澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

王妃に対する国民の熱狂とその後

昨日(11月10日)のこと。普段の日曜日には都心を散歩するのだが、この日の都心の空気は穢れているとの思いもあり、不愉快な警備や人出も避けたくもあって、早朝から郊外に疎開していた。もうよかろうと疎開先からの帰途、貴重な経験に遭遇した。

夕刻5時過ぎ、東京駅から丸の内線に乗ったら、例のパレード見物帰りと思しきオバサン連の座席の前に,対面して立つ羽目となった。そのオバサン連の、周りを憚らぬ会話が耳にはいってくる。「とても、可愛らしかったわね。」「見に行ってよかったね」。どこかからか都心まで「見に来た」人たちなのだ。

そのうちの一人が、少し遠くの座席の人を指さして、「あら、号外を読んでいる人がいる。どこでもらえたのかしら」と大きな声。このタイミングで、私も声を上げた。「号外って、何か事件があったのですか」。案の定、「ほら、天皇陛下の祝賀のパレードよ」とのたまう。「わざわざ号外が出たというのは、パレードに事故でもあったんですか。まさか爆弾でも?」「なにもないわよ。みんなでお祝いしましょうということ。」「お祝いだけで、号外まで出たんですか」。そんなつまらないことで「号外」ですか,とまでは口にしなかったが、さすがにその雰囲気は伝わって、場は白けた。オバサン連の表情は硬くなった。

どういう反応があるのだろうと、敢えて言ってみた。「ボクには、まったく理解できない。どうして、税金だけで暮らしている夫婦を、みんなでチヤホヤしようというんでしょうかね」
誰からも返答も反論もなかった。「ヘンクツなオジさんが、ヘンなことを言っている」と、そう思われたに違いない。それ以上の会話は続かなかった。しばらくの沈黙のあと、オバサン連は小さな声で内輪の話をはじめた。
「写真はどこかで手に入るしら」「もうすぐ、皇室カレンダーが発売になるでしょ。あれに載っているよ」「皇后様は、皇后になってからきれいになったんじゃない?」「堂々としているように見えたわね」「やっぱりオーラを感じるよね」…。もっぱら関心は、新皇后の容貌や振る舞いに集中している様子。普段付き合う人からは聞かれぬ言葉を生で聞いた思いだった。

こんなとき、私は上手に会話ができない。もう少しやわらかく、パレードの様子を聞き、彼女たちの感動に耳を傾ければ会話がつながっただろうと思う。そうすれば、もっと、貴重なホンネを聞けたかも知れない。どうして、どの程度に、皇室に親近感を持っているのかを。そのミーハー的感覚が、象徴天皇制支持にどうつながっているのかを。

本当に私には理解し難いのだ。若い有名人カップルのパレードなら、ミーハー連が群がる心理も分からぬではない。しかし、59才のオジさんと55才のオバサン夫婦が若作りをしたお色直しを、10万人余がわざわざ見物に集まるということの訳が分からない。

ホンネのところでは、この観衆は意地が悪いのではないか。皇后に注目が集まったのは、これまで噂されたいろんな理由からのストレスを抱えて苦しんできたという彼女を「見に来た」のではないだろうか。そんなホンネがあるのかないのか、聞いてみたかったようにも思う。

が、間もなく、私は下車した。オバサンたちは、ヘンなオジさんがいなくなって、再び大きな声でその日に見てきたことの感想を述べあったであろう。誰かは、「いるのよね。ああいう非国民が」と述べたかも知れない。

ところで、1770年5月マリーアントワネットがハプスブルク家からフランスの王太子ルイに嫁いだときは、14才だった。このとき、ルイは15才。その結婚式は、ベルサイユ宮殿で盛大に挙行され、フランス国民は熱狂して美貌の王太子妃を歓迎した。ルイはその4年後に戴冠してルイ16世となり、マリーアントワネットは王妃となった。

そして、1789年7月の大革命を迎えたとき、マリーアントワネットは国民の怨嗟の的となっていた。入牢生活の後、1993年10月彼女は広場の大群衆が見守る中、ギロチン台の露と消えた。熱狂して彼女を王国に迎えた同じ国民が、彼女の処刑場では熱狂して「共和国万歳」を叫んだのだという。

もちろん時代も国も異なる話だが、民衆の熱狂は移ろい易くもあり、冷めやすくもあるのだ。
(2019年11月11日)

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