満席の法廷でDHCスラップの口頭弁論?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第18 弾
本日は『DHCスラップ訴訟』の事実上の第1回口頭弁論期日。被告代理人と支援の傍聴者で法廷が埋まった。そこでの被告陳述と被告弁護団長の意見陳述を下記に掲載する。
次いで、弁護士会館での報告集会。弁護団長・光前弁護士からの解説のあと、ジャーナリストの北健一さんと、メディア法の田島泰彦教授(上智大学)が、スラップに関する実践的な報告をされた。
すべてが、この上ない充実ぶりで、法廷と集会が、優れた「劇場」と「教室」になった。教室は人権と民主主義を学ぶ場。劇場は、学んだものの実践の場。両者とも、生き生きと志あるものがつどう空間。
応訴の運動を、「劇場」と「教室」にしよう。
まずは、楽しい劇場に。
演じられるのは、
人権と民主主義をめざす群像が織りなす
興味深く進行するシナリオのない演劇
誰もがその観客であり、また誰もがアクターとなる
刺激的な空間としての劇場。
そして有益な教室に。
この現実を素材に
誰もが教師であり、誰もが生徒として
ともに民主主義と人権を学ぶ教室。
今日が、開演であり、始業に当たる日。
ハッピーエンドでの卒業の日まで
充実した「劇場」と「教室」にしよう。
**************************************************************
『DHCスラップ訴訟』2014年8月20日期日
被告本人澤藤統一郎意見陳述
私は、被告という立場に置かれていることにとうてい納得できません。どう考えても、私に違法と判断される行為があったとは思えないからです。
私は、憲法で保障されている言論の自由を行使したに過ぎません。しかも、その言論とは、政治とカネにまつわる批判の言論として社会に警告を発信するものなのです。政治資金規正法に体現されている「民主主義の政治過程をカネの力で攪乱してはならない」という大原則に照らして、厳しく批判されるべき原告吉田の行為に対して、必要な批判をしたのです。
政治資金規正法は、その第1条(目的)において、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるように」としています。まさしく、私は、「不断の監視と批判」の言論をもって法の期待に応え、「民主政治の健全な発達に寄与」しようとしたのです。
私の言論の内容に、根拠のないことは一切含まれていません。原告吉田嘉明が、自ら暴露した、特定政治家に対する売買代金名下の、あるいは金銭貸付金名下の巨額のカネの拠出の事実を前提に、常識的な論理で、原告吉田の行為を「政治を金で買おうとした」と表現し批判の論評をしたのです。
仮にもし、私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようであれば、およそ政治に対する批判的言論は成り立たなくなります。原告らを模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌って、濫訴を繰り返すことが横行しかねません。そのとき、ジャーナリズムは萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は後退を余儀なくされるでしょう。それは、権力と経済力がこの社会を恣に支配することを許容することを意味し、言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。
また、仮に私のブログによる表現によって原告らが不快に感じるところがあったとしても、彼らはそれを受忍しなければなりません。原告両名はこの上ない経済的強者です。サプリメントや化粧品など国民の健康に直接関わる事業の経営者でもあります。原告らは社会に多大の影響を与える地位にある者として、社会からの批判に謙虚に耳を傾けるべき立場にあります。
それだけではありません。原告吉田は、明らかに法の理念に反する巨額の政治資金を公党の党首に拠出したのです。しかも、不透明極まる態様においてです。この瞬間に、原告らは、政治家や公務員と同等に、拠出したカネにまつわる問題について国民からの徹底した批判を甘受すべき立場に立ったのです。これだけのことをやっておいて、「批判は許さない」と開き直ることは、それこそ許されないのです。
原告らの提訴自体が違法であることは一見して明白です。貴裁判所には、このような提訴は法の許すところではないと宣告の上却下して、一刻も早く私を不当な責任追及を受ける被告の座から解放されるよう要請いたします。
**************************************************************
被告弁護団長弁護士光前幸一意見陳述要旨
1 本件は、民主主義の根幹を揺るがす「政治とカネ」に関する論評の差止め請求、損害賠償請求事件である。被告が論評を発表した手段は、いまや市民にとって極めて一般的な方途となったインターネット上のブログである。また、被告が論評で取り上げた題材は、現金だけでも8億円が動いた有力政治家と大実業家の交際状況であり、現金を供与したのは、健康食品業界で飛ぶ鳥を落とす勢いのDHCオーナー原告吉田会長、受け取った政治家は、みんなの党の代表者であった渡辺喜美氏である。社会の耳目が集まるのも当然である。
2 本件裁判は、憲法32条が保障した裁判を受ける権利を濫用した違法な訴え、スラップ訴訟である。その根拠は、本日提出した準備書面1の第2?第4、さらに第6(これは、原告らが先般提出した準備書面1への反論)で詳細に論じているが、その骨子を述べれば、原告吉田と渡辺代議士が週刊誌や記者会見で明らかにした事実は、サプリメントの規制緩和という国家政策をカネの力で左右しようとするもので、政治資金規正法に違反する疑いが強く、このような経済的強者による法の無視、民主主義の冒涜行為に対しては、同法が、市民の厳しい「監視と批判」を期待し求めていること、被告の論評は、この法の要請にしたがい、原告吉田や渡辺代議士が明らかにした事実のみを掲げ、これを基礎として、原告吉田の行為を厳しく批判したにすぎないものであること、ところが、批判された原告らは、何の事前交渉もないまま、被告に対し、高額の損害賠償請求と論評の撤回を求める裁判を提起し、しかも、同様の訴訟を同時・多発的に(被告において判明しているものだけでも、当裁判を含めて10件)提起しており、とうてい、訴訟のまともな利用方法とは言い難いということである。法曹であれば、原告らの訴訟提起の異様さは、誰もが気づくことであり、自らのフィールドがこのように汚されることに、危惧や嫌悪を超えた義憤を感じるであろう。
3 原告らが、本訴状の作成にあたり参考にしたであろう、この種訴状のひな形、例えば、判例タイムズ1360号の4頁以下には、東京地裁プラクティス委員会執筆にかかる名誉棄損訴訟の解説があり、その24頁に、本訴状とよく似たウェブ掲載文書に対する名誉棄損訴状のひな形が出ているが、このひな型では、「第5 本件各記述削除の必要性」の項で、ウェブに掲載された記述の削除を事前に求めたが、これに相手が応じないことから裁判を提起したという事情が記載されている。このひな型に記載されているとおり、真に権利回復を求めるのであれば、提訴前に当該論評の取扱いをめぐって相手方と事前交渉(削除要求)するのが常識的である。ましてや、本件の被告は弁護士である。何の事前接触もなく、文字通り「十把一絡げ」に論評差し止めの裁判を提起するのは、あまり褒められたやり方ではない。
4 わが国においても、経済的格差の拡大が社会問題化しているなか、この種訴訟は、数年前からスラップ訴訟として問題となっている。立憲主義の要をなす司法制度が、経済の格差により、一方では利用が困難となり、他方では本来の機能を逸脱する不当な目的で利用され始めているからである。
前述のとおり、本訴訟は、政治的論評に対する名誉棄損事件として、その正当性が問題とされた事件であるが、被告準備書面1の第5で述べているとおり、被告が、その論評の基礎として掲げたものは、原告吉田が雑誌に寄稿した手記や渡辺代議士が記者会見で述べた事実のみであり、2007年9月9日の最高裁判決以降のわが国の最高裁や下級審の各裁判例に照らせば、論評の公共性、公益目的性から、いかに原告らの社会的評価を低下させたとしても、明らかに正当性が認められる言論である。勿論、この被告論評の当否は、国民、一人、一人がその思想・信条に基づいて判断すべきことで、裁判所が証拠調べの結果により黒白をつけられるべき性質のものではない。
5 裁判所が名誉棄損の要件判断で、原告らの請求を棄却するのは容易であろう。しかし、被告として敢えて求めたいのは、裁判所が、本事件をスラップ訴訟防止の橋頭保とすべく、訴権濫用についての十分な審理を遂げ、本件訴訟の実態を踏まえた適切、果敢な判断を早期に下すことである。
以上
(2014年8月20日)