「言論封殺の恫喝に屈してはならない」 7月1日結審法廷での被告本人陳述確定稿ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第46弾
私自身が被告とされているDHCスラップ訴訟は、明後日(7月1日・水曜日)午後に結審予定となっています。公開の法廷で裁判を受けることは国民の権利ですし、法廷傍聴も国民の権利です。どなたでも法廷にお入りください。身分証明も不要ですし、名前を登録する必要もありません。但し、今回も抽選はありません。傍聴席が満杯になればご遠慮いただかざるを得ません。その場合は、報告集会にお越しください。こちらは立ち見でも、参加可能です。
その7月1日(水)の予定は以下のとおり。
15時00分? 東京地裁631号法廷 第7回口頭弁論期日。
被告本人(澤藤)意見陳述(10分)。
その後に弁論終結、判決期日指定。
15時30分?17時 東京弁護士会508号会議室 報告集会
弁護団長 本日までの経過説明(常任弁護団から補充)
田島泰彦上智大教授 ミニ講演
本件訴訟の各論点解説とこの訴訟を闘うことの意義
弁護団・支援者・傍聴者 意見交換
・感想意見の交換
・判決報告集会の持ち方
・他のDHCスラップ訴訟被告との連携
・原告や幇助者らへの制裁など
被告本人 お礼とご挨拶
7月1日法廷では、私が口頭で10分間の意見陳述をします。本日は、その原稿を掲載します。10分間の朗読原稿なので、意を尽くしているとは言い難いのですが、が、短くて読み易く、何がどのように問題なのか、要点を把握しやすいと思います。ぜひ、ご一読ください。
この日、結審となって次回は判決期日となります。この判決は、主文だけでなく、判決理由が注目されるところです。問題は、憲法上の言論の自由に関わるだけではありません。政治とカネの問題にも、消費者問題の視点からの規制緩和問題にも関連しています。
ところで、「昔武富士、今DHC」。悪名高いスラップ訴訟の常連企業です。武富士はつぶれて過去の存在となりましたが、スラップ受任常連弁護士は健在です。DHCもその受任弁護士も健在。今後もスラップ訴訟が繰り返される恐れは払拭できません。これを防止するためには、ひとつひとつのスラップ事件で提訴の不当を明確にする判決を積み上げていくことが重要だと思います。
DHCは労働組合運動に対する恫喝訴訟などの前歴もありますが、「8億円裏金事件」批判に対するものとしては10件のスラップを提訴しました。そのうち1件は取り下げ、2件で一審判決が出ています。もちろん、DHC側の完敗。関連した仮処分事件が2件あり、これも地裁と抗告審の高裁で、DHCは完敗しています。今のところ、DHCは6戦6敗。おそらくは、私の判決が7敗目となるはず。ご注目をお願いいたします。
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H26年(ワ)第9408号
被 告 本 人 意 見 陳 述
東京地方裁判所民事24部御中
被告本人 澤 藤 統一郎
口頭弁論終結に際して、意見を申し述べます。
私は、突然に被告とされ、心ならずもの応訴を余儀なくされています。当初は2000万円、途中請求の拡張があって6000万円の支払いを請求される立場とされています。当然のことながら、心穏やかではいられません。不当な提訴と確信しつつも、むしろ不当な提訴と確信するからこそ、このうえなく不愉快な体験を強いられています。理不尽極まる本件提訴を許すことができません。
私に違法と判断される行為や落ち度があったはずはありません。私は、憲法で保障されている「表現の自由」を行使したに過ぎないのです。むしろ、私は社会に有益で有用な言論を発信したのだと確信しています。提訴され被告とされる筋合いはありえません。
本件で問題とされた私の言論の内容は、「政治をカネで歪めてはならない」という民主主義社会における真っ当な批判であり、消費者利益が危うくなっていることに関しての社会への警告なのです。この点について、十分なご理解をいただきたいと存じます。
なお、もう一点お願いしておきたいことがあります。私の書いた文章が、原告の訴状ではずたずたに細切れにされています。原告は、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけをして、「違法な文章」に仕立て上げようとしています。貴裁判所には、原告が違法と非難する5本の各ブログの文章全体をお読みください。そうすれば、各ブログ記事が、いずれも非難すべきところのない言論であることをご理解いただけるものと確信しています。
私は、40年余の弁護士生活を通じて、政治とカネ、あるいは選挙とカネをめぐる問題には関心を持ち続けてきました。また、消費者問題にも強く関心をもち、消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験してきました。弁護士会内の消費者委員会活動にも積極的に関与し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤めています。消費者問題に取り組む中で、官僚規制の緩和や規制撤廃の名目で、実は事業者の利益拡大の観点から消費者保護の社会的規制が攻撃され、その結果消費者保護行政が後退していくことに危機感を募らせてきました。そのことが本件各ブログの内容に反映しています。
私の「憲法日記」と標題するインターネット・ブログは、弁護士としての使命履行の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。現在継続中のものは、2013年4月1日に自前のブログを開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めたもので、昨日で連続更新記録は821日となりました。公権力や社会的強者に対する批判の視点で貫かれています。そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。
2014年3月に「週刊新潮」誌上での吉田嘉明手記が話題となる以前は、私はDHCや原告吉田への個人的関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金規正のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについての、公益目的でのブログ記事であることに、一点の疑義もありません。
本件訴訟では、原告両名が、私の言論によって名誉を侵害されたと主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つけられる人の存在を想定してのものにほかなりません。誰をも傷つけることのない言論には、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。原告両名は、まさしく私の権利行使としての言論による名誉や信用の毀損という「被害」を甘受しなければならない立場にあります。
このことを自明という理由の第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。しかも、原告吉田は週刊誌に手記を発表することによって自らの意思で「私人性」を放棄し、「公人性」を獲得したのです。
もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出して政治に関与した人物なのです。しかも、そのことを自ら曝露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったのです。週刊誌を利用して自分に都合のよいことだけは言いっ放しにして、批判は許さないなどということが通用するはずはないのです。
その第2点は、私の言論の内容が、政治とカネというきわめて公共性の高いテーマにおけるものだからです。原告吉田の行為は政治資金規正法の理念を逸脱しているというのが、私の批判の内容です。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となってしまいます。民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
さらに、第3点は、私の言論がすべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づいて、常識的な推論をもとに論評しているに過ぎないことです。意見や論評を自由に公表し得ることこそが、表現の自由の真髄です。私の言論は、すべて吉田自身が公表した手記を素材として、常識的に推論し論評したに過ぎないのですから、事実の立証も、相当性の立証も問題となる余地はなく、私の論評がどんなに手厳しいものであったとしても、原告吉田はこれを甘受せざるを得ないのです。
にもかかわらず、吉田は私を提訴しました。カネをもつ者が、そのカネにものを言わせて、自分への批判の言論を封じようという濫訴が「スラップ訴訟」です。はからずも、私が典型的なスラップ訴訟の被告とされたのです。原告吉田が私をだまらせようとして、2000万円の損害賠償請求訴訟を提起したことに疑問の余地はありません。私は、「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならない、もっともっと大きな声で、何度も繰りかえし、原告吉田の提訴の不当を徹底して叫び続けなければならない、そう決意しました。
その決意の結果が、同じブログへの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。昨日までで46回書き連ねたことになります。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、請求原因を追加し、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。
原告吉田嘉明の週刊新潮手記が発表されると、渡辺喜美だけでなく原告吉田側をも批判する論評は私だけでなく数多くありました。原告吉田はその内の10件を選び、ほぼ同時期に、削除を求める事前折衝もしないまま、闇雲に訴訟を提起しました。明らかに、高額請求訴訟の提起という恫喝によって、批判の言論を委縮させ封じこめようという意図をもってのことというべきです。
本件は本日結審して判決を迎えることになります。
その判決において、仮にもし私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治に対する批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。
貴裁判所には、このような提訴は法の許すところではないと宣言の上、訴えを却下し、あるいは請求を棄却していただくよう要請いたします。
(2015年6月29日)