澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「日の丸九条の会」の不快

富士には月見草がよく似合う。秋の風には鈴虫の音色。
日の丸には、武運長久の寄せ書きがよく似合う。千人針も。特攻も。そして、右翼の街宣車の騒音や暴力団員の鉢巻がぴったりだ。

靖国神社と平和の祈りとは似合わない。ハーケンクロイツと国際協調は似合わない。日の丸と九条も水と油。似合わないこと甚だしい。

この不似合いを無理矢理結びつけた「日の丸・九条の会」なる代物があるという。おふざけの類だろうが、黙っておられない。「日の丸・君が代」の強制に抵抗し、胃の痛くなる思いで、「日の丸・君が代」とたたかっている人たちの神経を逆撫でにする、配慮に欠け品位に欠けた茶番劇。

次には「君が代・九条の会」が生まれるのだろうか。「天皇バンザイ・九条の会」「靖国・九条の会」「歴史見直し・九条の会」と続くのだろうか。不まじめ「日の丸・九条の会」は、お・や・め・な・さ・い。

「日の丸」の権力的強制は、歴史認識に無自覚な人々の「日の丸」容認を背景にしている。社会的な日の丸への敬意表明同調圧力が、国家主義者による強制を可能としているのだ。「日の丸」や「君が代」の社会的容認度を少しでも高める試みを許してはならない。

もちろん、天皇についても、靖国神社についても同じことだ。九条を語る陣営の中から、「日の丸」積極容認の声が出て来るその無自覚さに、唖然とする。

「日の丸九条の会」の設立趣旨・要綱を掲げているサイトがある。
設立趣旨・要綱の全文は以下のとおり。
「日章旗は、過去「日本帝国」の旗頭として使われ、未だその侵略戦争の傷は癒えていない。しかし、これ自体にはなんら罪はなく、デザインも大変に優れており、もとより日本国の象徴として定着している。
ここに、これに愛着をもち「九条も立憲主義もこわすな」と下記の点で賛同する者の緩やかな集まり「日の丸9条の会」を設立する。

1-憲法が権力者を縛るための最高規範であることを認識し、今次の安倍政権の解釈改憲を認めない。
2―日章旗に愛着心をもつことを誇りをもって宣言する。
3―国旗・国歌の使用・不使用につき、誰に対するいかなる強制も嫌がらせも許さない。
4―専守防衛を明確にするための改憲でない限り、日本国憲法9条等の改憲を許さない。
5―侵略のための軍備は許さず、日本の核武装もその計画研究も認めず、非核三原則を堅持させる。
6―アメリカ合衆国を含めどの国の属国化していくことを認めない。
7ー啓発・運動にはもとより非暴力の手法のみを使い、他団体とも随時、共同で行動する。
8ー添付の画像を旗頭とする。
平成27年9月9日

日の丸愛好家にふさわしく、元号を使用しての宣言。おそらくは、右翼にも戦争法反対のウィングを広げるという大義名分を考えての「日の丸9条の会」なのだろう。しかし、各職域の九条の会がそれぞれ真摯さにあふれているのに、このおふざけは人の胸をうたない。運動に資するとは到底考えられない。

また、「日本国の象徴として定着している」との認識は容認できない。東京地裁の判決(2006年9月21日・「予防訴訟」における難波判決)でさえ、「日の丸・君が代」を次のように言っている。

「我が国において、日の丸、君が代は、明治時代以降、第2次世界大戦終了までの間、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあることは否定し難い歴史的事実であり、国旗・国歌法により、日の丸、君が代が国旗、国歌と規定された現在においても、なお国民の間で宗教的、政治的にみて日の丸、君が代が価値中立的なものと認められるまでには至っていない状況にあることが認められる。」

手堅い判決文の中でさえ、「日の丸、君が代が国旗、国歌と規定された現在においても、なお国民の間で宗教的、政治的にみて日の丸、君が代が価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と言われているのだ。これを「日本国の象徴として定着している」と公言することによって、日の丸の社会的認容・定着化に加担することは、この国の保守勢力・国家主義者を喜ばせることで、反動に加担することにほかならない。

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本日午前中は都庁で、都教委と「日の丸・君が代」強制にまつわる問題での集団交渉があった。「日の丸・君が代」強制に抗って処分された人々や、父母の立場の人々による今日の交渉テーマは、「内心の自由の告知」禁止問題。かつては、校長や教頭が、卒業式・入学式の前に、「プログラムでは、国旗に向かって起立し国歌を斉唱するようお願いすることになりますが、日本国憲法は内心の自由を保障しています。ですから、けっして強制にわたるものではありません。飽くまでご協力をお願いするものです」との告知が普通に行われていた。それが、石原慎太郎教育行政が禁止して今日に至っている。そのことが国際的にも問題になりつつあり、文科省も問題と認識しているのだ。

この件に関しての交渉のあと、都庁32階食堂で、リラックスした雰囲気でみんなとランチをともにした。ここで、「日の丸9条の会」が話題となった。もちろん、私が口火を切って話題にしたのだ。弾んだ話しの大要を再構成する。

「私は、あるサイトで「日の丸9条の会」というものを知った。私の感性がどうしてもこれを受け付けない」
「私も見つけた。大きな違和感がある」
「天皇の発言をリベラルだと持ち上げる、あのセンスとよく似ている」
「「日の丸」と九条は両立しないでしょう」
「右へ運動を広げたいのだろうが、目先の小利に目が行って、大事なことが忘れられている」
「軽々にナショナリズムを持ち上げてもらっては困る」
「先日の反原発デモに日の丸が出てきて驚いた。愛する日本を汚すなという意味合いだったようだが、とてもついていけない」
「日の丸を自分の側のシンボルにした途端に、国家や政権と対決する姿勢を見失うことになる」
「一方に、深刻に悩みながら「日の丸・君が代」と対決している人がいるのに、どうしてこんなにノーテンキに日の丸を肯定できるのだろうか」

食事時の会話としては軽さに欠けるが、刺身にワサビだ。耳に心地よい会話で味付けの今日のランチは旨かった。
(2015年9月11日・連続894回)

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Published in 金曜日, 9月 11th, 2015, at 23:49, and filed under 日の丸君が代.

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