澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

防衛大綱「中間報告」は改憲策動の先取り

7月26日に、防衛省の「検討委員会」が「防衛力の在り方検討に関する中間報告」を発表した。6月末までに公表となるとされていたものだが、参院選が終わるまで時期をずらしたとの印象を免れない。さっそく、防衛省のホームページでプリントアウトして読んでみた。表紙を含めて12頁、さほどの分量ではない。北朝鮮と中国とが、我が国を取り巻く安全保障環境の不安定要因とされている。いつものことながら、敵の脅威が存在するから防衛力が必要なのか、防衛力がある以上は敵の脅威をあげつらわねばならないのか、奇妙な印象を払拭し得ない。

各紙が注目し問題としているのは、「専守防衛路線を踏み外し、日本の軍事政策の重大な転換となる」のではないかという重大な懸念。具体的には、「敵基地攻撃能力の保有を検討課題とする考え方を示した」「自衛隊の海兵隊的機能の整備を明記」の2点。

まずは、「敵基地攻撃能力の保有検討」の件。
中間報告の記載は、「北朝鮮による弾道ミサイルの能力向上を踏まえ、我が国の弾道ミサイル対処態勢の総合的な対応能力を充実させる必要がある」というもの。これを「北朝鮮を念頭に置いた『弾道ミサイル対処強化』の一環として『総合的な対応能力を充実させる必要がある』と明記することで、敵基地攻撃能力の保有が検討課題との考え方を示した(日経)」と読まねばならない。

赤旗は、もう少し丁寧に、「北朝鮮を念頭に『弾道ミサイル攻撃への総合的な対応能力を充実させる必要がある』と強調。この記述について同省は『打撃力も検討の対象に入っている』と説明し、戦闘機やミサイルなどで敵の発射基地をたたく『敵基地攻撃能力』の保有を検討する姿勢を示しました」と報道している。

なるほど、能力向上した弾道ミサイルへの「対処態勢の総合的な対応能力を充実」策としては、ミサイル基地の攻撃が最も手っ取り早く確実な方法に違いない。しかし、このことは、「専守防衛」という概念の成立に根本的な疑念を投げかける。「自衛」とは、相手国からの攻撃あって初めて成立する。相手国の攻撃がないうちの「自衛行為」はありえない。ところが、「相手国の攻撃能力が迅速で強大だから、攻撃を待ってからの自衛権の行使は手遅れで成立し得ない」となれば、先制的な武力攻撃が自衛の名において実行されることになる。双方が、「武力の保持は自衛のため」「先制攻撃はしない」との誓約のもと、武力対峙の中の「平和」が保たれるはずが、「自衛的先制攻撃」あるいは「先制的自衛権行使」を認めた途端に、「先にボタンを押した者が勝ち」となる。今回の中間報告は、世論の顔色を窺いながら、そのような危険水域に踏み込もうというのだ。

次いで、「自衛隊の海兵隊的機能の整備」である。こちらは、明記されている。
中国からの島嶼部への攻撃を想定して、「島嶼部への攻撃にたいして実効的に対応するためには、あらゆる局面において、航空優勢及び海上優勢を確実に維持することが不可欠である。また、事態の推移に応じ、部隊を迅速に展開するため、機動展開能力や水陸両用機能(海兵隊的機能)を確保することが重要となる」「事態の迅速な対応に資する機動展開能力や水陸両用機能(海兵隊的機能)の着実な整備のため、…水陸両用部隊の充実・強化等について検討する」という。

「水陸両用機能(海兵隊的機能)」は敵国上陸を任務とする外征専門部隊である。これまで、専守防衛に徹する自衛隊にはふさわしくないとされてきた。「島嶼防衛」を口実として、それを持とうという。「自衛」隊の性格や国際的なイメージを転換することになるだろう。

自衛隊の9条合憲性は、「自衛のための最小限の実力」であることによって、かろうじて保たれている。だからこそ、日本は弾道ミサイルも持たず、空母も、戦略爆撃機も、原子力潜水艦も持たない。当然のことながら、9条2項の存在は、外国基地攻撃能力や外征部隊の保持を許さない。憲法を改悪して、9条2項を削除し、自衛隊ではなく国防軍を持とうという安倍自民党にとっては、この「中間報告」は実質的な改憲の先取りにほかならない。

参院選が終わって、しばらくは選挙がない。傲った自民党はこれから本性を表してくる。秘密保全法案の議会提案もしかり。集団的自衛権についての解釈の変更もしかり。そして、「中間報告」で世論の動向を窺いつつ、今年暮れの「防衛大綱」の策定もしかりである。声を上げねばならない。
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  『上野動物園のイクメン・ゴリラ』
上野動物園では、パンダ舎は素通りしてゴリラ舎に直行するという熱心なファンが大勢いる。そのゴリラ舎では、母親モモコが生後三ヶ月の女の子モモカを片時も離さず、幸せそうに育児に励んでいる。ファミリーは威厳にみちみちた父親ハオコと母親のモモコ、三歳のお姉ちゃんのコモモ、赤ちゃんのモモカ、面倒みが良すぎるおばさん(といっても血は繋がっていない)のトトとナナの6人で構成されている。

動物園の動物飼育に感情移入はいけないというコンセプトもあるが、ファンが自分の人生に引きつけて物語を作るのを止めるわけにはいかない。父親のハオコがシルバーバックの大きな背中を観客に見せて、どっしりと座っているのを見れば、「うちのお父さんより、頼りになるわ」とうっとり。モモコが、いとおしそうにモモカにおっぱいをやって抱きしめているのを見れば、立派なお母さんぶりだと感心しきり。モモカがお母さんの腕の中からキラキラ輝く目つきでまわりを見回したり、生後3月なのに移動するお母さんの腕にしっかりと「だっこちゃん」のようにしがみついているのを見れば、「まあ、ずいぶん賢こそうで、すばらしい運動能力をお持ちですこと」とうらやましくもなる。

檻のこちら側ではなく、内側にはいって、あれこれ話してみたい気分。「こんな狭い檻の中に閉じ込めて申し訳ない」と謝罪したり、「お国では軍事紛争があって、生活が大変そうですよ」と世間話もしてみたい。それを実践してしまったのが「霧の中のゴリラ」(早川書房)という著書のあるダイアン・フォッシーさん。シガニー・ウィルバー主演の映画は好評だった。

今、話題の中心は、父親ハオコの「イクメン」ぶり。やんちゃ盛りの長女のコモモの育児を一手に引き受けている。1歳ぐらいまで、体のでかい、強面の父親が近づくと、怖がっていたコモモも今ではお父さんべったり。友達のいないコモモのわがままをトトとナナがあやして、ゆったりと仲良く暮らしている。ファンにとっては心が慰められる風景である。

それに引き替え、人間社会は格段に厳しさを増している。厚労省の2012年度調査によると、男性の育休取得率は1.89%、女性は83.6%となっている。お父さんの育休取得者は50人に1人、しかもほんの短期間。41.3%が5日未満だという。お母さんも12ヶ月未満が33.8%、12ヶ月?18ヶ月未満が22.4%。安倍首相がノーテンキに「赤ちゃん抱き放題3年」といったけれど、そんな幸せな母親はわずか0.7%。出産前にやむを得ず退職した人は数に入れていない。育休後退職した人も10%いる。派遣社員の取得率は71.4%と低くなっている。

なぜ育休をとる人が少ないかは、分かりきったこと。収入が少なくなるから。そのうえ、へたをすれば、職自体を失う恐れがあるからだ。子どもが1歳になるまで、「育児休業給付金」として、休業前の賃金の5割が、雇用保険から出るだけだからだ。上限は21万円。これでは母親は、ましてや父親も、おちおち休んでなどいられない。

誰だって赤ちゃんはかわいい。ゆっくりと「抱き放題」していたい。それができるのは、安倍首相とハオコ・ファミリーに代表される特権階級だけなのかもしれない。
(2013年7月28日)

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Published in 日曜日, 7月 28th, 2013, at 17:36, and filed under 未分類.

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