澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

県の姿勢は不公平きわまる。理不尽な獅子さながらではないか。漁民は、ロバでもキツネでもない。人権の主体なのだ。

原告ら代理人の澤藤から、原告準備書面(4)の要旨を口頭で陳述いたします。

原告ら100名は、本訴訟を「浜の一揆訴訟」と呼んでいます。
原告らが居住する三陸沿岸の農民・漁民は、幕末・嘉永弘化の時代に、南部藩政を揺るがす三閉伊大一揆を起こしたことで知られています。この一揆は、歴史上類をみない全面勝利の一揆として記憶されています。原告らは、この一揆に蜂起した農民・漁民と同様の深刻な要求を掲げ、この一揆に蜂起した農民や漁民と同じ心意気をもって、この訴訟に臨んでいるものであることをご理解いただきたいのです。

原告らが要求を突きつける相手は、いまや南部藩ではありません。岩手県庁がその相手となっています。嘉永・弘化の一揆では、1万6000人の大群衆が、聞く耳を持たない南部藩を直接の交渉相手とせず、篠倉峠を越えて仙台領に越訴し、伊達藩に窮状を訴えることによって、その要求を勝ち取りました。いま、岩手県が聞く耳を持たない。やむなく原告らは、貴裁判所に訴えを提起しているのです。

本件のこれまでの双方の主張の交換で、ほぼ争点の輪郭が浮かびあがってきました。原告主張の骨格は次のとおりです。
原告ら100名は、いずれも20トン未満の小型漁船を操業して零細な漁業で生計を立てている漁民です。しかし、3・11震災大津波の被害を受けて、まだ立ち直ることができません。このままでは漁業で生計を立てて行くことに希望がもてない。後継者を育てることもできない。この深刻な事態を切り開いく唯一の方法が、三陸沿岸の主力魚種であるサケ漁を行うことです。

原告らにとっては、目の前の三陸の海に回遊するサケを漁することが、生活をかけた切実な要求なのです。今の持ち船で、固定式刺し網によるサケを獲って、漁業を継続したい。一隻について、年間10トンを上限とするサケ漁。これが、原告らの要求です。

ところが、漁業に関する複雑な法が原告らの前に立ちはだかっています。漁業法65条による委任を受けて岩手県知事が制定した岩手県漁業調整規則は、「知事の許可無くしては、固定式刺し網によるサケ漁まかりならぬ」としています。では、許可をいただたきたいと申請しても、どうしても駄目だという。

その理由は、「三陸のサケは大規模な定置網業者に獲らせることに決めた。その定置漁業の水揚げに影響するから、零細漁民のサケ漁は許可できない」というものです。要するに、「定置網漁に邪魔だからおまえたちに漁はさせない」というのです。これはおかしい。バカバカしいほど偏頗で不公平。南部藩政並みと言わざるを得ません。

公正であるべき行政が、三陸の漁民に三陸沿岸でサケを獲ってはならないというこのことの不合理が準備書面(4)のメインテーマです。

原告らは憲法上の経済的基本権である営業の自由の主体として、憲法上の権利を主張しています。被告はこの権利を制約するきちんとした理由を語り得ていません。せいぜいが、「固定式刺し網漁業を認めると定置網漁業者との間で漁業調整上の深刻な摩擦が生じるから不都合」だという程度。とんでもない。深刻な摩擦は、既に生じているのです。「大規模定置網漁業者対零細漁民間の著しい不公平」という形でです。本件許可はこの不公平と摩擦を緩和するものでこそあれ、拡大するものではありません。

また、被告はこうも言っています。「定置網漁業者の過半は漁協である。漁協は漁民全体の利益を代表する組織だから、漁協の利益を保護するために原告らにサケの漁獲を禁じることは合理性がある」という趣旨。まるで、「お国のためだ。お国を優先して国民は我慢するのが当然」という議論。これは南部藩ではなく、旧憲法時代の大日本帝国の言い分。日本国憲法の経済的基本権がまったく分かっていない立論でしかありません。

今回の書面のやり取りは、被告岩手県知事が徹底した「漁協ファースト」の原理を掲げ、原告が「漁民ファースト」をもって反論している構図なのです。水産業協同組合法を引用するまでもなく、漁協は漁民一人ひとりの利益に奉仕すべき存在。漁民の繁栄あっての漁協であって、漁協のための漁民ではありません。飽くまで「漁民ファースト」が当然の大原則なのです。漁協の健全経営維持のために漁民の切実な要求であるサケ漁が禁止されてよかろうはずはありません。

古来、有限の財貨や資源の配分のあり方に関して必ず引用される古典として、イソップ物語「獅子の分け前」の一編があります。

獅子とロバとキツネが獲物を分配することになり、公平・平等に分けようとしたロバは獅子の怒りを買って喰われてしまいます。残ったキツネは大部分をライオンに与えて、自分はごくわずかな分け前で我慢せざるを得ません。

言うまでもなく獅子は権力の象徴。ロバとキツネはどちらも被支配者ですが、ロバは権力の思惑を忖度しないで弾圧される愚直な正直者。キツネは権力者にへつらって生き延びざるを得ないとする狡猾な利口者。

岩手県庁は、定置網漁業者と一体となった獅子にほかなりません。強大な権力を持ち、ロバやキツネに、傲慢な態度で差別をしてかまわないとしているのです。しかし、本来行政は理不尽な獅子であってはならない。誰にも、平等で公正でなくてはなりません。ましてや、漁民はロバでもキツネでもない。主権者であり、人権主体なのです。そして、漁協は原告ら漁民の便益に奉仕するために作られた組織に過ぎないのです。

もう一つ。被告はこうも言っています。「三陸のサケは孵化事業の成果だ。原告ら漁民は孵化事業に関与していないのだからサケを獲らせろとは言えないはず」。これも理屈になっていません。いま、サケを獲らせてもらえないから、漁民が孵化事業から遠ざけられているだけの話。また、漁協が漁民の利益のために、孵化事業に精励することには合理性があります。孵化事業を行ったから、生育したサケを漁獲する権利があるというものではない。さらに、孵化事業には、多額の公費が注ぎ込まれているという事情もあります。もちろん、国税にせよ、県税にせよ、原告らも担税者なのです。孵化事業による利益を特定の事業者が独占して、原告らをサケ漁から閉め出すことは、著しく正義に反します。

なお、取消請求における手続的違法として、原告が訴状で指摘した理由付記の不備は追完の方途なく、既に結論は決しているものと考えています。

以上が、原告準備書面(4)の骨格です。ご理解いただきたいと存じます。

今回の主張で、手続的違法の問題と、実体的違法の主要な論点である「漁業調整の必要」については、基本的に主張は終えたと考えています。次回には、残る論点である「水産資源の保護培養」の問題について主張を補足するとともに、証拠調べにはいる前の段階における主張整理の書面を提出します。また、人証の申請を予定しています。次々回には、人証の取り調べをお願いいたします。
(2016年10月28日)

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