澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「千の風」になった人の追憶

(2021年12月5日)
 一昨日(12月3日)作家であり作曲家でもある新井満さんが亡くなられた。この人が作詞作曲されたという「千の風になって」という作品に、強い思い入れがある。この歌を捧げられた川上耕さんが、私の親しい友人だからだ。

 「千の風になって」は、作者不詳の英語の詩を、新井満さんが訳詞し作曲したものとされている。そのきっかけは、新井さんと同郷で幼なじみの川上耕さんの妻・桂子さんが亡くなったことだった。桂子さんが亡くなったのは1998年、48歳の若さでのこと。夫と3人の子を残しての逝去。さぞ本人も心残りであり、周囲の方々も心を痛めたに違いない。

 耕さんと桂子さんには、多くの仲間があって桂子さんの死を惜しむ追悼文集が編まれた。この追悼文集に収められた一編に、「千の風になって」の訳詞が紹介されていたという。新井さんは、この間の事情を文藝春秋に「千の風になって・誕生秘話」として、大要次のような一文を寄せている。

 私の幼なじみだった川上耕さんは、妻の桂子さんを48歳という若さでなくしてしまった。最愛の妻である桂子さんとの別れは、あまりにも切ないものだった。翌年、彼女を慕う70名以上の人々による追悼文集が作られたが、その中に「1000の風」なる作者不詳の西洋の詩が紹介されていた。

 12行ほどの長さしかないこの詩を一読して、私は心の底から驚いた。この詩の作者が“死者”だったからである。生者が死者の気持ちを慮って書いた詩は、いくらでも見たことあるが、これほど明確に死者が生者に向かって発したメッセージを目にしたのは初めてのことだった。

 私はこの「1000の風」― のちに南風椎(はえしい)さんという方が翻訳したものだと知った ― にメロディーをつけて川上さんに贈ろうと思い、ギターを持ち出した。しかし何度やってもうまく行かなかった。数年後、ふと思いたって今度は英文からの翻訳を試みた。英文を朗読したあと、まぶたを閉じて、この詩のイメージだけを感じようとした。すると、改めて詩の一節にある「a thousand winds」の「winds」という言葉が大きく浮かび上がってきた。

  風 ― 。そう、このとき私は、大沼(北海道駒ヶ岳周辺)の森の中を自由自在に吹きわたる風を想い出していたのである。風、鳥、草木はそれぞれに命を宿し、ざわめいている。そのざわめきは命の音。私はすでに大沼の森の中で、この詩と同じ世界観、“再生されたさまざまな命”に触れていたのではなかったか。

 名も知らぬ作者の心と私の心が何かつながったように感じた。呻吟していたのがウソのように訳語が頭に浮かび、作曲も仕上がった。(30枚ほど作った)CDの一枚は桂子さんの五周忌の会で流され、会場にいた人々はみな一様に涙したという。この詩の力を借り、また大沼の自然の力を借りて、妻を亡くした友人をなんとか慰めることができた。

 私もいずれ死んで風になる。私のお葬式には、この歌をかけてもらえばいい ― 。そんなことも考えていた。

 私が新人弁護士として東京南部法律事務所に参加したのが1971年春のこと。その2年後に、川上耕さんは同じ法律事務所の同僚となった。以来4年余の間、机を並べて法律事務に携わった。もちろん、それだけでなく地域の人権諸活動をともにした。

 事務所の宴会では、彼が十八番の佐渡おけさを唱って上手に踊った。その振り付けを真似た所員一同が列をなして彼の後に続いて輪を作った。そのような場には、桂子さんもたびたび参加していた。

 記憶に鮮やかなのは、桂子さんが国会で意見陳述をしたこと。確か、公職選挙法の文書頒布規制を緩めるべきか否か、という問題。彼女は応募してビラの受け手となる一般人の立場からの意見を述べた。

 南部事務所の何人かの弁護士と事務局員が、耕さんと一緒に傍聴に駆けつけた。私もその一人。応援のつもりだったが、その必要はなかったようだ。桂子さんは、堂々と「選挙ビラの自由な配布を歓迎する」旨を述べた。限られた公式情報では投票に必要な判断材料は得にくい。ビラ配布の自由は「デメリットに較べて、はるかにメリットが大きい」「とりわけ、社会参加が限定されている女性層にとっては」というものだったと記憶している。

 私の子が生まれたときには、夫妻から鳩時計をお祝いに頂戴した。その後、私は盛岡に耕さんは新潟に帰郷して、顔を合わせる機会は減ったが、私のDHCスラップ訴訟弁護団には直ちに参加して知恵を貸してくれた。私が関弁連新聞でのアパホテル記事を問題にしたときにも、精力的に動いてくれた。

 大きなヒットとなった「千の風になって」の、あの歌詞の「私」は桂子さんで、「泣かないでください」と呼びかけられているのが、耕さんなのだ。このことを知ったときには驚いたが、二人のために嬉しくもあった。二人を知る者としては、この歌詞はまことに二人にふさわしいのだ。

 そして今度は、新井満さんが、千の風になって、あの大きな空を吹きわたっていくことになる。こう唱いながら…。

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を 吹きわたっています

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Published in 日曜日, 12月 5th, 2021, at 21:27, and filed under 未分類.

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