澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

殺すな! 撃つな! 焼くな! 奪うな! 脅すな! 子どもを泣かせるな!   ネタニヤフよ、イスラエルの民よ。 

(2023年11月3日)
もうたくさんだ。虐殺をやめろ。爆撃も砲撃もやめろ。人の家を焼くな、壊すな。子どもたちを怯えさせるな。罪深きネタニヤフよ、それを取り巻く人殺したちよ。そして今や手を血に染めたイスラエルの民よ。

統一教会の「解散命令請求批判の声明」に反論する

(2023年10月12日)
 本日、文部科学省は、宗教法人審議会の了承も得て、統一教会に対する解散命令請求の方針を正式に発表した。世論に押されてのこととはいえ、その本気度が感じられる。遅きに失した感はあるものの、政権の決断を評価したい。そして、文化庁宗務課の担当者の労をねぎらいたいと思う。

 文科大臣の方針公表に対して、本日、統一教会が「当法人に対する解散命令請求の方針を受けて(世界平和統一家庭連合)」とする声明を発表した。この人たち、何の反省もしていない。「自分たちは悪くない。すべては左翼の陰謀だ」という内容。普通の日本語の表現では、これを「泣き言」ないし「悪あがき」という。以下に声明の全文を紹介して、私のコメントを付しておきたい。

「文部科学省は10月12日、世界平和統一家庭連合(以下、「当法人」)の解散命令請求を東京地方裁判所に申し立てる方針を発表しました。それに対する当法人の見解を発表させていただきます。」

 宗教法人法81条は、裁判所に宗教法人に対する解散を命ずる権限を付与している。裁判所に解散命令を請求できるのは、「所轄庁、利害関係人若しくは検察官」であり、または裁判所自身が職権で行うことも可能であって、必ずしも文科省に限らない。しかし、立証のために膨大な資料を収拾する力量は文科省ならではのものといえよう。文科省は地味な作業を積み上げて解散命令請求に漕ぎつけたのだ。

「このような決定がなされたことは、当法人としては極めて残念であり、遺憾に思っております。特に、当法人を潰すことを目的に設立された左翼系弁護士団体による偏った情報に基づいて、日本政府がこのような重大な決断を下したことは痛恨の極みです。」

 統一教会にとっての「残念、遺憾、痛恨の極み」は、統一教会外の社会、とりわけおびただしい被害者たちには、この上ない朗報である。また、「当法人を潰すことを目的に設立された左翼系弁護士団体による偏った情報に基づいて、日本政府がこのような重大な決断を下した」という物言いが、この組織の本音ないし正体を物語っている。反共・左翼攻撃を売り物に、岸信介・笹川良一・安倍晋三ら右翼人脈に取り入って、これをバックに勢力を拡大してきたのだ。

「岸田首相は昨年10月19日、宗教法人への解散命令請求が認められる法令違反の要件には「民法の不法行為は入らない」という長年の政府の法解釈を一夜にして強引に変更し、「民法の不法行為も入り得る」と国会で答弁しました。野党の追及や世論に迎合した結果であるのは明らかで、日本の憲政史に残る汚点となるでしょう。」

 宗教法人への解散命令要件は、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」、あるいは「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと」である。「法令」が刑事法に限るものでないことは一見して明白で、明らかに「民法の不法行為も入り得る」。オウムの例も、明覚寺も、事案が刑事法違反だったから、裁判所は刑事法違反を採っただけで、「民法の不法行為は入らない」と判断したわけではない。政府の有権解釈が確定していたわけでもない。岸田首相に長年の政府の法解釈を一夜にして強引に変更したのなら大英断というべきだが、さほどのことでもなく、答弁のチグハグがあったという程度のこと。彼は、「世論に迎合した」というよりは、この点については「世論に耳を傾けた」のだ。日本の憲政史に残るほどの出来事でもなく、「汚点」というのは的外れも甚だしい。

「すべてを一変させたのは、昨年7月の安倍元首相の暗殺事件でした。私たちの教団は、それ以前と何ら変わるところがありません。それにもかかわらず、私たちの教団を取り巻く環境はジェットコースターのように変容していき、気がつくと私たちは、マスコミ報道によって“絶対悪”のモンスターのようにされていました。」

 この感想は、分からないでもない。安倍晋三に対する銃撃が、安倍だけでなく統一教会をも撃ったのだ。被害者である安倍への世論の同情があってしかるべきでははないか。安倍と親密だった統一教会に、なにゆえ同情ではなく、世の中の敵意が集中したのか。その理由は単純である。銃撃犯の動機が世に知れたからだ。世間は、元首相の銃撃死に衝撃を受けたが、銃撃犯の動機として統一教会が一家庭を不幸のどん底に追い込んだ統一教会という宗教組織の恐ろしさを知って戦慄したのだ。そして、そのような恐るべき宗教と政権与党との醜悪な癒着についても。もちろん、教団が変わったわけではない。ただ、教団の闇の部分に光が当てられたというだけのことなのだ。

「私たちの教団は、1964年7月15日、宗教法人として東京都の認証を受けて以来、神を中心とした理想家庭をとおした世界平和実現の夢をかかげ、「為に生きる」という創設者の教えを広め、日本と世界の為に生きる教会を目指して今日まで、伝道、教育、さまざまな社会活動などに取り組んでまいりました。」

 個人が信ずる宗教教義が何であれ国家が介入することではない。布教も団体の設立も自由だ。だが、宗教団体が宗教団体であるがゆえに、特別な法的地位や権限をもつわけではない。この当然のことを宗教法人法86条は「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない」と定める。統一教会は、その「伝道、教育、さまざまな社会活動など」の取り組みにおいて、「公共の福祉に反した行為」を続けてきた。主としては霊感商法と高額献金、さらには集団結婚式や違法勧誘など。その指弾が、ようやくに解散命令請求となったのだ。

「その間、多くのお叱りを受けることもございましたが、2009年のコンプライアンス宣言以降、教会改革に積極的に取り組み、特に未来を担う新しい世代の指導者を立て、現在まで継続して改革を推進し、昨年9月以降は法人内に「教会改革推進本部」を設置し、更なる改革に取り組んでまいりました。」

 「その間、多くのお叱りを受けることもございました」と認めるとおり、多数の民事刑事の判決例の集積がある。そして、2009年のコンプライアンス宣言以降もその体質は改まっていない。この度、文科省が解散命令請求の要件として意識したのはこの点であり、その資料の集積あっての解散請求である。この点は、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)の、9月30日声明を一読すればよく分かる。
 https://www.stopreikan.com/seimei_iken/2023.09.30_seimei.htm

「その意味で、今回の政府による解散命令請求は、古い世代の教会員にとっても、新しく教会を担っていこうとする二世、三世たちにとっても極めて残念な事態と言わざるを得ません。」「私たちは、国から解散命令を受けるような教団ではないと確信しております。私たちの信徒たちと直に接してきた方々、長年にわたってお付き合いしてきた方々は、同意してくださると思います。ただ、テレビのワイドショーなど左翼系弁護士の根拠薄弱な情報を垂れ流すだけのマスコミ報道を鵜呑みにした大多数の国民に対して、私たちの教団の真実の姿を伝えることができなかったことは、私たちの力不足であったと痛感しております。」

 統一教会の戦略は保守権力との癒着であった。「反共」「家父長制」「性的役割の固定化」などが保守に取り入るためのキーワードであった。が、大多数の国民にはこれらの呪文は効果なく、安倍晋三銃撃犯が明らかにした「私たちの教団の真実の姿」が、統一教会糾弾の世論を喚起し解散命令請求にまで結実したのだ。

「今後は、裁判において、私たちの法的な主張を行っていく予定です。また、国民の皆様からも、少しでも私たちの教団を理解していただけるよう、今後も積極的な情報発信などに努めてまいります。」

 裁判において法的な主張を行っていくことは権利として保障されている。正々堂々と主張すればよい。しかし裁判所の解散命令と清算手続には真摯に従う姿勢を見せていただきたい。清算手続は信者からむしりとったものを、財産が残っている範囲で被害者に返還する手続である。法の整備如何にかかわらず、財産隠匿や韓国などへの横流しは姑息な恥ずべき行いだ。自ら財産を保全して、解散後の財産清算手続には協力すべきが当然の良識ある者に期待される姿勢ではないか。それとも、良識を期待することが荒唐無稽だろうか。

 なお、「国民の皆様からも、少しでも私たちの教団を理解していただく」ために必要なのは、「積極的な情報の発信」ではない。まずは、正体隠しの違法な勧誘や高額献金勧誘をやめて、自らを糺すことである。違法を重ね、人の不幸を作り続けてきた教会の体質を反省し、真に改めることに尽きる。

《旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件》 ー 「第1回弁論期日」と「報告集会」のお知らせ(拡散希望)

(2023年5月7日)
 5月16日(火)の《旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件》「第1回口頭弁論期日」(東京地裁)と、「報告集会」(日比谷図書文化館)のお知らせです。
 統一教会関係者以外、どなたでもご参加いただけます。ぜひ、お越しください。

 下記は、有田芳生さんが「共に闘う会」のホームページにアップした《闘争宣言》の一節です。

▼教団が韓国で生まれて68年目。統一教会=家庭連合は組織内外に多くの被害者を生んできました。まさに反社会的集団です。私は元信者はもちろん現役信者とも交流してきて思ったものです。日本史に埋め込まれた朝鮮半島への贖罪意識を巧みに利用して真面目な信者を違法行為に駆り立ててきた統一教会の犯罪的行為の数々は絶対に許すわけにはいきません。

▼安倍晋三元総理銃撃事件事件をきっかけに、自民党との癒着など「戦後史の闇」の蓋が開きはじめました。私は信頼する弁護団と社会課題についてはたとえ立場が異なれども教団に立ち向かう一点で集ってくれた「有田さんと闘う会」の高い志を抱きしめて、みなさんとともに、統一教会と徹底的に本気で闘っていきます。

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 旧統一教会は、自身への批判の言論を嫌って、紀藤正樹弁護士、本村健太郎弁護士、八代英輝弁護士らの発言に対するスラップ訴訟を濫発しています。ジャーナリストの有田芳生さんも、日本テレビと共に理不尽な提訴を受けた一人です。

 私たちは、表現の自由保障の立場から、5件の統一教会スラップ訴訟のすべてで、力を合わせて早期に勝利しなければならないと考えています。

 5月16日(火)、下記のとおり「旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件」の第1回口頭弁論期日が開かれます。東京地方裁判所103号は、大型法廷で傍聴席数はほぼ100席。傍聴券配布事件とはなっていますが、コロナ規制もなく、多くの方に傍聴いただけるはずです。

 閉廷後に報告集会を企画しています。是非、傍聴と集会にご参加下さい。報告集会では、島薗進さんの記念講演があります。共に闘う立場から、望月衣塑子さん、佐高信さん、鈴木エイトさんの発言も予定されています。また、関連他事件の当事者や弁護団にもご参加を呼び掛け、共に闘う第一歩にしたいと願っています。

 「旧統一教会訴訟・有田事件」第1回口頭弁論期日
  時 5月16日(火)14:00〜 
  所 東京地裁103号法廷(13時30分ころ、傍聴券発付が予想されます)
  進行 訴状・答弁書・準備書面陳述
     有田芳生さん、光前幸一弁護団長、各意見陳述。

 「有田事件」第1回口頭弁論期日後報告集会
  時 5月16日(火)15:00〜17:00
  所 日比谷公園内・日比谷図書文化館(地下ホール)

  記念講演  島薗進氏

  「共に闘う」立場からの発言

   望月衣塑子・佐高信・鈴木エイトの各氏

  有田訴訟並びに関連各訴訟当事者・弁護団からの挨拶

なお、統一教会関係者の立入りは厳にお断りいたします。

不敬の勧め ― 不敬であれ、不敬を貫け、不敬を誇りにせよ。

(2023年5月6日)
 本日,新英国王の戴冠式だという。いい大人が、何という滑稽でバカバカしい儀式。奇を衒った装飾やら衣装やら勲章やら、パレードやら。恥ずかしくないか。いまどき、もったいぶってこんなことをやっている連中の正気を疑わねばならない。

 その戴冠式はウェストミンスター寺院で行われ、英国国教会の最高位聖職者であるカンタベリー大主教から王冠を授けられるという。王権の神授を、被治者の目に見せようという魂胆である。

 これを「目くじら立てるほどのことでもなかろう」という世の良識に,敢えて異を称えよう。王位も王冠も、くだらぬ無意味なものではない。この上なく有害なものなのだから。もちろん英国の王位ばかりではない、我が国の天皇制についても同じことだ。民主主義を語るほどの者は、すべからく不敬に徹しなくてはならない。天皇に対する批判の言論に,いささかの萎縮や躊躇もあってはならない。

 40年ほども昔、岩手靖国違憲訴訟に取り組んでいたころ。「不敬言動監視委員会」とか、「不敬摘発取締本部」などと名乗るグループから、何通かの警告文を頂戴したことがある。私の以下のような発言が「天皇陛下に対する不敬」に当たるということだった。

 「天皇は、国民主権・民主主義の敵対物である。しかし、特殊な歴史的事情から民主主義を根幹とする『日本国憲法』の不徹底部分に生き残った。憲法に明記されている以上は、将来の憲法改正が実現するまで、天皇の存在を違憲とは言えない。しかしそれは、人権と民主主義に人畜無害な形としてあるものと運用し,解釈しなければならない」

 「天皇という危険物を、その有害性の発動に歯止めを掛け、人権や国民主権・民主主義に人畜無害な存在にとどめるための憲法上の安全装置が、政教分離にほかならない」

 「かつて天皇は神聖な神として臣民に君臨し、国民精神を支配した。日本国憲法は、天皇の主権と軍事大権を剥奪しただけでは足りず、精神的権威の根源たる国家神道(天皇教)を厳格に禁じた。これが日本の政教分離である。再び天皇を神としてはならないとする保証の制度である」

 右翼グループから不敬と指摘されて、私はあらためて不敬の大切さを認識した。そうだ、象徴天皇の危険を見くびってはならない。不敬に徹しなければならない。

 宮武外骨というジャーナリストがいた。晩年の彼は、その自叙伝の表題を『予は危険人物なり』とした。そのような覚悟で、天皇制権力としたたかに対峙しながら、生きてきた人である。不敬罪での逮捕の経験もあり、投獄は3年8か月に及んだという。また、その著書の中で、敢えて「予の先祖は備中の穢多であるそうな」とも書いている。尊敬に値する人物。

 天皇とは旧社会の諸悪の残滓にほかならない。何よりも家父長制温存の悪しき象徴である。世襲制度や血に対する信仰の愚かさとその害悪は、今さら言うまでもない。世襲が何代も続いたことを何か素晴らしいことのようにもてはやす価値観は愚かの極みと言わざるを得ない。また、天皇は、出自での差別を容認する社会の象徴でもある。人は、生まれで貴賤を判別されてはならない。そのことを徹底する最も確実な方法は、天皇制を廃絶することである。天皇をなくして、民主主義社会は何の痛痒も受けない。天皇がないと社会の安定が壊れるという論説は、我が国の民主主義の未成熟を嘆いて見せているだけのことである。

 英国の戴冠式、他人事として眺めていないで、まずは不敬の覚悟を固めよう。 

これが、高市早苗の言う「捏造」文書だ。

(2023年3月27日・連日更新満10年まであと4日)
 本日午前の参院本会議での答弁で、岸田首相は、野党からの高市早苗に対する罷免要求を改めて拒否した。今のところは、高市のクビはつながっている。しかし、これからどうなるかは分からない。首がつながったところで、高市に対する国民のイメージは地に落ちた。とりわけ保守派の高市見限りは避けられない。自民と有力者の高市を見る目は一様に冷ややかだという。さもありなん。右派高市ののダメージは大きい。安倍の負の遺産の一角が崩れつつある現象の一部と見てよいだろう。

 ところで、高市罷免要求の根拠となった今回の事件を何と呼ぶべきだろうか。けっして「高市早苗クビ賭け事件」ではない。「高市早苗・捏造固執事件」でも、「高市早苗落ち目の始まり事件」でもない。閣僚のクビの問題ではなく、民主主義の問題なのだ。「放送法解釈変更事件」であり、「権力による『政治的公平』濫用事件」でもあり、「安倍政権のメディア介入手口暴露事件」なのだ。

 放送法の政治的公平を巡っては、第2次安倍政権当時の官邸幹部が、解釈を巡り総務省と協議したことなどが記された行政文書が公表されている。当時総務相の高市氏が官僚のレク(説明)を受けたとの記述もあるが、高市氏は記載内容を一貫して否定している。

 高市早苗が捏造と非難している行政文書は、高市自身に関わるもので4枚ある。以下にそのうちの一枚である、「高市大臣レク結果」と題する文書の全文を正確に転載してみる。是非お読みいただきたい。高市自身は、「受けたはずがない」とレクそのものを否定していたが、総務省は調査の結果「レクは行われた可能性が高い」としたものである。

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                                                        [取扱厳重注意]

【配布先】桜井総審、福岡官房長、今林括審、局長、審議官、総務課長、地上放送課長 ←放送政策課 

            

高市大臣レク結果(政治的公平について)

日時 平成27年2月13日(金)15:45?16:oo
場所 大臣室
先方 高市大臣(O)、平川参事官、松井秘書官
当方 安藤局長(×)、長塩放送政策課長、西がた(記)

 安藤局長から資料に沿って説明。また、補佐官からの伝言(下記のほか、「今回の整理は決して放送法の従来の解釈を変えるものではなく、これまでの解釈を補充するものであること」、「あくまで一般論としての整理であり特定の放送番組を挙げる形でやるつもりはないこと」)について付言。質疑等主なやりとり以下のとおり。

○)「放送事業者の番組全体で」みるというのはどういう考え方なのか。
×)例えば「総理と語る」や「党首と語る」番組はどの局でもあり得るところ、国民の二?ズに応えるものでもあり、これだけをもって政治的公平を欠くとすることは不適当。むしろ、与野党も含め、いろいろな番組を通じて多様な情報提供を期待するもの。
○)放送番組の編集に係る政治的公平の確保について、これを判断するのは誰?
×)放送番組は放送法による自律の保障のもと放送事業者が自らの責任において編集するものであり、一義的には放送事業者が自ら判断するもの。
○)「一つの番組」についてはどう考えるのか。
×)(このペーパーでいう「一つの番組」は、)報道ステーションなら報道ステーション、モーニングバードならモーニングバードの1回の番組を指しでいる。
×)大臣のご了解が得られればの話であるが、礒崎補佐官からは、本件を総理に説明し、国会で質問するかどうか、(質問する場合は)いつの時期にするか、等の指示を仰ぎたいと言われている。
○)そもそもテレビ朝日に公平な番組なんてある?どの番組も「極端」な印象。関西の朝日放送は維新一色。維新一色なのは新聞も一緒だが、大阪都構想のとりあげ方も関東と関西では大きく違う。(それでも政治的に公平でないとは言えていない中)「一つの番組の極端な場合」の部分について、この答弁は苦しいのではないか?
x)「極端な場合」にづいては、「殊更に」このような番組編集をした場合は一般論としては政治的公平が確保されていないとい。う答弁案になっている。質問者に上手に質問され、その質問を繰り返す形の答弁を想定しているが、言葉を補う等した上で答弁を用意したい。
○)苦しくない答弁の形にするか、それとも民放相手に徹底抗戦するか。TBSとテレビ朝日よね。実際の答弁については、上手に準備するとともに、?(カツコつきでいいので)主語を明確にする、?該当条文とその逐条解説を付ける、の2点をお願いする。
○)官邸には「総務大臣は準備をしておきます」と伝えてください。補佐官が総理に説明した際の総理の回答についてはきちんと情報を取ってください。総理も思いがあるでしょうから、ゴーサインが出るのではないかと思う。

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 高市は、この文書を「捏造」と言明し、「捏造が事実でなければ、大臣、議員を辞職する」とまで言及した。さすが自称の安倍後継。安倍と同様、食言を気しない。自分の言葉に責任をもとうとしないのだ。「総理も議員も辞める」と言って、けっして辞めない姿勢は、右翼に共通のものなのだろう。

 文書の「捏造」とは、権限のない者が勝手に文書を作ったり、あるいは事実無根の内容をデッチ上げたりという意味である。正確性に疑問があるという程度のことを「捏造」とは言わない。ましてや、官僚がその職掌の範囲で作成した行政文書を「捏造」というのは、文書の作成者に無礼であり、失礼極まる。本来なら、発言を撤回して謝罪しなければならないが、そうすると「大臣も議員も辞める」と言った手前、それができない。自業自得ではあるが、進退窮まったというところ。

 だが、この問題はけっして高市事件ではない。前記の文書によれば、高市レクの日付は2015年2月13日である。世は、安倍第2次政権の集団的自衛権行使容認の方針をめぐって、大きなせめぎ合いのさなかにあった。安保法制成立に向けて、安倍内閣は安保法制懇を作り、内閣法制局長の首をすげ替え、強引に法案の閣議決定に至ったのが、15年5月14日である。そして、法案成立強行に至ったのが同年9月19日。安倍政権は、世論操作に躍起になっていた。安倍のメディア操作は硬軟両面に及んだ。硬派を受け持ったのが、タカ派高市にほかならない。

 この時期、放送界に思いがけないことが起こっている。テレビ朝日「報道ステーション」でコメンテーターだった古賀茂明が15年3月に降板。降板理由を「首相官邸のバッシングがあった」と述べている。その後に、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターや、TBS「NEWS23」アンカーの岸井成格、「報ステ」の古舘伊知郎など相次いで番組を降板した。いずれも安保法制など安倍政権に批判的な立場を示していた点が共通していたとされる。

 表現の自由とは、メデイアの自由とは、権力を批判する自由である。権力を批判するメディアは、国民の支持あってこそ育つ。政治の質も、ジャーナリズムの質も、実は国民次第なのだ。

 貴重な政権運営の裏側を国民に見せてくれた、「安倍政権のメディア介入手口暴露事件」である。幾重にも、教訓を読みとらなければならない。

安倍晋三は、今なお統一教会と右翼との絆となっている。

(2023年3月1日)
1月はとっくに行き、2月も逃げて、本日から3月。「3・1ビキニデー」でもあり、「3・1独立運動記念日」でもある。例年のとおり、暖かい陽射しの中で庭の白梅がひっそりと香しい。人もかくありたいと願えども、とうてい無理なこと。せめては、落ちついて考え、発言したいと思う。

ところで、第2次安倍内閣の発足を機に、毎日更新を広言して発足した当ブログ。事情あって、現状の形式で連載を開始したのが2013年4月1日。以来、昨日までの連載が、9年と11か月。毎日の連続更新が3621回となった。あと1か月で、満10年となる。

はからずも安倍政権が長期政権となって、当ブログの連載も長期となった。それでも、さすがに2020年9月にはこの悪名高い政権も終焉を迎えた。ところが、その後もなおアベ政治は継続して今日に至っている。そして安倍晋三銃撃死事件である。なんとなく、当ブログの終わりのメドが付かないままに、満10年になろうとしている。このあたりで区切りを付けなくてはならない。

当ブログの連載は今月末で閉める予定。その後のことは、まだ考えていない。今日から31日間の毎日、心して書き続けたい。取りあげたいテーマはいくつもあるが、まずは、統一教会問題である。
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「世界日報」と言えば、統一教会の広報担当紙。その2月25日号に、「旧統一教会叩きと違憲訴訟」という記事が掲載されている。地方議会に広がった教団との「断絶決議」を対象として起こされた「違憲訴訟」に言及するもの。これは、興味深い。興味深いという理由は、統一教会と右翼の縁の深さの確認というだけではない。その両者を結ぶものが、安倍晋三であるということの再確認ということである。この記事に付されている、二つの小見出しの一つが、「『安倍氏の名誉挽回』図る原告代理人」というのだ。

この「断絶決議」に関しては、昨年12月24日付の当ブログで記事にした。「富田林市議会の統一教会との関係根絶決議にイチャモン提訴」という標題でのこと。

富田林市議会の統一教会との関係根絶決議にイチャモン提訴


その事件の第1回口頭弁論が本年2月22日に大阪地裁で開かれた。

原告・UPF大阪側は、訴状で「議会請願に必要な議員の紹介を得られなくなって、請願が著しく困難になった」「特定の宗教団体の信仰を理由にした差別的な決議で、信教の自由や法の下の平等にも反する」と主張した。これは、メディアの報道だが、原告はメディアにこれ上のことを説明していない。率直な感想だが、本人訴訟であればともかく、よくもまあ、弁護士が就いていてこんな提訴をしたものだと思わざるをえない。

大阪市と富田林市は、型のとおり「議会の意思を示す決議に法的拘束力はなく、取り消し訴訟の対象とはならない」「請願に賛成し、橋渡しをする紹介議員になるかどうかは各議員の判断である」「決議は信仰の自由を規制するものではなく、憲法違反ではない」とした。極めて常識的な反論。判決も、常識的にこうなるに決まっている。むしろ問題は、こんな敗訴確実の訴訟を意識的に提起して、自治体の決議の拡がりを阻止しようとしたUPF大阪と原告代理人の責任にある。

その3日後の世界日報記事によると、月刊「正論」3月号に、「旧統一教会信者なら人権侵害していいのか」と題した論考が載った。執筆者は弁護士の徳永信一。この標題が、「断絶決議が旧統一教会信者の人権を侵害している」という無理筋の主張を物語っている。「憲法の保障する信教の自由と請願権を侵害され差別的扱いを受けたとして、決議取り消しと自治体に損害賠償を求め提訴したのである」のだという。その誤謬は、間もなく判決で明確になる。

なぜ、右翼弁護士がこんな事件を引き受けたか。世界日報記事は、「徳永氏は、教団関連団体と『深い関係を築いてきた』市議たちが行った『断絶決議』が憲法違反であることを法廷で示すことで、…『旧統一教会との繋がりを揶揄された安倍元首相の名誉挽回』を図ろうとしているのである」という。なるほど。

統一教会と右翼とは、理念の上では反共という黒い糸で強く結びついている。その黒い糸を操っていたのが、岸・安倍の三代であることが知られている。いまなお、統一教会と右翼とを、亡き安倍晋三がつなげているのだ。

右翼としては亡き安倍晋三の名誉挽回のための提訴であり、統一教会としては市議会や世論を牽制する意図での提訴である。勝ち目のない訴訟と分かっていながらの、原告本人と代理人にはそれぞれ別の動機を持っての提訴。まさしく「イチャモン訴訟」である。

ところで、本日東京地裁が注目すべき判決を言い渡した。説明がやや複雑になるが、関連する訴訟が二つある。まず先行訴訟があって原告の請求が全部棄却となって終わった。次いで攻守ところを替えた反撃訴訟が提起され、本日、反撃訴訟の一審判決で先行訴訟の提訴自体が不法行為として認められたという経過である。

アイドルグループのメンバーだった16歳の女性が自死したことについて、遺族が原告になって、所属会社と代表取締役を被告として、自死の原因を作った責任を問う損害賠償請求訴訟を提起した。これが先行訴訟。しかし、遺族の請求は全部棄却となって確定した。

次いで、攻守ところを替えた反撃訴訟が提起された。今度は会社と代表取締役が原告となって、遺族らに違法な提訴をしたことの責任を問う損害賠償請求訴訟。これが、反撃訴訟。そして本日東京地裁は計567万円の支払いを命じた。

注目すべきは、先行訴訟の代理人となり記者会見で発言した弁護士も被告とされて、不法行為責任が認められたということである。UPF大阪と大阪市・富田林市の事件になぞらえれば、両市が原告になっての「反撃訴訟」で、UPF大阪とその代理人弁護士を訴えて勝訴したことになる。

両市の市民は、統一教会側によって市が被告とされたことによって応訴の費用を負担しなければならない。この損害の補填を求める方法はあるのだ。

中国政府の「ウクライナ停戦」提案に期待を寄せる。

(2023年2月25日)
 プーチンとは唾棄すべき人物である。いずれ、ヒトラー・スターリンとならぶ悪名を歴史に残すことになるだろう。習近平も、チベット・ウイグル・モンゴル・香港の大規模人権弾圧で名を馳せた人物。これに加えて、将来台湾を侵略するようなことがあれば、堂々プーチンと肩を並べてヒトラー・スターリン級の悪名を轟かすことになる資格は十分である。

 ウクライナ戦争開戦1週年となった今、プーチンの戦争に、習近平が「対話と停戦」を呼び掛けている。なんとなく釈然としない。釈然としないながらも、停戦が実現するのなら、誰が呼び掛けたものであれ結構なことだと考えなければならない。

 習近平提案が成功するか否かは定かではない。むしろ欧米では非観的な見方が圧倒的だというが、ロシアもウクライナも関心を寄せていることは間違いない。プーチン・王毅会談は既に済み、ゼレンスキーは習近平との会談を望んでいるという。習近平、嫌な奴ではあるが、戦争をやめさせることができるのなら、応援の声を惜しんではならない。

 中国政府が発表したのは、「ウクライナ危機の政治的解決に関する中国の立場」と題する文章。「ロシアとウクライナが互いに歩み寄り、早期に直接対話を再開し、最終的には全面的停戦で合意することを支持する」と表明した。「対話はウクライナ危機を解決する唯一の道だ」と訴え、国際社会にも協力を求めている。

 ロシアのプーチン大統領が核兵器の使用を示唆するなか、「核兵器の使用や威嚇に反対」「原子力発電所などの核施設の攻撃に反対」とも記した。「主権や独立、領土保全は尊重されるべきだ」とする原則的な立場も盛り込んだ。

 この方針説明書は、以下の12項目の提案となつている。
?各国の主権の尊重
?冷戦思考の放棄
?停戦
?和平交渉の開始
?人道的危機の解消
?民間人や捕虜の保護
?原子力発電所の安全確保
?戦略的リスクの提言
?食糧の外国への輸送の保障
?一方的制裁の停止
?産業・サプライチェーンの安定確保
?戦後復興の推進

 これだけではよく分からない。主要な項目の要旨は次のとおりとされている。

?「各国の主権の尊重。国連憲章の趣旨と原則を含む、広く認められた国際法は厳格に遵守されるべきであり、各国の主権、独立、及び領土的一体性はいずれも適切に保障されるべきだ」

?「冷戦思考の放棄。一国の安全が他国の安全を損なうことを代償とすることがあってはならず、地域の安全が軍事ブロックの強化、さらには拡張によって保障されることはない。各国の安全保障上の理にかなった利益と懸念は、いずれも重視され、適切に解決されるべきだ」

?「停戦。各国は理性と自制を保ち、火に油を注がず、対立を激化させず、ウクライナ危機の一層の悪化、さらには制御不能化を回避し、ロシアとウクライナが向き合って進み、早急に直接対話を再開し、情勢の緩和を一歩一歩推し進め、最終的に全面的な停戦を達成することを支持するべきだ」

 戦争当事国の両者に呑ませようという提案が玉虫色のものになることは避けがたい。一項目ずつ、細かくあげつらえば、けっしてできのよい提案ではない。しかしそれでも、仲裁は時の氏神。赤い氏神でも黒い氏神でも、役に立つならなんでもよい。せめて停戦のための対話実現の、その糸口にでもなることを期待したい。

 戦争が長引けば、取り返しのつかない惨禍が拡大することになるのだから。

首相答弁は正しい日本語であるか? 論理整合性を持っているか?

(2023年2月14日)
 いま、通常国会が開かれています。衆議院予算委員会での質疑を素材に、正しい日本語の勉強をいたしましょう。

 岸田文雄さんは内閣総理大臣の立場にあって、政府の政策全般について野党の質問に責任をもって答弁しなければなりません。もちろん、岸田さんを厚く支える官僚のスタッフがあってこそできることですが、最後は岸田さんがその肉声で語らなければなりません。その岸田さんの答弁は、正しい日本語になっているでしょうか。

 素材は、まず、2023年2月1日衆院予算委員会での、性的少数者や同性婚問題をテーマにした質疑での、岸田さんの次の答弁です。

 「(同性婚の法制化については)極めて慎重に検討すべき課題だ。こうした制度を改正することになると、日本の国民全てが大きな関わりを持つことになる。社会が変わっていく問題でもある。すべての国民にとっても家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」

 その2日後に、荒井勝喜首相秘書官がこの岸田答弁に関連して、オフレコの場ながら記者団に、「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「秘書官室もみんなが反対している」「同性婚を認めたら国を捨てる人がでてくる」と発言して世の耳目を集めたことは、ご存じのとおりです。

 荒井秘書官更迭後の2月8日の予算委員会で、岸田さんは2月1日答弁の真意を問われます。立憲民主党の岡本章子さんは、「当事者からは非常にネガティブな表現として受け止められている」として、首相に謝罪と撤回を求めました。

 これに対する岸田首相答弁は以下のとおりです。

 「同性婚制度の導入は、国民生活の基本に関わる問題であり、国民一人ひとりの家族観とも密接に関わるものであり、その意味で全ての国民に幅広く関わる問題であるという認識のもとに『社会が変わる』と申し上げた。決してネガティブなことを言っているのではなく、もとより議論を否定しているものではない」
 「国民各層の意見、国会における議論、あるいは同性婚に関する訴訟の動向、また地方自治体におけるパートナーシップ制度の導入、運用の状況を注視していく必要がある。こうした慎重な検討が必要、議論が必要という意味で申し上げた」

 さて、皆さん。この2月8日首相答弁は、正確な日本語として読みとることができるでしょうか。また、首相答弁としてふさわしい内容でしょうか。それぞれご意見をどうぞ。

 「ハイ、私の率直な意見ですが、この日本の首相は日本語がお上手ではないように思います。2月1日の発言が、同性婚の法制化についてのネガティブな意見であったことは明らかではありませんか。そのことを否定する2月8日答弁は間違いです。仮に、岸田さんが同性婚の法制化についてポジティブなご意見であれば、『迅速に法制化を実現します』と言っているはずで、『極めて慎重に検討すべき課題だ』というのは、ポジティブな意見ではないということです。日本の首相は、そんなことも分からない人なのでしょうか」

 「私も、似たような意見ですが、私が強調したいのは、同性婚を『社会が変わってしまう課題』だと言っていることです。『社会が変わってしまう』という言葉づかいは、ネガティブな方向に変わることと理解するしかありません。ポジティブで望ましい方向への変化は、日本語ではけっして『変わってしまう』とは言わないものです。単に『社会を変える課題』ならポジティブなニュアンスが出てきます。『社会を変える切っ掛けとなりうる課題』『社会変革を展望する課題』など、明確なポジティブ表現を避けての岸田さんの物言いは、明らかにネガティブではありませんか」

 「私は、反対の意見です。正しい日本語の使い方があるという前提がまちがつていると思います。どう突つかれても、あとで弁明ができ、逃げおおすことのできることが、上手な言葉の使い方であって、岸田さんの2月1日答弁も2月8日弁明も、破綻一歩手前で踏みとどまっており、それなりによくできた言葉づかいだと思います。
 だれが考えたって、岸田さんは、1日段階では同性婚否定論を述べ、その後止むなく荒井秘書官を更迭した時点で意見を変えたのです。しかし、自分に非があるという印象を最小限に抑えるために、撤回も謝罪も拒否して首尾一貫した体裁を装ったのです。なかなかの日本語の使い手と言うべきではないでしょうか」

 「それはおかしい。正確な論理は正しい言葉でのみ語られる。国民をごまかし、たぶらかし、目くらましするための、嘘の言葉は正しい言葉づかいではない。まずは、岸田首相発言の論理構造あるいはその破綻を正確に見抜くための言語能力が必要だが、それだけでは足りない。こんな不誠実な答弁をして恥じない政権トップに大いに怒る姿勢を持たねばならない」

2か月先に迫った、大阪府市首長のダブル選。争点は、カジノ誘致反対の一点であろう。

(2023年2月8日)
 統一地方選が近い。全国の政治地図は、どう塗り替えられるのだろうか。
 全国ではなく局地的な選挙戦としては、大阪の知事選・市長選(4月9日)が大きく耳目を集めることになるだろう。大阪府下で育った者としても関心を持たざるを得ない。このダブル選、わずか2か月先のことである。報じられている情報をまとめてみた。

 府知事選は、現職の「イソジン・吉村」に、辰巳孝太郎と谷口真由美が挑む構図だが、どちらも反維新。大阪で反維新勢力が割れてしまってどうする、どうして共闘できないのかと、やきもきせざるを得ない。

 かつて、維新は、大阪都構想を「一丁目一番地」の看板政策とし、非維新連合に敗れた。今さら、その蒸し返しはあるまい。だが、「大阪都構想・反対」を軸とする非維新共闘を困難にもしているという。

 ダブル選挙の最大の争点は、夢洲のカジノ誘致への賛否であろう。賭博場を作って、博打のテラ銭での地域振興策など、真っ当な感覚からはありえない政策ではないか。真っ当ならざる維新の提案は、さもありなんではあっても、これが府民に浸透するだろうか。そして、辰巳が「カジノ反対」を鮮明にしているのに比して、谷口が「カジノには慎重」な微温的立場と報じられているのが気にかかってならない。

 谷口を擁立した、「アップデートおおさか」は1月に設立届を府選管に出したばかり。自民党や立憲民主党に、ウィングを広げて「非維新」勢力の結集を目指すという。谷口がカジノ反対と言わない歯切れの悪さは、自民党や関西財界への思惑からのことであろうか。こういう構図にしかならない、大阪の政治状況がもどかしくてならない。

 しかし、カジノ誘致・建設反対の住民の声は高い。現在、国が計画を審査しているが、夢洲では液状化や地盤沈下の恐れが指摘され、ギャンブル依存症の問題も懸念される。

 昨年、カジノに反対の市民団体が19万筆超の署名を集めて住民投票条例案が府議会に提出されたが、維新などの反対で7月に否決されている。このマグマは、けっして冷えてはいない。しかし、この過程で自民党は必ずしも旗幟鮮明ではなかったという。「誘致に賛成の府議団と反対の市議団で態度が割れている」とも報じられている。

 もう一つの政策課題が、「教育無償化」である。これまでも維新は教育無償化についてたびたび触れ、政策として主張してきた。しかし、その主張に対して「あまりにミスリード」と批判の声が上がっているという。

 1月29日放送のNHK『日曜討論』で、番組に出演した維新の藤田文武幹事長は番組内で「いわゆる0歳から大学までの高等教育までの無償化というのは大阪限定ですが実現しました」という発言をした。

 今この「ミスリード」が叩かれている。「国が全国一律に事業としてやっていることを、さも大阪だけが実現できたといっている」と。

 「大阪でやっている教育費の無償化というのは私立高校の授業料無償化(所得制限あり・年収590万円未満)と大阪公立大学の授業料無償化(所得制限あり・年収590万円未満)だけです。そのほかの無償化というのは国が全国一律にやっていること。こうした維新の『無償化キャンペーン』とも言えるミスリードは、過去にも繰り返されてきたという。

 今は、維新の「教育完全無償化」キャンペーンに惑わされず、カジノ誘致反対で維新を追い詰めてもらいたい。そう、切に望むしかない。

「こんな仕打ちをするこの国を見ろ。こんな国に、まだいたいのか?」ー 国とはいったい何だろう。

(2023年2月6日)
 本日の毎日新聞朝刊1面トップに、「ウイグル族学者、消息なく」「ためらう娘に『米へ行け』 出国寸前、空港で拘束」というインタビュー記事。これは、渾身の告発記事である。トップに据えられるだけの迫力に満ちている。訴える力をもったドラマだ。読む人の胸を撃つ。そして、考えさせる。

 ちょうど10年前、2013年2月の北京空港。娘と一緒にアメリカ行きの搭乗手続を済ませた父が、出発直前で当局に拘束される。父は、泣きじゃくる18歳の娘の背を押して、一人でアメリカへ行かせようとこう言う。

 「周りを見ろ。あなたにこんな仕打ちをするこの国を見ろ。こんな国に、まだいたいのか?」

 娘は、アメリカに知り合いはなく、英語もほとんど話せない。アメリカがよい社会だから行け、というのではない。中国に絶望して、この国を出ろというのだ。こんなにも人を不幸にする国家とはいったい何だろう。中国は、どうして、いつから、「こんな国」になってしまったのだろうか。自由や人権の普遍性は、なにゆえかくも無力なのだろうか。こんな状態はいつまで続くのだろうか。手立てはないものだろうか。

 記事は、1面トップと7面に分かれている。ネットでは有料記事だが、URLは以下のとおり。
 https://mainichi.jp/articles/20230206/ddm/001/030/132000c

 娘の背を押した父とは、ウイグル族の経済学者イリハム・トフティさん(53)。ノーベル平和賞の候補に毎年名前が挙がる人だそうだ。娘は、ジュハル・イリハムさん(28)。二人は、あの日北京の空港で生き別れた。

 その後娘は、苦難を乗り越えて英語を学び大学を卒業して、いま世界の労働者の権利擁護を訴える団体で、新疆ウイグル自治区の人権問題を訴える活動を続け、父イリハム・トフティさんの解放を求め続けている。

 北京の空港で拘束された父は、その後自宅軟禁の状態に置かれ、14年1月当局に突如身柄拘束の上起訴される。同年9月には「インターネットを使って新疆の独立を呼びかけた」などとして国家分裂罪で無期懲役刑を言い渡された。さらに、17年に家族がウルムチの刑務所で面会したのを最後に消息が途絶えているという。その後、どこかに移送されたのか、今も生きているのかも分からない。中国とは、とうてい近代国家ではない。

 この父は無期懲役を言い渡された翌日、面会に訪れた弁護士にこう言った。「拘束されてからの8カ月間で、昨日が一番よく眠れた」。弁護士がいぶかって聞くと「死刑になると思っていた。無期懲役だ。まだ希望はある」と言ったという。ジュハルさんによると、父は自分の死が漢族とウイグル族の間に憎しみを生まないことを願っていた。

 中国政府は、ウイグル族らへの人権侵害は起きていないと否定し、黒人差別などの問題を抱える米国などが中国を批判するのは「ダブルスタンダードだ」と反発する。ジュハルさんは「どんな社会も完全ではない。だが、自己を見つめ、過ちを改善することができるのが民主主義だ。中国では間違いを指摘することもできない」と語り、こう続けた。「中国にはそもそもスタンダードがない」。あるのは中国共産党の意思だけだ。

 あの時、北京の空港で「また必ず会おう」と約束した親娘が再会できるときは来るのだろうか…。それは、歴史がどう遷るかにかかっている。

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