澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

沖縄「本土復帰」の日に - 「継母のイジメ」から「実母の虐待」に

 

本日(5月15日)は、沖縄の「本土復帰」の日である。1972年のあの日から、もう47年にもなる。

当時を思い起こせば、復帰によって、本当に「沖縄が本土並みになるのか」が問われた。むしろ、「本土の沖縄化に道を開くことになるのではないか」との懸念も論じられた。

「沖縄の本土化」論も、「本土の沖縄化」論も、復帰によって沖縄が本土と政治的・経済的に一体となり、当然に文化的・心理的な一体感も醸成されるだろうとの前提では一致していた。なお、当時、沖縄をアメリカに売り渡した、昭和天皇(裕仁)の沖縄メッセージという犯罪的行為は明らかになっていなかった。

47年を経てなお、変わったことよりは、変わらなかったことの方が多いという印象を拭えない。とりわけ、昭和天皇(裕仁)の沖縄メッセージが、沖縄を犠牲に差し出して本土の生き残りをはかろうという、戦前からの変わらぬ本土側の本音であるとすれば、今なお旧態依然ではないか。

本日(5月15日)の沖縄タイムス・コラム[大弦小弦]欄に、「復帰とはね、継母から母の元に帰ることなんだよ」という、反語的でシニカルな、それゆえにまことに的確な指摘の論説が掲載されている。

 「復帰とはね、継母(ままはは)から母の元に帰ることなんだよ」。3月まで沖縄国際大教授を務めた稲福日出夫さん(68)は幼いころから、学校で教えられた。継母は沖縄を支配していた米国。母は日本国だ

▼母と信じた日本政府は、2013年に「主権回復の日」式典を開いた。沖縄が日本から切り離されて米軍の統治下に置かれた「4・28」を、国際社会に復帰した記念日と位置づけた

▼沖縄では同じ日に抗議集会があり、稲福さんも足を運んだ。会場の金網に「日本国にもの申す! もはや親でもなければ子でもない」と書かれた布がくくりつけられていたのを覚えている。「基地撤去の言葉より、政権批判より心に刺さった」。ウチナーンチュの率直な感情の発露と捉えた

▼記念日では、ほかにも歴史の皮肉がある。米軍の輸送機「オスプレイ」が沖縄に配備された12年は、復帰40周年だった。配備反対の県民大会があり、全41市町村の代表らが東京での抗議行動に参加した

▼県議だった故玉城義和さんは、撤去を求める文書を「建白書」と命名した。初代知事の屋良朝苗さんが復帰前、米軍基地撤去などを日本政府に求めた「建議書」の精神を継承する意味があった

▼建議も建白も為政者への意見具申だが、実現していない。きょうは47回目の復帰の日。「母」の愛情より、苛烈さが目につく。(吉田央)

まことに、言い得て妙ではないか。継母のもとで苛められていた子が、47年前に、実母のもとに帰ってきた。ところが、この実母、実は自分の保身のために、継母にこの子を売り渡していたのだ。そんな事情を知らないから、子は実母のもとに帰れたことを素直に、喜んだのだ。

しかし、次第に子は悟る。「この実母は継母にばかり気を使って、いまだに続く継母のイジメにガマンしなさいというだけ」「いや、継母と一緒になって私をイジメようとしている」「この冷たい実母は、私に寄り添う人ではない」「私を犠牲にして身の安全をはかろうとしているのだ」。「結局のところ、47年前に継母のイジメが実母の虐待に変わっただけなのだ」。

問題は、46人の同胞たちの姿勢である。腹黒い親は見捨てても、兄弟姉妹は運命共同体である。沖縄を見捨ててはならない。
(2019年5月15日)

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Published in 水曜日, 5月 15th, 2019, at 20:00, and filed under 沖縄.

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