澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

教育委員の諸君。まず謝りなさい。反省なさい。そしてあなた方こそ再発防止研修を受けなさい。

めぐり来る春は、卒業式・入学式のシーズンである。東京の春は、「日の丸・君が代」強制の季節。今年も、東京都教育委員会は、懲りることなく全教職員に対して、卒業式では「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」とする職務命令を発した。さらに、これに従えないとする者に懲戒処分を科している。昨日(4月5日)、卒業式の不起立で懲戒処分を受けた教員に対する、服務事故再発防止研修という名の加重懲罰が実施された。早朝8時半。水道橋の研修センター門前に、都教委に抗議し研修受講者を励ます60人が参集した。私も、マイクを握って、研修の責任者である総務課長に申し入れをした。

東京「君が代」裁判弁護団の澤藤です。本日、服務事故再発防止研修受講の業務命令を受け、不本意ながらもこれから研修を受けるためこのセンターに入構する教員を代理して、都の教育委員諸氏と、教育庁の全職員に抗議と要請を申しあげます。

まず、憲法19条を再読いただきたい。
そこには、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と、強い命令形で書かれています。命令しているのは主権者である国民。憲法制定権者でもある国民が命令しているのです。命令されているのは、公権力を担う者。東京都教育委員会であるとともに、あなた方教育庁の全職員が「思想及び良心の自由を侵してはならない」と命令を受けているのです。

誰の「思想及び良心の自由」を侵してはならないとされているか。国籍や地位、身分、年齢や性別、思想・信条などあらゆる区別なく、すべての人に思想と良心の自由が保障されているのです。もちろん、懲戒された教育公務員にも自由が保障されています。

いかなる思想の自由、いかなる良心の自由が憲法上の保障を受けるものであるか。
憲法における自由とは、公権力の束縛からの自由を意味します。強大な権力を持つ国家を暴走させないための憲法なのですから、思想の自由とは何よりも国家が公定する思想の束縛からの自由でなくてはなりません。「国家は正しい」「国家には従うべきだ」「国家は大切なものだ」とする思想を拒絶する自由こそが最大限の保護をうけなければならないのです。

国家が国民に対して、愛国心の涵養を強制することはけっして許されません。自由主義の国家においては、憲法が最も警戒する思想こそ愛国心である、と言って差し支えないのです。

また、究極において、憲法とは国家と個人の関係の規律ですから、国家と国民個人との関係についての考え方こそ、憲法が最も関心をもつ思想領域なのです。この点についての国民の思想は、徹底して自由でなくてはなりません。国家が特定の思想を排斥したり、特定の考え方を押しつけることは許されないのです。国家と個人の関係についての思想こそ、他のいかなるテーマにも増して、幅の広い自由が保障されなければなりません。

ですから、国民は、国家大好きであっても、大嫌いであっても、まったくの無関心であってもいっこうに差し支えないのです。愛国心を強制することは許されず、国家の象徴である国旗や国歌に敬意を表明することの強制は本来憲法が許さないことというほかはないのです。

そして良心です。本日研修を強制される教員たちは、自らの教員としての良心を貫く立場から、「日の丸・君が代」への敬意表明ができなかったのです。戦前、天皇制とあまりに深く結びつき、子どもたちの心を軍国主義一色に染め上げる道具であった、学校儀式での日の丸と君が代。教師を志した初心に省みて、子どもたちの精神の自由を守るために、この歌と旗を受け容れることは出来ないと決意したのです。

本来は、国旗国歌あるいは「日の丸・君が代」への敬意表明の強制からの自由が保障されなければなりません。しかし、今、「日の丸・君が代」が踏み絵となって、思想の転向が迫られ、良心がむち打たれる事態となっているではありませんか。是非このことを理解していただきたいのです。

したがって、本日の研修はまったく必要のないものです。いや、本日予定されている研修はけっしてあってはならないものというべきなのです。東京都の教育委員とあなた方教育庁の職員は、違憲違法な行為を強行しようとしているのです。

研修が必要なのは、日の丸・君が代の強制に屈せず、教員としての良心を守り抜いた教員ではありません。むしろ、あなた方、東京都教育委員の諸君と教育庁の幹部職員にこそ、研修が必要と言わざるを得ません。

とりわけ強く申しあげたい。あなた方は、教員との裁判で12連敗している。正確に言えば、判決と執行停止の決定ととをあわせて、この2年間というもの一貫して負けつづけています。これは重大事だと、自覚してもらわねばなりません。

たった一つでも裁判に負けた場合、都教委の行為が違法と判断されたのですから、まず違法な公権力の発動によって迷惑をかけた相手に対して心からの陳謝をすべきが当然の社会常識です。そして、自分が間違っていた旨を公表し、責任の所在を明確にして、責任者にはしかるべき制裁措置が必要です。それだけでなく、どこでどのように間違えたのかを真摯に反省することによって、再発防止策を見つけねばなりません。そして、その具体策を実行しなければなりません。そして、責任者には再発防止研修を受けさせなければなりません。

教育委員諸君と、あなた方こそが再発防止研修を受けなければなりません。本日の研修の主体と客体はまさに逆転しています。おかしいのです。

教育委員は、教育の本質を学ばなければならない。憲法や教育基本法についての研修を受けなければならない。戦前の教育のどこがどう間違い、それをどのように反省して今日の教育法体系やシステムができているのか。憲法や教育基本法は、教育や教員のあり方をどのように定めているのか。しっかりと十分な理解ができるまで研修を繰り返して、違憲・違法な教育行政の再発防止に努めていただきたい。ついでに、国旗国歌法の制定経過とその趣旨もよく学んでいただきたい。

本日研修受講を命じられている教員は、教育の本質と教員としての職責を真摯に考え抜いた結果、自己の良心と信念に従った行動を選択したのです。このように良心と信念に基づく行動に対して、いったいどのように「反省」をせよと言うのでしょうか。信念にもとづく行為に対して「再発防止」を迫るということは、思想や良心を捨てよと強制することにほかなりません。日の丸・君が代への強制に服しない者への公権力による処分自体が思想・良心を侵害する公権力の発動として許されることではありませんが、これに加えて再発防止研修に名を借りた転向強要は、絶対にあってはならない違法行為といわざるを得ません。

そのような観点から、本日の研修を担当する研修センターの職員の皆様に要請を申しあげます。あなた方が本日行おうとしている研修の強行は、キリシタン弾圧や特高警察の思想弾圧と同じ質の問題を持つ行為です。おそらく皆様には、内心忸怩たる思いがあることでしょう。キリシタン弾圧の役人や特高警察になぞらえられるようなことを進んでやりたいとは思っているはずはない。だが、仕事だから仕方がない。上司の命令だから仕方がない。組織の中にいる以上は仕方がない。「仕方がない」ものと割り切り、あるいはあきらめているのだろうと思います。

しかし、お考えいただきたい。本日の研修受講命令を受けている教員たちは、「仕方がない」とは割り切らなかった。あきらめもしなかった。教員としての良心や、生徒に対する責任を真剣に考えたときに、安易に職務命令に従うという選択ができなかった。

懲戒処分が待ち受け、人事評価にマイナス点がつき、昇給延伸も確実で、賞与も減額され、服務事故再発防止研修の嫌がらせが待ち受け、あるいは、任地の希望がかなえられないことも、定年後の再任用が拒絶されるだろうことも、すべてを承知しながら、それでも日の丸・君が代への敬意表明の強制に屈することをしなかった。この教員たちは多大な不利益を覚悟して、それぞれの良心に忠実な行動を選択したのです。

本日の研修命令受講者は、形式的には、非行を犯して懲戒処分を受けた地方公務員とされています。しかし、実は自分の思想と教員としての良心を大切なものとして守り抜いた尊敬すべき人格、模範的な教員ではありませんか。是非、そのことを肝に銘じていただきたい。

あなたがた研修センター職員の良心に期待したい。その尊敬すべき研修受講者に対して、心して研修受講者の人格を尊重し、敬意をもって接していただくよう要請いたします。
(2016年4月6日)

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