澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

敬愛する坂井興一弁護士へ。ご質問にお答えします。

坂井興一弁護士から、ときおりメールをいただく。
坂井さんとは、半世紀に近い付き合い。かつては同じ法律事務所で机を並べた間柄。私より2期上の身近な先輩。弁護士としてのあり方の指導も受け、大きく感化も受けてきた。

坂井さんと言えば思い出す。かつて、旧庁舎時代の東京弁護士会講堂の正面には大きな「日の丸」の額が掲げられていた。私が東弁常議委員会において、この日の丸の掲示を外すべきだと提案をしたときの副会長が坂井さん。奔走して私の提案を上手に実現してくれた。他の理事を説得するその手並みに感服したことがある。

その坂井さんの出身地が、岩手県南の陸前高田。浜の一揆訴訟の原告が多いところ。訴訟には関心を寄せて、たびたびの質問があり、私の方もその質問に回答することで問題点の整理をしてきた。

今回は、当ブログ「沿岸漁民の暮らしと資源を守る政策を― JCFU沿岸漁業フォーラム案内」の記事についてのご質問。
http://article9.jp/wordpress/?p=9102

「頭記のことが伝えられていたので、チョット。
①結局、それ(澤藤大河弁護士の発言)は集会の趣旨に反旗乃至は疑問を呈するものなのか、
 それとも基調講演に注文付けてるだけなのか、どっちなんでしょうか。
②沖取りが漁協(プラス県)の放流事業をチャッカリ横取りしてるというのが漁協側の言い分のようですが、
イ、個別の川と取り位置に密接因果があるのか、或いはフラついてるのを獲っているのか、
ロ、待ち構えているのなら、零細側とは云え、聞こえが悪そうですが。
ハ、仮にフラついているものなら、ケシカランとする漁協側の言い分は再抗弁が必要そうだけど、どうなのか、
 ま、何分にも故郷のことなので、手隙の時にでも、よろしく。ではまた。」

お答えいたします。
問① (澤藤大河弁護士の発言)は集会の趣旨に反旗乃至は疑問を呈するものなのか、それとも基調講演に注文付けてるだけなのか。

回答:澤藤大河の発言は、集会の趣旨に反旗乃至は疑問を呈するものではなく、基調講演に注文付けてるだけのものでもありません。「なによりも漁民の生業の確保が第一義で、漁協も漁連も水産行政も、漁民の生業の利益確保のためにこそある」ことを再確認すべきことを提言したものです。

集会の趣旨は、次のようなものでした。
「家族漁業・小規模漁業を営む沿岸漁業就業者は漁民全体の96%。まさに日本漁業の主人公です。全国津々浦々の漁村の自然と経済を守るこの家族漁業・小規模漁業の繁栄無くしては『地方創生』などありえません。ここでは、沿岸漁民の暮らしと資源、法制度をめぐる問題をとりあげ、日本の漁業政策のあり方をさぐります。」

集会の基調は、「小規模漁業繁栄のためには漁協の力量をつけることが大切」というもの。しかし、「浜の一揆」訴訟では、「漁協の繁栄のために、小規模漁業をぎせいにしてはならない」ことが訴えられています。

「浜の一揆」訴訟は、行政訴訟として県知事を被告とし、県の水産行政のあり方を問うものとなっています。その訴訟での被告岩手県知事側の言い分は、詰まるところ「漁協が経営する定置網漁の漁獲を保護するために、零細漁民のサケ刺し網漁を禁じることに合理性がある」として一歩も引きません。「漁協・定置漁業権」が、零細漁業者の経営を圧迫してもよいというのです。

浜の一揆の原告たちは、けっして漁協や漁業権を敵視しているわけではありません。しかし、漁協の存立や大規模な定置網漁の収益確保を絶対視して、零細漁民の権利を認めないとなれば、漁協にも、大規模定置漁業者にも譲歩を要求せざるを得ません。日本漁業の主人公は小規模漁民にほかなりません。けっして漁協ではないのですから。

キーワードは、「漁協の二面性」です。すべての中間団体に宿命的にあるもの。横暴な大資本や国と向かい合う局面では、漁民を代表する組織としてしっかりと漁協・漁連を擁護しなければなりません。しかし、組合員個人、個別の零細漁民と向かい合う局面では漁協は強者になります。そして、零細漁民の利益と対立するのです。

浜の一揆の原告たちの要求は、「大規模な定置網漁をやめて、漁場も漁獲も自分たちに解放せよ」と言っているわけではありません。「漁協の自営定置も、大規模な業者の定置網も認める。でも、一人について年間10トン、総量にして1000トンの刺し網漁を許可してほしい」と言っているだけなのです。

これに対して、「漁協の定置網漁の漁獲高に影響があり得るから一切許可できない」というのが県の立場。これって、おかしくないですか。ひどい話ではありませんか。不公平ではありませんか。

言うまでもなく、漁協は漁民に奉仕するための組織です。
水産業協同組合法第4条は「組合は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」と規定します。これが、漁協本来の役割なのです。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とするなど、法の理念に真っ向から反することではありませんか。

9月8日法廷で、被告県側の申請による濱田武士証人も、「漁協は協同組合ですから、一人がみんなのために、みんなが一人のためにという理念の組織です」と言っています。残念ながら、この理念のとおりには漁協は運営されていません。原告漁民の実感は、「一人ひとりの漁民には漁協・漁連のために」が強制され、「漁協漁連は漁民のために何もしていない」のです。

漁民の利益を代表してこその漁協であり、漁民の生業と共存してこその漁業権であることを再確認する必要があります。それが、私たち「浜の一揆」訴訟の基本的な立場であることをご理解ください。

集会では、大河弁護士の報告のあと、「漁協の二面性の指摘は重要」「民主性が徹底してこそ、漁業の力量が発揮できる」と司会がまとめています。

問② 「沖取りが漁協(プラス県)の放流事業をチャッカリ横取りしてるというのが漁協側の言い分のようですが」

回答:その問の発し方にそもそも問題があります。定置網漁の主体が、漁協であろうと株式会社であろうと、サケを独占する権利は誰にもありません。ですから、誰が誰に対しても「チャッカリ横取り」ということはあり得ないのです。但し現状は、一般漁民のサケ漁を禁止して、漁協の定置網漁が「チャッカリ横取り」しているというべき事態であることをご理解いただきたいのです。

三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点です。憲法22条1項は営業の自由を保障しています。漁民がサケの漁で生計を建てることは憲法上の権利であって、原則自由なのです。

このことは、サケの孵化放流事業があろうとなかろうと、また孵化放流事業主体が誰であろうと、変わりません。孵化場内の卵や稚魚の所有権は、孵化場経営者のものです。しかし、稚魚が河川に放流されるや、無主物になります。この稚魚は、降海し、ひとまずオホーツク海に渡り、さらにベーリング海峡付近で、回遊して北太平洋の自然の恵みを得て成長し、3年魚、4年魚と性的成熟期を迎えて三陸沿岸に帰ってきます。そして、その多くが母川を見つけて産卵のために遡上します。

この北太平洋で育ったサケを、母川の近くで一網打尽にする大規模漁が定置網漁で、場所を決めずに漁師の腕で位置を決めて網を下ろし、小型漁船で獲ろうというのが刺し網漁。

三陸沿岸のサケの漁獲高は最高年に7トン。本件申請時まではほぼ年間2万トン。そのうち、「1000トンだけを刺し網で獲らせていただきたい」というのが、原告らの要求なのです。

ですから、「(刺し網漁者が)待ち構えているのなら、零細側とは云え、聞こえが悪そうですが。」というご懸念は無用なのです。もともと、誰にもサケを獲る権利がある。無制限に獲るとはいわない。せめて、「一人年間10トンまでの許可を」という行政への申請が許可されてしかるべきだと確信しています。

また、孵化放流事業は利益を生みません。インフラ整備事業に似ています。事業コストの大半は、公費の補助金。残りは成魚の漁獲者からの、漁獲量に応じた負担金です。公金による事業の成果が、一部のものだけの利益として享受されてよかろうはずはありません。

もちろん、営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能です。このことは、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約できないということでもあります。

具体的には、漁業法65条1項にいう「漁業調整」の必要、あるいは水産資源保護法4条1項の「水産資源の保護培養」。そのどちらかの必要あれば、制約は可能なのですが、県はそのような整理もできていません。「取扱方針」なる内部文書に適合しないから不許可だ。つまり、自分で決めた規則を金科玉条にしているだけ。

最終的には、「漁業調整」とは何だ。その指導理念である漁業の「民主化」とは何だということに尽きるのだと思っています。弱い立場の、零細漁民に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行としか考えられません。

「漁協あっての漁民」という主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないでしょうか。「漁協も漁連も、海区漁業調整委員会も、そして行政も民主的な手続にしたがって運用されている」「だから、既に民主化は達成されているのであって、一々漁民が文句をいうな」。これが県の立場であり発想というしかありません。

未成熟な民主主義と、人権原理との葛藤の局面です。行政の不備を補う司法の出番だと、坂井さんならご理解いただけるのではないでしょうか。
(2017年9月10日)

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