澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「#募ってはいるが募集はしてない」「答弁してはいるが答えていない」を「さくら論法」と呼ぼう。

史上、首相として敬愛される人物はまことに稀少である。多くは、警戒され、嫌われ、恐れられる人物だった。安倍晋三という現首相。これまでの歴代首相とはひと味違う。長期政権を維持しているが、こんなにも国民からバカにされている首相も珍しかろう。官僚の作文を朗読することはできるが、ルビがふられたいないと「云々」も「已まず」も読めない。圧倒的な国語の基礎能力不足をさらけ出してきた。

それに今般の、桜を見る会についての「募集ではなく募ったという認識だった」「募ってはいるが募集はしていない」という答弁である。一国の首相のこの国語能力不足の顕在化は,対内的にも対外的にも,国家機密暴露というべき大問題である。

実は、不誠実な答弁姿勢こそが真の問題点なのだが、これは一見して直ちに誰にも分かるということではない。それにくらべて、昨日(1月28日)の衆院予算委員会における,宮本徹議員質問に対する、首相答弁の国語力レベルは誰の目にも分かり易い。

首相 「私はですね、幅広く募っているという認識でございました。募集してるという認識ではなかったのであります」

宮本 「私も日本語を今まで48年間使ってまいりましたけども、募るというのは募集するのと同じですよ。募集の『募』は募るっていう字なんですよ。総理はその認識なく、募っているという言葉を使っていたんですか?」

首相 「あの、それはですね、つまり事務所、がですね、いわば今までの、ですね、今までの経緯の中において、ふさわしい方々に声をかけていると」「いわば、それにふさわしい方ということでですね、いわば募っているという認識があったわけでございまして、例えばですね、新聞等にですね、広告を出して、どうぞということではないんだろうと、こう思うわけでございます」

 ルビがふってあれば「募る」を読めても、意味までは理解できていない。官僚が書いた原稿を棒読みしているだけだから、当然、反省の気持ちもない。たまに自分の言葉で話せばこのザマだ。(日刊ゲンダイ)

この発言が報じられると、Twitterでは「#募ってはいるが募集はしてない」というハッシュタグが生まれ、大喜利が始まった。「答弁してはいるが答えていない」「太っているが肥えてはいない」といった投稿が集まり、一時トレンド入りしたという。このフレーズを「さくら論法」と呼ぶこととしたい。

思い出すのは、一昨年の流行語大賞の受賞作の一つともなった、上西充子教授の「ご飯論法」である。

Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
Q「何も食べなかったんですね?」
A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので・・」

これを「さくら論法」流に言い換えれば、
「朝ごはん食べないとは言ったが、朝食をとらないとは言ってない」
というわけだ。

早くも、「#募ってはいるが募集はしてない」は、「今年の流行語大賞候補第一号ですな」という呼び声が高い。

安倍流「さくら論法」の大喜利フレーズがネットに並んだ。「答弁してはいるが答えていない」「太っているが肥えてはいない」を筆頭に、なんとも出来がよい。しかも、面白いだけでなく、含蓄に富むものが多い。

投票しているが支持しているわけではない。

書き換えてはいるが改竄はしていない

毎日新聞を読んでいるが 毎日新聞は読んでいない

自由民主党であるが、自由でなく民主的でもない

危ないとは認識してはいるが、危険という認識はない。

愚かだという認識はあるが、愚鈍という認識もある?

「妻は公人じゃないんです。国からボディーガードとお付きの人が付く私人なんです」

労働をしたが 働いていない

訪問をしたが 訪れてはいない

後援会の会員を、幅広く募集して、桜を見る会に招待し、税金で飲み食いさせて接待したが、背任したという自覚はない。

答弁に立つが答えない

任は痛感するが責任取らない

隠蔽ではないと言うが黒塗り資料しか出してこない

言わばと言うが後に例えが出てこない

まさにと言うが後に確かな事柄が出てこない

圧力はかけていない。テレビが勝手に忖度するだけ。

「募る」と「募集」は違うと安倍首相。
いよいよ危険が危ない。
というか、こんな答弁をされては頭痛で頭が痛い。(山添拓)

読んでいるが 読書はしていない

強烈な眠気はあるが 睡魔は襲ってきてきない

成蹊大学法学部政治学科卒業ではあるが 勉強はしてない

っているが虚偽ではない

招待したけど、招いたわけではない、みたいな。

マズい部分隠したが改竄では無い。

総理だが総裁ではない(ときもある)
総裁だが総理ではない(ときもある)

炉心溶融してるが、メルトダウンじゃない

桜を見る会の名簿、破棄はしたが棄ててはいない

殴ってはいるが殴打してはいない

「それでは、それではですね、宮本さんは、み宮本さんは、まさに、思いが募る、ではなく、思いが募集する、とか、言うんですか?言う、言うんですか?」

コピーして何人でも募れます!(募集ではない)

大喜利見てきたけど、やはり元祖に勝てる人はいまだかつて居ない。
#安倍さんしかいない

これは、他の件にも応用が利く。

逃げてはいるが逃亡ではない (ゴーン)

政府チャーターだが無料ではない (利用者に8万円請求)

安倍晋三のことだから、「募ると募集するは意味が違う」なんてアホな閣議決定をやりかねない。

(2020年1月29日・連続更新2494日)

「無意識の植民地主義」と、「無邪気で無自覚な植民者」と。

学生時代の級友・小村滋君(元朝日記者)が精力的に発刊しているネット個人紙「アジぶら通信」。もっぱら沖縄問題をテーマに、その筆致が暖かい。個人的に多忙とのことでしばらく途絶えていたが、「アジぶら通信Ⅱ」として復刊し、その2号(1月24日発信)が届いた。

A4・4ページ建。「沖縄の基地『無意識の植民地主義』(平野次郎・記)」が、紙面のほとんどを埋めている。『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』という書物の紹介と、その著者野村浩也講演の報告である。

私は知らなかったが、沖縄の基地を日本本土へ引き取ろうという市民運動の契機となったのが、2005年に御茶の水書房から発刊された『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』(野村浩也著)だという。久しく絶版となっていたが、2019年8月に松籟社から増補改訂版が復刊され、12月15日に神戸市内で復刊を記念して著者の講演会が開催された。詳しく、その講演内容が紹介されている。

『無意識の植民地主義』というタイトルは刺激的だが頷ける。沖縄を除く本土の日本人を、二重の意味で否定的に論難している。ひとつは「沖縄に基地を押し付けて自らはその負担から逃れている植民地主義者」と規定しての批判であり、さらに「沖縄にのみ基地負担を押し付けているという意識すらない」という無自覚への批判でもある。

著者野村浩也は1964年沖縄生まれで、現在は広島修道大学文学部教授(社会学)。講演会は兵庫の「基地を引き取る行動」のメンバーらの主催だという。アジぶら記者の見解として、「なぜいまこの著書の復刊が待たれたのか。沖縄人だけでなく在日韓国・朝鮮人などへのヘイトスピーチの横行を止められないのは、日本人の『無意識の植民地主義』がいまも続いているからではないのか」とある。

たまたま、広瀬玲子著の「帝国に生きた少女たち:京城第一公立高等女学校生の植民地経験」(大月書店・2019年8月刊)に目を通しているところだった。この著作が、よく似た問題意識から書かれた労作となっている。

この書についての出版社の惹句は、「内なる植民地主義、その根深さと、克服過程を見つめる」「植民者二世の少女たちの目に植民地はどのように映っていたのか。敗戦~引揚げ後を生きるなかで、内面化した植民地主義をどのように自覚し、克服していくのか。 ー アンケート・インタビュー・同窓会誌などの生の声から読み解く。」というもの。

その書評として、アマゾンのカスタマーレビュー欄に、「植民地朝鮮に暮らした女学生たちは、無邪気で無自覚な「植民者」であった」(2019年10月27日)が掲載されている。筆者は「つくしん坊」とだけあるが、その書評の一部を引用させていただく。

京城第一公立高等女学校は、1908年に居留民によって設立された。開校式には伊藤博文も列席し、格式あるトップクラスの女学校として順調に発展し、最盛期には1000人以上の生徒が在学した。

京城第一公立高等女学校に通う女生徒たちは、日本人居留民の中でも中流以上の恵まれた家庭に育っていた。女学校では日本と同様の皇民化教育が行われ、日本人女生徒たちは、朝鮮が日本の植民地であること、朝鮮人たちが様々な点で差別されていたことに無自覚であった。

敗戦後、家族とともに女生徒たちは一斉に日本に引き揚げた。そこで待っていたのは荒廃した国土、失われた生活基盤の立て直し、引き揚げ民に対する差別だった。家族とともに厳しい生活が始まった。この過程で、多くの女生徒たちが朝鮮での生活と意識を自省し始めた。

総じて、植民地朝鮮に暮らした女学生たちは、無邪気で無自覚な「植民者」であり、自らが朝鮮人に対して過酷な差別を強いていた「植民者」であったことは、戦後初めて自覚した。そのような自覚者の「内なる植民地主義」克服事例が参考に値する。

「戦前における、朝鮮に対する無邪気で無自覚な植民者」と、「現在の沖縄に対する無意識の植民地主義」と。無自覚・無意識の人びとのネガティブな客観的役割の指摘は重要である。

もっとも、私は「本土が沖縄の基地を引き取るべき」とする見解にも、そのような運動にも与しない。基地撤去の方向での運動をこそ追及すべきだとする立場を固執して小村君の不興をかっている。

(2020年1月28日・連続更新2493日)

本日「DHCスラップ『反撃』訴訟」控訴審結審。判決言い渡しは3月18日(水) ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第172弾

 本日(1月27日)、DHCスラップ「反撃」訴訟の控訴審が、第1回口頭弁論で結審となった。
 判決言い渡しは、3月18日(水)13時15分から。東京高裁511号法廷で。
DHC・吉田嘉明の控訴を棄却し、私からの附帯控訴では一審の110万円を上回る損害賠償命令が期待される。

 本日の進行は以下のとおり。
  DHC・吉田嘉明側 控訴状・控訴理由書の陳述
  澤藤側       控訴答弁書の陳述
  澤藤側       附帯帯控訴状の陳述
  DHC・吉田嘉明側 附帯控訴に対する答弁書の陳述
  DHC・吉田嘉明側 1点の書証提出
  澤藤側       4点の書証提出
  被控訴人(附帯控訴人)本人 口頭での意見陳述
  当事者双方とも新たな人証や追加の証拠提出の予定はなく、
 結審して判決言い渡し期日の指定

私の意見陳述は、以下のとおり。

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2020年1月27日

意見陳述要旨

東京高裁第5民事部御中

澤 藤 統一郎    

 2014年5月、私は突然に不法行為損害賠償訴訟の被告とされました。吉田嘉明という人物が、私のブログでの批判を快く思わぬことからの提訴で、2000万円の慰謝料を支払えというものです。

 裁判官の皆様には、違法とされた私の3本のブログの全文に改めて目を通していただきたいのです。万が一にも、私のこのような言論が違法とされるようなことがあれば、誇張ではなく民主主義は死滅してしまいます。また、このような言論を民事訴訟を道具として攻撃することが許されてはならないことをご確認いただきたいのです。

前件提訴が、私を恫喝して批判の言論を封殺しようという典型的なスラップ訴訟であることは明らかというべきです。私は、大いに怒りました。こんな訴訟を起こす人物にも、そしてこんな訴訟提起の代理人となる弁護士にも、です。
そして、怒るだけでなく徹底して闘うことを決意しました。これは私一人の問題ではない。けっして、この恫喝に屈してはならない。この提訴が違法であることを法廷で明らかにしなければならない。DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の試みを失敗させ、反省させなければならない。まさしく、表現の自由を守るために。

私は、自分のブログに、「DHCスラップ訴訟を許さない」というシリーズを猛然と書き始めました。そうしたら、代理人弁護士からの警告に続いて、DHC・吉田嘉明は請求を拡張しました。2000万円の請求を6000万円にです。DHC・吉田嘉明も代理人弁護士も、言論封殺の目的を自白しているに等しいと指摘せざるを得ません。

当然のことながら、前件訴訟は請求棄却の判決となり確定しました。そして、前件訴訟の提訴を違法とする本件訴訟の提起となり、その一部認容の原判決を得るに至っています。原判決の責任論に異存はありません。吉田嘉明のスラップ提訴を明確に違法と断じた判断には、半分までは提訴の目的を果たし得たとの感慨があります。

しかし、問題は損害論です。経済的強者によるスラップを違法とする判決の認容額がわずか110万円では、ペナルティとしてあまりにも低廉で、十分な違法行為の抑止効果を期待し得ません。とりわけ、応訴費用をまったく認めていない点は、原判決の誤りとして是正されなければなりません。これには、最近の「N国」という政党関係者のスラップに対する判決例が参考になります。N国側がNHKを被告として提起した《10万円請求のスラップ訴訟》に対して、東京地裁は応訴のための弁護士費用54万円満額を損害として認容しているのです。こうした判断あってこそ、DHC・吉田嘉明らスラップ常習者に対する適切なペナルティとなり、スラップ防止の実効性のある判決となりえます。

スラップの本質は「民事訴訟という《市民の公器》を、《強者の凶器》として悪用する」ことにあります。司法が毅然たる態度で、公共的言論をして「不当な裁判から免れる権利」を保障しなければなりません

まさしく、本件において司法の役割が問われています。控訴審判決が、スラップの害悪を防止し、表現の自由を保障するものとなるよう期待してやみません。

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これまでの経過概要は以下のとおり。

2020年1月27日

DHCスラップ訴訟・反撃訴訟経過の概略

 発端は、吉田嘉明自身の週刊新潮手記の掲載である。
自らの渡辺喜美への8億円裏金提供を暴露する記事となっている。その直後に、私がブロクで吉田嘉明を批判する3件のブログ記事を書いた。この「言論」を封殺する意図で、吉田嘉明と株式会社DHCの両名が原告となって、私を被告とする名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起した。これが先行の「DHCスラップ訴訟」。同訴訟の請求額は提訴時2000万円だったが、提訴直後に請求が拡張されて6000万円となった。
DHCスラップ訴訟では、東京地裁一審判決が請求を全部棄却し、東京高裁の控訴審が控訴を棄却、さらにDHC・吉田嘉明は最高裁に上告受理を申立てたが不受理となって私の勝訴が確定した。
確定後、私からDHC・吉田嘉明の両名に、スラップ提起を違法として訴訟外で600万円の損害賠償請求をしたところ、この両名から債務不存在確認請求訴訟が提起され、再び私は被告の座に着くこととなった。
「反撃」訴訟はその反訴としてなされたもので、「DHCスラップ訴訟」の提起を違法として、私からDHC・吉田嘉明に損害賠償請求を求めたのもの。判決は、手堅くきっぱりとスラップの違法性を認定した。
なお、私の吉田嘉明批判は、吉田自身の週刊誌の手記の内容を対象とするもので、同様の批判の言論は数多くあった。吉田は、そのうちの10件を選んで、同時期にスラップの提訴をしている。時系列での経過は下記のとおり。

2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
2014年3月31日・4月2日・4月8日 違法とされた3本のブログ掲載
2014年4月16日 DHCスラップ訴訟提起(請求額2000万円)
7月13日 ブログ「『DHCスラップ訴訟』を許さない」開始
8月29日 請求の拡張(2000万円から6000万円に増額)
2015年9月 2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立に不受理決定
2017年 9月 4日 DHC・吉田嘉明が債務不存在確認請求訴訟を提起
2017年11月10日 澤藤から反訴提起。その後、吉田嘉明ら本訴取り下げ
2019年10月 4日 反訴について判決言い渡し。スラップの違法を認める。
2019年10月15日 反訴被告ら控訴。
2020年1月14日 澤藤側、附帯控訴状提出
2020年1月27日 (本日)控訴審口頭弁論期日 結審
2020年3月18日 控訴審判決(予定)

(2020年1月27日・連続更新2492日)

河井案里選挙違反事件でざわつく党内。自民党内からのアベ批判。

河井克行・案里夫妻の公職選挙法違反事件。最初はさしたる問題に見えなかった。保守の選挙には付きものの「運動員買収事件」がまたぞろ出てきたかという程度。河井克行と安倍晋三との距離感も、選挙区事情も知らないまま、事務方の未熟さから内部のトラブルが外に洩れたのだろうくらいにしか考えなかった。

それが、急に雲行きが変わって、安倍政権の中枢を揺るがす大きな問題としての再登場である。安倍晋三の秘書4人が河井案里の選挙事務をとり仕切っていたということもさりながら、1億5000万円のアベ・マネー投入が衝撃である。なるほど、事件後当事者両名とも雲隠れせざるを得なかったわけだ。

ここまでのことは、1月23日の当ブログに記事を書いた。
http://article9.jp/wordpress/?p=14179

一昨日(1月24日)毎日新聞朝刊の5面の報道が興味深い。「案里氏1.5億円 自民に波紋」「下村氏『首相か幹事長の判断』」という見出し。毎日デジタルでは、「河井案里氏1.5億円にざわつく自民」となっている。この問題は、自民党外よりも、党内に波紋を呼び、ざわつかせているわけだ。テレビ番組で憮然たる発言をしたのが、下村博文であることにも興味をそそられる。

アベの組織統制の基本手法は、自分への忠誠を量っての極端な論功行賞という古典的なものである。これが、露骨な「オトモダチ優遇」だが、実は「えこひいき」に過ぎない。アベに力量があるという幻想があるうちは、この差別は統制に有効である。優遇される者には恩義を売り、冷遇される者には徹底した屈従を余儀なくさせる。しかし、所詮はえこひいき。不満の鬱積は必然で、アベに力量があるという幻想にヒビがはいれば、この不満が噴出することになる。今、そのような事態が生じつつあるのではないか。

同じ広島選挙区の自民党候補者の一方には、選挙資金1億5000万円を投入し、もう一方には1500万円。誰が見ても、これは尋常ではない。これに,安倍側近の一人と数えられていた下村博文が口火を切ってもの申す姿勢を見せたのだ。

自民党の選挙対策委員長である下村博文が、「誰の判断でそうなったかは分からない」「首相か二階俊博幹事長の判断だろう」という。さらに「通常は都道府県連を通すとし、『候補者に直接党本部が政治資金を含めて選挙活動費を振り込むのはあり得ない話だ』と強調。金額に関し『ちょっと想像を超えている。接戦で厳しいところには相場より上乗せすることもあるが、桁が違って驚いている』と述べた。」と報じられている。

閣僚経験者は「広島が重点区なら溝手さんも同じ額にしないといけない。重点区じゃなくて『重点人』だ」と皮肉った。露骨な肩入れに党内からは「俺ももらってみたい」(閣僚経験者)、「永田町の常識でも破格だ」(党関係者)との声が上がる一方で、「こんなことをやっていたら、国民から見放される」(中堅議員)との批判も。党幹部は「余計なことを言わなければいいのに」と下村氏の発言に不快感を示した。

また、本日(1月26日)放送のフジテレビ系「日曜報道THE PRIME」に出演した自民党・中谷元議員が、次のように語ったと報じられている。

 「私の事務所も調べたんですけど、1500万円でした。公認料と活動費なんですけど。やっぱり1億5000万円というのはにわか信じられません。破格を通り越しているということで、何に使ったのかなということなんですけど

当選した案里さん自身も、『私も知りません』というのは良くないと思います。候補者もきちんと事務所の中、管理しないといけません。政治家自らがしっかり説明できるようにしないといけません」「党内の規律は公平公正が必要でそうじゃないと組織が動かなくなってしまうと思う。野党の時に原点に戻って謙虚に国民目線でと政権復帰したわけですから、この気持ちを忘れずにやっていかないといけない」

下村も、中谷も明確にアベ批判を始めている。これは、注目すべきことだろう。明日からの予算委員会審議が楽しみとなってきた。

追及すべき課題は満載である。モリ・カケ・サクラ、カジノにスギタ、テストとアンリ。中東派兵に兵器の爆買い。景気の後退・韓国問題も。改憲どこじゃないだろう。
(2020年1月26日・連続更新2491日)

1月27日(月)は本件最後の法廷に? ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第171弾

長かったDHCスラップ訴訟も、先が見えてきた。DHC・吉田嘉明が昨日(1月24日)附帯控訴に対する答弁書を提出した。分量は1ページのみ。その内容から見て、1回結審となる公算が高い。

 1月27日(明後日・月曜日)午前11時、東京高裁511号法廷での《DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審第1回口頭弁論期日》が、弁論の行われる最後の機会となると思われる。あとは控訴審判決を待つだけ。

 この日の進行予定は以下のとおり。
  控訴状・控訴理由書の陳述
  控訴答弁書の陳述
  附帯帯控訴状の陳述
  附帯控訴に対する答弁書の陳述
  DHC・吉田嘉明側が1点の書証提出
  澤藤側が4点の書証提出
 当事者双方とも新たな証拠提出の予定はなく、
 結審して判決言い渡し期日の指定

DHC・吉田嘉明が、私(澤藤)を被告としてスラップ訴訟を提起したのが2014年4月16日。あれからもう少しで6年にもなる。

2014年4月16日 DHCスラップ訴訟提起
同年7月13日 ブログ「『DHCスラップ訴訟』を許さない」開始
同年8月29日 請求の拡張(2000万円から6000万円の請求に増額)
2015年9月 2日 請求棄却判決 被告(澤藤)全面勝訴
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決 被控訴人(澤藤)全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立に不受理決定
2017年9月 4日 DHC・吉田嘉明が債務不存在確認請求訴訟を提起
2017年11月10日 澤藤から反訴(『反撃』訴訟)提起。本訴取り下げ
2019年10月 4日 反訴について判決。スラップの違法を認める。
            澤藤一部勝訴。110万円の認容。
同年10月15日 DHC・吉田嘉明控訴。
2020年1月14日 澤藤附帯控訴。
2020年1月27日 DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審第1回口頭弁論期日。

月曜日・1月27日午前11時、東京高等裁判所511号法廷(高裁庁舎5階)には、是非、多くの方の傍聴をお願いします。どなたでも、何の手続もなく傍聴できます。閉廷後のミニ集会にもご参加ください。

控訴答弁書と附帯控訴状作成のための弁護団会議のなかで、だんだんと分かってきたのは、原判決における、「責任論についての切れ味の良さ」と、「損害論についての出来の悪さ」のコントラスト。

原判決の責任論の構成は、弁護団の主張とはスタンスが違う。
弁護団は、提訴の違法判断の要件として「意図・目的」という主観的要素を重視すべきと主張した。DHC・吉田嘉明の本件スラップ提訴の目的が「吉田嘉明の批判者を恫喝して言論を萎縮せしめるところにある」ことを違法の第一要件とすべきだという、スラップの本質論からの立論である。

しかし、一審判決は「提訴の意図・目的」の有無など問題とするまでもない、勝訴の見込みのない提訴をしたという客観違法ある以上は、主観要素としては「故意・過失」のレベルだけを問題にすることで十分、という構成だった。

控訴審が、この原判決の責任論の枠組みを変更することは考えにくく、責任論での逆転はあり得ないと意を強くしている。

問題は損害論。DHC・吉田嘉明のやったことについて、違法の認定があっただけでは足りない。110万円の賠償命令ではペナルティとして軽すぎる。違法行為の抑止機能を持ち得ない。賠償額の上積みをしたい。そうしてこそ、スラップ防止の実効性のある判決になる。

最近のN国のスラップ違法判決が参考になる。N国側がNHKに対して提起した《10万円請求のスラップ訴訟》に対して、東京地裁は54万円の弁護士費用を損害として認容している。こうした判断あってこそ、DHC・吉田嘉明らスラップ常習者に適切なペナルティを課し、スラップ抑止、即ち表現の自由の保障を期待しうることになる。

(2020年1月25日)

あの自民党席からの野次の正体は、天皇制を支えた家父長制の亡霊なのであろう。

杉田水脈という話題の自民党女性議員。安倍政権にとっても自民党にとっても、たいへん重要な人物で大きな役割を果たしている。いや、議員として何かをなし遂げたというわけでも、優れた政策や見識を示したというわけでもない。単に、安倍晋三や自民党が言いたくても言えないホンネをしゃべくるだけの役割を受け持つ人。そのため政権と自民党にとってかけがえのない人だが、われわれ反安倍派にとっても安倍や右翼のホンネを教えてくれる貴重な存在である。

この人、1月22日衆院本会議での玉木雄一郎(国民民主党)代表質問に野次を飛ばして、一躍玉木質問に社会の耳目を集めるという立派な役割を果たした。夫婦同姓の強制が結婚の障碍になっているという玉木の指摘のくだりで、「だったら結婚しなくていい」と言い放ったのだ。しかも2度まで。さすがというべきだろう。

当初は、「自民党女性議員」の野次と報道されていたが、当人が報道陣から追及されて,発言を否定していない。周囲の証言もある。この人の発言と断定して間違いはなさそう。この人の発言であるうえは失言ではありえない。確信犯的発言である。堂々と発言を認めて所信を語るべきところ、そうはしない。この点のごまかしぶりは、安倍晋三とよく似ている。

この人にとっては、人と人とがその意思のみに基づいて障碍なく結婚できることよりは、結婚後の同姓の強制という制度維持の方が重要なのだ。かつてはLGBTを「生産性がない」と攻撃して一躍蛮名を轟かせたこの人が、「結婚による生産性より大切なものが夫婦同姓」というのだ。今の世になんと愚かなと思えども、「こんな人」が議員となっている現実があり、「こんな人」を推す勢力が現実にあるのだ。だから、選択的夫婦別姓がいまだに棚ざらしのままとなって実現していない。

産経ニュースで、杉田はこんなことを言っている。

「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本」「夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援などの考えを広め、日本の一番コアな部分である『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました」

恐るべき認識である。この人の頭の中に満ち満ちているものは、「家族」である。それも、《修身斉家治国平天下》の文脈における「家」を構成する「家族」。教育勅語が、「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」とのたもうた国家の単位をなす臣民の「家」。より適切には、旧民法と旧戸籍制度に端的に表れていた「家父長制」下の「家」である。その「家」の尊重は、ひとり杉田水脈特有の突出したイデオロギーではなく、安倍晋三とその取り巻きにとっても同様であり、多くの自民党議員が共有している感性でもある。

 封建的身分制度を支え、天皇主権国家の基礎となったのが「家」であり、「家父長制」であった。「夫唱婦随」「孝」「兄弟の序」という《性差別・長幼の序》という家族内秩序を基本原理としてあらゆる中間社会の秩序が形成され、これを包摂して国家が組み立てられて、その頂点に天皇が位置した。

天皇の赤子たる臣民が、慈父たる天皇を仰ぎ見る構図なのだ。個人の自立、すべての人の平等という自明の理念を拒絶するものが、天皇制を支えた家父長制の「家」である。

明治政府がでっち上げ、国民に教え込んだ愚かなドグマが、いまだに払拭し得ていないのだ。1月22日、玉木代表質問の際のあの野次を発したものの正体は、もしかしたら杉田水脈ではなく、今の世になお成仏することなく彷徨っている「家父長制的『家』制度」の亡霊であったのかも知れない。
(2020年1月24日)

哀しいかな、議席もカネで買える現実がある。河井案里を当選させた、巨額の「安倍マネー」。

「週刊文春」本日(1月23日)発売号の広告が目を惹く。《秘書4人派遣「安倍丸抱え」で公選法違反》 「河井夫妻『買収』原資は安倍マネー1億5千万円だった」「入出金記録LINE入手」「安倍 菅 全面支援で振り込まれた軍資金はライバルの10倍」と、この上なくセンセーショナルなもの。河井案里選挙違反問題の根の深さが見えてきた。「桜」だけではない。案里疑惑も安倍政権を直撃しそうな雲行きということだ。

文春も、河井夫妻の車上運動員への超過報酬支払いを『買収』と確認の上、その買収資金の出所が「安倍マネー」だとしている。もちろん、安倍晋三のポケットマネーではない。自民党のカネの配分ではある。しかし、その金額が半端ではない。1億5000万円だというのだ。「ライバル」とは、同じく自民党から定数2の広島県選挙区に出馬して落選した溝手顕正前議員のこと。河井克行は長く首相補佐官を務め,安倍側近と言われた人物。お友達への配分は、「ライバル」の10倍という手厚い配慮。いかにも、安倍晋三のやりそうなこと。こうなれば、誰が見ても案里選挙資金は「安倍マネー」というほかない。

文春がネットで配信している記事によれば、2019年4月15日から6月27日までの3か月間に、5回に分けて合計1億5000万円が河井夫妻がそれぞれ主宰する政党支部に送金されているという。19年参院選の公示日が7月4日、投票日は7月21日だった。その直前の巨額送金。誰が見ても案里選挙への「安倍マネー」の投入である。しかも、安倍の秘書4人を投入しての「安倍丸抱え」選挙なのだ。

1億5000万円がいかに巨額か。職選挙法(194条)は、「選挙運動に関する支出金額の制限額」を定める。極端にカネで選挙結果が左右されることのないよう、金権選挙に総枠の歯止めが掛けられているのだ。

この金額は、参院選広島県選挙区(定数2)の場合は、《選挙人名簿登録者数÷定数×13円、に2370万円を加えた金額》とされている。

選挙当日における広島県の有権者数は235万人だから、
235万人÷2×13円+2370万円≒3898万円である。4000万円に満たない。

1億5000万円の送金額は、それだけで「選挙運動に関する総支出金額制限額」の3.75倍となる。この時期のこの金額の送金は、違法な金権選挙断行の意思表示と見るほかはない。哀しいかな、議席もカネで買えるのだ。河井案里を当選させたのはこの「安倍マネー」だったのだ。

この「巨額安倍マネー」は、どう使われたのだろう。選挙運動費用収支報告書に真実が記載されているはずはない。検察には、捜査を徹底して明らかにする責務がある。

なお、一点だけ付言しておきたい。この「安倍丸抱え」選挙運動の中で、車上運動員に対する、上限超の報酬の支払いをごく形式的な選挙犯罪でしかないという見方についてである。

有権者にカネを渡す行為は、票を金で買うものとして「選挙人買収」となる。これは分かりやすい。だがそれだけではなく、選挙運動をする者にカネを渡す行為も、「選挙運動員買収」として処罰の対象となる。考えて見れば当たり前のことだ。本来、選挙運動とはボランティアのすることで、無償が大原則である。カネを持つ者が、カネの力で選挙運動員を集め金にものを言わせた選挙運動で集票することを認めてはならないのだ。

車上の拡声器を通じての投票依頼は典型的な選挙運動である。本来、これも無償でなくてはならない。ところが、保守陣営では理念で選挙運動を行う無償の運動員を確保することができない。もっぱら保守陣営の都合で公職選挙法が改正され、「公職選挙法第197条の2」という規定ができ、いわゆる「ウグイス嬢」に対して、一日1万5000円までの報酬支払いが許容された。

本来運動員買収行為の例外規定である。その違反には厳格に対処しなければならない。この限度を越える支払いは、運動員買収となる。もちろん、対抗犯として、金を支払う方にも支払いを受ける方にも犯罪が成立する。安倍丸抱え河井案里選挙には、厳正な捜査と処罰が必要である。

(2020年1月23日)

「桜疑惑」とは、まずは背任である。

通常国会は本日が3日目。野党の代表質問が始まった。立憲民主の枝野幸男代表の質問冒頭はやはり、桜疑惑だった。報道の見出しは、『野党いきなり“辞任要求” 「桜を見る会」「IR汚職」で追及』となっている。

「あなたが疑惑まみれのまま、そのまま地位に留まり続ければ、日本社会のモラル崩壊が続くばかりです。潔く総理の職を自ら辞すことを強く求めます」
まったくそのとおりだ。古来、右翼とは立ち居振る舞いの潔さを身上としたはずではなかったか。卑怯未練・ウソやゴマカシを嫌う美学を身につけていたはずなのだが、この安倍晋三の姿勢のみっともなさはどうしたものか。

この桜疑惑について、問題の違法性を調べようと、宮城県内の弁護士が17日までに「『桜を見る会』を追及する弁護士の会・宮城」を立ち上げたことが話題となっている。

中心人物は、小野寺義象弁護士。10人余の弁護士が、これから、「首相の政治資金収支報告書を精査したり国会議員と連携したりして、公選法違反や政治資金規正法違反などに当たるかどうかを調べる。刑事告発や民事訴訟を起こすことも検討する」という。同弁護士は、「法律家の目線で一つ一つの証拠を確かめる。運動が全国に広がってほしい」と語っているという。

その小野寺さんが、最新の自由法曹団通信(旬刊・1月21日号)に、「団の総力をあげて『桜を見る会』を追及しよう」と呼びかけている。これを紹介したい。

「『桜を見る会』問題には、次のような特質がある。
 第1に、安倍首相自身の問題(安倍後援会と内閣府・内閣官房)であるため、安倍首相は他に責任転嫁できない。
 第2に、単なる政治的道義的責任問題ではなく、公職選挙法・政治資金規正法違反等の刑事事件を含む違法行為が問題となっており、それが立件されると日本のトップが犯罪者になり、公職資格が剥奪される。
 第3に、問題発覚後の安倍政権の証拠隠滅・説明拒否の異常さである。この現象は安倍首相らが「桜を見る会」問題の恐ろしさを十分認識していることを意味している。
 第4に、問題が収束するどころか拡大し(消費者被害加害者・反社会的勢力の招待、「反社会的勢力」の定義、首相夫人枠、「60」番問題、公文書管理法違反等々)、様々な角度・分野からの追及ができる。
 第5に、「税金でタダで飲み食い」「5000円で高級ホテルで宴会」など庶民に分かりやすいテーマが問題になっている。そして、
 第6に、桜は「モリカケ」と異なり、今年も全国各地で咲き、国民は桜が味けば「桜を見る会」を思い出すので、事件が風化しにくい。

 このように「桜を見る会」は、安倍政権そのものを直撃する事件であり、それゆえ、相手方は「何としても安倍を守る」陣容で臨んでいる。その理由は、「安倍しか改憲ができない」からにほかならない。

そして小野寺さんは、「このような問題の特質を最大限生かして、以下のような取り組みが求められている」という。

 第1に、「桜を見る会」が刑事事件であり、安倍首相は犯罪者であることを国民に知らせる取組みをすること。
 第2に、国民の強い怒りに応える、国民参加型の取組みをすること。
 第3に、真相究明・責任追及運動を全国各地で拡大させ、安倍首相を包囲し孤立させる取組みをすること、
 第4に、抽象的な「政治の私物化・税金の私物化」批判だけにとどめず、違反している具体的な法規(◎法△条)を示し、攻撃のターゲットを絞り込んだ責任追及をすること。

まったく異存がない。安倍首相に対する背任告発も、同じ発想である。もうすぐ、日民協の「法と民主主義」1月号が発刊となる。その中に、2頁をいただいて私が、「なぜ、今、安倍首相告発罪名が背任なのか」を寄稿している。

告発状はやや長文だが、下記ブログに投稿している。
http://article9.jp/wordpress/?p=14139
併せて、下記にも目をお通しいただきたい。
http://article9.jp/wordpress/?p=14156

以下は、小野寺さんの問題意識に応える、「法民」寄稿の一部である。

「桜疑惑」には、様々な問題がある。そのうち、公職選挙法違反、政治資金規正法違反、公文書管理の不適切が主として論じられてきた。にもかかわらず、なぜ今、背任罪での告発なのか。飽くまで現時点での私見だが、整理をしておきたい。

国民の怒りの根源をとらえた告発
 森友事件・加計学園事件を曖昧にしたままの「桜疑惑」。広範な国民のこの疑惑に対する深い怒りの根源は、内閣総理大臣たる者の国政私物化にある。
 国政私物化とは、国民が信頼してこの人物に権力を負託し、国民全体の利益のために適切に行使してくれるものと信頼して権限を付与したにも拘わらず、その人物が国民からの信頼を裏切って私益のために権限を悪用したということである
 このことを、法的に表現すれば、内閣総理大臣たる者の国(ないし国民)に対する「信任義務違反」にほかならない。国民から負託された信頼を裏切る行為を本質とする犯罪が背任である以上、背任罪告発はことの本質を捉え、国民の怒りに形を与える刑事責任追及として最も適切と考えられる。
 にもかかわらず、これまで安倍晋三の背任を意識した議論が少ない。この告発によって、まずは大きく世論にインパクトを与え、世論を動かしたい。単に、「安倍首相は怪しからん」というだけの漠然とした世論を、「安倍首相は国民の信頼を裏切った」「これは背任罪に当たる」「背任罪で処罰すべきだ」という具体的な要求の形をもった世論を喚起したい。そうすることで、政権忖度で及び腰の検察にも本腰を入れさせることが可能となる。

◆ 安倍首相本人を直撃する告発
 公職選挙法違反・政治資金規正法違反・公用文書毀棄等々の告発の場合、主犯はそれぞれの事務の担当者とならざるを得ない。報告書の作成者、会計事務責任者、当該文書の作成者管理者等々。そこから、安倍晋三本人の罪責にまでたどり着くのは一苦労であり、さらに立証のための調査を重ねなければならない。
 しかし、背任罪なら、安倍首相本人の責任が明らかである。同人が「桜を見る会」の主催者であり、内閣府の長として予算執行の責任者でもある。そして、不適格者を大量に招待させたり、あるいは招待もないままに参加させた安倍晋三後援会の主宰者でもある。両者の立場を兼ねていればこそ、国民に対する信頼を裏切って行政を私物化し国費を私的な利益に流用することができたのだ。

◆ 政府側の弁明
 予算超過に関する内閣府大臣官房長の説明は、「最低限必要となる見込みの経費を前提に予算を計上し、結果的に支出額が予算額を上回った分については、『一般共通経費』で補填している」というものである。つまりは、予算の範囲で最低限必要なことはできるのだ。「桜を見る会開催要領」に従って、招待者1万人枠を遵守していれば、「一般共通経費」の「活用」は不要なのだ。国会が承認した予算を漫然と超過することは許されない。どのような事情で、何に、幾らかかったかの特定と、しかるべき理由とその証明がなければ、「一般共通経費」からの支出が許されようはずはない。
 以上のとおり、「桜疑惑」とは、まずは背任である。

(2020年1月22日)

覚えておこう、安倍晋三が語るべくして語らなかったこと。

昨日(1月20日)、第201回通常国会が開会した。さあ、いよいよウソとゴマカシの安倍政権に引導を渡して、改憲断念の駄目を押す機会だ。

それにしても、「無内容」、「薄っぺら」、「我田引水」、「つまみ食い」、「手前勝手」、「厚顔無恥」と悪評のみ高い施政方針演説だった。

印象に残るのは、随所にオリンピックへの言及が繰り返されたこと。安倍が引用する2020オリンピックなのだから、薄汚いに決まっている。ますます、東京オリンピック(安倍は、「日本オリンピック」と言った)の印象が悪くなる。嫌いになる。

そして最後に、何の論理の脈絡もなく、唐突に「憲法改正」が叫ばれる。この部分を官邸のホームページから引用しておこう。

七 おわりに
 「人類は四年ごとに夢をみる」
  一九六四年の記録映画は、この言葉で締めくくられています。新しい時代をどのような時代としていくのか。その夢の実現は、今を生きる私たちの行動にかかっています。
  社会保障をはじめ、国のかたちに関わる大改革を進めていく。令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控え、未来への躍動感にあふれた今こそ、実行の時です。先送りでは、次の世代への責任を果たすことはできません。
  国のかたちを語るもの。それは憲法です。未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは、私たち国会議員の責任ではないでしょうか。新たな時代を迎えた今こそ、未来を見つめ、歴史的な使命を果たすため、憲法審査会の場で、共に、その責任を果たしていこうではありませんか。
  世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を創り上げる。その大きな夢に向かって、この七年間、全力を尽くしてきました。夢を夢のままで終わらせてはならない。新しい時代の日本を創るため、今日、ここから、皆さん、共に、スタートを切ろうではありませんか。
  御清聴ありがとうございました。

 何ともアホラシくも、出来の悪いシラけた演説。論理でも情念でも、聞く人に訴える内容をもっていない。オリンピックが改憲のダシに使われるのなら、人類は四年ごとに悪夢をみる」というしかない。その悪夢実現阻止の成否は、自立し自覚した主権者国民の行動にかかっている。安倍ごときの、浅薄きわまる煽動に乗せられてはならない。

言うまでもないことだが、憲法99条は、天皇と内閣総理大臣を筆頭とする公務員に憲法尊重擁護義務を課している。安倍晋三は、憲法を擁護しなければならない。彼は、施政方針演説において、主権者から命じられるとおり、憲法に準拠して、憲法を拳拳服膺する姿勢を見せなければならない。

にも拘わらず、令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控えた今こそ、改憲審議を実行すべき時」と敢えて言うのだ。憲法に対する理解を欠いた行政府の長、内閣総理大臣として不適格も甚だしい。

「令和」やオリパラについては、明るい話題として取りあげながら、彼は不都合なことは語らない。安倍に不都合なことは、憲法と民主主義に大切なことなのだ。語られるべくして語られぬことを、しっかりと確認しておかねばならない。

忘れちゃならない、もり・かけ・さくら、テストにカジノ。辺野古にイランと中東派兵。環境破壊と原発推進。大事な文書は隠匿・改竄・廃棄して、丁寧に丁寧に、何も説明しないこと。それに加えて菅原一秀・河井克行・河井案里のやったこと。
(2020年1月21日)

スラップの本質は、「社会の公器」を「強者の凶器」とすることにある。 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第170弾

DHCスラップ「反撃」訴訟控訴審第1回口頭弁論期日が1週間後に迫った。来週の月曜日・1月27日の午前11時開廷となる。法廷は、東京高等裁判所511号法廷(高裁庁舎5階)である。是非、多くの方に傍聴いただきたい。どなたでも、何の手続もなく傍聴できる。閉廷後のミニ集会にもご参加をお願いする。

この訴訟の、ことの中心は表現の自由という問題だが、政治とカネの問題とも関わり、消費者の利益侵害という問題でもある。

DHCというサプリメント製造の大手企業と、そのオーナー経営者である吉田嘉明が、私(澤藤)を被告として、6000万円の高額慰謝料請求訴訟を提起した。私のブログ記事がDHC・吉田嘉明の名誉を毀損するというのだ。これが典型的なスラップ訴訟である。DHC・吉田嘉明は、私のブログ記事の内容が面白くないのだ。「黙れ」という代わりに、裁判を起こしたのだ。

吉田嘉明にしてみれば勝訴の見込みの有無などどうでもよい。高額の賠償請求をすれば、被告にされた者は驚いて批判の言論を慎むことになるだろう。被告にされた本人だけではなく、被告にされなかった多くの人々が、「DHC・吉田嘉明を批判すると裁判までされて面倒なことになる」「DHC・吉田嘉明に対する批判は遠慮した方が賢明だ」と思うだろう。そこが狙いだ。自分に対する批判の言論の封殺、あるいは萎縮を狙っての民事訴訟の提起なのだ。

DHC・吉田嘉明は、スラップ訴訟の常習者として知られる。今回も、甘い気持で、スラップを掛けて来た。事件の発端は、吉田嘉明が週刊新潮に独白手記を掲載したことにある。この記事の内容が凄まじいものだった。厚労省の規制下にあるサプリメント製造の大手企業経営者が、規制緩和をスローガンとする政治家に、8億円もの選挙資金を用立てたというのだ。もちろん、裏金である。

カネを渡した方が吉田嘉明。受け取ったのが「みんなの党」(当時)の渡辺喜美である。政治を金で操ろうというこの汚いやり口を、私だけでなく、多くの言論が批判した。DHC・吉田嘉明はこのうち、10人を選んで、スラップを提起したのだ。もちろん、こうすれば、黙るだろうとの思惑あってのこと。

しかし、私はけっして黙ってはならないと決意した。むしろ、徹底してDHC・吉田嘉明の批判を続けようと覚悟を決めた。日本国憲法の表現の自由は、私の言論を保障している。その権利を行使しないでは、せっかくの表現の自由が錆び付いてしまうことになる。こうして始めた、DHC・吉田嘉明を批判するブログの「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズは、本日で第170弾となった。

そして、スラップ訴訟に被告として勝訴しただけでは足りない。DHC・吉田嘉明のスラップ訴訟提起を違法行為として、損害賠償を求める反撃訴訟を提起した。そして、一審では勝訴し、これを不服とするDHC・吉田嘉明の控訴を受けて、被控訴人として控訴審に臨もうというのが、今の段階である。

なお、私の吉田嘉明批判の言論の内容は、経済的強者がそのカネで政治を動かしてはならないと言うことにある。一人の富者がカネで政治を動かしてはならない、政治に絡むカネの動きには透明性を確保して、国民の批判に曝さなければならない。こういう理念にもとづく法が、政治資金規正法である。吉田嘉明の行為は、明らかにこれを僣脱している。改めて批判が必要なのだ。

また、吉田嘉明は、その手記の中で、無邪気に「厚労省の規制が厳しすぎる」と表白している。常識的に推論して、吉田嘉明の渡辺喜美への8億円の裏金提供は、DHCへの行政規制を嫌ってのものである。

言うまでもなく、薬品や食品に対する行政規制は、消費者の健康を擁護するためにある。私の言論は、消費者利益擁護のために有益なものなのだ。

この訴訟において私が勝つことは、言論の自由の勝利であり、民主主義の勝利であり、また消費者利益擁護の理念の勝利でもある。仮に、DHC・吉田嘉明が勝つようなことがあれば、敗北するのは、言論の自由であり、民主主義であり、また消費者の利益である。

スラップとはなんであるか。弁護団長の光前幸一弁護士が、いみじくもこう言っている。「『社会の公器』を『強者の凶器』とすることにほかならない」と。

民事訴訟は、本来『社会の公器』である。権利を侵害された者は、法や司法の助力を得て侵害された権利を回復することが可能となる。しかし、経済的な強者が私益のためにこの公器を凶器として濫用することがある。それがスラップである。

民事訴訟を『強者の凶器』とさせてはならない。今、控訴審を迎えているDHCスラップ「反撃」訴訟では、DHC・吉田嘉明の意図を挫いて、『強者の凶器』としての制度利用が許されないことを確認しなければならない。
(2020年1月20日)
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 DHC・吉田嘉明の控訴理由書に対する反論の書面を本日提出した。
 その中の一部だけを抜粋してご紹介したい。

本件ブログは人身攻撃ではない
(澤藤の)本件ブログは,控訴人吉田が公表した政治家への金8億円の密かな貸付行為について,「民主政治とお金」という視点から警鐘を鳴らす公共性の高いものであり,その批判は峻厳なものとならざるをえない。このテーマにおいて,生半可な批判は論評として価値を持たないし,さりとて,生硬な表現のみでは一般読者の関心や理解は得難い。
この観点から,本件ブログについて控訴人らが問題視する表現を見れば,いずれも,あくまでも控訴人吉田が公表した吉田自身の行為への徹底した批判にとどまるものであって,これを超えた人身攻撃ではない。
勿論,行為は人柄の表出という側面を否定できないから,当該行為の批判は行為者の人格評価の低下につながる可能性があることは避けがたい。しかし,上記最判や控訴人らが引用する東京地裁判決が言明するとおり,論評の本来的性格や役割を重視すれば,その表現が論評を超えた人身攻撃を意図していると評価されるのは,極めて例外的な場合に限られ,本件ブログの表現が,論評としての域を超えていないことは,上記各裁判例の判断を踏まえれば明らかなことであり,先例を検討すれば,容易に判断できたことである。

民事訴訟法208条の適用について
控訴人ら(DHC・吉田嘉明)は,吉田が原審裁判所の呼び出しに応じず,出頭しなかったものの,内海証人の証言及びその他の証拠によって,不当提訴でないことは明らかで,民訴208条(不出頭のペナルティとして、裁判所は尋問事項に関する相手方の主張を真実と認めることができる)を適用することは相当でないという。
すなわち,控訴人らは,名誉毀損となる記述について訴訟提起することの判断は控訴人吉田によることを認めつつも,具体的に違法性のある記事をピックアップし,どの記事が違法となり,損害賠償請求額をいくらにするかの判断は証人らがしており,控訴人吉田はその過程に関与していないし,そのことについては,内海証人の法廷証言等で明らかとして,民事訴訟法208条の適用を否定する。
しかし,内海証人は,弁護士から確実に勝てるとの助言を受けたものを提訴対象としたと述べているが(内海証人尋問調書17頁),「確実に勝てる」とされた根拠について,「法的に名誉毀損の程度が著しいので。」と答えた以外の点については何ら言及しなかった(同17頁)。また,「法的な評価は弁護士のほうに任せて,我々は事実無根ここが違うというようなことの説明をいたしました。」とも述べているが(同19頁),「事実無根」以外の点について相談したという証言はなかった。さらに,内海証人は,控訴人吉田は弁護士との相談には参加していなかったとも証言しており(同12頁),控訴提起についても内海証人と弁護士が決めたことを控訴人吉田に「追認」してもらうだけで(同27~28頁),訴訟の遂行の経緯について「会長に聞いたところで本件訴訟の細かいことは全然わからない」という(同26頁)。
加えて,内海証人は,「吉田の視野は,凡人とは異なる高いところにあり,これまで同人の意見や指示が不合理であったことなど一度もなく,いつも日本国をよりよくしたいという大きな視点から,社会に問題提起しているのである。」(原審での控訴人らの準備書面3)との主張は会社の共通認識であり,控訴人吉田の言うことは絶対であるとも述べ(同25~26頁),控訴人吉田の権威が,いかに批判を許さない絶対的なものであるかを強く示唆した。
いずれにしても控訴人吉田は本件手記を自ら公表した者であり,本件手記に記載された事実の真偽について最もよく知っているはずの者である。
この絶対的存在である控訴人吉田を差し置いて,一社員である内海証人の上述のあいまい且つ不合理な証言などを信用することなどできないのであり,内海証人の証言などをもって訴訟提起に至る控訴人吉田の内心を立証できたとは到底言い得ない。

本件訴訟(原審)は,控訴人吉田の正当な理由なき不出頭により,証人内海のあいまい且つ不合理な証言だけを残して終了した。控訴人吉田の不出頭は,それ自体が被控訴人の主張を立証する重要な間接事実であるが,これに加えて,民事訴訟法208条の適用によっても,尋問事項に関する被控訴人の主張を真実と認めることができるものである。
すなわち,被控訴人は,控訴人らがその主張する権利等が根拠を欠くものであることを知りながら,言論封殺の不当な目的をもってあえて前件訴訟等を提訴し追行してきたものであると主張し,その具体的な意思決定過程において十分な検討がなされていないことを明らかにするために控訴人会社の代表者でもある控訴人吉田本人の尋問を請求し,裁判所はこれを採用した。しかるに、控訴人吉田は正当な理由なく出頭を拒否したのである。したがって,控訴人らが被控訴人の言論封殺のため十分な検討を行うことなくあえて前件訴訟等を行ったことは,民事訴訟法208条に基づき真実と認めることができるものである。

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