続々「ひらがなで語る立憲主義」
下り急勾配の機関車の喩えは、立憲主義の権力制約の側面に重きをおいた説明。機関車が権力だが、この機関車には急勾配や急カーブでは、危険な暴走によってレールを踏みはずすことのないよう、あらかじめブレーキを掛ける仕組みとなっている。そのような仕組みの機関車と軌道とは主権者人民が造る。その機関車暴走予防システムの設計思想が立憲主義ということになる。
オデュッセウスとセイレーンの説話は憲法の硬性原理に重きをおいた説明。主権者の意思も、時に激情によって過つことがある。そのような誤りのおそれあることを見据えて、十分に理性的なときに、自分をも縛っておく知恵が立憲主義。現在の主権者の意思が、過去の主権者の意思に制約されることは一見不合理に見えるけれども、実はその方が近視眼的な誤りを避けて、安定した国家の運営ができるのだという歴史の検証を経た叡智。これも立憲主義。
別の話。盲導犬の育成で難しいのは、「不服従の訓練」なのだそうだ。盲導犬は、視覚障害者である主人の安全を守るよう訓練される。普段は主人の意向を汲んで、その指示のとおりに行動する。しかし、主人がその身の安全に反する行動に出ようとする時には、あらかじめ教えられた安全策を優先して、不服従を貫かなければならない。賢い盲導犬の自主的判断尊重という文脈ではない。あらかじめ想定された危険への対応行動についての十分な訓練の成果なのだ。主人が人民、盲導犬が権力だ。権力は人民の安全のためのものとして存在する。うっかりと人民が自らの安全に反して、あらかじめ決められた安全の方策から逸脱しそうになった場合には、権力はこれに従ってはならない。あらかじめ決められた安全の方策が憲法で、人民や権力のときどきの意向よりも、十分に練られ整備された安全策を優先し徹底することによって、長期的に人民の安全をはかろうという考え方。これが立憲主義。
なお、こんなご意見をいただいた。なるほど、これもよく分かる。
「国の形、国家の根幹を形づくる憲法と、他の法律のあいだに、人々は、なんとか階層性を保とうとした。その方策が、3分の2の改正発議要件であり、憲法に違反する法律は作れない違憲立法審査権だったりするわけですね。この階層性は重要だと思います。実際、国の形を変えるということは、きわめて重大なことなので、時の内閣の一存で、近視眼的、短慮軽率に変えるべきものではありません。日常の細々とした規則は、お父さんが決めても、国の根幹にかかわることは、お祖父ちゃんの意見も聞かなくては、ということでしょうか。家父長的な表現ですみませんが(笑)。」
自分の言葉で語ろうとすると、本当にはよく分かってはいないことが見えてくる。「ひらがなで語れ」とはそういうことなのだろう。立憲主義に限らない。
これから、ひとにものをかたるときには、ひらがなでかたろうとおもう。
(2014年2月18日)