澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

公明党・北側発言「自民党に迷惑をかけた」とは何ごとか

集団的自衛権行使容認に向けて、与党間協議の決着がつきそうな危ない雲行き。昨日(6月24日)の第9回協議会で、政府・自民党が「自衛権発動の新3要件・修正案」を提示し、公明党執行部は大筋で了承する方針と報道されている(毎日)。

一見すると、「平和の党・公明」が「好戦集団・安倍自民」にズルズルと押し切られ値切り倒された形での決着となりそうな事態のように見える。しかし、本当にそうなのだろうか。このような形づくりが必要なだけだったのではないだろうか。ショーとしてのプロレスと同様、予め練られたシナリオのとおりにことが運んだものではないだろうか。

そういう根拠の一つが、この協議会の席で、公明党の北側氏が「我が党の議論で(自民党に)迷惑をかけているが、いつまでも引きずる考えはない。そう遠くなく結論を得たい」と語った(毎日)こと。「金目」発言も、「いじめ」発言も、失言ではない。本音がこぼれるのだ。北側氏の「迷惑をかけている」発言も本音である。本音だからこそ、問題が大きい。「できれば、安倍自民のご言い分を直ぐにでも呑んで、ご迷惑をお掛けするようなことはしたくない」と本心を語っているのだから。

北側発言は、国民の立ち場でものを考えていないことの表れである。彼の頭の中には、国民がなく、安倍政権と自民党だけがあることをものがたっている。また、憲法の理念を守れるか壊さざるを得ないのかの重大な議論をしていることについての自覚がない。慎重に審議をすることを「いつまでも引きずる」「迷惑をかけている」と本気になって考えているのだ。

国民の集団的自衛権行使への危惧の念は日々増している。だから、いつまでも引きずることなく、世論の盛り上がりのないうちに、抵抗したという格好だけはつけて決着しようということではないか。当然に、与党に残るメリットを考えての党利党略。

当てにできない者を当てにし、もしかしたらと幻想を抱いた国民が愚かだったというほかはない。国民的議論は皆無、国会での議論もろくろくないままに、憲法9条をなし崩しに壊そうという恐るべき合意を、自公2党はしつつあるのだ。

公明党は、開き直って「武力行使3要件」の細部の手直しをさせたと虚勢を張ってみせるのだろうか。一緒に戦争する「他国」に「わが国と密接な関係にある」という修飾詞をつけたのが手柄だとでも言う気だろうか。もし、本気でそんなことを言いだしたとしたら、それこそ噴飯もの。当たり前だろう。密接な関係にもない他国に味方して戦争をするなどあり得ないこと、「わが国と密接な関係にある他国」と言い換えることに何の意味もない。一緒に戦争をしようという国が、「わが国と密接な関係にある他国」でないはずはない。

「おそれ」を「明白な危険」に変えさせたって、限定が厳しくなったとはとうてい言えない。ある曖昧な言葉を、別の曖昧な言葉に置き換えてみただけのことではないか。3要件はダダ漏れのザルだ。日本国憲法の解釈において、集団的自衛権行使はいかなる場合も容認し得ないという大原則を崩してはならないのだ。

集団安保への参加についても、「自民党の高村正彦副総裁は24日の与党協議後、記者団から『集団安保はできないのか』と問われると『そうではない。できないならできないと(閣議決定案で)触れるのだから』と主張。政府関係者も『(閣議決定案に)明記しなくても集団安保に参加できる』と語った」と報じられている(朝日)。

曖昧な言葉使いが納得し得ないことに輪をかけて、「できないと明白に書かれていないのだから、できる」という論法が持ち出されている。あきれて怒り心頭だ。

これが許されるならば、日本は憲法9条を持ったまま、政府と与党の解釈次第で際限もなく「自衛の措置」としての武力行使をする国に落ちていってしまう。

公明党の井上幹事長は24日「安倍晋三首相に『何と言っても国民の関心は経済。ぜひ経済中心でお願いします』と述べた」という(朝日)。集団的自衛権問題の与党協議が始まる前でのことなら、「憲法問題よりは経済の協議を」ということに意味があろう。いま、この時点での「経済中心」への論及は、安倍自民の壊憲から国民の目を逸らそうという発言としての意味しかない。平和の問題を経済の問題にすりかえて、「最後は金目でしょ」と言って総スカンを食った石原環境相と同質のの批判を受けなければならない。

日本の進む道をねじ曲げる密談をこらした与党の政治家には、元陸将・元カンボジアPKO施設大隊長渡辺隆さんの言葉を届けたい。
「正直なところ、私は今、制服を脱いでいて、つまり退官していて、ありがたかった。もし制服を着ていたら、自分が指揮官として集団的自衛権をどう隊員に説明するか、夜も眠れないぐらい悩むだろうと思うからです」(朝日)

共産党、社民党だけではなく、民主党も結いの党も、集団的自衛権行使容認には批判的な姿勢を固めつつある。かつての保守本流と言われた人々も憂慮を深めている。自治体の首長にも慎重論が広がっている。地方議会の反対決議も100の大台を超えて増えつつある。岐阜県のごとく自民党組織の足下の一角が崩れてもいる。世論は日々好転している。いくつかの世論調査がそのことを明瞭に示している。まだ遅くはない。まだ、蟻の一穴をふさぐことは可能だ。公明党に、「自民に擦り寄ることは、結局墓穴を掘ること」と判断させる世論の形成まで、もう一歩ではないか。
(2014年6月25日)

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Published in 水曜日, 6月 25th, 2014, at 22:32, and filed under 集団的自衛権.

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