(2023年5月10日)
「法民」今号(578号)の特集は、私が担当した。考えさせられる論稿ばかりで、得るものが多かった。ぜひ、多くの方にお読みいただきたい。
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(目次と記事)
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆日本におけるLGBTQと法政策の現状と課題 … 谷口洋幸
◆性的マイノリティの権利:出発点 ─ 国際人権法における議論状況 … 前田 朗
◆「性自認」問題の論争点と論争のあり方 … 齊藤笑美子
◆LGBTQ、SOGI(性的指向・性自認)に関わる差別に対し健康を守るために … 藤井ひろみ
◆LGBTQ+の権利保障をめぐる政治と法 ─ 台湾の経験に学ぶ … 鈴木 賢
◆同性婚法制化を求める取組み
─ 「結婚の自由をすべての人に」訴訟と公益社団法人の取組み … 三輪晃義
◆経済産業省事件 ─ トランスジェンダー女性の職場での処遇差別 … 立石結夏
◆日本の不名誉と怠慢 ─ LGBTQ+をめぐる政治的諸問題の諸相 … 北丸雄二
◆司法をめぐる動き〈83〉
・金沢市庁舎前使用不許可違憲訴訟 … 北尾美帆
・3月の動き … 司法制度委員会
◆連続企画●憲法9条実現のために(45)
・安保法制違憲訴訟をたたかう … 内山新吾
・山梨でのたたかい … 加藤啓二
◆追悼●日本一の労働弁護士?宮里邦雄先生の思い出? … 棗一郎
◆メディアウオッチ2023●《メディアの役割・国会の役割》
予算編成後に始まる財源論議 軍拡・戦後大転換に 憲法・歴史観欠くメディアの姿勢 … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№20〉
「心の共鳴板」が響く限り … 小野寺利孝先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№49〉
自衛隊明記の憲法改正を主張する自民党・公明党・日本維新の会 … 飯島滋明
◆連続企画・学術会議問題を考える(10)
日本学術会議法「改正」法案、今国会提出見送りへ!!
◆時評●日本学術会議は独立性を失うのか … 戒能通厚
◆ひろば●6団体連絡会に参加して … 宮坂 浩
「性的指向におけるマイノリティーの人権」(特集リード)
本号の特集は、比較的に新しい分野の人権とされる課題を取りあげる。
「ジェンダー」や「ジェンダーギャップ」という概念は、社会に定着していると言ってよい。「ジェンダーギャップ」の克服は、既に人権を語る者の共通の課題となっている。
しかし、「ジェンダー・アイデンティティ」というキーワードが社会に定着しているとは言いがたい。「LGBT」(あるいは「LGBTQ+」)や「SOGI」などの用語について共通の理解が既に確立しているとは思えない。多様な「ジェンダー・アイデンティティ」を人権として把握する社会意識はいまだに希薄である。
新しい人権を語るときには、人権論の基本に立ち返らねばならない。人権とは何であるのかという根源的な問いかけが必要となる。人権とは、個人の尊厳にほかならない。いかなる性的指向も尊厳をもって遇されなければならない。個人の尊厳を損なうものは、様々な態様の差別である。性的指向におけるマイノリティが、どのような制度や社会意識において差別されているか、その差別の実態を直視し、差別された当事者の痛みを理解し、その差別を克服の対象として自覚しなければならない。
これまで、差別といえば、民族や人種や国籍や性差や特定の出自・居住地・職業、あるいは身体障害や病気などの属性によるものであった。それぞれに長い反差別の運動があり、差別克服の理論の蓄積もある。しかし、性的指向のマイノリティーに対する差別については、問題が新しいだけに人権擁護を標榜する人々の中にも、理解の不十分を否めない。
本特集は、「性的マイノリティー」といわれる人々に対する差別の実態を踏まえて、その性的な指向を人権と把握する立場から、法論理や、訴訟、立法のありかたについての現状と議論の内容を報告し、人権擁護の立場に立つ者にとってのスタンダードを提供するものである。
さらに、少数者の性的指向について人権としての把握を阻んでいたものは、家父長的な家族制度やそれを支えてきた社会意識ではなかったのか。ジェンダーギャップ克服の課題と、ジェンダーアイデンティテイの多様性の承認とは、実は同根のものではないのかという問題意識を各論稿から読みとることができる。この点では、国際人権の議論で一般化しているという「交差性」(複合的な差別)の概念が示唆に富む。
本特集は8本の論稿から成る。いずれも時宜にかなった、読み応えのある内容となっている。以下にその概要を紹介しておきたい。
巻頭の谷口洋幸論文は、問題の全体像を明晰に解説し、「LGBTQ関連の法政策における注目される論題」として、「同性同士のパートナー関係」「性別記載の変更」「SOGI差別禁止法制」の三つの論題に着目し、現状と課題を概観している。問題状況とあるべき理念を把握するのに適切この上ない好論文となっている。
前田朗論文は、国連人権理事会の担当専門家が二〇二一年に発表した「包摂の法」の解説を通して、国際人権論におけるジェンダー・アイデンティティに関する議論を紹介している。いわゆる先進国が到達した法制度や、国際的な世論や政治的な対応の趨勢を理解することができる。
「LGBTQ」の中で、最大の論争テーマは、「T」(トランス・ジェンダー)における性自認問題である。人権を語る者同士でも、時に激論の対象となる。ここに焦点を絞って「論争のあり方」を論じた貴重な論稿が、齋藤笑美子論文である。これで論争に終止符を打つことにはならなかろうが、その視点はどちらの立場にも示唆に富むものである。なお、問題の本質を「強制異性愛や家父長制との闘いとして理解すべき」とする論者の指摘に真摯に耳を傾けたいと思う。
藤井ひろみ論文は、医学的見地からの性的マイノリティ論である。かつて医学界は、LGBTを異常性愛であり精神疾患であるとして、治療の対象にした。精神疾患視から、人権としての把握への転換が興味深い。なお、この論文の冒頭部分にキーワードとなる各用語の解説がある。ぜひ、これを参照されたい。
鈴木賢論文は、アジアの先進国・台湾における、法制化成功例の報告である。同論文は、法形成のための公式ルートとして、「立法(国会)」「司法(憲法裁判所)」「直接民主主義(国民投票)」があり、これをフル稼働させたことが台湾の成功につながったという。そして、国民的な合意形成に支障になったのは宗教勢力であったということも、参考にすべきであろう。
わが国における同性婚法制化を求める訴訟と運動についての報告が三輪晃義論文である。まず、「結婚の自由をすべての人に」訴訟の意義と狙い、そしてその到達点を確認している。そして、裁判以外での取り組みが、実に楽しそうに生き生きと報告されている。運動論として、興味深い。
そして、立石結夏論文が、トランス・ジェンダー女性の「経済産業省事件」についての一・二審の報告である。原告となった当事者は、性自認女性であるが、性別適合手術を受けることができない。最も厳しい立場の「性同一性障害」者である。職場での「女性としての処遇」を求めての訴えは、一審では国家賠償法上の違法として認められたが、控訴審では否定された。上告審判決はまだ出ていない。当事者の苦悩がよく分かる論文となっている。
最後の北丸雄二論文は、ジャーナリストから見た背景事情についての報告である。現政権の首相秘書官による差別的発言が世論の糾弾を受けるという事件が生じて、この問題は法的・社会的問題としてだけでなく政治問題化した現状にある。自民党右派は性的少数者に対する偏見に、宗教カルトあるいは宗教右翼からの掣肘もあって問題を解決できない。しかし、世界と仕事を行うグローバル企業にとっては、この日本の後れは、経済と雇用に影響する大きな問題と意識されているという。
すべての人権課題がそうであるように、当事者の苦悩、とりわけ差別に対する苦悩について、社会が理解し共感することが出発点である。この理解と共感が広がり、個人の尊厳に関わる人権問題との把握につなげることで道は開けるのであろう。その道は、まだ狭く険しいが、着実に開かれつつある。
(編集委員 澤藤統一郎)
(2023年5月9日)
本日は5月9日、第2次大戦の主戦場だったヨーロッパの戦争が終わった日です。ドイツの連合国への降伏文書調印時刻は、ベルリン時間で1945年5月9日午前0時15分であったとされています。この歴史的な戦勝記念日を5月8日とする国も、5月9日とする国もありますが、いずれにせよ本日以後ヨーロッパの戦禍は止みました。
5月9日以後も、連合国と絶望的な戦いを続けたのは日本でした。4月末までに、ムソリーニはパルチザンに処刑され、ヒトラーは自殺しました。残るヒロヒトだけが生き延びていて、「もう一度戦果を上げてからの有利な和睦」に固執して、日本各地の空襲や沖縄地上戦の悲劇を招いただけでなく、ヒロシマ・ナガサキの惨劇にまで至って、無条件降伏を余儀なくされました。
こうして、天皇の国・大日本帝国は、3か月後の8月に亡びました。自ら始めた戦争によって、近隣諸国にこの上ない惨禍をもたらしてのことです。新しい日本の再生は、再びの戦争を繰り返さない、平和国家の建設以外にはあり得ませんでした。
もっとも、戦争への反省の仕方は、二通りありました。一つは、軍事力が足りなかったという反省の仕方です。もっと強い軍隊をもち、もっと強力な武器を備え、もっと国防思想を高め、国力をもっともっと軍事に傾注していれば、世界を敵にまわしても戦いに負けることなかった。今回は負けたが、今に、どの国にも負けない軍事大国に日本を育てなければならない、という反省です。
これは、戦争の準備こそが自国の安全を保障するという考え方です。他国は全て敵、隙あらば侵略を狙っているのだから軍事的な威嚇をもって敵に対処しなければならない。自国の軍事力を強大化し戦争の態勢を整えることこそが、敵国に対して侵略の意図を思いとどまらせる抑止力となる。この軍事的な抑止力こそが自国の安全を保障するもの、という考え方。
これに対峙して、平和を獲得するためには平和に徹しなければならない、という考え方があります。近隣諸国も自国民と同様に平和を願う人々と信頼して、すべてのトラブルは外交で解決することにより平和を実現しようという考えです。自国の安全のために戦争を準備するというやり方は、明治維新以来の大日本帝国の基本路線であり、その失敗に学んだはずではないか、という批判に立ってのものです。
相手国に対する不信は、自国に対する不信となって返ってくる。敵視は敵視を生み、仮想敵国に対する軍備の増強は際限のない軍拡競争に陥るばかり。新生日本は平和憲法を制定し、軍隊を持たない国、軍事力に頼らない国としての大方針を確定しました。文字通り、戦争のない世界を目指して、人類の理想を自ら実践する道を選んだのです。
残念ながら、平和に徹する道の実践は長続きしませんでした。しかし、不徹底ながらも、憲法9条は生き続け、その生命力を保ち続けて今日に至っています。
これを「平和を望むなら戦争の準備を」という思想に転換しようというのが、戦後一貫した保守政権の立場です。安倍政権で質的転換が起こり、岸田政権がこれを完成しようとたくらんでいます。憲法の危機、平和の危機と、心を痛めざるを得ません。
昨年の12月16日、「安全保障3文書」が閣議決定となりました。その基本思想は、軍事大国化の推進によって我が国の安全を守ろうというものです。幾つかのキーワードがありますが、まずは「大軍拡・大増税」。皆さん、容認できますか。
そして、「敵基地攻撃能力保有」です。明らかに専守防衛ではなく、他国を攻撃することもあるぞ、という宣言です。しかも、集団的自衛権行使と組み合わせて、日本ではなく同盟国の軍隊が攻撃を受けた際にも、敵基地攻撃ができるし、そのような能力を持とうと言うのです。
さらにもう一つのキーワードが、「武器輸出」です。防衛産業を育成し、武器輸出を認める方向に踏み出すことを明確にしています。ご覧ください、本日のプラスターは、武器輸出を認めてはならない、というものです。
★武器輸出 憲法9条目のかたき
★緊張を高めてもうける武器輸出
★武器輸出 9条の国崩壊す
★武器輸出 あらたな戦前目の前に
★武器輸出 死の商人がほくそ笑む
★戦争へ 軍拡増税 武器輸出
★9条の陰でたくらむ武器輸出
★馬鹿げてる! 武器輸出、もうけた金で武器購入。
かつて、「武器輸出3原則」というものがありました。三木内閣以来、その運用として、事実上武器の輸出はしないことを取り決めてきました。ところが、第2次安倍政権の2014年、「装備移転3原則」と名前を変えて、武器輸出の道を開きました。
そして、岸田政権は「防衛産業強化法案」を提出して、防衛産業を育成し、さらに武器輸出の道を広げようとしています。これが、本日衆議院を通過しようという情勢と報じられています。同盟国を強化することによって、集団的に抑止力を高めようという発想によるものです。
皆さん、武器とは人を殺傷する道具ではありませんか。大量の殺人や傷害、建造物の破壊以外に、役に立つものではありません。そんなものを製造する産業を育成しようという方針が、明らかにまちがっています。武器輸出となれば、なおさら非人道と指摘せざるを得ません。
私たちは、平和のためには戦争の準備をせよという、デマに踊らされてはなりません。今こそ平和憲法を擁護して、国際平和に貢献しなければならないと思います。それこそが、戦争の惨禍を経て生き残った私たちの、人類の理想に対する責務だと思うのです。
(2023年5月7日)
5月16日(火)の《旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件》「第1回口頭弁論期日」(東京地裁)と、「報告集会」(日比谷図書文化館)のお知らせです。
統一教会関係者以外、どなたでもご参加いただけます。ぜひ、お越しください。
下記は、有田芳生さんが「共に闘う会」のホームページにアップした《闘争宣言》の一節です。
▼教団が韓国で生まれて68年目。統一教会=家庭連合は組織内外に多くの被害者を生んできました。まさに反社会的集団です。私は元信者はもちろん現役信者とも交流してきて思ったものです。日本史に埋め込まれた朝鮮半島への贖罪意識を巧みに利用して真面目な信者を違法行為に駆り立ててきた統一教会の犯罪的行為の数々は絶対に許すわけにはいきません。
▼安倍晋三元総理銃撃事件事件をきっかけに、自民党との癒着など「戦後史の闇」の蓋が開きはじめました。私は信頼する弁護団と社会課題についてはたとえ立場が異なれども教団に立ち向かう一点で集ってくれた「有田さんと闘う会」の高い志を抱きしめて、みなさんとともに、統一教会と徹底的に本気で闘っていきます。
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旧統一教会は、自身への批判の言論を嫌って、紀藤正樹弁護士、本村健太郎弁護士、八代英輝弁護士らの発言に対するスラップ訴訟を濫発しています。ジャーナリストの有田芳生さんも、日本テレビと共に理不尽な提訴を受けた一人です。
私たちは、表現の自由保障の立場から、5件の統一教会スラップ訴訟のすべてで、力を合わせて早期に勝利しなければならないと考えています。
5月16日(火)、下記のとおり「旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件」の第1回口頭弁論期日が開かれます。東京地方裁判所103号は、大型法廷で傍聴席数はほぼ100席。傍聴券配布事件とはなっていますが、コロナ規制もなく、多くの方に傍聴いただけるはずです。
閉廷後に報告集会を企画しています。是非、傍聴と集会にご参加下さい。報告集会では、島薗進さんの記念講演があります。共に闘う立場から、望月衣塑子さん、佐高信さん、鈴木エイトさんの発言も予定されています。また、関連他事件の当事者や弁護団にもご参加を呼び掛け、共に闘う第一歩にしたいと願っています。
「旧統一教会訴訟・有田事件」第1回口頭弁論期日
時 5月16日(火)14:00〜
所 東京地裁103号法廷(13時30分ころ、傍聴券発付が予想されます)
進行 訴状・答弁書・準備書面陳述
有田芳生さん、光前幸一弁護団長、各意見陳述。
「有田事件」第1回口頭弁論期日後報告集会
時 5月16日(火)15:00〜17:00
所 日比谷公園内・日比谷図書文化館(地下ホール)
記念講演 島薗進氏
「共に闘う」立場からの発言
望月衣塑子・佐高信・鈴木エイトの各氏
有田訴訟並びに関連各訴訟当事者・弁護団からの挨拶
なお、統一教会関係者の立入りは厳にお断りいたします。
(2023年5月6日)
本日,新英国王の戴冠式だという。いい大人が、何という滑稽でバカバカしい儀式。奇を衒った装飾やら衣装やら勲章やら、パレードやら。恥ずかしくないか。いまどき、もったいぶってこんなことをやっている連中の正気を疑わねばならない。
その戴冠式はウェストミンスター寺院で行われ、英国国教会の最高位聖職者であるカンタベリー大主教から王冠を授けられるという。王権の神授を、被治者の目に見せようという魂胆である。
これを「目くじら立てるほどのことでもなかろう」という世の良識に,敢えて異を称えよう。王位も王冠も、くだらぬ無意味なものではない。この上なく有害なものなのだから。もちろん英国の王位ばかりではない、我が国の天皇制についても同じことだ。民主主義を語るほどの者は、すべからく不敬に徹しなくてはならない。天皇に対する批判の言論に,いささかの萎縮や躊躇もあってはならない。
40年ほども昔、岩手靖国違憲訴訟に取り組んでいたころ。「不敬言動監視委員会」とか、「不敬摘発取締本部」などと名乗るグループから、何通かの警告文を頂戴したことがある。私の以下のような発言が「天皇陛下に対する不敬」に当たるということだった。
「天皇は、国民主権・民主主義の敵対物である。しかし、特殊な歴史的事情から民主主義を根幹とする『日本国憲法』の不徹底部分に生き残った。憲法に明記されている以上は、将来の憲法改正が実現するまで、天皇の存在を違憲とは言えない。しかしそれは、人権と民主主義に人畜無害な形としてあるものと運用し,解釈しなければならない」
「天皇という危険物を、その有害性の発動に歯止めを掛け、人権や国民主権・民主主義に人畜無害な存在にとどめるための憲法上の安全装置が、政教分離にほかならない」
「かつて天皇は神聖な神として臣民に君臨し、国民精神を支配した。日本国憲法は、天皇の主権と軍事大権を剥奪しただけでは足りず、精神的権威の根源たる国家神道(天皇教)を厳格に禁じた。これが日本の政教分離である。再び天皇を神としてはならないとする保証の制度である」
右翼グループから不敬と指摘されて、私はあらためて不敬の大切さを認識した。そうだ、象徴天皇の危険を見くびってはならない。不敬に徹しなければならない。
宮武外骨というジャーナリストがいた。晩年の彼は、その自叙伝の表題を『予は危険人物なり』とした。そのような覚悟で、天皇制権力としたたかに対峙しながら、生きてきた人である。不敬罪での逮捕の経験もあり、投獄は3年8か月に及んだという。また、その著書の中で、敢えて「予の先祖は備中の穢多であるそうな」とも書いている。尊敬に値する人物。
天皇とは旧社会の諸悪の残滓にほかならない。何よりも家父長制温存の悪しき象徴である。世襲制度や血に対する信仰の愚かさとその害悪は、今さら言うまでもない。世襲が何代も続いたことを何か素晴らしいことのようにもてはやす価値観は愚かの極みと言わざるを得ない。また、天皇は、出自での差別を容認する社会の象徴でもある。人は、生まれで貴賤を判別されてはならない。そのことを徹底する最も確実な方法は、天皇制を廃絶することである。天皇をなくして、民主主義社会は何の痛痒も受けない。天皇がないと社会の安定が壊れるという論説は、我が国の民主主義の未成熟を嘆いて見せているだけのことである。
英国の戴冠式、他人事として眺めていないで、まずは不敬の覚悟を固めよう。
(2023年4月13日)
ご存じのとおり、旧統一教会は、自分への批判の言論を嫌って、紀藤正樹弁護士、本村健太郎弁護士、八代英輝弁護士らの発言に対するスラップ訴訟を提起しています。ジャーナリストの有田芳生さんも、日本テレビと共に理不尽な提訴を受けた一人です。私たちは、有田さんの事件について闘う仲間であり弁護団ですが、表現の自由保障の立場から、5件の統一教会スラップ訴訟のすべてで、力を合わせて早期に勝利しなければならないと考えています。
5月16日、下記のとおり「旧統一教会スラップ訴訟・有田事件」の第1回口頭弁論期日が開かれます。そして、閉廷後に報告集会を企画しています。是非、傍聴と集会にご参加下さい。報告集会は、関連する他事件の当事者ご本人や弁護団にご参加を呼び掛け、共に闘う第一歩にする所存です。
「旧統一教会訴訟・有田事件」第1回口頭弁論期日日程
時 5月16日(火)14:00〜
所 東京地裁103号法廷(傍聴券発付が予想されます)
進行 訴状・答弁書・準備書面陳述
有田芳生さん、光前幸一さん(弁護団長)、意見陳述
「有田事件」第1回口頭弁論期日後報告集会
時 5月16日(火)15:00〜17:00
所 日比谷公園内・日比谷図書文化館(地下ホール) 200人収容
内容 記念講演 島薗進氏
「共に闘う」立場からの発言 望月衣塑子氏・佐高信氏
有田訴訟並びに関連各訴訟当事者・弁護団からの挨拶と報告
なお、統一教会関係者の立入りは厳にお断りいたします。
有田芳生さんと共に旧統一教会のスラップ訴訟を闘う会
「旧統一教会スラップ訴訟・有田事件」弁護団
(2023年4月10日)
牧原秀樹という自民党の衆議院議員がいる。埼玉5区の選出で、埼玉弁護士会所属の弁護士でもあるという。その人物の4月8日付ツィッターが、腹に据えかねる。弁護士としてあるまじきというレベルではない。政治家としても、市民としても許せない発言。国籍や民族の如何を問わず、人の命は等しく重いという公理を知ろうとしないこの人物に、一言なりとも物申さねば、腹が膨れて如何ともしがたい。
まずこのツィッターの全文を紹介しておこう。
「そもそも弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべきです。それを入管法改正反対という『政治的意図』を持っている皆様、しかもある一定の政治信条を共有している方々が政治利用しようとしてないのか。懲戒請求対象になってもおかしくないと思います。」
これだけでは何を言っているのか、何を言いたいのかよく分からない。そもそもこの文章には、読み手に正確に文意を伝えようという意思も能力も窺えない。その結果、牧原ツィッターの骨格に言葉を補えば、以下のとおりの「良心に目覚めた牧原秀樹弁護士の自己反省宣言」と読むことも可能である。
「そもそも弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべきであって、それ以外のことに力を殺ぐことは許されない。弁護士として登録をしながら、受託案件での任務遂行と言えない政治活動など一切すべきではないのだ。しかも、改憲を結党以来の党是とする自民党の議員としての活動となれば、憲法擁護・憲法遵守に反対という極め付きの『政治的意図』を持っての反憲法的・反体制的な政治活動とならざるを得ない。しかも明らかに特定の反憲法的政治信条を共有している方々への弁護士としての専門的知見の提供は、明らかな政治利用というべきではないだろうか。弁護士が、弁護士のまま自民党議員として政治活動をすることは、弁護士としてあるまじき政治活動を行うこととして、私・牧原秀樹は、弁護士として懲戒請求されてもおかしくないと思う」
しかし、牧原の真意はそうではない。自己批判ではなく、他を攻撃するものなのだ。このツィッターは、下記の「入管死遺族弁護団(員)」の投稿に対する批判としてアップされたもの。いま、大きな話題となっている、ウィシュマさんの闘病動画の公開に関する一文である。
「動画を見れば、故人の強い気持ちは、点滴してほしい、病院連れて行ってほしいというものだったことが明らか。その気持ちはスルーしてるんですね。」
この弁護団発言は、ウィシュマさんの生を求める切実な要望を無視し医療の提供を怠って死に至らしめた、非人道的な入管行政への批判である。生々しい動画の描写は見る人の心を打つ。多少とも人権感覚を有している人、人間としての心を持っている人なら、共感せざるを得ない。その発言とセットで読むと、この政治家の舌足らずの稚拙な文章の底意が見えてくる。
牧原は、入管行政擁護の立場から、遺族弁護団批判を買って出た。牧原ツィッターには、ウイシュマさんの死を悼み怒る遺族弁護団への嫌悪の感情と、弁護団の発言を封殺しようという恫喝の意思だけが明瞭である。
牧原ツィッターの真意は、次のようなものである。
「そもそも弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべきです。だから、ウイシュマさん遺族の弁護団は、国賠訴訟という法廷活動だけに専念しておればよいのです。それをはみ出して『入管法改正反対』という政治的な活動に立ち入るのは弁護士としてあるまじきことで、厳に慎むべきことなのです。ウィシュマさんの死に至る動画の公開は、明らかに法廷活動の域を超えて、入管法改正反対という『政治的意図』を持っている皆様、ある一定の政治信条を共有しているグループが政治利用しようとしているものでしょう。この遺族弁護団の政治活動は、懲戒請求対象になってもおかしくないと思います。」
この牧原発言の「論旨」の誤りを次のとおりに整理しておきたい。
☆弁護士の基本使命は「基本的人権の擁護」にある。法廷活動における依頼者の人権擁護にとどまらず、法廷活動で明らかになった人権問題解決のために法廷外でも活動することは、弁護士のあり方として賞讃されるべきことであって非難さるべきことではない。これを「弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべき」と的外れの批判の言論は弁護士の使命を知らない妄言である。
☆弁護士が誠実に依頼者の人権擁護に徹しようとするとき、その人権を擁護する方途として、法廷外の世論に訴えて政治化し、あるいは社会化することは、時に必須な弁護士の業務となる。これを政治活動として非難することは、ためにする謬論である。
☆人権擁護活動と政治活動とは密接不可分である。人権が権力によって抑制されている現状では、人権擁護活動は、行政や立法への働きかけを抜きにすることができない。弁護士の政治活動は控えるべきとする自民党筋の言論は、弁護士の人権活動を抑制しようという邪論である。
☆弁護士は主権者の一員として政治活動をすることができる。牧原が、自民党議員として活動することも自由である。にもかかわらず牧原は、他の弁護士の活動に、「政治活動」のレッテルを貼ることで、これを規制できると思い込んでいるフシがある。どんな場合にも、「政治活動」のレッテル貼りは、効果のないことを知らねばならない。
以上の牧原ツィッターの稚拙な文章の最大の問題点は、ウイシュマさん遺族弁護団の行動と発言を嫌悪して、「懲戒請求対象になってもおかしくないぞ」と恫喝していることだ。不特定多数の閲覧を予想してのツィッターでの「懲戒請求対象になってもおかしくない」は、懲戒請求煽動と同義である。懲戒請求煽動は批判対象弁護士に対する恫喝にほかならない。
ネトウヨ諸君に警告を申しあげておきたい。牧原のごときアジテータに煽られて、うっかり懲戒請求に走ってはいけない。あとあと、たいへんなことになるのだから。
懲戒請求煽動者として、真っ先に名を上げられるべきは橋下徹である。彼は、光市母子殺害事件弁護団の弁護方針をやり玉に、「あの弁護団に対してもし許せないと思うなら、一斉に懲戒請求をかけてもらいたい」と各弁護人への懲戒請求を煽動した。そして、橋下はいかにも橋下らしく、自分では懲戒請求をしなかった。大阪弁護士会は、橋下のこの懲戒請求煽動行為を「弁護士としての品位を害する行為に当たる」として、2か月の業務停止処分とした。
牧原に煽られたネトウヨ諸君の遺族弁護団員に対する懲戒請求が積み重ねられれるようなことになれば、牧原弁護士がその事態の責任追及を受ける立場となり、橋下徹同様に懲戒の対象とならざるを得ない。
それだけではない。煽動に乗せられた懲戒請求者自身の責任も問われることになる。弁護士懲戒請求は匿名ではできない。懲戒請求が弁護士会によって受理されるためには、懲戒請求者の氏名と住所を明記しなければならない。その結果、懲戒請求者は、刑事民事の責任を問われ得ることを覚悟しなければならない。弁護士懲戒請求とはけっして軽々にできることではない。「汝らの中、罪なき者まづ石を擲て」に倣えば、「汝ら、ウイシュマ遺族弁護団が弁護士としての品位を害しているとの確信なくして、石を擲つこと勿れ」なのだ。
そして、牧原秀樹よ、ウイシュマ遺族弁護団に対する懲戒請求煽動ツィートを削除せよ。「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」というではないか。
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なお、満10年で連続更新終了後、少なからぬ方から、ありがたいご意見やご感想をいただきました。感謝申しあげます。
また、当ブログへのご意見やご感想があれば、下記メールアドレスまでご連絡をください。よろしくお願いします。
sawatoichiro@gmail.com
(2023年3月31日)
本日で、当ブログの連載が満10年となった。2013年4月1日からの連続更新が、本日3652回目。10年の間に、閏年が2度あったことになる。この間、一度の休載もなく毎日書き続けてきた。盆も正月も日曜も休日も、出張も海外旅行も無関係に、例外なく一日一稿を書き続けてきたことになる。幸いにして、大病を患うことも、大きな事故に遭遇することもなかった。
誰に命じられたことでもない。経済的見返りを求めたわけでもない。業務の宣伝を意識したことも一切ない。むしろ、人との軋轢を生じるタネと意識しつつのことであった。それでも書き続けたのは、もの言わぬは腹ふくるる業だからというしかない。
ではあるが、相当の負担でもある。齢もとった。目も霞んできた。考えを纏めるにも文章を整えるにも時間がかかる。減らしてはきたが本業も抱えており、これに差し支えることもないわけではない。満10年を期にいったん筆を擱きたい。毎日必ずこのブログを書くという自分への拘束を解いて、今後は気の向いたときに、本業に差し支えないように不定期の掲載としたい。
連続更新を広言してこのブログを書き始めた当時、3年も続ければなにかが見えてくるかと思った。しかし、何も見えてこなかった。5年なら、3000日なら、などと思い続けて10年経ったが、やはり同じこと。とりたてて新しく見えてきたものはなく、世の中の動きを見る目が変わったなどということもない。その点では十年一日である。
10年のブログ。人に誇るべきほどのことではない。何か価値あることを達成したという感慨もない。それでも、自分に課したことを、自分なりにやり遂げたという、小さな達成感がないわけではない。怠惰な自分をすこしだけ褒めてもよいという甘い気持はある。
ところで、10年は一昔である。このブログを書き始めたのは、第2次安倍晋三政権が始動した時期だった。復活して、またぞろ出てきたこの唾棄すべき右翼政治家の改憲策動に抗わねばならないという思いからであった。思いがけなくも安倍政治が長期に続いて、ブログの連載も長期となった。そして、ようやくアベ政権が崩壊したものの、アベスガ政権となり、さらにアベスガキシダ政権となって、安倍以後もしばらくは連載をやめるわけにはいかないという心情になった。その安倍晋三も、人の恨みを買って横死した。10年の区切りは適切なようでもある。
この10年、改憲の危機は去らないものの、幸いにも保守勢力が悲願とする改憲のたくらみは実現していない。当ブログも、改憲阻止の一翼を担ったと言えなくもないのは、それだけで喜ばしい。
喜ばしいことばかりではない。10年は短くはない。この間に、このブログをめぐっていくつもの「事件」があった。実は、「十年十色」なのだ。印象に残るその最初のものが、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」シリーズである。2013年の暮れから正月を挟んでの連日33日間。私は、渾身の怒りを込めて「おやめなさい」と書き続けた。批判の対象は、小さな権力を理不尽に振りかざした熊谷伸一郎(岩波書店)であり、上原公子(元国立市長)であり、人権感覚の鈍い宇都宮健児(都知事選候補者)であった。読み直すと、良く書けている。当時の怒りがよみがえってくる。
また、吉田嘉明を批判した私のブログが名誉毀損だとして、まったく唐突にDHC・吉田嘉明からのスラップ訴訟の被告とされた。損害賠償請求額は2000万円。これこそ典型的なスラップと批判するシリーズをこのブログに書き始めたら、損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がった。前代未聞のことではないか。このスラップ訴訟に勝訴し、さらに反撃訴訟を提起してこれにも勝訴が確定した。こちらの方は、終わり良ければすべて良しの心もちである。
この10年、すべてのブログに目を通してくれている妻は、「怒ってばかりで読むのに疲れる。気が滅入る」と言う。確かに、10年の持続は怒りのエネルギーがあったればこそである。理不尽なものへの怒りである。しかし、それだけでもない。10年の自分のブログをパラパラと読み返してみると、懐かしいだけでなく、結構面白いし楽しい。けっして無駄なことをしてきたとは思わない。
妻からは「毎回、長すぎる」という批判も受け続けてきた。これに、反省の意も、恭順の意も見せぬままの10年であった。これからは、「気合いを入れて書こう」とか、「それなりの水準のものを」などという邪念をサラリと捨てよう。気の向いたときに、気楽な文章を書いてみたい。お付き合いをよろしく願いたい。
なお、満10年で一旦擱筆を当ブログに告知して以来、少なからぬ方から、ありがたいご意見やご感想をいただいた。もし、当ブログへのご意見やご感想があれば、下記メールアドレスまでご連絡をください。よろしくお願いします。
sawatoichiro@gmail.com
(2023年3月30日・連日更新満10年まであと1日)
時折、産経新聞が私のメールにも記事を配信してくれる。友人からの紹介で、ネットの産経記事を読むこともある。他紙には出ていない、いかにも産経らしい取材対象が興味深い。そして独特の右側に寄り目でのものの見方が面白い。営業成績の苦境を伝えられている産経だが、メデイアには多様性があってしかるべきだ。
下記は、3月26日19:30のネット記事である。藤木祥平という記者の署名記事。
https://www.sankei.com/article/20230326-42GTY2H7FBKP7PRKWKKAROYUSM/
「板垣死すとも?」死せぬ自由誓い安倍氏慰霊祭、憂国の遺志「重ねずにはいられない」
この見出しだけでは何のことだか分からない。が、板垣退助と安倍晋三とを重ね併せて、両人ともに「自由を死なせずに擁護した」立派な政治家と持ち上げるイベントを取材し、なんともクサイ記事にまとめたもの。いかにも、産経らしさの滲み出た興味津々たる記事である。
この記事のリードを引用するのが分かり易い。「板垣死すとも自由は死せず」?。明治15(1882)年、自由党の党首として自由民権運動を推進していた板垣退助は岐阜で遊説中に暴漢から襲われた際、こう叫んだとされる。昨年7月、奈良市で参院選の演説中に安倍晋三元首相が銃撃され死亡したのは、板垣の「岐阜遭難事件」から140年の節目。命がけで国を憂いた2人の政治家を「重ねずにはいられない」として26日、板垣の玄孫(やしゃご)らが大阪市内で安倍氏の慰霊祭を営み、彼らの精神を受け継ぐ決意を新たにした」
「板垣退助先生顕彰会」なるものがあるという。1968年、板垣の50回忌に佐藤栄作が名誉総裁となって設立された団体だそうだ。土佐の板垣退助の顕彰を長州出身の佐藤がなぜ? ではあるが、その説明はない。そして、2018年の100回忌に合わせ位牌を新調する際、当時の自民党総裁であった安倍晋三に依頼した。こうして、「板垣ゆかりの高野寺(高知市)に奉納されている位牌には、彼の不屈の精神を表すあの叫びが刻まれている。その言葉を揮毫したのが安倍氏だった」という。
「あの叫び」というのが、「板垣死すとも自由は死せず」という独り歩きしている例のフレーズである。本当に板垣がそう言ったのかは大いに疑わしい。捏造説の方が随分と説得力があるが、それはさて措く。明らかなのは、板垣退助を「自由民権を希求した政治家」と持ち上げるのは、何らかの魂胆あってのフェイクに過ぎないことである。
岐阜で暴漢に襲われた1882年4月当時、確かに彼は自由党の総理として高揚する「自由民権運動の旗手」であった。しかしすぐに変節する。本来の彼に戻ったというべきかも知れない。
同年11月から翌年6月まで、彼はヨーロッパに外遊してしまうのだ。自由党に対する弾圧事件が頻発する中で、闘わずして逃げ出したと言ってよい。当時の彼に洋行の費用の工面ができたはずはない。政府の仕掛けに乗り、三井の金で懐柔されたのだ。もちろん、帰国後に板垣が反体制の立場で奮闘したわけではない。解党論を説いて、1884年には自由党を解散させている。
その後、板垣は伯爵となり、政治家としては2度の内務大臣にもなっている。自由民権の活動家ではなく、藩閥政治の保守政治家になりさがったのだ。だから、どっぷり保守の佐藤栄作や安倍晋三とは相通じるところがあるのだろう。それだけではない。板垣については、こんなエピソードが残っている。
板垣洋行の直前に、洋行資金の出所に疑惑ありと世に騒がれた自由党は、「板垣退助総理の外遊反対」を決議している。この決議を突きつけられた板垣は、党の幹部連に対して、「他日若し今回の事件にして、余に一点汚穢の事実の確証する者あらば、余は諸君に対して、其罪を謝するに割腹を以てせん」と誓約している。
割腹は大仰だが、「私はけっして悪くない。政治家としての命を賭ける」という言い方は、安倍とおんなじだ。森友事件発覚初期における安倍晋三の17年2月17日国会答弁、「繰り返して申し上げますが、私も妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして…、私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」は、板垣の誓約となんと酷似していることだろう。
もちろん、その後の板垣が腹を切ることはなく、安倍晋三も職を辞していない。板垣と安倍晋三、高潔さを欠く点でも自分の言葉に無責任な点でもよく似た人物なのだ。もともと、反権力とも自由とも無縁の人物。ちょっと気取って、似合わぬながらの「自由の旗手」のポーズをとって見たことがある程度。
とはいうものの、この産経記事の中には次のような関係者の言葉が連ねられている。「(安倍晋三)総理の優しいお人柄を垣間見ることができた」「板垣は肉体としては亡くなったが、その精神は滅びない」「自由民権運動は終わってなどいない。今の政党政治に受け継がれている」「民意を問う選挙の最中に行われたこの暴力的行為を許すことはできない」「(安倍氏は)客観的にも、国民から最も愛された首相だ」「事件の重大さを今一度思い返してほしい」。さすが産経である。
(2023年3月29日・連日更新満10年まであと2日)
ロシアがウクライナに侵攻して以来の1年有余。この両国がウクライナ全土を戦場とする戦争当事国となってきた。驚いたことに、唐突にロシアがベラルーシへの「戦術核配備」を発表し、ベラルーシが「準・戦争当事国」となった。ロシアとベラルーシとの合意によって、ことし7月1日までにベラルーシ国内に戦術核兵器を保管する施設が建設される予定だという。
昨28日、ベラルーシ外務省は、戦術核の配備は北大西洋条約機構(NATO)などの圧力が原因と主張する声明を発表したという。同声明は、ベラルーシが米国や英国、NATO加盟国などから近年、政治・経済的に「これまでにない圧力にさらされてきた」と西側諸国を非難。「自国の安全保障と防衛能力を強化して対応することを余儀なくされている」と説明している。
ロシアもウクライナも、それぞれの友好国から戦争遂行のための有形無形の支援を受けてきた。むろん通常兵器の提供も受けている。しかし、核配備の受け入れとなれば、話は次元を異にする。この戦時に戦争当事国の一方に対して、対立国を標的とする「戦術核配備」を提供するというのだ。これ以上の威嚇はない。一方当事国への「支援」の域を超えて、対立当事国への敵対関係を宣告するに等しい。それだけの覚悟を必要とすることなのだ。しかも、ロシアとの関係深く、ウクライナとは長い国境を接するベラルーシにおいてのことである。ウクライナ友好国の全てに対する敵対宣言ととられても不自然ではない。
考えるべきは、ベラルーシの決断のメリットとデメリットである。ロシアの「戦術核配備」を受け入れることが、果たして「自国の安全保障と防衛能力を強化して対応すること」になるものだろうか、同国の国際的な威信を高めることだろうか。さらには、ロシアにとっても、有利な戦況をもたらすものとなるだろうか。
ベラルーシ内の「戦術核」発射施設は、戦況がエスカレートした際の第1攻撃目標となる。ウクライナとしては、目と鼻の先に位置する、このとてつもない危険物の存在を見過ごしてはおられないからだ。ウクライナ軍の砲門は、常時この発射施設に向けられる。岸田文雄が言う「敵基地攻撃」の対象施設になるのだ。しかも、いざというときには一瞬の逡巡があっても取り返しのつかないことになるのだから、「自衛的先制攻撃」の誘惑を捨てきれない。「戦術核」配備は、ベラルーシの戦争被害リスクを確実に大きくする。
それだけではない。「西側諸国は、劣化ウラン弾をウクライナに提供する。西側の同盟が核を用いた兵器を使い始めるということになる。そうなればロシアは対応する必要がある」というのがプーチンの理屈である。「劣化ウラン弾提供には、戦術核配備で対抗するしかない」というわけだ。また、ベラルーシとしては、「これまでにない圧力に『対抗』するための戦術核配備」だという。しかし、西側諸国の側から見れば、「ベラルーシへの戦術核配備には、ウクライナへの戦術核配備で対抗するしかない」と言うことにならざるを得ない。明らかに、危険な核軍拡競争の負のスパイラルに足をすくわれている。安全保障のジレンマに陥ってもいる。ベラルーシの安全保障は損なわれることになるだろう。
さらに強調すべきは、ロシアもベラルーシも、核拡散防止条約(NPT)の締約国であることである。NPTは、核兵器禁止条約の厳格さを持たない。しかし、米、露、英、仏、中5か国の「核兵器国」からの核拡散を防止し、「核兵器国」にも「非核兵器国」にも核不拡散義務を課し、締約国には誠実に核軍縮交渉を行う義務を規定している。ロシア、ベラルーシ両国ともに、国際条約を誠実に遵守する姿勢を持たない非文明国として、国際的な権威を失墜することになろう。
この事態は、ロシアにも跳ね返る。戦術核の配備や使用にこだわることは、戦争遂行への自信のなさの表れと見透かされることになろう。そして、国際的な威信の失墜は覆うべくもない。この戦争を見つめる多くの中立国から見離される、あらためての契機となるに違いない。
いま、保守陣営からは、「今日のウクライナは明日の日本だ」「だから侵略に備えて、軍備の増強が必要だ」との声が上がっている。その声が、既に防衛予算の増額に反映し、今後の「大軍拡・大増税」も招きかねない。
しかし冷静に、まずは「明日の日本を今日のベラルーシにしてはならない」と考えるべきだろう。軽々に、核抑止が有効だなどと単純に考えてはならない。いまベラルーシが直面している核配備の大きなデメリットに注視しなければならない。戦術核配備に限らない。実は、戦争当事国の一方に対する通常兵器の提供も、これと同等の有形無形の支援もリスクのあることなのだ。リスクの大きな「大軍拡・大増税」路線に舵を切ってはならない。
そのことは、「明日の日本を今日のウクライナにしてはならない」という平和の道を探ることに通じる。ウクライナにも、ロシア侵攻を避ける途はあったはずである。軍備を固めるのではなく、国連を通じ誠実な外交の通じての平和を確立する道。そのことを徹底検証して教訓を生かさねばならないと思う。
(2023年3月28日・連日更新満10年まであと3日)
今月7日に亡くなった扇千景の葬儀が昨日行われた。皇族やら、政治家やら、芸能人の参加で、大いに「盛り上がった」ようだ。
伝えられているところでは、「本葬に先立ち、遺骨を乗せた車が国会正門前を通過し、議員や関係者が整列して見送った」「祭壇には、天皇、上皇からの花も供えられた」「旭日大綬章、桐花大綬章、24日に叙されたばかりの従二位の勲章も並んだ」という俗物ぶり。
弔辞は小泉純一郎。こう述べたという。
「女性が活躍される社会を目指し、その先頭に立って切り開いてこられた道には、続々と後輩達は続いております。政治家として全身全霊で走り抜けられた先生。改めて心から敬意と感謝を申し上げます」
そりゃちがうだろう。扇千景という人、いかにも保守の顔をした自民党の議員となり、「女性初の参議院議長」にもなった。だから打たれざるを得ない。一昔前の私のブログを再掲しておきたい。「憲法日記」の前身である、「事務局長日記」の時代。日民協のホームページに掲載していた当時のものである。
http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html
澤藤統一郎の事務局長日記 2005年07月03日(日)
ベアテさんと、ある女性議員
ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、1945年暮れから、GHQの民政局で調査専門官として日本国憲法の草案起草に携わった。当時22歳。ウィーン生まれで5歳から15歳までを日本で過ごしている。ジェームス三木シナリオの演劇「真珠の首飾り」や、映画「ベアテの贈り物」で、その活躍がよく知られている。
「贈り物」というニュアンスは、日本の民衆が勝ち取ったというものでないことを物語るが、残念ながら事態はそのとおり。しかし、その後これを自らの血肉としたときに、勝ち取ったと同様の誇りを手にすることができる。
そのベアテさんは、参議院の憲法調査会に招かれて、参考人として報告し意見を述べている。00年5月2日のこと。その議事録によると、彼女が起草した憲法24条の原案は次のとおりであったという。
「家庭は、人類社会の基礎であり、その伝統は、善きにつけ悪しきにつけ国全体に浸透する。それ故、婚姻と家庭とは、両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然であるとの考えに基礎を置き、親の強制ではなく相互の合意に基づき、かつ男性の支配ではなく両性の協力に基づくべきことをここに定める。これらの原理に反する法律は廃止され、それに代わって、配偶者の選択、財産権、相続、本居の選択、離婚並びに婚姻及び家庭に関するその他の事項を、個人の尊厳と両性の本質的平等の見地に立って定める法律が制定さるべきである」
個人の尊厳、両性の平等の理念が、旧弊な日本の現状を批判する文言となって条文化されている。これが、紆余曲折を経て、現行の条文となった。
ベアテさんの基調意見に対して、笹野貞子、吉川春子、大脇雅子、佐藤道夫らの委員が、さすがにそれなりの水準の質疑をしている。ところが、ある女性委員の質問が不得要領、さっぱり何を言っているのやら‥。速記者も困ったろうが、こう書き留められている。
「私は、女性の権利をこれだけ高めていただいたことには感謝申し上げますけれども、現実に日本の今の我々の生活、日本が今日あるということに関しては、この憲法の中から、これは日本国でなければならないという、女性というものが、女性の創造が見えてこないんですね。それは、日本の伝統文化というものが、今の日本の中でいかに伝統文化が重んじられていないかという点、そして義務と権利の民主主義のあり方等々も私は女性としては大変問題点もやっぱり今現実には起こっているであろうと。
ですから、権利は与えられたけれども、それに対する本来の、ゴードンさんが先ほどおっしゃった、女性の虐げられたという言葉をお使いになりましたけれども、虐げられただけではなくて、日本の女性のいいところがこの五十五年の中で失われてきたということも私どもは大いに勉強しなければならない、また私たち自身も反省しなければならないことだと思います」
「(憲法24条のおかげで)日本の女性のいいところが失われてきた」「そのことを反省しなければならない」と言ってのけているこの程度の人物が、国会議員となり、憲法調査会委員となり、そして今は参議院議長として、憲法調査会報告書を受領する立場にある。その人の名を、扇千景という。