澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

サガワよ、サガラになるなかれ。

「責任」とは重いものだ。行政府の長の責任ともなればとてつもなく重い。重いものは重力の作用で、下へ下へと落ちていく。これを、霞ヶ関名物「責任沈下の法則」という。福島第1原発原子炉格納容器のデブリを思い起こせば良い。

森友問題の決裁文書改竄は、常識的にはおまえの責任だろうとアベ晋三に指摘すると、「いいえ麻生にその責任を果たしていただきたい」と責任を沈下させる。では麻生に、おまえの責任だそうじゃないかと問いただすと、麻生は「理財局の一部の職員が行ったこと」ともう一段沈下させる。じゃあ、理財局の誰の責任かと問うと、「当時の理財局のトップだから、適材適所の佐川宣寿の責任」だという。

さて佐川は、上から落ちてきた責任をどうするだろう。「責任沈下の法則」のとおりだと、さらに部下に投げ落とす。その部下はさらにそのまた部下に。転々とした責任は、最後には近畿財務局の平職員のところまで沈下しきって止まることになる。逃げどころなくなってその重さに耐えきれない人も出て来るわけだ。

だが、佐川宣寿には、別の選択肢がある。重い責任を当時の部下に転嫁するのではなく、まずは自身で受けとめるのだ。下へは沈下させない。その上で、この責任を渾身の力で跳ね上げるのだ。

「公文書の改竄は、官僚風情の権限でできることではない。麻生の指示だ。」「忖度先は、アベと昭恵だ。麻生の背後にアベがいるのは当然だろう。」「この責任は、私は背負わない。熨斗を付けてアベと麻生にお返しする」

そのように開きなおって、すべてをぶちまけるのだ。かくて、肚をくくって悔い改めた佐川宣寿は、アベ政権打倒の立役者となり、前川喜平並みの国民的人気者になるだろう。災い転じて福となすのだ。

もちろん、そうせずに自ら責任を引き受ける暗い選択肢も残されてはいる。アベと麻生の責任の重みを背負って、つぶれていく道。慫慂としてアベと麻生の責任に殉ずるという、今流行らない美学に散ることだ。

昔は、そんな人物もいた。たとえば、相楽総三。あの赤報隊の隊長。

赤報隊は官軍の先遣隊として中仙道を東に進軍した。彼らは、「是迄幕領之分総テ当分租税半減」という勅定書をもっての宣撫工作隊だった。〝年貢半減〟の官軍公約を触れ歩いたのだ。当然のことに、赤報隊は各地で熱狂的な民衆の支持を得た。その勢いに中仙道諸藩の抵抗の意思がないことを確認するや、官軍総督府は赤報隊を有害無益な存在と判断した。新政府に「租税半減」の意思はなく、勅定書は偽書、赤報隊は偽官軍とされて、幹部は捕縛され斬首された。赤報隊は官軍に利用されて、捨てられたのだ。権力の非情は常のこと。

相楽の最期には諸説ある。他の赤報隊隊士が憤慨やるかたなく憾みを述べる中で、彼一人は端然とした姿勢を崩すことなく慫慂として死について、彼なりの美学を貫いたのだともいう。また別の言い伝えは、次のようなものだ。

相楽は、太刀取り(斬首者)を顧みて『しっかりやれよ』といった。太刀取りは荒肝をひしがれたように動揺が出た。再び静かに相楽が、『見事にな』といった。これに災いされたか、太刀取りは相楽のうしろに廻り、気を鎖めて一声とともに斬ったが、仕損じて右の肩先へ斬りこんだ。とっさに相楽が振返り、『代れ』と怒気を含んで叱りっけた。これにたじろいで、その太刀取りは顔が土気色になった。
代って、新しい太刀取りが相楽を切り、首が3尺飛んだという。後にこれが誇張されて、相楽の首は6尺飛んで、柳の枝に噛みついたことになった。(長谷川伸「相楽総三とその同志たち」から)

これが、相楽の無念を推し量った作り話である。佐川よ、アベや麻生に利用されて捨てられて、相楽総三の轍を踏んではならない。無念の相楽になるな。前川を見習え。すべてをさらけ出せ。トカゲの尻尾に終わるな。尻尾にも幾分かの魂があることを示したまえ。

さすれば、不本意に自らの命を断った近畿財務局職員のいささかの供養ともなろうではないか。
(2018年3月12日)

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