澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「デマとヘイト、そしてスラップのDHC」― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第145弾

本日(1月12日)夕刻に、「終わっていないぞ! DHC『ニュース女子』問題2周年!」「沖縄ヘイトを許さない集い」に参加した。

DHC「ニュース女子」放送事件をきっかけに立ち上がった「沖縄への偏見をあおる放送を許さない市民有志」の主催。いかにも手作りという温かい雰囲気の集会で盛会だった。とりわけ、メインの安田浩一さんの講演は熱のこもったものだった。

話題の中心は、デマとヘイトが人を壊し社会を壊す罪深いものであること。また、今沖縄に生じている問題は、けっして「沖縄問題」ではない日本全体の問題としてとらえなければならない。沖縄を今の状態に置いている本土の我々の責任に真摯に向き合わねばならないということ。その立場からは、デマとヘイトの元凶であるDHCへの社会的制裁が必要であり、不買運動を重ねなければならないという結論になる。

いくつもの運動体が、会場から貴重な発言をした。私も、以下のビラを配布して、このビラに沿った発言をした。複数の新聞記者が、DHCスラップ訴訟に興味をもってくれた。

DHCを追い詰める運動が拡がっている感がある。

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「デマとヘイトのDHC」は、
「スラップのDHC」でもあります。
DHCスラップ反撃訴訟で、吉田嘉明尋問決定!
4月19日(金)午後 東京地裁415号法廷(東京地裁・4階)
皆様、ぜひ傍聴にお越しください。

いま、在日や沖縄に対するデマとヘイトで俄然有名になったDHC。実は以前から、「スラップ常習企業」としても悪名を轟かせています。「スラップ」とは、批判の言論を封じるために提起された高額民事訴訟のこと。デマ・ヘイト・スラップと三拍子を揃えた、これほど性悪の企業も珍しいのです。

DHCのスラップは、当時地位確認で争っていた労働組合に対して、5000万円の名誉毀損損害賠償をしたことで有名になりました。労組幹部個人に対しても、1000万円の請求訴訟を提起しています。

2014年の3月。DHCの会長である吉田嘉明が、週刊新潮にとんでもない手記を掲載しました。吉田嘉明は、政治家・渡辺喜美に裏金8億円を渡していたということを、臆面もなく自ら滔々と述べたのです。当然のことながら、吉田嘉明は、多くの人からの批判に曝されました。そうしたら、DHCと吉田嘉明は、批判者の内から10名を選んで、スラップ訴訟を提起したのです。最低2000万円から、最高2億円まで。
私もブログで、「政治が金によって動かされてはならない」とする至極真っ当な批判をしました。こうして、私もその10人の内の一人となりました。DHC・吉田嘉明から私に対する請求額は、最初は2000万円。このDHC・吉田嘉明の提訴は違法なスラップ訴訟だとブログで批判を始めた途端に、2000万円の請求は6000万円に跳ね上がりました。DHC・吉田嘉明の提訴の目的が、言論の封殺にあったことは明らかではありませんか。

このスラップ訴訟では、私が全面勝訴しました。今、攻守ところを替えて、スラップ提訴が違法だとする「反撃」訴訟を提起しています。その訴訟で、吉田嘉明本人尋問が決定したことをお知らせします。
(詳細は、ネットの「澤藤統一郎の憲法日記」をご覧ください)

スラップ被害の当事者として

2014年の5月。まったく思いがけなく、私自身を被告とする典型的なスラップ訴訟の訴状送達を受けとりました。原告は、DHC・吉田嘉明。請求金額は2000万円。屈辱的な謝罪文の要求さえ付されていました。この上なく不愉快極まる体験。こんな訴訟を提起する人物か存在することにも、こんな訴訟を受任する弁護士が存在することも、信じがたく腹立たしい思いを禁じえません。
この訴訟の請求額は、3か月後の同年8月6000万円に跳ね上がりました。私がブログで、「スラップ訴訟を許さない」とキャンペーンを始めたからです。経過から見て明らかに、DHC・吉田は、高額な損害賠償訴訟の提起という手段をもって、私に「黙れ」「口を慎め」と恫喝したのです。
私の怒りの半ばは私憤です。私自身の憲法上の権利を侵害し言論による批判を封じようというDHC・吉田に対する個人としての怒り。しかし、半ばは公憤でもありました。訴訟に精通している弁護士の私でさえ、自分自身が被告となれば戸惑わざるを得ません。応訴には、たいへんな負担がかかることになります。訴訟とは無縁に生活している一般市民が、私のようなスラップの提訴を受けた場合には、いかばかりの打撃を受けることになるか。このような負担を回避しようという心理が、言論の萎縮を招くことになります。強者が提起するスラップが効果を発揮することとなれば、この社会の不正を糾弾する言論が衰微することにならざるを得ません。私は、「けっしてスラップに成功体験をさせてはならない」と決意しました。
言うまでもなく、訴訟本来の使命は、権利侵害の回復にあります。法がなければ弱肉強食のこの社会、法がなければ強者が弱者の権利を蹂躙し、権利を侵害された弱者は泣き寝入りを強いられるばかり。法あればこその権利侵害救済が可能となり、これを実現する手続として民事訴訟制度があり、裁判所があって法曹の役割があるはずではありませんか。
DHC・吉田の私に対する提訴は、この訴訟本来の姿とは、まったくかけ離れたものと言うほかはありません。権利救済のための提訴ではなく、市民の言論を妨害するための民事訴訟の提起。これこそがスラップの本質なのです。
もし仮に、本件スラップの提訴が違法ではないとされるとしたら、吉田嘉明を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が濫発される事態を招くことになるでしょう。社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行するそのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされることとなります。それでは、権力と経済力が社会を恣に支配することを許すことになってしまいます。けっして、スラップに成功体験をさせてはならないのです。

(2019年1月12日)

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