(2023年11月30日)
しばらく吉田嘉明の蠢動が見えなかった。が、突然話題の人となった。「三つ子の魂百まで」「雀百まで踊り忘れず」とはよく言ったもの。やはり、差別主義者としての話題である。
「DHC元会長が新会社HPでまた差別表現 競合企業経営者の実名挙げ」(毎日)、「DHC元会長がまた差別表現 新会社HPで競合他社トップを『在日の疑い』『100%の朝鮮系』」(東京新聞)、「DHC元会長吉田嘉明氏の新会社HP『お顔の特徴から在日の疑い』と競合経営者を中傷で批判続出」(日刊スポーツ)との見出し。
スポーツ紙では、「化粧品会社ディーエイチシー(DHC)の元会長吉田嘉明氏が代表を務める22年7月設立の通信販売会社「大和心」に批判の声が相次いでいる」「『大和心』のホームページの文言に批判が殺到している」「根拠不明の情報を載せ、同業他社を挑発している」「SNS上では『こんなに堂々とヘイトしちゃってどうするの?』『会社のHPで書くことじゃない』『大和心名乗りながらコカ・コーラ売ってて草』『思想が強すぎて従業員さん気の毒』などの声が上がっていた」と手厳しい。
通常人の神経では、差別主義者と言われることは堪えがたく恥ずべきことである。当然、そう言われることを避けようとする。ところが、この人物に限ってはそうではない。ある人にとってタバコやアルコールという嗜癖を離脱できないように、差別主義の言動をやめることができない。根っからの差別主義者なのだ。差別言動依存症と評しても差し支えなかろう。
だが、こうも考えられる。もしかしたらこの人、差別言動が商売になると思い込んでいるのではないのだろうか。
「この日本社会の建前では、確かに人は平等だ。しかし、実はみんな本音のところでは、差別を容認し、差別言動を歓迎しているはずではないか。それなら、差別主義はウリになる。他人が臆して言わない差別を公言し、公然と差別主義者として振る舞うことが、商売に有利なのではないか。DHCでも差別を広言してうまくやってきた」
日本社会の闇の底に、このようないびつな考えを支える一定の層が存在することを否定し得ない。しかし、けっして多数派ではないし、明るいところに出てこられる輩ではない。このようないびつな層に支えられた吉田嘉明の姿勢を容認してはならない。成功体験を与えてはならない。
吉田嘉明が新たに始めた会社が「大和心」である。今月6日にホームページを開設し、同21日に下記の「宣言」と「解説」を掲載した。イデオロギー的ビジネス文書と言うよりは、ビジネスの体裁を借りた、韓国・朝鮮そして中国に対する差別主義イデオロギー宣言である。こういう人物が、まだこの社会にいることを恥じなければならない。
何度でも繰り返す。こういう人物が経営する企業に、一円のカネも払ってはならない。それが、賢い消費者のありかたであり、日本を健全な社会に育てる消費者行動なのだ。
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大和心の宣言
1.大和心は、日本人による日本人のための本格的超高速通販です。
2.大和心は、日本が再び強く美しい国になることを心から念願しています。
3.大和心は、高齢の方を心から尊敬し大切にします。
4.大和心は、正しく立派な商品を、長年製造し続けているメーカーとのみ取引をします。テレビ宣伝等で派手に消費者を騙しているような行儀の悪い会社とは、一切かつ永久に取引は致しません。
5.大和心は、日本と敵対している国(中国・ロシア・北朝鮮)の製品、生鮮食品及びその加工品は、一切とり扱いません。
「大和心の宣言」についての解説
- 大手総合通販で、トップが純粋な日本人なのは、大和心だけのようです。最大のアマゾン・ジャパンの社長は、ジャスパー・チャンという中国人です。楽天の 会長三木谷さんは、お顔の特徴から、しばしば在日の疑いがかけられていますが、ご自身自らが頑なに否定しておられるので、あなた自身でご判断ください。ヨドバシカメラの社長藤澤さんも、ヤフージャパンの社長川邉さんも、「在日通名大全」によると、100%の朝鮮系とされています。大手通販はこのとおりですが、弱小の通販も似たり寄ったりのようです。元々は外国人の方に、日本人の心が理解できるのでしょうか? 疑問です。 (略)
- アメリカの前大統領トランプさんはMake America great again. 「アメリカを再び偉大な国にしよう」と謳っていますが、私たちもMake Japan beautiful again. と、日本が再び美しく変わるまで言い続けます。過去の美しい伝統・文化が急速に失われつつあります。あの美しかった日本がどこに行ってしまったのでしょうか。
- (略)
- ロシアや北朝鮮の商品を購入する機会はあまりないと思われますので、ここは中国製品だけに的を絞って取り上げましょう。習近平の性格から見て、数年のうちに台湾を侵略してくるのはほぼ確実と思われます。その際は、もちろん中国対台湾・米国・日本の大戦争へと発展します。中国製品は輸入禁止となり、使いたくても使えません。日本も米国も大量の中国製品を輸入していますが、これらの売り上げはほとんどが中国の戦費として使用されるのです。核弾頭もさらに増産中で、現在500発以上を保有していますが、数年後には1,000発を超えるだろうと推計されています。 今、中国では日本の東電の海洋処理水を核の汚染水と称して、さかんに世界に向かって対日本の対抗宣伝をしていますが、そんなことを言うのなら、中国にはもっととんでもない話があります。一時、世界の工場と言われていた中国では国のいたる所が工場だらけのため、工場の廃液が河川に溢れており、黄色や青色や赤色の汚染水がどこの河川でも見られるのが普通でした。さすがの共産党も工場の廃液を未処理のままたれ流すことは法律で禁止したのです。問題はそこからです。工場の汚染水を化学処理して無害水にするには相当な設備投資が必要ですが、誰もそんな余計なことはしません。自分の工場内の敷地に穴を掘り、工場からの廃液をそのままポンプで流し込んでいたのです。そこで中国全土の地下水は汚染水だらけになり、その地下水を吸って育った野菜は食べられる代物ではありません。それを知っている中国人は自国の野菜は食べようとはせず、輸入ものを食べているのです。日本のスーパーには中国製の野菜が安い値段で売られているため日本人が喜んで食べているというわけです。恐ろしい話ですね。
令和5年11月21日
大和心会長 吉田嘉明
(2023年11月22日)
旧統一教会が、有田芳生さんの口を封じようと提起した《統一教会スラップ・有田訴訟》。11月28日(火)に結審となります。
この訴訟では、「統一教会は反社会的集団である」ことが立証対象となり、被告有田側は、教会の違法を認めた、これまでの民事・刑事の判例を積み上げました。この立証活動は、統一教会に対する解散命令請求での「悪質性・組織性・継続性の立証」に重なります。
はからずも、本件有田訴訟は、解散命令裁判を先取りするものとして、注目されることになりました。
昨年8月19日、日本テレビの「スッキリ」に出演した有田芳生さんが、「(旧統一教会は)霊感商法をやってきた反社会的集団だってのは警察庁も、もう認めている」と発言したところ、統一教会は、これを名誉毀損だとして、有田さんと日本テレビを訴えました。
その結果、「統一教会は反社会的集団である」(真実性)ことが、立証対象の一つとなり、有田訴訟が、統一教会の解散命令裁判を先取りするものとなっています。
11月28日午後3時から、東京地裁103号法廷で開かれる、結審の法廷では、有田さんの意見陳述と、被告有田代理人のパワポを使った主張の説明をいたします。
閉廷後の報告集会は、下記のとおりの予定です。
11 月 28 日 午後 3 時 30 分〜 法曹会館(法務省の北側)「富士の間」
弁護団から、訴訟進行・法人解散命令請求事件についての報告
トークセッション(青木理、鈴木エイト。有田芳生=進行・二木啓孝)
他に、参加者からの発言 など
《統一教会スラップ・有田訴訟》進行経過
東京地裁民事第7部(野村武範裁判長)
R4(ワ)第27243号名誉毀損事件
原告 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)
被告 日本テレビ放送網株式会社・有田芳生
(※裁判所、◆原告、◎被告有田、☆被告日テレ、★訴訟外事件)
★22・07・08 安倍元首相銃撃事件
★22・08・19 日テレ「スッキリ」番組放映(萩生田光一批判がテーマ)
◆22・10・27 提訴 訴状と甲1?6
請求の趣旨
(1) 被告らは連帯して2200万円(名誉毀損慰謝料と弁護士費用)を支払え
(2) 日テレは番組で、有田はツィッターで、謝罪せよ
請求の原因
(名誉毀損文言を、有田の番組内発言における「霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは、警察庁ももう認めているわけですから」と特定)
※22・11・10 被告有田宛訴状送達(第1回期日未指定のまま)
※23・01・23 On-line 進行協議
◎23・02・27 被告有田・答弁書提出 証拠説明書(1) 丙1?7提出
(本件発言は、一般視聴者の認識において全て意見であり、当該意見が原告の社会的評価を低下させるものではない。仮定的に、真実性の抗弁を援用)
☆23・02・27 被告日テレ・答弁書提出 乙1(番組の反訳書)提出
◆23・03・07 原告準備書面(1) (被告日テレの求釈明に対する回答)提出
◆23・03・14 原告準備書面(2) (被告有田に対する反論) 甲7?12提出
◎23・05・09 被告有田準備書面1 提出
☆23・05・09 被告日テレ・第1準備書面
◎23・05・12 被告有田準備書面2 証拠説明書(2) 丙8?13 提出
※23・05・16 第1回口頭弁論期日(103号法廷) 閉廷後報告集会
島薗進氏の記念講演、望月衣塑子・佐高信・鈴木エイト各氏らの発言
◆23・06・26 原告準備書面(3) (有田準備書面1に対する反論) 甲13?25
◆23・06・26 原告準備書面(4) (有田準備書面2に対する反論)
◆23・06・26 原告準備書面(5) (日テレに対する反論)
◎23・07・17 被告有田準備書面3 提出
※23・07・18 On-line 進行協議
◆23・07・20 原告甲26(番組全体の録画データ)提出
◎23・08・31 被告有田 証拠説明書(3) 丙14?19
証拠説明書(4) 丙20?23
証拠説明書(5) 丙24?27
証拠説明書(6) 丙28?43
☆23・09・15 被告日テレ・第2準備書面 証拠説明書(2) 乙2?7
◎23・09・22 被告有田準備書面4
(甲26ビデオを通覧すれば、「警察庁ももう認めているわけですから」は、一般視聴者の印象に残る表現ではない。早期の結審を求める)
◆23・09・22 原告証拠説明書 甲27?29
※23・09・26 第2回口頭弁論期日(103号法廷)
裁判所 「双方なお主張あれば、10月30日までに」
◎23・10・27 被告有田「早期結審を求める意見」書を提出
さらなる主張はない。次回で結審を。
◆23・10・30 原告準備書面(6)提出 内容は横田陳述書(甲30)を援用するもの
証拠申出・証人横田一芳(国際勝共連合) 甲30・横田陳述書提出
◎23・10・31 被告有田、証人(横田)申請を却下し重ねて次回結審を求める意見。
※23・11・07 On-line 進行協議 原告の証人申請却下
次回結審とし、法廷では15分の被告有田側の意見陳述を認める。
※23・11・28 第3回口頭弁論期日(103号法廷) 結審 閉廷後報告集会
※判決期日 未定(28日に期日指定あるはず)
《有田さんのメッセージ》
▼教団が韓国で生まれて68年目。統一教会=家庭連合は組織内外に多くの被害者を生んできました。まさに反社会的集団です。私は元信者はもちろん現役信者とも交流してきて思ったものです。日本史に埋め込まれた朝鮮半島への贖罪意識を巧みに利用して真面目な信者を違法行為に駆り立ててきた統一教会の犯罪的行為の数々は絶対に許すわけにはいきません。
▼安倍晋三元総理銃撃事件をきっかけに、自民党との癒着など「戦後史の闇」の蓋が開きはじめました。私は信頼する弁護団と、社会課題についてはたとえ立場が異なれども教団に立ち向かう一点で集ってくれた「有田さんと闘う会」の高い志を抱きしめて、みなさんとともに、統一教会と徹底的に本気で闘っていきます。
《何が争われているか》
?本訴訟の主要なテーマは、「統一教会の反社会的集団としての性格」をめぐる攻防です。「統一教会を、反社会的集団と言ってはならない」というのが原告(統一教会)の主張。「統一教会が霊感商法や高額献金勧誘をしてきた反社会的集団であることは厳然たる事実。これを指摘できないようでは、言論の自由の保障が泣く」というのが有田側の反論。
?「霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは、警察庁ももう認めているわけですから」というのが、番組の中での有田さんの発言。その「霊感商法をやってきた」「反社会的集団である」「警察庁も認めている」のすべてが真実ではない、と原告は主張。被告有田は、これに全面的に反論し、証拠を積み上げています。
?有田さんの発言を、原告は自分の「名誉」を侵害した違法行為とし、被告は「表現の自由」の保障を享受すべき適法かつ有用な言論とする立場です。《人を批判する表現の自由》と、《批判される人の名誉権》との衝突を、どのように調整するかの問題ですが、訴訟実務の枠組みは概ね次のとおりです。
?言論全般を、《事実の摘示》と《意見ないし論評》との2種の構成部分からなるものと考えます。このうち、《事実の摘示》部分に、(人の社会的評価を低下させる)名誉毀損表現があれば原則違法とされ、発言者は、自分の事実摘示の言論が、公共の利害にかかり、もっぱら公益目的によるもので、しかも真実であることを立証すれば、損害賠償の責めを免れることになるという構造です。実務では「公共性」「公益性」のハードルは低く、重要なのは『真実性』です。
?《意見ないし論評》によっても名誉毀損が成立しうるというのが判例の立場です。しかし、通例、公共性・公益性ある限り、《意見ないし論評》こそは、最大限に表現の自由が保障されなければならない場面として、人格的攻撃などの逸脱ない限り、原則違法性はないものとされます。
もっとも、《意見ないし論評》は、何らかの《事実の指摘》を前提とすることが多く、その意見・論評の根拠とされた前提事実については、やはり真実性が要求されることになります。
《当事者の主張と立証活動は》
?原告・統一教会の主張の骨格と立証
有田発言の名誉毀損文言を、「(原告が)霊感商法をやってきた反社会的集団だっていうのは警察庁ももう認めているわけですから」と特定して、これは事実摘示である。少なくも、「警察庁ももう認めている」という表現部分は、事実摘示による名誉毀損文言であると主張。
そのうえで、「原告は組織として霊感商法をしたことがない」「原告自身が反社会的行為をしたと認定された判決はない」「警察庁が原告を反社会的集団と認定した事実はない」から、有田発言の事実摘示は真実性を欠くと言います。
?被告有田の主張の骨格と立証
テレビ放映におけるある発言が名誉毀損となりうるか否かは、《一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準》として判断するというのが、判例の立場。ビデオを再現して視聴してみると、この番組は萩生田光一批判をテーマにするもので、有田発言も萩生田批判の発言のごく一部。一般視聴者にとって統一教会批判の文言として印象に残るものではなく、そもそも名誉毀損にあたらない。仮に、有田発言が統一教会の社会的評価を低下させるものであったとしても、発言の全てが意見ないし論評である。また、その前提とする事実は公知の事実である。「反社会性」というキーワードを支える判例は、これまで数多く言い渡され、確定している。「警察庁も認めている」も国会答弁などから真実である。被告有田の提出した書証の多くは、統一教会の霊感商法や高額献金勧誘を違法としたこれまでの判決例です。
《本件は統一教会によるスラップである》
?統一教会は、自身への批判の言論を嫌って、名誉毀損訴訟を濫発しています。
下記のすべてが、統一教会批判言論の萎縮を狙ったスラップ訴訟です。
被告 紀藤正樹・讀賣テレビ (請求額2200万円)9月29日提訴
被告 本村健太郎・讀賣テレビ(請求額2200万円)9月29日提訴
被告 八代英輝・TBSテレビ(請求額2200万円)9月29日提訴
被告 紀藤正樹・TBSラジオ(請求額1100万円)10月27日提訴
被告 有田芳生・日本テレビ (請求額2200万円)10月27日提訴
統一教会スラップ5事件のトップを切って、八代英輝事件での東京地裁判決がありました。当然のことながら統一教会の敗訴、請求棄却判決でした。有田事件も、これに続きたいと思います。
(2023年11月19日)
全国110名余の視聴者が原告になって、NHK経営委員会議事録と録音データの開示を求めているこの訴訟。下記のとおり、明後日の結審の法廷と記者会見を兼ねた報告集会をご案内いたします。ぜひ、法廷傍聴の上、報告集会にご参加ください。
2023年11月21日(火)10時15?45分
東京地裁103号大法廷 最終口頭弁論
(法廷では、原告2人と代理人弁護士1名が、口頭意見陳述を行います。弁護士の陳述はパワーポイントで、論点を分かり易く解説します。)
同日閉廷後、東京弁護士会507号会議室で記者会見を兼ねた報告集会
この訴訟の被告は、NHKと森下俊三経営委員長の2名。形式的にはNHKを被告とせざるを得ませんが、実質的な責任の追及対象はNHK経営の最高機関である経営委員会を代表する森下氏なのです。
NHK経営委員は、内閣総理大臣が両院の同意を得て任命します。近時この経営委員選任がまことに恣意的で不適切、その結果としての重大事件が2018年10月23日経営委員会席上での、上田良一会長に対する『厳重注意』でした。
NHK番組「クローズアップ現代+」が、かんぽ生命保険の不正販売問題を取りあげ放映したところ、これに反発した加害者郵政グループが、この番組続編の制作妨害をくわだてました。同グループの上級副社長(元総務事務次官)鈴木康雄氏が森下氏を手がかりに経営委員会に働きかけ、経営委員会は「会長厳重注意」までして、いったんは番組潰しに成功したのです。だから、議事録の開示も公表もできなかったのです。
本来公共放送の独立と公正を守るべき経営委員会が、外部勢力と結託して、NHK執行部に圧力をかけ、良心的な番組つぶしに走ったのです。
この訴訟の提起直後に、被告は「議事録のようなもの(録音の粗起こし)」を原告らに交付しました。しかし、放送法が命じる適式の議事録ではありません。NHKホームページに公表もしていません。法定の手続に則った「適式の議事録」および、消去されたはずのない「会議の録音データ」を開示せよというのが、原告らの請求。これに判決がどう応えるか注目されるところです。そして、森下氏に対する不法行為損害賠償請求も。
ぜひ、傍聴と報告集会参加をお願いいたします。
NHK文書開示等請求訴訟 原告団・弁護団
《NHK文書開示請求訴訟》経過と概要
原告 受信契約者(視聴者) 114名
被告 NHK(形式上の被告)
森下俊三(責任追及対象としての被告)
請求の趣旨
? 被告NHKは原告らに対し、下記各文書をいずれも正確に複写(電磁的記録については複製)して交付する方法で開示せよ
1.放送法41条及びNHK経営委員会議事運営規則第5条に基づいて作成された、下記各経営委員会議事録(「上田良一会長」に対する厳重注意に関する議事における各発言者ならびに発言内容が明記されているもの)
?「第1315回経営委員会議事録」(2018年10月 9日開催)
?「第1316回経営委員会議事録」(2018年10月23日開催)
?「第1317回経営委員会議事録」(2018年11月13日開催)
2.下記各経営委員会議事録作成のために、各議事内容を録音または録画した電磁的記録。
?「第1315回経営委員会議事録」(2018年10月 9日開催)
?「第1316回経営委員会議事録」(2018年10月23日開催)
?「第1317回経営委員会議事録」(2018年11月13日開催)
? 被告らは連帯して各原告に対し各金2万円、ならびにこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払い済みまで年3パーセントの割合による金員を支払え
事実と訴訟進行の経過
? 提訴前の経過(2018年)
04月24日 「クローズアップ現代+」「かんぽ生命の不正販売問題」放映
07月07日 同月14日 NHKネットに続編制作のための被害情報募集動画掲載
07月11日 郵政3社社長連名での会長宛抗議文
08月02日 郵政3社社長連名での会長宛動画削除要求書
08月03日 NHK8月10日放映予定の続編延期を決定
被害情報募集の動画掲載を取りやめ
(「金融商品トラブル」番組でかんぽ生命不正販売を取りあげる予定が発覚)
09月25日 郵政の上級副社長鈴木康雄 森下を訪問
10月05日 日本郵政から経営委員会宛に抗議文
10月23日 1316回経営委員会 上田会長厳重注意
10月25日 同月30日に予定されていた「金融商品トラブル」番組内での
「かんぽ生命不正販売」問題放映をカットする決定。
? 提訴前の経過(2019年)
09月26日 毎日新聞朝刊が、1面トップで「NHK経営委 会長を注意」の記事
09月30日 毎日新聞続報「『厳重注意』議事録なし」の記事
「『かんぽNHK問題』野党合同ヒアリング」の連続開催
? 10月3日(出席経営委員・森下俊三、甲6)「議事録は作っておりません」
? 10月4日(出席経営委員・高橋正美、甲7)「探したが議事録はない」
? 10月8日(出席経営委員・森下俊三、甲8)「議事録はない」
? 10月15日
? 10月16日(出席経営委員・森下俊三、甲11)「議事録はある」
? 2019年10月30日
? 2019年12月24日
09月11日 衆議院予算委員会 議事録ないことを前提の質疑(甲9)
09月15日 NHKのサイトに若干の書き足し修正
? 先行する開示の求めに対する審議委員会答申
2020年05月22日 797・798号答申 「開示せよ」→従わず
2021年02月04日 814・815・816号答申 「開示せよ」→従わず
? 訴訟の経過
(※裁判所、◎原告、?被告NHK、★被告森下、?★形式NHK・実質森下)
◎2021年4月7日 文書開示の求め(これに対する2度の延期通知)
◎2021年6月14日 第1次提訴(原告104名・被告2名〈NHKと森下〉)
a 被告NHKに対する文書開示請求
開示請求対象文書の主たるものは、下記経営委員会議事録の未公開部分
「第1315回経営委員会議事録」(2018年10月 9日開催)
「第1316回経営委員会議事録」(2018年10月23日開催)上田会長厳重注意
「第1317回経営委員会議事録」(2018年11月13日開催)
b 被告両名に対する損害賠償請求(慰謝料・弁護士費用、原告1人各2万円)
?★同年7月9日 「3会議の議事録(のようなもの・粗起こし)」を開示
◎同年 9月16日 第2次提訴 (原告10名・被告2名)1次訴訟に併合
☆同年 9月15日 被告NHK答弁書(現時点では対象文書は全て開示済み)
★同年 9月21日 被告森下答弁書(不法行為はない、請求棄却を求める)
◎同年 9月23日 原告 被告NHKに対する求釈明
◎同年 9月24日 原告 甲1の1?4 NHK開示文書提出
※同年 9月28日 第1回口頭弁論期日(103号)
(西川さん・長井さん・醍醐さんの原告3名と代理人1名の意見陳述)
☆同年 12月3日 被告NHK準備書面(1)「現時点で、所定の議事録作成手続は完了しておらず、放送法41条の定める議事録とはなっていない」
★同年 12月3日 被告森下 準備書面(1) 「本件各文書はいずれも開示済」と言いつつも、「粗起しのもので、適式の議事録でない」ことを自認。
★同日 被告森下丙1?32号証 提出
◎2022年1月12日 原告第1書面(被告森下の求釈明に対する回答)提出
☆同年 1月17日 被告NHK 乙1(放送法逐条解説・29条部分)提出
※同年 1月19日 第2回口頭弁論期日(103号)
★同年 2月28日 被告森下 準備書面(2)
◎同年 3月 2日 原告第2準備書面
◎同年 4月 7日 原告第3準備書面
☆同年 4月22日 被告NHK 準備書面(2)
★同年 4月22日 被告森下 準備書面(3)
※同年 4月27日 第3回口頭弁論期日(103号)
◎同年 4月28日 原告第4準備書面(求釈明)
★同年 6月14日 被告森下 準備書面(4) (電磁記録は消去済みである)
☆同年 6月21日 被告NHK 準備書面(3)
◎同年 7月 1日 原告第5準備書面(求釈明)
※同年 7月14日 進行協議
★同年 8月22日 被告森下準備書面(5) (求釈明に対する回答)
☆同年 8月25日 被告NHK 準備書面(4)
◎同年 8月30日 原告第6準備書面
※同年 9月 6日 第4回口頭弁論期日(103号)
☆同年 10月14日 被告NHK 準備書面(5)
★同年 10月14日 被告森下準備書面(6)
◎同年 10月16日 原告請求の趣旨の変更(縮減) 開示請求文書の特定。
議事録(未公表部分)と録音データ。以後、録音データの存否が主たる争点に。
◎同年 10月16日 原告第7準備書面
※同年 10月26日 進行協議(415号)
◎同年 11月16日 原告第8準備書面
★同年 12月13日 被告森下準備書面(7)
☆同年 12月14日 被告NHK 準備書面(6)
◎同年 12月20日 原告証拠申出書
※2023年6月7日 口頭弁論(人証調べ)期日 中原・森下・長井 尋問
◎同年 7月4日 原告・追加の証人採用についての意見
※同年 7月10日 Web進行協議
◎同年 8月2日 原告第9準備書面 甲4?12
★同年 8月7日 被告森下準備書面(8)
※同年 8月9日 Web進行協議(裁判所・原告の挙証責任論に同意の心証を開示)
★同年 9月12日 被告森下準備書面(9)丙39?41提出
◎同年 9月21日 原告第10準備書面提出
※同年 9月28日 Web弁論準備期日
◎同年 11月14日 原告第11(最終)準備書面提出
※同年 11月21日(火)10時15分? 103号法廷 口頭弁論期日・結審予定。
(2023年11月4日)
抑圧と差別の累積は、いつの日か爆発する。ある日マグマが噴出するように、あるいはプレートに亀裂が走るように。
抑圧され差別された者の爆発が、抑圧と差別を解消させるとは限らない。制圧されて、さらなる抑圧と差別に苦しむことになるかも知れない。しかし、新たな抑圧と差別の累積は、またいつの日か爆発せざるを得ない。国内の治安でも、国際関係に平和でも。
抑圧と差別を解消する努力を重ねることが、国内の治安を維持し、国際関係で平和を擁護する要諦である。戦争は武力の増大で防止できない。粘り強い国際協調と外交の努力を通じて国際的抑圧と不合理な差別を解消することが、戦争回避の王道ではないか。
パレスチナの惨状はそのように教えている。その教えの対価は、あまりに大きいものとなってしまっているのだが…。
(2023年11月3日)
もうたくさんだ。虐殺をやめろ。爆撃も砲撃もやめろ。人の家を焼くな、壊すな。子どもたちを怯えさせるな。罪深きネタニヤフよ、それを取り巻く人殺したちよ。そして今や手を血に染めたイスラエルの民よ。
(2023年10月12日)
本日、文部科学省は、宗教法人審議会の了承も得て、統一教会に対する解散命令請求の方針を正式に発表した。世論に押されてのこととはいえ、その本気度が感じられる。遅きに失した感はあるものの、政権の決断を評価したい。そして、文化庁宗務課の担当者の労をねぎらいたいと思う。
文科大臣の方針公表に対して、本日、統一教会が「当法人に対する解散命令請求の方針を受けて(世界平和統一家庭連合)」とする声明を発表した。この人たち、何の反省もしていない。「自分たちは悪くない。すべては左翼の陰謀だ」という内容。普通の日本語の表現では、これを「泣き言」ないし「悪あがき」という。以下に声明の全文を紹介して、私のコメントを付しておきたい。
「文部科学省は10月12日、世界平和統一家庭連合(以下、「当法人」)の解散命令請求を東京地方裁判所に申し立てる方針を発表しました。それに対する当法人の見解を発表させていただきます。」
宗教法人法81条は、裁判所に宗教法人に対する解散を命ずる権限を付与している。裁判所に解散命令を請求できるのは、「所轄庁、利害関係人若しくは検察官」であり、または裁判所自身が職権で行うことも可能であって、必ずしも文科省に限らない。しかし、立証のために膨大な資料を収拾する力量は文科省ならではのものといえよう。文科省は地味な作業を積み上げて解散命令請求に漕ぎつけたのだ。
「このような決定がなされたことは、当法人としては極めて残念であり、遺憾に思っております。特に、当法人を潰すことを目的に設立された左翼系弁護士団体による偏った情報に基づいて、日本政府がこのような重大な決断を下したことは痛恨の極みです。」
統一教会にとっての「残念、遺憾、痛恨の極み」は、統一教会外の社会、とりわけおびただしい被害者たちには、この上ない朗報である。また、「当法人を潰すことを目的に設立された左翼系弁護士団体による偏った情報に基づいて、日本政府がこのような重大な決断を下した」という物言いが、この組織の本音ないし正体を物語っている。反共・左翼攻撃を売り物に、岸信介・笹川良一・安倍晋三ら右翼人脈に取り入って、これをバックに勢力を拡大してきたのだ。
「岸田首相は昨年10月19日、宗教法人への解散命令請求が認められる法令違反の要件には「民法の不法行為は入らない」という長年の政府の法解釈を一夜にして強引に変更し、「民法の不法行為も入り得る」と国会で答弁しました。野党の追及や世論に迎合した結果であるのは明らかで、日本の憲政史に残る汚点となるでしょう。」
宗教法人への解散命令要件は、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」、あるいは「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと」である。「法令」が刑事法に限るものでないことは一見して明白で、明らかに「民法の不法行為も入り得る」。オウムの例も、明覚寺も、事案が刑事法違反だったから、裁判所は刑事法違反を採っただけで、「民法の不法行為は入らない」と判断したわけではない。政府の有権解釈が確定していたわけでもない。岸田首相に長年の政府の法解釈を一夜にして強引に変更したのなら大英断というべきだが、さほどのことでもなく、答弁のチグハグがあったという程度のこと。彼は、「世論に迎合した」というよりは、この点については「世論に耳を傾けた」のだ。日本の憲政史に残るほどの出来事でもなく、「汚点」というのは的外れも甚だしい。
「すべてを一変させたのは、昨年7月の安倍元首相の暗殺事件でした。私たちの教団は、それ以前と何ら変わるところがありません。それにもかかわらず、私たちの教団を取り巻く環境はジェットコースターのように変容していき、気がつくと私たちは、マスコミ報道によって“絶対悪”のモンスターのようにされていました。」
この感想は、分からないでもない。安倍晋三に対する銃撃が、安倍だけでなく統一教会をも撃ったのだ。被害者である安倍への世論の同情があってしかるべきでははないか。安倍と親密だった統一教会に、なにゆえ同情ではなく、世の中の敵意が集中したのか。その理由は単純である。銃撃犯の動機が世に知れたからだ。世間は、元首相の銃撃死に衝撃を受けたが、銃撃犯の動機として統一教会が一家庭を不幸のどん底に追い込んだ統一教会という宗教組織の恐ろしさを知って戦慄したのだ。そして、そのような恐るべき宗教と政権与党との醜悪な癒着についても。もちろん、教団が変わったわけではない。ただ、教団の闇の部分に光が当てられたというだけのことなのだ。
「私たちの教団は、1964年7月15日、宗教法人として東京都の認証を受けて以来、神を中心とした理想家庭をとおした世界平和実現の夢をかかげ、「為に生きる」という創設者の教えを広め、日本と世界の為に生きる教会を目指して今日まで、伝道、教育、さまざまな社会活動などに取り組んでまいりました。」
個人が信ずる宗教教義が何であれ国家が介入することではない。布教も団体の設立も自由だ。だが、宗教団体が宗教団体であるがゆえに、特別な法的地位や権限をもつわけではない。この当然のことを宗教法人法86条は「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない」と定める。統一教会は、その「伝道、教育、さまざまな社会活動など」の取り組みにおいて、「公共の福祉に反した行為」を続けてきた。主としては霊感商法と高額献金、さらには集団結婚式や違法勧誘など。その指弾が、ようやくに解散命令請求となったのだ。
「その間、多くのお叱りを受けることもございましたが、2009年のコンプライアンス宣言以降、教会改革に積極的に取り組み、特に未来を担う新しい世代の指導者を立て、現在まで継続して改革を推進し、昨年9月以降は法人内に「教会改革推進本部」を設置し、更なる改革に取り組んでまいりました。」
「その間、多くのお叱りを受けることもございました」と認めるとおり、多数の民事刑事の判決例の集積がある。そして、2009年のコンプライアンス宣言以降もその体質は改まっていない。この度、文科省が解散命令請求の要件として意識したのはこの点であり、その資料の集積あっての解散請求である。この点は、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)の、9月30日声明を一読すればよく分かる。
https://www.stopreikan.com/seimei_iken/2023.09.30_seimei.htm
「その意味で、今回の政府による解散命令請求は、古い世代の教会員にとっても、新しく教会を担っていこうとする二世、三世たちにとっても極めて残念な事態と言わざるを得ません。」「私たちは、国から解散命令を受けるような教団ではないと確信しております。私たちの信徒たちと直に接してきた方々、長年にわたってお付き合いしてきた方々は、同意してくださると思います。ただ、テレビのワイドショーなど左翼系弁護士の根拠薄弱な情報を垂れ流すだけのマスコミ報道を鵜呑みにした大多数の国民に対して、私たちの教団の真実の姿を伝えることができなかったことは、私たちの力不足であったと痛感しております。」
統一教会の戦略は保守権力との癒着であった。「反共」「家父長制」「性的役割の固定化」などが保守に取り入るためのキーワードであった。が、大多数の国民にはこれらの呪文は効果なく、安倍晋三銃撃犯が明らかにした「私たちの教団の真実の姿」が、統一教会糾弾の世論を喚起し解散命令請求にまで結実したのだ。
「今後は、裁判において、私たちの法的な主張を行っていく予定です。また、国民の皆様からも、少しでも私たちの教団を理解していただけるよう、今後も積極的な情報発信などに努めてまいります。」
裁判において法的な主張を行っていくことは権利として保障されている。正々堂々と主張すればよい。しかし裁判所の解散命令と清算手続には真摯に従う姿勢を見せていただきたい。清算手続は信者からむしりとったものを、財産が残っている範囲で被害者に返還する手続である。法の整備如何にかかわらず、財産隠匿や韓国などへの横流しは姑息な恥ずべき行いだ。自ら財産を保全して、解散後の財産清算手続には協力すべきが当然の良識ある者に期待される姿勢ではないか。それとも、良識を期待することが荒唐無稽だろうか。
なお、「国民の皆様からも、少しでも私たちの教団を理解していただく」ために必要なのは、「積極的な情報の発信」ではない。まずは、正体隠しの違法な勧誘や高額献金勧誘をやめて、自らを糺すことである。違法を重ね、人の不幸を作り続けてきた教会の体質を反省し、真に改めることに尽きる。
(2023年8月16日)
毎年、熱い夏の真っ盛りの8月15日に、あの戦争の敗戦記念日を迎える。
敗戦の4年前、1941年の8月には、天皇制政府はまだ対米英戦開戦の決断をしていない。アメリカの対日石油輸出全面禁止の経済制裁に戦火で応じるべきか対米外交で事態を切り拓くか、まだ近衛内閣が右往左往している時期。歴史を巻き戻すことができるのなら、このときに無謀な選択肢の回避あれば、300万に近い日本人の死は防げた。さらには2000万人に近い近隣諸国民に対する殺戮も防止できた。
41年9月6日の御前会議で、開戦の方向性がほぼ決まったとされる。その前日、天皇(裕仁)は、陸軍参謀総長と海軍軍令部長を呼びつけて、「(対米開戦をした場合に)必ず勝てるか」と聞いている。もちろん、彼我の戦力の大きな落差を知悉している専門家が、「勝てます」というはずもない。それでも、舵は開戦の方向に切られて行く。無責任の極み。
その年の10月には近衛が政権を投げ出し、主戦派の陸相東条英機に組閣が命じられる。こうして、国民の知らぬうちに12月8日開戦の準備が進む。宣戦布告なき不意打ちによる緒戦の戦果を、裕仁はいたく喜んだという。
しかし、42年の夏には既に形勢が逆転していた。早くも4月にドゥーリットルの東京空襲があり、6月にはミッドウェー海戦での大敗北があった。43年の夏は撃墜された山本五十六国葬の後に迎えている。多くの人が、日本は勝てないのではないかと思い始めていたころ。そして、44年の夏には、サイパン守備隊全滅後に東条内閣が倒れて小磯国昭内閣が成立している。既に敗戦必至の夏であった。
そして1945年の特別に熱い夏、何よりも「遅すぎた聖断」がもたらした惨禍の中で迎えた夏である。為政者の決断の遅延がかくも甚大な被害をもたらすという典型として記憶されねばならない。天皇(裕仁)が「一撃講和論」や「国体護持」に固執せず、早期降伏を決断していれば、東京大空襲も沖縄の悲劇もヒロシマ・ナガサキの惨劇もなかった。天皇(裕仁)の責任が開戦にあることは当然として、終戦遅延の責任も忘れてはならない。
その天皇(裕仁)の孫(徳仁)も出席して、昨日政府主催の「全国戦没者追悼式」が挙行された。毎年のことではあるが、主催者である首相の式辞には大きな違和感を禁じえない。昨日の岸田首相式辞全文を引用して、点検しておきたい。以下「」内が首相式辞であり、続く( )内が私のコメントである。
「天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。」
(冒頭に「天皇、皇后両陛下のご臨席」はあり得ない。あたかも式の主役が「天皇、皇后両陛下」であるごときではないか。冒頭の呼びかけは、何よりも「戦没者」あるいは、「戦没者のご遺族」としなければならない。「天皇、皇后両陛下」への言及はなくてもよい。あっても最後でよい。そして、天皇を「仰ぐ」必要はまったくない)
「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に倒れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄での地上戦などにより犠牲となられた方々。今、すべての御霊の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。」
(「祖国」に違和感が拭えない。「祖国の行く末を案じつつ戦場に倒れた」人がなかったとは言えないにもせよ、多数であったはずはない。少なくとも、ここに真っ先に掲げることではない。無惨に自分の人生を断ち切られた無念。家族や愛する人との離別を強いられた怨みや悲しみや悔恨の情なら共有できる。「祖国」や「国体」が顔を出せばシラケるばかり)
「今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。」
(常套文句だが、明らかに間違っている。これでは、戦争賛美の文脈ではないか。「今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたもの」とは、「あなた方が命を掛けてあの戦争を果敢に戦ってくれたおかげで、生き延びた者が今日の平和と繁栄を手に入れた」「あの戦争が今日の平和と繁栄をもたらした」と読むしかない。あたかも、あの戦争が正しいものだったと言わんばかりではないか。戦没者に捧げるものが「敬意と感謝の念」ではおかしくないか。実は、あの不正義の侵略戦争に加担させられた多くの戦没者の戦闘行為は、今日のわが国の「平和」や「繁栄」に何の因果関係も持たない。あの戦争を徹底して否定することから、今日の「平和」も「繁栄」も出発しているのだ。だから、戦没者に捧げるべきは「謝罪と悔恨と不再戦の決意」でなければならない)
「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。国の責務として、ご遺骨の収集を集中的に実施し、一日も早くふるさとにお迎えできるよう、引き続き、全力を尽くしてまいります。」
(異論はない。厚労省によると22年末時点で海外での戦没者およそ240万人のうち、半数近い112万人ほどの遺骨が未収容のままなのだという。急がねばならない。「引き続き、全力を尽くす」では、あたかもこれまでも「全力を尽くして」きたようではないか)
「戦後、わが国は一貫して、平和国家として、その歩みを進めてまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。
(正確には、「戦後、わが国の政権与党は一貫して、再軍備を図り国防国家建設を目指してまいりましたが、国民多数がこれに与せず、結果として平和国家としてその歩みを進めてまいりました」と言うべきだろう)
「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを今後も貫いてまいります。いまだ争いが絶えることのない世界にあって、わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面するさまざまな課題の解決に、全力で取り組んでまいります。今を生きる世代、そして、これからの世代のために、国の未来を切り開いてまいります。
(「積極的平和主義」がいけない。これは、安倍晋三以来、圧倒的な軍事力の増強によって自国の平和を守ろうという考え方を意味する。「積極的平和主義」の旗のせいで、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓い」は、再び敗戦の憂き目を見ることのなきよう軍備を増強する、という意味になりかねない)
「終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆さまにはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。」
(この文章は良い。飾り気なく、分かり易く、遺族の気持ちに添うものとなっている)
天皇(徳仁)もこの式に出席しただけでなく、一言述べている。首相と違って、その存在自体が違和感の塊なのだから、その一言々々に改めての違和感を論じるまでもないと言えばそのとおりではあるのだが…。
「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」
(「深い悲しみを新たにいたします」と、その程度のものだろうか。戦没者に対して、いたたまれない自責の念はないのだろうか。痛切な反省の思いの感じられない一言)
「終戦以来78年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。」
(「多くの苦難に満ちた国民の歩み」とは、戦争の惨禍からの立ち直りの過程を言っているのだろうが、「天皇の名による戦争」を起こし、苦難を強い、国体護持のために戦争終結を遅延した祖父の責任を、少しは身に沁みて感じているのだろうか)
「これからも、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。」
(「私たち皆で心を合わせ続けることを、心から願います」って、意識的な天皇独特文法なのだろうか、それとも単なる出来の悪い文章に過ぎないのか)
「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
(今年も挿入されたこの部分、「過去を顧み、深い反省の上に立って」が話題となっている。しかし、この「過去を顧みての深い反省」は、誰が誰に対して何を反省しているのか、さっぱり分からない。近代天皇制国家による侵略先近隣諸国民に対する殺戮や強奪の反省であれば立派なものだが、残念ながら「謝罪」の言葉がない。自国民に対する天皇の戦争への動員についての反省でも、戦没者遺族には慰謝になるのではないか。来年は、「過去を顧みての深い反省」の内容を明晰にする努力をしてみてはいかがか)
(2023年8月12日)
夏、戦後78年目の8月である。猛暑のさなかではあるが、既に新たな戦前ではないかというささやきが聞こえる中、あの戦争を忘れてはならない、戦争の悲惨と平和のありがたさを語ろう、という催しが例年に増して盛んである。
私の地元文京区でも、シビックセンターで、まず武田美通全作品展「戦死者たちからのメッセージ」(7月20日(水)?25日(火))が開催された。勇ましい兵士ではなく惨めに戦死した兵士、この上なく傷ましい戦没兵の鉄の造形。リアルな軍装のまま骸骨と化した兵士たちの群像が衝撃的である。
物言いたげな鉄の死者たち、死後もなお軍装を解くことを許されない兵士の群像から放たれているものは、鬼気迫る怨みの霊気。決して穏やかに靖国に鎮座などできようはずもない、浮かばれぬ者たち。
この兵士たちは、生前には侵略軍の一員であったろうが、欺され、強いられ、結局は無惨に殺されたことへの、憤懣やるかたない怒りと怨みとそしてあきらめ。生者を撃つ力を感じさせる死者の鉄の造形であった。
https://sites.google.com/view/takedayoshitou/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
次いで今年も、「平和を願う文京・戦争展」(8月10日(木)?12日(土))が開催されている。宣伝チラシに、「日本兵が撮った日中戦争『南京で何が起こったのか』」とテーマが語られている。
この「戦争展」は、第5回である。2019年の第1回展以来、文京区(教育委員会)に後援を申請している。そして、5回とも却下の憂き目に遭っている。どうにも、納得しがたい。
この間の経緯を昨日(8月11日)の東京新聞が、「戦争写真展の『後援』を文京区教委が5年も断り続けるのはなぜ? 『議論が分かれている』と展示に注文」という見出しで報じている。
「日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮った写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」を巡り、開催地の東京・文京区教育委員会が、主催者の後援申請を認めない状態が五年にわたり続いている。展示の中にある写真説明の表現が、政府見解と異なる点などが主な理由という。一方、主催者側に内容を変える意向はなく、議論は平行線をたどっている。
写真展は二〇一九年、戦争を加害と被害の両面から見つめ直そうと、日中友好協会文京支部が始めた。区出身の村瀬守保さん(一九〇九?八八年)が戦地で撮影した写真のパネルを展示。兵士の日常から遺体が並ぶ様子まで、さまざまな場面が写されている。
主催者側は、第一回から後援を申請。しかし、一九年七月の教育委員会定例会の議事録によると、「議論が分かれている内容で、中立の立場を取るべき教育委員会が後援することは好ましくない」などとして不承認を決定。翌年以降も同様の理由で承認していない。
区教委が問題視しているのは、展示の中にある「(慰安婦の)強制連行」や「南京大虐殺」などの表現だ。だが主催者側は、日中友好協会から写真と説明文をセットで借りており、表現は変えられないとする。日中友好協会文京支部長で実行委員長の小竹紘子さん(81)は「歴史に正面から向き合わなければ、日本が世界から信用されなくなってしまう」として、引き続き区教委の後援を求めていく考えを示す。
一方、区教委の担当者は「南京大虐殺」という表現が政府見解と異なるとした上で、「表現を変えるなどの対応をしてもらうことが、議論の入り口になると考えている」と説明しており、堂々巡りの状況が続いている。」
文京区が平和主義に特に後ろ向きというわけではない。1979年12月には、「文京区平和宣言」を発出している。宣言の文言は、下記のとおりである。
「文京区は、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、ここに平和宣言を行い、英知と友愛に基づく世界平和の実現を希望するとともに人類福祉の増進に努力する。」
さらに、1983年7月には、下記の文京区非核平和都市宣言を発している。
「真の恒久平和を実現することは、人類共通の願いであるとともに文京区民の悲願である。文京区及び文京区民は、わが国が唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさと被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再び広島・長崎の惨禍を繰り返してはならないことを強く主張するものである。
文京区は、かねてより、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、平和宣言都市として、永遠の平和を確立するよう努力しているところであるが、さらに、われわれは、非核三原則の堅持とともに核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴え、「非核平和都市」となることを宣言する。」
文京区も、形の上では平和を希求する姿勢をもっている。戦争を考える企画を自ら主催することもないわけではない。しかしその企画は、戦争の被害面についてだけ、あるいは日本に無関係な他国間の戦争についてのものにとどまり、日本の加害責任に触れる企画はけっしてしようとしない。後援すら拒否なのだ。
本音は知らず。その表向きの理由を、教育委員会議事録から抜粋すると次のとおりである。
教育長(加藤裕一)「皆さんのご意見をまとめますと、中立公正という部分と、あと見解が分かれているといったところ、あるいは政治的な部分、そういったところを含めて総合的に考えると、今回についてお受けできないというご意見だと思います。それでは、この件については承認できないということでよろしいでしょうか。(異議なし)それではそのように決定させていただきます。」
この結論をリードしたのは次の意見である。
坪井節子委員(弁護士)「今の情勢の中で、この写真展、南京虐殺があった、あるいは慰安婦の問題があったという前提で行われる催しに教育委員会が後援をしたとなりますと、場合によってはそうでないという人たちから同じようなことで文京区の後援を申請するということが起きることは考えられると思います。シンポジウムをしますからとか、文京区は公平な立場であるのであれば、あると言った人も後援したんだから、ないと言っている人も後援しろというジレンマに陥りはしないか。そういうところに教育委員会が巻き込まれてしまうのではないか。そこにおいて私は危惧をするんです。教育の公正性ということを教育委員会が守るためには、シビアに政治的な問題が対立するところからは一歩引かないとならないんじゃないかと…。」「そういう意味において、今回の議案については同意しかねるという風にさせていただきたい。」
この「中立・公正」論は、いま全国で大はやりである。歴史修正主義者・ウルトラナショナリストの声高な主張を引用し、これを口実にして、真実から目をそらす手口なのだ。結果として、歴史修正主義に加担することになる。いや、これが、歴史修正主義に与するための常道なのだ。こんな形式論で、結論を出されてはたまらない。それこそ教育委員の見識が問われねばならない。
たとえば、ナチスのホロコーストの存在は歴史的事実と言ってよい。しかし、ホロコースト否定論は昔から今に至るまで絶えることはない。動かしがたいナチスの犯罪の証拠に荒唐無稽な否定論を対峙させて、「中立・公正」な立場からは、「両論あるのだから歴史の真実は断定できない」と逃げるのだ。
小池百合子の「9・1朝鮮人朝鮮人犠牲者追悼」問題も同様である。歴史を直視することを拒否する右翼団体が、「自警団による朝鮮人虐殺はウソだ」「犠牲者数が過大だ」「朝鮮人が暴動を起こしたのは本当だ」と騒いでいることを奇貨として、それまで毎年追悼式典に出していた都知事による追悼文を撤回する口実に使った。
天動説と地動説、両論あるから「中立・公正」な立場からは真実は不明と言うしかない。科学者は進化論を真理というが、人間は神に似せて作られたと信じている人も少なくない。「中立・公正」な立場からは、どちらにも与しない。
教育勅語は天皇絶対主義の遺物として受け容れがたいという意見もあるが、普遍的道徳を説いたものという見解もある。放射線は少量であっても人体に有害という常識に対して一定量の放射線は人体に有益という異論もある。「中立・公正」な立場からは、シビアに問題が対立するところからは、一歩引かないとならないというのか。
中華民国の臨時首都であった南京で、皇軍が行った中国人非戦闘員や投降捕虜に対する虐殺には多くの証言・証拠が残されている。その規模についての論争は残るにせよ、この史実を否定することはできない。日本軍従軍慰安婦の存在も同様である。個別事例における強制性の強弱は多様であっても、日本軍の関与は否定しがたい。あったか、なかったかのレベルでの論争が存在するという文京教育委員諸氏の発言が信じ難く、その認識自体が、政治学的な研究素材となるべきものと指摘せざるを得ない。
一昨年(2021年)の「戦争展」では、来場者に文京区長宛の「要望書」(2020年12月14日付)が配布された。A4・7ページの分量。南京事件も、従軍慰安婦も、史実である旨を整理して分かり易く説いたもの。この件についての歴史修正主義者たちのウソを明確に暴いている。
「史実」の論拠として挙げられているものは、まずは外務省のホームページを引用しての詳細な日本政府の見解。そして、家永教科書裁判第3次訴訟、李秀英名誉毀損裁判、夏淑琴名誉毀損裁判、本多勝一「百人斬り訴訟」などの各判決認定事実の引用、元日本兵が残した記録や証言、南京在住の外国人やジャーナリスト、医師らの証言、この論争の決定版となった偕行社(将校クラブ)のお詫び、日中両国政府による日中歴史共同研究…等々。
それでも、文京区教育委員会は頑強に態度を変えなかった。この展示の中で、一番問題となったのは、揚子江の畔での累々たる死体でも、慰安所に列をなす日本兵の写真でもなく、中国人捕虜の写真に付された下記のキャプションであったという。
捕虜の使役 「漢口の街ではたくさんの捕虜が使われていました。南京の大虐殺で世界中の非難を浴びた日本軍は漢口では軍紀を厳重に保とうとして捕虜の取り扱いには特に気を使っているようでした。捕虜の出身地はいろいろです。四川省、安徽省などほとんど全国から集められているようで、中には広西省の学生も含まれていました。貴州の山奥に老いた母と妻子を残してきたという男に、私はタバコを一箱あげました。」
この文章の中の「大虐殺」「世界中の非難」がいけないのだという。とうてい信じがたい。これが、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」(2019年8月2日東京新聞記事見出し)の正体なのだ。
私は、かつて「『南京事件をなかったことにしたい』人々と、『あったかなかったか分からないことにしてしまいたい』人々と」という表題のブログを書いたことがある。
https://article9.jp/wordpress/?p=20462
毎年12月13日が、中国の「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」である。現在、「国家哀悼日」とされて、日中戦争の全犠牲者を悼む日ともされている。この「南京大虐殺」こそは、侵略者としての皇軍が中国の民衆に強いた恥ずべき加害の象徴である。
私も南京には、何度か足を運んだことがある。「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」も訪れている。そこでの印象は、激しい怒りよりは、静かな深い嘆きであった。粛然たる気持にならざるを得ない。
私の同胞が、隣国の人々に、これだけの残虐行為を働いたのだ。人として、日本人として、胸が痛まないわけがない。
しかし、日本社会は、いまだに侵略戦争の罪科を認めず、戦争責任を清算し得ていない。のみならず歴史を修正しようとさえしている。そのことについては、戦後を生きてきた私自身も責任を負わねばならない。安倍晋三のごとき人物を長く首相の座に坐らせ、石原慎太郎や小池百合子のごときを都知事と据えていたことの不甲斐なさを嘆いても足りない。そんな社会を作ったことの責めを自覚しなければならない。
南京事件にせよ、関東大震災後の朝鮮人虐殺にせよ、細部までの正確な事実を特定することは難しい。虐殺をした側が証拠を廃棄し、直後の調査を妨害するからだ。大混乱の中で大量に殺害された人々の数についても正確なところはなかなか分からない。
細部の不明や、些細な報道の間違いを針小棒大にあげつらって、「南京虐殺」も、「朝鮮人虐殺」もなかった、という人たちがいる。事実の直視ができない人たち、見たくないことはなかったことにしたいという、困った人たちである。
「南京虐殺40万人説」はあり得ない、「30万人説も嘘だ」。だから、「実は、南京虐殺そのものがなかったのだ」という乱暴な「論理」。
そういう人たちの「論理」の存在を盾に、「『南京虐殺』も、『朝鮮人虐殺』もあったかなかったか、不明というしかない」という一群の人たちがいる。実は、こちらの方が、「良識の皮をかぶっている」だけに、もっともっと困った人たちであり、タチが悪いのだ。
旧軍がひた隠しにしていた南京虐殺は、東京裁判で国民の知るところとなった。以来、日本国政府でさえ、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」としている。ところが、「不明」「不可知」に逃げ込む人々が大勢いる。知的に怠惰で、卑怯な態度といわねばならない。これが、後援申請を却下した文京区教育委員の面々である。人として、日本人として、胸の痛みを感じないのだろうか。区教育委員会には何の見識もない。戦争を憎む思想も、戦争への反省を承継しようとの良識のカケラもない。
文京区教育委員会事案決定規則によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。
教育委員諸氏には、右翼・歴史修正主義者の策動に乗じられ、これに加担した不明を恥ずかしいと思っていただかねばならない。自分のしたことについて、平和主義に背き、歴史に対する罪を犯したという、深い自覚をお持ちいただきたい。
戦争体験こそ、また戦争の加害・被害の実態こそ、国民全体が折に触れ、何度でも学び直さねばならない課題ではないか。「いろいろ見解があり、中立を保つため」に後援を不承認というのは、あまりの不見識。教育委員が、歴史の偽造に加担してどうする。職員を説得してでも、後援実施してこその教育委員の見識ではないか。
「政府や世間に逆らうと面倒なことになるから、触らぬ神を決めこもう」という魂胆が透けて見える。このような「小さな怯懦」が積み重なって、ものが言えない社会が作りあげられていくのだ。文京区教育委員諸君よ、そのような歴史の逆行に加担しているという自覚はないのか。
このような結論を出しつつけてきた不名誉な教育委員5氏の氏名を改めて明示しておきたい。なんの役にも立たずお飾りだけの教育委員であることに、少しは反省を気持ちを持っていただきたいのだが…。
教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)
なお、田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)は昨年退任し、福田 雅(日本サッカー協会監事)に交替している。あたかも、「日本サッカー協会枠」があるがごとくではないか。はなはだ不明朗で、不快この上ない。
(2023年7月8日)
安倍晋三銃撃の衝撃から、本日で1年である。あの衝撃の正体が何であったか、自分のことながらまだ掴みかねている。「棺を蓋うて事定まる」とはいうが、安倍国葬の愚を経てなお、事は定まっていない。
事件翌日の毎日新聞社説の表題が、「安倍元首相撃たれ死去 民主主義の破壊許さない」であった。記事の冒頭に、「暴力によって民主主義を破壊しようとする蛮行である。…強い憤りをもって非難する」とあった。1年前、その表題の社説を違和感なく受け容れた。標的にされた者がいかに非民主的な劣悪政治家であろうとも、政治テロを許してはならない。民主主義的秩序の崩壊を恐れる気持ちが強かった。要人に対する襲撃の連鎖が起るのではないかと、本気で心配もした。
しかし、間もなく事態が明らかになるにつれて、評価の重点は明らかに変わってきた。「暴力によって民主主義を破壊しようとする蛮行を許さない」ことは当然として、「悲劇の死をもって、劣悪政治家やその政治を美化してはならない」のだ。
板垣が自由民権運動の裏切者であるにせよ、また史実がどうであれ、「板垣死すとも自由は死なず」は名言である。自らの死を賭して、自由民権の理念に身を投じた政治家の心意気を示すものとして、民衆の喝采を浴びた。
安倍晋三には、そのような神話が生まれる余地がない。もし可能であったとして、死の間際に彼は何と言ったろう。「晋三死すとも、疑惑は死なず」「安倍は死すとも、改憲策動は死せず」「晋三死すとも、強兵は死なず」「安倍は死んでも、政治の私物化はおさまらない」「晋三亡ぶも、皇国は弥栄」…。およそ、様にならない。
何よりも、安倍晋三の死は、統一教会との癒着と結びついている。安倍と言えば統一教会、銃撃と言えば統一教会、安倍晋三と言えば韓鶴子・UPF・ビデオメッセージ。そして、誰もが安倍の死に関して連想するのが、祖父の代からの統一教会との深い癒着である。自民党なかんずく安倍3代と、この金まみれの人を不幸にするカルトとの醜悪な癒着は徹底して暴かれなくてはならず。また、徹底して批判されなければならない。
統一教会問題だけでなく、安倍政治を、いささかも美化してはならない。今、岸田政治は、安倍の亡霊に憑依されているからだ。安倍政治から離脱することで、世論に迎合するかに見えた岸田政権だが、党内の安倍残党に支配されているからなのだ。
安倍政治とはなんだったか、日本国憲法に敵意を剥き出しにし、教育基本法を改悪し、集団的自衛権の行使を容認して戦争法制定を強行し、政治を私物化してウソとごまかしを重ね、行政文書の捏造と隠蔽をこととし、国会を軽視して閣議決定を万能化し、恣意的な人事権の行使で官僚を統制した。
沖縄問題を深刻化し、核軍縮に背を向けた。経済政策では、新自由主義をこととして格差と貧困を拡大し、その無能で日本の経済的な地位を極端に低下させた。外交では、対露、対中、対韓関係に大きく失敗し、拉致問題では1ミリの進展もみせなかった。オリンピックでは腐敗と放漫支出を曝け出し、コロナ対策ではもっぱらアベノマスクでのみ記憶されている。
政治テロは許さない決意を固めつつも、銃撃死したことで、安部政治を美化したり、聖化したりしてはならない。非業の死を遂げた人を批判するにしのびない、などと躊躇してはならない。大いなる、醜悪な負のレガシーを持つ最悪・最低の首相だったこんな人物。こんな人物を長く権力の座に据えていた日本の民主主義のレベルを恥じなければならない。
(2023年7月5日)
先月の28日、統一教会の本部(韓国・清平)で、教団トップの韓鶴子が、日本人を含む約1200人の幹部信者を前に、「岸田を呼びつけ、教育させなさい!」と演説した旨報じられている。
岸田と呼び捨てにされたのは、日本の首相である岸田文雄のこと。「岸田を呼びつけ、教育させなさい!」は、演説というよりは、悪罵を浴びせたというのがふさわしい。
複数メディアが入手した韓鶴子の音声データの翻訳はこんなところ。
「1943年、韓半島で独生女(救世主=韓鶴子自身を指す)が誕生しました。分かっているのは、日本は第2次世界大戦の戦犯国だということ。犯罪の国。ならば賠償すべきでしょ、被害を与えた国に」
「今の日本の政治家たちは、我々に対して何たる仕打ちなの。家庭連合(統一教会のこと)を追い詰めているじゃない。私を救世主だと理解できない罪は許さないと言ったのに。その道に向かっている日本の政治はどうなると思う? 滅びるしかないわよね! あなた(信徒)たちの運動は国(日本のこと? それとも韓国のことか?)を生かす道だ!」
「政治家たち、岸田をここに呼びつけて、教育を受けさせなさい! 分かっているわね!」
信者たちは、歓声と拍手で応え、「万歳!!」と叫んだという。統一教会とは、統一教会信者とは、「韓鶴子を救世主だと理解できない罪は許さない」という、思い上がりも甚だしい、他からは理解不能の集団なのだ。
その統一教会が、日本の右翼と相性が良い。とりわけ、岸信介・笹川良一・安倍晋三などが教団と癒着し、これに取り入っていたことはよく知られている。国士を気取る右翼の輩が、どうして韓国ナショナリズム集団とかくも親和的であるのか、理解しがたい。岸田を除く自民党の連中が、「文鮮明や韓鶴子を救世主だと理解していた」というのだろうか。
その韓鶴子が創設したのが、「世界平和女性連合」である。統一教会の宗教法人としての登録名が「世界平和統一家庭連合」。名称が近似しているだけではない、ダミー団体。その女性連合が、「韓鶴子を救世主だと理解できない」弁護士7名を被告とし、損害賠償を求めて東京地裁に新たな提訴をした。昨日(7月4日)のことである。請求金額は、3300万円。
この訴訟の原告代理人となった弁護士は、統一教会お抱えとしてお馴染みの福本修也ではなく、これまでは、右翼の弁護士として知られていた徳永信一。なるほど、統一教会のダミーと攻撃されている女性連合の代理人が統一教会お抱え弁護士では座りが悪いということなのだ。統一教会と右翼との蜜月を見せつける弁護士選任である。
女性連合は、6月から8月にかけて、全国28カ所で留学生向けの日本語弁論大会を開く。全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)は、これを「旧統一教会の資金集め、人集めのためのイベント」と指摘して警戒を呼び掛け、6月15日の全国弁連声明では、女性連合は「ボランティア組織を仮装した悪質な献金勧誘団体」として、全国の自治体に施設の利用許可をしないよう求めた。
女性連合は、この声明を「宗教ヘイト」と主張、弁連の主要メンバーである弁護士7人に損害賠償を求めて提訴した。訴状提出後の記者会見では、「声明は悪質な印象操作だ」「旧統一教会と創設者は同じだが、活動も運営も独立した別個のNGO団体だ」とし、全国弁連の声明は「事実無根で名誉毀損に当たる」、自治体への働きかけは「差別的取り扱いを勧奨する宗教ヘイトとして、法の下の平等を定める憲法14条などに反する」とした。
この訴訟には万に一つも、原告側の勝ち目はない。勝ち目がなくても、提訴によって統一教会に対する批判の言論を怯ませることができるだろうという思惑だけがよく見える。
しかし、スラップは常に両刃の剣である。この訴訟も、原告敗訴が確定した時の、統一教会側のダメージは大きい。全国弁連側がコメントしているとおり、「訴訟の中で、女性連合の実態が明らかにされざるを得ない」からだ。統一教会は、この提訴によって自分を斬って傷つくことになるだろう。