打ち破るべき「あしき前例主義」の最たるものは天皇制である。
(2021年4月10日)
菅義偉内閣は、昨年(2020年)9月16日に発足した。この日の午後9時から首相官邸で新首相として記者会見に臨んだ菅はこう言っている。
「行政の縦割り、既得権益、あしき前例主義を打ち破って規制改革を全力で進める」
さて、「打ち破られるべき悪しき前例主義」とは一体なんだろうか。そして、「悪しき前例主義に守られた既得権益」とはなんだろうか。おそらく、その最大のものは天皇制にほかならない。
今、政府は不要不急の「安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会義」を発足させてヒアリングを始めている。どうも、あしき前例主義の典型としての天皇制を打ち破って、ぬくぬくと既得権益を享受している天皇の在り方を真剣に検討しようという中身ではなさそうだ。菅新政権の公約はどこに行ったのだ。
一昨日(4月8日)、首相官邸で開かれた有識者会義のヒアリングでは、櫻井よしこ、八木秀次、新田均といった面々が、皇位継承資格者を男系男子に限る現行制度の維持を求める意見を述べたという。櫻井は、男系男子のみに皇位継承を認める現行制度を、「これを守っていくことが皇室に対する国民の求心力を維持する方法だ」と主張したという。なんとも、そのバカげた感覚にあきれ果てるしかない。
つい先日、東京五輪の聖火リレーが、女人禁制問題に遭遇した。半田市に伝わる「ちんとろ祭り」で使う舟には、江戸時代以来女人禁制だという。当初は男性ランナーだけを乗せて聖火を運ぶ計画が、「悪しき前例主義」として批判を受け、女性も乗船できるよう半田市が急遽方針を変更した。
打ち破ってみれば、女人禁制など何の根拠も合理性もない愚行でしかないことが明白である。天皇制も、それ自体が、今存在すべきなんの根拠も合理性もない「悪しき前例」以外のなにものでもない。さらに、男系男子主義の固守となれば、もはや滑稽でしかない。
改めて日本国憲法14条を読み直してみよう。
「第1項 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第2項 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
第3項 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」
この全ての人間の平等が憲法の精神であり、人類普遍の原理でもある。人は生まれによって差別されてはならない。優遇されてもならない。貴種を認めるということは、即ち卑種をも認めることである。尊い血に対する信仰は、卑しい血に対する差別を前提としている。万世一系とは、恥ずべき差別の歴史ではないか。
憲法体系の中で、天皇の存在が他と調和しない異物なのだ。憲法制定時、天皇(裕仁)は、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」に不満だったと伝えられる。「せめて堂上華族」(高級公家の出自をもつ華族)だけでも残せないものかと口にしていたという。外堀を埋められて、次は自分の身が危ないとでも思ったのであろうか。いずれにせよ、日本国憲法における例外としての天皇の存在は際立っている。
だから、天皇制を「あしき前例主義」と言い、天皇の収入や財産や数々の特権を「既得権益」というのだ。菅義偉よ、その言葉のとおり、この「あしき前例主義」と「既得権益」に挑戦してみてはいかがか。