澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

植物園・太平洋戦争ゆかりの寺院・護憲アート~日曜日の散歩

日曜日。久しぶりに小石川植物園で寛ぐ。喧噪とは無縁の16万㎡。生き返るような解放感。本日初めて見たもの。タヌキノカミソリ、センコウハナビの花。莢にはいったハナキササゲ、ハナズオウ(いずれも豆科)の実。そして、蚊取り線香を焚きながら日本で最も古いとされるスズカケノキの幹を描く画家。

帰りの道すがら、「こんにゃくえんま」に立ち寄った。浄土宗の寺院で、正式な寺号は常光山源覚寺だというが、源覚寺では地元の人にもなじみがないのではなかろうか。

この寺に、鎌倉時代の作とされる像高100センチほどの木造閻魔大王坐像があって、文京区有形文化財に指定されている。これが、「こんにゃくえんま」となったのは、「宝暦のころに眼病を患った女性が、好物のこんにゃくを断って一心に眼病が治りますようにと祈願したところ、夢枕に現れた閻魔が自ら一眼を盲目にし眼病を回復させると言い、そのとおりとなった」という言い伝えからだという。以来、一眼を損なっているこの閻魔にこんにゃくを供えて眼病快癒の願をかける習わしが今日まで続いているという。確かに、いつ行っても閻魔堂にはコンニャクが山と積まれて供えられている。

この寺に戦争に関わるものが多い。まず、鐘楼に「汎太平洋の鐘」がある。この鐘は1660年(元禄年間)に当寺に奉納されたものだったが、1937年に当時日本領だった「サイパン島の南洋寺に転出」したものだという。時期は、日中戦争の時期で、太平洋戦争勃発の前。「転出」の理由は分からない。

1944年太平洋戦争で、サイパン島軍民は玉砕してこの鐘も行方不明になっていた。ところが、1965年に米国・テキサス州オデッサ市においてこの鐘が発見された。その後、1974年になって当寺院に寄贈された、という。

鐘楼の傍らに、小ぶりだが立派な白鳳仏風の菩薩立像ある。「南洋群島物故者慰霊像」と名付けられているもの。サイパンなど南洋群島で犠牲になった人たちを追悼する場として、サイパンに由緒ある当寺に建てられたと、碑文がある。

また、その側には「雲がハシル 学徒が征ク 空ニ 同期ノ華 参千六百」(昭和63年8月15日 二四世徳誉発願)という石碑がある。由緒は定かではないが、当寺の住職が、学徒出陣者の生き残りなのだろうか。「お百度石」も残されている。これも戦時中には、出征した兵士の家族が無事を願って、お百度を踏む者が多かったことだろう。探せば、身近に戦争との関わりの跡は、数多く残されているのだ。

こんにゃくえんまを出ると、すぐ側に古書店があった。大亜堂書店という。なんとなく店名が大東亜共栄圏や大アジア主義などを彷彿させる。これまでは、敬して素通りだった。その店が本日休業だったが、閉まっていたガラス戸に何枚もポスターを張り出していた。これが面白い。絵はお伝えできない、気の利いたキャッチコピーだけをご紹介しよう。

「たった70年だったな とは言わせない」1947年施行 日本国憲法
・安倍晋三の顔を大きく描いて、「一般の国民とは 私に逆らわない 人たちのことです 共謀罪」
・小池百合子の顔をあしらって、「あたしの いちぞんで決めたから 自分ファースト」
・バラの花の画面に「NO NUKES」
・そして、「9条タグカード 無料配布中!」「身につけてくれる方に。どうぞお声をおかけください」「一人一枚限り 対面手渡し」 次の機会にこれをもらおう。そして、身につけることにしよう。

犬も歩けば棒に当たる。戦争の傷痕にも、憲法擁護の声にもあたる。植物園では蚊に食われもしたが、出かけた甲斐(カイイ)もあったというもの。
(2017年8月20日)

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