特攻隊員顕彰施設と靖国神社
わが国が集団的自衛権の行使を容認するとなれば、自衛隊は仮想敵とのシミュレーションをするだけではなく、現実の敵軍と交戦することになる。当然に、生身の人間の血が流れる。殺し、殺されることを覚悟しなければならなくなる。
自衛隊員が戦闘死したとき、どのように追悼の儀礼をするかが現実の問題となってくる。具体的には、「靖国神社に祀るべきだ」という議論が必ず起こってくる。これにどう対応すべきか。差し迫った問題となってくる。つまり、靖国問題とは、過去における軍国日本の歴史認識に関わるだけの問題ではなく、近未来の軍国日本の設計にも深く関わってもいるのだ。
もちろん、憲法20条3項(政教分離)の視点からは神式の葬儀も、戦没自衛隊員の靖国合祀など本来あり得ない。ましてや、憲法9条違憲の疑いが限りなく濃厚な海外の戦闘での戦没者についてのことではないか。しかし、「憎むべき敵の手によって犠牲となった同胞の霊」の取扱いに関する国民感情はセンシティブに過ぎてその赴くところを予想し難い。この国民感情の暴発が憲法の視点を吹き飛ばしてしまうことも、決してあり得ないではない。
だから、好戦安倍内閣が靖国参拝にこだわる必然性があり、時代の雰囲気がキナ臭くなるとともに靖国が注目されることになる。
なお、来年8月で敗戦70年となる。あちらこちらで、そのことを意識した回顧や記念の企画が進行を始めている。毎日新聞は、長期連載「戦後70年に向けて」を開始している。その最初のシリーズのタイトルが「出動せず」。創設60周年の自衛隊で何度か検討された治安出動が、結局命令されなかった背景を解説したもの。そして、その第2弾が「いま靖国から」。戦後70年を経たいまを考えるに際して、靖国問題を避けては通れないということなのだ。
本日がその連載の第25回。「修学旅行の『新顔』台頭」という見出し。連載は、ここ数回特攻死に対する評価をめぐる問題を取りあげており、特攻隊員顕彰施設への修学旅行が増加していることを報じている。
「戦後の学校で平和教育といえば、戦争の悲惨さを知って『二度と戦争をしてはならない』と学ぶことだった。広島・長崎・沖縄が修学旅行の名所となったのも、被爆と沖縄戦が究極の戦争体験だったからだろう。
しかし、広島・長崎への修学旅行は戦後50年(95年)をピークに減少期に入った。総数は及ばないが、21世紀に台頭したのが広島県の呉市海事歴史科学館『大和ミュージアム』と知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)である。大和も帰還予定のない戦艦特攻だった。特攻が、原爆や地上戦に代わる平和教育の『主役』になろうとしているかのようだ。
特攻の展示が強調するものは、理不尽・悲惨・人道・反戦よりも、純粋・勇敢・忠誠・殉国・美・愛である。出撃地は、隊員のりりしい笑顔、白いマフラーや花や人形で飾られ、乱れのない美しい遺書が整然と並ぶ。むごい死に様は遠い海のかなた。清らかな「聖地」で説く道徳的な戦争は、子どもたちに平和へのどんな意志を植え付けるだろうか。」
現実の戦争は理不尽で悲惨極まるものである。広島・長崎・沖縄は、その理不尽と悲惨とを象徴する場所。その現地での悲惨の追体験は、戦争を絶対悪とする人道を培い、再びの戦争を忌避する強い反戦の思想と感性を育むことになるだろう。
しかし、「特攻遺跡」の見学において展示によって強調されるものは、理不尽や悲惨よりは、純粋・勇敢・美・愛などの美徳であるという。子どもたちに植えつけられるものは、戦争を悪とする人道や反戦意識ではない。殉国の美しさであり、国家ないしは共同体への忠誠を道徳として内面化することである。
実は、特攻に限らない。軍人軍属の戦没者を合祀する靖国神社の思想が、このとおりなのである。戦死を理不尽で悲惨なものとしてはならないというのが、靖国の理念である。現実の戦争が、いかに理不尽で悲惨極まるものであっても、英霊となって天皇の神社に祀られた以上は、純粋・勇敢・美・愛などの美徳で飾らねばならない。ここは、死者を追悼する場ではなく、死者を顕彰する場なのだ。決して、戦争を悪とする人道や反戦意識を培ってはならない。むしろ意識的に狙っているのは、殉国の美しさであり、国家ないしは共同体への忠誠を道徳として内面化することなのだ。
同じものも、見方で訴えるものが違ってくる。戦争の遺品の展示は、展示の仕方次第で戦争の悲惨を語りもし、また純粋にして勇敢な兵士の英雄的行為を語りもする。
わが国が戦争というカードを切る権利を公言し、政策の選択肢として戦争を排除しないことを明確にしつつある今日、戦死者がでたときの準備の一環としても、また軍国主義的気風を育てるためにも、靖国は重要な役割を演じることになる。
やはり、修学旅行先は、正しく選ぼう。戦争の栄光やロマンを追ってはならない。自己犠牲を英雄視してもならない。広島、長崎、沖縄、そして東京大空襲の悲惨の実態をこそ学ばねばならない。あるいは、東京夢の島の「第五福竜丸展示館」に足を運ぼう。戦争や核の醜さ悲惨さと、これを繰り返すまいとする人道と反戦の営みに接することができる。
(2014年7月5日)