澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

再び、「落胆はすまい。さらなる怒りの持続を」

稀代の悪法「特定秘密保護法」が成立となった。
憤懣やるかたない。改めて安倍政権の暴挙に怒りをぶつけたい。安倍晋三も、森雅子も、この悪法とともに歴史に悪名を残すことになろう。

実のところは、落胆もしている。この国は、本当におかしくなってしまったのではないか。これから先を考えると暗澹たる思いを拭えない。
啄木の歌が思い起こされる。
「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く」
1910年、この年の5月から大逆事件の逮捕が始まり、8月29日に日韓併合となっている。その年のもの。時代の暗さを受けとめた詩人の心象風景が、今日は良く分かる。

しかし、啄木自身の時代への抵抗は精神的なものにとどまった。組織に属することはなく、社会に影響する行動もしていない。彼自身が、「ヴ・ナロード」と叫んではいないのだ。100年後の我々は、啄木とは異なる。多くの人とともに、デモをし、シュプレヒコールをあげ、街頭で訴えてきた。なによりも、志を同じくする議員を国会に送ってもいる。そして、これで終わりではない。運動は明日も続くのだ。啄木の感傷に同感してばかりはいられない。

客観的に冷静に事態を振り返れば、法案に反対する勢力は敗れはしたがよく闘った。意義のある闘いに、実のある成果すらあげた。安倍政権と自・公の両党は、法案をゴリ押しして成立させはしたが、深手を負ってのこと。国民に、彼らの危険な本性を見せつけたではないか。ありとあらゆる各界の広範な人士から非難囂々の醜態をさらしたではないか。法案の内容の危険だけでなく、この理不尽なゴリ押しの過程が政権の反憲法的な危険性を露わにした。自・公という政党の体質の非民主主義的な体質の危険までが明瞭となった。政権と与党に、法案成立のプラスと、世論から指弾のマイナスとを計算すれば、損得勘定の帳尻があったはずはない。

第1次安倍政権の歴史を思い起こそう。高支持率で調子に乗って、教育基本法改悪や改憲手続き法制定などに「安倍カラー」を発揮して、急速に国民からの支持を失ったではないか。そして2007年参院選で歴史的大敗を喫して政権を投げ出し、史上最高の「みっともない退陣」劇を演じたのが安倍晋三だったではないか。

今回、安倍政権は、真っ当なジャーナリズム、心あるジャーナリスト、およそ真面目なすべての表現者を敵に追いやった。おそらくは彼の計算にはなかった想定外のこと。コントロールもブロックもできなかった。これは、第2次安倍内閣の、「終わりの始まり」と言ってよい。

実は、特定秘密保護法は、安倍内閣がたくらむ「悪法パッケージ」の一つである。主要な一つではあるが、これからもぞろぞろと「悪法」の提出が続く。特定秘密保護法反対運動で築いた抵抗運動の陣地を固めて、ここから新たな運動を始めることができるのであれば、次は法案を阻止することができる。それだけではない。安倍内閣そのものを倒して、もっとマシな政権にすげ替えることも可能になる。

日本版NSC設置法と特定秘密保護法に続いて提案が予定されている「悪法」のパッケージとは、
*集団的自衛権行使容認の解釈変更
*国家安全保障基本法の制定
*防衛計画の大綱の改定
*日米ガイドラインの改定
などである。

とりわけ、国家安全保障基本法は事実上憲法9条を直接に蝕む危険な戦争準備立法である。まだ条文化されて法案とはなっていないが、昨年7月に「概要」12か条が公表されている。

改めて、自分に言い聞かせている。
「落胆などしている閑はない。さらに怒りを燃やそう。この怒りを持続させよう」

成立した特定秘密保護法については、施行まで一年の政権の動きを監視しよう。そして、果敢に情報公開を求めよう。情報の公開を通じて、行政の透明性と説明責任の確立を求めよう。

さらに、特定秘密保護法反対に立ち上がった多くの人々との連帯を固くし、次の安倍政権のたくらみを阻止しよう。次は、「国家安全保障基本法」の制定と「集団的自衛権行使容認の解釈変更」とを阻止する課題に取り組もう。

その運動の先に、かくも危険な安倍政権打倒の展望が開けるはずだ。
(2013年12月7日)

「前夜」ーこの言葉の重い響き

12月6日は、もうすぐ終わろうとしているが、特定秘密保護法はまだ成立していない。多くの国民の院外での声を背景に、参議院では野党が奮闘している。この抵抗の精神の持続が必要だと思う。

今日も道行く人に語りかけた。反応は様々。街宣活動参加者の怒りのボルテージと、道行く人の心境とは明らかに隔たりがある。その温度差は当然といえば当然なのだが、昨日の特別委員会強行採決への怒りが治まらない。自ずから、マイクの声にもトゲが混じる。

「ご通行中の皆様、私たちは今参議院で審議中の特定秘密保護法案の廃案を求める宣伝活動を行っています。昨日の特別委員会強行採決には怒りを禁じ得ません。ぜひ、ビラをお読みください。
皆さん、『自分には関係ない』とおっしゃっても、この法案の方は、あなたに無関係と放っておいてはくれません。この法案が通れば、必ず、あなたの権利や自由に影響が及ぶことになる。少なくとも、確実にジャーナリズムは萎縮する。私たちは知る権利を害される。
それだけではない。昔、軍機保護法という法律がありました。陸海軍大臣が思いのとおりに、軍事秘密を指定します。すると、飛行場も、港湾も、気象も、地震の被害も、空襲被害も一切秘密。写真も禁止、スケッチも禁止、喋ってもならない。うっかり喋るとスパイにされたのです。気象は軍事秘密でしたから、天気予報はなくなります。台風の予報もされなくなる。戦時中は、そのような時代でした。特定秘密保護法はこれと同じ構造の法律です。『大本営発表の時代』が到来しかねません。
今日は平和なようですが、この平和がいつまで続くことになるか。私たちが、大事なことを、他人任せ、安倍晋三任せにしていますと、『こんなはずではなかった。あのとききちんと反対しておけばよかった』となりかねません。今ならまだ、声を出せる。反対の声をあげられる。皆さん、ぜひ、特定秘密保護法に反対を…」

帰宅したら、「前夜」という書籍が届いていた。
私と、梓澤和幸弁護士と岩上安身さんとの鼎談を書籍にしたもの。330頁を超えるボリューム。
その帯が、
「There is still time.
もう間に合わない時に、こんな悲しい言葉を口にしないために、
Point of No Return(帰還不能点)を越える前、今なら戻れる!!」
「二つの憲法(「現行日本国憲法」と「自民党改憲草案」)を徹底解剖し比較しながら、ギリギリまで来た、前夜、日本の状況を読み解く。」
というもの。そういう意味の「前夜」なのだ、うかうかしていると再びの戦前の「前夜」になるぞ、という警告。 

惹句は、
「日本国憲法と自民党改憲案を読み解く
12月11日発売!
岩上安身+梓澤和幸+澤藤統一郎
A5判並製 336頁
定価2500円+税
日本国憲法と自民党改憲草案を序文から補則まで、延べ40時間にわたり逐条解釈し、現在の世界状況を鑑み、両憲法(案)の根本的相違を検討した画期的憲法論。細かいことばの解釈、250項目にわたる詳細な注釈で、高校生でも、分かりやすい本」なのです。

ご一読いただくよう、お願い申しあげたい。
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「デモ」があるからデモクラシー
デモを禁じて「テロ」クラシー
情報操作で「デマ」クラシー
ヒミツだらけの真ん中に
鎮座まします「アベ」クラシー

A級戦犯生き延びて、満州国の夢の中
祖父なる「キシ」の遺志受けて
執念燃やす「アベ」クラシー
真理も歴史も自分流

右の耳だけよく聞いて
左の方は聞こえない
有象無象の取り巻きの
コントロールとブロックで
聞きたくないことシャットアウト

明るい顔して朗らかに
「美しい国日本」を
ヒミツの渦に投げ込んで
してやったりと高笑い

憲法9条目の敵
デモクラシーは大嫌い
「靖国」大好き、
参拝したくて気がはやる
平和憲法投げ捨てて、
持ちたき物は国防軍

「アベ」クラシーには「デモ」がない
「デモ」は大衆、主権者だ。
「デモ」の怒りは沸騰寸前

「奢れる者は久しからず」
これが、「美しい国日本」の
歴史・伝統・文化なり
そっ首洗って、待ちおろう

満身の怒りを込めて自民・公明の両党に抗議する

参議院前の舗道。国家安全保障特別委員会の審議打ち切りと強行採決に怒りの叫びが渦巻く。これこそ主権者の声。
  自民党よ、恥を知れ。
  公明党よ、恥を知れ。
  強行採決は認めない。
  委員会へ差し戻せ。

この強行採決には声もない。これは民主々義ではない。これは国民主権下の議会ではない。これは、平和な国の出来事ではない。この非民主主義的な法案審議のあり方は、その内容が民主々義を蹂躙するものであることを雄弁に物語っている。こんな与党に、こんな政権に、秘密の指定も管理もさせられるはずもない。

小選挙区制のマジックによる水増し議席に胡座をかく、傲慢極まりなき自民党。そして、暴走自民党のエンジンにアクセル役を買って出ている公明党。その罪の深さを知れ。そして、恥を知れ。

政権と与党とは、なにゆえに、かくも焦り、かくも急ぐのか。それは、傲りと裏腹の自信のなさの表れだ。学界、法曹界、ジャーナリズム、言論界、労働団体、女性団体、映画・演劇・音楽…。一つの法案に、ありとあらゆるジャンルから、これだけの反対の声があがったのは久しぶりのことではないか。原発に関する情報の秘匿を恐れる福島県議会や、米軍基地情報の秘匿を恐れる沖縄県議会など、自治体も反対決議をあげている。法案の内容とその危険性を知られれば、国民の反対の声が際限なく大きく広がることは確実なのだ。だから、彼らは焦り、急いだのだ。

振り返れば、何もかにもが「できるだけ秘密」「できるだけ国民に知られないうちに」という姑息なやり方で貫かれてきた。法案の形になる前のパブコメ募集が、期間わずか15日であった。この15日間に寄せられた9万を超えるコメントの8割を占めた明確な反対意見は完全に無視された。衆議院に法案が提出されたのが10月25日、審議にはいったのは11月7日。その後わずか20日足らずの11月26日に強行採決によって衆議院を通過。その10日後に参院で再びの強行採決。広く国民に知られないうちの駆け込み成立をという強引な姿勢以外のなにものでもない。

しかし、与党の計算は、うまくはいっていない。急ぐ余りの強引さが、強い批判を招き、敵を作ってもいるのだ。あらゆるマスコミが、この事態を批判している。「拙速である」「審議が不十分だ」「国民の理解が得られていない」「審議が深まるにつれて法案の危険は益々明らかになって来ているではないか」「与党には数の傲りがあるのではないか」。今や、慎重審議を求める世論は天の声。圧倒的な多数の意見となつている。政権にとっても、自民・公明の両党にとっても、これは思惑外れの事態となっているはず。

拙速といえば、これ以上のものはない。私は、この法案の審議に注意を払ってきた。政権が何をいうのか、聞き耳を立ててきた。それでも、昨日唐突に提案された「特定秘密指定のチェックに関する第三者(的)機関」なるものの性格はいまだに良く理解ができない。「首相は、同法施行までに特定秘密の指定や解除の妥当性をチェックする『情報保全監視委員会』と、統一基準を策定する『情報保全諮問会議』と、『独立公文書管理監』を政府内に設置する考えを表明した」と報道されている。しかし、それぞれの具体的な指揮系統、権限、規模や人選のあり方など、具体的なことはわからない。わかっているのは、いずれも、政府内に設けられる内部チェックの組織に過ぎないこと。そして、いったんは審議の進行を凍結して、このような機関の細目をすべて整えてから、改めて審議を再開しても、国政に何の影響もないことである。

繰り返すが、新しい組織の名前だけの唐突な発表が4日の午前中である。その日の午後に行われた大宮での公聴会では、もちろん誰も言及していない。その内容の吟味の時間も与えずして、5日の委員会強行採決なのである。「拙速」というよりは、「だまし討ち」というべきではないか。しかも、さらに本日になって、菅義偉官房長官は「情報保全監察室」なる組織を内閣府に設けると言いだした。さあ、ますます複雑怪奇。これは面妖な。いかにも官僚の考えつきそうなこと。自民党・公明党の議員の誰も、この新4機関の具体的なイメージを語ることはできないだろう。

この強行採決は絶対に許さない。さすがに、本日の本会議採決はない模様だが、怒りを燃やそう。民主々義や平和を守るためにはエネルギーが必要なのだ。怒りをそのエネルギーに変えよう。そして、持続しよう。さらに、本会議採決阻止の声をあげよう。そして、自民や公明に代わる、もっとマシな議会制民主々義を私たちの手でつくり出そう。
(2013年12月5日)

参議院議員諸君に訴えるー特定秘密保護法案の採決強行に与してはならない

参議院の議員諸君。国民の代表であるあなた方に、そして良識の府の選良としてのあなた方に、民主々義と平和をこよなく大切に思う立ち場から、心からの訴えを申し上げたい。

臨時国会の会期の期限が目前だが、今国会における特定秘密保護法案の審議打ち切りと採決強行に与してはならない。通常国会に審議を継続して、徹底した慎重審議を尽くしていただきたい。それが、圧倒的多数の国民の声であり、憲法的良識が必然とするところでもある。

あなた方は、議会制民主々義の担い手として国民から重い負託を受けている。憲法41条によって、国民に新たな義務を課し、権利を制限できるのはあなた方以外にはないとされている。あなた方が間違えば、その影響は直ちに国民に及ぶ。あなた方が大きく間違えば、国民は大きな被害を被らざるを得ない。場合によっては、あなた方の判断の間違いが、取り返しのつかない歴史の悲劇を生むことにさえなりかねない。あなた方の重責は、慎重に行使されなければならない。

人権や民主々義に対する侵害の危惧が指摘されている法案の審議や賛否については、くれぐれも慎重でなくてはならない。「拙速」「軽率」「審議不十分」「国民の心配が払拭されない」と批判されるような事態を招いてはならない。数を恃んで、日程内に成立させるスケジュールの消化優先では、国会審議とは名ばかりの実態のないものでしかないことになる。多くの国民から、そのように印象をもたれることは、あなた方にも不本意なことではないだろうか。

この法案の内容は国会の地位を貶め、議会制民主々義を形骸化するものとお考えにならないか。この法案の基本思想は、「国会議員と言えども行政機関の長が定めた特定秘密を知る必要はないし知ってはならない」「こと国の安全保障にかかわる問題については、国会は行政機関の長が許容した範囲での情報で審議を進めればよい」というものではないか。議会の権威を貶めるこの法案に、どうして国会が賛同ができるのか。少なくとも、もっと徹底した審議が必要とお考えにはならないか。

また、議会制民主々義の形骸化は、平和を危うくするものとお考えにはならないか。戦前の歴史の教訓を改めて噛みしめていただきたい。議会制民主々義の形骸化は、軍部横暴と軍国主義謳歌と並行する事態ではなかったか。特定秘密保護法による安全保障にかかわる情報の秘匿は、この轍を踏むものとはならないか。少なくとも、そのような国民の危惧を払拭するものとなり得ているだろうか。

さらに、強調して申し上げたい。このまま「会期内採決強行」の事態となれば、参議院の権威を貶めることになるのでないか。衆議院の採決強行が11月26日、四党修正案が参議院に送付されてから会期末までは10日しかない。この短期間の形ばかりの審議で参議院が採決したのでは、「参議院は衆議院のカーボンコピーでしかない」といわれても反論のしようがないではないか。いったい、参議院の良識はどこにいってしまったのか。参議院の存在意義はどこにあることになるのか。なにゆえ、参院不要論に手を貸す愚挙を敢えて行おうというのか。

むしろ、今こそ、参院の良識と存在意義と、そして権威を国民に印象づける絶好の機会ではないか。今や、徹底した慎重審議を求める世論は天の声。圧倒的な多数の意見である。その天の声を汲み取るべきことこそが、参議院議員諸君のその重責を全うするにふさわしいあり方ではないか。

「12月4日には、地方公聴会を開催した。これで国民の声を聞きおえたから、さあ採決だ」では、余りに議会の審議のあり方が貧しい。参議院が衆議院の二の舞を演じるようでは、それこそ議会制民主々義の危機といわざるを得ない。国会内外での幅広い国民の声によく耳を傾けて、国民からの重い負託に応えていたくよう、切に要望する。
(2013年12月4日)

本日夕刻の地元街宣行動で

当ブログが新装開店したのは本年4月1日。以来8か月、1日の休載もなく更新を継続している。8か月の連載で、ほぼ形が定まってきたように思う。

見てのとおり、何の工夫もなく文字を連ねるだけの不粋でシンプルこの上ないブログ。ほかでは見たことがない。論語は、「質、文に勝てば則ち野。文、質に勝てば則ち史。文質彬彬として然る後に君子なり」(内容さえよけりゃなんて言うのはヤボ、さりとて格好だけじゃカラッポ。内容と見てくれとマッチングしなけりゃね)と教えている。敢えて孔子に逆らっての「質」だけ志向ブログは、私の性に合っている。どこのプロバイダーとも無縁(のはず)。どうして、まったくの無料でブログを発信し続けていられるのか、仕組みはいまだに理解できていない。

このブログの11月の訪問者は一日平均で1604人、月間延べ訪問者数は48122人となった。開設当初の4月が7166人、5月が14768人だったから、着実に増加してきたことになる。なお、「11月の月間訪問件数」が183954とカウントされている。おそらくは、重複訪問を含めた延べアクセス回数のこと(?)だろうと思うのだが、一日平均6000を超える。訪問者数に比較して数字が多すぎるよう。これもよく分からない。

このアクセス数が、他のブログと比較して多いのか少ないのかは、よくわからない。ともかく、これだけの人に読んでいただいていることを、素直にありがたいと思っている。

時に、知り合いからアドバイスをいただく。多くは、「もう少し、短くしなさい」「長すぎてうんざり」「固い。もっと読みやすく」「もっとビジュアルだと良いのにね」というもの。「文質彬彬」を目指せということなのだ。が、改善の方法を知らない。知ろうとする熱意にも乏しい。

このブログの読者として想定しているのは、労組や市民運動の活動家層。ビラや職場新聞を作ったり、街宣活動でスピーチをしたり、ブログでの発信をしたり、あるいは声明文を起案するとき…。そんなときに、参考にしていただけたら幸いである。適当に切りとってそのままつかっていただいても、加工し改ざんして使っていただいてもいっこうに差し支えない。引用元の明示も不要だ。転載・引用していただけるに値するような、憲法ネタを提供し続けていきたいと思う。

下記の街宣スピーチも、そのような一例として捉えてもらえばありがたい。

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国会周辺の大行動が大事なことは言うまでもないが、そこには問題の重大性をよくわかった人が集まっている。地域で、多くの町の人に訴えることも大切。そんな思いで、今夕は「憲法改悪反対文京共同センター」による「秘密保護法案廃案を求める地域共同宣伝行動」に参加した。総員42名の大きな宣伝行動となった。

街宣車がスピーカーを使った時間はきっかり1時間。最初と最後の2度。マイクをまわしていただいた。結構な時間をいただき、まとまったことを喋ることができた。

「後楽園駅前をご通行中の皆様。私たちは、皆様の耳に声が届くようにスピーカーを使います。しかし、『スピーカーで音を出すからテロリスト』などと誤解なさらぬようにお願いいたします。民主々義をこよなく大切に思う立ち場からの訴えです。

今国会で審議中の特定秘密保護法案は、国民の知る権利や平和を侵害します。稀代の悪法と言って過言でありません。その徹底審議を通じて廃案を求める宣伝活動を行っています。ぜひ配布のチラシをお読みください。署名もお願いいたします。

この法案は、今年の9月3日に、初めて「概要」として示されたものです。同時にパブコメの募集がなされました。パブコメの募集期間は、原則1か月とされていますが、どういうわけかこの大切な法案についてはわずかに15日間。そして、多くのパブコメ募集には1件のコメントも寄せられないのが実態なのですが、この法案「概要」には、15日間に9万件を超える意見が寄せられました。しかもその8割が、明確な反対意見だったのです。パブコメに示された国民の圧倒的な反対世論はどう生かされたでしょうか。安倍政権は、まさしく一顧だにすることもありませんでした。

9月27日に「政府原案の詳細」が発表されました。そして、自民・公明両党の修正協議と合意を経て、衆議院に法案が提出されたのは10月25日でした。審議にはいったのは11月7日です。それからわずかに20日足らず、11月26日に強行採決によって衆議院を通過しました。

あらゆるマスコミがこの事態を批判しています。「拙速である。」「審議が不十分だ」「国民の理解が得られていない」「審議が深まるにつれて法案の危険は益々明らかになって来ているではないか」「与党には数の傲りがあるのではないか」。今や、慎重審議を求める世論は天の声。圧倒的な多数の意見です。

しかし、安倍政権と与党とは、参議院で審議中のこの法案を6日の会期末までに一丁あがりにするのだ言い切っています。衆議院と同じく、スケジュールありきで、強行採決を厭わないとしているのです。

なぜ、政府と与党とは、こんなにも急ぐのでしょうか。それは彼らに自信がないから。今、この法案の中身を知り理解した世論は、急速に反対の盛り上がりを見せています。時間が経てば経つほど国民世論は反対に固まっていく。できれば法案の内容を国民には秘密にしたまま成立させたい。それができなければ、国民が十分に法案の危険を知る前に、できるだけ早期に成立させてしまえ、と言うのが政府と与党の考え方なのです。

今、この法案に対しては、「賛成」と「反対」の二つだけでなく、「徹底した慎重審議を求める」という、第3の立ち場の比重が大きなものとなっています。あらゆる世論調査での圧倒的な多数意見が、「今国会の成立にこだわらず、徹底して審議を尽くせ」「法案成立はあくまで慎重に」というものです。政府・与党の会期内強行採決は道理ある国民世論に背くものといわなければなりません。

国民とって、この法案の危険性はどこにあるのでしょうか。
特定秘密保護法案は、「行政機関の長」が特定秘密を指定し、指定された秘密を、重罰を科することによって保護しようという基本構造をもつ法律です。指定を予定される特定秘密の数は、現在行政が「特別管理秘密」としている42万件。これを漏らした公務員は最高刑懲役10年プラス罰金1000万円。刑罰に処せられるのは、秘密を取り扱う公務員だけではありません。気骨あるジャーナリストが公務員に情報取得のために「通常以上の強引な」取材活動をすると、これが懲役10年になりかねないのです。仮に、情報取得を働きかけて、当の公務員が応じなくとも、ジャーナリスト側は、独立教唆罪として懲役5年になりえます。しかも、何が秘密かはヒミツです。これを取り扱う公務員側は何が秘密かがわかる仕組みですが、民間側にはわからない。酒場での議論でも、煽動・共謀として罪になりかねません。有罪判決にならなくても、強制捜査の対象にはなりえます。また、このことが公務員にも、マスコミにも大きな萎縮効果をもたらします。結局は国民の知る権利が奪われることになるのです。

何が秘密かはヒミツですから、本当に法律が予定した秘密なのか、政権の都合だけで隠しておこうと、紛れ込まされた秘密なのか、国民に検証の手段はありません。政権の隠したい情報が際限なく秘密にされるおそれはどうしても拭えません。

政権は、国民に向かっていうでしょう。「政府を信用してください。間接的にせよ、選挙で選ばれた内閣です。そんな悪いことをするはずはありません」。ここが問題です。けっして政府を信頼してお任せしてはならない。それが民主々義社会の主権者のあり方です。しかも、憲法を変えてしまおうという安倍政権ではありませんか。沖縄返還時の密約を隠し通してきた自民党政権ではありませんか。これを信頼せよいうのがどだい無理な話。

では、一切の国の秘密を守る必要はないのか。今、そのような議論に拘泥する必要はありません。現行の法制で十分なのです。国家公務員法は、公務員が広く職務上知ることのできた秘密を漏えいした場合には懲役1年としています。自衛隊法は、自衛隊員が防衛秘密を漏えいした場合を懲役5年としています。そして、MDA秘密保護法(正式には『日米相互援助協定等に伴う秘密保護法』という長い名前)があります。これは、安保条約の下位協定である日米相互援助協定に基づいて、米軍から日本に提供された装備品やそれにかかわる情報を「特別防衛秘密」として、その漏えいを最高刑10年とするものです。

今問われているのは、このような秘密法制をなくしてしまうかどうかということではありません。現在の秘密保護法制を基点に、情報公開を進め行政の説明責任を重くする方向を選択するのか、それとも秘密を拡大し厳罰化によって国民に情報を隠匿する方向を選択するのか、その基本的な方向性が問われているのです。

もうすぐ、12月8日が来ます。1941年12月8日早朝、大本営発表の臨時ニュースで、国民は帝国海軍が米英と戦争を始めたことを知ったのです。まさしく、戦争は秘密から始まります。戦争は軍事機密を保護する法律を必要とします。まさしく、この特定秘密保護法がそれにあたります。

民主々義と平和を守るためにあと3日。強行採決などなきよう、世論の力で政権と与党を包囲しようではありませんか。
(2013年12月3日)

「ある北大生の受難」を再び繰り返してはならない

本日の「毎日」「今週の本棚」欄に、中島岳志が「ある北大生の受難―国家秘密法の爪痕」(上田誠吉著・花伝社)について書評を寄せている。たいへん要領よく、書物の内容を紹介し、軍機保護法が民間人の身にもたらした理不尽な暴威に照らして、法案審議中の特定秘密保護法の危険性に警鐘を鳴らすものとなっている。

自由法曹団の団長であった上田誠吉弁護士(故人)の努力によってその全貌が明らかとなった、「宮沢・レーン事件」とは軍機保護法違反の刑事事件である。日米開戦の1941年12月8日の朝、北海道帝国大学の学生宮沢弘幸と同大学の英語教師ハロルド・レーン夫妻とが逮捕された。宮沢がレーンに話した旅行談の中に根室飛行場についてのものがあった。これが、スパイ行為とされたのだ。「軍機の取得と漏えい」があったとされた宮沢は、懲役15年の刑に処せられた。戦後軍機保護法が失効して釈放されたが、拷問と網走刑務所の極寒の中で患った結核によって、彼は1947年に27歳で没している。宮沢もレーンもスパイとは何の関係もなく、根室飛行場の存在は既に当時広く知られていた。宮沢は、軍機保護法に命を奪われたに等しい。

中嶋は、書評の末尾を、「軍機保護法『再来』である秘密保護法案を認める前に、我々は宮沢・レーン事件を知らなければならない。本書は、今こそ読まれるべき一冊だ」と結んでいる。警世の書であり、警世の書評である。

特定秘密保護法は、公務員の特定秘密保護法の漏えいだけでなく、民間人が「不当な手段で」秘密を取得する行為を最高刑懲役10年として処罰する。この法案が成立すれば、「ある北大生の受難」は再び繰り返されうる。

「あれは過去の話、今の世では起こりえない」か。そんなことはない。秘密の闇の中では同じことが必ず繰り返される。軍機の保護は正義であるとの固い信念が恐ろしい。特高も憲兵も、冷血な人物であったわけではない。皇国を守る正義感が、拷問まで辞さなくなるのだ。特定秘密保護法は、軍事立法としては軍機保護法とも国防保安法ともよく似ている。弾圧立法としては治安維持法と同様の効果をもたらしかねない。法の運用において、人権侵害の危険のある立法は絶対に容認してはならない。

さらに、特定秘密保護法は、公務員の特定秘密保護法の漏えいだけでなく、民間人が公務員に対して、漏えいを「教唆」「共謀」「煽動」した場合を独立の犯罪としている。つまり、正犯である公務員が秘密の漏えいに至らなくとも、その働きかけをした者には犯罪が成立し最高刑懲役5年になる。

本日の赤旗「秘密保護法案参院委 論戦ハイライト」では、仁比聡平議員の質問に答弁がよれよれ。よれよれではあるが、森雅子担当大臣は、「漏えいに対する『教唆』『共謀』『煽動』罪の成立には違法な目的を必要とせず、処罰対象となる」ことを明言している。

公務員の漏えい罪の成立には、極めて曖昧なものではあるにせよスパイなどの「目的」が必要。これなければ処罰はできない。ところが、一般人が漏えいを「教唆」「共謀」「煽動」した場合には、スパイなどの「目的」は不要で処罰はできるということなのだ。結局、民間人が特定秘密に携わる公務員に接触する場合だけでなく、漏えいをさせるべく「共謀」することも、スパイの目的がなくても犯罪となるというのだ。

一般人の会話に聞き耳が立てられ、逮捕や起訴の恐怖に怯えなければならない社会はご免だ。「ある北大生の受難」の時代の再来を許してはならない。今なら、まだ大きな声で反対を叫ぶことができる。叫ばずにはおられない。
(2013年12月1日)

政権による天皇の政治利用を批判しよう

山本太郎の園遊会「直訴」事件以降、何かと天皇に関わる報道が目につく。天皇の終活のあり方が話題となっているし、皇后の五日市憲法言及という危うい話題もあった。今日はインドに出発したという。「皇室外交」という憲法に規定のない任務でのこと。報道だけでなく天皇や天皇制に関する論評にもお目にかかる。多くは、読ませられる方が恥ずかしくなる類の提灯記事。報道の姿勢や論評を見る限り、天皇制のタブーは、「まだ消えない」ではなく、年々ベールは厚くなり、深みにはまりつつあるのではないか。

60年代から70年代、いささかなりとも知性を自覚するほどの人には、天皇制におもねったり、発言に無用の遠慮をすることは恥だという感覚があった。当時と比較して情けない世の中になったと、嘆かざるを得ない。

当然すぎることで、いまさら強調するほどのことでもないが、天皇制とは、徹頭徹尾政治利用を目的とした存在である。その政治利用は体制の側の利益にのみ奉仕することを宿命づけられ、体制に与する「時の政権」が嬉々としてこれを用いる。政権以外の政治勢力にはその利用が許されない。これに類することがあれば、条件反射のごとく、「天皇の政治的利用を許すな」と非難の声があがる仕組み。かくて、政権の「天皇の政治利用の独占」は安泰となっている。

天皇の政治利用の内実は、国民を権威主義的に統合することにある。人為的に国民を統合する作用をもつものは種々あるが、権威主義的な統合に天皇制ほど有効なものはない。これこそ、歴代の為政者が営々と積み上げてきた負の遺産にほかならず、その歴史の遺物がいまだに国民統治に便利な道具として政権には手放せないのだ。

統合作用とは、国民という集団の単位に虚妄の一体感や連帯意識を醸成することを指す。その結果、階級対立やその他の国民内部の諸矛盾から国民の目を逸らせることを可能とする。民衆に対する権力的抑圧を本質とする国家の本質を糊塗し、国民という平面での紐帯の意識の醸成が、虐げられた立ち場にある者の政治的な要求や行動を抑制する役割を果たす。

これにとどまらない。「ともに天皇をいただく国民」間の一体意識は、心理的に天皇を家父長と擬制し、これを頂点とする擬似家族関係の親近感と序列感覚とを生みだす。この擬似家族関係の一体感を破壊する者が「和の敵」とされ、家父長制秩序を乱す者が「非国民」とされる。個人の自立は望ましからざるものとされ、家父長の権威への追随が称揚される。また、天皇の権威を認めることの必然として、人間の平等を否定して貴賤の差別が肯定される。さらに、選民意識、排外意識とも結びつく。

奴隷制社会には、「奴隷根性」があった。奴隷が自分の奴隷主を、「情け深い良いご主人」と感謝し自慢さえするというもの。旧天皇制時代には、意識的にはぐくまれ内面化した「臣民根性」があった。「天皇の赤子として、君のため国のために靖国で散る」という心情であり、尽忠報国の精神である。いまだに、現代の日本人は、「企業に対しては奴隷根性」「国に対しては臣民根性」から脱却しきれていないのではないか。

天皇を尊貴な存在とする感性は信仰である。「一種の」とか、「的」の次元ではなく信仰そのもの。天皇教と名付くべき民間宗教のひとつ。創唱宗教にはそれなりの哲学があって人を惹きつける要素をもつが、天皇を神聖なものとし尊貴なものとするこの信仰には格別の哲学も思索もない。民間伝承に政治的創作の粉飾を施した神話があるのみである。

もちろん、誰にもこの天皇教を信仰する自由はある。「天皇は神聖な存在である」「天皇様おいたわしや」と発声する自由も、「御真影」(正式には「御写真」)を礼拝し、宮城を遙拝する自由もある。しかし、この宗教がいささかなりとも特別な宗教として遇されてはならないし、絶対に国民に強制されてはならない。

ところで、天皇の政治利用は日本国憲法に根拠を有する。
憲法第1条は、「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民の総意に基づく」としている。「日本国民統合の象徴」という言葉で、天皇の国民に対する統合機能を認めている。そのうえで、憲法7条に限定列挙された10項目の国事行為を行うことを天皇の任務とする。いずれも、国民の統合作用としての側面をもつ「憲法の認めた天皇の政治的利用」にほかならない。

以上の国事行為のすべてについて、天皇が行う必然性はない。必要もないというだけでなく、むしろ主権者の自律的精神を貶める点では有害というべきであろう。手続を煩雑にする弊害もある。それでも、憲法は象徴天皇制を創設したとき、天皇制が果たすべき国民統合の政治的効果を認めて、天皇の行為の範囲を決めた。

日本国憲法は、フランス憲法やアメリカ憲法のごとく、革命や独立の結果において作られたものではない。敗戦によって旧天皇制権力は打ちのめされたが完全に消滅したわけではない。その残存旧勢力の抵抗と、新生日本を求める国民の力量と、占領軍の思惑などの諸ベクトルの総和として成立した。民主々義憲法として、不徹底、不十分なものであることは覆うべくもない。

問題は、歴史的制約の中で生まれた日本国憲法を、その後国民がどのように育ててきたかである。天皇制に関していえば、その権限を厳格に制限する運用に徹しているか、その権限を拡大する運用の既成事実をつみ重ねているか、である。天皇の政治利用を、憲法に定めた事項にとどめているか、それ以外にも許容しているか、と言い直してもよい。

残念ながら、天皇の政治利用は憲法の制限を遙かに超えて拡大している。その象徴が参議院の「御席」である。通称の玉座の方がわかりやすい。旧憲法時代、今の参議院のあの議場は貴族院だった。その貴族院の正面、議長席の真後ろの上座に、「玉座」がしつらえてあった。天皇は、この玉座に臨席して、統治権の総覧者として、立法の協賛者である帝国議会の各議員を睥睨した。この建物の構造は、当時の主権者と臣民の位地関係を正確に表すものであった。いま、同じ場所が参議院本会議場となり、同じ「玉座」から「象徴である天皇」が、「主権者である国民の代表」に「おことば」を発している。いったい、敗戦を挟んで、我が国は変わったのだろうか。

「国会を召集すること」は天皇の国事行為の一つである(7条2号)。しかし、「国会の召集」は書類に判を押せば済むことで、国会まで出向いて開会式に臨席し「おことば」を述べるなどは憲法に記されたことではない。

天皇の行為には、憲法に厳格に制限列挙された国事行為と、純粋に私的な行為との2類型がある。本来、この2類型しかなく、「おことば」や「皇室外交」はそのどちらでもない。「園遊会」もだ。憲法上の根拠を欠くものである以上、行うべきものではない。

ところが、天皇の国事行為と、純粋に私的な行為とは別に、天皇の「公的行為」という中間領域の範疇を認める立ち場があり、開会式のお言葉はこの範疇に属するものとして行われている。皇室外交や、園遊会の主催、国民体育大会、植樹祭への出席等々も同様。当然に、憲法違反だという批判がある。批判があるが、やめようとはしない。

やめようとしないのは、為政者が、天皇の権威主義的国民統合作用を統治の具として重宝と考えているからだ。為政者は、常に「民はもって之を由らしむべし。知らしむべからず」と考えている。天皇制下の擬似家族的連帯意識と家父長の権威に寄りかかる権威主義、そして序列感覚の涵養が、統治しやすい国民の育成にこの上なく便利だからである。

憲法上の象徴天皇制は、軽々に改変することはできない。しかし、所謂「内なる天皇制」については、これを克服することが可能である。臣民根性を排して、主権者にふさわしい意識を育てよう。この主権者意識の育成を阻害するものこそ、「前主権者」である天皇制なのだ。まずは、政権による天皇の政治利用、天皇自身による天皇の政治利用をきちんと批判しよう。
(2013年11月30日)

本郷3丁目交差点街宣行動ショートスピーチ

特定秘密保護法案の廃案を求める「本郷3丁目交差点昼休み街宣行動」は好調である。今日は、立派な横断幕が現れた。なによりも、本日は行動に参加したみんながマイクを握った。1人3分として、できるだけ大勢の人にしゃべってもらおうということ。みんな、堰を切ったようによくしゃべる。黙ってはいられないのだ。 カラオケよろしく、マイクの奪い合い。みんな、自分自身の言葉で語る。到底私の出番はない。とうとう、今日は一度もしゃべる機会のないまま終わった。

マイクでのしゃべりに自信のない人のために、ショートスピーチのいくつかを用意した。論点を網羅するものではないが、下記に書き付けておきたい。

☆ 特定秘密保護法案は、「行政機関の長」が特定秘密を指定し、指定された秘密を、重罰を科することによって保護しようという基本構造をもつ法律です。指定を予定される特定秘密の数は、取りあえずは40万件。これを漏らした公務員は最高刑懲役10年プラス罰金1000万円。刑罰に処せられるのは、秘密を取り扱う公務員だけではありません。
  気骨あるジャーナリストが公務員に情報取得のために「夜討ち朝駆け」の強引な取材活動をすると、これが懲役10年になりかねないのです。仮に、情報取得を働きかけて、当の公務員が応じなくとも、ジャーナリスト側は、独立教唆罪として懲役5年になりえます。しかも、何が秘密かはヒミツです。これを取り扱う公務員側は何が秘密かがわかる仕組みですが、民間側にはわからない。酒場での議論でも、煽動・共謀として罪になりかねません。有罪判決にならなくても、強制捜査の対象にはなりえます。また、このことが公務員にも、マスコミにも大きな萎縮効果をもたらします。結局は国民の知る権利を奪うことになるのです。

☆ この法案は、安倍政権下での反憲法的な諸政策のセットのひとつです。
  安倍政権は、「自民党改憲草案」を発表しており、96条先行改憲を唱え、集団的自衛権行使を容認し、さらには国家安全保障基本法を策定し、国家安全保障会議(NSC)を設置し、防衛大綱を見直し、日米ガイドラインを見直し…、と際限なく、憲法への攻撃をたくらんでいます。
  特定秘密保護法案はその重要な第一歩であり、それ自身が憲法の理念を破壊する稀代の悪法です。明文改憲も、立法改憲も、解釈改憲も許さない大きな世論で、法案を廃案に追い込もうではありませんか。

☆ 特定秘密保護法案は、米国の要請に基づいて、日米共同軍事行動に必要なものとされています。今、自衛隊は、「専守防衛」に徹して、海外派兵はできないことになっています。この制約を取り払って、「国外で、米国とともに、戦争のできる体制」をつくることが安倍政権の狙いです。平和を守る立ち場から、特定秘密保護法案を参議院では廃案にしようではありませんか。

☆ この法案には、法律制定の理由も根拠もありません。刑罰の制裁をもって国民の行動を制約しなければならない根拠がない。国会での審議でも、これを示すことができません。現行の法律でも、国家公務員法は守秘義務を犯した罪には懲役1年、自衛隊法では懲役5年です。この現行の法律で、今、何の不都合も生じていない。法案は、これをいきなり懲役10年の厳罰とするのです。しかも、特定秘密を取り扱う公務員だけではなく、秘密を世間に公開しようとした民間人までも懲役10年です。これは、政府がうるさい国民を黙らせるための法律。到底容認することができません。

☆ この法案は日本国憲法の基本理念に真っ向から反するものです。民主々義を破壊し、人権を侵害し、平和を損なう法律です。歴史を変えかねない「稀代の悪法」として、絶対に反対します。

☆ 特定秘密保護法案は、国民の「知る権利」を侵害します。民主々義とは、主権者である国民が討議によって政策を形成することを基本としますが、その討議が成立するためには主権者の一人ひとりが自分の意見を持たねばなません。その一人ひとりの意見は「国政に関するあらゆる情報」によって形成されます。
  だから、民主々義の政治の出発点において、主権者である国民には正確な情報に接しこれを把握する権利、つまりは「知る権利」が保障されなければなりません。特定秘密保護法は、この「知る権利」を侵害することによって、民主々義を破壊するものです。絶対に認めることはできません。

☆ 国は国民の「知る権利」を妨害してはなりません。憲法にも、表現の自由を保障し、検閲をしてはならない、と明記しています。むしろ、国は行政に関する情報を、国民に積極的に開示しなければなりません。今求められているのは、「行政の透明性の確保」であり、「情報公開の促進」ではありませんか。断じて、国家の秘密の保護ではありません。民主々義社会では、国民のプライバシーは守られねばならず、国家の秘密は徹底して暴かれねばなりません。これに逆行する特定秘密保護法案を認めることはできません。

☆ 国がもっている国政に関する情報は、国民のものであって、けっして安倍政権のものではありません。重要な情報を、主権者である国民に秘密にする行政の背信行為ですし、民主々義の政治過程そのものを侵害する行為として、原則的に許されないことなのです。
  秘密は、国会にも秘密にされます。裁判所にも秘密だというのです。
これでは議会制民主々義が危うくなります。刑事事件における弁護権を侵害することにもなります。

☆ 特定秘密保護法案の根本問題は、「何が秘密かはヒミツ」であることです。ということは、時の政府に不都合な情報をすべて特定秘密として隠してしまうことができることになります。法に基づく秘密であるか、時の政府に不都合なものとして紛れ込まされた秘密であるか、国民はこれを検証する手段をもちません。

☆ 法案の基本思想は「国民はひたすら政府を信頼しておけばよい」というものです。これは民主々義でも立憲主義でもありません。国民は、いかなる政府も疑いの目で監視しなければなりません。とりわけ、危険な安倍政権を信頼してはなりません。

☆ 国民の「知る権利」が侵害されたら、憲法の理念はすべて危うくなります。情報操作は有効な民意の操作として、時の権力に便利この上ない「魔法の杖」なのです。大本営発表の時代を思い出してください。国民の戦意高揚のために、正確な戦況は隠され続けました。その結果、戦争に勝ち目がないとわかったあとも、戦争は続けられ、この間に何百万もの尊い命が奪われたではありませんか。
  国民は、主権者として、知る権利をしっかり握っておかなくてはなりません。これを根底から奪う特定秘密保護法に反対します。

☆ 特定秘密保護法は国民主権原理と相容れず、民主々義を傷つけます。しかも、この形で傷つけられた民主々義は、恢復の力を失いかねません。秘密の保護が徹底すると、民主々義が傷つけられていること自体に、国民が気づかなくなるからです。
 いったん成立した特定秘密保護法は、「不都合があったら変えればよい」などとのんきなことを言っておられる法律ではありせん。

☆ 特定秘密保護法は憲法の平和主義を損なうことになります。
  この法案は軍事立法なのです。戦前の軍機保護法、陸海軍刑法、国防保安法の復活という側面をもちます。やがては治安維持法の復活にもつながります。まさしく、「戦争は秘密から始まる」のです。また、「戦争は軍機の保護とともにやって来る」のです。ぜひ今の平和を守るために、特定秘密保護法に反対いたしましょう。

☆ 衆議院の強行採決は、あらゆる新聞が批判しています。新たな参議院の舞台では、大きな国民世論を背景にした論戦が始まります。
  再びの戦前の到来を許さないために、いっそう大きな世論でこの法案を廃案に追い込もうではありませんか。

来週からは、月・水・金の昼休み、0時15分から45分まで。マイクは一人3分制限。どなたでも、ご無理をせずに、都合のつくときに、少しの時間でもご一緒ください。

  仲間がいれば連れだって、連れがなければおひとりで。
  時間があったら30分、時間がなければちょっとだけ。
  幟があったら幟もって、幟がなければプラカード、
  それもなければ手ぶらでも。
  マイク握って喋っても。黙って何もしなくても。
(2013年11月29日)

特定秘密保護法は、良心に基づく公益通報を圧殺する

組織の悪と個人の良心の相克。社会が続く限りの永遠のテーマである。
ニュールンベルグでも、東京裁判でも大きな課題として浮かびあがった。とりわけ、BC級戦犯の場合は深刻だった。「上官の命令は天皇の命令」とされた皇軍兵士には、良心の発露を期待することが困難であった。もともと、良心を圧殺すべく訓練を受けて兵となるのだ。帝国陸海軍という組織の罪は重く、その最上位に位置した天皇の責任はさらに重い。おそらくは、戦争に普遍的な側面と、皇軍に特有な側面との重なりがあったのであろう。

戦場という異常な環境に限らない。平時、企業においても、官庁においても、あるいは学校においても、自治組織においても、組織に違法があった場合に、これを咎める良心をもった個人はいかに行動すべきか。「罪の文化圏」では、当然に良心を全うせよという倫理となろうが、「恥の文化圏」で良心を貫くのはなかなかに困難だ。

しかし、社会は、組織の威圧に負けずに良心を貫く者の勇気ある行動によって、利益を享受する。建築偽装然り、食品偽装然り、入札談合然りである。敢然と良心の笛を吹く、ホイッスルブロアーを「内部告発者」ではなく、「公益通報者」と上手な訳語を選んで、2004年に公益通報者保護法が制定されたときは、非常な興奮を覚えた。個人と集団をめぐる日本の文化が大きく変わることになるのではないかと思ったのだ。BC級戦犯の如く良心を守ることが死をもたらす戦場の環境とは正反対に、良心を貫くものを擁護する制度が完備され、さらには公益通報者を賞賛する文化が生まれるやも知れない。もしかしたら、集団の圧力で少数者を「非国民」として排斥したこの国の文化や国民性に決定的な変革をもたらすことになりはしないか。

ところが文化は根強い。国民性も一朝一夕では変わらない。ひとつの法の制定が、企業文化、官庁文化を変革するには至らなかった。十年一日である。そればかりではない。立法も公益通報を奨励するどころか、反対に秘密を保護しようとしている。個人の良心に期待し良心に基づく行動を保護して、秘匿された違法を暴こうという公益通報者保護法の精神を忘却したごとくである。

「毎日」朝刊に連載されている「特定秘密保護法案に 言いたい」欄に、本日は柳沢協二さんが登場している。よく知られているとおり、氏は、元防衛庁官房長、そして内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)という、防衛秘密にどっぷりと浸かった経験をもつ人。その人の証言は貴重この上ない。要旨次のとおり。

「外国から情報がもらえないから、特定秘密保護法によって秘密指定範囲の拡大と厳罰化を進める−−というのが安倍政権の主張だ。しかし、実務経験から言うと、現行の法体系でも必要な情報は得られていた。米国が法制度について要求してきた記憶はない。法制度があれば情報がもらえるという単純なものではない。
現実的な必要性を説明できないのに、理念だけが独走している印象がある。それは国家安全保障会議(日本版NSC)と集団的自衛権の行使についても同じだ。
秘密のほとんどは30年で公開できると思う。その情報に関わった人たちが皆、社会的にリタイアするまでの時間が「30年」だ。
国会は安倍政権が目指す国家像について本質的な議論をすべきだ。『国の安全のためには国民の知る権利の制限もやむを得ない』というのが安倍政権の考え方だが、それは国民主権の否定につながる」

柳沢さんは、特定秘密保護法が成立すれば、指定される特定秘密にまみれて職業生活を送ってきた人。特定秘密漏示の罪は、離職後も永久につきまとう。

法案22条は、「特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。」というもの。特定秘密の守秘義務、つまりは秘密の漏示に対する「懲役10年+1000万円罰金」の威嚇は、退職しても墓場までつきまとうのだ。おそらく、柳沢さんは、今のようには発言ができなくなる。少なくとも、今以上の格段の覚悟がなくてはは在任中のことを話せなくなるだろう。良心の笛を吹くことを萎縮させるのが法律の大きな狙いだ。

事情は、オバマ政権下のアメリカでも同じことのようだ。たまたま「必見」と勧める人があって、小林雅一という人の「米国の秘密情報を保護する法律は、今、どんな結果を招いているか」というネットの記事を閲覧した。本家アメリカの事情は次のとおりだという。

「元々は敵国を利する悪質なスパイ活動などを取り締まるための法律だった米『スパイ活動法』は、近年、『米国政府が、メディアへの情報提供者、いわゆる「内部告発者(whistle blower)」を取り締まるための法律』へと、実質的に大きな変化を遂げたという。」「スパイ活動法ができた1917年からブッシュ政権の時代まで、メディアへの内部告発者を摘発するために同法が適用されたのは通算3回。ところがオバマ政権になってからは既に7回も適用されている」というのだ。

元ネタが、11月26日付のニューヨーク・タイムスの記事だという。アクセスして、乏しい英語力で「諜報と真実との、明瞭ならざる境界」と題する記事を読んでみた。冒頭にこんなことが書いてある。

「オバマ政権(カーニー報道官)は、シリアで果敢に真実に肉薄して凶弾に倒れた二人の記者を再三絶賛している。しかし、それは遠くの外国ならではのこと。米国内において現政権は、まことに果敢に防諜法を活用して内部告発者を法廷に送っている。オバマ政権は、真実は外国でこそ明らかにされるべきだが、国内では別だ、と考えているようだ」

結局は、防諜法(スパイ活動法)は、外国の諜報活動を取り締まるよりは、国内のジャーナリズムと公益通報者を弾圧しているのだ。これが、これから真似をしようという米国の姿。特定秘密保護法も、成立すれば、軍事立法というだけでなく、言論弾圧立法として猛威を振るうことになるだろう。

そのときは、国家の論理が、組織の違法を社会に通報しようとした良心を圧殺することになる。おそらくその影響は、日本の社会全体に及ぶことになろう。
(2013年11月28日)

強行採決の無理は、安倍政権の手痛い傷となっている

衆議院での強行採決によって、「稀代の悪法」である特定秘密保護法案審議の舞台は、参議院に移った。怒りの一夜が明けての今日。少し整理して考えて見たい。

法案は、衆議院では可決したが、相当の無理を重ねてのこと。安倍自民も翼賛野党も、この無理による手痛い傷を負っている。衆院通過の代償は、この上なく高価なものとなっていることを冷静に見なければならない。

まず、安倍自民。他の改憲諸策動とパケージでの特定秘密保護法を見るとき、その反憲法的な姿勢の尖鋭さが誰の目にも明確化しつつある。しかも、法案の問題点が国民に知られ、急速に反対や疑問の声があがるようになると、これを恐れての審議打ち切り、強行採決である。メディアの論調も、あらゆる世論調査の結果も、少なくとも、慎重審議を求める声が圧倒している。何を焦って、この圧倒的世論に逆らってのこのタイミングでの採決強行なのか。その損得の計算を彼らは正確にしているのだろうか。強行採決をした今、メリットとデメリットどちらが優るものと考えているのだろうか。

強行採決は反対世論と運動の火に油を注ぐものとなっている。また、本日の各紙とも、修正案が解決し得ていない本法案の問題点を鋭く指弾している。そのボルテージは格段に高くなっている。それだけでなく、いくつかの紙面では、安倍政権のもつ危険な体質を批判する論調が見えてきている。60年安保の時に、「安保反対」から「岸を倒せ」にコールが変わっていったことが想起される。昨日の採決強行は、「安倍を倒せ」コールのわき上がる端緒となった記念すべき日となるかも知れない。

ついで、翼賛三野党(公明・みんな・維新)。安倍極右政権の補完勢力として重要な役割を担っている。その在り方が明確になってきた。

とりわけ公明は、「庶民の味方」を任じて、多くの「庶民」を危険な方向に誘導する悪質な役割を果たして罪が深い。「平和の党」や「福祉の党」の看板を掲げて、売っているものは、安倍ブランドの「戦争」と「福祉切り捨て」の2商品である。多くの人を、間接的に安倍政権への支持者に再編していることが次第に明瞭になりつつある。今回の採決強行で、安倍自民と同罪の公明の役割への批判は免れない。

維新とみんなは、これまで非自民のスタンスをとってきた。ともに「第三極」として誕生して、自民党に愛想をつかした国民の受け皿を任じている以上は、安倍自民との差別化を演出してみせねばならない。いずれも、ナショナリズムの分野で、あるいは新自由主義の政策で、自民党よりも右にあることを競ってきた。しかし、今回の特定秘密保護法審議では、露骨に自民党の補完勢力としての正体を露わにした。それでも、維新は、修正協議に応じたことで、メディアからの手痛い批判を浴びて、強行採決には加わらなかった。そのことで、辛うじて自民べったりではないところを見せた。それに比べて、みんなは、そのような演出さえも行わず、自民補完勢力の素顔を丸出しにした。既にその存在自体が賞味期限切れに至っていることを明示したといえよう。

共産党を中心とした国会内の改憲阻止勢力は議席のうえでは少数だが、国会外での広範な国民運動や市民運動と結びついており、けっして孤立していない。議席の数は、明らかに国民世論とねじれており、固定的に見るべきではない。小選挙区制のマジックのタネが封印されれば、議席の分布は大きく塗り替えられることになるだろう。

民主や生活の党などの中間勢力は、世論の風向きを敏感に察知して、慎重審議の姿勢を崩すことをしなかった。評価に値するものと言えよう。国民運動の盛り上がりは、このように院内に波及する。

世論の動向に敏感なことは、実は翼賛各党も同様なのだ。彼らには、世論に対決してこれを説得する気概も自信も持ち合わせていない。たとえば公明は、看板と中身が異なっても、政権与党としてあることの旨味から、安倍政権を補完している。その矛盾を種々のポーズで取り繕い、言い訳をしているのだ。みんなや維新は、政権の吸引力と世論の批判の間で揺れている。

メディアについても事情は同じ。96条先行改憲論においても、集団的自衛権行使容認論においても、国民運動の進展がメディアの論調を健全なものに変え、維持し続けている。昨日の強行採決についての批判の論調も、世論の支持を予測できればこそのもの。その批判の論調が、また、世論を勇気づけている。

昨日の強行採決の損得勘定を決するのはこれからだ。少なくとも、強行勢力も痛手を負っていることを確認しよう。我が方は落胆することなく怒りを燃やし、この怒りのエネルギーで廃案を目指す運動の高揚を目指そう。

なお、本日の朝日社説「民意恐れぬ力の採決」に敬意を表する。同社説は、「数の力におごった権力の暴走としか言いようがない」と始まり、末尾は「論戦の舞台は参院に移る。けっして成立させてはならない法案である」と結ばれている。その言やよし。同じ紙面に掲載の「朝日川柳」欄から2句を紹介する。うまいものだ。私の気持ちとぴったりだ。

   反論に耳傾けず国傾(かし)ぐ
   言いました伺いました終わりです

(2013年11月27日)

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