澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

金権・金まみれの選挙運動を糾弾する

金権・金まみれの選挙運動を糾弾する

選挙とは投票日だけのものではない。有権者が投票行動を決める過程において、自由な言論戦が保障されなければならない。これが選挙運動であり、選挙運動の自由は最も重要な場における言論の自由として保障されなければならない。選挙運動の自由(戸別訪問・文書の掲示頒布)に対する権力的規制は不当な弾圧にほかならず、この弾圧はもっぱら革新陣営を対象としてなされる。

一方、選挙の公正が金の力でゆがめられてはならない。金がものを言うこの世の中で、買収・供応等の金権選挙・企業ぐるみ選挙を許してはならない。経済的な格差を投票結果に反映させてはならず、取り締るべきは当然のこと。その摘発は、もっぱら保守陣営を対象としてなされ、現実にけっこうな数にのぼっている

革新陣営を対象とする買収・供応等の実質犯の摘発事件がないのは、革新陣営には金がないからだ。多少のカンパが集まっても、法定ビラや電話代に消える。金で票を集める、金で運動員を集める、運動員に日当を出すという発想がそもそもない。まず金を集めて始める保守の選挙との根本的な違いがある。

本日の「朝日」一面のトップ記事。見出しは、「石原宏高議員側が運動員要請 UE社派遣、法抵触の疑い」とつけられている。分かりにくいが、「石原宏高議員に公選法上の買収の疑い」がある、ということだ。警察や検察が動いているという記事にはなっていないが、常識的に当局からのリークと見るべきであろう。一面トップの扱いは、朝日が、本件を摘発必至と判断したということだ。

公選法上の買収には、「投票買収」と「運動買収」との2種類がある。「投票買収」は金で票を買うという古典的な形態だが、いまどきそんな事案はほとんどない。摘発されているのは、もっぱら「運動買収」である。これは、人に金を渡して選挙運動をさせるということ。選挙運動員に金を渡せば、運動買収になって刑事責任を科せられる。

選挙が金で動かされてはならない。選挙運動とは金をもらってするものではない。この潔癖さが、保守陣営にはない。石原宏高選挙がその見本である。純粋のボランティアで選挙運動員が集まるはずはなく、金をばらまくしか運動員を確保できないのだ。

例外がないわけではない。当不当の議論は別として、純粋に単純労務を提供する者は所定の日当をもらっても良いことになっている。ウグイス嬢・手話通訳者・ポスター貼り・封筒の宛名書きなど。この人たちの名と日当額とは選管に届出ることになる。もし、この人たちが、単純労務の範囲を超えて、電話受けをしたり、ビラ配りをするなど、少しの時間でも選挙運動をすれば、運動買収(日当買収ともいう)が成立して、日当を渡した選挙運動の総括主宰者も、日当をもらった選挙運動員も、ともに刑事罰の対象となる。

朝日の報道では、
(A)「UE社は3人の社員を派遣して12月16日の投開票日まで選挙の手伝いをさせた。応援の期間、3人については、UE社が給与のほか、選挙運動で遅くなったときの宿泊代や交通費、食事代なども負担した」
(B)「石原議員側が都選挙管理委員会に届け出た選挙運動費用収支報告書には、UE社の社員3人が「事務員等」と記載されている」
(C)「石原議員側からUE社役員に選挙を手伝う社員を出すよう依頼があった」という。
これを、金権体質の金まみれ選挙という。

(A)の文脈における「UE社」側の行為は、公選法221条1項1号の「当選を得しめる目的をもつて選挙運動者に対し金銭の供与をした」に当たり、買収罪として最高刑は禁固3年の犯罪となる。また、「UE社」から派遣された社員3名は、同条1項4号の「第1号の金銭の供与を受けた」にあたり、同じく最高刑は禁固3年となる。

(B)の文脈における刑事責任は、これだけでは判然としない。労務提供の事務員としての登録者に選挙運動をさせていたということのようだが、石原陣営からの金銭の供与がともなっていれば、選挙運動を総括主宰した者あるいは出納責任者の刑事責任が生じ、最高刑は懲役4年となる。

(C)の文脈では、「UE社役員に選挙を手伝う社員を出すよう依頼をした」という石原議員側の人物に刑事責任が生じる。221条1項6号の「前各号に掲げる行為に関し周旋又は勧誘をしたとき」に当たるか、あるいは依頼行為が教唆罪(刑法61条1項)に当たるからである。
石原議員自身が「周旋又は勧誘をした」とされる場合には、候補者であるが故の加重要件に該当して最高刑は懲役4年となり、有罪の確定と同時に公民権の停止も行われて議員資格を失う。選挙運動の総括主宰者あるいは出納責任者が有罪になった場合にも、連座制の適用によって石原議員の資格が剥奪される。

選挙運動は金をもらってやるものではなく、選挙運動者に金を渡せば、渡した方も受けとった方も犯罪なのだ。また、当然のことだが、「法律を知らなかった」は言い訳にならない。アルバイト募集に応募したところが選挙運動をさせられ、結局有罪になったという気の毒な実例もある。「UE社」側のみならず、派遣社員の有罪も動かしがたい。

石原議員とUE社の行為を「このくらいのことで、金権・金まみれの選挙というのは大袈裟ではないか」「懲役・禁固は厳しすぎるのでは」という意見もあるだろう。しかし、金の力で選挙の公正をゆがめてはならないとする公選法の理念を理解しない者の謬見と斥けざるを得ない。飽くまでも、選挙運動とは、個人が無償で行うべきものなのだ。企業の出る幕はなく、金をもらってする選挙運動はないものと知るべきである。

自民党改憲草案の全体象と96条改正

本日は、ネットテレビ(IWJ)での自民党改憲草案批判の鼎談。これが4回目。準備不足ではあるが、しゃべっているうちに考えが整理されてくる。

日本国憲法の理念は3本の柱にたとえられます。国民主権、基本的人権の尊重、そして恒久平和主義。この3本の柱が、立憲主義という基礎の上にしっかりと立てられています。堅固な基礎と3本の柱の骨組みで建てられた家には、国民の福利という快適さが保障されます。いわば、国民のしあわせが花開く家。それが現行日本国憲法の設計図です。

今、自民党の改憲草案は、そのすべてを攻撃しています。

(1) まず、基礎となっている立憲主義を堀り崩して、これを壊そうとしています。つまりは、憲法を憲法でなくそうとしているということです。国家権力と個人の尊厳とが厳しい対抗関係に立つことを前提として、個人の尊厳を守るために国家権力の恣意的な発動を制御するシステムとして憲法を作るという考え方が、近代立憲主義。これをねじ曲げて、国民に憲法尊重の義務を課し、あるいは国民にお説教をする憲法に変えてしまおうという意図がありありです。

(2) 3本の柱のどれもが細く削られようとしています。腐らせようとされているのかも知れません。
?まずは、「国権栄えて民権亡ぶ」のが改正草案。公益・公序によって基本的人権を制約できるのですから、権力をもつ側にとってこんな便利なことはありません。国民の側からは、危険極まる改正案です。
?9条改憲を実現して、自衛隊を一人前の軍隊である国防軍にしようというのが改正案。現行法の下では、自衛のための最低限の実力を超える装備は持てないし、行動もできません。この制約を取り払って、海外でも軍事行動ができるようにしようというのが、改正草案の危険な内容。
?国民と主権を争う唯一のライバルが、天皇という存在です。その天皇について、「日本国は天皇を戴く国家」とするのが改正草案前文の冒頭の一文。第1条では、「天皇は日本国の元首」とされています。現行憲法に明記されている天皇の憲法尊重・擁護義務もはずされています。恐るべきアナクロニズム。

(3) その結果として大多数の国民には住み心地の悪い家ができあがります。とはいえ、経済的な強者には快適そのものなのです。自分たちの利潤追求の自由はこれまで以上に保障してくれそうだからです。日本国憲法は、経済的な強者の地位を制約し弱者には保護を与えて、資本主義社会の矛盾を緩和する福祉国家を目標としました。今、政権のトレンドは新自由主義。強者の自由を認め、弱肉強食を当然とする競争至上主義です。自助努力が強調されて、労働者の労働基本権も、生活困窮者の生存権も、切り詰められる方向に。

臆面もなくこのような改正案を提案しているのが、安倍自民党です。かつての自民党内の保守本流とは大きな違い。おそらくは、提案者自身も本気でこの改正案が現実化するとは思っていないでしょう。しかし、96条の改正手続条項の改正だけは、現実に改正まで漕ぎつけたい。そう思っているにちがいありません。

憲法改正のハードルを低くし、一度改憲の実績をつくってしまえば、そのあとは本格改正に道を開くことができる。あわよくば、9条改憲まで。96条の改正は、内堀を埋めるようなもの。本丸の落城が危ぶまれることになりかねません。その意味で、96条の改正問題は重要だと思います。

96条改正だけを見るのではなく、96条改正のあとに押し寄せようとしている大津波を警戒されるよう訴えます。

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