憲法会議(正式名称は「憲法改悪阻止各会連絡会議」)のホームページには、冒頭に、「憲法をまもり暮らしに生かしましょう」というスローガンが掲げられている。
「憲法をまもり」とは、保守勢力による改憲策動に反対して日本国憲法を改悪させないことを意味するものと理解される。また、「憲法を暮らしに生かしましょう」とは、憲法を画に描いた餅にせず、その理念を現実化することに力を併せようという呼びかけであろう。
「憲法をまもり」は、比較的意味明瞭である。まずは「日本国憲法」と名称を持つ成文憲法典の改正を許さないこと。つまり、明文改憲に反対の立場である。さらに、形式的に改憲を阻止しても、憲法解釈が変更されて違憲の立法や行政がまかり通る事態を招いてはならない。そこで立法改憲や、解釈改憲を許してはならないことになる。今喫緊の課題は、集団的自衛権行使容認への憲法解釈変更阻止であり、国家安全保障基本法の制定への反対である。
これに比して、「憲法を暮らしに生かしましょう」という呼びかけは、必ずしも意味明瞭ではない。憲法の理念が最終的には暮らしに生かされなければならないことに異論はないが、それでは気の利いたスローガンとはならない。憲法会議がいう「憲法を暮らしに生かしましょう」とは、暮らしの隅々にまで、憲法の理念を生かそうという呼びかけと理解したいものだ。
近代的な意味における憲法は、自由主義を基調とするものである。国家権力を必要ではあるが危険なものと見なして、国家権力の恣意的発動から国民個人の自由を守ることを憲法の第一任務としている。換言すれば、憲法の名宛て人は国家なのだ。主権者国民が国家に宛てて、その権力発動を規制する命令の体系が憲法だという理解である。
しかし、現代の現実社会においては、このような考え方だけでは「憲法を暮らしの隅々に生かす」には不十分だ。「会社の敷地には憲法はない」「校門をくぐれば、憲法などと言っておられない」「家庭に憲法は無縁」「市民運動内部に憲法なんて持ち出すな」…。憲法会議は、「憲法を暮らしに生かしましょう」というスローガンで、暮らしの隅々にまで、人権や民主主義や平和の理念を生かそうと呼びかけているものと解される。企業も、私的な団体も、もちろん民主運動も、憲法の理念を護らねばならない、というメッセージである。さすがは憲法会議である…と思っていた。昨年の暮れまでは。
ほかならぬその憲法会議が私の言論を封じたのである。「憲法を暮らしに生かしましょう」とモットーを掲げる団体にあるまじきことではないか。
その経過は繰り返さない。下記2件のブログを参照していただきたい。
宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその26
宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその26(2014年1月15日)
宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその28
宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその28(2014年1月17日)
本日は、その事後処理である。先ほど、下記の書面とともに、8000円の為替を書留便で憲法会議に返送した。意のあるところを酌んでいただきたい。
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2014年1月24日
憲法会議御中(平井正事務局長殿)
澤藤統一郎
本年1月22日付貴信を翌23日夕刻に拝受いたしました。
拝受した貴信の全文は次のとおりです。
「前略
澤藤統一郎先生には、『月刊憲法運動』誌へのご執筆をお願いいたしましたが、残念なことにその後の事情で掲載断念のやむなきに至りました。
同封した為替(額面8,000円)はご執筆謝礼相当分です。ご査収ください。
領収書を添付しましたので、お手数ですがご返送いただければ幸いです。
それでは失礼いたします。
早々」
貴信の文面では、「掲載断念のやむなきに至りました」となっていますが、これは貴会の責任を糊塗した不正確な表現で納得いたしかねます。「やむなきに至りました」とは、あたかも貴会自身は一貫して拙稿の掲載を希望したにもかかわらず、その希望実現に支障となる外部的な客観的事情が生じたとでも言いたげな物言いです。しかし事実は、私の抗議と説得を敢えて無視して、貴会ご自身の意思において、一方的に貴誌への拙稿掲載の合意を破棄したものであることをご確認いただきたいと存じます。
貴会の否定にもかかわらず、実は、貴会が特定の団体や個人の意向を忖度して拙稿掲載の拒否に至ったのではないかということが、私の推察するところです。そのことが「やむなきに至りました」という表現に表れているのではないかとも感じられます。しかし、この点については、貴会事務局長は1月8日面談の際には、強く否定され、自主的な判断だと言われています。そのとおりであれば、「やむなきに至りました」ではなく、「当会の意思を変えました」と言わねばならないのではありませんか。
同じ理由から、「掲載断念」も不正確です。正しくは、貴会の意思によるものであることを明確にして、「掲載拒否」あるいは「掲載拒絶」「掲載謝絶」「掲載峻拒」と言うべきでしょう。
従って、「いったん、『月刊憲法運動』誌へのご執筆をお願いしご了承を得ましたが、その後に当会の意思を変更して、一方的に掲載を拒否いたしました」というべきところです。
また、「その後の事情で」掲載断念とされていますが、私がブログ「憲法日記」で、「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」のシリーズの掲載を始めたのは12月21日です。貴会からの執筆依頼は12月27日。そして、一方的な違約の申し出は1月8日でした。「その後の事情」とは私の宇都宮君への批判それ自体ではなく、私の宇都宮君批判が貴会内であるいは貴会の周囲で、話題となり問題として受けとめられるようになったこととしか理解できません。ことは、表現の自由、批判の言論の自由に関わる問題です。もっと率直に、どのような議論があってのことか明らかにしていただかない限りは到底納得できません。
なお、当該合意の履行における私の利益は、靖国問題に関する拙稿を掲載していただくことによって、私の考えや情報を憲法問題に高い関心を寄せている貴誌の読者に知っていただくことにあります。貴会の執筆依頼も私の執筆承諾も、けっして経済的取引の次元における契約ではありません。
私の執筆承諾の動機が執筆謝礼8000円の受領にあるものではないことを明確にし、併せて貴会の一方的な違約によって失われた私の利益が拙稿の貴誌掲載自体にあることを強調するために、さらにはこの問題は重大な教訓を含むものでありながら未解決であることを確認する意味も込めて、「執筆謝礼相当分として送られてきた損害金8000円」は受領を拒絶いたします。そのままご返送いたします。
貴信には、貴会が憲法の理念を擁護することを使命とする運動体でありながら、自らが憲法理念を蹂躙したことへの心の痛みや反省を感じ取ることができません。
また、私の憲法上の権利を侵害したことへの謝罪の言葉もありません。むしろ、「8000円の送付で問題解決」と言いたげな文面を残念に思います。私は、国家権力だけではなく、私的な企業や団体における憲法理念の遵守が大切だと思ってまいりました。本件は、その問題の象徴的な事例だと捉えています。
繰り返しますが、貴誌への掲載論稿は岩手靖国訴訟に関わるものであって、宇都宮君批判の論稿ではなかったのです。貴会は周囲を説得して、私の表現の自由を擁護すべきだったのです。私は、貴会に反省していただきたいという気持を持ち続けます。この問題はけっして終わっていないことをご確認ください。
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早春の妖精スノードロツプ(まつゆきそう)
「庭が雪の下に沈んでしまった今頃になって、急に園芸家は思い出す。たった一つ、忘れたことがあったのを。それは庭をながめることだ。
それというのもーまあ、聞きたまえー園芸家にはそんなひまがなかったからだ。夏、花の咲いているリンドウをとっくりながめようと思うと、芝生の雑草をぬくために、途中で立ち止まることになる。花の咲いたデルフィニウムの美しさを楽しもうとすると、支柱をあたえることになる。アスターが咲くと、根もとにはえたカモジグサをぬく。バラが咲くと、台芽をとるか、ウドンコ病のしまつをする。キクが咲くと鍬をもって駆け付け、踏み固めた土をほぐして柔らかにする。どうしたらいいのだ?いつもなにかしら、しなければならぬことがある。両手をポケットに突っ込んで庭をながめてなどどうしていられよう?」(カレル・チャペック著「園芸家12カ月」 12月の園芸家より)
「『園芸家にとっては、1月という月も けっしてひまではない』と、園芸の本には書いてある。たしかにそうだ。1月は、天候の手入れをする月だから。天候ってやつは妙なものだ。ぜったいに順調ということがない。・・・園芸家がいちばんおそれるのはブラック・フロストの襲来だ。(黒い霜といっても霜ではない。乾燥した猛烈な寒さがおそってくると、植物の葉や芽が黒くなるからだ。)大地はこわばって、骨まで干上がる。日ごと夜ごとに寒さが激しくなる。園芸家は、石のようにかちかちになった、死んだような土の中で寒さにふるえている根を思い、からからに乾いた氷のような風が、骨の髄までしみ込んでくる枝を思い、秋のうちに持ち物全部をふところにしまいこんだまま、こごえるように寒がっている球根を思う。」(同著 1月の園芸家より)
日本の冬は、カレル・チャペックの生きたチェコの冬と較べると、まるで天国のようだ。特に南関東では、真冬でも、アオキやセンリョウ、マンリョウはつやつやとした赤い実をつけ、青々とした葉を茂らせている。ヤブツバキは赤い花をこぼれるように咲かせている。ロウバイは蝋細工のような黄色い花から、清々しいかおりを大気に放っている。秋に植えた球根も、寒さなんかどこ吹く風とばかり、日本水仙はもう花を咲かせている。日当たりでは、もうチューリップもクロッカスもむっくりと芽をだしている。
それらの中で小さいがゆえに、特に可愛らしいのが、スノードロツプ(まつゆきそう)だ。秋に植えた球根は大豆を二回りほど大きくしたぐらいのサイズで、こんな小さなもののなかに花を咲かせる力がつまっているのかと疑わしくなる。暮れから小さな芽はだしていたが、今日よく見れば、長細い葉がはじけて、花の蕾をつけた茎がこぼれ出ている。高さは10センチに満たない。うっかりしていれば、見過ごす。一球に一茎、その先に一花がプランとぶら下がって咲く。春を告げる高貴で尊い花だ。外向きに開いた細長い3枚の白い花弁の内側に3枚の花弁が小さなカップを作っている。カップの下端に渋いグリーンのハート模様が浮き出る。乳白色の陶器で作られた、さわるとこわれそうな小さな花。固まった雪の雫が落ちてきて、乙女の耳飾りになったかのようだ。早春の妖精のようではあるが、人への贈り物にすると「あなたの死を望みます」というメッセージになるので注意とは、恐ろしいではないか。
昨秋、チューリップを150球植えてあるので、春の来るのが例年にもまして待ちどおしく楽しみである。準備無ければ花も咲かずである。
(2014年1月24日)
第186通常国会は、明日(1月24日)召集される。会期は6月22日までの150日間。
24日には首相の施政方針演説があり、28〜30日に衆参両院で与野党の代表質問が行われる。政府・与党は首相がソチ冬季五輪の開会式に出発する2月7日までに補正予算案を成立させ、その後、早期に14年度予算案の審議に入る方針。安倍政権は、「好循環実現国会」を掲げて成長戦略関連法案32本の提出を予定し、4月の消費増税による景気の腰折れ防止に全力を挙げる構え。これに対し、民主、共産両党は先の臨時国会で成立した特定秘密保護法の廃止法案を用意し、安倍政権との対決姿勢を強めている、と報じられている。衆参両院の憲法審査会も動き出すだろう。4月には、安保法制懇の答申を受けての集団的自衛権論議が白熱することになるだろう。教育委員会制度を見直す地方教育行政法改正案、労働者派遣法改正案、原発再稼動問題、原発輸出問題などもある。けっして、無風、平穏な通常国会となるはずはない。
ところで国会の招集は天皇の国事行為(憲法7条2号)である。第186通常国会の招集も天皇の「詔書」によって行われる。以下が、天皇の国会召集を伝える本年1月14日付「官報」(号外)の全文。
「詔書」
日本国憲法第7条及び第52条並びに国会法第1条及び第2条によって、平成26年1月24日に、国会の常会を東京に招集する。
御名 御璽
平成26年1月14日
内閣総理大臣臨時代理
国務大臣 麻生太郎
「詔書」などという言葉が今も生きているのだ。それにしても、ことさらに主語を省いて、「国会の常会を東京に招集する」とは、何とも間の抜けた不思議な文章。
もしかして、「御名 御璽」(ぎょめい・ぎょじ)が分からぬ人がいるのではないだろうか。オリジナルの文書には、「明仁」の自署と、天皇印の印影がある。何故かは分からぬが、「明仁 印」とあからさまにしたのでは畏れ多いのだという。そのような配慮から、名前と印に尊敬語の「御」を付けて、「原文には、ここに天皇のお名前が書いてあり、ご印が押されているのですよ」とする約束事なのだ。戦前から少しも変わっていない。
なお、この天皇印たる「御璽」は金製で3寸四方の角印、重量は約3.55?あるのだという。昔、大学の講義でこのことを聴いたときのことを思い出す。当時は、裕仁が天皇であった時代。「必ず裕仁氏自らこの3キロ半の印を手にして押捺する」のだという。天皇の仕事はけっして楽ではない。「重」労働ですらあるという。大教室に満ち満ちた、当時の学生たちのトゲのある冷笑の雰囲気が懐かしい。
なお、この「詔書」に、内閣総理大臣臨時代理として麻生太郎が副署しているのは、安倍首相が外遊中だったため。
明日1月24日午後1時から10分間の予定で、開会式が行われる。この通常国会を招集した天皇が、自ら招集の「おことば」を述べる。場所は参議院本会議場。かつての貴族院である。その本会議場正面の議長席背後に玉座がしつらえてある。議場を見下ろすこの位置で、天皇は衆参両院の議員を見下しつつ、おことばを述べるのだ。国民の代表が、天皇を見上げつつ、その「おことば」をありがたく「うけたまわる」ことになる。
この玉座、正式には参議院で「御席」というそうだ。旧憲法時代、今の参議院は貴族院だった。天皇は、貴族院の玉座に臨席し、統治権の総覧者として、立法の協賛者である帝国議会の各議員を睥睨した。この建物の構造は、当時の主権者と臣民の位地関係を象徴するものであった。いま、同じ場所が参議院本会議場となり、同じ「玉座」から「象徴である天皇」が、「主権者である国民の代表」に「おことば」を発している。敗戦を挟んで、我が国は本当に変わったのだろうか。
「国会を召集すること」は天皇の国事行為の一つではあっても、「国会の召集」は「詔書」に署名捺印すれば済むことで、国会まで出向いて開会式に臨席し「おことば」を述べるなどは憲法に記されたことではない。
天皇の行為には、憲法に厳格に制限列挙された国事行為と、純粋に私的な行為との2類型がある。本来、この2類型しかなく、「おことば」や「皇室外交」はそのどちらでもない。憲法上の根拠を欠くものである以上、本来行うべきものではない。
ところが、天皇の国事行為と、純粋に私的な行為とは別に、天皇の「公的行為」という中間領域の範疇を認める立ち場があり、開会式のお言葉はこの範疇に属するものとして行われている。皇室外交や、園遊会の主催、国民体育大会、植樹祭への出席等々も同様。当然に、憲法違反だという批判がある。批判があるが、やめようとはしない。
やめようとしないのは、為政者が、天皇の権威主義的国民統合作用を統治の具として重宝と考えているからだ。為政者は、常に「民はもって之を由らしむべし。知らしむべからず」と考えている。天皇制下の擬似家族的連帯意識と家父長の権威に寄りかかる権威主義、そして序列感覚の涵養が、統治しやすい国民の育成にこの上なく便利だからである。
象徴天皇制は、憲法上の制度として軽々に改変することはできない。しかし、天皇の影響力の範囲は一寸たりとも拡大してはならない。また、「内なる天皇制」については、これを克服することが可能である。臣民根性を排して、主権者意識を育てよう。この主権者意識の育成を阻害するものこそ、「前主権者」である天皇制なのだ。まずは、政権による天皇の政治利用、天皇自身による天皇の政治利用をきちんと批判しよう。
開会式への意識的欠席は、議員の見識である。その反対に、国会開会式で天皇に平身低頭する国民の代表がいないか、明日はよく目を光らせようではないか。
(2014年1月23日)
私には、水に落ちた犬まで打とうという趣味はない。しかし、水に落ちていない犬は断固打つべしと思う。それも、タチの悪い獰猛なボス犬であればなおさらのこと。
18日に設置の予定となった都議会百条委員会設置の趣旨は、水に落ちた犬を打とうというものではなかったはず。たまたま表面化した政治と金とのしがらみの実態を議会人の手で暴き出して、金で動かされることのない政治風土を構築しようということだったはず。その意欲やよし、と思っていたら、都知事辞任でポシャってしまった。20日の議会運営委員会で、「猪瀬知事の金銭授受問題の真相究明のため、当初は同日に臨時会を開いて決める予定だった百条委員会の設置を見送った」という。何てことだ。
既に水に落ちてしまった犬の首をとったところで、たいした手柄にはならない。都民が期待したのは、まだ水に落ちていない獰猛なボス犬の責任追及だ。できれば、その首が欲しい。いったい、猪瀬はどうして徳洲会に近づけたのか。誰がどのようにしてこの二人を固い帯封で結びつけたのか。ずいぶん早い時期から、「徳洲会マネーは、首都圏のある知事に3億、ある副知事に5000万円わたっている」と噂された。「ある副知事」の方は事実であった。「ある知事」についてはどうなのか。その徹底解明がなければ徳洲会マネーの都政丸ごと買収の構造は見えてこない。
2度にわたる石原ー猪瀬会談で、猪瀬辞任の方向付けができたという。さぞかし、醜悪な内容であっただろう。おそらくは、疑惑が石原側まで飛び火せぬよう打ち合わせがあり、その結果としての知事辞任だったのではないか。
それにしても、都議会各派のなんとも物わかりのよい豹変ぶりだろうか。
東京新聞夕刊は、「猪瀬知事の辞職表明については、都議会の全会派が『疑惑に対する説明が不十分』との見解を示したが、20日の議運では共産党を除く五会派が設置撤回に賛成した」「百条委での真相究明を決めたばかり。議会の役割を放棄したとの批判も出そうだ」と指摘している。
もしかしたら、「猪瀬の首だけで、疑惑の追及はお終いにする」という、事前の諒解があっての茶番だったのではないか。都議会議員の諸君、それぞれが、脛に傷もあり、叩けばホコリの出る身だったのではないか。
同紙が、吉原修委員長(自民党)の言い訳を掲載している。「知事不在で百条委をつくるのはどうか。名称も『都知事猪瀬直樹君と徳田毅氏との金銭授受等に関する調査特別委員会』で、現職に対するもの。議会として、それ以上踏み込むのは難しい」と理由を説明した」というもの。
知事が辞任したところで、解明すべき疑惑がなくなるわけではない。猪瀬その人が証言できなくなったわけでもない。「知事不在」でも、百条委員会設置の必要性も、有用性もいささかも減じるところがない。「知事不在」(知事辞任)が設置撤回の理由になるとはとうてい納得しかねる。
すくなとも本日現在では猪瀬は現役の知事なのだから、名称に不都合はない。あるいは、「都知事猪瀬直樹君」とは、「疑惑発覚時に都知事である猪瀬君」と解釈すればよろしい。それでは見苦しいというのなら、改めて名称を「都知事」をはずして、「猪瀬直樹君」でもよし、「元都知事猪瀬直樹君」としてもよい。こんな形式的なことを設置撤回の理由に挙げること自体がおかしい。何らかの裏取引があったと勘ぐられることになろう。
同紙が紹介している共産党の大山とも子幹事長談話「名称で設置をやめるのはおかしい。議会は真相を明らかにする役目がある。百条委設置は知事を辞めさせるのが目的だったのか」に共感する。
今回も、水に落ち損ねたボス犬の高笑いが聞こえる。
関連して、今朝の赤旗で市田書記局長が語っている。
「猪瀬都政を支えてきた会派の責任も重大だ。唯一の野党として『革新都政をつくる会』や広範な都民のみなさんと協力して、都政刷新にふさわしい候補者擁立のためにただちに準備に取りかかりたい」
2014年都知事選のスタートである。形だけの共闘で良しとし、統一の実を結ぶことができぬまま惨敗した前回選挙の轍を踏むことは避けたい。「都政刷新にふさわしい候補者の擁立」を心から期待する。
(2013年12月20日)
福嶋常光さんの代理人の澤藤です。福嶋さんは、先ほど、東京地裁民事第19部の法廷において、都教委を被告とする訴訟での「減給6か月の懲戒処分を取消す」という全面勝訴判決を得ました。私からは、取材の皆さまに2点についてお話し申し上げたい。
その第1点は、「日の丸・君が代」への敬意表明の強制、あるいは「日の丸・君が代」強制に従えないとして処分された教員に対する服務事故再発防止研修受講強制の本質について。
私は弁護士です。在野の存在。権力との対峙を職務としています。けっして権力のイデオロギーに屈服してはならない。常に、そう自分に言いきかせています。
皆さんはジャーナリストだ。まさか、権力の垂れ流す情報を右から左に伝えることが職分だとお考えではないでしょう。国家のいうとおりにはならないことこそが、あなた方ジャーナリストの矜持であり、真骨頂だ。
実は教員だって同じこと。戦前の教員は、国定教科書で国家神道のイデオロギーを子どもたちに注入する道具だった。その結果が、「戦争は教室から始まる」といわれる軍国主義教育となって国を亡ぼした。その反省から、教員には、専門職としての教育の自由が保障されている。憲法23条の「学問の自由」がそれだ。教員は、けっして権力の伝声管ではない。子どもたちを、国家権力への従順な僕にしてはならない。そう考える教員は起立・斉唱・ピアノ伴奏に従えない。この点をご理解いただきたい。
とりわけ、累積加重システムとはなにか。起立・伴奏の命令に屈服するまで、際限なく懲戒処分が加重される仕組み。これは、思想や良心を変えるまで処分を加重するという、思想の転向強要システムではないか。再発防止研修の強制も同じことだ。さすがに、最高裁判決も、これはまずいといっている。累積の処分も、加重したら裁量権濫用で違法ということは、さすがに認めている。
今日の判決は、そのような文脈でのもの。最高裁は、「日の丸・君が代」強制を違憲とまではいわないが、思想良心自由を侵害する側面のあることは認めて、戒告を超える過重な処分を違法とした。福嶋さんに対する、本件の服務事故再発防止研修の強制もそのような意味で違法とされ、取り消された。この意味は小さくない。
もう1点。都教委のやり方が、余りにも滅茶苦茶であること。
福嶋さんは、絵に描いたような真面目な教員。都教委は、その真面目な教員に、1日の授業を潰して再発防止研修を受けろと命令した。福嶋さんは、これを拒否しなかったが、指定された日には5時間の授業があった。この授業は他の教員に交代ができない。だから、福嶋さんは、研修の日程を授業のない日に変更してもらうよう申し出た。しかも、候補日を6日も挙げてのこと。信じられないことに、都教委はこれを拒否したのだ。特に理由はない。処分を受けた者に、研修日程の変更を申し出る権利などないということなのだ。
真面目な教員が授業を大切にする立ち場から研修の日程変更を要望し、不真面目極まる都教委が授業などどうでもよい、というのだ。このコントラストが際立っている。結局福嶋さんは、授業を優先せざるを得なかった。それが、減給6か月というのだ。呆れた話しではないか。東京都教育委員会とは、「非教育的委員会」でしかない。
さすがに、こんな滅茶苦茶は裁判所も認めなかった。その意味では、今日の判決は当然の判決。まさか、都教委が控訴することはあるまいと思うが、ほかならぬ都教委のこと、敗訴の確定を少しでも先延ばしにしようと無駄な控訴をするかも知れない。私たちは、「控訴は恥の上塗りとなるだけだ」「税金を無駄にする控訴はするな」と要請行動をする予定。ぜひ、これについても報道していただきたい。
(2013年12月19日)
私が選択した職業は「代言人」ではなく、「弁護士」である。弁護士は、権力から訴追を受ける者に寄り添うことを職務とする。いかなる犯罪者といえども、権力の前には裸の弱者でしかない。その弱者に徹底して味方することを通じての人権擁護と社会正義の実現とが法の期待するところ。
在野・反権力の立場にあって、人を訴追するのではなく弁護することが習いとなり性ともなっている。だから、人には甘い。その人の弁明が身に沁みて分かってしまう。徹底的に人を追い詰め、責任を明らかにすることは、正直なところ性に合わない。言葉を換えれば、いじめられる側に立つことが本分だ。寄ってたかっていじめる側に立つことは本意でない。
もっとも、世の中にはいじめる側に立つことに快感をおぼえる人種もいる。ときには、人をつるし上げることが得意だと吹聴する愚かなゴロツキにもお目にかかる。また、こういう輩と無神経に付き合っていることのできる人も少なくない。私には虫酸が走る。
私にとって、猪瀬直樹という人物は権力を背負った典型的ないじめる側の存在だった。傲岸不遜なその態度は、批判を遠慮してはならないと思わせるもの。しかし、今や、彼はいじめられる側に落ちている。水に落ちた犬を打つのは、私の流儀ではない。むしろ、彼のためにどうすればよいかを考えたい。
最善のアドバイスとして、猪瀬さんに自首をお勧めする。
まずは、請託があったことを認めての受託収賄罪(刑法197条1項後段)の自首。徳洲会側から、都政での便宜を計らっていただきたいとの依頼があってこれを承諾し、その見返りに5000万円を受領したことを認めてのもの。請託を認めなければ、単純収賄罪(刑法197条1項前段)の自首だ。心許す弁護士と相談されるがよい。
自首とは、罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に、捜査機関に対して犯罪を犯した旨を自発的に申告することをいう。自首が成立すれば刑の減軽事由となる(刑法第42条1項)。犯罪が捜査機関に発覚したあとでは自首にならない。だから、自首は一刻も早い方が良い。もっとも、仮に自首の要件を欠く場合にも、酌量すべき情状としては期待しうる。
単純収賄罪について、自首すべき犯罪事実とは、「東京都副知事である猪瀬が、副知事としての職務に関連して事実上の影響力行使の対象となっている東京電力病院入札業務に関して、2012年11月20日、徳田虎雄から賄賂として5000万円を収受した」というもの。
単純収賄罪(法定刑は5年以下の懲役)は、請託の存在を要件とせず、公務員の不正行為も要件ではない。猪瀬が徳洲会に「便宜を図った」か否かは、犯罪成立には無関係である。唯一、賄賂の収受と職務との関連性だけが要件である。その要件で、職務の公正に対する社会の信頼という保護法益を損うに十分とされているのだ。
ここでいう職務は、必ずしも「法令に明記された職務」に限られない。「法令に明記されていない職務」であっても、あるいは、「職務に密接に関連する行為」(「準職務行為」や「事実上所管する行為」)でも、さらには「事実上の影響力を利用して行われる行為」をも含むとするのが判例の立ち場である。
もちろん、東電病院の売却や入札業務は、東京都の業務ではなく、株式会社である東電の業務ではある。しかし、東京都は東電の大株主としてその動向に絶大な影響力を持ち、猪瀬は副知事として自ら東電の株主総会に乗り込んでまでして、東電病院売却を決定させている。この件については猪瀬自身が職務に関連する大きな影響力を持っていたというべきである。この影響力の行使において、職務の公平性についての社会的信用を毀損してはならない。
昨年11月6日に、猪瀬が徳田虎雄に面会した際、徳田は猪瀬に、東京電力病院の取得を目指す考えを伝えた。このとき猪瀬は、自らが東電に売却を迫ったことを話したという。この阿吽の呼吸がぴったりあったその直後(11月20日)に、5千万円は提供された。このことは、関係者の話でわかった旨報道されているが、捜査機関のリークの可能性も高い。おそらく、事実なのであろう。
とすれば、徳洲会が、猪瀬が副知事としての職務権限を背景とする東電の入札事務への影響力に期待して、5000万円を提供したものと考えられ、猪瀬はこれを収受したものというべきである。それなら、収賄罪の職務関連性の要件は充足されたことになる。もちろんそれだけでなく、医療行政上の許認可や、補助金等への配慮への期待も、暗黙の応諾もあったであろう。
なお、11月6日に、請託があれば、罪は加重されて懲役7年以下となる。また、5000万円の提供が、仮に貸金であったとしても、金融の利益自体(しかも、無利息・無担保)が賄賂に当たる。
猪瀬さん、ぜひ、自首を。
(2013年12月18日)
昨年の12月16日が総選挙の投開票日。「安倍自民圧勝」、「維新躍進」と憲法の危機を自覚させられ日になった。その後の一年は、その時の危惧がけっして杞憂ではなかったことを物語っている。また、同日に行われた都知事選挙でも、石原後継の猪瀬が大勝、リベラル派の宇都宮は惨敗だった。東京都の反憲法的行政は相変わらずである。
一年前の胸の痛みを思い出す。正月は、ちっとも目出度い気分ではなかった。改憲阻止の世論作りに少しでも貢献しようと、今年の1月1日から当ブログを再開した。1月から3月までは日民協に間借りして。4月1日以後は独立して遠慮なく書くべきことを書いている。もの言わぬは腹ふくるる業、誰にも遠慮する必要なく言うべきことを言えるのは、精神衛生上素晴らしいこと。そして、全体状況が、やや明るさに向かっていることを実感している。
今年の初頭には、安倍の行動は次のように予測されていた。
「7月参院選まではタカ派の爪を隠すだろう。経済政策に専念して、ネジレ解消に成功したら、その後しばらくは国政選挙のないことを見越して本性を表すに違いない」
おおよそは、この筋書きのとおりとなっている。しかし、安倍自民にもいくつもの誤算があった。彼らも思い通りにはいかない苛立ちをもっているはずだ。参院選前の対決テーマは、「96条先行改憲」と「靖国神社参拝」であったが、二つながら彼の思惑のとおりとはなっていない。
それだけではない。ネジレ解消後は集団的自衛権行使容認の解釈変更のために強引な法制局長官すげ替え人事を行い、特定秘密保護法を強行突破したが、ここにも誤算が見える。世論の反発は、彼の予想を遙かに超える大きな規模のものとなった。強行採決に次ぐ強行採決で成立をゴリ押しした特定秘密保護法には、既に法律の廃止を求める異例の運動が巻き起こっている。正体を露わにした安倍自民の壊憲攻撃と、改憲阻止勢力との対決はこれからが本番となる。
私は柄にもなく昨年の都知事選挙で、宇都宮陣営の選対に加わった。これまで経験のないことで、右往左往するばかりだったが、「惨敗」の結果は驚愕だった。ダブルスコア、トリプルスコアという語彙は知っていたが、4倍を遙かに超える票差をどう表現するのかを知らない。なぜ、こんなに大差で負けたのか。選対の公式総括には納得が出来ず、何人もの人に尋ねてきた。最も多くの人の意見は、「知名度の差」だ。「最初から勝負にはならないことは分かっていたでしょう」「勝敗よりは、共闘の形だけが欲しかったのでしょう」などと、私には衝撃の言葉を聞かされた。続いての意見は「石原都政が批判に値するほど悪いと思われていなかったから」という、これはとても不愉快なもの。
惨敗の原因が「知名度の不足」だとすれば、候補者選択の時点で既に勝負あったということになる。猪瀬退陣が現実味を帯びてきた今、リベラル派の候補者を模索しなければならないが、前回選挙と同じ候補者では同じ轍を踏むことにならざるを得ない。本気で勝つためには、知名度の高い、有権者に魅力のある候補者を擁立しなければならない。本気で勝つ気はないと思われる候補者選びや、共闘の形づくり、惨敗の反省がないなどと言われる恐れのある選挙母体であってはならない。前回選挙とは総入れ替えした清新な選挙母体で、勝てる候補者の人選をしなければならない。当然のことながら、昨年の惨敗の責任の一端を負わねばならない私などは、新たな選挙に関わらない方が良いと思っている。
一年前には得意満面だった猪瀬知事が、いまは窮地に立たされている。一年後には、安倍の進退だってどうなっているかは分からない。大きな民衆の力で、安倍の2度目の退陣を見たいもの。今度の正月は、昨年よりは多少マシな気持で迎えられそうだ。
ところで、私が、昨年の都知事選について、「私的総括」した文章を「ブックレット・ロゴス」のシリーズに掲載していただいた。村岡到さんという「活憲左派」を名乗る、その道では著名人の編集によるもの。「活憲左派?市民運動・労働組合運動・選挙」という、内容が浮いて見えてきそうな書名。
「活憲」とは憲法を守るだけでなく使いこなして活かそう、ということ。「左派」とは、日本共産党の活動を冷静に評価し市民活動との共同を展望しよう、ということだという。そのスローガンには、もとより異論がない。
同書の目次は以下のとおり。
村岡 到 〈活憲左派〉の意味
池住義憲 「政党支持」でなく、「政策実現」運動を
片山光広 練馬区職労における共同行動の実績
澤藤統一郎 都知事選挙「惨敗」の教訓
佐治義信 非正規雇用の拡大と労働組合の可能性
柳田勘次 革新勢力の衰退と労働組合活動の後退
吉田万三 「成長を前提にした時代」からの脱却を
櫻井善行 左派の敗北を謙虚に受け止めて
太田啓補 岡山における共同行動の教訓
大波慶苗 政治の現況と活憲左派の目標
平岡 厚 「活憲」のための運動の意義
北村 肇 討論会への協賛メッセージ『週刊金曜日』発行人
「国政選挙で共同を進める長野県民の会」の一員 貴会のご盛会を祈念
資料 アピール 活憲左派の共同行動をめざす会を創ろう!
「戦後民主主義」の後ろ向きの到達点──あとがきに代えて
ご注文は下記に。
電話03-5840-8525 FAX 03-5840-8544
〒113-0033 東京都文京区本郷2丁目6番11号 ロゴス
四六判134頁1200円+税
(2013年12月17日)
さあて、お立ち合い。御用とおいそぎのない方は、ゆっくりと聞いておいで。
遠目山越し笠の内。聞かざる時は、物の善悪・黒白がトーンと分からない。山寺の鐘ゴーンと鳴ると雖も、童子一人来たって鐘に撞木をあてざれば、鐘が鳴るやら撞木がなるやら、その音色も分からない。
さて、手前ここに取りい出だしたるこれなるこの包み。
この中には1000万円の札束が五つ。合計5000万円がはいっている。山吹色は目の薬、目の保養。命の洗濯にもなる。1000万円を拝めば、1年の寿命が延びるというもの。つい先ほど貸金庫から取り出してきたばかりの、めったに見られぬ5000万円のお宝だ。5年の寿命を保障する。さあさあ、とくとご覧じろ。帯封がついたままじゃ。
なに? この札束、借りてきたのか、もらったものかとな? ヤボなこと聞くんじゃないよ。差し障りがなけりゃ私のポッポに収まるし、都合が悪くなったら「借りた金」。鎌倉方面に返しに行くのさ。あんたも子どもじゃあるまい。そのくらいは、お分かりだろう。
この札束をナツメの中に入れて大道に置くときは、天の光と地の湿りを受けて、阿吽の呼吸が天地陰陽の合体をなし、パッと蓋が開く。ナツメから札束が躍り出て、札束がものを言う、札束が芸をする。ツカツカツカと進むが虎の小走り虎走り、虎が踊るや虎の舞。スポンサーにあやかって、虎にまつわる芸当は十二通りだ。
おっと、お立ち会い。札束がものを言う、踊り出すくらいのことで、投げ銭や放り銭はおことわり。大道商いはしておれども、これでも本業はルポライター、副業に首都の知事もやっている。給与一年返上と言えども、投げ銭や放り銭を拾うわけにはまいらぬ。
しからばお前、投げ銭や放り銭を断って、いったい何をなさんとしているかと言えば、手前商わんとするは、金看板示すが如く、徳丸印の妙薬は陣中膏ガマの油だ。ガマの油だよ、お立ち会い。
さて。 手前取りい出したるは一匹のガマ。縁の下や流しの下、そこにもいるここにもいるというひきがえるの類とはちと格が違う。薬石効能の足しになるのは、5本の指がみんな丸く5輪をなしたる、お・も・て・な・しのガマでなくっちゃならない。銭儲けの功徳あらたかな五輪のガマだよ、お立ち会い。
このガマは、相模の国は鎌倉の湘南鎌倉総合病院辺りで、黄金色の山吹の花だけを食して育つ。ほれ、このガマの肌つやが黄金色に輝いているのをご覧じろ。大きな口だろう。これがガマグチ。
此のガマから油を採るにはどうするか。四面に鏡を張った箱を用意する。この箱に、ガマを追い込んでロウソク1本立てるときには、ガマは鏡に写った己の醜い姿に、己が己に驚いて、タラーリタラーリと油の汗を流す。ブエノスアイレスでは、格好よかったはずと思いきや、鏡に照らしだされた真実の己の姿の醜さに、びっくり仰天いたしまして、額から汗が出るやら、脇の下から油が出るやら。
このびっしょりの油汗をば下の金網にてすき取り、三七は二十と一日の間、柳の小枝でトローリトロリと煎じて煮詰め、徳丸印の秘伝の神薬に、赤い辰砂、椰子の油、テレメンテーカにマンテーカ、かような唐・天竺・南蛮渡りの妙薬をば、練り合わせて、造ったのが、これぞ此の徳丸印の軍中膏ガマの油じゃ。お立ち会い。
ガマの油の効能は、火傷・金創・槍傷・刀傷・鉄砲傷・擦り傷・掠り傷・歯の痛み・外傷一切をたちまちにして直す。血止め、痛み止めにも効能あらたかだ。何たって、徳丸虎印の妙薬じゃ。あっちでばらまき、こっちでこっそり包んだ、巨額の製造コストがかかっている。
正直にお断りしておこう。それでも、直せないいくつかの病がある。
まずは、金権病・お金大好き病・威張りたがり病・嘘つき病、こそこそ病、そして「にぎにぎ病」と「袖の下病」などなどだ。一度壊れた政治家のイメージも直せない。
さあて、お立ち合い。お立会いの中には、そんなに効目あらたかなそのガマの油、いったい幾らで分けてくれるかという方があったら、此のガマの油、本来は一貝が2万円でパーティー券とセットなのだが、今日ははるばると出張っての御披露目。
男度胸で女は愛嬌、坊さんお経で、山じゃ鶯ホウホケキョウ、筑波山の天辺から真逆様にドカンと飛び下りたと思って、その半額の1万円。たったの1万円だよ。
私は義理で、これ売らなきゃならない。お世話を受けたら、親切な方には、ご恩返しをしなくっちゃね。これが、人の道というものだろう。汗をかいても、油にまみれても、ご恩返しに、「徳丸印のガマの油」を売り込んているんだよ。433万人が買ってくれると見込んでの大商い。感動的な噺じゃないかね。
残りの品もまことに数が少ない。ハイと、お手を上げた方から、お早いが勝ちだ。さあ、どうだ?
何? どなたもお買い求めにならない? はて、面妖な。
(2013年12月16日)
今週の木曜日19日に、「授業してたのに処分」事件訴訟の東京地裁判決が言い渡される。「授業してたのに処分」事件とは、まことに言い得て妙なネーミング。言うまでもなく、教員の本分は授業をすることにある。都立福生高校教員であった福嶋常光さんは、誠心誠意その本分を尽くしていたがために減給6か月の処分を受けた。「授業してたから処分」と言ってもよい。
経緯はこうだ。2005年3月の卒業式において、福島さんは2回目の不起立で減給1か月の処分を受けた。処分を受けると、引き続いて嫌がらせの服務事故再発防止研修の受講を義務づけられる。明らかな思想良心に対する追い打ちの侵害行為だとは思いつつも、これを拒否すればさらなる「職務命令違反」となりかねないのだから、受講せざるを得ない。この再発防止研修は戒告処分者に対しては一般研修で終わるが、減給以上処分を受けた者に対しては、追加して専門研修の受講を命じられる。
福島さんは、滞りなく一般研修は受けたが、専門研修として通知された当日には5時間の授業があった。しかも、どうしても他の教員に代わってもらうことができない。当然の処置として、福嶋さんは都教委に研修の日程変更を申し出た。しかし、都教委は日程変更が可能であったのに、何の理由もなく変更を拒否した。都教委にとって、生徒の授業を受ける権利も、教員がその本分を尽くしたいとする情熱も、何の関心の対象でもなかった。ひたすらに、「日の丸・君が代」強制に抵抗した怪しからん教員に対する徹底した嫌がらせの貫徹だけが関心のすべてであった。
福嶋さんは、戸惑ったが、結局は生徒に対する授業を優先した。こうして、普段通りの授業をしていたことが、減給6月の重い処分となったのである。これが、石原・猪瀬教育行政の実態である。信じられることだろうか。
19日、福嶋さんは必ず勝訴判決を得ることになる。理由を説明するのは煩瑣だが、訴訟の過程が福嶋さんの勝訴が100%確実であることを物語るものとなっている。
予め申し上げておきたい。こんな事件のこんな判決に都教委は控訴してはならない。恥の上塗りをするだけになるのだから。誠実に福嶋さんと生徒や父母たちに謝罪し、こういう馬鹿げた処分をした責任を明確にして、再発防止策を講じなければならない。
ところで同じ19日には、都教委の委員会定期会合が行われる。この席で、7名の教員への再処分が行われる可能性がある。しかし、「授業してたのに処分」事件の如く、都教委の処分はめちゃくちゃであり、既にぽろぽろなのだ。残念ながら、東京地裁判決が13時15分言い渡しであるが、教育委員会は午前10時開催である。だから、よく言っておきたい。その日の午後に、あなた方は全面敗訴の判決を受けることを肝に銘じなければならない。それでも、再処分ができますか。
最高裁で減給処分を取り消された現職の都立高校教員は7名。10月25日、この人たち全員に、改めての戒告処分発令を前提とした「事情聴取」が強行されている。これまで、「再処分をするな」と都教委に申し入れをしてきた。日本共産党東京都議団も都教委第19回定例委員会開催の前日11月27日に「再処分を行わないよう」都教委に申し入れている。
都教委は、最高裁から、違法な行為をした旨断罪された。よくよくのことと、恥じ入らねばならない。謂わば、最高裁からブラック官庁の烙印を押されたに等しい。まずは謝罪し、二度と同じ過ちを繰り返さぬようしっかり反省し、責任者を明確にして、再び違法な処分をすることのないよう再発防止策を講じて公表すべきである。それを、あろうことか居丈高に居直って、再処分とはなんという破廉恥。
よく知られているとおり、憲法39条は、「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」と定める。前段が「遡及処罰の禁止」、後段が「一事不再理」ないしは「二重の危険の禁止」と言われる原則である。後段が本件に直接関わるの問題となる。当然に、本件へのこの条項の適用ないし準用の可否が問題となる。
憲法は、公権力が捜査権や刑罰権という形で発動される刑事事件について定めているが、科刑に類する公権力の発動の場合にも、準用すべきだというのが有力な学説。懲戒処分は当然に含まれると解すべきである。再処分がなされれば、当然にこの点だけで最高裁まで争う大きな裁判になる。
一般職公務員の懲戒処分についての適切な裁判例は見つからない。しかし、「地方公共団体の議会の会議規則中議員懲罰に関する実体規定を、規則制定前の議員の行為に適用し懲罰議決をすることは違法である」とする、1951年4月28日最高裁第3小法廷の除名決議取消請求事件判決(民集第5巻5号336頁)があり、また、1958年9月30日福岡地裁の「地方公共団体の議員に対する議会の懲罰については、刑罰とは異なるけれども、一種の制裁という意味において、同一事実に対し重ねて懲罰を科し得ないという一事不再理の原則が導かれる」としているという判決がある。したがって、すくなくとも、地方公共団体の議員に対する懲罰については、遡及処罰の禁止及び一事不再理という憲法39条の前段後段ともに準用が認められていると言えそうである(「論点体系判例憲法2」など)。
高度な自律権を有している議会の議決において、39条の準用が認められているのであれば、一般職の公務員にたいする自治体の処分についてはなおさら、というべきである。
予め都教委に警告しておきたい。法律論を云々するまでもなく、再処分などはおやめなさい。最高裁裁判官多数の補足意見に耳を傾け、良識ある都民の共感を得る教育行政に姿勢を戻していただきたい。石原後継の猪瀬都政も、この先短いことが明らかではありませんか。 ********************************************************************
人はそれぞれに、独自の関心領域をもっている。関心が人と共通することはなかなかにない。だから、自分の関心事を勢い込んでお話ししても、「それがどうした?」「それって、何か大切なことなんですの?」と言われることがオチ。今日の話題は、典型的なその類のオハナシ。
グーグルの検索サイトで、「憲法」というキーワードを打ち込むと、700万件を超えるサイトの標題が紹介される。どのような基準でその順位が付けられるかについては何の知識もないが、700万件のトップテンとなって、冒頭のページに掲載されるとすれば凄いこと、だろうな。そう、思っていた。凄いことではあろうが、できっこないとも。
それが、できたのである。当ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」が、グーグル「憲法」検索サイトで776万件のトップページに掲載された。これは事件だ。但し、極めて個人的なレベルでの「事件」。そして、どう凄いんだか、説明のしようもない。
たまたま、一昨日にトップページ入りに気がついた。本日午前中には、「澤藤統一郎の憲法日記ーarticle9.jp」が第6位。そして、「澤藤統一郎の憲法日記ー日本民主法律家協会」が第7位である。「瞬間最高地位」である可能性が高い。記念に、プリントアウトして保管しておこう。これまで、私のブログをお読みいただいた方には、心から感謝申し上げる。
もし、フロックな順位ではないとなれば、もっと順位が上がる可能性もないではない。ちなみに、不動のトップは「e-gov」の「日本国憲法」。2位が、ウィキペディアの「憲法」。3位が同じくウィキペディアの「日本国憲法」、4位が沖縄タイムスの「憲法講座が花盛り」の記事。そして5位に「憲法条文・重要文書ー国立国会図書館」がある。政府のオフィッシャルな憲法条文提供サイトには勝てそうな気はしないが、もしかしたらウィキペディアを抜くことなら…。今後はウィキペディアがライバルだ、と意気軒昂…。
なのだが、「それがどうした?」「そんなことが、なにか?」と言われれば、「いや、別に。なんということも…」と口ごもるしかないのだが…。
(2013年12月15日)
1702(元禄15)年12月14日深夜、元赤穂藩士47名が本所松坂町吉良邸を武装襲撃し、高家筆頭吉良上野介義央と警護者16人を惨殺した。負傷者は23名とされている。
この徒党を組んでの大量殺傷事件に対して、切腹の刑が内示されたのは翌年2月3日。翌4日に、犯罪者らが預けられていた細川(熊本)・松平(伊予松山)・毛利(長門長府)・水野(三河岡崎)の各藩邸で、46人の切腹実施となった(1人足りないのは、寺坂吉右衛門が討ち入りの顛末を各方面に報告の任務を帯びて逃げ延びたため)。
前年3月14日赤穂藩主浅野内匠頭長矩が殿中松の廊下で吉良に斬りつけた殺人未遂事件への裁断が「即日の切腹」だったことに比較して、科刑の判断が年を越して、事件から50日後と大きく遅れたのは、助命嘆願の運動が大きかったことと、江戸市民の世論動向に幕府も神経質になって迷いがあったからである。将軍綱吉自身が迷いを見せていたことが記録(「徳川実紀」)に残っているという。
47人の行為は、明らかな集団犯罪。しかも、幕府の秩序に対するあからさまな擾乱行為として、取り締まり当局としては到底看過し得ない。一方、支配階級である武士のイデオロギーにおいては、「忠」こそ最高道徳。死を覚悟して主君の仇を討った「義士」の刑死は封建道徳への侮蔑ともとらえられかねない。
秩序維持のための処罰要請と、封建道徳称揚のための助命の要請との矛盾をどう解決すべきか。
構成要件該当性は明確だが武士の徳目の追求という高次の正義実現という行為の目的によって違法性が阻却されて無罪とはできないか。あるいは、有罪はやむを得ないとしても、恩赦はあり得ないか。との考慮の期間として1か月余を要した。理屈もさることながら、おそらくは各方面の意見分布や処分に対するリアクションを探っていたということなのだろう。
結論は、「義士と賞しつつの処罰」。名誉刑としての「切腹申しつけ」を科することで、法治主義の要請と封建道徳(武士道)称揚の要請を不十分ながら折衷させた。荻生徂徠の建言によるところが大きかったとも伝えられている。さらに、被害者側にも知行地没収という制裁が科せられている。明らかな市民感情への配慮であったろう。
この問題は、「秩序優先か道徳優先か」と問題を整理することもできるし、「武士階級社会の道徳において、幕府への忠誠と藩主への忠誠といずれが優先するか」とも、「法治主義において復讐が容認しうるか」とも考えられる。幕政と言えども、法は整備されていた。いかに世人からの喝采があつたにせよ、陰惨な復讐劇が許容される余地はない。にもかかわらず、浪士らの襲撃行為を「義挙」とする江戸市民の「市民感情」が存在した。幕政への批判の空気の反映と見るべきだろうが、「犯罪」か「義挙」か幕政も迷った難しさがあった。
現代人の眼からは、奇妙奇天烈な「事件」と言わざるを得ない。播州赤穂の地に、正社員300人余。非正規や系列を含めば、おそらく3000人規模を誇る地元随一の大企業が社長の不祥事で一夜にして倒産したという、大量の雇用喪失事件だ。責任は、明らかに雇主の側にある。
失業社員の怒りが、思慮のない軽率な社長に向かわず、社長とのトラブルで斬りつけられ負傷した被害者側に向けられた。「君が君たらずとも、臣は臣たれ」という、支配者に好都合な特殊な道徳観念が社会に蔓延していた。これが、浪士らの犯罪に対する処罰の判断を難しいものとさせていたのだ。
このことに関して、「福翁自伝」の一節を思い出す。緒方洪庵塾の熟生時代の叙述として次のくだりがある。
「例えば赤穂義士の問題が出て、義士は果して義士なるか不義士なるかと議論が始まる。スルト私は『どちらでも宜しい、義不義、口の先で自由自在、君が義士と言えば僕は不義士にする、君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう、サア来い、幾度来ても苦しくない』と言って、敵になり味方になり、さんざん論じて勝ったり負けたりするのが面白いというくらいな、毒のない議論は毎度大声でやっていたが、本当に顔を赧らめて如何(どう)あっても是非を分ってしまわなければならぬという実の入った議論をしたことは決してない。」
ずいぶんと昔にこの文章に接して、福沢諭吉という人物のイメージを固めてしまった。これが彼の本性なのだと、今でも思い込んでいる。彼にとっては、諸事万端が「本当に顔を赧らめてどうあっても是非を分ってしまわなければならぬという実の入った議論」の対象ではないのだ。「どちらでも宜しい、義不義、口の先で自由自在、君が義士と言えば僕は不義士にする、君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう、サア来い。さんざん論じて勝ったり負けたりするのが面白い」というくらいな議論でしかないのだ。
こういう人の言っていることは怪しい。言ってることは本音ではない。ホンネは計り知れない。ホンネが分からないから、言っていることに信が措けない。そう思って以来、諭吉の言っていることすべてが、信用できないつまらない義論ではないか。
そんな議論のひとつとして、彼は、脱亜入欧を説き、中国・朝鮮の人民に対する差別意識を露骨に語ったのだ。彼こそは、ヘイトスピーチの元祖であり、本家でもある。
意見とは、「どちらでも宜しい、義不義、口の先で自由自在」であってはならない。迷うことは当然。そのときは真摯に「ここまで考えているが、その先は分からない」というべきだ。「口の先で自由自在」に、浪士討ち入りからヘイトスピーチまで論じられたのでは、不愉快千万。
(2013年12月14日)
特定秘密保護法成立の6日から1週間。まだ、憤懣が治まらない。
本郷三丁目交差点の昼休み街宣行動は、一応今日で区切りを付けることになった。誰の指示によるでもなく、自発的に集まった人々が寒風の中で手作りのビラを撒き、みんなが交替でマイクを握った。出来合いのメッセージではなく、それぞれが自分で用意した原稿で自分の思いの丈を訴えた。参加者の意気は軒高、充実感が高い。今日は、私の出番はない。
さらにひとまわり多くの人に参加を呼び掛けて、年明けから、新しい形で定期的に街宣活動を続けようということになっている。特定秘密保護法に限らず、憲法問題で訴えなければならないことは、文字通り山積している。
名簿の作成もないが、これまで一度でも街宣活動に参加してくれた方の実数は40人近くになろう。70代が多い。身体の無理は利かないが、気持のボルテージは高い。安倍自民への怒りは心頭。今こそ何かをしなければならない、という突き上げるような共通の思い。これこそ、「前夜」の意識ではないか。
今ならまだ間に合う。明日では遅くなってしまうかも知れない。だから、今、声を上げなければならない。これが、今を「前夜」と把握する意識だ。
本日の「朝日」声欄の4投書すべてが、特定秘密保護法に関するもの。
「安倍政権に異を唱え続けよう」
「首相は、国民を軽んじたのです」
「自由を脅かす時代の再来か」
「暴挙国会 与党終わりの始まり」
「異を唱え続けよう」と言う埼玉の会社員58歳氏が、次のように綴っている。
「私の父は戦争に駆り出され、ニューギニア方面に送られて…傷痍軍人となって帰ってきた。私は大人になったある日、父に尋ねた。『なぜ当時戦争に異を唱えなかったのか』。答は、『そんなことできる時代ではなくなっていた』だった」「ここで安倍政権に異を唱えなければ、再び暗いあの時代に戻り、子や孫を苦しめるだろう。私はこれからいくらでも、特定秘密保護法に反対していく」
この人も、明確に「前夜」を意識している。
今日の「朝日」「毎日」「東京」の3紙が、いずれも社説で石破発言を取りあげている。
石破は成立した法律を読んでいない。国民や野党の批判を恐れて、さすがに報道の自由については「配慮」したはずが、彼のアタマには抜けている。ホンネを語って、報道機関に「特定秘密」についての報道の自制を求めている。要するに、「政府が秘密と指定した以上は、国民に知らせるべきではないのだから、メディアもこれに協力せよ」というのだ。
「東京」の社説が鋭く批判している。
「特定秘密を報道することに重ねて疑問を呈し、自制を求めているのだ。秘密保護法は情報統制色を帯びているが、報道をも統制する意思が潜むのだろう。
仮に他国が日本に核ミサイルを撃ち込もうとしている秘密情報を得れば、早く国民に知らせる。日本政府が極秘に核武装計画を進める情報を入手すれば公表し、国民の議論に付す?。報道機関として当然ではないか。
政府が秘密だとしても、報道機関は『報道に値する』と判断すれば、公表する。それが報道の使命である。石破氏は報道機関を政府の宣伝機関と勘違いしていないか」
まことにそのとおり。表現の自由、報道の自由、国民の知る権利に対するあからさまな敵意の表明と言ってよい。政権も与党も、ここまで来ているのだ。
さらに、である。自民党の高市早苗政調会長は12日の記者会見で、またぞろ共謀罪の創設について、「安全な社会をつくるためにたいへん重要」と発言をしている。
本当に与党と安倍政権は危ない。これをチェックすべき議会がグズグズだ。今は、誇張でなく「前夜」だと感じざるを得ない。
(2013年12月13日)