澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「上から目線に怒り」という翁長知事発言は、沖縄受難の歴史が語らせたものだ

沖縄は、近代以後唯一地上戦の舞台となった日本の国土である。70年前の今ころ、沖縄は「鉄の嵐」が吹きすさぶ戦場であった。

近代日本の一連の対外戦争はすべて侵略戦争であったから、戦場は常に「外地」にあった。日本人にとって、戦地とは遠い「外地」のことであり、男は海を越えて戦地に出征し、女と子どもは内地で銃後を守った。

ところが、太平洋戦争の末期、本土の都市や軍事施設が空襲や艦砲射撃を受けるようになり、ついに沖縄が凄惨な戦地となった。まったく勝ち目のない戦争。時間を稼いで本土への米軍の進攻を遅らせることだけが目的の絶望的な戦場。沖縄は本土の捨て石とされたのだ。

1945年3月26日、米軍は慶良間諸島の座間味島に上陸する。日本軍の指示による住民の集団自決の悲劇があったとされるのはこのときだ。本年3月2日の当ブログで紹介した松村包一さんの詩が次のように呟いている。

  集団自決せよとは
  誰も命令しなかった--という
  が 生きて虜囚の辱めを受けるなと
  手榴弾を配った奴はいる

そして、4月1日早朝、米軍は沖縄本島読谷村の楚辺海岸に上陸する。この日、日本軍沖縄守備隊の反撃はなく、その日の内に米軍は読谷、嘉手納の両飛行場を制圧する。以来、米軍は南北両方向に進攻を開始し沖縄全土が戦場と化した。6月23日に日本軍の組織的抵抗が終息するまで、沖縄の地形が変わるほどの苛烈な戦いが続いて、3か月間での死者数は20万人余におよんだ。知られている、ひめゆり部隊や健児隊の悲劇は、そのほんの一部に過ぎない。

沖縄県平和祈念資料館のホームページに、「平和の礎」に刻銘された戦死者の総数と国(県)別の内訳について次の記載がある。
「平成25年6月23日現在の241,227名(の内訳)は次のようになっています。沖縄県149,291名、県外77,364名、米国 14,009名、英国 82名、台湾 34名、大韓民国 365名、朝鮮民主主義人民共和国82名です。」

生身の人間の命を統計上の数字と化してはならない。戦死者数24万余。これだけの数の痛み・恐れ・悲しみ、そして絶望の末の死という悲劇があったのだ。

翁長・菅会談がおこなわれた4月5日は70年前小磯国昭内閣が政権を投げ出した日に当たる。4月7日に急遽鈴木貫太郎内閣が成立し、この内閣が降伏を決意することになる。小磯は陸軍大将、鈴木は海軍大将、ともに最高級の軍人であった。

鈴木は、後継首班指名の重臣会議では主戦論を力説している。戦後、彼はこれを陸軍を欺くためのカムフラージュだというが真偽のほどは分からない。沖縄で、20万の命が失われているそのとき、最高責任者である天皇とその重臣たちの関心は、沖縄県民の命ではなく、天皇制護持のみにあった。主戦論も和平論も、国体護持にどちらが有益かという観点から述べられたものである。

1944年7月、3万の死者を出したサイパン玉砕を契機に東条英機内閣が辞職した。以来、誰の目にも日本の敗戦は必至であった。しかし、天皇とその部下たちが戦争終結を決断できなかったのは、何よりも国体の護持にこだわったからである。

近衛奏上文が下記のごとく述べているとおり、支配層は敗戦よりも戦後の民主化に恐怖を感じていた。近衛の早期和平論は、その方が国体護持に有利だからというものである。
「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。敗戦は我が国体の瑕瑾たるべきも、…敗戦だけならば国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体の護持の建前より最も憂うるべきは敗戦よりも敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に御座候」

国体護持に保証を得る時間を稼ぐために、沖縄は捨て石とされ無辜の住民が殺害された。終戦が半年早ければ、あるいは1945年の年頭から本気で降伏交渉を開始していれば、東京大空襲の無残な被害も、沖縄地上戦の惨劇も、広島と長崎の悲劇も防げたのである。

その責任を負うべきは、まずは天皇であり、その側近である。このことを曖昧にしてはならないが、沖縄を犠牲にして焦土化をまぬがれた本土の国民も応分の責任と負い目を感じなければならない。

太平洋戦争を遡って、沖縄の受難の歴史は島津侵攻から始まる。さらに武力を背景とした明治政府の琉球処分があって、戦前の差別と抑圧がある。沖縄地上戦の悲劇のあとには占領の悲劇が続く。このときも、昭和天皇(裕仁)のGHQ宛て「天皇メッセージ」によって沖縄占領が継続され、米軍の土地取り上げと基地被害が深刻化する。そして、1972年の本土復帰は基地付き核付きのものとなって現在に至っている。

沖縄の本土に対する怒りは察するにあまりある。「上からの目線で『粛々』ということばを使えば使うほど、沖縄県民の心は離れ、怒りは増幅していく」という、昨日(4月5日)の翁長知事の発言は、よほど腹に据えかねてのこと。これは、長い沖縄県民の受難の歴史が、知事の口を借り語らせたものと知るべきだ。心して聞かねばならない。

沖縄の痛みは日本国民の痛み。沖縄の平和は日本の平和だ。新基地建設を拒否する毅然たる沖縄の態度に心からの拍手で、連帯の気持を表したい。
(2015年4月6日)

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