麻生「憲法改正手口学んだら」発言の低劣さ
麻生太郎副総理が7月29日、東京都内でのシンポジウムにおいてした、「ナチスの憲法改正手口学んだら」発言は以下の〔〕内のとおりだとのこと(朝日)。これを当の本人が、「真意と異なり、誤解を招いたことは遺憾だ」として、8月1日に発言を撤回している。いったい、「真意」とは何だったのだろうか。そして、どう「誤解」されたものだろうか。「失言仲間」の橋下徹が、「行きすぎたブラックジョークというところもあるが、ナチスドイツを正当化したような趣旨では全くない」と麻生擁護にまわっているが、どこにジョークがあって、なにゆえ「ナチスドイツを正当化したような趣旨ではない」と言えるのだろうか。普通の国語力を有すると自負する私の能力で、その読み解きに挑戦してみたい。とてつもなく、困難な課題と知りつつ、敢えて…。
〔僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。〕
これは何だろう。日本国憲法の改正発議要件の話題から、突然にヒトラーに飛ぶ。常人には到底ついていけない話題の転換。ここで彼が言いたいことの真意は分かりにくいが、文脈上理解できることは、「ヒトラーは民主主義によって出てきた」、「きちんとした議会で多数を握って出てきた」「ヒトラーは国民によって選挙で選ばれたんだ」ということ。「出てきた」とは政権を獲得したということであろうから、麻生がいいたいことは、「ヒトラーの政権獲得は民主主義的正当性に支えられたもの」ということであろう。ヒトラーの政権奪取への謀略的手法や敵対勢力への苛酷な弾圧は語られず、「選挙で選ばれたんだから」という幼児的な一言で、民主主義的正当性が語られる。通常の感覚では、論者の並々ならぬ「ヒトラーへの肯定的親和性」を見て取るしかない。なお、あとの文脈との関係においても、ここにはヒトラーへの否定的な評価の文章は収まりがたい。ヒトラーの手法を肯定しておく必要があるところ。
〔そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく〕
今、命題の真偽を問題にしない。批判も反論もしない。もっとも、反論を試みようにも、意味不明の文章への批判や反論ほど難しく、事実上不可能というほかはない。ともかく、純粋に彼が何を言いたいのかだけを追求することに専念したいのだが、その観点から、以上の文章は難解極まるものである。
文脈を追えば、「憲法はよくても、そういうことはありうる」とは、「憲法はよくても、その良い憲法下における民主的手続が、ヒトラーのような邪悪な政権を生み出す危険性がある」ということであろうか。とすれば、「私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが」、「よい政権を生むか、邪悪な政権を生むかは、実は、憲法の良し悪しと何の関係もないこと」と言いたいようなのだ。分からないのは、憲法を改正したところで、どのような政治になるかは、結局議員が決めることで憲法の良し悪しとは無関係ならば、無理して憲法を改正する必要はなさそうであるが、さて、この点についてどう話が続くのかと聞き耳を立てると、たちまちはぐらかされることになる。
〔私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない〕
えっ? 何だこりゃ。またまた、常人には理解しえない大展開。これ、改憲問題やヒトラーとどう関係するの? 常識的に、起・承・転・結という話しの流れを想定している身には、起・転・々・々は、チト辛い。
〔しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。〕
さあ、分からない。「しつこく言いますけど」って、何をこれまでしつこく言ってきたというの? 「そういった意味」とはどんな意味なのだろう。「べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、(改憲草案を)作り上げた」というのは、静かに議論した形容なの? それとも静かにはできなかったということ? 「憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。」このセンテンスだけは、文意明瞭でよく分かる。でも、「真に意図するところ」は少しも分からない。「静かに、どこが問題なのか、みんなでもう一度考えてください」は、そうすればどうなるというのだ?
〔そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。〕
「喧々諤々」はよくする間違いだが、騒がしいほどに議論したと言いたいのだろう。「喧々諤々、騒がしくやりあった」のか、「極めて静かに対応してきた」のか、どっちなの? 「喧々諤々極めて静かに対応してきた」ってどういうこと?
〔ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。〕
唐突に靖国参拝が出てくる。ここは論点からはずれるので飛ばすことにしよう。
〔昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。〕
さあ、問題はここだ。論旨は、「静かにやろうや」である。総理の靖国参拝も静かにやればよい。ドイツのワイマール憲法もナチス憲法へと静かに変わった。「ある日気づいたら、だれも気づかないで変わっていた」。それほど静かに変わった。この静かさが素晴らしい。だから、ヒトラーの改憲問題における「あの手口学んだらどうかね」という提案になる。
歴史的事実の認識の正確さ如何は問題にしない。問題なのは、麻生がヒトラーの手口を肯定的に評価しているのか、否定的評価なのかということ。わざわざヒトラーに言及して、その手口の成功を評価し、その手口を学べと言っているのだから、肯定評価であることに疑問の余地はない。もし、「真意は別だ」というのなら、まったく文意と離れて真意が隠されていることとなる。そんな「真意」を忖度する余地はない。同じく、ジョークも、ブラックジョークもあり得ない。「静かな憲法改正を評価し、その手口を学べ」というのが、「ナチスドイツを正当化した趣旨」であることは明白である。念のため申し添えるが、麻生は、ナチスがワイマール憲法を葬り、『ナチス憲法』に変えたその手口の鮮やかさを肯定評価しているのだ。「ナチスドイツを正当化した趣旨」であることは自明ではないか。特異な日本語能力の持ち主でない限り、橋下のごとく麻生を庇うことはできない。
〔わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。〕
これが麻生発言の結句。言葉を補って、彼を言いたいことを整理すれば、こうなる。「ドイツでの、ワイマール憲法から『ヒトラー憲法』への改憲は、国民みんなが騒がず静かに、いい憲法と納得して行われている」「ぜひ、そういった意味で、日本の憲法も、ヒトラーの手口を真似てある日気がついたら変わっていたというくらい、静かにやればよい」。これが善解した彼の真意である。文脈を正確に理解する限り、これ以外の真意などあり得ない。
なお、「僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」と言っているのは、論旨がヒトラーの手口肯定で、「民主主義を否定するつもり」と論難されることを覚悟していることの証左である。
普通の人が、普通の感覚で、麻生の発言を聞き、麻生の発言を起こした文章を読めば、疑いなく麻生はナチスの手口の肯定的評価者で、その手口を真似ようとしている。そして、許せないのは、国民を愚弄し、改憲阻止の熱い議論をすり抜けて、「国民が気がつかないうちに、憲法が変わっていた」という手口を理想としていることだ。改憲論議にもいろいろあるが、その低劣さにおいて、麻生の論法は、まさしく未曾有だ。
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『日本共産党参院選当選議員8人の初登院』
本日8月3日付「しんぶん赤旗」の第一面トップの写真。思わず笑いがこぼれてしまう。初登院8人ひとりひとりの弾む気持が、読者に伝染してくるようだ。
吉良さんの初々しい笑顔、辰巳さんの若武者ぶりの豪快笑い、倉林さんの酸いも甘いもかみ分けた豊かな表情、紙さんの知性あふれたお姉さんぶり、仁比さんの臥薪嘗胆の心意気、小池さんの堂々たる貫禄、山下さんの頼もしさ、井上さんの優しさ沈着さ。みんな満面に笑みで、すぐにでも駆け出しそう。この写真は当分見飽きない。
8人それぞれの決意は次のとおり。
「数が増え、キラッと光る個性豊かな皆さんがそろったことで、ほんとうに素晴らしいチームができました」(山下)。「今後はベストイレブンとして得点も稼げる強固なチームとしてがんばり抜きたい」(井上)。「3年ぶりに参院本会議場にはいり、自公政権の暴走とたたかいぬく闘志がわいてきました」(小池)。「さまざまな課題が山積のなか、集中審議、あるいは閉会中審議などを求め、ただちに行動していかないといけない」(紙)。「京都の窓口になったことを生かして、地元のすべての首長にしっかり挨拶をしながら『使い勝手よろしいで』と、宣伝をして実績を上げて、がんばりたいと思います」(倉林)。ともに定数2の激戦区を勝ちぬいた「西の倉林」さんは「東の東京都議の小竹」さんに選挙応援のお礼のエールを送っている。「『ブラック企業なくしてほしい』、『原発再稼働反対』と一緒に声を上げてきた仲間の思いがつまった議員バッチです」(吉良)。「大阪の『消費税増税は絶対にしてほしくない』『維新の会の暴走も止めてほしい』こういう声をいただいて当選させていただきました」(辰巳)。
仁比さんを忘れちゃいけない。仁比さんは議院運営委員として、初日から、「幡随院長兵衛」顔負けの活躍。副議長選出選挙で紛糾する場内協議を「犯人捜しをするのではなく、参議院の規則に基づいて再投票を行うべきだ」と全員が納得できる、弁護士らしい提案をして、議事を正常化したのだ。「9年ぶりに議運理事を取り戻した日本共産党の議席の値打ちを実感した」と語っている。
「赤旗」記者さんの「JR代々木駅の階段を『不屈だ。不屈だ。共産党は不屈なんだ』と心の中でつぶやきながら上がるのが、これまでの選挙翌日の出勤時のありようでした。今回は、足取り軽く、心も軽く上がることができました。」というつぶやきには共感ひとしお。
8人の笑顔は、そのまま日本国憲法の笑顔であり、憲法制定権者の笑顔でもある。「自民圧勝」の受難の中、明日への期待の詰まった、輝く希望が芽吹いたことへの平和や民主々義の明るい笑みでもある。
(2013年8月3日)