澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

差別と偏見を克服しよう。憎しみと暴力と戦争をなくすために。

アメリカ南部・サウスカロライナ州の教会で9人が惨殺された。殺人者は21歳の白人男性、乱射された銃弾で亡くなったのはいずれも黒人の9人。現地時間6月17日夜(日本時間18日午前)のこと。教会で、無防備の人々を襲った悲劇。その理不尽に胸が痛む。

逮捕された犯人は日頃から人種差別の言動を露わにしており、典型的なヘイトクライムであると報じられている。また、この犯人は本年4月、21歳の誕生日に親から銃を買ってもらっているともいう。社会の暗黒と人の心の底に秘められた暗部とが噴出した印象。恐るべき社会の恐るべくも悲惨かつ醜悪極まる犯罪。

生まれながらの差別主義者はいない。生得の偏見はない。人は、物心ついてから理不尽な差別や偏見の感情を、社会や家庭から学んで獲得していくのだ。彼の地の黒人差別、ユダヤ人差別、ヒスパニックやアジア人に対する差別感情。そして、身近な問題として在日の人々への理由なき偏見、ヘイトスピーチ。どのようにすれば、差別や偏見を克服できるのだろうか。

惨劇の舞台となった教会は、マーチン・ルーサー・キング牧師が訪れたこともある、公民権運動にゆかりの場所であるという。「キングセンター」は、殺害された人々に哀悼の意を表すとともに「キング牧師の魂、そして、その哲学に従い、私たちはいかなる人種差別、憎しみ、戦争、そして、暴力に強く反対します」とコメントしたという。「差別、憎しみ、暴力、そして戦争」が、否定さるべき負のキーワードとされている。

たまたま、本日の赤旗文化欄「今月の詩」に、おぎぜんたの「虐殺記念日のヤモリ」という題の詩が紹介されている。「ルワンダの虐殺記念日の夜」にちなんだ沈痛な詩。その中で、次の歌の一節が引用されている。

 ある人種が優れていて
 ある人種が劣っているという哲学が
 永久にこの世から抹殺されるまで
 この世はいつまでも戦争だ

注がついている。「ボブ・マーリーの歌『ウォー』から(エチオピアのハイレセラシェ皇帝の演説をもとにした歌である)」と。キングセンターのコメントと符節がピッタリだ。今日だからこそ、この歌詞が深く胸にしみいる。

ネットで検索すると、こんな訳文も見つかった。
 ある民族がある民族より優れている、または劣っている
 そんな思想が、最終的かつ永続的に根絶され廃棄されない限り
 いたるところで、戦いは続いていく

 いかなる国においても、市民の間に差別がなくなり
 人間の肌の色が目の色と同じく意味をなさなくなるその日まで
 戦いは続いていく

この歌の中の「人種」「民族」は、いろいろに置き換えられる。宗教、言語、家柄、門地、地域、性別、年齢、職業、経済力、学歴、身体能力、容姿……。人と人の間に、尊厳における優劣があると認めるところに、諍いの火種が生じる。諍いは憎悪であり、暴力を生み、戦争にもつながる。

この歌の中の「戦争」は、象徴的な意味であるだけではなく、現実の国家間の武力衝突でもあり陰惨な殺戮でもある。

差別と偏見とは、社会に埋め込まれた毒物であり自爆装置である。その処理を誤れば社会が崩壊する。人類の壊滅にもつながりかねない。だから、社会は理不尽な差別と偏見を克服しなければならない。そのためのあらゆる努力をしなければならない。それが、あらゆる憎しみや暴力をなくし、さらには戦争をなくする正道となるだろう。
(2015年6月19日)

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