「通販・大和心」の吉田嘉明よ、己の言葉に責任をもたぬ卑怯者よ。DHC会長時代から、デマ(D)とヘイト(H)とチート(C)とスラップの常習者であったが、批判されると尻尾を巻いて逃げを決めこむ小心者。DHCスラップ訴訟では、原告本人として裁判所から呼出を受けてなお法廷に出てこない臆病者。汝には信念を貫こうという矜持はないのか。恥を恥と知る心根はないのか。吉田嘉明よ、「大和心とは武士道」とよくぞ言った。汝の「大和心」とはヘイトと卑怯の別名にほかならず、汝の「武士道」とは、ヘイトの大言壮語を叩かれては、敵に後ろを見せて引っ込むみっともない処世術。全国の消費者よ、ヘイト企業「通販・大和心」で物を買うのはやめよう。「大和心」にカネを支払うことは、世に人種差別・民族差別を跋扈させ、排外主義を蔓延させるおぞましい事業に加担することなのだから。
(2023年12月14日)
筋金入りのヘイト言論常習者として著明な元DHCの吉田嘉明。その彼が新しく起こした企業が「大和心」。先月の6日にホームページを立ち上げ、同月21日に「宣言」と「解説」を掲載した。ビジネスの体裁を借りた、韓国・朝鮮そして中国に対する差別主義イデオロギー宣言文書である。この人、おそらくはヘイト嗜癖依存症。酒やタバコをやめられぬように、ヘイト発言を抑えきれないのだ。こういう人物が、いまだにこの社会に生存している。
11月30日、メディアが吉田嘉明のヘイト発言を取りあげた。私も、その日のブログに下記のとおり、批判の意見を書いた。ご参照いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=21329
そしたらどうだ。なんと、吉田嘉明はさっさと批判されたヘイト発言を削除した。削除の理由も、経過についての説明もなく、引っ込めたのだ。尻尾を巻いて逃げたというにふさわしいみっともなさ。自分の言葉に責任をもたぬ卑怯なやりかた。
「大和心」のホームページから、ヘイトにまみれた「宣言」が消えて、「大和心」という社名の由来らしきもの説明が残されている。「敷島のやまと心を人とはゞ、朝日に匂ふ山桜花」と本居宣長の歌に、「『大和心』についてはいろいろな解釈がありますが、弊社代表の吉田は『武士道』と解釈しております」と添えられている。何を言わんとしているのやら、本人も分かってはおるまい。
宣長は皇国史観というカルトの祖と言ってよいが、もとより武士ではない。宣長の歌と武士道を並べてみせると、なんとなく国粋的な、なんとなく排外的で右翼的な雰囲気が醸し出される。という程度のもので、それ以上のなにものでもない。
桜は散り際が美しいとして旧軍に好まれた。神風特攻隊として最初に編成された4隊は、本居宣長の歌を典拠に、敷島隊、大和隊、朝日隊および山桜隊と命名されている。泉下の宣長が、眉をしかめたか、あるいは膝を打ったかはわからない。
この歌は、敗色濃厚となった1943年刊の、第5期国定国語教科書初等科国語7「御民われ」に載せられ、国民学校初等科6年前期教材として教えられたという。 山中恒の解説によれば、宣長の歌は次のように紹介されている。宣長、桜、やまと魂とつなげられている。
「敷島のやまとごころを人とはば朝日ににほふやまざくら花
さしのぼる朝日の光に輝いて、らんまんと咲きにほふ山桜の花は、いかにもわがやまと魂をよくあらはしてゐます。本居宣長は、江戸時代の有名な学者で、古事記伝を大成して、わが国民精神の発揚につとめました。まことにこの人に ふさわしい歌であります。」
孫引きだが、『大日本国体物語』(白井勇、1940年刊博文館)という書物に、下記の記述があるそうだ。
「日本の武士は決して死をおそれませんでした。うまく生きのびようとするよりもどうして立派な死にようをしようかと考えている武士は、死ぬべきときがくると桜の花のようにいさぎよく散っていったのです。だから本居宣長という人は、
敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花
という歌を歌って、日本人の心は朝日に照りかがやいている桜のようだと言ったのです。」
武士道と言い、桜と言うときには、散りぎわ、死にざまのいさぎよさがイメージされている。「うまく生きのびようとするよりもどうして立派な死にようをしようかと考えている武士は、死ぬべきときがくると桜の花のようにいさぎよく散っていった」というのは、受け容れるわけにはいかない危険な美学である。
が、吉田嘉明のヘイトとはこれと違う。潔く散る危険な美学とはまったく異なり、まことに見苦しい。みっともないのだ。およそ、武士道の美学の片鱗もない。いや、真逆である。
何度でも繰り返そう。こういう見苦しい人物が経営する企業に、一円のカネも支払ってはならない。それが、正しく賢い消費者のありかたである。日本を健全な社会に育てる、あるべき消費者主権の行使なのだ。