澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

大切な参院選、日本共産党候補者へのご支援のお願い。

(2022年6月22日)
 本日、参議院議員選挙の公示となりました。18日間の選挙運動期間を経て、7月10日・日曜日の投開票となります。いつにもまして大切な選挙です。友人知人の皆様に、日本共産党へのご支援を心からお願い申しあげます。

 今度の参院選がいつにもまして大切な選挙という理由は、何よりも憲法「改正」がかかった選挙になっているからです。自民党は、選挙のあとに改憲の発議をすると公言しています。日本国憲法が、自民党やその同類諸政党(公明・維新・国民・N党…)によって蹂躙されることを、見過ごすことはできません。

 かつての日本は、富国強兵をスローガンに侵略と戦争を繰り返し、厖大な不幸を積み重ねて1945年にいったんは亡びました。生まれ変わっ新しい国は、旧大日本帝国憲法を捨てて、現行の日本国憲法を採用しました。その眼目の一つが、平和主義であり憲法9条です。私たちの国は、「けっして再びの戦争はしない」「戦争しないのだから軍隊も持たない」、内外に向けたその宣誓によって、日本は国際社会に復帰しました。

 しかし、富国強兵のホンネはこの国の保守陣営には深く根を張って生き残りました。1955年に結成された自民党は、憲法「改正」を党是として出発しています。その改憲のターゲットは何よりも憲法9条。邪魔で目障りな9条を取っ払って一人前の軍隊をもちたい、その軍隊の力で国威を発揚したいというのが、これまで成し遂げることのできない保守陣営の悲願なのです。

 民主主義と平和を国是とする今ある日本は、悲惨な戦争の体験を経て生まれました。私は、アジア太平洋戦争末期の1943年の生まれです。私の父は、2度徴兵され、弘前・満州・横須賀・そして弘前と、終戦までに7年間を兵営で過ごしています。銃後の母は、終戦の年の夏には、ハシカにかかっていた2歳に満たない私を負ぶって、空襲警報の鳴るたびに防空壕で心細い思いをしたことを繰り返し話しました。母の妹の夫は、フィリピン沖で輸送船とともに沈んでいます。私は、「絶対に二度と戦争をしてはいけない」と聞かされて育ちました。

 これが当時の日本人の共通の思いでした。この思いが形になって日本国憲法が制定され、9条ができたのです。もちろん、憲法制定当時、9条の条文のとおり、日本には「陸海空軍その他の戦力」は存在しませんでした。ところが、アメリカ占領軍の政策の変更をきっかけに9条の解釈はゆがめられ、警察予備隊ができて保安隊となり、1954年には自衛隊ができました。

 では憲法9条は無意味になったのかと言えば、けっしてそうではありません。政府も自衛隊を保持する根拠の説明に、9条を無視することはできないのです。

 政府は、自衛隊保持の根拠を憲法に求めることはできません。「憲法には書いていないけれども、日本が主権国家である以上は、固有の自衛権を否定することはできない」という説明が出発点です。「わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる」というのです。つまり、憲法では「陸海空軍その他の戦力」の保持は禁じられているが、「自衛のための必要最小限度の実力」の保持までは禁じられていない、それが自衛隊だとというのです。

 このような考えに立ち、「憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として、憲法に禁じられた戦力には当たらない実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています」というのが、政府の基本方針。つまり、いま9条は「専守防衛」という縛りの根拠とされているのです。日本は「専守防衛」に徹するべきで、自分から先制的に侵略戦争を仕掛けるようなことがあってはならない。「専守防衛」に必要な最小限度の装備を超えてはならず、「攻撃的な武器は持たない」「軍事大国とはならない」。うっかり、その限度を超えると、違憲となってしまうのです。このことは、長く保守政権も含めての国民的な合意であったはずです。

 ところが、安倍・菅・岸田と続く政権は、この原則を放擲しようとしています。予てから軍事大国化を狙っていた右派勢力が、ロシアのウクライナ侵攻に乗じて、今を好機と大きな声で「軍事費増やせ」「防衛費を5年以内にGDP比2%以上にせよ」「年間10兆円に」「いや12兆円に」と言い出す始末。

 それだけではありません。「敵基地攻撃能力が必要だ」、「それでは足りない。敵の中枢を攻撃する能力がなければならない」「先制攻撃もためらっていてはならない」「非核三原則も見直せ」「核共有の議論を」と暴論が繰り返されています。そして、そのような軍事力の増強に邪魔となる「憲法9条を変えてしまえ」というのです。

 これまで歴史が教えてきたことは、「安全保障のジレンマ」ではありませんか。仮想敵国に対抗しての我が国の軍備増強は、必ず仮想敵国を刺激し軍備増強の口実を与えます。結局は、両国に際限のない軍拡競争の負のスパイラルをもたらすだけではありませんか。このような愚行を断ち切ろうというのが、戦争を違法化してきた国際法の流れであり、その最終到達点としての日本国憲法9条であったことを再確認したいと思います。

 今、平和を守り、その礎としての平和憲法を守り、専守防衛の根拠とされている9条を護ることが参院選の重要な争点の一つとなっています。では、どの政党が、どの候補者が、もっとも真剣に平和・9条擁護に取り組んでいるか。それが、日本共産党であることに、大方のご異存はないと思われます。

 何よりも、この政党は、戦前から筋金入りの平和政党でした。文字どおり命をかけて侵略戦争に反対した歴史をもつ政党です。本日の党委員長の第一声は、次のように報道されています。私は、これに賛同します。

「9条いかし平和外交を 共産 志位和夫委員長
 この参院選は戦争か平和か、日本の命運がかかった選挙だ。ロシアの蛮行に乗じて岸田政権は敵基地攻撃や軍事費2倍、憲法9条改正の大合唱をしている。日本が軍拡すれば、相手も軍拡を加速する。軍事対軍事の悪循環に陥ることが一番危険だ。自民党はGDP(国内総生産)比2%以上を公約にしながら財源を一言も書いていない。消費税なら2%以上の負担になる。消費増税の白紙委任を自民党に渡すわけにはいかない。
 日本が進むべきは敵基地攻撃ではなく、9条をいかした平和外交だ。核兵器禁止条約への参加を求める。唯一の戦争被爆国である日本の不在が大きな批判になっている。橋渡し役と言いながらなぜ参加しないのか。核抑止の呪縛を断ち切るべきだ。(東京都新宿区で)毎日」

 
 もしかしたら、この選挙後の3年間、国政選挙はないかも知れません。この参院選に勝てば、政権にとって選挙による制約のない「黄金の3年間」が始まる、という声が聞こえて来ます。政権がなんでもできるという「黄金の3年間」にしてはなりません。そのためには、改憲反対の立場でブレのない日本共産党を大きく伸ばすことで、憲法の改悪を阻止しなければならない。そう考えて、私は、お知り合いの皆様に日本共産党へのご支援を訴えます。

 自由も人権も平等も民主主義も福祉も、憲法に書きこんだだけでは実現しません。その理念を実現するには、国民の知恵と努力の結集が必要となります。平和も同様です。まずは、国会で日本共産党を中心とする平和勢力の議席を確保し、その上で平和構築の行動をともにしたいものと思います。

 参院選の投票用紙は2枚配布されます。各都道府県単位の地方区と、全都道府県を選挙区とする比例代表と。地方区には、それぞれの共産党の候補者(あるいは共産党が推薦する共闘候補)がいるはずです。東京なら「山添拓」、大阪なら「辰巳孝太郎」を。

 比例代表の投票には、「日本共産党」と政党名を書いていただくか、あるいは「にひそうへい(仁比聡平)」、「田村智子」などの候補者名をお書きください。よろしくお願いいたします。

今こそ、防衛費増額論に「NO!」の世論を。

(2022年5月25日)
 バイデンが駆け足で韓・日と訪問し、一昨日(5月23日)帰米した。日本に残していったのが防衛費増額の宿題。同日の両首脳共同会見で、岸田は「日本の防衛費の増額を確保する決意」を表明してこの宿題を抱え込んだ。

 「聞き耳」自慢の岸田ではなかったか。まずは国民の声を聞き、国民に提案して、国民から政府方針転換と負担増の了承を得るべきが当然だろう。それを他国の首脳に「決意表明する」など、完全に順序が間違っている。この人の耳は、アメリカの腹の中や、右翼のつぶやきを聞き取るようにできているのだ。

 「わたしからは、日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する決意を表明し、バイデン大統領からは、これに対する強い支持をいただいた」って? 主権を持つ国の首脳としては、なんとも情けなく、みっともない記者会見での発言。

 ところが、右翼陣営や自民党・維新からは、批判の声は聞かれない。むしろ、歓迎して「防衛費の相当な増額」とは倍増だという威勢のよい声が上がっている。

 2月24日のウクライナショックは、大きかった。一時は、「ウクライナよ正義のために果敢に闘え」「ウクライナに軍事的・非軍事的支援を」という声一色となった。「不正な侵略には戦わざるを得ない」「それ見たことか、非軍事での防衛など絵空事だ」「独立国家に自衛力は不可欠だ」「強国との強力な軍事同盟あっての平和ではないか」と護憲派が矢面に立たされた。これに乗じて、「敵基地攻撃能力」(反撃能力)だの、攻撃対象を拡大せよだのという火事場泥棒的防衛力増強論が大手を振る事態。

 3か月経って、世論は少し落ち着きを取り戻しつつある。が、この岸田の「防衛費の相当な増額」決意に、野党もきちんと批判し得ていない。これで、大丈夫だろうか。

 既に事実上の与党となっている国民民主は「防衛費の相当な増額」に事実上容認の立場。自民よりも右のポーズをとることで世論の受けを狙っているポピュリスト維新は、今や改憲・軍拡路線の尖兵。「積極防衛能力」の整備を唱い、具体策として防衛費の国内総生産(GDP)比2%への増額を主張している。

 問題は、立憲民主党である。これまでの経緯からは当然に「防衛費増額に反対」と声を上げるのかと思ったら、どうもそうではない。泉健太党首は、24日、「『昨今の安保環境で言えば(防衛費は)増えることになる』と首相の方針に理解を示し、『参院選の争点にならない』との見解まで示した」「立憲民主党は必要な防衛費は整備すべきだと考えている」と強調。「防衛費がその結果として前年を上回ることは十分あり得る」とし、防衛費増額は「必要だ」とも明言した、と報じられている。

 どうなっちゃんだ、立憲民主党。ウクライナショックの深い傷が未だ癒えていないごとくである。

 元来が、平和主義(パシフィズム)という言葉には軟弱な印象がつきまとう。とりわけ今は、プーチン・ロシアの非道が際だって、「不正な侵略には、断固戦うべし」という論調が優勢である。この論調に後押しされる形での防衛費増強論が大手を振っている。「我が国だって、凶悪な隣国から、いつ不正な侵略を受けないとも限らない。これに備えた軍備増強なければ、枕を高くして眠れないではないか」。立憲民主党も、威勢のよいこの論調に抗しがたいと考えているのだろうか。

 平和主義者は、今こそ敢然と非戦論を掲げなければならない。軍事的な抑止力論や、軍事的均衡による平和論が、際限のない軍拡競争の負のスパイラルに陥るという歴史的教訓の到達点が「9条」に結実している。「9条の精神」は、「軍備で平和は生まれない」「軍拡は戦争を招く」ことを教えている。

 軍備増強・防衛費増額論には、「断固NO!」の世論を形成したいものと思う。
 

平和のために、今こそ「九条守れ」の声を高く。

(2022年5月10日)
 ご近所にお住まいの皆様、ご通行中の皆様。しばらく、お耳を拝借いたします。こちらは「本郷・湯島九条の会」です。私たちは、日本国憲法の徹底した平和主義をこよなく大切なものと考え、長く「九条守れ」の活動を続けてまいりました。

 そして今、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始したという深刻な事態の中で、常にも増して、今こそ「九条を守れ」「九条による平和を」と、声を挙げなければならないと決意を固めています。

 皆さん、戦争とはいったいなんでしょうか。それは、大量の殺人行為です。大規模な強盗です。放火でもあり、建造物損壊でもあります。これ以上なく多くの人に不幸をもたらす野蛮な犯罪と言わねばなりません。歴史上、権力を手にした多くの為政者が、罪のない多くの人の不幸を無視して、より大きな権力と富を求めて戦争を繰り返してきました。しかし同時に、文明は何とかして戦争を止めさせたいと願い続け考えつづけてもきました。

 そして、19世紀から20世紀にかけて、人類は戦争を違法なものと確認する営みを継続してきました。最初は捕虜に対する非人道的な行為や残虐な武器の使用を禁じ、やがて侵略戦争を違法とし、第二次大戦のあとには国連憲章が、例外を残しながらも戦争一般を違法なものとして禁止しました。

 その流れをさらに一歩進めて、日本国憲法九条は、例外のない全ての戦争を放棄し、その保障として戦力の不保持を宣言しました。人類の叡智の貴重な到達点と言わねばなりません。

 ウクライナに侵略した現在のロシアは、軍国主義・侵略主義をひた走った戦前の日本の姿です。日本は、侵略戦争を繰り返す中で、台湾・朝鮮を自国の領土とし、さらには満州を占領し、国際連盟で孤立しました。それでも中国にまで侵略の手を伸ばして泥沼に陥いり、世界から経済制裁を受けて行き詰まるや、米・英・蘭にも戦争を仕掛け…、そして壊滅的な敗戦を迎えました。

 それが内外にどんな悲惨な災禍をもたらしたか、ご存じのとおりです。これを身に沁みた日本国民は、平和憲法を制定し、二度と戦争はしない、いかなる名目でも戦争は絶対にしないこと、そしてその保障として戦力を持たないことを憲法に明記したのです。これは、日本が世界に向かってした誓約にほかなりません。

 しかし、今、ことさらに「九条は無力だ」「敵基地攻撃能力が大切だ」「非核三原則を見直そう」と、声高に語る人がいます。予てから、戦争の準備が必要だと発言していた人たちです。火事場泥棒同然にこの機会に乗じた、「防衛力を増強しよう」「軍事予算を増やそう」などという煽動に乗せられてはなりません。ましてや、「九条改憲」「核共有」などもってのほか、危険極まりないといわねばなりません。

 憲法9条本来の理念は、他国を武力によって威嚇する防衛思想を放棄し、国際的な信頼関係を醸成することによって、平和を築き戦争を予防しようということです。単に戦争を予防するだけでなく、信頼と協調で結ばれた平和な世界を創ろうということにほかなりません。本来、日本はそのような外交努力に邁進すべきなのです。

 そのとき、なによりも大切なものは、信頼の獲得です。強大な武力を持つ国ではなく、戦争を放棄し戦力を持たない平和主義に徹した国であればこそ、世界のどの国からも、誰からも信頼してもらえます。その信頼に基づいた平和外交が可能となるのです。

 戦争の原因となる相互不信の原因や、国際的な格差や飢餓や、搾取や不平等を解きほぐし信頼関係を構築するには、九条というソフトパワーは、強力なツールであり権威の源泉というべきです。

 残念ながら今、日本は世界有数の軍事力を持ち、アメリカとの軍事同盟に縛られている現状で、九条はその力を十分に発揮してはいません。それでも、九条は、少なくとも専守防衛に徹することの歯止めとしての役割を果たしています。この歯止めがはずれた場合の恐るべき事態を防止しなければなりません。

 これ以上、自衛隊を強化し、防衛予算を増やし、米軍の基地を増強し、さらには核共有までの議論を始めるとなれば、日本は、平和を望む諸国と人々に対する、国際的な信頼と権威をさらに失墜し、却って危険を招くことになるでしょう。

そうならないように、火事場泥棒に警戒を怠らず、ともに「今こそ九条を守れ」と声を挙げていただくよう、お願いいたします。日本と世界の平和のために。 

「敵基地攻撃能力」自民党の悪乗りを許してはならない。

(2022年4月23日)
 火事場泥棒という言葉がある。普段できないことを、どさくさに紛れて性急にやってしまおうという、姑息でみっともないやりくちへの非難として使われる。今、自民党がやろうとしている「敵基地攻撃能力」整備論が、まったくその卑劣な手口である。

 一国の安全保障政策の基本を転換するについても、憲法解釈の明らかな変更に関しても、落ちついた国民的議論を尽くさなくてはならない。浮き足立つごとき火急のさなかに、これをチャンスと普段やりたくてやれないことをやってしまえという、防衛政策の大転換。これを「卑劣な悪乗り」と言わざるを得ない。

 まさか、まさかと思っている内に、自民党内の「敵基地攻撃能力」整備論が、自民党安全保障調査会で党内意見として採用となった。本年暮れに政府の「国家安全保障戦略」(2013年制定)が改定の予定。その新たな「戦略」への正式な「提言」として、その反映を目指すことになるという。4月21日の同調査会全体会合でのこと。これは、「泥縄」ではない。プーチン・ロシアの侵攻を利用した「悪乗り」というほかはない。

 評判の悪かった「敵基地攻撃能力」のネーミングは、「反撃能力」に変更された。しかし、その内容がマイルドになったわけではない。もっと露骨な「敵基地だけでなく基地を維持するためのその周辺機能」をも攻撃対象とし、「先制も辞さない攻撃」をも認容する恐れを内包している。さらには防衛予算の増額までが盛り込まれた。

 まず、攻撃対象には「指揮統制機能等」が追加された。「指揮統制機能」の限定性は薄弱で、「等」は無限に拡散する。先制攻撃への歯止めはない。
 防衛費は、国内総生産(GDP)比2%以上を念頭に、5年以内の増額を提言した。
 他国への武器供与に関する防衛装備移転3原則(旧「武器輸出3原則」)も、緩和の方向で見直すという。「侵略を受けている国に幅広い分野の装備移転を可能とする制度を検討」と踏み込んでいる。 

 いずれも、憲法の平和主義に対する挑戦的な内容。武力によらない平和の理念に逆行した、「武力の威嚇」による安全保障政策。これでは、近隣諸国の警戒心を高め、戦争への危険を招くことにならざるを得ない。

 この「提言案」は、中国と北朝鮮、ロシアの軍事動向を問題視し、安全保障環境が「加速度的に厳しさを増している」と指摘し、他国の武力を牽制する武力の整備を強調する。

産経新聞が、高市早苗政調会長の記者会見発言を報じている。
 『攻撃対象を「指揮統制系統を含む」としたことに関し、「かねてより相手の指揮統制機能を無力化することについては、非常に有効な手段であると私も考えていた」と語った』という。

 正確な報道であるかは疑問だが、単純に軍事的な有効性だけを考えれば、「提言」も、これを支持する高市も正しい。が、もっと広い視野で、平和を維持するために有効か否かは、別問題である。外交には、明らかにマイナスでしかない。こういう「安全保障調査会」と「政調会長」をもつ自民党の防衛政策は危うい。

 この自民党の「安保提言」に抗議する【平和構想研究会】(川崎哲代表)は、「憲法の平和主義の原則を逸脱」するものと厳しく批判している。その中に、次の一節がある。まったく同感、というほかはない。

 「日本がこのような攻撃態勢をとれば、相手国も当然同様に反応をするだろう。いたずらに地域の軍事的緊張を高め、日本が攻撃される可能性をむしろ高めるものである。
 こうした軍拡政策を、ロシアによるウクライナへの侵略戦争で人々が不安を抱いているのに乗じて提案することは、きわめて扇動的で挑発的な行為である。抑止力の強化という名目でとられるこうした政策は、実際には、日本の平和主義に対する不信を生み、周辺国を軍事的に刺激し、結果として戦争の危険性をむしろ高めるものである。」

河瀬直美が東大入学式で口にした曖昧模糊

(2022年4月13日)
 昨日が東大の入学式。なんと東大は、あの河瀬直美に祝辞を述べさせたと聞いて驚愕した。いや、驚愕したという自分の感性が愚かなのだと思い直す。オリンピックとNHKと東大と河瀬直美。みんなお似合い、俗世のシンボル。

 その河瀬の祝辞の内容が、物議を呼んでいる。朝日が「ロシアを悪者にすることは簡単」と紹介した内容。東大のホームページに、「令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様)」として、全文が掲載されている。相当に長い。こんなもの聞かされる新入生は、さぞかし退屈で辛かろう。が、東大とは、こんな俗世の匂い芬々のところなのだと学ぶ意味はあったかも知れない。

 朝日は河瀬の祝辞の内容をこう記事にしている。((A)と(B)は、私(澤藤)が付けた符号で記事にはない)

 (A)「ロシアを悪者にすることは簡単」としたうえで「なぜこのようなことが起こっているか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないか。誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで私は安心していないか」と述べた。
 (B)そのうえで「自分たちの国がどこかの国に侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある。そうすることで自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したい」と語りかけた。

 (A)は、典型的な「プーチンにも3分の理」という論。「『どっちもどっち』という姿勢に過剰にこだわった結果、結局はものの本質を見誤ってしまっていないか。誤解を恐れずに言えば、『悪』を断罪することを恐れて自分の立場の確立を捨て去ってはいないだろうか」

 (B)は、朝日の記者の上手な筆のさばきで、河瀬がそれなりに真っ当なことを言った印象を読者に与えている。その部分を抜き書きすると下記のとおり。この部分だけを掬い取って評価する向きもあるようだ。

 「人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。」

 彼女なりの人間一般と国家一般との関係について意見を述べ、脈絡なく唐突に「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある」と言う。歴史性や、国際環境をまったく捨象して、どの国も侵略国へ転化の可能性があるとして、その自覚を求めている。悪いことを言っているわけではないが、人を集めて聞かせるほどのことではない。

 よく分からないのは、(A)と(B)とのつながりである。(A)が「どっちもどっち」だから、(B)の「日本を侵略国としてはいけない」という自制論に結びつかない。

 むしろ、(A)で「どう弁解しようとロシアは悪である」と結論し、(B)で「我が国もどのような理由あろうとも他国の侵略をしてはならない」「君たち、一人ひとりが日本をそんな国にしてはならない」とすれば論理は整合する。が、これが彼女の言いたかったことであろうか。定かではない。

 私には、彼女がこう言っているように聞こえる。
 「人間は弱い生き物です。当然映像作家という人間も。だからこそ、とある国家や社会に上手につながって、その中で生かされているともいえます。ですから、東京オリンピックの映画を作れと言われれば、注文者の意図を汲み忖度もして、望まれた映画を作るのです。たとえ、それが「国威発揚プロパガンダ」と揶揄されても。また、NHKから依頼があれば協力を惜しまず、「五輪を招致し喜んだのは私たち」と述べるのです。もっとも、「五輪反対デモは金で動員」のテロップがデマだと批判の声が上がれば、私は関係ないと逃げますがね。だって、人間は弱い生き物なんですから。
 そうして「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要がある。自制心を持ってそれを拒否する選択をしたい」は、私の判断として、まだ安全な範囲にある言論なのです。せめてこれくらいのことは言っておかないと、作家としての値打ちはない。でも、この言葉に責任をもつかどうかは別問題。繰り返しますが、だって、所詮人間は弱い生き物なんですから」

ウクライナの事態に便乗した「9条無力論」を許すな

(2022年4月12日火)
 皆様、こちらは「本郷・湯島9条の会」です。少しの間耳をお貸しください。

 2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を開始して以来の深刻な事態に胸が痛んでなりません。この事態であればこそ、平和を大切しなければならないと痛切に思い、そのための平和憲法の擁護、とりわけ9条の堅持を、声を大にして訴えます。

 この事態に悪乗りし便乗した「9条無力論」「緊急事態条項論」、さらには「核武装論」までが飛び出す始末。昨日は、自民党安全保障調査会が、「敵基地攻撃能力」の保有を求める意見を政府に提案することで一致したと報道されています。その議論の中では、「『専守防衛』というこれまでの政府の基本方針を変更すべきだ」という意見さえあったといいます。今、自民党や維新などの右派勢力が、とても危険な方向にこの国を引っ張ろうとしています。

 自民党や維新は、護憲派の主張を「憲法に9条さえ書き込んでおけば、他国からの侵略はない」と曲解して宣伝しています。しかし、そんなことはありません。

 話しを分かり易くするために、戦争を「侵略戦争」と「自衛戦争」に二分することにします。9条の徹底遵守は「侵略戦争」を確実に防止します。我が国は、侵略戦争を重ねた反省から、再び「侵略戦争」を繰り返さないと決意して、平和憲法を制定しました。武力をもたなければ他国への侵略はできない。戦争とは人殺しですから、9条を持つ限り日本が他国に押し入って、人殺しをすることはけっしてない。

 では、自衛戦争はどうでしょうか。新憲法制定を議論した最後の帝国議会で、時の首相吉田茂は、こう答弁しています。

 「近年の戦争は多く自衛権の名に於いて戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争亦然りであります。今日我が国に対する疑惑は、日本は好戦国である、何時再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないとも分らないということが、日本に対する大なる疑惑であり、また誤解であります。先ず此の誤解を正すことが今日我々としてなすべき第一の事であると思うのであります」

 この答弁は、「我が国は自衛のためと称して侵略を行ってきた」から、新憲法では侵略戦争だけでなく自衛戦争をも放棄することにしたと言うのです。ここには、「憲法に9条さえ書き込んでおけば、他国からの侵略はない」という思想はありません。「憲法9条があれば日本はウクライナのように他国から攻められることはないのか」と問われれば、当然に答えはノーなのです。

 考え方としては、「自衛のための軍備を持っていれば、他国からの侵略を受けたときには自衛戦争をすることができる。そのことが、軽々に他国から攻め込まれることを防ぐことになる」とも言えるでしょう。しかし、憲法はそのような考えを否定しました。むしろ、《自衛のためという名目の軍備》が《侵略のための軍備》となることの恐れ、世界からそのような疑惑の目で見られることの危惧を防止しようとしたのです。

 75年も経過して事態は変わっているのではないか。いいえ、いまだにこの国では、「敵基地攻撃能力保有論」や「核共有論」がまかり通っているではありませんか。「日本は好戦国である、何時再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないとも分らない」との疑惑を持たれてもやむを得ない現実があると言わざるを得ません。

 では、他国からの侵略に備えて自衛のための軍備をもたなくてもよいのか。戦後長く続いた保守政権は、「自衛のための最小限度の実力」は、憲法9条で保持を禁じられた「戦力」に当たらない、としてきました。ですから、実は「自衛のための軍備」を既にもっているという現実があります。しかも、自衛隊というこの実力組織は、世界第5位の精強な軍事力なのです。侵略されることよりは、侵略する軍隊にならないかを危惧しなければならない存在というべきでしょう。

 憲法が本来想定した他国からの侵略に対する予防措置は、国際間の協調を深化し、戦争を引き起こす原因をなくす努力を尽くし、どこの国とも等距離の親密な外交関係を樹立することで、平和な国際社会を築くということであったでしょう。「9条さえあれば何もしなくてもよい」ではなく、「武力をもたないからこその懸命の外交努力によって、国際的な尊敬を勝ちうる」ことだったはずです。しかし、残念ながら、今、日本は国際的にそのような尊敬を勝ちうる立場にありません。

 現在日本がもっている軍事力は、一面近隣諸国からの侵略抑止の効果を持つものであるかも知れません。しかし、その軍事力が近隣諸国を刺激し、国際緊張を高める要因になっていることも否定できません。

 何よりも、現有の軍事力が万が一にも侵略されるという有事を想定して、その場合に自衛戦争が可能であるか。おそらくはノーと言わざるを得ません。

 日本には52基の原発があります。このいくつかを狙われて爆破されれば、日本全体が壊滅します。原発だけではなく、太平洋沿岸に連なるコンビナートを標的にされても同様です。日本を戦場にする戦争は成り立ち得ません。

 「ウクライナは軍事力が不十分だから侵略を受けた」「ウクライナにもっと強大な軍事力があれば侵略を防ぐことができたはず」「日本も軍事力が不十分だと侵略を受けるぞ」「日本にもっと強大な軍事力があれば侵略を防ぐことができるはず」というのは、実はなんの実証もありません。

 軍事の増強ではなく、どこの国との間にも深い友好関係を築くことを通じてこそ平和を築くことができます。憲法から9条を削り、緊急事態条項を入れ、敵基地攻撃能力をもち、核武装までを容認することは平和に逆行する危険なことです。ウクライナの事態に乗じた危険な火事場泥棒的議論に気を付けましょう。

ICCのプーチン訴追に期待する ー 各国が安心して武器を置く日のために

(2022年4月11日)
 1993年2月、自由法曹団が「カンボジア調査団」を派遣した。私もその調査団10名の一人として、内戦直後の現地をつぶさに見てきた。国連(UNTAC)の活動あって、平和は回復していたとされた時期ではあった。しかし、小さな紛争は頻発し、私たちがプノンペンに到着する前日(2月10日)に、ポルポト派がUNTACのシェムレアップ(アンコールワット近くの街)事務所を襲って12人の死傷者を出すという事件も起きていた。その4日前には、同じシェムレアップで銃撃戦があり、死者6人、負傷者16人と報道されていた。

 そんな時期だったがプノンペンの市場は賑わっていた。そこで地雷も買えると聞かされて驚いた。金持ちは夜間の侵入者に備えて、毎晩屋敷の門に地雷を仕掛け、朝には取り外すのだという。銃も手榴弾も入手できるとか。人々は、信頼できる刑事司法や警察制度が整備されるまでは、武器を手放すことができないのだと説明された。

 国際関係も似たようなものだ。今、各主権国家が、他国への不信感故に、自衛のための武力を手放すことができないと言っている。もし、国際的に「信頼できる刑事司法や警察制度が整備され」たら、各国は互いに武器を捨てることができるのではないか。国際刑事裁判所(ICC)が創設されたとき、そんな感想をもって大いに期待した。

 「国際刑事裁判所(ICC)とは、国際社会にとって最も深刻な罪(集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪)を犯した個人を国際法に基づき訴追し、処罰するための常設の国際刑事法廷」「国際社会における最も深刻な犯罪の発生を防止し、もって国際の平和と安全を維持する」(外務省の解説)なのだから、これが実行されれば、世界の平和はすぐそこに来ることになる。

 今、その期待が試されている。プーチンを罰することができるかどうか。プーチンを処罰することができれば、各国が互いに武器を捨てる展望が大きく開けることになる。プーチン処罰までには至らずとも、どこまで迫れるかが問われている。

 各国国内の刑事作用は、国家権力によって創設され運営されている。実体法としての刑法が作られ、手続き法としての刑事訴訟法が作られ、これを運用するシステムとしての、警察・検察・裁判所・刑務所が作られている。ところが、国際的な権力というものはない。各国の合意によって、刑事法をつくり運用することしかできない。

 国際刑事裁判所(ICC)は、「国際刑事裁判所に関するローマ規程」と呼ばれる条約によって創設された。その条約の発効が2002年、現在締約国数は123か国を数えている。が、大国が未加盟である。

 他国に武力を行使し他国を侵略し戦争犯罪を起こしてICCによる訴追を受ける可能性が高い国は、当然のことながらICC加盟に消極的となる。そのような国の筆頭がアメリカをはじめとする軍事大国であることは論じるまでもない。

 アメリカ・ロシア・中国、この3か国が世界の軍事大国ビッグ・スリーである。侵略国となるべき条件を備えている最も危険な国家である。国連の常任理事国でもあるこの3か国が、ICCに加盟しようとはしない。第4位の軍事力を持つインドも未加盟。これらの軍事大国にこそICC加盟が必要なのだが、これを強制する手段がない。

 ウクライナも条約未締結国なのだが、過去にICCの管轄権を受け入れる宣言をしており、ウクライナ国内でのICCの捜査が可能となっている。ICCの主任検察官は、ウクライナで「戦争犯罪」などが起きている可能性があるとして、既に捜査開始を発表している。

 任意捜査が済めば、被疑者プーチンを逮捕し、勾留して法廷への出廷を確保し、法廷で戦争犯罪についてのプーチンの関与を立証して、有罪判決を言い渡し、収監して刑の執行をしなければならない。確かにこれは難事である。何重にも壁がある。何しろ軍事大国のトップに、実力を行使しなければならないのだから。

 ICCは、2016年に、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦でセルビア人勢力の指導者だったラドバン・カラジッチ被告に対して、ジェノサイドの罪を認定し、禁錮40年の判決を言い渡した実績がある。

 難事ではあっても、被疑者プーチンに対して、できるだけの訴追の努力を期待したい。成功すれば、素晴らしいことだ。そのことが、「国際社会における最も深刻な犯罪の発生を防止し、もって国際の平和と安全を維持する」ことにつながる。

 プーチンの訴追に頓挫すれば、何がネックとなったのか、具体的にどうすれば訴追可能であったのかを国際世論に訴えてもらいたい。いつの日か、機能するICCが実現し、そのことによって、各国が安心して武器を置く日がやって来ることを期待したい。

「ワクチン・9条」、世界各国に広く接種を。

(2022年4月4日)
 ヒトを宿主とする「戦争ウィルス」という亡霊が、人類誕生以来今日まで、世界の各地を徘徊してきた。そして今、このウィルスによる古典的な「戦争病」がヨーロッパの一角に発症し、その被害が猖獗を極めている。

 当然のことながら、このウィルスは戦時にのみ存在するものではない。平時に、ヒトの内奥に潜伏して伝播を繰り返し、ときに権力者に感染して、基礎疾患と相俟って戦争病の発症と重症化をもたらす。その症状と被害とはとてつもなく無惨で甚大である。宿主の絶滅をももたらしかねず、その対応は人類全体の喫緊の課題となっている。

 戦争ウィルスには、いくつもの亜種・変異株がある。
  国際収奪種
  大国ナショナリズム種
  民族ヘイト株
  言論統制株
  好戦教育株

 それぞれのウィルスが各国で蔓延し、他国のウィルスとの相互作用によって急速に活性化される。いったん発症すると、未だに有効な治療手段は開発されておらず、このウィルスの暴虐を制御することは困難である。戦争という典型症状に至らずとも、戦争未満の大国の横暴や威嚇は常に国際緊張の火種となってきた。

 この事態に、けっして人類が拱手傍観してきたわけではない。数々の平和思想を生みその実践も重ねられてきた。戦争を違法とする国際条約の締結や、国際連盟・国際連合、さらには国際司法裁判所も創設されている。それでもなお、戦争ウィルス根絶は困難で、戦争病を駆逐し得といない。

 人類はこのウィルスに対する有効な抗体をもたないのだが、実は既に75年前に戦争ウィルスに対する有効なワクチンは開発され、少なくも一国には接種されている。そのワクチンの名を「日本国憲法第9条」という。

 そのワクチン効能の機序は、被接種国の権力に「戦争の放棄」と「戦力の不保持」を命じることによって、一切の戦争を不可能としてた平和を招来しようというものである。ワクチンであるからその接種率の向上が課題であるところ、残念ながら、現在に至るまでその明るい見通しは開けていない。

 だが、あきらめてはならない。このワクチンの効果は実証済みなのだ。戦争ウィルスに起因する最も警戒すべき重症症状は、侵略戦争の開戦である。「9条ワクチン」は、被接種国が侵略戦争に暴走することへの有効な法的歯止めとなる。もちろん、侵略戦争に不可避的に附随する軍国主義の高揚や言論統制、教育の国家化なども防止する。そして、外交における相手国への威嚇や挑発はなく、国際協調を実現する外交態度の実現ともなる。

 もっとも9条ワクチンは平和への万能薬ではない。全世界の主要国がこのワクチンを接種するまでは、平和をつくる国際運動の有力な武器になるという役割を果たすことになる。平和のための工夫と努力の、頼もしい拠り所となるのだ。

 いま、望まれることは、9条ワクチンの接種率の向上である。今、人類の平和構築の構想は過渡期にある。このワクチンの接種が全ての主権国家に行き届いたとき崩れぬ平和が実現する。世界の戦争が根絶され、恒久平和が実現する。

 それまで、このワクチンの摂取率を上げることが、人類の課題である。侵略・軍拡・核武装容認・核威嚇・敵基地攻撃能力整備論は、ウィルスに冒された症状の発現である。これを克服する努力を重ねなければならない。世界の主要国に接種が進行するまで。貴重な既接種国が、自らワクチンの効果を否定することは、人類史に対する冒涜とというべきである。

ロシアの侵略に抗議する人と、その抗議の声明を削除する権力と。

(2022年3月10日)
 3月10日、東京大空襲の日。日本人が戦争の悲惨さを、自らのこととして身に沁みて知った日である。この日、一夜にして10万人の東京の住民が焼き殺された。悲劇の極みである。東京の下町を歩けば、あちこちに77年前の劫火の爪痕を見ることができる。もちろん、日本も被侵略国に同様の惨禍を与えたではないか、という批判にも謙虚に耳を傾けなければならない。

 いかなる戦争も容認してはならない。いかなる理由があろうとも、武力に訴えることを許してはならない。戦争は、限りのない悲劇の連鎖を生む。愚かな戦争を、けっして繰り返させてはならない。その思いが、日本国憲法第9条に結実した。

 今年は、ウクライナの人々に進行中の惨劇と重なる3月10日となった。ロシアという専制国家が新たな侵略戦争を起こし、ウクライナの民衆に無数の悲劇をもたらしている。連日新聞の紙面を大きく飾る砲撃・爆撃の犠牲者、無数の避難民の写真に胸が痛む。が、この戦争に胸を痛めている者ばかりではない。この経過を冷徹に見守っている国もあり、指導者もいる。その落差は大きい。

 毎日新聞デジタル 2022/2/28 19:09の記事が、こう伝えている。
 「中国の歴史学者ら、ウクライナ侵攻は「不義の戦争」 閲覧制限でも称賛」

 「中国の歴史学者5人が26日、ロシアのウクライナ侵攻を「不義の戦争」と批判し、撤退を求める声明を通信アプリの微信(ウィーチャット)で発表した。中国政府はロシアの立場には一定の理解を示し「侵攻」と呼んでいない。声明はまもなく閲覧できなくなったが、保存された画像はインターネット上で繰り返し転載され、国内外で「歴史家のあるべき姿」「勇気ある行動だ」と称賛の声が相次いでいる。」

 当然のことだが、中国にもロシアのウクライナ侵略を「不義の戦争」と言い切り、これを公表する人がいる。しかし、その見解は、すぐに削除されたというのだ。ウクライナの民衆の悲劇に胸を痛めるて寄り添おうという人と、冷徹にこれを許さないとする人と、落差は大きい。

 「声明を出したのは北京大、南京大など中国本土や香港の大学の教授5人。『ロシアにどんな理由があろうとも、武力で主権国家に侵攻するのは、国連憲章を基礎とする国際関係のルールを踏みにじるものだ』と指摘。祖国を守るウクライナ人の戦いを支持するとともに、プーチン大統領や露政府に対し、戦争をやめて交渉で問題を解決するよう強く求めた。」「5人は、ウクライナの戦禍とその苦痛は、かつて戦争で国土を踏みにじられ、家や家族を失った中国人として『我がことのようだ』と表現。声を上げることが必要だと説明した。」

 ところが、この声明は数時間後、「『ネットユーザーの情報サービス管理規定』に違反するとして閲覧できなくなった。中国政府は、ロシアの安全保障面での要求は重視されるべきだとの立場を取る一方で、ウクライナの主権と領土も尊重すべきだとし『侵攻』かどうかについて言及を避けている。5人の声明は政府方針にそぐわないと当局が判断し、削除した可能性がある。」

 この声明はその後、中国ネットユーザーらの手でコピーされ、中国政府側の手の及ばないツイッターなどで国内外に拡散。注目すべきは、「中国語でのツイートには『中国の知識人の見識を示した』『5人に心からの敬意を表する』などと賛辞が並ぶ一方で『国の恥だ』と批判する声もあった」という。

 この声明の全文を読みたいと思っていたら、「リベラル21」のサイトに掲載された、阿部治平さんという方の訳文を教えてもらった。引用させていただく。

 http://lib21.blog96.fc2.com/

「ロシアのウクライナ侵攻と我々の態度」 

2022年2月26日

                     孫 江 南京大学教授
                     王立新 北京大学教授
                     徐国埼 香港大学教授
                     仲偉民 清華大学教授
                     陳 雁 復旦大学教授
 戦争は暗闇の中で始まった。
 2月22日夜明け前(モスクワ時間21日夜)、ロシア大統領プーチンはウクライナ東部の民間武装組織、自称ドニエツク人民共和国とルガンスク人民共和国を独立国として承認することを宣言し、これに続き24日には陸海空三軍によるウクライナへの大規模侵攻を開始した。
 国連常任理事国であり核兵器を保有する大国が、意外にも弱小兄弟国に対して大打撃を与え、国際社会を驚愕させた。ロシアは戦争をしてどうするつもりなのか?大規模な世界大戦をやるのか?過去の大災害はしばしば局部的な衝突から始まっている。国際世論はこの事態に心を痛めることこの上ない。
 この数日、ネット上ではリアルな戦況を伝えているが、廃墟・砲声・難民……ウクライナの傷口はことごとく我々を痛めつけている。かつて戦争によって踏みにじられたわが国では、家族が離散し、肉親を失い、多くが餓死し、領土を奪われ、賠償を取られた……。この苦しみと屈辱が我々の歴史意識を鍛えた。我々はウクライナ人民の苦痛をわが身のものとして受け止める。
 連日、到るところで戦争反対の声がわき上がっている。
 ウクライナ人民は立ち上がった。ウクライナの母親は激しくロシア兵をとがめ、ウクライナの父親は戦争の罪悪を激しく非難している。ウクライナの9歳の女の子がなきながら平和を叫んでいるではないか。
 ロシア人民は立ち上がった。モスクワでもサンクトペテルスブルクでも、ほかの町々でも市民は街頭に出た。科学者たちは反戦を声明した。平和、平和、反戦の声は国境を超え、人の心を揺り動かしている。
 我々が注目してきたことの推移が、過去を思わせ、未来を心配させる。人々の叫びの中、我々もこの思いを声にしなければならない。
 我々は、ロシアがウクライナに仕掛けた戦争に強く反対する。ロシアにはそれなりの訳があろうが、すべては言い訳に過ぎない。武力による主権国家への侵入は、すべて国連憲章を基礎とする国際関係の準則を踏みにじるものである。現有の国家間の安全の仕組みを破壊するものである。
 我々は断固としてウクライナ人民の自衛行動を支持する。我々はロシアの武力行使がヨーロッパと世界全体の情勢を動揺させ、さらに大きな人道上の災難を引き起こすことを憂えている。
 我々はロシア政府とプーチン大統領に対し、即時停戦と対話による紛争解決を強く強く呼び掛ける。強権行動は文化と進歩の成果と国際正義の原則を破壊し、ロシア民族にさらに大きな恥辱と災禍をもたらすであろう。
 平和は人心の渇望するところである。我々は不正義の戦争に反対する。
                        以上

 「強権行動は文化と進歩の成果と国際正義の原則を破壊し、ロシア民族にさらに大きな恥辱と災禍をもたらすであろう」という言葉は重い。当然のことながら、強権行動の主体はプーチンに限らない。 「ロシア民族」は、他の民族に置き換えても理解できるのだ。だから、この声明はすぐに消されたのであろう。

岸田文雄の羊の仮面にだまされてはならない。その「敵基地攻撃能力」保有論の危険。

(2022年1月9日)
 岸田文雄が、あちらこちらで年頭所感を述べている。この人の物腰には、安倍晋三や菅義偉のようなトゲトゲしさがなく、乱暴も虚勢も感じられない。真面目にものを言っている雰囲気がある。だから、安倍や菅や麻生に辟易してきた国民には新鮮に映り、「あれよりはなんぼかマシではないか」「久しぶりに普通に会話のできる首相登場」という評価が定着しつつあるようだ。

 安倍や菅、麻生などの危険性は一見して分かり易い。とりわけ安倍の国政私物化の姿勢は酷かった。これに較べて岸田の危険は分かりにくい。しかし、どうやら岸田流の一見危険に見えないことの危険性を看過し得ないものとして見据えなければならないようだ。

 岸田は、今年にはいってからの発言で、改憲に極めて積極的である。憲法改正は「本年の大きなテーマだ」と言ってはばからない。そして何よりも岸田は、施政方針演説で敵基地攻撃能力について言及した初めての首相である。

 一昨日(1月7日)の「日米2プラス2」後の共同発表文書でも、日本側が「ミサイルの脅威に対抗する能力を含め、国家防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する」と決意表明。この表現について林芳正外相は同日の記者会見で、「いわゆる敵基地攻撃能力も含まれる」ことを明言している。岸田政権の敵基地攻撃能力へのこだわりは相当なものなのだ。

 この点について、昨日(1月8日)の赤旗が、《「敵基地攻撃能力」保有の問題点》という、松井芳郎氏(名古屋大学名誉教授・国際法)のインタビュー記事を掲載している。説得力のあるものと思う。

 かなりの長文だが、抑止論との関係について述べている最後の部分だけを引用する。

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― 自民党は、「抑止力向上」を「敵基地攻撃」能力の保有の理由としています。

 抑止論とは、自国が強固な軍事力を有すれば相手国は自国への攻撃を差し控えるだろうという発想に立つものです。しかし、歴史的経験によれば、こちらが強大な軍事力をもてば、相手国は自国への攻撃を控えるのではなく、より強固な軍事力の建設に向かい、その結果一層の軍拡競争と国際緊張の激化がもたらされたというのが現実です。ましてや、中国についていえば、核軍備を含む強大な軍事力をもっているわけで、日本がこれを「抑止」するに足る軍事力を有することはまったく非現実的です。

 抑止論の虚妄は一般的には、ほぼ結論が出ています。1978年の国連第1回軍縮特別総会では、抑止論に対置して、国連の集団安全保障強化と全面軍縮を進めることで平和を維持しようという考え方が示され、米国やソ連を含めて合意されました。ただ、現実の政策はなかなか変わってきませんでした。これをどういうふうに現実化するかということが重大な課題となっていると思います。

― 抑止論に代わる対処政策として、どのようなことが考えられますか。

 私は、平和的生存権と戦力の不保持を規定する日本国憲法に基づく平和外交の政策が、一見したところ理想主義にすぎると見えるにもかかわらず、かえって現実的ではないかと思います。

 日本はこれまで、日米安保体制を軸として、中国や北朝鮮という近隣諸国を仮想敵国として、それに備えるという政策をとってきました。これが逆に、相手国にとっては大変な脅威となって、相手国の軍事力増強の一つの口実になっています。

 しかし、日本が憲法に基づいて平和外交を展開すれば、地域の緊張緩和が進み、これら諸国の軍備増強の口実の一つを除去することができる。現状では、中国などを相手に、紛争案件をめぐる対話はほとんど行われていなのが実態です。

 さらに、日本がより広く世界的な規模で平和的生存権の実現を推進する外交政策を展開し、そのような国としての国際的評価が確立すれば、この事実は軍事力をはるかに凌駕する「抑止力」を発揮すると思われます。

 憲法に平和的生存権と戦力の不保持を規定する日本は、国民の英知を集めて、この平和外交の具体的な在り方を組み上げていくことこそ必要だと思います。

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 私は、双手を挙げてこの見解を支持する。この武力の均衡による「抑止力」を否定した平和外交推進の立場こそが、日本国憲法の理念である。平和外交を基本に据えた安全保障政策を「非現実」「お花畑的思考」と揶揄する向きがあるが、軍事的均衡論に基づく安全保障政策こそ非現実的と言うべきであろう。軍事的均衡論の負のスパイラルの行き着くところは「お花畑」ではなく、戦場に墓標を並べた「墓場」なのだから。

澤藤統一郎の憲法日記 © 2022. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.