澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

中学生・高校生に「働くルール」の授業を

本日(2月27日)の赤旗11面に掲載されたあるコラム。筆者は、大阪の元教員。「中学生が学ぶ働くルール」連載第4回の最終回。拡散のつもりで、全文をご紹介したい。

「最終回は、解雇と退職勧奨の違い、整理解雇の4要件がテーマです。
歯科衛生士の私の妻は勤務先の病院が歯科を閉鎖するとき、解雇されそうになりました。退職手続きにやってきた事務長に、妻は「これは解雇か退職勧奨か」と問い詰めます。のらりくらりと逃げる事務長に、「解雇するなら撤底的にたたかう。大阪労連(授業ではO労連)にも支援を要請する」と通告しました。
 事務長の質問「大阪労連って何?」は想定内でした。「大阪労連はK病院(同じ業種)やMゴルフ場(病院の裏山)の解雇を撤回させた組織です」と言ったとたんに事務長は部屋を飛び出しました。夕方には会長がやって来て、希望者全員が他の部署で継続雇用となりました。

授業では事務長とのやりとりをリアルに再現しました。1人の抗議で解雇を撤回させることができた背景には地域の二つの労働争議があったこと、そして1人の抗議が同僚の職も守ることができたことを伝えました。生徒の感想は…。
『声をあげることは少し怖いですが、それをすることで自分の一生も、もしかしたら他の人の人生も変わるかもしれないなと思った』
 『不当な扱いに声をあげることは、自分のためだけではなく周りの人のためにもなるということがよくわかった』
 『僕は、1人が世の中の常識を知っていたら多くの人が救われると思う。いけないことがあるならば、はっきり言うことが大事だなと思った。働くルールを理解し、まちがいをしないようにしたいと思った』

連載を終えるにあたってひと言。労働組合や民主団体は、常に世代継承の課題と向き合っています。一方で若者はアルバイトや奨学金の返済に追われ、社会の仕組みを学ぶ機会が奪われているのが現状です。彼らの生活や感性に寄り添った学びの場を提供すれば、大きく成長する可能性も秘めており、ここに希望があるのではないでしょうか。」

なんと真っ当な中学生の反応だろう。確かに、「ここに希望がある」。中学生や高校生に、「働くルール」を教えることは大切だ。昔私が若手弁護士として労働事件にのめり込んでいたころ、私教連からの要請を受けて、就職間近の高校3年生に、労働基準法と労働組合法の講義をしたことがある。明日からの実人生に関わる問題として、みんなが真剣に聞いてくれたことを思い出す。何年かにわたって、延べ10回ほどもしたのではなかったか。道徳教育の時間など、全部を「働くルール」に充ててもよいのではないか。

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同じ日に、毎日新聞に対照的な記事がある。京セラを創業した稲盛和夫の半生記「思い邪(よこしま)なし」。ロングインタビューをした作家の執筆という。

本日の小見出しは、「若手社員の反乱」

設立2年目の昭和35年(1960年)、高卒の新人社員を20名迎え入れた。元気があって優秀そうな少年たちが入ってきてくれた。

ところが彼らは入社直後から不満をこぼし始める。
理由はあった。採用の際、宮木電機の立派な事務所を借りて面接をしたのだ。当然彼らは試験会場を本社だと思い込んでいる。ところが入社すると、宮木電機の古ぼけた木造の倉庫のような建物が自分たちの会社の本当の姿だったのだ。一階の焼成炉の出す熱が二階にまともに上がってくる。夏は猛烈な暑さの中、下着姿で汗だくになって働かされた。
(詐欺に漕ったも同然だ!)と不満をこぼし始める。

1年でそれは爆発する。
昭和36年(1961年)4月29日のこと、前の年に入った高卒社員のうちの11人が突然、稲盛のところにきて「要求書」を突き出した。
採用時に一年経てば月給制にすると約束していたことの速やかな履行(それまでは日給制で、遅刻・早退・欠勤があるとその時間分を基本給から差し引かれていた)。そして毎年の昇給とボーナスの支払いなど将来の保証を求めてきたのである。
「これを了承していただけなければ全員辞めます!」
青天の霹靂とはこのことだ。

〈採用試験のときから、「何ができるか分からないが、一生懸命頑張って立派な企業にしたいと思っている。そういう企業で働いてみる気はないか」と彼らに話をしてきた。それを承知のうえで採用され入社したはずなのに、一年早々で会社に要求を突きつけ、「保証をしてもらわなければ、我々は会社を辞めたい」と言ってきた〉(『ガキの自叙伝』)

おまけに採用時に知らなかた事実が判明する。高卒の新入社員には京都西陣の職工の子弟が多かったのだが、中でもリーダー格の青年の父親は西陣の共産党のオルグの中核をしており、彼は家で夜な夜な父親たちが労働争議の相談をしているのを聞きながら育ったというような家庭環境だったのだ。
「だから会社にも赤旗新聞を持ってきて、廊下に落ちておったりするのはざらだったんですね。非常に危険だなというふうに、当時思っておりました。その連中に一生懸命、人間とはというようなものを説いてですね。みんなをこちらのほうに向けさせていくというのを頑張ったんですけれども…」

当時を思い出して筆者に語る稲盛の顔に、悔しそうな表情が浮かんだ。
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私は、1962年に高校を卒業しているから、稲盛に「要求書」を突きつけた若者たちと同世代、親近感を覚える。団結しての、断固たるスジの通った要求。立派なものだ。

これに対して、約束を守らずして、「その連中に一生懸命、『人間とは』というようなものを説いてですね」とごまかそうという稲盛はみっともない。アベ並みの「思いっきり邪(よこしま)」ではないか。資本主義社会とは合理的なものだ。《契約は遵守されなければならない。とりわけ、企業が労働者にした約束においては》。こんな当たり前のことが分かっていないのだ。

しかも、「リーダー格の青年の父親は共産党のオルグの中核をしており、彼は家で夜な夜な父親たちが労働争議の相談をしているのを聞きながら育ったというような家庭環境」「非常に危険だな」が、たいへんに興味深い。

天皇制下での治安維持法は、国体の安寧と併せて、露骨にも資本主義経済体制の擁護を目的に明記した。恐らくは、戦前の企業人にとっては、天皇制の擁護と共産党の排除とは表裏一体のもので、天皇制政府が企業の守護者であると実感していたに違いない。60年当時の稲森の頭も、反共主義の点では戦前の経営者と同様の感覚だったことをよく示している。恐らくは今なお同じに違いないし、多くの経営者が同じ頭になっているのだろう。

つくづく思う。中学生にも高校生にも、働くルール学ぶことは重要だ。稲森とて、純粋な中学生時代があったろう。その頃に、「働くルール」をきちんと学ばせておくべきだった。そうすれば、起業してから、労使双方にとってもっとよい労働環境を作ることができただろう。無用な紛争を避けることは、労使双方にメリットがあることではないか。

今、アベ政権が「働き方改革(働かせ改悪)」一括法案を国会に提出予定であり、裁量労働制の対象業種拡大が大きな話題となっている。アベのやることだ、企業の利益のためのものであって労働者の不利益に決まっている、と考えるべきがまず真っ当な感覚。そして、労働時間に関する仕組みの基本は、中学生や高校生のうちにきちんと学んでおくべきなのだ。稲盛だけではなく、「思い邪(よこしま)」な経営者が跋扈しているのだから。
(2018年2月27日)

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Published in 火曜日, 2月 27th, 2018, at 19:05, and filed under 労働, 安倍政権, 教育.

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