澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

集団的自衛権に関する与党協議の成り行きには納得し得ない

集団的自衛権に関する与党協議の展開は目まぐるしいが、実は結論は既に決まっていて、形づくりだけを見せられているのかもしれない。そう思わせる成り行きとなってきた。

飯島勲内閣官房参与がワシントンで講演し、公明党と創価学会の関係について、これまでの政府見解は政教分離原則に反しないとしてきたが、「もし内閣が法制局の答弁を一気に変えた場合、『政教一致』が出てきてもおかしくない」と述べたのが6月10日。政府が解釈変更に至った場合には、「(公明党が)おたおたする可能性も見える」とまで語ったという。これが、集団的自衛権をめぐる与党協議に関し、「来週までには片が付くだろう」との表明に関連しての言及である(時事)。なんという、えげつなさ。なりふり構わぬ露骨な牽制。

これで「公明党がおたおたした」ということなのだろうか。12日には、一斉に「集団的自衛権 公明行使一部容認へ」「公明に限定容認論」「公明、苦渋の歩み寄り」などという見出しの記事が出る事態となった。「公明党は、集団的自衛権を使える範囲を日本周辺の有事に限定したうえで認めるかどうかの検討を始めた」「1972年の政府見解を根拠に政府・自民党に歩み寄った」と報じられている。

公明党が、「限定容認論」の根拠として持ち出したのが、72年政府解釈である。そのさわりは、以下のとおり。
「政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上集団的自衛権を有しているとしても、これを行使することは憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されない、との立場にたっている。
 憲法は、第9条において、戦争を放棄し戦力の保持を禁止しているが、前文において『全世界の国民が‥平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、第13条において『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』を定めていることからも、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは解されない。
 右にいう自衛のための措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。したがって、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」

9条の解釈に、前文の平和的生存権と、13条の幸福追求権とが動員されている。その上での結論は、「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」、つまり個別的自衛権の行使は容認される。しかし、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」、つまりは集団的自衛権の行使は憲法上容認し得ない、というものである。

以上のとおり、72年政府見解とは、集団的自衛権を否定する根拠の説明である。個別的自衛権がかろうじて合憲であることの反面、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとしたのだ。その見解の、その理由をそのままに、集団的自衛権行使容認の根拠に転換しようというのである。だから、「苦汁の歩み寄り」「平和の党の岐路」「支持者への説明がたいへん」などと評されているのだ。

公明党がここまで譲歩すると、自民党はさらに追撃しての譲歩を迫ることになる。本日(13日)の、第6回与党協議において、新たな「叩き台」としての高村私案が示された。「他国に対する武力攻撃が発生し、(日本の)国民の生命、自由などが根底から覆されるおそれがある」場合には、集団的自衛権行使が認められるとするもの。

政府はこれまで自衛権発動の要件を、「(現実に)日本に対する急迫、不正の侵害があった場合」に限定していた。これは個別的自衛権だけを容認してその発動の要件を限定するものとなっていた。高村私案は、集団的自衛権行使を容認するだけでなく、「国民の生命、自由などが根底から覆される『おそれがある場合』」とすることで、個別的自衛権の行使の要件についてまでも緩和するものとなっている。どさくさに紛れて、あわよくばそこまで、という底意が見えている。

本日の会合で、高村氏は私案を「閣議決定案の核心部分に当たる」と説明したという。さすがに、公明側は即答を避けたようだが、押し切られそうな雰囲気。既に、集団的自衛権の「限定承認」は既定事実化し、今国会の会期内にできるか否か、時期だけの問題となったように報道されている。

衆目の一致するところ、公明は自民から「政権離脱の選択肢はない」と足下を見られての結果なのであろう。結局は、「できるだけの抵抗はしてみましたが、相手が強引でやむをえません」という風情。「これくらいの形づくりで、ご勘弁いただきたい」という姿勢に見える。それでは、自党の支持者だけではなく国民を納得させることができない。結局は、公明は憲法の平和主義蹂躙に手を貸したことになってしまう。それでよいのか、公明党。
(2014年6月13日)

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