(2023年10月12日)
本日、文部科学省は、宗教法人審議会の了承も得て、統一教会に対する解散命令請求の方針を正式に発表した。世論に押されてのこととはいえ、その本気度が感じられる。遅きに失した感はあるものの、政権の決断を評価したい。そして、文化庁宗務課の担当者の労をねぎらいたいと思う。
文科大臣の方針公表に対して、本日、統一教会が「当法人に対する解散命令請求の方針を受けて(世界平和統一家庭連合)」とする声明を発表した。この人たち、何の反省もしていない。「自分たちは悪くない。すべては左翼の陰謀だ」という内容。普通の日本語の表現では、これを「泣き言」ないし「悪あがき」という。以下に声明の全文を紹介して、私のコメントを付しておきたい。
「文部科学省は10月12日、世界平和統一家庭連合(以下、「当法人」)の解散命令請求を東京地方裁判所に申し立てる方針を発表しました。それに対する当法人の見解を発表させていただきます。」
宗教法人法81条は、裁判所に宗教法人に対する解散を命ずる権限を付与している。裁判所に解散命令を請求できるのは、「所轄庁、利害関係人若しくは検察官」であり、または裁判所自身が職権で行うことも可能であって、必ずしも文科省に限らない。しかし、立証のために膨大な資料を収拾する力量は文科省ならではのものといえよう。文科省は地味な作業を積み上げて解散命令請求に漕ぎつけたのだ。
「このような決定がなされたことは、当法人としては極めて残念であり、遺憾に思っております。特に、当法人を潰すことを目的に設立された左翼系弁護士団体による偏った情報に基づいて、日本政府がこのような重大な決断を下したことは痛恨の極みです。」
統一教会にとっての「残念、遺憾、痛恨の極み」は、統一教会外の社会、とりわけおびただしい被害者たちには、この上ない朗報である。また、「当法人を潰すことを目的に設立された左翼系弁護士団体による偏った情報に基づいて、日本政府がこのような重大な決断を下した」という物言いが、この組織の本音ないし正体を物語っている。反共・左翼攻撃を売り物に、岸信介・笹川良一・安倍晋三ら右翼人脈に取り入って、これをバックに勢力を拡大してきたのだ。
「岸田首相は昨年10月19日、宗教法人への解散命令請求が認められる法令違反の要件には「民法の不法行為は入らない」という長年の政府の法解釈を一夜にして強引に変更し、「民法の不法行為も入り得る」と国会で答弁しました。野党の追及や世論に迎合した結果であるのは明らかで、日本の憲政史に残る汚点となるでしょう。」
宗教法人への解散命令要件は、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」、あるいは「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと」である。「法令」が刑事法に限るものでないことは一見して明白で、明らかに「民法の不法行為も入り得る」。オウムの例も、明覚寺も、事案が刑事法違反だったから、裁判所は刑事法違反を採っただけで、「民法の不法行為は入らない」と判断したわけではない。政府の有権解釈が確定していたわけでもない。岸田首相に長年の政府の法解釈を一夜にして強引に変更したのなら大英断というべきだが、さほどのことでもなく、答弁のチグハグがあったという程度のこと。彼は、「世論に迎合した」というよりは、この点については「世論に耳を傾けた」のだ。日本の憲政史に残るほどの出来事でもなく、「汚点」というのは的外れも甚だしい。
「すべてを一変させたのは、昨年7月の安倍元首相の暗殺事件でした。私たちの教団は、それ以前と何ら変わるところがありません。それにもかかわらず、私たちの教団を取り巻く環境はジェットコースターのように変容していき、気がつくと私たちは、マスコミ報道によって“絶対悪”のモンスターのようにされていました。」
この感想は、分からないでもない。安倍晋三に対する銃撃が、安倍だけでなく統一教会をも撃ったのだ。被害者である安倍への世論の同情があってしかるべきでははないか。安倍と親密だった統一教会に、なにゆえ同情ではなく、世の中の敵意が集中したのか。その理由は単純である。銃撃犯の動機が世に知れたからだ。世間は、元首相の銃撃死に衝撃を受けたが、銃撃犯の動機として統一教会が一家庭を不幸のどん底に追い込んだ統一教会という宗教組織の恐ろしさを知って戦慄したのだ。そして、そのような恐るべき宗教と政権与党との醜悪な癒着についても。もちろん、教団が変わったわけではない。ただ、教団の闇の部分に光が当てられたというだけのことなのだ。
「私たちの教団は、1964年7月15日、宗教法人として東京都の認証を受けて以来、神を中心とした理想家庭をとおした世界平和実現の夢をかかげ、「為に生きる」という創設者の教えを広め、日本と世界の為に生きる教会を目指して今日まで、伝道、教育、さまざまな社会活動などに取り組んでまいりました。」
個人が信ずる宗教教義が何であれ国家が介入することではない。布教も団体の設立も自由だ。だが、宗教団体が宗教団体であるがゆえに、特別な法的地位や権限をもつわけではない。この当然のことを宗教法人法86条は「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない」と定める。統一教会は、その「伝道、教育、さまざまな社会活動など」の取り組みにおいて、「公共の福祉に反した行為」を続けてきた。主としては霊感商法と高額献金、さらには集団結婚式や違法勧誘など。その指弾が、ようやくに解散命令請求となったのだ。
「その間、多くのお叱りを受けることもございましたが、2009年のコンプライアンス宣言以降、教会改革に積極的に取り組み、特に未来を担う新しい世代の指導者を立て、現在まで継続して改革を推進し、昨年9月以降は法人内に「教会改革推進本部」を設置し、更なる改革に取り組んでまいりました。」
「その間、多くのお叱りを受けることもございました」と認めるとおり、多数の民事刑事の判決例の集積がある。そして、2009年のコンプライアンス宣言以降もその体質は改まっていない。この度、文科省が解散命令請求の要件として意識したのはこの点であり、その資料の集積あっての解散請求である。この点は、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)の、9月30日声明を一読すればよく分かる。
https://www.stopreikan.com/seimei_iken/2023.09.30_seimei.htm
「その意味で、今回の政府による解散命令請求は、古い世代の教会員にとっても、新しく教会を担っていこうとする二世、三世たちにとっても極めて残念な事態と言わざるを得ません。」「私たちは、国から解散命令を受けるような教団ではないと確信しております。私たちの信徒たちと直に接してきた方々、長年にわたってお付き合いしてきた方々は、同意してくださると思います。ただ、テレビのワイドショーなど左翼系弁護士の根拠薄弱な情報を垂れ流すだけのマスコミ報道を鵜呑みにした大多数の国民に対して、私たちの教団の真実の姿を伝えることができなかったことは、私たちの力不足であったと痛感しております。」
統一教会の戦略は保守権力との癒着であった。「反共」「家父長制」「性的役割の固定化」などが保守に取り入るためのキーワードであった。が、大多数の国民にはこれらの呪文は効果なく、安倍晋三銃撃犯が明らかにした「私たちの教団の真実の姿」が、統一教会糾弾の世論を喚起し解散命令請求にまで結実したのだ。
「今後は、裁判において、私たちの法的な主張を行っていく予定です。また、国民の皆様からも、少しでも私たちの教団を理解していただけるよう、今後も積極的な情報発信などに努めてまいります。」
裁判において法的な主張を行っていくことは権利として保障されている。正々堂々と主張すればよい。しかし裁判所の解散命令と清算手続には真摯に従う姿勢を見せていただきたい。清算手続は信者からむしりとったものを、財産が残っている範囲で被害者に返還する手続である。法の整備如何にかかわらず、財産隠匿や韓国などへの横流しは姑息な恥ずべき行いだ。自ら財産を保全して、解散後の財産清算手続には協力すべきが当然の良識ある者に期待される姿勢ではないか。それとも、良識を期待することが荒唐無稽だろうか。
なお、「国民の皆様からも、少しでも私たちの教団を理解していただく」ために必要なのは、「積極的な情報の発信」ではない。まずは、正体隠しの違法な勧誘や高額献金勧誘をやめて、自らを糺すことである。違法を重ね、人の不幸を作り続けてきた教会の体質を反省し、真に改めることに尽きる。
(2023年8月16日)
毎年、熱い夏の真っ盛りの8月15日に、あの戦争の敗戦記念日を迎える。
敗戦の4年前、1941年の8月には、天皇制政府はまだ対米英戦開戦の決断をしていない。アメリカの対日石油輸出全面禁止の経済制裁に戦火で応じるべきか対米外交で事態を切り拓くか、まだ近衛内閣が右往左往している時期。歴史を巻き戻すことができるのなら、このときに無謀な選択肢の回避あれば、300万に近い日本人の死は防げた。さらには2000万人に近い近隣諸国民に対する殺戮も防止できた。
41年9月6日の御前会議で、開戦の方向性がほぼ決まったとされる。その前日、天皇(裕仁)は、陸軍参謀総長と海軍軍令部長を呼びつけて、「(対米開戦をした場合に)必ず勝てるか」と聞いている。もちろん、彼我の戦力の大きな落差を知悉している専門家が、「勝てます」というはずもない。それでも、舵は開戦の方向に切られて行く。無責任の極み。
その年の10月には近衛が政権を投げ出し、主戦派の陸相東条英機に組閣が命じられる。こうして、国民の知らぬうちに12月8日開戦の準備が進む。宣戦布告なき不意打ちによる緒戦の戦果を、裕仁はいたく喜んだという。
しかし、42年の夏には既に形勢が逆転していた。早くも4月にドゥーリットルの東京空襲があり、6月にはミッドウェー海戦での大敗北があった。43年の夏は撃墜された山本五十六国葬の後に迎えている。多くの人が、日本は勝てないのではないかと思い始めていたころ。そして、44年の夏には、サイパン守備隊全滅後に東条内閣が倒れて小磯国昭内閣が成立している。既に敗戦必至の夏であった。
そして1945年の特別に熱い夏、何よりも「遅すぎた聖断」がもたらした惨禍の中で迎えた夏である。為政者の決断の遅延がかくも甚大な被害をもたらすという典型として記憶されねばならない。天皇(裕仁)が「一撃講和論」や「国体護持」に固執せず、早期降伏を決断していれば、東京大空襲も沖縄の悲劇もヒロシマ・ナガサキの惨劇もなかった。天皇(裕仁)の責任が開戦にあることは当然として、終戦遅延の責任も忘れてはならない。
その天皇(裕仁)の孫(徳仁)も出席して、昨日政府主催の「全国戦没者追悼式」が挙行された。毎年のことではあるが、主催者である首相の式辞には大きな違和感を禁じえない。昨日の岸田首相式辞全文を引用して、点検しておきたい。以下「」内が首相式辞であり、続く( )内が私のコメントである。
「天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。」
(冒頭に「天皇、皇后両陛下のご臨席」はあり得ない。あたかも式の主役が「天皇、皇后両陛下」であるごときではないか。冒頭の呼びかけは、何よりも「戦没者」あるいは、「戦没者のご遺族」としなければならない。「天皇、皇后両陛下」への言及はなくてもよい。あっても最後でよい。そして、天皇を「仰ぐ」必要はまったくない)
「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に倒れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄での地上戦などにより犠牲となられた方々。今、すべての御霊の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。」
(「祖国」に違和感が拭えない。「祖国の行く末を案じつつ戦場に倒れた」人がなかったとは言えないにもせよ、多数であったはずはない。少なくとも、ここに真っ先に掲げることではない。無惨に自分の人生を断ち切られた無念。家族や愛する人との離別を強いられた怨みや悲しみや悔恨の情なら共有できる。「祖国」や「国体」が顔を出せばシラケるばかり)
「今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。」
(常套文句だが、明らかに間違っている。これでは、戦争賛美の文脈ではないか。「今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたもの」とは、「あなた方が命を掛けてあの戦争を果敢に戦ってくれたおかげで、生き延びた者が今日の平和と繁栄を手に入れた」「あの戦争が今日の平和と繁栄をもたらした」と読むしかない。あたかも、あの戦争が正しいものだったと言わんばかりではないか。戦没者に捧げるものが「敬意と感謝の念」ではおかしくないか。実は、あの不正義の侵略戦争に加担させられた多くの戦没者の戦闘行為は、今日のわが国の「平和」や「繁栄」に何の因果関係も持たない。あの戦争を徹底して否定することから、今日の「平和」も「繁栄」も出発しているのだ。だから、戦没者に捧げるべきは「謝罪と悔恨と不再戦の決意」でなければならない)
「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。国の責務として、ご遺骨の収集を集中的に実施し、一日も早くふるさとにお迎えできるよう、引き続き、全力を尽くしてまいります。」
(異論はない。厚労省によると22年末時点で海外での戦没者およそ240万人のうち、半数近い112万人ほどの遺骨が未収容のままなのだという。急がねばならない。「引き続き、全力を尽くす」では、あたかもこれまでも「全力を尽くして」きたようではないか)
「戦後、わが国は一貫して、平和国家として、その歩みを進めてまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。
(正確には、「戦後、わが国の政権与党は一貫して、再軍備を図り国防国家建設を目指してまいりましたが、国民多数がこれに与せず、結果として平和国家としてその歩みを進めてまいりました」と言うべきだろう)
「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを今後も貫いてまいります。いまだ争いが絶えることのない世界にあって、わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面するさまざまな課題の解決に、全力で取り組んでまいります。今を生きる世代、そして、これからの世代のために、国の未来を切り開いてまいります。
(「積極的平和主義」がいけない。これは、安倍晋三以来、圧倒的な軍事力の増強によって自国の平和を守ろうという考え方を意味する。「積極的平和主義」の旗のせいで、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓い」は、再び敗戦の憂き目を見ることのなきよう軍備を増強する、という意味になりかねない)
「終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆さまにはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。」
(この文章は良い。飾り気なく、分かり易く、遺族の気持ちに添うものとなっている)
天皇(徳仁)もこの式に出席しただけでなく、一言述べている。首相と違って、その存在自体が違和感の塊なのだから、その一言々々に改めての違和感を論じるまでもないと言えばそのとおりではあるのだが…。
「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」
(「深い悲しみを新たにいたします」と、その程度のものだろうか。戦没者に対して、いたたまれない自責の念はないのだろうか。痛切な反省の思いの感じられない一言)
「終戦以来78年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。」
(「多くの苦難に満ちた国民の歩み」とは、戦争の惨禍からの立ち直りの過程を言っているのだろうが、「天皇の名による戦争」を起こし、苦難を強い、国体護持のために戦争終結を遅延した祖父の責任を、少しは身に沁みて感じているのだろうか)
「これからも、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。」
(「私たち皆で心を合わせ続けることを、心から願います」って、意識的な天皇独特文法なのだろうか、それとも単なる出来の悪い文章に過ぎないのか)
「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
(今年も挿入されたこの部分、「過去を顧み、深い反省の上に立って」が話題となっている。しかし、この「過去を顧みての深い反省」は、誰が誰に対して何を反省しているのか、さっぱり分からない。近代天皇制国家による侵略先近隣諸国民に対する殺戮や強奪の反省であれば立派なものだが、残念ながら「謝罪」の言葉がない。自国民に対する天皇の戦争への動員についての反省でも、戦没者遺族には慰謝になるのではないか。来年は、「過去を顧みての深い反省」の内容を明晰にする努力をしてみてはいかがか)
(2023年8月12日)
夏、戦後78年目の8月である。猛暑のさなかではあるが、既に新たな戦前ではないかというささやきが聞こえる中、あの戦争を忘れてはならない、戦争の悲惨と平和のありがたさを語ろう、という催しが例年に増して盛んである。
私の地元文京区でも、シビックセンターで、まず武田美通全作品展「戦死者たちからのメッセージ」(7月20日(水)?25日(火))が開催された。勇ましい兵士ではなく惨めに戦死した兵士、この上なく傷ましい戦没兵の鉄の造形。リアルな軍装のまま骸骨と化した兵士たちの群像が衝撃的である。
物言いたげな鉄の死者たち、死後もなお軍装を解くことを許されない兵士の群像から放たれているものは、鬼気迫る怨みの霊気。決して穏やかに靖国に鎮座などできようはずもない、浮かばれぬ者たち。
この兵士たちは、生前には侵略軍の一員であったろうが、欺され、強いられ、結局は無惨に殺されたことへの、憤懣やるかたない怒りと怨みとそしてあきらめ。生者を撃つ力を感じさせる死者の鉄の造形であった。
https://sites.google.com/view/takedayoshitou/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
次いで今年も、「平和を願う文京・戦争展」(8月10日(木)?12日(土))が開催されている。宣伝チラシに、「日本兵が撮った日中戦争『南京で何が起こったのか』」とテーマが語られている。
この「戦争展」は、第5回である。2019年の第1回展以来、文京区(教育委員会)に後援を申請している。そして、5回とも却下の憂き目に遭っている。どうにも、納得しがたい。
この間の経緯を昨日(8月11日)の東京新聞が、「戦争写真展の『後援』を文京区教委が5年も断り続けるのはなぜ? 『議論が分かれている』と展示に注文」という見出しで報じている。
「日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮った写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」を巡り、開催地の東京・文京区教育委員会が、主催者の後援申請を認めない状態が五年にわたり続いている。展示の中にある写真説明の表現が、政府見解と異なる点などが主な理由という。一方、主催者側に内容を変える意向はなく、議論は平行線をたどっている。
写真展は二〇一九年、戦争を加害と被害の両面から見つめ直そうと、日中友好協会文京支部が始めた。区出身の村瀬守保さん(一九〇九?八八年)が戦地で撮影した写真のパネルを展示。兵士の日常から遺体が並ぶ様子まで、さまざまな場面が写されている。
主催者側は、第一回から後援を申請。しかし、一九年七月の教育委員会定例会の議事録によると、「議論が分かれている内容で、中立の立場を取るべき教育委員会が後援することは好ましくない」などとして不承認を決定。翌年以降も同様の理由で承認していない。
区教委が問題視しているのは、展示の中にある「(慰安婦の)強制連行」や「南京大虐殺」などの表現だ。だが主催者側は、日中友好協会から写真と説明文をセットで借りており、表現は変えられないとする。日中友好協会文京支部長で実行委員長の小竹紘子さん(81)は「歴史に正面から向き合わなければ、日本が世界から信用されなくなってしまう」として、引き続き区教委の後援を求めていく考えを示す。
一方、区教委の担当者は「南京大虐殺」という表現が政府見解と異なるとした上で、「表現を変えるなどの対応をしてもらうことが、議論の入り口になると考えている」と説明しており、堂々巡りの状況が続いている。」
文京区が平和主義に特に後ろ向きというわけではない。1979年12月には、「文京区平和宣言」を発出している。宣言の文言は、下記のとおりである。
「文京区は、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、ここに平和宣言を行い、英知と友愛に基づく世界平和の実現を希望するとともに人類福祉の増進に努力する。」
さらに、1983年7月には、下記の文京区非核平和都市宣言を発している。
「真の恒久平和を実現することは、人類共通の願いであるとともに文京区民の悲願である。文京区及び文京区民は、わが国が唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさと被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再び広島・長崎の惨禍を繰り返してはならないことを強く主張するものである。
文京区は、かねてより、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、平和宣言都市として、永遠の平和を確立するよう努力しているところであるが、さらに、われわれは、非核三原則の堅持とともに核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴え、「非核平和都市」となることを宣言する。」
文京区も、形の上では平和を希求する姿勢をもっている。戦争を考える企画を自ら主催することもないわけではない。しかしその企画は、戦争の被害面についてだけ、あるいは日本に無関係な他国間の戦争についてのものにとどまり、日本の加害責任に触れる企画はけっしてしようとしない。後援すら拒否なのだ。
本音は知らず。その表向きの理由を、教育委員会議事録から抜粋すると次のとおりである。
教育長(加藤裕一)「皆さんのご意見をまとめますと、中立公正という部分と、あと見解が分かれているといったところ、あるいは政治的な部分、そういったところを含めて総合的に考えると、今回についてお受けできないというご意見だと思います。それでは、この件については承認できないということでよろしいでしょうか。(異議なし)それではそのように決定させていただきます。」
この結論をリードしたのは次の意見である。
坪井節子委員(弁護士)「今の情勢の中で、この写真展、南京虐殺があった、あるいは慰安婦の問題があったという前提で行われる催しに教育委員会が後援をしたとなりますと、場合によってはそうでないという人たちから同じようなことで文京区の後援を申請するということが起きることは考えられると思います。シンポジウムをしますからとか、文京区は公平な立場であるのであれば、あると言った人も後援したんだから、ないと言っている人も後援しろというジレンマに陥りはしないか。そういうところに教育委員会が巻き込まれてしまうのではないか。そこにおいて私は危惧をするんです。教育の公正性ということを教育委員会が守るためには、シビアに政治的な問題が対立するところからは一歩引かないとならないんじゃないかと…。」「そういう意味において、今回の議案については同意しかねるという風にさせていただきたい。」
この「中立・公正」論は、いま全国で大はやりである。歴史修正主義者・ウルトラナショナリストの声高な主張を引用し、これを口実にして、真実から目をそらす手口なのだ。結果として、歴史修正主義に加担することになる。いや、これが、歴史修正主義に与するための常道なのだ。こんな形式論で、結論を出されてはたまらない。それこそ教育委員の見識が問われねばならない。
たとえば、ナチスのホロコーストの存在は歴史的事実と言ってよい。しかし、ホロコースト否定論は昔から今に至るまで絶えることはない。動かしがたいナチスの犯罪の証拠に荒唐無稽な否定論を対峙させて、「中立・公正」な立場からは、「両論あるのだから歴史の真実は断定できない」と逃げるのだ。
小池百合子の「9・1朝鮮人朝鮮人犠牲者追悼」問題も同様である。歴史を直視することを拒否する右翼団体が、「自警団による朝鮮人虐殺はウソだ」「犠牲者数が過大だ」「朝鮮人が暴動を起こしたのは本当だ」と騒いでいることを奇貨として、それまで毎年追悼式典に出していた都知事による追悼文を撤回する口実に使った。
天動説と地動説、両論あるから「中立・公正」な立場からは真実は不明と言うしかない。科学者は進化論を真理というが、人間は神に似せて作られたと信じている人も少なくない。「中立・公正」な立場からは、どちらにも与しない。
教育勅語は天皇絶対主義の遺物として受け容れがたいという意見もあるが、普遍的道徳を説いたものという見解もある。放射線は少量であっても人体に有害という常識に対して一定量の放射線は人体に有益という異論もある。「中立・公正」な立場からは、シビアに問題が対立するところからは、一歩引かないとならないというのか。
中華民国の臨時首都であった南京で、皇軍が行った中国人非戦闘員や投降捕虜に対する虐殺には多くの証言・証拠が残されている。その規模についての論争は残るにせよ、この史実を否定することはできない。日本軍従軍慰安婦の存在も同様である。個別事例における強制性の強弱は多様であっても、日本軍の関与は否定しがたい。あったか、なかったかのレベルでの論争が存在するという文京教育委員諸氏の発言が信じ難く、その認識自体が、政治学的な研究素材となるべきものと指摘せざるを得ない。
一昨年(2021年)の「戦争展」では、来場者に文京区長宛の「要望書」(2020年12月14日付)が配布された。A4・7ページの分量。南京事件も、従軍慰安婦も、史実である旨を整理して分かり易く説いたもの。この件についての歴史修正主義者たちのウソを明確に暴いている。
「史実」の論拠として挙げられているものは、まずは外務省のホームページを引用しての詳細な日本政府の見解。そして、家永教科書裁判第3次訴訟、李秀英名誉毀損裁判、夏淑琴名誉毀損裁判、本多勝一「百人斬り訴訟」などの各判決認定事実の引用、元日本兵が残した記録や証言、南京在住の外国人やジャーナリスト、医師らの証言、この論争の決定版となった偕行社(将校クラブ)のお詫び、日中両国政府による日中歴史共同研究…等々。
それでも、文京区教育委員会は頑強に態度を変えなかった。この展示の中で、一番問題となったのは、揚子江の畔での累々たる死体でも、慰安所に列をなす日本兵の写真でもなく、中国人捕虜の写真に付された下記のキャプションであったという。
捕虜の使役 「漢口の街ではたくさんの捕虜が使われていました。南京の大虐殺で世界中の非難を浴びた日本軍は漢口では軍紀を厳重に保とうとして捕虜の取り扱いには特に気を使っているようでした。捕虜の出身地はいろいろです。四川省、安徽省などほとんど全国から集められているようで、中には広西省の学生も含まれていました。貴州の山奥に老いた母と妻子を残してきたという男に、私はタバコを一箱あげました。」
この文章の中の「大虐殺」「世界中の非難」がいけないのだという。とうてい信じがたい。これが、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」(2019年8月2日東京新聞記事見出し)の正体なのだ。
私は、かつて「『南京事件をなかったことにしたい』人々と、『あったかなかったか分からないことにしてしまいたい』人々と」という表題のブログを書いたことがある。
https://article9.jp/wordpress/?p=20462
毎年12月13日が、中国の「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」である。現在、「国家哀悼日」とされて、日中戦争の全犠牲者を悼む日ともされている。この「南京大虐殺」こそは、侵略者としての皇軍が中国の民衆に強いた恥ずべき加害の象徴である。
私も南京には、何度か足を運んだことがある。「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」も訪れている。そこでの印象は、激しい怒りよりは、静かな深い嘆きであった。粛然たる気持にならざるを得ない。
私の同胞が、隣国の人々に、これだけの残虐行為を働いたのだ。人として、日本人として、胸が痛まないわけがない。
しかし、日本社会は、いまだに侵略戦争の罪科を認めず、戦争責任を清算し得ていない。のみならず歴史を修正しようとさえしている。そのことについては、戦後を生きてきた私自身も責任を負わねばならない。安倍晋三のごとき人物を長く首相の座に坐らせ、石原慎太郎や小池百合子のごときを都知事と据えていたことの不甲斐なさを嘆いても足りない。そんな社会を作ったことの責めを自覚しなければならない。
南京事件にせよ、関東大震災後の朝鮮人虐殺にせよ、細部までの正確な事実を特定することは難しい。虐殺をした側が証拠を廃棄し、直後の調査を妨害するからだ。大混乱の中で大量に殺害された人々の数についても正確なところはなかなか分からない。
細部の不明や、些細な報道の間違いを針小棒大にあげつらって、「南京虐殺」も、「朝鮮人虐殺」もなかった、という人たちがいる。事実の直視ができない人たち、見たくないことはなかったことにしたいという、困った人たちである。
「南京虐殺40万人説」はあり得ない、「30万人説も嘘だ」。だから、「実は、南京虐殺そのものがなかったのだ」という乱暴な「論理」。
そういう人たちの「論理」の存在を盾に、「『南京虐殺』も、『朝鮮人虐殺』もあったかなかったか、不明というしかない」という一群の人たちがいる。実は、こちらの方が、「良識の皮をかぶっている」だけに、もっともっと困った人たちであり、タチが悪いのだ。
旧軍がひた隠しにしていた南京虐殺は、東京裁判で国民の知るところとなった。以来、日本国政府でさえ、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」としている。ところが、「不明」「不可知」に逃げ込む人々が大勢いる。知的に怠惰で、卑怯な態度といわねばならない。これが、後援申請を却下した文京区教育委員の面々である。人として、日本人として、胸の痛みを感じないのだろうか。区教育委員会には何の見識もない。戦争を憎む思想も、戦争への反省を承継しようとの良識のカケラもない。
文京区教育委員会事案決定規則によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。
教育委員諸氏には、右翼・歴史修正主義者の策動に乗じられ、これに加担した不明を恥ずかしいと思っていただかねばならない。自分のしたことについて、平和主義に背き、歴史に対する罪を犯したという、深い自覚をお持ちいただきたい。
戦争体験こそ、また戦争の加害・被害の実態こそ、国民全体が折に触れ、何度でも学び直さねばならない課題ではないか。「いろいろ見解があり、中立を保つため」に後援を不承認というのは、あまりの不見識。教育委員が、歴史の偽造に加担してどうする。職員を説得してでも、後援実施してこその教育委員の見識ではないか。
「政府や世間に逆らうと面倒なことになるから、触らぬ神を決めこもう」という魂胆が透けて見える。このような「小さな怯懦」が積み重なって、ものが言えない社会が作りあげられていくのだ。文京区教育委員諸君よ、そのような歴史の逆行に加担しているという自覚はないのか。
このような結論を出しつつけてきた不名誉な教育委員5氏の氏名を改めて明示しておきたい。なんの役にも立たずお飾りだけの教育委員であることに、少しは反省を気持ちを持っていただきたいのだが…。
教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)
なお、田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)は昨年退任し、福田 雅(日本サッカー協会監事)に交替している。あたかも、「日本サッカー協会枠」があるがごとくではないか。はなはだ不明朗で、不快この上ない。
(2023年7月8日)
安倍晋三銃撃の衝撃から、本日で1年である。あの衝撃の正体が何であったか、自分のことながらまだ掴みかねている。「棺を蓋うて事定まる」とはいうが、安倍国葬の愚を経てなお、事は定まっていない。
事件翌日の毎日新聞社説の表題が、「安倍元首相撃たれ死去 民主主義の破壊許さない」であった。記事の冒頭に、「暴力によって民主主義を破壊しようとする蛮行である。…強い憤りをもって非難する」とあった。1年前、その表題の社説を違和感なく受け容れた。標的にされた者がいかに非民主的な劣悪政治家であろうとも、政治テロを許してはならない。民主主義的秩序の崩壊を恐れる気持ちが強かった。要人に対する襲撃の連鎖が起るのではないかと、本気で心配もした。
しかし、間もなく事態が明らかになるにつれて、評価の重点は明らかに変わってきた。「暴力によって民主主義を破壊しようとする蛮行を許さない」ことは当然として、「悲劇の死をもって、劣悪政治家やその政治を美化してはならない」のだ。
板垣が自由民権運動の裏切者であるにせよ、また史実がどうであれ、「板垣死すとも自由は死なず」は名言である。自らの死を賭して、自由民権の理念に身を投じた政治家の心意気を示すものとして、民衆の喝采を浴びた。
安倍晋三には、そのような神話が生まれる余地がない。もし可能であったとして、死の間際に彼は何と言ったろう。「晋三死すとも、疑惑は死なず」「安倍は死すとも、改憲策動は死せず」「晋三死すとも、強兵は死なず」「安倍は死んでも、政治の私物化はおさまらない」「晋三亡ぶも、皇国は弥栄」…。およそ、様にならない。
何よりも、安倍晋三の死は、統一教会との癒着と結びついている。安倍と言えば統一教会、銃撃と言えば統一教会、安倍晋三と言えば韓鶴子・UPF・ビデオメッセージ。そして、誰もが安倍の死に関して連想するのが、祖父の代からの統一教会との深い癒着である。自民党なかんずく安倍3代と、この金まみれの人を不幸にするカルトとの醜悪な癒着は徹底して暴かれなくてはならず。また、徹底して批判されなければならない。
統一教会問題だけでなく、安倍政治を、いささかも美化してはならない。今、岸田政治は、安倍の亡霊に憑依されているからだ。安倍政治から離脱することで、世論に迎合するかに見えた岸田政権だが、党内の安倍残党に支配されているからなのだ。
安倍政治とはなんだったか、日本国憲法に敵意を剥き出しにし、教育基本法を改悪し、集団的自衛権の行使を容認して戦争法制定を強行し、政治を私物化してウソとごまかしを重ね、行政文書の捏造と隠蔽をこととし、国会を軽視して閣議決定を万能化し、恣意的な人事権の行使で官僚を統制した。
沖縄問題を深刻化し、核軍縮に背を向けた。経済政策では、新自由主義をこととして格差と貧困を拡大し、その無能で日本の経済的な地位を極端に低下させた。外交では、対露、対中、対韓関係に大きく失敗し、拉致問題では1ミリの進展もみせなかった。オリンピックでは腐敗と放漫支出を曝け出し、コロナ対策ではもっぱらアベノマスクでのみ記憶されている。
政治テロは許さない決意を固めつつも、銃撃死したことで、安部政治を美化したり、聖化したりしてはならない。非業の死を遂げた人を批判するにしのびない、などと躊躇してはならない。大いなる、醜悪な負のレガシーを持つ最悪・最低の首相だったこんな人物。こんな人物を長く権力の座に据えていた日本の民主主義のレベルを恥じなければならない。
(2023年7月5日)
先月の28日、統一教会の本部(韓国・清平)で、教団トップの韓鶴子が、日本人を含む約1200人の幹部信者を前に、「岸田を呼びつけ、教育させなさい!」と演説した旨報じられている。
岸田と呼び捨てにされたのは、日本の首相である岸田文雄のこと。「岸田を呼びつけ、教育させなさい!」は、演説というよりは、悪罵を浴びせたというのがふさわしい。
複数メディアが入手した韓鶴子の音声データの翻訳はこんなところ。
「1943年、韓半島で独生女(救世主=韓鶴子自身を指す)が誕生しました。分かっているのは、日本は第2次世界大戦の戦犯国だということ。犯罪の国。ならば賠償すべきでしょ、被害を与えた国に」
「今の日本の政治家たちは、我々に対して何たる仕打ちなの。家庭連合(統一教会のこと)を追い詰めているじゃない。私を救世主だと理解できない罪は許さないと言ったのに。その道に向かっている日本の政治はどうなると思う? 滅びるしかないわよね! あなた(信徒)たちの運動は国(日本のこと? それとも韓国のことか?)を生かす道だ!」
「政治家たち、岸田をここに呼びつけて、教育を受けさせなさい! 分かっているわね!」
信者たちは、歓声と拍手で応え、「万歳!!」と叫んだという。統一教会とは、統一教会信者とは、「韓鶴子を救世主だと理解できない罪は許さない」という、思い上がりも甚だしい、他からは理解不能の集団なのだ。
その統一教会が、日本の右翼と相性が良い。とりわけ、岸信介・笹川良一・安倍晋三などが教団と癒着し、これに取り入っていたことはよく知られている。国士を気取る右翼の輩が、どうして韓国ナショナリズム集団とかくも親和的であるのか、理解しがたい。岸田を除く自民党の連中が、「文鮮明や韓鶴子を救世主だと理解していた」というのだろうか。
その韓鶴子が創設したのが、「世界平和女性連合」である。統一教会の宗教法人としての登録名が「世界平和統一家庭連合」。名称が近似しているだけではない、ダミー団体。その女性連合が、「韓鶴子を救世主だと理解できない」弁護士7名を被告とし、損害賠償を求めて東京地裁に新たな提訴をした。昨日(7月4日)のことである。請求金額は、3300万円。
この訴訟の原告代理人となった弁護士は、統一教会お抱えとしてお馴染みの福本修也ではなく、これまでは、右翼の弁護士として知られていた徳永信一。なるほど、統一教会のダミーと攻撃されている女性連合の代理人が統一教会お抱え弁護士では座りが悪いということなのだ。統一教会と右翼との蜜月を見せつける弁護士選任である。
女性連合は、6月から8月にかけて、全国28カ所で留学生向けの日本語弁論大会を開く。全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)は、これを「旧統一教会の資金集め、人集めのためのイベント」と指摘して警戒を呼び掛け、6月15日の全国弁連声明では、女性連合は「ボランティア組織を仮装した悪質な献金勧誘団体」として、全国の自治体に施設の利用許可をしないよう求めた。
女性連合は、この声明を「宗教ヘイト」と主張、弁連の主要メンバーである弁護士7人に損害賠償を求めて提訴した。訴状提出後の記者会見では、「声明は悪質な印象操作だ」「旧統一教会と創設者は同じだが、活動も運営も独立した別個のNGO団体だ」とし、全国弁連の声明は「事実無根で名誉毀損に当たる」、自治体への働きかけは「差別的取り扱いを勧奨する宗教ヘイトとして、法の下の平等を定める憲法14条などに反する」とした。
この訴訟には万に一つも、原告側の勝ち目はない。勝ち目がなくても、提訴によって統一教会に対する批判の言論を怯ませることができるだろうという思惑だけがよく見える。
しかし、スラップは常に両刃の剣である。この訴訟も、原告敗訴が確定した時の、統一教会側のダメージは大きい。全国弁連側がコメントしているとおり、「訴訟の中で、女性連合の実態が明らかにされざるを得ない」からだ。統一教会は、この提訴によって自分を斬って傷つくことになるだろう。
(2023年6月30日)
久しぶりのブログ投稿。なんとなく懐かしい心もち。日課としていた毎日の更新から解放されたこの3か月、なんと気が楽で心穏やかな日々となったことだろう。10年間の連日ブログ更新は相当の重荷だった。あらためて、これからやれと言われてもできることではない。とは言え、何もしないでは物足りない。時折に、気ままに、永く書き続けたい。
本日午後、統一教会スラップ5事件のトップを切って、八代英輝事件での東京地裁判決があった。当然のことながら統一教会の敗訴、請求棄却判決である。もちろん、敗訴判決で統一教会側がめげることはない。もともと勝てると思っての提訴ではないからだ。だから、当然控訴ということになるだろう。
これを、教団内部では「法難」というのだろうか。「左翼勢力が仕掛けた教団バッシングに裁判所までが乗せられ欺されている」「受難の時代には、正義の訴えも届かない」「不当判決の試練を乗り越えよう」…。どのようにも、ものは言いようなのだ。
ちょうど、安倍晋三銃撃一週年を目前のタイミング。統一教会問題とは何なのか、このカルトが安倍や萩生田などの右翼政治家となにゆえにどのように結びついていたのか。再確認の好機ではある。
統一教会スラップとは、下記5件の名誉毀損訴訟である。
いずれも原告・統一教会から、テレビあるいはラジオ放送での発言で、原告法人の名誉を毀損したとして、当該発言者と放送局を訴えたもの。(提訴日は、いずれも2022年)
被告 紀藤正樹・讀賣テレビ (請求額2200万円)9月29日提訴
被告 本村健太郎・讀賣テレビ(請求額2200万円)9月29日提訴
被告 八代英輝・TBSテレビ(請求額2200万円)9月29日提訴
被告 紀藤正樹・TBSラジオ(請求額1100万円)10月27日提訴
被告 有田芳生・日本テレビ (請求額2200万円)10月27日提訴
もちろん、それぞれの事件で論点は違ってくる。八代英輝事件訴状に記載された名誉毀損文言は長い。当該部分を転載してみよう。
《被告八代は,令和4(2022)年9月1日,被告会社(TBSテレビ)が制作放送する「ひるおび」(以下,「本件番祖」という。)にコメンテ一ターとしてテレビ出演し,「信 教の自由ということを大上段に振りかかったら,調査もだめですし,自ら点検することも僕はダメだと思います。先ずは点検してそれを公表求めるわけですから。ですから,一緒です。ですからその信教の自由の問題ではないということを先ず自民党の方々に理解して頂くのがこのスタートであって,これは数々の消費者被害を生んだ,カルト団体であって,思想の根底に反日的な思想を持っている,あの組織の問題だと,いうことで,誰もこの党,あのこの統―教会の教義そのものを点検しようなんて話はしてないんですよ。ですから,教義が内容云々で,それをその思想内容を調査しようとしているんではなく,この教団がやっている外形的な犯罪行為等をですねそういうことに着目しているわけです。反セクト法,あの反カルト法もまさにそういう意味,部分で,外形に着目して,信教のその内心の教義ということは問題にしないってこと,だからこそ許されてるわけです,フランスでも。ですから,そこの部分はやはりその,信教の自由に逃げてしまうということになると,ちょっと,あのー,それは違うんじやないかなっていう風に僕には見えてしますね」と発言した。
上記発言は,一般視聴者をして,原告が犯罪行為等を現に行っていると認識させるものであり,原告の社会的評価を低下させ,その名誉を著しく毀損するものである(以下「本件名誉毀損行為」という。)。なお,上記発言は事実に反する。原告が「犯罪行為等」を現に行い,又は過去にこれを行ったという事実はない。》
話し言葉を録音して反訳した文章ゆえの読みにくさはあるが、内容はごく常識的な発言である。「統一教会の教義や布教活動のあり方を問題にすれば、信教の自由に対する不当な弾圧となってしまう。それを避けるためには、飽くまで信教の自由に関わる問題とせずに、この教団がやっている外形的な犯罪行為等に着目すべきである。 そうすれば、教団に対する調査も点検も許される」との意味であろう。
この八代発言を違法な名誉毀損行為とする原告(統一教会)側の主張の建て方は、こうであろう。
(1) 「教団がやっている外形的な犯罪行為等」が存在するとは何ごとか。これこそ、原告法人(統一教会)の名誉を毀損する違法な発言である。
(2) もっとも、「教団がやっている外形的な犯罪行為等が存在する」という発言が真実であることを被告が立証した場合には、発言の違法性が阻却されて責任追及はできない。
(3) だから、この事件の争点は「教団がやっている外形的な犯罪行為等の存否に尽きる」ことになる。そして、「教団が犯罪行為等を現に行い,又は過去にこれを行ったという事実はない」のだから、被告八代の発言は違法であり、損害賠償の責任は免れない。
「統一教会が過去に犯罪を行ったことはない」は、微妙な問題である。が、統一教会としては、「統一教会自体として、あるいは統一教会の代表者として有罪判決を受けた例はない」という立場である。
しかし、判決は原告(統一教会)の思うような判断の仕方にはならなかった。原告主張の判断過程(1)の前に、「一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準」として、八代発言の意味を、字義のとおりではなく「実質的な意味」に理解したのだ。これは、いわゆる「ダイオキシン事件」における最高裁判決が定立した以下の解釈基準によるものである。
《テレビジョン放送された報道番組による事実摘示型の名誉毀損における社会的評価の低下の有無、およびそこで摘示された事実がどのようなものであるかについては、一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準として判断すべきである》(2003(平成15).10.16第一小法廷判決)
まだ、私はこの判決書を読んでいない。しかし、複数の報道を総合すると、本日の地裁判決はこう判断したようである。
《一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準とすれば、八代発言の「教団がやっている外形的な犯罪行為等」は、実質的に「数々の消費者被害を生み出していること」の意味と捉えるべきである。その上で、この発言の真否を考えれば、教団が信者に違法な献金や物品購入の勧誘をしたと認定した判決が複数あることから、発言の実質的な内容は「真実と認められる」。また、「(教団の)構成員の行為に起因して数々の消費者被害が生じたとする点は真実である以上は、これにもとづいた発言の全体が意見や論評として尊重されるべきであり、意見や論評の域を逸脱するとはいえない》
関連事件にとって、幸先のよい第一号判決となった。他事件も順次これに続いての判決となるが、よもや取りこぼしはないだろう。
(2023年6月13日)
こちらは「本郷・湯島9条の会」です。貴重な梅雨の合間、お昼休みのひとときですが、しばらく耳をお貸しください。
通常国会の最終盤です。会期末まで、あと1週間。今、国会は、もっぱら数の力が支配する異常な世界となっています。奇妙な法案が次から次へと一丁上がり。なんという政治でしょうか。なんという政治家たちでしょうか。そして、なんという与党と、なんという御用野党。
いま、この異常国会の主役は、《自・公・維・国》という4政党となっています。この4党が徒党を組んで悪法を製造しています。言わば、悪法製造4兄弟。長兄は自民党ですが、自民党だけでは力が足りない。単独採決だ、独走だと叩かれる。これまでは、この自民党と持ちつ持たれつでつるんできたのが次弟の公明党。この党、昔は「平和と福祉の党」と自称していたそうですが、まことに虚しい。そして、このところ自民の右側にしゃしゃり出てはしゃぎ始めた3弟が維新です。そして、あの、例の、とんでもない御用組合の「連合」に支えられた末弟の国民。
この4兄弟の一致協力による努力で、人権と民主主義と平和をないがしろにする悪法が制定され続けています。この4兄弟を呼ぶ順序は、確かに《自・公・維・国》なのですが、覚えやすくは、すこし順序を変えて《自・国・維・公》というべきなのです。で、「国」には濁りを付けて、《ジ・ゴク・イ・コウ》と読んでください。そう、《地獄さ行こう》《地獄へ行こうぜ》と覚えるべきなのです。このままでは、4兄弟に地獄に引っ張られてしまうのが私たち国民です。
いうまでもなく、ここでいう地獄とは戦争のこと。改憲を実現し、9条をなくして、日本を戦争ができる国にするのが、危険な「地獄の4兄弟」。
ご承知のとおり、いま、ウクライナは地獄です。プーチンのロシアを徹底して批判し、非難しなければなりません。そして肝に銘じなければならない。絶対に日本を、ロシアのような、大日本帝国のような、侵略国家にしてはならない、と。
同時に、私たちは学ばねばなりません。ウクライナになってもならない。侵略を受けたウクライナに思いを寄せ、難民支援や復興に援助しなければなりませんが、ウクライナにならないように知恵を働かせ、力を合わせなければなりません。
いま、4兄弟は口を揃えて、こう言います。
「日本をウクライナにしないためには、日本の軍事力を拡大しなければならない」「ウクライナにならないためには、大軍拡もそのための、国債発行も大増税もやむを得ない」「大軍拡こそ平和への道である」「軍需産業育成もしなきゃならん」
「平和を望むなら戦争を準備せよ」「平和のためには軍備拡張が必要だ」。これこそ、古来好戦的な為政者が、繰り返し称え続けてきたき禍々しき呪文です。これに欺されてはなりません。
近代日本は、まさしく「平和のために戦争を準備し、平和維持を名目に際限のない軍備の拡大を続けた」国でした。皇国の平和、東洋平和のために、ひたすら軍事大国化を目指し、戦争を繰り返したのです。で、どうなったか。「平和」は実現しなかった。侵略戦争を続けて、結局国は亡びたではありませんか。
「平和を望んでの戦争の準備」は、必然的に「安全保障のパラドックス」に陥ることになります。自国が軍備を拡張すれば、相手国も負けじと拡大します。相手国が軍備を拡大すれば、自国もそれに負けない軍備を持たなければ安心できない。お互いに相手を信頼していない以上は、お互いに相手を上回る軍備拡大の競争を継続するしかないことになります。それこそ、「自公維国」の4兄弟がいざなう、「地獄へ行こう」の道にほかなりません。
軍事予算を5年で43兆円とし、その後はGDP比2%にするなどは、狂気の沙汰と言わねばなりません。そのための「軍拡予算確保法案」であり、「軍需産業育成法案」なのです。危険な亡国法案というしかありません。
大軍拡には、大増税がセットです。そして、福祉や教育の予算を削らざるを得ません。「欲しがりません、勝つまでは」という世の中に後戻りさせてはなりません。もちろん、地獄へは行きたくない、この世を地獄にしたくもない。今なら、まだ間に合います。
「衆議院の解散近し」とささやかれる昨日今日です。「地獄へ行こう」という4兄弟に、すっぱりと決別されるようお願いして、「本郷・湯島9条の会」からの訴えとさせていただきます。お聞きくださり、ありがとうございます。
(2023年6月9日)
本日、現職の天皇(徳仁)の結婚30年だとか。各紙の朝刊に宮内庁提供の最近の家族写真が掲載されている。「結婚30年」、当事者や身内には感慨あっても、とりたてての慶事ではない。もちろん、まったく騒ぐほどのことでもない。
通常、結婚は私事だが、生殖を任務とする世襲君主の場合は特別である。結婚と出産が最大の公務となる。とりわけ、男系男子の血統の存続を至上目的とする天皇後継者の結婚は、男子出産のための公務と位置づけられる。愚かなことではあるが、男子出産を強制される立場の当事者にとっては、さぞかし辛いプレッシャーなのだろう。
周知のとおり、このプレッシャーによって、皇太子(徳仁)の妻は「適応障害」となったと発表されて療養生活を余儀なくされた。周囲からの冷たい目に心折れた、ということだろう。夫は健気にも、妻のことを「僕が一生全力でお守りします」と宣言し続けてきた。何から守ると明言してはいないが、この夫婦も「天皇制なるもの」を相手に闘ってきたごとくである。まことに気の毒な境遇と言えなくもない。
本日朝刊の宮内庁提供の天皇夫婦とその子の家族写真を見て思う。実に質素で飾り気がない。あの儀式の際の、滑稽極まるキンキラキンの洋装和装とはまったく趣が異なる。威厳や、神秘性や、気品や、華美や、伝統やらの虚仮威しがない。この家族写真の天皇は、雲の上の人でも、大内山の帳の向こうの人でもない。徹底して、「中産階級の核家族」「マイホーム・ファミリー」を演出しているのだ。
この事態、右翼諸氏には苦々しいことではなかろうか。本来は神秘的な宗教的権威があってこその天皇である。国民に、「天皇のためになら死ねる」「天皇の命令とあれば死なねばならない」との信仰が必要なのだ。それゆえに、かつて国民の目に触れる天皇の肖像は、本人とは似ても似つかぬ威厳に満ちた御真影であった。「真の影(姿・形)」とは名ばかり。実はフェイクの肖像画を写真にしたもの。天皇制のまがい物ぶりを象徴する貴重な証拠物と言わざるを得ない。
ところで本日、性的少数者に対する理解を広めるための「LGBT理解増進法案」が衆院内閣委員会で審議入りし即日採決された。まことに、不十分な実効性を欠く法案であるにもかかわらず、これほどに右翼の抵抗が強く、これほどに後退した内容となったのは、天皇制の存続への影響に危機感あってのことである。
天皇制とは、天皇信仰であるとともに、「イエ制度」を所与の前提とし、「家父長制」に国家をなぞらえて拵え上げられたイデオロギーである。妻は夫に仕え、子は親に孝を尽くすべきという「イエにおける家父長制」の構図を国家規模に押し広げて成立した。
だから、右翼は「イエ」「家父長制」の存続に極端にこだわることになる。統一教会も同様であり、安倍晋三もしかりである。ジェンダー平等も、フェミニズムも、夫婦別姓も、同性愛も、同性婚の制度化も、ましてや性自認の認容などはあり得ない。その一つひとつが、天皇制存続の危機につながることになるからだ。国民の自由や多様性と天皇制はは、根本において矛盾し相容れない。今、そのことをあらためて認識しなければならない。
このことを説明して得心を得ることは、そう容易なことではない。しかし、極右自らが語るところを聞けば、自ずから納得できるのではないか。その役割を買って出た人物がいる。有本香という、よく知られた極右の発言者。オブラートに包むことなく、率直にものを言うのでありがたい。
ZAKZAKという「夕刊フジ」の公式サイトがある。フジサンケイグループの一角にあるにふさわしく、臆面もない右翼記事が満載。昨日(6月8日)午後のこと、そのZAKZAKに有本香の一文が掲載された。長い々い表題で、「LGBT法案成立は日本史上『最大級の暴挙』 岸田首相は安倍元首相の『憂慮』を理解しているのか 『朝敵』の運命いかなるものだったか」というもの。右翼がジェンダー平等やLGBTを敵視する理由が天皇制にあることを露骨に述べている。これ、「語るに落ちる」というべきか、「積極的自白」と称すべきか。
全部の引用は無意味なので、抜粋する。要点は、以下のとおり。
LGBT容認は、万世一系の皇統を危うくする。皇統を危うくする者は「朝敵」である。これを喝破していたのが安倍晋三。安倍の恩顧を忘れてLGBT容認の法案成立に加担する自民党議員も「朝敵」である。もはや、自民党ではない保守の「受け皿」をつくるべきだ。
***********************************************************
安倍晋三元首相の亡い今、岸田文雄首相(総裁)率いる自民党は、おそらく日本史上でも「最大級の暴挙」をしでかそうとしている。LGBT法案を強引に通そうとしているのだ。
LGBT法案について、安倍氏は法案の重大な問題点を指摘していた。「肉体は女性だが、性自認が男性の『トランス男性』を男性と扱うことになれば、皇位継承者を『皇統に属する男系男子』とする皇位継承の原理が崩れる」。神武天皇以来、万世一系で約2000年(ママ)続く、日本の皇統。これを崩壊させんとする者は「朝敵」である。
皇統の重要性は、皇統が崩壊すれば、日本が終わると言って過言でない。その暴挙を為そうとしている自覚が、岸田首相と政権の人々、自民党幹部にあるのか。同法案推進に努めた古屋圭司氏、稲田朋美氏、新藤義孝氏ら、?安倍恩顧?であるはずの面々は、安倍氏の懸念を何一つ解消させないまま、進んで「朝敵」となる覚悟をしているのだろうか。
古来、朝敵の運命がいかなるものだったかは、あえてここに書かない。万世一系を軽んじ、自分たちが何に支えられてきたかも忘れてしまった自民党の奢(おご)りを、私たちは看過すべきではなかろう。
多少の政局混乱はあるだろうが、それをおそれず、自民党以外の保守の「受け皿」を国民有権者自らがつくるべきだ。
***********************************************************
極右の目から見ると、自民党も「朝敵」なのだ。恐るべきアナクロニズム。こう言う連中が、かつては安倍晋三を押し上げ、また、安倍晋三の庇護の元にあった。
あらためて、天皇(徳仁)の家族写真に問うてみる。
「LGBT容認は、万世一系の皇統を危うくする。皇統を危うくする者は『朝敵』なんだそうですよ。徳仁さん、もしかして、あなたも『朝敵』ではないのかな」
(2023年5月31日)
NHKの報道姿勢に関心を持つ市民の皆様
そして報道各社の皆様へ
NHK情報公開制度を活用しての《NHK文書開示請求訴訟》が大詰めです。来週に迫った次回法廷では、森下俊三経営委員長を尋問します。
ひとも、傍聴と報道をお願いいたします。
時 6月7日(水) 13時10分?
(12時30頃に傍聴券配布。12時50分締め切りの予定)
所 東京地裁103号(大法廷)
当日の人証は以下の3名です。
証人 中原常雄(経営委員会事務局長・原告側尋問時間30分)
被告 森下俊三(経営委員会委員長・原告側尋問時間60分)
原告 長井 暁(元NHKチーフプロデューサー・尋問時間20分)
なお、閉廷後に報告集会を行います。こちらにもぜひご参加ください。
時間 17時30分?
場所 東京弁護士会502号(A・B・C)
この訴訟の原告は、NHKを行政のくびきから解放して、独立したジャーナリズムに育てようという、壮大な志を持つ市民運動に携わってきた114名。被告はNHKと、現職の経営委員会委員長・森下俊三氏。
NHK運営の透明性を確保し、視聴者への説明責任を全うさせようという情報公開請求ですが、情報公開を妨害してきた被告森下の責任を問う訴訟となっています。
***********************************************************
《NHK文書開示請求訴訟》概要の解説
原告の主たる請求は、「第1316回経営委員会(2018年10月23日開催)議事録」の全面開示です。併せて、議事録の正確性を担保するための録音テープの開示も求めています。形式的にはその義務は被告NHKにありますが、実質的にその義務を妨げているのは被告森下の責任であると原告側は考えています。
「第1316回経営委員会」では、経営委員会が当時のNHK会長上田良一氏に、口頭での厳重注意を言い渡しています。表面上は「ガバナンスの不徹底」「視聴者目線に立っていない」という名目ですが、経営委員会は明らかに外部勢力と一体となって、NHKの番組制作現場に圧力を掛けたのです。だから、放送法が命じている、議事録の作成も、その公表もなかったのです。
この訴訟の第1回口頭弁論期日(21年9月)を報告する原告団ニュースは20頁に及ぶものですが、その冒頭の大見出しが、「番組妨害・議事録隠し・放送法違反の森下俊三氏が経営委員長の職に留まることを許さない」というものです。このよくできたスローガンが原告・弁護団の合い言葉です。
問題の発端は、NHKの看板番組「クローズアップ現代+」が「日本郵政のかんぽ生命不正販売」を取りあげたこと。2018年4月のことです。
この番組が、日本郵政の不興を買って、制作現場のみならずNHK執行部も、当時日本郵政グループの上級副社長であった鈴木康雄氏(元総務次官)を先頭とする攻撃にさらされました。このとき、防波堤となるべき経営委員会は、あろうことか、日本郵政側に立って番組制作現場とNHK会長を攻撃したのです。なんと、経営委員会は、当時の会長を厳重注意としました。
さすがに恥ずかしくて公表できなかった経営委員会議事録の完全開示を求めて原告らは本件提訴に及んだのです。そうしたら、「議事録のようなもの」が提出されました。しかし、明らかに正規の議事録としての手続を踏んだものではなく、その記載の真偽を確認の術もありません。起こしの元となった録音テープの提出を求めたところ、都合よく「既に廃棄した」というのです。誰が、いつ、なぜ、どのように、廃棄したとは言わずに、ともかく廃棄した、存在しないのだといいます。到底信じがたく、このことが、法廷で尋問の対象となります。
(2023年5月11日)
5月16日(火)、午後2時から「旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件」の第1回口頭弁論期日が開かれます。東京地方裁判所103号法廷は、大型の法廷で傍聴席数はほぼ100席。傍聴券配布(午後1時20分から1時40分まで)事件となっていますが、コロナ規制もなく、多くの方に傍聴いただけるはずです。
閉廷後に報告集会を準備しています。是非、法廷傍聴と報告集会にご参加下さい。報告集会では、島薗進さん(宗教学・東大名誉教授)の記念講演があります。共に闘う立場から、望月衣塑子さん、佐高信さん、鈴木エイトさんの発言も予定されています。また、関連他事件の当事者や弁護団にもご参加を呼び掛け、共に闘う第一歩にしたいと願っています。
「旧統一教会訴訟・有田事件」第1回口頭弁論期日
時 5月16日(火)14:00〜
所 東京地裁103号法廷(13時20分?40分傍聴券配布)
進行 訴状・答弁書・準備書面各陳述 書証の提出
有田芳生さん、光前幸一弁護団長、各意見陳述。
「有田事件」第1回口頭弁論期日後報告集会
時 5月16日(火)15:00〜17:00
所 日比谷公園内・日比谷図書文化館(地下ホール)
記念講演 島薗進さん(パワポを使っての解説)
統一教会問題の特異性
?.統一教会の政界工作と米国での暴露
?.「カルト」問題に対する世界の対応
?.統一教会と政教関係の特異性―80年代まで
「共に闘う」立場からの発言
望月衣塑子さん・佐高信さん・鈴木エイトさん
有田訴訟並びに関連各訴訟当事者・弁護団からの挨拶
統一教会関係者以外、どなたでもご参加ください。
但し、統一教会関係者の集会への立入りは厳にお断りいたします。