澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

梅原猛も「平和憲法擁護」論者である

本日(5月27日)の東京新聞夕刊文化欄に、梅原猛が「平和憲法について」と題した論稿を寄せている。話題とするに値する。

書き出しはこうなっている。
「改憲論議が盛んであるが、私は、‥『九条の会』の呼びかけ人に名を連ねたほどの頑固な護憲論者である」

ところが、この「頑固な護憲論者」の9条論は戦力の不保持を主張しない。護憲勢力とは見解を異にして、「自衛隊という軍隊」の存在を当然とする。次のように、である。
「外国からの攻撃に対しては万全の備えをするがけっして外国を攻撃しない軍隊を持つことこそ日本の名誉ある伝統である。それゆえ、自衛隊こそまさに日本の伝統に沿う軍隊であろう」

東アジアの一触即発の危機も、平和憲法の下で解決を図るべきではないかとはするのだが、その根拠については次のように語られる。
「平和の理想を高く掲げ、内に死を賭してたたかう強い軍隊をもつ国には容易に外国が攻めてくるとは思われない」

要するに、侵略戦争と自衛戦争とは峻別できることを前提として、平和の維持のためには、自衛力たる強い軍隊が必要だというのである。死を賭してたたかう強い軍隊をもつことによって、他国からの侵略を防止することが可能とまで言うのだ。

梅原は、侵略する他国があり得ることを前提に、自衛のための軍隊が必要だという。が、同時に、その軍隊はけっして外国を攻撃しない、専守防衛に徹するというのだ。梅原流の解釈では、「専守防衛に徹する自衛のための軍事組織」は憲法9条2項に反せず、合憲合法の存在なのである。

その梅原が、「九条の会」呼びかけ人9人のひとりである。梅原こそが、九条の会の幅の広さを示している。梅原の論稿の立場は、我が国の多くの良心的保守派の人々の考えを代表するものと言えるだろう。自衛隊なくして国や国民の安全が守れるだろうか、安保と自衛隊あればこその平和ではないか、というものである。しかし、この人たちは同時に、戦争はご免だ。自衛隊を平和共存のバランスを崩すような強大なものにはしたくない。軍国主義の跋扈もまっぴらだ。そう考えてもいる。このような多くの人々を味方にしなくてはならない。

「九条の会」は国民の多数世論を結集して、9条改憲阻止を目標とする。ならば、専守防衛の自衛力容認論者を味方に付けずして、多数派の形成はあり得ない。9条改憲阻止の課題の焦点は、自衛隊違憲論でも自衛隊解体論でもない。自衛隊縮小論ですらない。9条2項の改憲阻止とは、自衛隊を外国で戦争できる軍隊にしないということなのだ。専守防衛からの逸脱を防ごうということである。

憲法9条2項の現実の機能は、自衛隊がかろうじて合憲であるためには、専守防衛に徹する組織であることを必須の要件とするところにある。政府見解をして、「自衛のために必要最小限度の実力を保持することを憲法は否定していない」「自衛隊は専守防衛に徹する組織であるから「戦力」にあたらない」と言わしめているのは、9条2項あればこそなのだ。

憲法9条2項は、けっして死文化していない。これあればこそ、自衛隊は専守防衛を逸脱して他国で戦争することができない。たとえ、アメリカという大親分の命令でも。

その9条2項は、守るに値する。自衛隊の存在を合憲とする者にとっても、専守防衛でなければならないとするかぎりは。

だから、梅原猛は頑固な9条2項擁護論者であり、「九条の会」の呼びかけ人のひとりであり、貴重な「平和憲法擁護」の同盟の一員なのだ。

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Published in 火曜日, 5月 28th, 2013, at 00:13, and filed under 未分類.

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