澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

政府・与党は逃げるなー直ちに臨時国会を開け

本日は10月19日、戦争法案が「成立」したとされたあの日から1か月が経過した。当然のことながら、違憲な法の成立を心理的に受け容れがたい。どうにも怒りが治まらない。今後もこの怒りを忘れまいと思う。毎月19日には、薪に臥し胆を嘗めることとしようと思う。とりあえず本日は、やや安直だが、ブラックの苦いコーヒーにしておこう。

法「成立」の直後、安倍晋三は疲れ切った表情で、「今後、国民の皆さまにご理解いただけるよう、丁寧な説明を重ねていきたい」と語った。丁寧な説明は、法案成立以前になされるのかと思っていた私がおろかだった。国民の納得なくても、とりあえず数の暴力で法は成立させておいて、丁寧な説明は法の成立したあとに行おうという驚くべき論理。いや非論理というべきだろう。

そう考えた私は甘かった。一国の総理の言だ。それ以上にウソが深いとは思わなかった。安倍晋三のことだ。次の機会には体勢を立て直して、そつなく官僚が作った作文を用意して国民に得々と訴えるのだろう。そう考えていた。ところがどうだ。この「次の機会」がなくなりそうなのだ。安倍流の言葉への無責任に絶句の連続である。

安倍による丁寧な説明の「次」の機会として考えられていたのは、常識的に臨時国会である。毎年秋には臨時国会が開かれる。秋は臨時国会のシーズン。歳時記に秋の季語として、「臨時国会」を収載してもよいのだ。ちなみに、近年の臨時国会開会の月日を列記してみよう。当然今年も、今ごろは臨時国会が開かれていてよい時期なのだ。

  2014年 9月29日
  2013年10月15日
  2013年 8月 2日
  2012年10月29日
  2011年10月20日
  2011年 9月13日
  2010年10月 1日
  2010年 7月30日
  2009年10月26日
  2008年 9月24日
  2007年 9月10日
  2007年 8月 7日
  2006年 9月26日

臨時国会を開いてなすべきことは、戦争法についての説明に留まらない。沖縄・辺野古基地新設問題あり、川内原発再稼働問題あり、日中・日韓外交問題あり、TPP交渉公約違反問題あり、「旧3本の矢」の的外れと「新3本の矢」の目眩ましあり、「一億総動員」構築問題あり。また、第3次安倍改造内閣の所信表明も、新閣僚への政策の吟味も必要であろう。何よりも、身体検査なしでの閣僚人事の不備を洗い直し、国会の場での野党による厳しい身体検査が必要ではないか。安倍内閣よ、自公両党よ。逃げてはならない。

通常、国会の会期は与党が法案を通すために機能する。だから、野党は会期の延長には抵抗し、臨時国会の開会には積極姿勢を示さない。ところが、今回は逆の現象が起きている。世論の後押しを背景に、野党の側が国会の外の運動と連携して、政府与党の追及に自信を深めている。政府与党が、逃げ腰及び腰なのだ。久しぶりの珍しい事態。

憲法53条は、臨時国会の開会について、次のように定めている。
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」

内閣がその気にならないのなら、参院野党の結集で臨時国会を開かせることができる。政府はこれに従わざるを得ない。ぐずぐずしていれば、「ビリケン(非立憲)安倍」の名が再浮上するだけではない。「逃げの安倍」「安倍自信欠乏症」「アベのダマシ」の異名が拡がることになるだろう。

昨日(10月18日)の毎日が「臨時国会見送り 立法府を無視している」という社説を掲載している。
「第3次安倍改造内閣が発足したにもかかわらず、安倍晋三首相の所信表明演説も行われぬまま、年明け後の通常国会に先送りするという選択は理解に苦しむ。
 与党は首相の外交日程が立て込んでいることや、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の国会承認を来年の通常国会とすることなどから、召集を見送る方針を固めたのだという。だからといって、見送っていい理由にはならない。憲法は議院内閣制について、内閣は国会に対し連帯して責任を負うと定める。改造人事を行った以上は速やかに国会で首相が所信を表明し、新閣僚の所信聴取を行うことが政府の責任だ。召集見送りは立法府を軽視している。」
というトーンだ。
また、「新閣僚をめぐっては、森山裕農相が代表を務める自民党支部が鹿児島県の指名停止措置を受けた複数の業者から合計約700万円の献金を受けていたことが判明し、返金を表明したケースもある。新閣僚の人選が適切だったかを吟味することも、国会の大切な役割だ。これらの事情にもかかわらず野党の召集要求に応じないのであれば、政府が議論を避けたと取られても仕方あるまい。」とも論じている。
我が意を得たり、の内容である。

ところで、もう一紙「産経」も社説を出している。「臨時国会『見送り』 国民への説明を怠るのか」という表題。一昨日(10月17日)のこと。実はこれがなかなかに辛口なのだ。

「国会を通じて国民に説明すべき内容はいくらでもある。『召集の必要性は感じない』と口にする政権の鈍感さにはあきれる。
 安倍晋三首相の外遊日程が立て込んでいる、などと理由にならない事情を挙げている。国会を開けば、よほど都合の悪いことがあるのか。いらぬ疑いも招こう。堂々と国会を開き、目指す政治の道筋を語るときである。
 政府には、国会で説明を尽くす義務がある。それは国民への説明でもある。召集しなければ党首討論も今年はもう開かれない。国民の理解など進みようもない。
第3次改造内閣は発足したばかりで、新閣僚が国会で最初にすべき所信の表明もまだしていない。来年の通常国会まで先送りするつもりか。
 議題は山積している。質疑や批判に堪えられない仕事をしていると、認めるようなものではないか。」
という調子。

私は、産経をジャーナリズムとして認めていない。権力の広報紙でしかないと考えているからである。その産経ですら、臨時国会見送り問題については、これほどにも批判せざるを得ないのだ。この問題に限っては、産経との「一点共闘」が成立しそうな成りゆき。喜ぶべきか、はた不愉快と叫ぶべきか。思いはやや複雑である。
(2015年10月19日・連続932回)

Comments are closed.

澤藤統一郎の憲法日記 © 2015. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.