澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

権力や権威を批判する「言論の自由」を死守しよう ― 74年目の敗戦記念日に

8月15日である。74年前のこの日に戦争が終わった。

日中戦争・太平洋戦争が手痛い敗北によって終わったというだけでなく、明治維新以来幾たびも繰り返された、飽くなき侵略戦争もこの日以後はない。あの日以来74年、曲がりなりにも、日本は平和を享受してきた。

戦争こそ、最大の人権侵害であり、最大の環境破壊である。そして、最大最悪の凶悪犯罪でもある。明治維新以来今日まで、およそ150年の前半は、我が国が戦争に明け暮れた歴史だった。野蛮な天皇制が支配する軍国主義国家として侵略戦争を繰り返してきたのだ。富国強兵のスローガンのもと、国民には滅私奉公が強いられた。故なく、近隣諸国民を憎悪し侮蔑する差別感情が煽動される国家でもあった。

74年前の8月、敗戦とともに国家の原理は転換した。ポツダム宣言第6項は、「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。」という。この「勢力」の頂点に天皇が位置することに争いの余地はない。8月14日ポツダム宣言受諾をもって、主権は天皇から国民に転換したものと考えられる。

74年前の敗戦の日は、日本の近代を分かつ日であった。戦争と平和と。天皇主権と国民主権と。国家主義と人権尊重と。戦争終結の記念日は、天皇支配終焉の記念日でもあり、国民主権・民主主義・人権尊重の国家が再出発した記念日とも重なる。

本日。戦争責任を自覚することも表明することもないままに亡くなった当時の天皇(裕仁)の孫が、天皇(徳仁)として全国戦没者追悼式で式辞を述べた。そのなかに前天皇(明仁)の式辞とほぼ同文の次の一節がある。

「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、全国民とともに、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」。

この文言が、内閣の助言と承認を経てのものであるかについて疑義なしとしないが、「深い反省」の言葉があることは、注目に値する。同じ場での首相・安倍晋三の式辞には、反省も責任の一言もないのだから、印象際だつものがある。憲法前文のフレーズを引用して、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことをせつに願い」と言っていることも、同様である。

ただし、天皇の「深い反省」は曖昧模糊としたものである。天皇は、「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と述べたが、過去を顧み」とは、どのような過去の歴史をどのように顧みたのだろうか。戦争の惨禍をもたらした天皇の責任についての自覚はあるだろうか。過去の侵略戦争が、天皇が唱導した聖戦とされていた歴史的事実を十分に顧みているだろうか。「上官の命令は天皇の命令」として軍規を律した過去についてはどうか。天皇制否定の思想を死刑に値する犯罪とした治安維持法をもって平和運動を弾圧した過去などは、天皇の脳裏にあるだろうか。

「深い反省」とは、いったい何をどう反省しているのだろうか。まさか、負けるような戦争をしたことではあるまい。戦争をしたこと自体であろうし、戦争するような国を作ったことの反省でなくてはらない。「反省」には責任がともなうことは自覚されているだろうか。どのように責任をとるべきだと考えているのだろうか。

今、私たちは、再び戦前の過ちを繰り返してはならないことを自覚しなければならない。言論の自由を錆びつかせてはならない。好戦的な政府の姿勢や、歴史修正主義の批判に躊躇があってはならない。附和雷同して、国益追求などのスローガンに踊らされてはならない。近隣諸国への差別的言動を許してはならない。平和憲法「改正」必要の煽動に乗じられてはならない。

かつての臣民に戻ることを拒否しよう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者からも、権威あるとされる者からも、操られることを厳格に拒否しよう。

権力や権威を批判する「言論の自由」を死守しよう。そして、一切の差別につながる言論を拒否しよう。平和を擁護するために。次代に、平和な社会を手渡すために。
(2019年8月15日)

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