トリクルダウン・逆トリクルダウン・トリクルアップ
トリクル(trickle)という英単語は、「トリクルダウン」という「はやりの経済用語」に接するまで知らなかった。「水滴」、「しずく」、「細流」くらいの意味のようだ。富裕者階層と貧困者階層から成る格差社会では、「富裕者層がより富めば、やがては貧困者層にも、「水滴」程度のおこぼれがしたたってくる」というのが、「トリクルダウン理論」。なにも理論というほどの大層なものではない。富裕者層とこれを代弁する者たちの願望であり、自己弁護でもある論法。その金持ちの自己弁護論法が事実に基づいてようやく否定されようとしている。
以下は東京新聞12月13日「筆洗」欄の記事。みごとなまでの明晰な解説となっている。
「『金持ちをより豊かにすれば、貧しき人々も潤う』。サッチャーさんや米国のレーガン大統領は1980年代、そういう考えで市場原理主義に沿った規制緩和や富裕層への減税などを進めた。いわゆる「トリクルダウン(したたりおちる)」効果を信じてのことだ▼その結果どうなったか。経済協力開発機構(OECD)は今週の火曜日、『多くの国で過去30年間で所得格差が最大となった。格差拡大は各国の経済成長を損なっている』との最新の分析を発表した▼推計によれば、格差拡大のために成長率はここ20年間で米国で6%、日本で5・6%押し下げられた。つまり金持ちはより豊かになったはずなのに、貧しき人は貧しいままで、経済全体の活力もそがれてきたというのだ。欧米有力紙はこの分析を大きく伝え、英紙ガーディアンは一面トップでこう断じた。<OECDはきょう、トリクルダウンという考え方を捨て去った>…」
「ガーディアンが一面トップで『OECDはトリクルダウンという考え方を捨て去った』」といったのだから、大ニュースではないか。その割りには日本のメディアでは大きく扱われていない。そのなかで、毎日新聞12月17日(水曜日)の「水説」において、中村秀明(論説副委員長)がOECD報告を引用して「逆トリクルダウン効果」を論じている。
本来しずくは上から下へ自然にこぼれ落ちるもの。しかし、現実の経済現象としては、そのようなおこぼれは30年待っても結局起こらなかった。ならば、政治や行政の力で所得の再配分機能を発揮させ、トリクルダウンを強制的に実現させてしまおう。実は、そうすることによって、富者の富が確保され、さらに増加することにもなるという解説。この「貧しい層への配慮が富裕層にも見返りとなってもたらされる」ことが、「逆トリクルダウン効果」として語られている。
経済協力開発機構(OECD)による報告書「所得格差と経済成長」を引用しての「水説」の要点を抜粋しておこう。
「1980年代に上位1割の金持ち層は最下層1割の人々の平均7倍の所得を得ていたが、2011年には9・5倍に拡大した。国別では、北欧などは低くデンマークは5・3倍。一方で英国は9・6倍で米国は16・5倍だった。最もひどいのはメキシコの30倍である。日本は10年の数値で10・7倍となっている。
格差の拡大は、経済成長にどう作用したのだろう。報告書は、90?10年の成長率について、米国では格差が拡大しなかった場合に比べると累積6・7%落ち込み、英国は9%近く、メキシコは10%低下したと推計した。日本では成長率を6%押し下げたとみている。格差が成長の足かせになる。発展途上の国だけでなく、成熟した国にも言えることだという。
日本や欧米では『自由な競争こそが経済に活力を生み成長をもたらす』という考えが強い。だが、報告書が言いたいのは違う。『不平等の解消を目指す政策は社会をより豊かにする可能性を持つ』という発想の転換である。
その政策に必要な財源は金持ち層への税率引き上げでまかなえばいい、と単純明快だ。『富裕層の税負担能力は以前より高まっている』と分析する。成長の果実はいずれ金持ち層にも及び、課税強化も成長の妨げにはならない。貧しい層への配慮が富裕層にも見返りとなってもたらされる「逆トリクルダウン」効果である。」
さらに、本日(12月20日)の毎日に浜矩子が、中村「水説」を受けた記事を書いている。「危機の真相:『くだりと のぼりと さかのぼり』 トリクルはいずこに?」というもの。経済論文という臭みを感じさせずに、さすがに上手な読み物となっている。
浜の解説でのキーワードは、自身の造語である「トリクルアップ」だ。「格差社会における下から上への富の吸い上げ」という現象のことではない。格差を放置しておくと、結局は富の集積の条件が破壊されて富者へのツケが回ってくる。この富者へのマイナス効果に着目して「トリクルアップの経済学」と言っている。
要点は下記のごとし。
「中村さんの『逆トリクルダウン効果』と筆者の『トリクルアップの経済学』は、少々違う。筆者が『トリクルアップの経済学』を思いついたのは、貧乏人をないがしろにしていると、やがてそのツケが金持ちにも回っていくぞ、という感覚から。弱い者いじめばかりしていると、巡り巡って強き者にも、その先細り効果がジワジワと及んでいく。そういうことがあるのではないか。
プラス効果の逆トリクルダウンに着目するのか。マイナス効果のトリクルアップを問題視するのか。この辺には、性格の違いが影響しているだろうと思う。明らかに、筆者の発想の方がクソ意地が悪い。弱い者いじめには天罰が下るぞ。そんな具合に脅しにかかっている。中村さんは、弱者に優しくすると、強者にも恩恵がありますよと言っている。
マイナス効果のトリクルアップは重大問題だと思う。一将功成って万骨枯ることは、許し難いことだ。だが、実をいえば、万骨枯れてしまえば、結局のところ、一将もまた功成り難しだ。」
以下のような上手な説明もなされている。
「底辺の弱さは、ジワジワとてっぺんの方にも浸透してゆく。足腰をないがしろにする経済は、足腰の弱さによって滅びる。いかほど大きな者といえども、小さき者たちの支えと需要が無ければ生きていけない。土台のもろさは、着実に頂上にトリクルアップする。ところが、頂上のにぎわいが土台までトリクルダウンする保証はどこにもない。」
「トリクルダウン」すると期待されてきたものは、おこぼれの「富」である。浜の説明による「トリクルアップ」するものは、富ではなく「ツケ」であり、「土台の脆さ」である。要するに、格差を生み出し維持してきた構造そのものが、富者の地位を脅かし攻撃することになるということなのだ。
一昔前なら、これを弁証法的唯物論適用の好例として説明することになるのだろう。あるいは資本主義の根本的矛盾の表れとして、また窮乏化理論の具体例として。中村の「水説」も浜の「危機の真相」も、資本主義の危機を回避する弥縫策を語っていることになる。しかし、どちらかといえば、中村は富者にやさしく説教を垂れ、浜は富者に向かって「悔い改めざる限り地獄に落ちるぞ」と威嚇している趣がある。もう一歩進めて、貧者の側への語りかけが欲しい。その地位を改善する方策についてでも、あるいは経済構造そのものの変革についてでも。
(2014年12月20日)