澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

参議院議員諸君 この若者の問いかけに真摯に応えよ

議会制民主主義とはいったい何なのだ。昨日(9月15日)が特別委員会の中央公聴会、そして今日(16日)横浜で地方公聴会。公述人の意見に耳を傾けて法案の審議に反映させ、審議の充実をはかるための手続であるはず。ところが、公聴会の前から、採決強行の日程が決められているというのだ。いったい何のための公聴会なのだ。

公聴会とは、国会法64条1項に根拠をおく手続。「委員会は、重要な案件又は専門知識を要する案件を審査するために公聴会を開き、利害関係者又は学識・経験がある者等(以下”陳述人”という。)から意見を聞くことができる。」というもの。「審査するために」「意見を聞く」のだ。誠実に聞くべきは当然で、聞き流してよいものではない。けっして、採決の前提条件を整えるためであってはならない。

議員は、公述の内容に耳を傾け吟味し咀嚼し、その後の審議の糧にしなければならない。当たり前のことだ。ところが、本日の日程は、15時半横浜での公聴会が終わると、委員らは国会にとって返して、18時に委員会を開会するという。ここで総括質問を強行し、あわよくば今日中にも委員会採決まで漕ぎつけようというスケジュールだという。

審議はほんの形だけ、体裁を整えるだけ。本音がまる見えで、もっともらしささえかなぐり捨てたやり口。実は、「法的安定性は関係ない」だけではない。合憲性も合理性も、議論も説得も世論の動向も、一切「関係ない」のだ。ひたすら数の力で押し切ろうというのが自民・公明の腹の中。謙虚に道理に耳を傾け、国民の声を聞こうという姿勢の持ち合わせはない。しかも、専門家の圧倒的多数から違憲と指摘された法案においてのこの手口だ。この強権ぶりは、日本の行く末を思うとき、肌に粟立つ思いを禁じ得ない。

いかなる世論調査も、「今国会での性急な法案採決強行は望ましくない」としている。政府与党は、敢えて国民の声に耳を塞ぎ、なにゆえかくも急ぐのだ。何を恐れているのだ。誰の目にも明らかな議会制民主主義の形骸化は、きわめて危険だ。戦前も議会制民主主義への信頼の衰退が軍部の台頭を招いたではないか。

昨日の公聴会では、法案に反対する立場の4人の公述人が異口同音に採決を急ぐなと述べたという。自分の公述内容を無視することなく、審議や採決に役立てて欲しいという当然の要請であり、抗議である。

その公述人の中では、話題のSEALDsから、明治学院大4年の奥田愛基さんが聞かせた。私の興味を惹く部分を抜粋したい。

「こんなことを言うのは非常に申し訳ないが、先ほどから寝ている方がたくさんいるので、もしよろしければ話を聞いてほしい。よろしくお願いします。」

「私たちは特定の支持政党を持っていない。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えてつながっている。立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、五月に活動を開始した。デモや勉強会、街宣活動などを通じて、私たちが考える国のあるべき姿、未来について社会に問い掛けてきた。」

「第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている安保法制に対する大きな危機感だ。疑問や反対の声は、現在でも日本中でやまない。つい先日も、国会前では十万人を超える人々が集まった。東京の国会前だけではない。私たちが独自にインターネットや新聞で調査した結果、全国二千カ所以上、数千回を超える抗議が行われている。累計して百三十万人以上の人々が、路上で声を上げている。

これまで政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めている。誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、動員的な発想ではない。この国の民主主義のあり方について、この国の未来について主体的に一人一人、個人として考え立ち上がっている。私たちは一人一人個人として声を上げている。「不断の努力」なくして、この国の憲法や民主主義が機能しないことを自覚しているからだ。

「政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい」。この国にはどこかそのような空気感があったように思う。それに対し、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なのだと考えている。

 路上に出た人々が、社会の空気を変えていった。デモやいたる所で行われた集会こそが不断の努力だ。そうした行動の積み重ねが、基本的な人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じている。

 先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会った。七十年前の夏、あの終戦の日、二十歳だった方々は今では九十歳だ。ちょうど今の私やシールズのメンバーの年齢で戦争を経験し、その後の混乱を生きてきた方々だ。そうした世代の方々もこの安保法制に対し、強い危惧を抱いている。その声をしっかり受け止めたいと思う。そして議員の方々も、そうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思う。

 これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決はそうした思いを軽んじるものではないか。七十年の不戦の誓いを裏切るものではないか。」

「第二に、この法案の審議に関してだ。世論調査の平均値を見たとき、はじめから過半数近い人々は反対していた。月を追うごと、反対世論は拡大している。「理解してもらうためにきちんと説明していく」と政府の方はおっしゃっていた。しかし、説明した結果、内閣支持率が落ち、反対世論は盛り上がり、法案への賛成の意見は減った。

 現在の安保法制に対して、国民的な世論を私たちが作り出したのではない。この状況を作っているのは、紛れもなく与党の皆さんだ。安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解しがたいたとえ話を見て、不安に感じた人が国会前に足を運び、また全国各地で声を上げ始めた。

 結局説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の九月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのだから、もう結論は出ている。今国会での可決は無理だ。廃案にするしかない。

 現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないか。世論の過半数は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対している。自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度考え直してはいただけないか。」

 「なぜ私はここで話しているのか。どうしても勇気を振り絞り、ここに来なくてはならないと思ったのか。それには理由がある。

 この法案が強硬に採決されるようなことになれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるだろう。連日国会前は人であふれかえるだろう。次の選挙にももちろん影響を与えるだろう。当然、この法案に関する野党の方々の態度も見ている。私たちは決して今の政治家の方の発言や態度を忘れない。

 三連休を挟めば忘れるだなんて国民をバカにしないでください。むしろそこからまた始まっていく。新しい時代はもう始まっている。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。

 私は学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げる。できる範囲でできることを日常の中で。政治のことを考えるのは仕事ではない。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力だ。私は困難なこの四カ月の中で、そのことを実感することができた。それが私にとっての希望だ。

 最後に私からのお願いだ。個人としての、一人の人間としてのお願いだ。どうか、どうか政治家の先生たちも個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。」

この若者の真摯な問いかけには真摯に応えなければならない。けっして無視してはならない。議員諸君は、個人としてこの問と法案に向かい合わねばならない。もちろん憲法にも。諸君は、ロボットでも操り人形でもなかろう。血の通った生身の人間であろうし、理念を持つ政治家でもあろう。ものを考え自分の頭で判断する能力もあるはずではないか。日本の戦後史のこの重要な瞬間に、諸君はどのように行動しようというのか。

安倍晋三のロボットになり下がってはならない。歴史に悪名を刻してはならない。自分の頭で考えていただきたい。来年選挙の洗礼を受ける立場の議員はなおさらのことだ。奥田君の言葉を借りよう。議員諸君、「自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度考え直してはいただけないか。」そして、「国民をバカにしないでいただきたい」。
(2015年9月16日・連続899回)

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