澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

青は藍より出でて藍よりも青く、スガはアベより出でてアベよりも奸佞なり。

(2020年10月27日)

 この8年近く、アベ政権の愚劣さ醜悪さにはほとほとウンザリだった。8月末にようやく幕引きとなって、少しはまともな新政権誕生かと期待したが、結局はアベ承継内閣の成立だという。なんということだ。

 まったく同感だ。これまでの自民党政権は、振り子のように政策の交替を繰り返してきた。ダーティ極まるアベ政権が終わったらクリーンなイメージに転換するかと思いきや、これまでアベ政権を動かしてきたスガが首相とは驚いた。操り人形が捨てられて、人形使いが表舞台に姿を現したという印象。「アベ・スガ政権」と一体のものとして捉えるしかないね。

 しかも、政権発足直後に、早くも日本学術会議人事に対する介入事件。これは、ひどいね。この強引さ、この説明拒否の頑なさは、アベ以上のものではなかろうか。

 スガはアベ承継内閣と自称しているが、強権性やあくどさはスガの方が強いのかも知れない。「スガはアベより出でてアベよりも奸佞」な印象をもたざるを得ない。

 スガが敢えてした学術会議の推薦会員任命拒否、この事態の重大さをいったいどう捉えたらいいのだろうかね。

 いったい、今の時代にあることなのかという、とても不気味な感じがする。
1925年の治安維持法制定以来、国体思想・皇国史観は異論を許さないものとなっていった。1930年代には、さらに極端な思想弾圧事件が続いた。一口に言えば、中国への侵略戦争の深刻化とともに、国家が国民にたいする思想統制を深化し、さらに大きな戦争の準備をした。スガ政権のこの強引な権力的やり口に、当時を想起せざるをえない。

 天皇制政府が、国体思想・皇国史観で国民精神を一色に染め上げるために、教育もメディアも宗教も支配したことは周知の事実だ。それとならんで、科学や学問の統制にも異常に熱心だった。主なものだけでも、京大の滝川事件、東大美濃部達吉の天皇機関説事件、そのあとの矢内原事件、河合栄治郎事件、津田左右吉事件などと続く。あの時代のことは現代とは断絶した過去のもので、繰り返されることなどあり得ないと思っていたけどね。

 いずれの事件も、他の研究者に対する恫喝効果は十分で、官許の学問しか許さないという天皇制政府の思想統制は成功したと言ってよいだろう。津田左右吉の古代史に関する著作4冊が発売禁止となったのが、1941年の2月。津田と出版元の岩波茂雄が、出版法違反で起訴されたのが3月だ。出版物が「皇室ノ尊厳冒瀆」に当たるということでの起訴だった。この辺りで、思想統制は完成し、この年の12月に太平洋戦争が始められている。研究者も戦争協力を強制された。

 今、そんな時代の再来を心配をしなければならないのだろうか。

 もちろん、すぐにそうなるとは思わない。しかしね。日本は天皇制権力による思想統制を反省して戦前を清算したはずだった。戦後日本の政権は権力行使に謙抑的でなくてはならず、国民の思想・信条・良心に踏み込んではならない。それが当たり前のことだった。その当たり前が、当たり前ではなくなったことに衝撃を受けざるを得ない。戦後民主主義が崩れていく、という不気味さだ。

 そうだね。学術会議は戦前を反省して1949年に、政府からの「独立」を金看板に設立された。学術会議法にも「独立して職務を行う」と明記され、設立総会では、当時の吉田茂首相が、学術会議を「国の機関ではありますが、その使命達成のためには、時々の政治的便宜のための制肘を受けることのないよう、高度の自主性が与えられておる」と祝辞を寄せているそうだ。政府の意のままになる機関としてなら、存在意義はない。

 学術会議法の前文には、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。」とある。学術会議は「平和のための学術」を目指した組織であって、「平和のための学術」には「政府からの独立」が不可欠と考えられていたわけだ。

 そうか。吉田茂の言質は投げ捨てられて、スガは学術会議の「政府からの独立」を崩壊させようとしている。それは、「平和のための学術」が邪魔になったからだというわけか。

 法的には、思想・良心の自由や、学問の自由の侵害が問題にされるが、実は「平和のための学術の独立」が標的とされているということが、問題の本質ではないかと思うんだ。

 なるほど、10月23日に、櫻井よしこら右翼が、産経・読売に掲載した意見広告がこう言っている。

「学術会議は、連合国軍総司令部(GHQ)統治下の昭和24年に誕生しました。…日本弱体化を目指した当時のGHQは学術会議にも憲法と同様の役割を期待したのでしょう。会議はこれに応えるように「軍事目的の科学研究は絶対に行わない」との声明を何度も出してきました。憲法も学術会議も国家・国民の足枷と化したのです。」

 学術会議は、「軍事目的の科学研究は絶対に行わない」という、その姿勢が、政権や右翼から叩かれているということなんだ。

 そもそもこんな露骨なことを、政権が表立ってできる時代になってしまったかと慨嘆せざるを得ない。こんなことが2度とないようにという戦後民主主義だったはずだが、アベ・スガ政権がこれを骨抜きにしようとしている。

 右翼の意見広告も、「日本を否定することが正義であるとする戦後レジームの「遺物」は、即刻廃止すべきです。国家機関である日本学術会議は、その代表格です。」と言っている。人権も民主主義も平和も、右翼や政権から見れば「日本を否定すること」で、戦後レジームの「遺物」なのだ。いま、この問題を機に、政権と右翼が日本国憲法体制を押し潰そうとしているのではないか。

 こんな政権の理不尽を許す世の中の雰囲気が心配だ。戦前においても、決して裸の権力が暴走して左翼やリベラルを弾圧したというわけではない。むしろ、右翼の跳梁や、新聞論調に煽動された民衆の声に乗せられた形で官憲が動くという構図の方が一般的だった。今、学術会議に対する政権の攻撃に呼応した、右翼メディアや右翼言論人による、デマ宣伝や論点すり替えの発言が目に余る。この景色が、薄ら寒い。

 確かに、真っ当な言論と政権ゴマすり言論との、分断と角逐が激しい状況になってきているね。政権寄りの意見を言うのは安全だけど、政権批判の発言には覚悟が必要な時代になっているという印象は僕にもある。

 今、マルティン・ニーメラーの詩を引用する人が増えている。アベスガ政権のやり口にナチスにも似た不気味さを感じているからだ。

 ナチスとたたかった、あの牧師の詩だね。今、噛みしめてみる必要がありそうだ。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

核兵器禁止条約の発効 ー 国民に朗報、政府に悲報

(2020年10月26日)
一昨日(10月24日)、国連が、核兵器禁止条約の批准国数が、条約の発効に必要な50ヶ国・地域に達したと発表した。同条約は、90日後の来年(2021年)1月22日に発効することになった。

同条約は、核兵器の開発から使用までの一切を全面禁止する内容だが、非批准国を拘束する効力はない。周知のとおり、米・英・仏・ロ・中の五大核保有国とその核の傘の下にある諸国は条約への参加を拒否している。インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮も。

しかし、国連で成立した条約が核兵器の存在自体を違法としたことの意味は大きい。これが国際規範なのだ。これからは、この条約を論拠として、全世界からの核廃絶を求める運動が可能となる。

問題は、日本である。正確にいえば日本政府の態度である。唯一の戦争被爆国である日本が、米国の「核の傘」に安住した形で、核廃絶に無関心である。この日本政府の姿勢は、核廃絶を求める国際世論にとって理解し難いものであろう。しかし、多くの日本国民が核廃絶を自分の問題として希求している。だから、政府も核廃絶反対とは言えない。そこで、詭弁を弄することになる。

核廃絶を訴える原水禁運動体や被爆者団体の切実や批准要求の声を拒み続けたアベスガ政権である。本日(10月26日)の臨時国会冒頭におけるスガ首相の所信表明演説にも、核禁条約への言及はまったくなかった。

もしもの話だが、スガがこのタイミングで被爆者の思いを語って核廃絶を訴え、核禁条約の発効に祝意を表したうえ、批准の方針を示したとしたなら…、議場は万雷の拍手に包まれたであろう。政権の支持率は20ポイントも上昇したに違いなかろうに。

決して冗談ではない。米中両大国対立時代における日本の立ち位置として、両国への等距離外交選択の余地は十分にあろう。その第一歩としての、日本の核禁条約批准はあってしかるべきではないか。政権が交代したら実現することになるだろう。

もちろん、現実は「批准NO」の一点張りだ。本日の首相所信表明に先立つ、午前の加藤勝信官房長官会見は、「核禁条約は、我が国のアプローチとは異なる。署名は行わない考え方には変わりない」とニベもない。スガの腹の中を忖度すれば、こんなところだろう。

 「核兵器禁止条約ね。あれは困るんだ。だってね、あの条約は、核兵器の「使用」や「保有」だけでなく、核による「威嚇」も禁じている。「威嚇の禁止」ということは、「核抑止力を原理的に否定する」と同じことだ。北朝鮮だけでなく中国の核も、我が国を標的にしている。米国の核抑止力に依存せざるを得ないじゃないか。そんな、非現実的なトンデモ条約を受け入れられるはずはない。 

 この度の条約発効で、日本政府に条約批准を求める圧力は強まるだろう。それが困るんだ。つまり、ホンネは核廃絶なんて時期尚早と一蹴したいところ。でも、国際世論にも国内世論にも配慮しなけりゃならない。対外的にも、対内的にもそんなホンネは口にできないのが辛いところ。そこで、「条約が目指す核廃絶というゴールは我が国も共有している」「ただ、我が国のアプローチが条約とは異なる」「抑止力の維持・強化を含めて現在の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に現実的に核軍縮を前進させる道筋を追求していくことが適切だ」「我が国としては、地道に核兵器国と非核兵器国の橋渡しをする」と繰り返し言ってきた。もちろん、口先だけのこと。

 ちょっと困っているのが、締約国会議へのオブザーバー参加問題だ。批准して参加国とならないまでも、オブザーバー参加をしたらどうかという問題。そのことを公明党の山口代表が茂木外相に申し入れている。無碍にもしにくいところが悩みのタネだ。ここは、「会合のあり方が明らかになっていないなか、具体的に申し上げる状況にはない。この条約に対する我が国の立場に照らし、慎重に見極めていく」としておこう。

 今日の所信表明演説でも、「わが国外交・安全保障の基軸である日米同盟は、インド太平洋地域と国際社会の平和、繁栄、自由の基盤となるものです。その抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担軽減に取り組みます」と言っておいた。

 なんと言っても抑止力。抑止力のためには新基地建設を強行しなけりゃならんだろう。沖縄の人々に寄り添うと言いながらも、辺野古の海は埋立てる。核廃絶も同じ。被爆者の声に耳を傾けると言いながら、核禁条約に署名はできない。公明党には、格好つけて本気になってもらっては困るんだ。」

「大阪市廃止」の住民投票、最新世論調査で賛否逆転。

(2020年10月25日)
11月1日、来週の日曜日に、いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う大阪市の住民投票が行われる。もっとも、この投票で「大阪都」が生まれるわけではなく、府民の意見が聞かれているわけでもない。大阪市選挙管理委員会による正式な名称は、「大阪市廃止・特別区設置住民投票」である。もちろん、ここには「大阪都構想」の文字はない。問われているのは「大阪市を廃止し、4つの特別区に再編する」ことの是非である。

この住民投票が注目されているのは、もっぱら維新の政治的影響力のバロメータとしてである。2015年の前回投票では、維新が「自・公・共」を相手にたたかって敗れた。最近の地元での維新の勢いを背景にした、再度の住民投票だが、今回は公明が鞍替えし、「維・公」対「自・共」の争いとなっている。

これまで、賛成派が断然優勢とされていたが、反対派との差は縮小しつつあると報じられてきた。そして、本日(10月25日)の世論調査結果の速報で、僅差ながらも賛否が逆転したという。これは、大きなニュースだ。

毎日新聞(デジタル)の本日16時09分(最終更新18時52分)の記事は、次のとおり報じている。

大阪都構想 反対が賛成上回る 9月上旬の前回調査から賛否逆転 世論調査

 大阪市を廃止し、四つの特別区に再編する「大阪都構想」について、毎日新聞は23?25日、大阪市内の有権者を対象に電話による2回目の世論調査を実施した。都構想への賛否は反対が43・6%で、賛成の43・3%を上回った。賛成49・2%、反対39・6%だった9月上旬の前回調査から賛否が逆転した。11月1日に投開票される住民投票に向け、賛否は拮抗している。

 調査は大阪市の有権者を対象に共同通信社、産経新聞社、毎日放送、関西テレビと共に実施。データは共有し、分析・記事化は各社で行った。コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかけるRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)法を用い、実際に有権者がいる世帯にかかったのは1446件、うち1043人から回答を得た。

毎日だけでなく産経も共同して行った世論調査。これを産経がどう報道しているか。ちょっと面白い。

産経(デジタル)は、本日16:40に第一報を配信した。その見出しが以下のとおり。毎日と共通する内容である。

大阪都構想の世論調査、約1カ月半前と賛否逆転

ところが、18:23の配信記事では見出しがまったく変わっている。

大阪都構想、有権者は高い関心 8割超が「投票に行く」

 ほとんど同じ内容の報道で、見出しを変えたのが興味深い。「賛否逆転」が、大きなインパクトを持つ人目を惹く見出しであることに疑問の余地はない。記者としては、こう見出しを付けたいところ。しかし、この見出しは反対派を勢いづけることになりはしまいか。あるいは、賛成派からのクレームを招く恐れはないか。忖度の結果の見出し変更ではないかと想像させる。その産経記事の抜粋を引用する。

(産経新聞)16:40
 産経新聞社は23〜25日、大阪市内の有権者を対象に電話による世論調査を実施した。大阪市を廃止し、特別区に再編する大阪都構想については反対43・6%、賛成43・3%と拮抗した。9月4〜6日の前回調査では賛成(49・2%)が反対(39・6%)を9・6ポイント上回っていたが、反対が巻き返した。吉村洋文大阪府知事を「支持する」とした人は65・5%で、前回より10・0ポイント減少した。

 今回、都構想に賛成する理由のトップは「二重行政が解消されるから」の35・8%で、前回比8・8ポイント減。次いで「思い切った改革が必要だから」の23・8%(同4・8ポイント増)だった。

 反対理由で最も多かったのは「メリットが分からないから」の30・8%。「大阪市がなくなるから」(21・3%)、「住民サービスが良くならないから」(15・3%)が続き、それぞれ前回比5・3ポイント増、3・5ポイント増だった。反対派が、大阪市が廃止されると住民サービスが低下するなどと訴えていることが影響しているとみられる。

 この世論調査結果は、反対派の宣伝活動が、大きな成果を上げていることを物語っている。バラ色の「大阪都構想」のメッキが剥げかかっているのだ。

ポピュリズム政党・維新は、今やアベスガ政権の走狗となって、改憲勢力の一翼を担おうとしている。11月1日の大阪市住民投票の結果は、憲法の命運にも関わる。反対派の奮闘を期待して已まない。

スガ会見の「前例踏襲拒否」こそ、実は三権分立を突き崩す暴挙なのだ。

(2020年10月24日)
スガ政権による日本学術会議新会員任命人事介入問題は、今の社会の政治勢力や言論界を二分する大きなせめぎ合いとなっている。

一方に、ゴリ押しする権力と権力にベッタリへばりつく親権力勢力がある。他方に、権力の横暴を許さないとする反権力の勢力がある。親権力勢力のデマと無法は甚だしい。明らかに反権力の勢力に理があるが、せめぎ合いの勝敗はわからない。

それでも、何が問題かは浮かび上がってきている。10月21日にスガ首相は、ジャカルタの記者会見で「前例踏襲でよいのか考えた結果」だと、「説明」し、翌22日に出た日弁連会長声明が、みごとにスガ会見を反駁する内容となっている。その会見と、会長声明は下記のとおりである。

代表的なメディアの報じ方は、「菅義偉首相は21日、訪問先のインドネシア・ジャカルタで記者会見し、日本学術会議の会員候補6人を任命しなかったことについて、『現在の会員が後任を推薦することも可能な仕組みになっていると聞いている。こうしたことを考え、推薦された方々がそのまま任命をされてきた前例踏襲をしてよいのか考えた結果だ』と改めて語った。具体的な理由は明らかにしなかった。」というものである。

スガのキーワードは、「前例踏襲」だ。この言葉の持つマイナスイメージを否定してみせることによる印象操作を狙ったものなのだ。「前例踏襲をしてよいのか考えた結果だ」というのは、敢えて前例を踏襲しなかったということだ。では、前例とはなんだ。「学術会議が推薦したとおりに会員候補の全員を任命すること」にほかならない。その前例をスガは、自ら破ったと述べたのだ。その重大性をスガは認識していない。

その前例こそが、学問の自由や学術会議の独立を尊重した、日本学術会議法の解釈として正しく、これに従わなかったスガの6名に対する任命拒否は明らかに違法である。

それだけでなく、日弁会長声明が重大事として指摘するところは、スガ独断による法解釈の恣意的変更という問題である。

学術会議会員の公選制が廃止され推薦制に移行した1983年の法改正審議においては、改正法案の提案者である政府自身が、「そこから210名出てくれば、これはそのまま総理大臣が任命するということでございまして、(中略)私どもは全くの形式的任命というふうに考えて…現在の法案になっているわけでございます。」「政府が行うのは形式的任命にすぎません。政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。」と答弁した。かかる前提で国会が当該改正法案の審議を行い、国会は、そのような内容の任命制の導入を是とした法改正を行ったのだ。

ところが「前例踏襲」の拒否とは、行政府による一方的法解釈変更であって、立法府に対する反逆であり、「だまし討ち」にほかならない。このことについて、会長声明は、「内閣が解釈の範囲を逸脱して恣意的な法適用を行うとすれば、それは内閣による新たな法律の制定にほかならず、国権の最高機関たる国会の地位や権能を形骸化するものである。今回、政府は、人事の問題であるとして、任命拒否についての具体的説明を避けている。しかし、問われているのは人事にとどまる問題ではなく、憲法の根本原則である三権分立に関わる問題である。」という。そして、この構図は、例の黒川検事長の勤務延長問題と同様と指摘している。

アベもひどかったが、スガも負けていない。国会への欺瞞を恥じない、あからさまな国会軽視の姿勢である。そのスガが「立法府の長」気取りで「前例踏襲」を否定した途端に、三権分立を突き崩す暴挙を自白したことになったのだ。下には下があるものだ。

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首相記者会見(10月21日・ジャカルタ)

(朝日新聞 伊澤記者)
内政についてお願いします。総理は帰国後、週明けから臨時国会に臨まれることになると思います。臨時国会では日本学術会議の問題が論戦の大きなテーマの一つになるかと思います。野党側が求めている6人の推薦をしなかったという点について今後どのように御説明をされていくのか、お考えを聞かせていただければと思います。

(菅総理)
私が日本学術会議において申し上げてきたのは、まず、年間10億円の予算を使って活動している政府の機関であるということです。そして、任命された会員の方は公務員になります。ですから、国民に理解される存在であるべきだということを申し上げています。
また、会員の人選は、出身やそうしたものにとらわれずに広い視野に立ってバランスのとれた活動を行っていただきたいということ、そういう意味から私自身は「総合的、俯瞰(ふかん)的」と申し上げております。国の予算を投じる機関として国民に理解される、このことが大事だと思います。
また、会員の人選は、最終的に選考委員会などの仕組みがあるものの、まずは現在の会員の方が後任を推薦することも可能な仕組みになっているということも聞いています。
今回の件は、こうしたことを考えて、推薦された方々がそのまま任命をされてきた前例踏襲をしてよいのかどうか、考えた結果であります。
先週梶田新会長とお会いしましたが、各分野の研究者の英知を集めた団体なのだから、国民に理解されるように、日本学術会議をより良いものにしていこうと、こういうことで会長と合意しました。今後、科学技術担当の井上大臣に窓口になっていただき、議論を続けていきたい、このように思っています。

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日本学術会議会員候補者6名の速やかな任命を求める会長声明

菅義偉内閣総理大臣は、2020年10月1日から任期が始まる日本学術会議(以下「会議」という。)の会員について、会議からの105名の推薦に対し、6名を任命から除外した。この任命拒否について、具体的な理由は示されていない。

会議は、「わが国の科学者の内外に対する代表機関」(日本学術会議法第2条)である。同法前文においては、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とするとされ、同法第3条には職務の独立性が明定されている。
さらに、その会員選出方法について、設立当初、全国の科学者による公選制によるものとされた。すなわち、職務遂行のみならず、会員選出の場面においても、名実ともに政府の関与は認められていなかった。会議が、一方では内閣総理大臣が所轄する政府の諮問機関とされながら、政府からの高度の独立が認められていたことは、学問の神髄である真理の探究には自律性と批判的精神が不可欠だからであり、学問の自由(憲法第23条)と密接に結び付くものである。会議の設置が、科学を軍事目的の非人道的な研究に向かわせた戦前の学術体制への反省に基づくと言われる所以でもあろう。

かかる会議の会員選出について、1983年の法改正により、公選制が廃止され、推薦された候補者を内閣総理大臣が任命するという方法に変更された。その際、同年5月10日の参議院文教委員会において、政府は、「そこから210名出てくれば、これはそのまま総理大臣が任命するということでございまして、(中略)私どもは全くの形式的任命というふうに考えており、法令上もしたがってこれは形式的ですよというような規定、(中略)書く必要がないと判断して現在の法案になっているわけでございます。」と答弁した。さらに、同月12日の同委員会においては、当時の中曽根康弘内閣総理大臣も、「政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。」と答弁した。かかる前提で国会が当該改正法案の審議を行い、当該任命制の導入を是とした法改正がなされた。
しかるに、政府は、今回の任命拒否について、会議の推薦に内閣総理大臣が従わないことは可能とした上で、任命制になったときからこの考え方が前提であって、解釈変更を行ったものではないとしている。この説明が、前述した法改正の審議経過に反していることは明らかである。

内閣が解釈の範囲を逸脱して恣意的な法適用を行うとすれば、それは内閣による新たな法律の制定にほかならず、国権の最高機関たる国会の地位や権能を形骸化するものである。今回、政府は、人事の問題であるとして、任命拒否についての具体的説明を避けている。しかし、問われているのは人事にとどまる問題ではなく、憲法の根本原則である三権分立に関わる問題である。この構図は、当連合会が本年4月6日に公表した「検事長の勤務延長に関する閣議決定の撤回を求め、国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対する会長声明」で指摘した解釈変更と同様である。

今回任命を拒否された候補者の中には、安保法制や共謀罪創設などに反対を表明してきた者も含まれており、政府の政策を批判したことを理由に任命を拒否されたのではないかとの懸念が示されている。このような懸念が示される状況自体が、まさしく政府に批判的な研究活動に対する萎縮をもたらすものである。そして、任命を拒否された科学者のみならず、多くの科学者や科学者団体が今回の任命拒否に抗議の意を表明している。当の科学者らが自ら萎縮効果に強い懸念を示していることからすると、そのおそれは現実的と言えるのであって、今回の任命拒否及びこれに関する政府の一連の姿勢は、学問の自由に対する脅威とさえなりかねない。

以上により、当連合会は、内閣総理大臣に対し、速やかに6名の会議会員候補者を任命することを求めるものである。

 2020年(令和2年)10月22日
日本弁護士連合会会長  荒   中

悪名高き「10・23通達」発出の日に、その撤回を求める決意を再確認する。

(2020年10月23日)
今年も10月23日がめぐってきた。2003年のこの日、東京都教育委員会が悪名高い「10・23通達」を発出した。横山洋一教育長名だが、実質的には石原慎太郎という極右政治家の意図によるもの。今、日本人の多くがトランプを大統領に選出したアメリカ国民の知的水準を嗤っているが、石原慎太郎のごときトンデモ人物を首都の知事に選んだ日本人も同列なのだ。

「10・23通達」は、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明を強制する内容。具体的には、東京都内の公立校の全ての校長に対する命令という形式となっている。各校長に、所管の教職員に対して、入学式・卒業式等の儀式的行事に、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱する」よう職務命令例を発令せよ、職務命令違反には処分がともなうことを周知徹底せよというのだ。

以来、東京都内の全ての公立校の教職員は、入学式・卒業式の度に、「起立・斉唱」を義務付ける職務命令を受け取る。口頭と文書の両方でだ。違反には、懲戒処分が待っている。それでも、どうしても起立できないという教職員がおり、この17年間、抵抗を続けているのだ。この抵抗は、真面目な教員と支援する市民の、人間としての尊厳を求め、公権力の教育への不当な介入を阻止しようという運動である。

「10・23通達」については、これまで何度も当ブログに取りあげてきた。主なものは、下記のとおりである。

10・23通達関連訴訟を概観する
https://article9.jp/wordpress/?p=140

都教委の諸君、君たちは「裸の王様」だー10・23通達から10年の日に
https://article9.jp/wordpress/?p=1397

「10・23通達」発出からの11年
https://article9.jp/wordpress/?p=3745

「10・23通達」発出のこの日に、「明治150年記念式典」
https://article9.jp/wordpress/?p=11330

入学式卒業式に「日の丸・君が代」など、かつての都立高にはなかった。それが、「都立の自由」の象徴であり、誇りでもあった。ところが、学習指導要領の国旗国歌条項の改訂(1989年)あたりから締め付けが強まり、国旗国歌法の制定(1999年)後には国旗の掲揚と国歌斉唱のプログラム化は次第に都立校全体に浸透していく。それでも、強制はなかった。多くの教師・生徒は国歌斉唱時の起立を拒否したが、それが卒業式の雰囲気を壊すものとの認識も指摘もなく、不起立不斉唱に何の制裁も行われなかった。単なる不起立を懲戒の対象とするなどは当時の非常識であった。

17年前、その「非常識」が現実のものとなった。驚愕しつつも、こんなバカげたことは石原慎太郎が知事なればこその事態、石原が知事の座から去れば、「10・23通達」は撤回されるだろう、としか考えられなかった。

しかし、今や石原も横山もその座を去り、悪名高い教育委員であった米長邦雄や鳥海巌は他界した。当時の教育委員は内舘牧子を最後にいなくなった。教育庁(教育委員会事務局)の幹部職員も入れ替わっている。しかし、「10・23通達」はいまだに、その存在を誇示し続け、教育現場を支配し続けている。

そして、抵抗の運動も、続けられている。主軸となる訴訟としては、まず、通称「予防訴訟」(「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」)が提起され、次いで、処分取消訴訟が第1次訴訟から第4次訴訟まで続き、現在第5次訴訟を準備中である。

第5次訴訟での原告側主張の目玉となるだろうものが、「国旗国歌の強制を避ける」べきことを内容とする国連の日本政府に対する勧告である。

国連の、ILOとユネスコとは、教員の労働条件に関して、各専門家の合同委員会(セアート)を構成している。そのセアートが、日本の教職員組合からの申立に基づいて、昨年(2019年)日本政府に、下記に記した6項目の勧告を出した。この政府に対する勧告の中に、「愛国的な式典における国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるよう」対話に応じよ、「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける」べきこと、などが明記されている。

「消極的で混乱をもたらさない不服従」を罰してはならない。教員に対する国旗国歌(への敬意表明)の強制などは、世界の良識に照らして非常識なものであって、是正されねばならないのだ。

悪名高き「10・23通達」発出の日に、あらためてその撤回を求める決意を確認したい。

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合同委員会(セアート)は、ILO理事会とユネスコ執行委員会が日本政府に対して次のことを促すよう勧告する。

(a) 愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設ける。その目的はそのような式典に関する教員の義務について合意することであり、規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする。
(b) 消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒のしくみについて教員団体と対話する機会を設ける。
(c) 懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせることを検討する。
(d) 現職教員研修は、教員の専門的発達を目的とし、懲戒や懲罰の道具として利用しないよう、方針や実践を見直し改める。
(e) 障がいを持った子どもや教員、および障がいを持った子どもと関わる者のニーズに照らし、愛国的式典に関する要件を見直す。
(f) 上記勧告に関する諸努力についてそのつど合同委員会に通知すること。

NHK経営委員長・森下俊三氏の経営委員罷免を求める各議院宛請願書と院内集会

(2020年10月22日)
このたび第203臨時国会の冒頭に、衆参両院の各議長宛に、下記の請願書を提出します。また、請願書提出にあたっての院内集会をお知らせします。内容は、「NHK経営委員長・森下俊三氏の、経営委員としての職務上の重大な義務違反を究明して、同人の経営委員罷免を求める」請願です。

NHKの在り方に深い関心を寄せている、研究者、弁護士、ジャーナリスト、NHK・OB、各地の視聴者団体関係者ら39名が構成する「森下俊三氏に係る国会請願世話人会」(事務担当・醍醐聰さん)が運動の主体となって、2200名余の賛同者連名での請願になります。私も請願者の一人に加わりました。

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森下俊三氏のNHK経営委員としての職務上の重大な義務違反を
究明するよう求める請願書

一 請願要旨
かんぽ生命保険の不正販売を取り上げたNHKの番組制作に関するNHK経営委員会の対応、とりわけ森下俊三経営委員長の対応には「放送法」第36条(経営委員の罷免)に挙げられた「職務上の義務違反」に明確に該当する次のような行為があった。

(1)森下氏は2018年10月23日の経営委員会でかんぽ生命保険の不正販売を取り上げた「クローズアップ現代+」(2018年4月24日放送)に関して、「今回の番組の取材は極めて稚拙で、取材をほとんどしていない」、「郵政側が納得していないのは取材内容だ。納得していないから、経営委に言ってくる。本質的なところはそこで」などと発言した。それは実際の取材・番組の経過を誤認したものであるにとどまらず、「放送法」第32条が禁じた経営委員による番組編集へのあからさまな干渉に当たることは明らかである。

(2)2018年10月23日の経営委員会で、当時経営委員長職務代行者の職にあった森下氏は石原進経営委員長(当時)とともに、NHK執行部のガバナンス上の問題を殊更にあげつらって、上田良一会長(当時)に「厳重注意」をするに至る議事を主導した。
上記の経営委員会で、それほど重要な議論が交わされたにもかかわらず、経営委員会は、その事実を『毎日新聞』が2019年9月26日朝刊で報道して以降も隠し続けた。
しかも、森下氏は経営委員長としての職にありながら、NHK情報公開・個人情報保護審議委員会が今年5月22日に、当日の議事録等を全面開示すべきと答申したことも無視して、議事録等の開示請求者に対して、肝心の部分を省いた公表済みの議事概要の寄せ集めを送付するという極めて不真面目な対応をした。
以上のような経緯から、森下氏が、「放送法」第41条で経営委員長の職責と定められた経営委員会の議事録の遅滞なき公表を怠ったことは明らかである。

以上指摘した2つの事項は、森下俊三氏に、「放送法」第36条が経営委員を罷免できる事由として挙げた「職務上の義務違反」があったことを意味する。

(3)本年3月31日に開かれた参議院総務委員会では、2020年度のNHKの収支予算、事業計画及び資金計画を承認するにあたって、4会派から共同提案された19項目にわたる附帯決議案が賛成多数で決議された。その第1項目には「経営委員会は、本委員会の審議を踏まえ、経営委員会の放送番組の編集への介入の疑念について、十分な総括と反省を行い」とあるが、NHK経営委員会、特に森下経営委員長は、番組編集への介入ではないかとの指摘に対して、「意見、感想を述べたに過ぎない」と開き直り、「十分な総括と反省」からは、ほど遠い状況である。
また、附帯決議の第2項では「経営委員会は、その意思決定過程に至る過程について、公表を原則に適切な議事録等の作成を行うこと」とされた。しかし、経営委員会、特に森下経営委員長は、その後も、自由な意見交換に支障が出るのを避けるためと釈明して議事録の非公開に固執している。これは、全面公開すべきというNHK情報公開・個人情報保護審議委員会の答申に背くと同時に、前記の参議院総務委員会の附帯決議第2項を無視するものである。

なお、このような経営委員会の釈明は、NHK情報公開・個人情報保護審議委員会の答申第798号において、次のように明快かつ説得的に一蹴されている。

NHKの経営委員会は「視聴者・国民に対し自らの経営委員としての言動については、広く説明責任を負っていると言わなければならない。特に、NHK会長に係るガバナンスの問題というような重要な運営上の問題について、各委員がどのような意見を持ち、どのような議論が行われ、どのような結論に達したのかについては、より強く透明性が求められることは論をまたない。少なくとも、本件を、議事録非公表の場でなければ各経営委員が率直な意見が言えないような類の問題と位置づけるべきものではない。」

よって私たちは、NHK経営委員の任命と罷免に係る国会同意人事に参画する貴院が、「放送法」第32条、第36条、第41条の定めに照らして、森下俊三氏に、NHK経営委員あるいはNHK経営委員長としての職務に係る重大な義務違反があった事実を徹底的に究明するよう求めるとともに、経営委員の任命権者であり、罷免の発議権者である内閣総理大臣に対し、森下俊三氏をNHK経営委員の職から罷免するよう求める措置を講じられるよう請願する。

二 請願事項
1.貴院のしかるべき委員会に森下俊三氏を参考人として招致し、森下氏に、本件請願書要旨に記したような「放送法」に違反する行為、職務上の義務違反に相当する行為があった事実を徹底的に究明すること。

2.森下俊三氏をNHK経営委員から罷免するよう、内閣総理大臣に意見を提出すること。

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放送法では、個別の番組には介入してはいけないはずのNHK経営委員会が、かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組に対して、当時の上田NHK会長に「厳重注意」をしたこと、その経緯を示す経営委員会の議事録を公開しないことについて、多くの視聴者やメディアから批判されているにも関わらず、頬かむりのまま動かない。

表題のような「請願書」の国会提出を期して、以下の集会を開きます。この時期に、一見、地味に見える請願であり、集会でありますが、表現の自由を侵す重大な問題なので、国会でも十分究明して欲しいということで、衆参両院に請願書を提出することになりました。全国で39名の世話人の努力で請願者は2200人を超えています。

  請願書提出にあたっての院内集会

日 時:  2020年10月26日(月) 16時?17時30分(予定)
会 場:  衆議院第二議員会館 多目的会議室(1階)
※15時45分から玄関で入館証をお渡しします。

世話人会からの出席者:
岩崎貞明(「放送レポート」編集長)
小田桐 誠(ジャーナリスト/大学講師)
小玉美意子(武蔵大学名誉教授)
杉浦ひとみ(弁護士)
楚山大和(「日本の政治を監視する上尾市民の会」代表)
醍醐 聰(「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」共同代表)
長井 暁(NHK・OB/大学教員)
日巻直映(「郵政産業労働者ユニオン」中央執行委員長)|

ご出席の衆参両院の紹介議員へ請願書を提出します。
なお集会参加者は、ご自身の体調管理とマスク着用などの対策をお願いいたします。

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「世話人会」(事務担当・醍醐聰さん)から、各賛同者への連絡の一部をご紹介します

☆両院への請願の意味・効果を改めて考える参考情報をお知らせします。

衆議院のHPにある「請願の手続き」
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/tetuzuki/seigan.htm
を見ますと、「3.請願文書表の作成・配布・委員会付託」の項に次のように書かれています。

「請願書が提出されますと、請願文書表が作成・印刷され、各議員に配付されます。請願文書表には、その内容が周知されるよう、請願者の住所・氏名、請願の要旨、紹介議員名、受理の年月日、署名者数などが記載されます。請願は請願文書表の配付と同時に、請願の趣旨に応じて適当の常任委員会または特別委員会に付託されます。」

衆議院議事部請願課に電話して確認しましたところ、
「『各議員』とは衆議院議員全員のことです」
とのことでした。

請願が「採択」に至らない場合にも、受理されれば、紹介議員を通じて私たちが提出した「請願の要旨」がそのまま印刷されて、全衆議院議員に配られます。

参議院の場合も、「請願の審査」の項で同じ解説がされています。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/seigan.html

このように見てきますと、今回の請願は、地味ではありますが、NHK経営委問題/森下問題に対する関心を改めて衆参両院の全議員に喚起するうえで、重要な機会になるのではないかと思います。

☆なお、各議員に配布される「請願文書表には、その内容が周知されるよう、請願者の住所・氏名・・・・が記載されます」という一文がありますが、衆議院議事部請願課に問い合わせたところ、この場合の「請願文書表」に住所・氏名が記載されるのは請願代表者のみと確認しました。

請願者を紹介議員ごとにグループ分けした場合は、グループごとに代表者を決めますので、各議員に配られる「請願文書表」にはグループごとの代表者の氏名・住所が記載されます。

代表者以外の請願者名簿は紹介議員を通じて両院に提出しますが、全衆議院議員に増し刷り配布されることはありません。

☆NHK経営委員会と森下俊三経営委員長の背信行為には目に余るものがあります。

背信行為というのは、
* 報道の自由の防波堤であるべきNHK経営委員会が、あろうことか、かんぽ不正販売に警鐘を鳴らしたNHKの「クロ現+」(2018年4月24日放送)に対する不正行為の当事者(日本郵政)からのクレームを取り次ぎ、NHK会長に「厳重注意」という名目で圧力をかけた問題です。

* しかも、NHK経営委員会は、厳重注意をした会合の議事録を隠し続け、「NHK情報公開・個人情報保護審議委員会」の開示すべきという答申さえも無視して、いまなお、公表を拒み続けています。

* 全国各地の視聴者団体は、これまで再三、議事録の公開と森下経営委員長の辞任を求める申し入れや署名を提出してきましたが、ことごとく要求を踏みにじられました。

しかし、ひるんでいるわけにはいきません。それならと、私たちは背信を主導した森下経営委員長に焦点を当て、臨時国会に、「森下俊三氏の放送法違反・職務上の重大な義務違反を徹底究明するよう求める請願書」を各議院に提出いたします。

DHCとの決別。彼等を栄えさせて来た購買層は、果たして”右翼”だけだったのでしょうか ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第178弾

(2020年10月21日)
ネットを検索していると、時に思いがけない記事に出会う。
本日、偶然に下記の「つ・ぶ・や・き」を見つけた。DHC商品の愛用者であったという女性の5年前の投稿。しっかりした文章で、なるほどと思わせる。

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DHCとの決別。消費者が感じた、右翼経営者急増の弊害。

テーマ:★つ・ぶ・や・き★
カテゴリ:ささやき

私は、メイクや健康サプリメントを殆ど”DHC”の商品で賄って参りました。
当初は、”知る人ぞ知る”とでも言いたくなる様な地道なスタンスだったと思います。

化粧品から、健康食品。
会社は、歳月を重ねる毎に順風満帆に発展している様子でした。
私自身、これからも変わらず一緒に歩いて行けるものと確信しておりました。

先日。
見慣れたカタログとは違う、パンフレットが届きました。

新商品でも、掲載されているのかと思い何気無く開きました。
其処には、余りにも意外な”お知らせ”が大々的に報じられていました。

私共ユーザーに対し、「ニュースもサプリも化粧品も真実を伝えます」との宣言が掲載されておりました。
”日本のマスメディアは、間違っている!!”との叫びと共に、”DHC”が推薦する”知識人”達が並べられていました。

私は、戦慄を覚えました。
優しいイメージだった通販会社とは思えない、強硬な”顔”が唐突に突き付けられた気がしました。

女性の多くは、”ものを買う”際に自分ばかりでなく周囲の平安を願います。
家族や子供達の笑顔があればこその幸せだからです。

それは、ささやかな愛情であり”平和への祈り”と繋がっています。
各個人・各家庭のそれぞれの心の奥にある、”自由な価値観に基いた1人1人個別の”正義”です。
決して、特定の企業が選び限定した”文化人”達から真実や正義を”教えて貰う”ものではありません。

”正しい歴史認識を、教える”
告知に目を通すと、一方的に”日本は、中国に侵略されている”と非現実的な危機感を煽っています。
反論者・反対者に対しては、”攻撃する言葉”が並んでいました。

成功した人物が、お金や名誉や地位を得た上で”特別な思想”に染まる事もあると思います。
昨今、安倍晋三氏の”ブレーン”が口々に”右傾化(右翼)”を公言しています。

大手の病院の経営者や、ホテル業界の覇者・・・。
それは、自由です。

でも。
それを、そのまま唐突に”顧客”に向け”押し付ける”のはどうなのでしょうか。

時勢に乗り、日本の権力者の威光を浴びた途端自分達以外の感じ方や考え方を”間違っている”と決め付けるなんて。
彼等を栄えさせて来た購買層は、果たして”右翼”だけだったのでしょうか。

私は、違和感を覚えました。
私は、右翼でも左翼でもありません。
ただ、DHCの商品が好きだっただけなのです。

女性の多くは、まず”品質重視”です。
その点に於いて、この会社は大きな信頼を得て来ました。
”DHC”は、利用した人々の自然な”クチコミ”がシェア拡大の基盤になっていたと思います。

私は、本来品質そのものに明らかな欠陥が無い場合”不買運動”には反対です。
経営者の主義・主張が、私個人とどれ程かけ離れていたとしても消費者として無関係でいられるべきだと考えていました。

それなのに。
このチラシ一枚で、「一般的な歴史観は、誤りだ!!」「お前も、DHCの商品を購入する以上同じ思想を”正義”と思え!!」と襟首を掴まれた印象を受けました。

今回、”DHC”商品自体を愛用して来た者達全員に向けて事業主の考える通りの”方向性”が直接言い渡されました。
これでは、このTV番組を見ようが見まいが、商品を購入すれば事業主の思想を広める事に協力する形になってしまいます。

私は、”DHC商品”とお別れする羽目になりました。
悲しいですが、仕方がありません。

さようなら。
長い間、ありがとうございました。

TWITTER最終更新日 2015年11月23日 23時18分42秒

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以上の文章は、やや長文だが論旨は明快である。

企業は消費者の商品購買によって成り立っている。企業を発展させるのは、商品を愛用する消費者なのだ。ところが、その企業が、消費者の襟首を掴んで「右翼思想」注入を強制しようとする。その手段が、企業が金を出してのTV番組なのだ。このTV番組を見ようが見まいが、商品を購入すれば事業主の思想を広めることに協力する形になってしまう。だから、”DHC商品”とお別れなのだ。

この投稿者は、もともとは「私は、本来品質そのものに明らかな欠陥が無い場合”不買運動”には反対です。経営者の主義・主張が、私個人とどれ程かけ離れていたとしても消費者として無関係でいられるべきだと考えていました」という立場であった。

つまりは、「右翼が作ろうと左翼が作ろうと、商品としての包丁は切れ味だけが問題で、菓子は美味ければよい。」ということだ。しかし、自分の財布から出た金の一部が企業を経由して、右翼思想の宣伝に使われることには我慢ができない、と行動を起こしたのだ。

消費者は、自分の消費生活における選択が、社会にどうインパクトを与えるかに敏感でなければなない。環境問題に無頓着でCO?排出を抑制しようとしない企業、武器を作り輸出している企業、労働法無視の企業、パワハラ・セクハラの常習企業、フェアトレード重視の意識を欠いた企業などの製品を購入しないという日常の消費者行動で社会を少しでも良くしていくことができる。ちょうど、選挙民一人ひとりの1票が積み重なって政治を動かすように、消費者の行動も積み重なって社会を動かす。

これが、「消費者主権」の考え方である。良識ある消費者は、DHCのような、デマとヘイトと右翼思想喧伝と、そしてスラップ常習企業の商品を買ってはいけない。あなたが「DHC商品とお別れ」することは、この社会におけるデマとヘイトと右翼思想喧伝とスラップを抑制することにつながるのだから。

「政治家の覚悟 ー 不都合な記録は隠し通せ」

(2020年10月20日)

委員長 203臨時会の予算委員会を開催いたします。本日は、新内閣における公文書管理の在り方について質疑と答弁を予定しております。野党委員、どうぞ。

委員 総理にお尋ねしたい。前安倍晋三内閣は、公文書の管理にはムチャクチャな違法を重ねた。不都合な公文書は、隠す、改ざんする、廃棄する…。あるいはそもそも文書を作成しない。杜撰極まる公文書管理に悪評この上ない内閣として歴史にきざまれた。自民党総裁選で、あなたは安倍内閣路線の承継を掲げたというが、安倍内閣の杜撰極まる公文書管理の在り方も承継しようというのか。また、公文書管理違法安倍内閣の官房長官として、あなた自身の責任を感じておられるか。

総理 お言葉ですが、前内閣時代においては、それぞれの部署がそれぞれ適切に公文書の管理をしていたものと承知しており、ご指摘は当たりません。

委員 ある政治家の著作の一節を抜粋して事前にお届けしてある。この文章を朗読いただきたい。

総理 お断りさせていただく。私には、質疑に答弁の義務はあるが、読みたくもない文章を突きつけられて朗読させられる筋合いはない。

委員 その文章の朗読も私の質疑に対する答弁の一部をなすのだから、是非ともお読みいただきたい。あなたにその文章を読んでいただくことが、質疑と答弁の内容を国民に理解していただくために重要でもあるのだから。

委員長 総理、ここは度量を示してお読みください。

総理 「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」「千年に一度という大災害に対して政府がどう考え、いかに対応したかを検証し、教訓を得るために、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」

委員 あなたが読みたくもないと言ったこの文章は誰が書いたものなのか、ご存知ですね。

総理 いや、存じません。

委員 これは、あなたが2012年に文芸春秋社から発行された単行本「政治家の覚悟」の一節ですよ。知らないはずはないでしょう。

総理 古いことですよ。よく覚えておりませんね。

委員 では、この文章の文意、即ち「政府がどう考え、いかに対応したかを検証し、教訓を得るために、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然」「議事録は最も基本的な資料。その作成を怠ったことは国民への背信行為」という意見には、賛成でしょうか、それとも反対ですか。

総理 仮定の問題にも、抽象的な質問にも、お答えはいたしかねる。具体的状況によって、回答は微妙に異なることになる。

委員 あなたは、2020年10月20日に、この単行本の改訂版を新書として出版された。ところが、その改訂版では、今あなたが読み上げた個所がバッサリ削除されている。何の不都合あって、この公文書管理の重要性を強調した部分を削除されたのか。

総理 その質問の仕方に異議がある。いかにも私に不都合な事情あって文章を削除したように決めつける印象操作は止めていただきたい。改訂版の編集者から細かい報告は受けていないが、総合的かつ俯瞰的な判断でしたことと聞いている。もちろん、私自身の意識的関与はない。

委員 答弁になっていない。公文書管理の重要性は当然のことだ。あなたは、民主党政権に向かって、そのことを強調された。ところが、自民党安倍政権になった途端に、自分が批判した杜撰な公文書管理を平気で始めた。そして、自分が総理となるや、自分の著書から公文書管理の重要性を強調した部分を削除してしまった。内心に忸怩たる思いがあるからに違いない。もし違うというのなら、明確に削除の理由を述べていただきたい。

総理 だから、申し上げている。総合的かつ俯瞰的な判断だ。それ以上に申し上げる必要はない。

委員 あなたが官房長官の時代に森友事件が起こり、決裁文書の改ざんを命じられた近畿財務局の職員が自責の念から自死するという傷ましい事件が起こった。あなたも、この件について責任を免れない。亡くなった職員の妻が提起している民事訴訟において、自死した職員が森友事件の全ての経過を綴ったファイルの存在が明らかになっている。あなた自身と政権の汚名挽回のために、菅内閣として、このファイルを探し出し、公表するお気持ちはないか。

総理 公文書の管理につきましては、これまでも法に基づき適正に執行してきたとおりでありまして、特に方針を変更する必要を認めません。

委員 財務省の本省か近畿財務局に存在するはずの、森友事件の真の経過を記載したファイルを探し出すように指示をされるのかどうか。

総理 この件についは、既に財務省において、詳細な調査を遂げ、関係者には然るべき処分もしてるところです。検察当局の厳正な捜査によっても不起訴となっている。これ以上問題を蒸し返す必要はありません。

委員 あなたは、東日本大震災に関して、「政府がどう考え、いかに対応したかを検証し、教訓を得るために、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」とまで言っている。
ところが、新型コロナウイルス蔓延問題に関する議事録の作成・公文書管理は、そうなっていない。とりわけ、安倍首相の思いつき学校閉鎖、安倍マスク配布、持続化給付金事務委託費中抜き問題等々、基本資料が保存されていないではないか。

総理 全ての政策は、総合的俯瞰的な判断として適切に行ったところで、なんの問題もなく、ご指摘は当たりません。

委員 法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定めている。あなたにはその自覚がない。ご自分で、総理としての資質に欠けるとは思わないか。

総理 ご指摘はまったく当たらない。私は常に、総合的俯瞰的な判断を心がけ、適切に問題を処理している。

委員 あなたの著書の表題は、「政治家の覚悟」となっている。あなたは、公文書の管理に関しては、どんな覚悟をお持ちか。もしや、「不都合な記録は隠し通せ」「前政権はボロを出したが自分は不都合な記録を表に出すような失敗はしない」という覚悟ではないのか。

総理 もう質疑の時間を過ぎていますよ。ルールは守っていただきましょう。

委員長 総理、最後の一問にご回答を。

総理 公文書の管理に限りませんが、私の政治家としての覚悟は、「断固として、総合的・俯瞰的な判断を適切に貫こう」ということです。

委員長 これで、委員の質疑は終了いたします。

6名は きっと あなたであり わたしなのです

(2020年10月19日)
スガ政権による日本学術会議への人事介入事件。問題の重要性にふさわしく、大きなせめぎ合いになってきた。スガ政権に対する抗議運動の盛り上がりには、目を瞠るべきものがある。

研究者や大学関係者、また学生や法曹が、これを「学問の自由」侵害の大問題と捉え、あるいはジャーナリストや文筆家・知識人が、「思想・良心の自由」や「表現の自由」弾圧の第一歩と危惧して抗議の声を上げることは当然の成り行きである。

しかし、それだけでは不十分なのだ。より多くの市民に、自分自身の問題でもあると捉えて、学術会議や任命を拒否された6人を支援してもらわねばならない。運動の成否はそこにかかっている。

この件は、決して6名だけの問題ではない。学術会議だけの問題でもない。明らかに社会全体の問題なのだ。政権の意のままに権力を行使して、政権の意のままに国家を操ることを許してよいのかどうかという問題である。政権の耳に痛いことは言わせない、逆らう者は問答無用で切り捨てる、そんな政権の存在を許せるかが問われている。民主主義の基本枠組みや、野放図な軍事権研究の可否を通じての平和に関わる問題でもある。

そんなことを考えている折に、石川逸子さんが新しい作品を発表した。「6名」という詩。なんと的確に事態を把握し、なんと的確な言葉で多くの人に訴えていることだろう。スガ政権と、この事態の恐さを再認識させられる。

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6 名

石川逸子

日本学術会議が推した新会員中 6名を
任命拒否し 抗議も無視する 菅首相

6名とも 最近の国の政策に異議を唱えたひとたちです
かつて戦争協力したことへの反省から
誕生した学術会議
任命拒否は
その昔に戻すぞ との
わたしたち人民への明らかな果たし状ではありませんか

特定秘密保護法 
安全保障関連法
名護市辺野古の米軍基地建設
「共謀罪」を含む改正組織処罰法
これらに反対する学者の呼びかけ人
あるいは賛同人になった学者
抗議の声明を発した学者
国会の参考人質疑で批判した学者

政府の意のままに 学術会議を従わせ
アメリカの忠実な僕となって
軍事研究を行わせたいために
従わないものは 冷酷にバッサリ斬る

かたや 携帯の値下げ 不妊治療への賛助
若者たち 女性たち へ 媚びを売れば
支持率は上がる 何ほどのこともないわ と
高をくくられるほど
わたしたちは 愚かで無力だと思われているのでは?

6名は きっと あなたであり
わたしなのです
わたしたちの首を絞める 手が
すぐそこまで スウッと伸びてきています 

中国での国旗法改正、ますますの国家主義、ますますの強権体質。

(2020年10月18日)
中国での国旗法改正を伝える本日の共同通信記事に、解説を加えたい。

 「中国の全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会は17日、国旗の尊厳を損なうことを禁じた国旗法改正案を可決した。来年1月1日に施行する。国営通信の新華社が伝えた。香港でも関連条例を改正して適用。デモで中国の国旗を否定するような掲げ方をした場合は取り締まり対象となりそうだ。」

 中国では、国旗法と国歌法とが別になっている。いずれも、国民に自国の国旗・国歌に対する侮辱行為を刑事罰をもって禁止している。これは、事実上の愛国強制法にほかならない。こんな法律を作らねばならないこと自体が、国家の脆弱性を自白しているに等しく、情けない。のみならず、いまその強制をさらに強化しようというのだ。

 「第1条で「国旗の尊厳を守り、愛国主義精神を発揚し、社会主義の価値観を育成し実践する」とうたった。破損したり汚れたりした国旗を掲揚することや、国旗を逆さまに掲げる行為などを禁じた。香港で昨年から続く抗議デモでは、中国国旗を燃やしたり、海に投げ捨てたりする場面もあった。こうした行為を取り締まるとみられる。」

 共同通信記事は、国旗法第1条を「国旗の尊厳を守り、愛国主義精神を発揚し、社会主義の価値観を育成し実践する」と訳して報道したが、原文は下記のとおりである。

「第一条 ?了??国旗的尊?,?范国旗的使用,??公民的国家?念,弘??国主?精神,培育和践行社会主?核心价??,根据?法,制定本法。」

私の訳だから、正確性は保証しかねるが、こんなところだろう。
「第1条 国旗の尊厳を擁護し、国旗取扱いの規範を定め、国民の公民的国家観念を増強し、愛国主義精神を発揚し、社会主義核心価値観を育成し実践するために、憲法に基づいて、本法を制定する。」

これは、なんともおどろおどろしい国家主義の価値観を全国民に押し付けようという「国民精神善導法」である。しかも、善導は刑罰で担保されている。なお、「社会主義核心価値観」とは、中国共産党唱道のスローガンで、具体的には、「富強、民主、文明、和諧、自由、平等、公正、法治、愛国、敬業、誠信、友善」と定義づけられる。これを私は、中国版教育勅語と理解している。国家が、国民に特定の価値観を注入しようという発想において同類なのだ。

爾臣民父母ニニ兄弟ニニ夫婦相和シ朋友相信恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

よく似ていないだろうか。もちろん、「天壤無窮ノ皇運」「偉大な中国共産党の興隆」に置き換えて読まねばならない。

 「少数民族の自治地区では、民族の伝統的な祝日にも国旗を掲揚するよう義務付けた。中央政府に対する反感が強い新疆ウイグル自治区などで、愛国心を植え付ける狙いとみられる。」「香港でも関連条例を改正して適用。デモで中国の国旗を否定するような掲げ方をした場合は取り締まり対象となりそうだ。」

 国旗も国歌も、国家の象徴である。国旗国歌に敬意を表明せよとの強制は、国民の上に国家を置く全体主義の発想。およそ文明国にあるまじき法である。要するに、まつろわぬ人々をあぶり出し、国家の統制下に置く手段としての立法なのだ。

なお、NHKは本日(10月18日)午後、こう伝えている。

「中国で、国旗の尊厳を損なう行為を禁じ愛国心を示すよう求める法律の改正案が可決されました。少数民族の伝統的な祝日でも国旗の掲揚が義務づけられるほか、香港でも関連する条例が改正されて適用される見通しで、中国政府としては国民の愛国心を高めたいねらいがあるとみられます。

改正された法律は来年1月1日から施行され、学校で国旗を毎日掲揚することや祝日には広場や公園など公共の場所でも掲揚することなどを求めています。

少数民族が多く住む自治区では民族の伝統的な祝日にも国旗を掲揚しなければならないと義務づけており、政府への反発が根強くある新疆ウイグル自治区などでも愛国心を高めたいねらいがあるとみられます。

さらに、法律では、これまで禁じていた破損したり汚れたりした国旗の掲揚に加えて、国旗を逆さまに掲げる行為なども禁じたほか、国旗を通じて国民に愛国の気持ちを表現するよう求めています。

今回の法律の改正を受けて、今後、香港やマカオでも関連する条例が改正され適用される見通しです。香港では、去年から続いた一連の抗議活動で中国の国旗を燃やしたり投げ捨てたりする場面もあり、中国政府としてはこうした行為に厳しく対処する姿勢を示した形です。」

 日本の国旗国歌法は、国旗国歌の定義を決めるだけで、国旗国歌の尊重義務もなければ、敬意表明を強制する条文もない。もちろん、日本国憲法下の刑法に国旗国歌侮辱罪などあり得ない。ただ、公務員である教員に対する起立・斉唱の職務命令が、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明行為強制の根拠とされている。(「外国に対して侮辱を加える目的でその国の国旗その他の国章を損壊した者に対する「外国国章損壊罪」はある)

国家主義・愛国主義の強制は、民主主義や人権の対立物である。スガ政権や、これを支持する人々にとっては中国の強権的国家主義垂涎の的であろう。中国とは対等の立場で友好関係を築かねばならないが、国民統制に便として、中国の強権性や国家主義を学んではならない。

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