「九条守る選挙」と「政党選択の選挙」と
昨日(11月24日)、「九条の会」が初めて街頭に打って出た。「安倍内閣の改憲暴走を許さない! 九条の会集会&パレード」という画期的な企画。日比谷公会堂で2500人の集会をしたあと、賑々しく銀座へ繰り出した。
これを、今朝の東京新聞と毎日新聞が写真入りで報道している。東京新聞の見出しは、「九条守る意思示そう 日比谷から銀座2500人デモ」。毎日は、「九条の会:集団的自衛権行使容認に反対 都内で集会」。どういうわけか、朝日は黙殺。萎縮してるのでなければよいのだが。
毎日の記事の冒頭が以下のとおり。この時期当然ことながら、総選挙を意識した報道になっている。
「憲法9条の堅持を訴える市民団体『九条の会』は24日、東京都千代田区の日比谷公会堂で集会を開き、12月2日公示、同14日投開票の衆院選に向けて、憲法改正に意欲を示す安倍晋三政権に対抗する勢力の結集を呼び掛けた。全国各地から約2500人が参加。集会後はJR東京駅近くまでの約2キロをパレードし、集団的自衛権の行使を認めた閣議決定の撤回などを求めた」
そして、「九条の会」呼びかけ人二人のスピーチが紹介されている。いずれも総選挙に触れている。
「集会では呼び掛け人で憲法学者の奥平康弘・東大名誉教授が『アベノミクスという限られた観点から総選挙に出たことは驚き。支配層の思惑に対し我々の政治的努力が問われている』と強調。同じく呼び掛け人で作家の澤地久枝さんは『安倍内閣に反対の一点で戦えないか』と訴えた。」
最後は、「東京都小平市のNPO理事長、木村重成さん(68)は『党派を超えて世界に誇る憲法9条を守っていきたい』と話した。」と締めくくられている。
毎日の記者は、「選挙直前の今、九条の会が党派を超えた護憲勢力の総結集を訴えた」ととらえたのだ。澤地の『安倍内閣に反対の一点で戦えないか』は各党に候補者調整を呼びかけたものであろう。護憲の立場からは、安倍退陣を実現しなければならない。安倍退陣のためには、護憲の各政党が乱立して共倒れになってはならない。大同団結して安倍に対峙する「護憲の選挙」を構想しなければならないとする必死の訴え。
興味深いのが本日の赤旗の報道ぶり。もちろん九条の会の「集会&パレード」を無視してはいない。取材記事の掲載はある。しかし、一面の記事ではなく15面(社会面)左下の位置。写真もない。2500人の大集会の護憲集会の扱いとしてはまことにもの足りない。しかも、澤地の「安倍内閣に反対の一点で戦えないか」との訴えはまったく報道されていない。また、赤旗ホームページの25日欄には16本の記事がアップされているが、そこには昨日の九条の会の集会に関する記事の転載はない。
本日の赤旗トップは、「青年の力で暴走ストップーともに政治動かす共産党ー東京・新宿駅東口 山下書記局長訴え」である。「近づく総選挙。青年の力で日本共産党を躍進させ、青年の声が生きる政治を実現しようと、『暴走政治ストップ 国民の声で動く政治を! 若者×日本共産党 大カクサンDay』が24日、東京・新宿駅東口で行われました」という内容。大きなカラー写真は、「たくさんの青年を前に訴える山下芳生書記局長と笠井亮、池内さおり両衆院東京ブロック比例候補と吉良よし子参院議員」とキャプションを付けたもの。
明らかに共産党は「政党選択の選挙」に走り出している。党勢拡大の選挙といってもよい。今さら「一点共闘」だの「候補者調整」だのという呼び掛けに付き合う気持はないということなのだろう。この今の時期だからこそ、「護憲の選挙」か「政党選択の選挙」がが問われている。
常に定数1の首長選では、大同団結を目ざしての候補者調整はときに大義となる。現に沖縄知事選では共産党も保守の候補者を推して当選させた。では、同じ定数1の小選挙区制の選挙ではどうなのか。悩ましいところ。
遙か昔を思い出す。私が初めて選挙権を得た頃のこと。安保闘争の余韻の残る世の空気のなかで、私は当然に共産党の候補に投票すると口走った。これに、訳知り顔の級友が渋い顔をしたのを覚えている。「今、何をもって投票の基準とすべきか。最も重要なのは憲法改正を阻止する国会の3分の2の壁を崩さぬよう守り抜くことではないか。護憲の社会党に投票を集中しないのは利敵行為だと思う」「直情径行に支持政党に投票する前に、自分の投票行動がどのような客観的効果をもたらすか見つめ直した方がよい」「せっかくの一票、死票にしてはもったいない。よりマシな選択として野党第1党への投票として生かすべきだろう」というのだ。
釈然としないものの、的確な反論ができなかった。当時の社会党をそれなりに、評価していたこともあったからだろう。今また、『護憲の大義をもって、安倍内閣の改憲に反対の一点で大同団結して総選挙を戦えないか』という澤地の真摯で切実な呼び掛けに悩まざるを得ない。安倍自民に勝たせるよりは、まだマシの選択が現実に可能だとすれば…。
このような葛藤は、比例代表制の選挙では生じない。かつての中選挙区制でも死票が生じたが、小選挙区制の不合理はその比ではない。死票を避けようという有権者心理につけ込んで、二大政党制に誘導する目的から小選挙区制ができあがった。第1党に圧倒的に有利で、第2党にも利益があり、第3党以下には極端な不利益がもたらされる。この支持政党の如何によってもたらされる不平等は違憲だと思う。
小選挙区制は、有権者から政党選択の自由の権利を奪い、有権者の意見分布を正確に映すべき国会の議席構成を歪めてしまう。糺すべきは、まず小選挙区制にある。
とはいえ、今回の選挙に制度改革論を対置させても間に合わない。澤地の訴えは、結局は実ることがないだろう。どの政党どの団体を護憲勢力として、どのように調整すべきかを具体的に考えると、共闘や調整の環境が熟していないと判断せざるを得ない。沖縄のように、政党の枠を超えて重要な共通の課題が存在するとの、認識の共有と信頼関係がなければ、候補者調整は難しかろう。
しかし、澤地の問題提起は重要だと思う。いつか、「憲法擁護統一戦線」あるいは「憲法改悪阻止国民連合」が、ファシスト的な保守連合と選挙戦を戦わねばならないときが来ることの予感がある。
そのとき、否応なく、大同団結をしなければならない。いまは、悩みつつも、それぞれが反安倍の立場を最も有効に貫く方法の選択をするしかない。
(2014年11月25日)