあなたは1910年の韓国併合を知っているか。実際、恐ろしいほどの知識の欠如、無知が、事実認識をゆがめているのではないか。

幾つかの感想を述べておきたい。まずは、時代の空気というもの、あるいはその変転の勢いの恐ろしさである。1年前の今頃、こんな凄まじい嫌韓の風が吹くことになろうとは思ってもいなかった。あっという間に空気は変わる。心しておきたい。ヘイトの言論を侮ってはならない。

二つ目は、この嫌韓の風を煽っている連中が、けっして本気の嫌韓派ではないことである。売れれば良し、数字がとれれば良し、儲けにつながればなんでもありなのが商業メディアの本質的一面なのだ。これが恐い。

さらに、メデイアは大衆の中の韓国に対する差別意識を的確に把握し、これに迎合した。このことを見逃してはならない。日本の民衆の深層にある隣国人に対する言われない差別観。侵略のために植えつけられた差別意識が今なお、根強くあるのだ。

もう一つ。「恐ろしいほどの知識の欠如、無知が、事実認識をゆがめているのではないか」。そうなのか。現場にいる人の言葉として重い。「恐ろしいほどの知識の欠如」をどうすれば埋めることができるのか。考え込まざるを得ない。

できることとして、今こそ、石川逸子の詩を紹介したい。以前にも当ブログに掲載したことのある詩を2編。2編とも、日本が韓国や韓国の民衆にした仕打ちについて、「知っていますか」と歴史を問う詩である。

ここに語られているのは、閔妃暗殺(日本なら皇后暗殺)であり、3・1独立運動弾圧であり、関東大震災後の在日朝鮮人虐殺であり、慰安婦問題であり、日清戦争直前の日本軍王宮占拠事件であり、徴用工問題、創氏改名、朝鮮人被爆…等々である。

韓国の人びとは公教育でこの歴史を学習して育っている。おそらくは、日本人の歴史認識との恐るべき格差があるのだ。われわれ日本人は、苦しくともこれに向き合わねばならない。「恥ずかしい国の 一主権者であることを恥じる」石川さんの気持ちを共有したい。そこが、出発点だ。

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風がきいた

知ってますか 風がきいた 夜の木々に
1895年10月8日
日本軍と壮士らが 隣国の王城に押し入り
王妃を むごたらしく殺害したことを
天皇が『やるときはやるな』首謀者をホメたことを

知ってますか 風がきいた 昼の月に
1919年3月1日
国旗をもって「独立万歳」 叫んだ朝鮮人少女が
右手 左手 次々 切り落とされ
なお万歳を連呼して 日本兵に殺されたことを

知っていますか 風がきいた ながれる川に
1923年9月2日
一人の朝鮮人女性が自警団に手足をしばられ
トラックで轢かれ 「まだ生きてるぞ」
もう一度轢き殺されたことを

知っていますか 風がきいた 野の花に
1944年末
与那国島に船で輸送されてきた
朝鮮人「慰安婦」たちが 米軍機に銃撃され
アイゴー 叫びながら 溺れ死んでいったのを

木々が 月が 川が 野の花が
きかれなかった 海 泥土 までが
一斉に答える
知ってます 知ってますよう
風が 日本列島を たゆたいながら吹いていった

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30日以内

2019年1月13日
元徴用工訴訟をめぐって
日本政府は 1965年の日韓請求権協定に基づく
協議再開要請への返答を
30日以内に出すよう 韓国政府に求めた

植民地下 日本男性を根こそぎ徴兵したことから
労働者不足となり
一家の働き手 若い朝鮮人たちを
力づくで 脅して 軍事工場へ 飛行場へ 鉱山へ
拉致してきた 大日本帝国

自らの意思で会社と契約した労働者なんかじゃない
いわば奴隷だったのだ

思い出す
1944年9月 徴用令書の公布を受け
「給料の半分は送金する 逃げれば家族を罰する」
と脅され はるばる郡庁に集まり
軍人の監視を受けながら
貨車で釜山へ 連絡船で下関 汽車で広島の工場へ
12畳の部屋に12人詰めこまれたという
在韓被爆者たちの訴えを

思い出す
「ヤミ船でやっと帰国してみたら
送金はなく 赤ん坊が餓死していました」
「朝鮮総督府になにもかも供出して
屋根のない家に家族がいました」
「爆風で怪我し 体調ずっと悪く 今も息苦しくてたまりません」
口々に訴えたひとたちを

思い出す
「小学校時代
日本語をしゃべらないと殴られた
戦争末期には食器まで銃にすると取り上げられた」
と言ったひとを
「豊臣秀吉の朝鮮侵略を讃える授業が辛かった」
と言ったひとを

むりやり連れてこられたのに
自力で帰るしかなかったから
ヤミ船で遭難し 海の藻屑となったひとたちもいた
劣悪な食事に抵抗して捕らわれ
広島刑務所で獄死したひともいた

待てど待てど 戻らない夫を待ち
老いてもなお戸口に立ち尽くす妻もいた

それらひとりひとりの憤懣に 恨に
思いをいたすこともなく
30日以内と 居丈高に迫ることができるのか
「協定は国と国との約束
個人請求権はなくなりません」
これまでの国会での政府公式見解を
あっさりと 闇に葬り
期限を切って回答をせまる ごう慢に 無礼に 気づかないのか

思い出す
かつて日清戦争前夜
1894年7月20日
朝鮮政府に
受け入れるはずもない4項目の要求を突きつけ
同月22日までの回答を迫った
日本政府を

―京城・釜山間の軍用電話架設
―日本軍のための兵営建設
―牙山駐留の清軍を撤退させる
―朝鮮独立に抵触する清との諸条約の破棄

翌23日深夜
回答がえられないのを口実に
他国の王宮の門を オノやノコギリで打ち破り
王宮を力づくで占領し
国王夫妻・王子を幽閉し 財宝も奪った
日本軍

朝鮮人なら思い出すであろう
腹が煮えかえる歴史を
再び繰りかえすつもりでもいるのか
相手あっての交渉の日時を
30日以内など
一方的に要求するとは!

韓国人留学生が言っていた
「日本の書店には
反韓反中の本があふれていますが
韓国には反日の本など並んでいませんよ」

恥ずかしい国の
一主権者であることを恥じながら
小さな新聞記事を切り抜く

―2019・1・16

日本政府のあまりの無礼な態度に呆れ、拙い詩を作りました。
ご笑読くださいませ。 石川逸子

(2019年9月7日)

香港・加油(香港の市民よ、がんばれ)!!

10年ほども前のある土曜日の午後のこと。NHKラジオからこんな言葉が、耳にはいってきた。

「今日の番組では、折り込み都々逸を募集しています。季節にちなんで、『クチナシ』を折り込んでください。」「さっそくこんな句が届きました。なるほど。これは面白い。」

 くちじゃ勝てない
 ちからも負ける
 なれてしたしむ
 しりのした

これを思い出したのは、香港の抗議デモで、「逃亡条例案」完全撤回のニュースを聞いたから。少数民族は別として、中国の人びとの大方は、習近平の尻の下に「慣れて親しんでいる」ように見えるのだ。おそらくは、改革開放以来の経済生活の向が評価されてのことなのだろう。目の眩むような経済格差の存在にもかかわらず、中国の人びとの経済的な不満感は少ないように見える。それゆえにか、多くの人々は、習近平の尻の下で、パンのみにて生きることに甘んじているごとくである。

ところが、香港の人びとは、中国共産党の尻の下に慣れて親しむことを敢然と拒否しているのだ。ここで求められているものは、パンではなく、自由であり、民主主義である。切実な自律の制度への要求でもある。今ごろ、「逃亡条例案」完全撤回だけでは不十分だ。まだ、4項目の要求が残っている。到底、尻の下に温々とはしていられない。

韓国のキャンドルデモは、最大時170万人の民衆を光化門広場に集めたという。もちろん、家族連れのデモ。到底広場に収まる人数ではなく、ソウルのメインストリートが民衆に埋めつくされた。その壮観は、次の選挙によって朴槿恵政権を打倒し、政権交代が代わるというシグナルでもあった。だから、不必要にデモが先鋭化する必要はなかった。ソウルのデモは選挙の前哨戦であった。

しかし、香港は韓国とも大きく事情を異にする。香港には、「次の選挙」がない。この抗議デモの圧倒的民意を政治に反映するルートが欠けているのだ。この大規模なデモは、普通選挙を勝ち取るにふさわしく、それなくして終熄しがたい。誰から普通選挙を勝ち取る? 言うまでもなく、大国となった中国政府から。今、750万人の香港の民衆が、13億の人口を抱える中国政府と対峙しているのだ。到底、中国の尻の下では、安閑と生きられない。

なお、5項目要求は必ずしも統一した文言ではないようだが、たとえば、次のとおり。
1. 徹底撤回逃犯條例
  (逃亡犯条例改正案の完全撤回)
2. 撤回612暴動定性
  (市民活動を「暴動」とする6月12日見解の撤回)
3. 必不追究反送中抗爭者
  (デモ参加者の逮捕、起訴の中止)
4. 成立獨立委員會,徹査警方濫權濫暴及元朗暴力事件
  (警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査実施)
5. 要求特首林鄭月娥下台全面落實雙真普選
  (林鄭月娥長官の辞任と民主的選挙の実現)

下記のように、簡潔に6字でまとめたスローガンもある。正確には読めないが、事情を理解した上で漢字を読めば、なんとなく分かりそうな気がする。

香港人的五大訴求
1.撤回送中悪法
2.撤消暴動定性
3.制止秋后算帳
4.徹査警方暴力
5.落実双真普選

大雑把に言えば、悪法を撤回し、デモ弾圧の被害者を解放し、弾圧の責任を認め、長官を辞めさせて、本当の民主的な選挙制度を作ろう」という要求なのだ。今や、主たるスローガンとなった「真普選(本物の民主的な選挙制度)」を作ろうというのが、雨傘運動以来の一貫した要求。あまりにも当然の要求ではないか。

翻って日本の民主主義の実情を顧みる。香港と違って民主主義の形はある。しかし、韓国のごとくこれを生かしきってはいない。むしろ、安倍政権の尻の下に、ぬくぬくとしていると指摘されてもやむえないこの体たらく。

香港の市民に成り代わっての心意気を詠む。

 くちじゃ負けない
 ちえなら勝てる
 なにせごめんだ
 しりのした

 くるしい日々だが
 ちは沸き返る
 ないて笑って
 しんじる明日

(2019年9月6日)

表現の自由に対する脅迫行為に抗議し,権力者の介入を許さない声明(自由法曹団)

1 本年8月1日に開幕した国内最大規模の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展の一つである「表現の不自由展・その後」が,テロ予告や脅迫,公権力の介入により,わずか3日で中止に追い込まれた。
 そして,中止から1ヵ月が経過した現在も展示再開の目途は立っていない。「表現の不自由展・その後」は,「慰安婦」問題,天皇と戦争,植民地支配,憲法9条,政権批判など,2015年の「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え,同年以降,新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を,当時いかにして「排除」されたのか,実際に展示不許可になった理由とともに展示する企画であり,愛知県美術館で本年10月14日まで開催される予定であった。ところが,日本軍「慰安婦」を題材にした少女像や昭和天皇の写真を使った作品などの展示が公表されると,テロ予告や脅迫を含むファックスや電話が祭典実行委員会や愛知県庁などに殺到したため,本年8月3日に企画を中止せざるをえなくなったのである。

2 多様な考えを持つ人々の存在を前提とする民主主義社会を維持・発展させるためには,各人が自由に自らの思想・意見を表明できることが必要であり,憲法21条で保障された表現の自由は,その手段を保障するものとして不可欠なものである。とりわけ政治的表現の自由を保障することは重要であり,どのような表現であっても,当該表現それ自体が犯罪となる場合等を除いて,原則として保障されなければならず,表現に対する批判は言論・表現行為でなされるべきである。今回のようにテロ予告や脅迫という犯罪行為を用いて,表現の自由を脅かしたことは許されないことである。

3 また,公権力を担うべき者が展示内容に介入する発言を行っていることも看過することはできない。河村たかし名古屋市長は本年8月2日,展示を視察した後,少女像の展示について「日本国民の心をふみにじるもの」「税金を使った場で展示すべきでない。」などと述べ大村知事に即時中止を求める公文書を送付した。また,菅義偉官房長官は同日の記者会見で,芸術祭が文化庁の助成事業となっていることに言及し,「補助金交付の決定にあたっては,事実関係を確認,精査して,適切に対応していきたい。」と発言した。その他にも「税金投入してやるべき展示会ではなかった。表現の自由とはいえ,たんなる誹謗中傷的な作品展示はふさわしくない。慰安婦はデマ」(松井一郎大阪市長),展示内容は「明らかに反日プロパガンダ。」(吉村洋文大阪府知事),「表現の自由から逸脱しており,もし神奈川県で同じことがあったとしたら絶対に開催を認めない」(黒岩祐治神奈川県知事)などと展示内容を批判する首長の発言が相次いでいる。前記のとおり,表現の自由は民主主義社会に不可欠なものとして,憲法21条で保障されており,その裏返しとして,国や自治体は憲法上,表現の自由を保障する責務を負っている。また,憲法21条2項は,戦前の日本で政府が芸術・文化や学問・研究の内容を検閲し,多様な価値観を抑圧して民主主義を窒息させ,国民を戦争に動員したことへの反省に立って,公権力による検閲を絶対的に禁止している。河村市長らの上記発言は,表現の自由を保障する責務を負うべき立場にある者が,表現内容に介入して,気にくわない表現は禁止,抑制しようとするものであり,憲法尊重擁護義務(憲法99条)に反し,検閲を彷彿させるものである。大村愛知県知事が,河村市長の上記発言を「検閲ととられても仕方がない。憲法違反の疑いが濃厚だ」と批判したのも当然である。4 自由法曹団は,表現の自由に対する脅迫行為に抗議するとともに,公権力を担う者が表現内容に介入したことに抗議し,発言の撤回を求める。
 そして,一日も早い展示の再開を望むものである。

2019年9月5日
自由法曹団団長 船 尾  徹  

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以上が、あいトレの企画展「表現の不自由展・その後」中止問題に関する、本日付の自由法曹団声明である。問題点がよく整理されていると思う。
自由法曹団は、戦前からある老舗の弁護士団体で、「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与すること」を目的としている。もちろん、私も、登録以来の自由法曹団団員弁護士である。

この声明が述べているとおり、大きな問題が二つある。
一つは、表現の自由に対する脅迫行為を許してはならないということである。この企画展に展示された16点の作品は、いずれもその展示に不自由を強いられた経歴を持つものばかりである。すべての人に心地よい創作というわけではない。これに対する批判はあろう。批判の見解をもつことも、批判の言論を表明することも自由である。しかし、制作者や展示に関わるものを脅迫して、展示を妨害することは許されない。

展示の妨害は、行為の態様次第で、脅迫罪にも強要罪にも、威力業務妨害罪にもなり得る。また、展示の妨害を煽ってはならないことはもちろん、企画展の威力による妨害を傍観しているのも感心した態度ではない。教室でのイジメ行為を見て見ぬふりの傍観者と同じく、消極的な違法行為加担者というべきなのだ。

二つ目は、権力を有する立場の者が、表現の自由抑圧に加担し介入してはならないということである。この点は、上記の声明に詳しい。ここに名の出た、河村たかし名古屋市長・菅義偉官房長官・松井一郎大阪市長・吉村洋文大阪府知事・黒岩祐治神奈川県知事らは、その不明・不名誉を恥じなければならない。

私は強調したい。表現の自由の保障を最も手厚く受けるべきは、時の権力から疎まれ憎まれる内容の表現である。あるいは時の多数派が嫌う内容の表現である。まさしく、「表現の不自由展・その後」に展示されたこの16点こそが、その典型である。権力に迎合し、社会の多数派に快い表現は、その表現の妨害に遭うことは考えがたく、ことさらに自由を保障する必要がない。そのような少数意見こそが貴重なのだ。行政が公金を用いて、貴重な少数意見の発表の場を作ることに何の問題もない。行政は、そのような環境整備に徹するべきで、「金は出しても、口は出さない」姿勢を貫かねばならない。

戦前の日本には、表現の自由はなかった。時の権力や社会の多数派が神聖なものとする、天皇や天皇制を批判する言論の自由がなかった。その反省から、日本国憲法21条が生まれた。しかし今なお、「戦前」は今につながっているということなのだろうか。

自由法曹団声明の結語のとおり、私も、強く「一日も早い展示の再開を望む」ものである。
(2019年9月5日)

「週刊ポスト」の嫌韓・差別特集を憂うる。

出典は知らないが、「国民はそのレベルにふさわしい政治しか持てない」という。何ともシニカルな表現だが、安倍政権の長期化を許している現状を、有権者の一人として腹ただしくも情けなくも思う。

?「国民はそのレベルにふさわしいメディアしか持てない」というもじりもある。嫌韓本や、DHCテレビのヘイト番組横行など、まことに恥ずべき現状である。右翼メディアは、「嫌韓・ヘイトの需要があるから供給がなされる」と開き直るのだろうが、民衆がこれほどに政権とメディアに操られやすい存在であることが、空恐ろしい。

9月2日の各紙朝刊に掲載された「週刊ポスト」の宣伝文には驚いた。その特集が、「韓国なんて要らない!」「「嫌韓」ではなく「断韓」だ―厄介な隣人にサヨウナラ 」「『10人に1人は要治療』―怒りを抑制できない『韓国人という病理』」という徹底した嫌韓ヘイトぶり。今こう書けば、売れ行きが良くなるという判断での編集なのだ。購買者が「この程度のレベル」と舐められている。これが、弱小零細のキワモノ出版社ではなく、大手・小学館の出版物なのだ。出版ジャーナリズムは、競い合ってここまで堕ちたか。そう落胆せざるを得ない。

さすがに、これには心ある人びとから抗議が殺到した。2日夜、小学館は自社サイトに、『週刊ポスト』編集部名義の以下の「お詫び」を掲載している。

週刊ポスト9月13日号掲載の特集『韓国なんて要らない!』は、混迷する日韓関係について様々な観点からシミュレーションしたものですが、多くのご意見、ご批判をいただきました。なかでも、『怒りを抑えられない「韓国人という病理」』記事に関しては、韓国で発表・報道された論文を基にしたものとはいえ、誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました。お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります。〉

しまりに欠けた「お詫び」である。誰に対して、何をどう詫びているのかよく分からない。意識的に曖昧にしているようにも読める。「誤解」とは何のことだ。「広めかねず」とは「広めてはいない」ということなのか? 「配慮に欠け」とは、誰に対するどのような配慮が必要だったというのだろうか。

「ポスト」は、日本人の民族差別意識に一面迎合し、一面煽って、どぎつさ丸出しのヘイト記事で部数を稼ごうとしたのだ。そのさもしい根性をこそ率直に吐露して、まずは韓国と在日の人びとに謝罪しなければならなかった。そして、不快を感じた日本人の読者にも、である。

もちろん、この小学館のこの程度の「謝罪」を快しとしない連中もいる。たとえば、百田尚樹であり、門田隆将などである。これらは論外として、もう一つ、こういう論調もある。少しやり過ぎだが、全部を反省する必要はないとし、週刊ポストは『断韓』記事を堂々と載せるべし」と言うのである。

「韓国なんて要らない」という週刊ポストの特集に、作家たちから怒りの声だという。深沢潮は「差別扇動を見過ごせない」として連載休止。柳美里は「人種差別と憎悪をあおるヘイトスピーチ」と批判して小学館と仕事しないと言う。内田樹は「今後、小学館の仕事はしない」と明言。

わしの見解を言うと、「怒りを抑えられない韓国人の病理」という記事は、ネトウヨっぽい、差別に繋がる記事だと思うが、「断韓」という政治的意見は「言論・表現の自由」の範囲内だろう。

この立論は、ネトウヨっぽい、差別に繋がる記事」と、「政治的意見」とを区別せよ、というごとくである。前者は謝罪に値するが、後者は「言論・表現の自由の範囲内だろう」という。その区別の規準は明確に示されてはいないが、「ポスト」記事の一部を問題ないものとして、ポストの差別性を批判した良識ある人びとを激しく逆批判している。

ポスト批判の議論は、けっして法的な言論許容の限界を論じているのではない。問題は、「ポスト」の編集姿勢が、民族差別・ヘイトに当たるものとして批判に値するものか否かにある。当然のことだが、「言論・表現の自由」の範囲内にあって、違法とは言えない言論にも、ヘイトの批判は成立する。

しょせん韓国と断交なんかできやしない。そう言いたくなるほど、腹に据えかねてるという気持ちを表出するのも、「表現の自由」だろう。

これでは、議論が噛み合っていない。「表現の自由」の範囲は広い。問題は、当該の表現が「言論・表現の自由の範囲内」にあるか否かではなく、その表現に込められた差別性を批判するのか支持するのかなのだ。言い換えれば、9月2日宣伝に象徴される、「ポスト」の『ヘイト悪乗り』を許すか否かが問われている。

そして、重要なのは、結論もさることながら、その理由の説得力の有無である。「政治的な意見ないし論評だから、違法とは言えない」は、法廷での論争であって、平場の意見交換での論理ではない。
(2019年9月4日)

国旗国歌強制是正の「ILOユネスコ勧告」再論

ILOとユネスコが合同委員会(セアート)での検討を経て、日本政府に対して「日の丸・君が代」強制の是正を求める勧告を出した。このことは、8月29日の当ブログで述べたとおりである。

ILOとユネスコが、「日の丸・君が代」強制問題に是正勧告
https://article9.jp/wordpress/?p=13082

本日(9月3日)参議院会館で、その勧告の取り扱いをめぐって、文科省の担当者と当該労組である「アイム」との交渉があり、私も参加した。

私が、文科省との交渉の席に出たのはこれが2度目。本日の文科省の対応は、到底誠実なものとは言いがたいが、とにもかくにも1時間半の意見交換の場を設定するだけの良識は持ち合わせているのだ。この点、都教委とは大違いである。都教委は、逃げ回っているばかり。教育委員はもとより、教育庁の幹部も交渉の場にはけっして出て来ない。自分のしていることに、およそ自信が持てないからとしか考えられない。

まず確認しておこう。ILOとユネスコの日本政府に対する勧告は、以下の6点である。「日の丸・君が代」強制を是正するよう求めるものとなっている。

(a)愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。その目的はそのような式典に関する教員の義務について合意することであり、規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする。

(b)消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒のしくみについて教員団体と対話する機会を設ける。

(c)懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせることを検討する。

(d)現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。

(e)障がいを持った子どもや教員、および障がいを持った子どもと関わる者のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。

(f)上記勧告に関する諸努力についてそのつどセアートに通知すること

この度のILO・ユネスコ勧告は、「日の丸・君が代」強制の入学式・卒業式を「愛国的な式典」と呼んでいる。最も注目すべき上記(a)は「国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員」の立場を慮るものであり、(b)では「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける」よう手段を尽くせと言う。つまり、「入学式・卒業式での国歌斉唱時における強制はやめよ。平穏な不起立に対する懲戒処分は避けよ」と言っているのだ。これが、勧告の眼目である。

もう一つ、(d)は「現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。」というのも、影響が大きい。周知のとおり、都教委は被処分者に対して「嫌がらせの研修」を行う。研修センターにカンヅメにして、転向を迫るやり口。これを「懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。」と端的な勧告となっている。

これに対する文科省の総括的な対応は、以下のとおりである。

今般ILO事務局より送付されたセアート報告書については、法的拘束力を有するものではなく、また、必ずしも我が国の実情や法制を十分に斟酌しないままに記述されているところがある。文部科学省としては、…「教員の地位に関する勧告」の精神を尊重しつつ、我が国の実情や法制に適合した方法で取り組みを進めてまいりたい。

文科省が指摘する問題は3点ある。
(1) 報告書は飽くまで「勧告」であって、法的拘束力を有するものではない。
(2) 報告書は必ずしも我が国の実情を十分に斟酌したものではない。
(3) 報告書は必ずしも我が国の法制を十分に斟酌したものではない。

(1)は論外であろう。ILO・ユネスコの参加国である日本が、その勧告を「法的拘束力を有するものではない」として無視するとすれば大問題である。当然のことながら、勧告には誠実な対応が求められる。開き直って、無頼国家、破落戸官庁の汚名を着るようなことがあってはならない。

(2) の「十分に斟酌すべき我が国の実情」が何をいうのか、私にはよく分からない。私の理解では、国旗国歌に関する我が国特有の実情とは、旧憲法時代の国旗国歌を今なお使用し続けていることである。「日の丸・君が代」は、神権天皇制時代の国旗国歌であり、富国強兵を国是とする大日本帝国の国旗国歌として侵略戦争と植民地支配の象徴であった。憲法改正によって国家の基本原理が根本的に変更された今なお、同じ旗と歌を国旗国歌とすることにはおおきな無理があるのだ。日本の国旗国歌事情は、あたかも戦後のドイツがハーケンクロイツを国旗として使用し続けているに等しい。この国旗国歌に違和感をもつ国民こそが正常な感覚といわねばならない。

(3)は、本日の文科省担当者の説明によれば、「我が国の法制」とは、教育公務員の懲戒権は各教委にあって政府にはない、というものの如くである。文科省によると、「ILO・ユネスコは、そんなことも知らずに政府に勧告を出してきた」といわんばかりなのだ。しかも、「懲戒権の行使は、国内法(地公法)に則り適切に行われている」という認識なのである。これは、ILO・ユネスコからの勧告に誠実に対応しようという姿勢ではない。「無視するぞ」と言わんばかりではないか。

日本政府は、国旗国歌の強制、しかも懲戒処分までしてする「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は、世界標準からみて非常識なものであることを真摯に受け止めなければならない。ILO・ユネスコが言っていることの枝葉末節ではなく、基本理念を理解しなければならない。

教育の場から思想・良心の自由が失われれ、国家の統制のみが横行することとなれば、やがて民主主義は死滅することになろうからである。ちょうど、「日の丸・君が代」とご真影への敬意表明が当然とされた、あの暗黒の時代のごとくに。
(2019年9月3日)

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