澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

街頭で「法的安定性」問題を訴える。

皆さん、ご近所の弁護士です。今日も、夕刻から国会の周囲はデモ隊で埋まっています。国会のまわりだけでなく日本中の辻々で、戦争法案反対の声が盛りあがっています。日本共産党文京地区委員会は、今週と来週の毎日「ストップ戦争法案 夕方街頭宣伝」を行っています。たまたま今日は、その場所が本郷三丁目交差点。近所ですから応援のビラ撒きにやって来ましたが、予定外の飛び入りで、マイクを握ります。少しの時間耳を貸してください。

今年は終戦70周年。70年前の今頃、日本は絶望的な戦争の真っ最中でした。7月26日にポツダム宣言を突きつけられ、その受諾を勧告されていたのです。しかし、国民のほとんどは、そんなことは知らなかった。「もうすぐ、本土決戦だ」「今に神風が吹く」、あるいは「撃ちてし止まんあるのみ」と言っていた時期です。

重臣近衛文麿が天皇に上奏文を提出して、「敗戦は必至。一億総玉砕など避けなければならない。軍部を粛正することで英米中と和睦を」と提案したのが、2月14日のこと。正確な情報をもっている者には、それ以前から日本の敗戦が明らかでした。しかし、愚かな天皇は、国体の護持にこだわり「もう一度戦果を挙げてからでないと」と言い続け、無条件降伏に追い込まれたのです。この間に、東京大空襲があり、沖縄地上戦があり、広島と長崎の悲劇があり、ソ連参戦の事態に至ってのようやくの降伏。半年早く降伏していれば、どれだけの命が救われたことでしょうか。

何と愚かな戦争で、かけがえのない国民の命が奪われてしまったのか。70年前の日本国民は、戦争の惨禍を骨身にしみて、再び戦争を繰り返さないことを誓って新しい国を発足させました。その思いの結実が日本国憲法にほかなりません。

再び戦争の悲惨を繰り返さないためにはどうしたらよいか。まずは、為政者にすべての戦争を禁止しよう、そして戦争の道具である軍隊をもたないことを決めよう。それだけではありません。天皇のために命を捨てよという馬鹿げたスローガンがなぜまかり通ったか。民主主義がなかったからだ。国民主権が平和をもたらすだろう。教育の自由も、報道の自由も、何よりも人間の尊重こそが、平和の保障だ。その意味では、日本国憲法は9条だけでなく、前文から103か条の全文すべてが平和を指向した「平和憲法」なのです。

敗戦というこの上ない高価な代償をもって日本は貴重な平和を手に入れました。その貴重な平和は、曲がりなりにも70年続いてきました。しかし、その平和が大きく崩れようとしています。今、国会で審議が進行している戦争法案によってです。安倍首相は、「戦争法案とレッテルを貼るのは怪しからん。これは『平和・安全保障法制』だ、と言っていますが、欺されてはなりません。国会での議論の内容は、どのような条件が整ったら日本は戦争を始めることができるか、というものなのです。まさしく、戦争法案というのがふさわしい。

これまでは、専守防衛が国是でありました。日本がどこかの国から現実に武力攻撃を受けた場合にだけ、自衛のための武力の行使はやむを得ない、と認める。これが専守防衛です。しかし、日本が攻撃を受けていなくても、一定の要件が整えば戦争を始めたっていいじゃないか、というのが安倍政権であり、これを支えている自民・公明の与党です。

日本国憲法が制定された当時、保守政権のリーダーたちは、自衛の戦争も否定していました。「古来あらゆる戦争が自衛のためと称して行われてきた」というのがその理由です。

しかし、保守政権は1954年の自衛隊創設以来、専守防衛路線を国是としてきました。憲法9条も自衛権の行使までは禁じていない。専守防衛の装備・編成しかもっていないから、自衛隊は違憲な存在とは言えない。もちろん、集団的自衛権の行使は自衛権の行使とは次元を異にするもので、明確に違憲。そう言い始めて60年が経過したのです。

専守防衛路線は、自衛隊の存在を法的に承認する意味では、オーソドックスな憲法解釈ではありません。しかし、ともかく60年間安定的に続けられてきた行政解釈です。この解釈を前提に、憲法9条とは何なのか、政府のこれからの外交・防衛政策がどうなるか予想ができるものでした。少なくとも、昨年7月1日以前には。

今、礒崎陽輔という首相補佐官が、「法的安定性など関係ない。大事なのは外国からの脅威にどう対応できるかだ」と言って物議を醸しています。彼らのいう法的安定性とはいったいなんでしょうか。実は、「だるまさんがころんだ」のゲームをイメージしていただくと、ことが分かり易いと思います。

鬼は、後ろ向きで「だるまさんがころんだ」と唱える。鬼以外のみんなは、鬼の見ていないうちに動くのですが、鬼の見ているときにはけっして動かない。鬼にすれば、みんな動かないはずなのに、「だるまさんがころんだ」を繰り返すうちに、確実に鬼に近づいて行くのです。

この一見変わっていないように見えるところが、彼らのいう「法的安定性」。憲法9条の解釈は、文字どおりの戦力不保持から、警察予備隊、保安隊を経て、自衛隊の存在容認に。そのあとの海外派遣任務の追加。保有する武器の拡大。防衛庁から防衛省への格上げ。次第に、限りなく一人前の軍隊に近づきながら、しかし、少しずつしか変わってこなかった。このことが「法的安定性」の保持です。しかし、最後の一線としての集団的自衛権行使容認だけはできなかった。「だるまさんが転んだ」流のやり方では、どうしても突破できない。礒崎は、このことを正直に、「法的安定性などにこだわっていたのでは、集団的自衛権行使容認はできない」と言っちゃったのです。これが、「法的安定性は関係ない」の真意です。しかし、安倍政権は、相変わらず「だるまさんがころんだ」でやれるんだという建前で通そうとしている。だから、礒崎がホンネを口走ってしまったので大慌てなのです。

昨年7月1日の、集団的自衛権行使を容認した閣議決定にも、「政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。」と明記されています。しかし明記はされているけれど、それは所詮字面だけの無理な話。論理的整合性も法的安定性も投げ捨ててしまおうというのが、ホンネのところ。そのホンネをついつい口走ってしまったので、礒崎という首相補佐官は、今、野党からも政権内部からも詰められているのです。

これは失言というよりはホンネだ。憲法なんか関係ない。邪悪な近隣諸国から攻撃を受ける危険があるのだから、その対応の方が何よりも重要でしょう、ということです。これが、安倍政権全体の憲法についての考え方を表すホンネ。一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできません。問われているのは、礒崎という補佐官の個人的な資質ではない。安倍政権の姿勢そのものなのです。

皆さん、70年前の熱かった夏を思い起こしましょう。ようやく手にした平和の尊さを再確認しましょう。危険な戦争法案は廃案にするしかありません。議会の中では、与党勢力が多数派で優位のようですが、実は議会外の国民世論においては法案反対派が圧倒的多数です。法案を廃案に追い込めるか否か、これは偏に世論の喚起と国民の行動にかかっています。

皆さん、ぜひご一緒に戦争法案に反対する世論をさらに強くし、危険な安倍政権を退陣に追い込むよう、力を合わせようではありませんか。
(2015年7月31日)

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Published in 金曜日, 7月 31st, 2015, at 23:35, and filed under 戦争法.

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