あー、面白くない。どうしてこんなことになっちゃったんだ。総理大臣の私に、できないことが多すぎる。やっぱり、憲法がよくない。憲法を眠り込ませたヒトラーはエライ。ナチス政権が羨ましい。
ホントのことを言うと、国と沖縄県との間でどんな裁判をやっているのか、私には詳しいことはよく分からない。何度も説明は受けたけれど、複雑で覚えきれない。分かっているのは、「世界一危険な普天間飛行場」をなくすには、辺野古に新しい基地を作って、米軍に移ってもらうしか方法がない、ということ。辺野古新基地建設の埋立工事を続行するための代執行訴訟だくらいは私も分かっている。この訴訟は、こちらが原告となって仕掛けた訴訟だ。それを、判決はあきらめて、和解に応じなければならないなんて、屈辱じゃないか。
「和解を受諾せざるをえない」と言われたときには、私も驚いた。でも、指定代理人になっている専門家が、「判決をもらえば敗訴の公算が高い」と言うんだから、仕方がない。「補充性」というらしいが、他にとりうる手段がないときに限り、代執行訴訟が可能なんだそうだ。その補充性の立証が難しいということのようだ。この訴訟提起の前に、国交大臣の執行停止命令があって、知事の埋立承認取り消しへの対処はできている。現実に工事は続行できているのだから、補充性の要件に欠けるというややこしいことらしい。専門家なら、初めからそんなことくらい分かっていたはずだと思うんだがしょうがない。敗訴のみっともなさよりは、作り笑いで和解に応じた方が、浅い傷で済む。
でも、和解の内容を説明されると、なるほど一方的な譲歩という話しだけでもなさそうだ。負けそうな判決を避けて、あとで反撃に転じることも可能なのだから、これも悪知恵のうちかも知れない。
和解は次のような骨子だ。
▽国は代執行訴訟を取り下げる。沖縄県知事は、国地方係争処理委員会に申し出た審査請求が却下されたことを不服として起こした訴訟を取り下げる。
▽防衛省沖縄防衛局長は、沖縄県知事による埋め立て承認取り消しに関する国土交通相への審査請求と執行停止申し立てを取り下げ、埋め立て工事を直ちに中止する。
▽国は知事に対し、埋め立て承認取り消しについて地方自治法に基づき是正を指示する。知事は不服があれば、指示があった日から1週間以内に国地方係争処理委員会へ審査を申し出る。
▽委員会が是正指示を違法でないと判断し知事に不服がある場合や、違法と判断し国が勧告に応じた措置をとらない場合、知事は是正指示の取り消し訴訟を提起する。
▽国と知事は、是正指示の取り消し訴訟の判決が確定するまで、普天間飛行場の返還と辺野古の埋め立てについて円満解決に向けた協議を行う。確定した判決に従い、互いに協力して誠実に対応することを確約する。
けっして、協議を先行する内容ではない。協議の進展に関わりなくいつでも「埋め立て承認取り消しの是正指示」ができることがミソなのだ。結局は、現在3本ある裁判を、是正指示取消の裁判に一本化して、これで決着をつけようということなんだ。その裁判での決着がつくまでの間に、「普天間飛行場の返還と辺野古の埋め立てについて円満解決に向けた協議を行う」ことになる。
この問題で、国が方針を変更することはあり得ないのだから、円満解決のためには沖縄県が譲るしかない。明日にでも是正の指示を出すことができるわけだが、ここは駆け引きだ。いつ出すのが得策かよく考えてみよう。指示が遅れれば、裁判での解決も遅れ、それまで埋立工事がストップするのは面白くないが、ここは選挙対策の意味もある。寛大なアベの顔を見せることも無駄ではない。
担当者の起案のとおりに、記者会見ではこう言った。
「本日、国として、裁判所の和解勧告を受けて、沖縄県と和解する決断をしました。20年来の懸案である普天間飛行場の全面返還のためには、辺野古への移設が唯一の選択肢であるとの国の考え方に何ら変わりはありません。しかし、現状のように、国と沖縄県双方が延々と訴訟合戦を繰り広げているこの状況のままではこう着状態となり、家や学校に囲まれ市街地の真ん中にある普天間飛行場をはじめ、沖縄の現状がこれからも何年も固定化されることになりかねません。これは誰も望んでいない、そうした裁判所の意向に沿って和解を決断すべきと考えました。」
この取り繕った理由、自分でも白々しいと思う。そんなこと、裁判を起こす前から分かりきっていた。これまでは、裁判所の和解案を無視し続けてきた。ここで突然折れた理由にはならない。誰の目にも、「よく考えたら、敗訴の可能性が高い」「それなら、不本意だけど和解の方がマシ」という判断が見え見えだ。
それでも、ゴリ押しの印象は選挙によくない。沖縄県議選が5月27日告示、6月5日投票日に決まっている。直後に、参院選も控えている。それまでは、マイルドにいかなくちゃならない。敗訴のリスクはどうしても避けなくてはならない。辺野古の工事は、機動隊に守られて続行というイメージが定着して甚だよろしくない。だから、一旦停止だ。リセットだ。再度の強行は、選挙のあとにしよう。
もちろん、すんなりと方針が決まったわけじゃない。断乎として埋立工事は続行したいところだ。そのために起こした裁判を取り下げて工事も中止じゃあ、国としての面子が立たない。案外弱いんだなと侮られることも避けたい。工事を阻止しようと現地に集まる人たちに、バンザイなんて言わせたくはない。でも、敗訴判決をもらうことを思い比べれば、我慢ができるし、我慢をしなければならない。
じっと耐えて選挙が終わったら、そのときこそが、本格的なアベ晋三の底力。遠慮のないゴリ押しを始めよう。そして今度は、途中で「敗訴の可能性が高い」などということのない訴訟の準備を指示しなくちゃ。
それにしても、仲井眞さんは名知事だった。常識的な考え方で、分かり易かった。共通の土俵の人だった。「県民世論がなかなかウンとは言いませんぞ」などといいつつ、上手な条件闘争を積み重ね、取るだけのものを取ったうえで折れあった。さすがに、経済人だけのことはある。ところが、翁長知事ときたらどうだ。どうしてあんなに、強情で折れ合おうとしないのか。私には理解しかねる。この人相手では、そして私が総理でいる限り、やはり、裁判でしか問題は解決しそうにない。そうなれば、裁判官はきっと国の立場をよく分かってくれるはずだ。
(2016年3月4日)
宜野湾市長選が昨日(1月17日)告示。2016年の政治の帰趨を占う政治戦が始まった。選挙期間は僅かに一週間の短期決戦。「官邸勢力」と「オール沖縄」との対決。オール沖縄側に勢いがあるものの、決して楽な闘いではない。
いうまでもなく、争点は「普天間・辺野古」問題である。「官邸」を背景とする現職は「普天間返還の早期実現」というシンプルな訴え。これに対する「翁長県政」側の「市政奪還」を目指す側は、「新基地建設なき返還」「基地のたらい回しは許さない」というもの。はるかに次元の高い政治性と倫理性を訴えているのだ。
普天間基地の早期撤去は、宜野湾市民の共通の願いである。この「世界一危険な米軍基地」は、市民に騒音被害と治安の悪化と経済発展の阻害をもたらしている。しかも、最近持ち込まれた「ウィドウメーカー」の異名を持つオスプレイ群の一刻も早い撤退は誰もが望むところ。
しかし、「この危険と騒音と治安の悪化と、さらには自然破壊とを名護市に押しつけてよいのか」「さらに沖縄の危険を増すことになる辺野古新基地建設を許してよいのか」という問題に直面せざるを得ない。また、「政府に協力することで、本当に普天間の早期実現が可能となるのか」「オール沖縄の分断策に政府や米軍から付け込まれることになりはしないか」という問題もある。
昨日の志村恵一郎陣営の出陣式には、翁長知事を先頭に、城間幹子那覇市長や西原、北谷、読谷、中城、北中城の近隣5町村の首長らも勢ぞろいしたという。文字どおり、「オール沖縄・翁長県政」対「政府・与党代理勢力」の対決構図。それ故の全国的な注目政治戦となっている。
ところで、現職市長の佐喜真淳なる人物については、よく知らない。
この人の人物像については、1月14日付「日刊ゲンダイ」が、「園児が教育勅語を唱和…宜野湾市長が出席した大会の異様」という記事を書いて話題となっている。短い記事なので、全文を引用する。
「今月24日に投開票される沖縄県宜野湾市長選。現職で与党推薦の佐喜真淳氏(51)の再選を阻めば辺野古移設の歯止めになることから、全国的な注目度も高い。もっとも、それ以前にこんな人物を再選したら、宜野湾市民は常識を疑われることになりそうだ。
2年前に宜野湾市民会館で開催された『沖縄県祖国復帰42周年記念大会』の動画がネット上で流れており、これに佐喜真市長も出席しているのだが、『まるで北朝鮮みたい』と突っ込まれるほどヒドイ内容なのだ。
オープニングでは地元保育園の園児が日の丸のワッペンをつけた体操着姿で登場。猿回しの猿というか、北のマスゲームように『逆立ち歩き』『跳び箱』をさせられ、それが終わると、全員で〈立派な日本人となるように、心から念願するものであります!〉と『教育勅語』を一斉唱和させられるのだ。
それが終わると日本最大の右翼組織「日本会議」の中地昌平・沖縄県本部会長が開会宣言し、宮崎政久衆院議員といった面々が『日本人の誇り』について熱弁を奮う。この異様な大会の“トリ”を務めたのが佐喜真市長であり、やはり『日本人としての誇りを多くの人に伝えていきたい』と締めくくった。
佐喜真市長が日本会議のメンバーかどうかは知らないが、善悪の判断がつかない園児に教育勅語を暗唱させ、一斉唱和させるなんて戦前そのものではないか。」
「日本会議」のホームページで、「体操演技と教育勅語奉唱(わかめ保育園の園児26名)」と紹介された子どもたちの、「口語版・教育勅語」奉読の場面を見ることができる。この動画を見て戦慄せざるを得ない。「わかめ保育園の園児」たちが、回らぬ舌で、「朕」を「ワタシ」と読み替え、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ天壌無窮の皇運を扶翼すべし」を、「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」と、口を揃えて言わされている様子が傷ましい。これは、「戦時や緊急事態における国民の心得」ではないか。こんなことを、沖縄戦の悲惨な記憶生々しい沖縄でまわりの大人たちがやらせている。その大人の中に、現地の現職市長が参加しているのだ。確かに、戦前の日本や北朝鮮の教育を思い起こさせる、恐るべき図である。
https://www.nipponkaigi.org/activity/archives/6683
日刊ゲンダイが、「ヒドイ内容」で、「こんな人物を再選したら、宜野湾市民は常識を疑われることになりそうだ」というとおり。いやはや、こんな人物を市長にしてはならない。宜野湾市であろうとなかろうと、である。
口語版・教育勅語はいくつかある。わかめ保育園の元ネタは「国民道徳協会訳」のバージョン。明治神宮のホームページなどで読むことができる。意訳に過ぎ、天皇への忠誠心強調が薄れているようにも思われる。しかし、口語訳になると、教育勅語は俄然生々しい。とりわけ、幼児の口から発せられると、背筋が寒くなる。これが、かつて一億総洗脳教育の教材とされたものだ。参考のために、26人の園児が暗記した全文を掲載しておきたい。
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
(2016年1月18日)
昨日(12月2日)が、辺野古代執行訴訟の第1回口頭弁論。冒頭、翁長知事自身が被告本人として意見陳述を行った。覚悟のほどを見せたわけである。
翁長さんは、那覇市議から、沖縄県議、そして那覇市長の経歴を保守の陣営で過ごし、その後に「オール沖縄」の支援を得て知事になった人。県民の意を体して、国と対峙して一歩も引かないその姿勢はみごとというほかはない。
もともとは保守の陣営に属しながら、辺野古新基地建設反対のスローガンで当選した翁長知事。就任の当初には、行く行くはぶれるのではないか、県民を裏切りはしまいかという心配がつきまとっていた。知事の耳にもはいるこのような懸念に対して、知事は当選直後に「裏切るなら死ぬ」と述べている。
「ボクは裏切る前に自分が死にますよ。それくらいの気持ちを言わないとね、沖縄の政治はできないですよ。今、予測不可能ななかでね、こんな言い方をされるとね。その時は死んでみせますというね、そのくらいの決意」(「荻上チキSession-22」TBSラジオ、2014年11月17日)
さらに、知事の妻・樹子さんの存在も大きい。琉球新報が、本年11月9日付で報道するところでは、
「新基地建設に反対する市民らが座り込みを続ける名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前に7日、翁長雄志知事の妻・樹子さんが訪れ、基地建設に反対する市民らを激励した。
樹子さんは…市民らの歓迎を受けてマイクを握り、翁長知事との当選時の約束を披露した。『(夫は)何が何でも辺野古に基地は造らせない。万策尽きたら夫婦で一緒に座り込むことを約束している』と語り掛けると、市民からは拍手と歓声が沸き上がった。『まだまだ万策は尽きていない』とも付け加えた樹子さん。『世界の人も支援してくれている。これからも諦めず、心を一つに頑張ろう』と訴えた。座り込みにも参加し、市民らと握手をしながら現場の戦いにエールを送っていた。」
たとえ敗れても、県民とともに抵抗の姿勢を示そうという知事夫妻。県民世論からの絶大な支持を集めて当然であろう。県民世論だけでなく、国民全体の世論の支持も高まっている。政治的には、完全に国に勝っていると言ってよい。国が原告になって裁判に打って出たのは、傲慢なイジメの構図としか見えない。あとは、法廷での勝利を切に期待したい。
その知事が覚悟のほどを見せた法廷の模様は、本日各紙のトップを飾っている。
県と国の双方の主張を手際よくまとめた本日の東京新聞報道を引用したい。
「翁長氏は、住民を巻き込んだ沖縄戦や、米軍に土地を強制接収され、戦後七十年続く基地負担の実態を説明した。『政府は辺野古移設反対の民意にもかかわらず移設を強行している。米軍施政権下と何ら変わりない』と批判し『(争点は)承認取り消しの是非だけではない。日本に地方自治や民主主義はあるのか。沖縄にのみ負担を強いる安保体制は正常か。国民に問いたい』と訴えかけた。」
「国側は主張の要旨を読み上げ、まず『基地のありようにはさまざまな意見があるが、(法廷は)議論の場ではない』と指摘。『行政処分の安定性は保護する必要があり、例外的な場合しか取り消せない』と強調した。移設が実現しなければ普天間飛行場の危険性が除去されず、日米関係が崩壊しかねないなどの大きな不利益が生じるため、取り消しは違法と訴えた。」
朝日も同様に、県と国との主張を要約している。
「翁長氏は陳述で、琉球王国の時代からの歴史をひもとき、沖縄戦後に強制的に土地が奪われて米軍基地が建設された経緯を説明。『問われているのは、埋め立ての承認取り消しの是非だけではない』と指摘。『日本に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄県にのみ負担を強いる日米安保体制は正常と言えるのか。国民すべてに問いかけたい』と訴えた。」
「一方、原告の国は法務省の定塚誠訟務局長が出席し、『澄み切った法律論を議論すべきで、沖縄の基地のありようを議論すべきではない』などと主張。埋め立て承認などの行政処分は「例外的な場合を除いて取り消せない」とし、公共の福祉に照らして著しく不当である時に限って取り消せる、と述べた。」
各紙がほぼ同様の調子で、これに翁長意見陳述の全文を掲載している。「歴史的にも、現在においても、沖縄県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされてきた」として、「魂の飢餓感」を訴えた格調の高いものだ。だがなんとなく、原告国側が法的論点を絞り込み、被告県側は論点を拡散させて背景事情ばかりを述べている、そんな報道の雰囲気がなくもない。そのことが気になる。
しかし、その気がかりは不要なのだ。朝日が要約する訴状請求原因の骨子は以下のようなもの。
(1) 公有水面埋立法の埋め立て承認は、承認を受けた者に権利が生じる『受益的処分』だ。処分した行政庁が自らの違法や不当を認めて取り消すには、維持することが公共の福祉に照らして著しく不当だと認められるときに限られる。
(2) 取り消しによって普天間飛行場の危険性除去ができなくなり、日米両国の信頼関係に亀裂が生じかねず、既に投じた473億円が無駄になるなど計り知れない不利益が生じる。埋め立てによって辺野古地区の騒音被害や自然環境の破壊などが生じるが、その不利益は極めて小さい。
(3) そもそも承認に法的瑕疵はなく取り消せない。また、米軍施設の配置場所など国の存立や安全保障に関わる国の重要事項について、知事に適否を判断する権限はない。
えっ、これが「澄み切った法律論」? ちっとも澄み切ってはいない。公共性は我にあり、という濁りきった傲慢な姿勢。
こうした国側の主張に対し、県側は「『(埋立て承認を国が知事に求めた根拠の)公有水面埋立法には、国防に関する事業を除外する規定はない』とし、知事が埋め立て承認を審査するのは当然だと訴えた」(東京)。
実はここが重大だ。裁判所がこの争点をどうとらえるかで、訴訟の様相はがらりと変わる。そもそも日本国憲法の平和主義の理念からは、軍事や国防の「公共性」を認めることができない。国は、そのホンネにおいて、「県知事の公有水面埋立承認の取消処分」(要するに、辺野古新基地建設阻止)は、「国防上重大な利益を損なう」と主張しているのだ。しかし、憲法訴訟となることを避けて、あからさまにはホンネを語れない。慎重に「普天間飛行場の危険性除去ができなくなり、日米両国の信頼関係に亀裂が生じかねず、既に投じた473億円が無駄になる」としか言えない。
本来は、軍備による平和や、軍事同盟(安保条約)の公共性を問う議論に発展しうるこの訴訟。その点では、砂川事件と同質のものをもっているのだ。「澄み切った法律論」とは、9条や安保の論議を避けた法律論を指しているのだろう。その思惑のとおりとなるかどうか、予断を許さない。
また、沖縄県側は、けっして「魂の飢餓感」を中心に、「背景事情」ばかりを主張しているのではない。原告国の方から、「公共の福祉」論や利益・不利益の「衡量論」をもちだされたのだ。背景としての歴史的経過は単なる事情にとどまらない。小さくない法的な意味をもちうる。
さらに、県側の積極的な法的主張がある。東京新聞の要約では以下のとおり。
? 辺野古移設強行は自治権の侵害で違憲
? 埋め立て承認は環境への配慮が不十分で瑕疵がある
? 代執行は他に手段がない場合の措置で、国は一方で取り消し処分の効力を停止しているため、代執行手続きを取れない
いずれも重い論点だ。裁判所は真摯に向き合わねばならない。
?は、法が知事の権限としたものを、国が軽々に取り上げてよいのか。県民の圧倒的世論を無視しての辺野古建設強行が許されるのか、という問題。
?は、訴訟の中心となる争点だが、法は「都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ」として「国土利用上適正且合理的ナルコト」「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」を挙げている。つまり、「環境保全等に十分配慮されたものであることが確認されるまでは、知事は許可(国に対する場合は「承認」という)してはならないのだ。
そして?。これが一番分かり易い。国が代執行という強権手段をとることができるのは、他にとるべき手段がない場合に限られる。知事が承認を取り消して、「工事を続行するためには、代執行を申し立てる以外に他の手段がない」ことが必要なのだ。ところが、国は行政不服審査法に基づく審査請求申立をし、お手盛りで執行停止まで実現してしまった。現に工事は続行している。結局は、「他に手段がない場合に限る」という要件を欠いている、という指摘なのだ。
これだけの争点があって、証人尋問なしで結論を出せるはずはなかろう。被告の言い分を汲んで、原告の請求を棄却あるいは却下する判決なら証人尋問なしで書ける。しかし、実のある判決を書くためには、証人調べは不可欠だろう。裁判所は、真摯に対応しなければならない。国民はこの訴訟を見守っているのだから。しかも、ぶれない知事と県民の気迫に、エールをおくりつつである。
(2015年12月3日・連続第976回)
上村達男(元NHK経営委員)著の「NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか」(東洋経済新報社)が話題となっている。題名がよい。これに「法・ルール・規範なきガバナンスに支配される日本」という副題が付いている。帯には、「NHK経営委員長代行を務めた会社法の権威による、歴史的証言!」。著者は、人も知る「法・ルール・ガバナンス」のプロ中のプロ。その著者が、直接にはNHKのガバナンスについて報告しつつも、「規範なきガバナンスに支配される日本」を論じようというのだ。これは興味津々。
私はこの本をまだ読んでいない。11月29日(日)の赤旗と朝日の両書評を見た限りで触発されての本日のブログである。
NHKの反知性が話題になっているのは、およそ知性とかけ離れた会長のキャラクターによる。元NHKディレクターの戸崎賢二による赤旗の書評の表題が、「衝撃の告発 根源的な危機問う」と刺激的だ。NHK会長の反知性ぶりが並みではなく衝撃的だというのだ。その籾井勝人の「反知性」の言動を間近に見た著者の「衝撃の告発」「歴史的証言」にまず注目しなければならない。
「上村氏は2012年から3年間NHK経営委員を務め、籾井会長時代は経営委員長代行の職にあった。この時期に氏が体験した籾井会長の言動の記録は衝撃的である。自分に批判的な理事は更迭し、閑職に追いやる、気に入らないとすぐ怒鳴り出す、理事に対しても『お前なー』という言葉遣い、など、巨大組織のトップにふさわしい教養と知見が備わっていない人物像が描かれている。」
これは分かり易い。しかし、問題はその先にある。「反知性」の人物をNHKに送り込んだ「反知性主義者」の思惑が厳しく問われなければならない。
「著者は、こうした(籾井会長の)言動を『反知性主義』と断じているが、会長批判に終始しているわけではない。安倍政権が、謙抑的なシステムを破壊しながら、国民の反対を押し切って突き進む姿も『反知性主義』であり、政権のNHKへの介入の中で起こった会長問題もその表れであるという。」「NHK問題の底流には日本社会の根源的な危機が存在している、という主張に本書の視野の広さがある。」
朝日の方は、「著者に会いたい」というインタビュー記事。「揺らぐ『公正らしさ』への信頼」というタイトルでのものだが、さしたるインパクトはない。それでも、著者の次の指摘に目が留まった。
「公正な情報への信頼が揺らげば、議論の基盤が失われ、みんなが事実に基づかずに、ただ一方的に言葉を投げ合うような言論状況が起きかねない。『健全な民主主義の発展』に支障が生じるのではないか、と懸念する。」
民主主義は「討議の政治」と位置づけられる。討議における各自の「意見」は各自が把握した「事実」に基づいて形成される。各自が「事実」とするものは、主としてメディアが提供する「情報」によって形づくられる。公共放送の使命を、国民の議論のよりどころとなる公正で正確な情報の提供と考えての上村発言である。
おそらく誰もが、「あのNHKに、何を今さら途方もない過大の期待」との感をもつだろう。政権と結びつき政権の御用放送の色濃い現実のNHKである。そのNHKに、「議論の基盤」としての公正な報道を期待しようというのだ。それを通じての「健全な民主主義の発展を」とまで。
一瞬馬鹿げた妄想と思い、直ぐに考え直した。反知性のNHKではなく、憲法の理念や放送法が想定する公共放送NHKとは、上村見解が示すとおりの役割を期待されたものではないか。その意味では、反知性主義に乗っ取られたNHKは、民主主義の危機の象徴でもあるのだ。到底このままでよいはずがない。
さて、「NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか」という問について考えたい。この書名を選んだ著者には、「乗っ取られた」という思いが強いのだろう。では、NHKは本来誰のもので、乗っ取ったのは誰なのだろうか。
公共放送たるNHKは、本来国民のものである。国家と対峙する意味での国民のものである以上、NHKは国家の介入を厳格に排した独立性を確立した存在でなくてはならない。しかし、安倍政権はその反知性主義の蛮勇をもってNHK支配を試みた。乱暴きわまりない手口で、まずは右翼アベトモ連中を経営委員会に順次送り込み、その上で反知性の象徴たる籾井勝人を会長として押し込んだ。NHK乗っ取り作戦である。
NHKを乗っ取った直接の加害者は、明らかに安倍政権である。解釈改憲を目指しての内閣法制局長人事乗っ取りとまったく同じ手法。そして、乗っ取られた被害者が国民である。政権が、反知性主義の立場から反知性の権化たる人物を会長に送り込む人事を通じて、国民からNHKを乗っ取った。一応、そのような図式を描くことができよう。
しかし、安倍政権はどうしてこんなだいそれたことができてしまうのか。政権を支えているのは、けっして極右勢力や軍国主義者ばかりではない。小選挙区制というマジックはあるにせよ、政権が比較多数の国民に支えられていることは否定し得ない。自・公に投票しなかった国民も、この間の政権によるNHK会長人事を傍観することで、消極的あるいは間接的に乗っ取りに加担したと言えなくもない。
とすれば、国民が国民からNHKを乗っ取ったことになる。加害者も被害者も国民という奇妙な図。両者は同一の「国民」なのか、それとも異なる国民なのか。
「反知性主義」とは、国民の知的成熟を憎悪し、無知・無関心を歓迎する政権の姿勢である。自らものを考えようとしない統治しやすい国民を意識的にはぐくみ利用しようという政権の思惑といってもよい。反知性主義者安倍晋三がNHKに送り込んだ反知性の権化は、政権の意を体して「政府が右を向けというからいつまでも右」という報道姿勢をとり続けている。今のところ、反知性主義者の思惑のとおりではないか。
ヒトラー・ナチス政権も旧天皇制政府も、実は「反知性の国民」からの熱狂的な支持によって存立し行動しえたのだ。国民は被害者であるとともに、加害者・共犯者でもあるという側面を否定できない。再びの過ちを繰り返してはならない。反知性主義に毒されてはならず、反知性に負けてはならない。
厚顔と蛮勇の前に知性は脆弱である。が、必ずしも厚顔と蛮勇に直接対峙しなければならないことはない。大きな声を出す必要もない。心の内だけででも、政権の不当を記憶に刻んで忘れないとすることで対抗できるのだ。ただ粘り強さだけは必要である。少なくとも、反知性の徒となって、安倍政権を支える愚行に加わってはならない。それは、いつか、自らが悲惨な被害者に転落する道に通じているのだから。
(2015年12月1日・連続第975回)
古今を通じて、力なき者が権力と闘うための第一の武器は団結と連帯である。権力者が反抗する人民を統治する手段の第一は、分断と各個撃破である。これも、古今東西を通じてのこと。沖縄の県民はこのことを知悉してオール沖縄の団結を作ろうと努力を重ね、安倍政権もこのことをよく弁えて、県民の分断工作に余念がない。
昨日(11月27日)防衛大臣は、「再編関連特別地域支援事業補助金」制度新設を発表した。「再編」とは聞き慣れない言葉。「再編関連」もよく分からない。「特別地域」とはいったいなんぞや。そして、「支援事業補助金」とは?
辺野古新基地建設に対する地元反対闘争を分断するための「つかみ金」制度の創設と言い、その「ばらまき第一弾」と言えば分かり易い。県民に受け入れがたい政策を押しつけるための「ばらまき」も醜いが、これはまた露骨な反対運動に対する分断と各個撃破策。感じ悪いよね?、アベ政権。
この補助金支出の対象は、今話題の久辺三区。各区に1300万円、合計3900万円を上限とする補助金を交付するという。今年は、もともとの予算措置がないところを「在日米軍等の駐留関連諸費」からひねり出す。来年からはきちんと予算措置をするという。よい子にしていれば増額もあり得る、そういうイヤな含みを隠そうともしない防衛大臣会見である。
この「区」あるいは「行政区」というものの性格が分かりにくい。もちろん、特別区とはまるっきり違って公的な存在ではない。飽くまでも住民の自治組織。防衛省ブリーフィングのレジメでは、補助金支出先は「円滑な駐留軍再編に寄与する地域の地縁団体(自治会)」となっている。防衛省も各「行政区」を「地縁団体(自治会)」ととらえた。都市部での「町内会」や「自治会」に相当するものである。
沖縄では、地方自治体行政の補助組織として、集落単位の行政区を活用しているようだ。人口61,500人の名護市は、合計55の行政区をもっている。その内、久志地区(人口4400人)と言われる地域に13行政区があり、その内の久志(274世帯、611人)、豊原(189世帯、419人)、辺野古(1104世帯、1869人)の3行政区をひとかたまりに「久辺三区」と呼ぶのだそうだ。ここが、辺野古新基地建設の地元中の地元となる。(数字は本年3月末現在。名護市のホームページから)
この、400人から1800人ほどの集落の各自治会にそれぞれ、まずは1300万円ずつを注ぎ込もうというのだ。今のところ、その補助金の使途は特定の事業に限定されている。記者会見での大臣説明ではこうだ。
「対象事業と致しましては、まず日米交流に関する事業、例えば伝統芸能に資する事業、またスポーツ大会などであります。もう一点は住民の生活の安全に関する事業ということで、交通安全講習会、また防災・防犯教育啓発、また防犯灯設置などであります。もう一点はその他ということで、生活環境の整備に関する事業ということで、集会施設の改修・増築など、こういった対象のメニューをあげておりますが、事業につきましては今後、確定をしていく予定でございます。」
防衛大臣の、沖縄県や名護市に対する接し方とはおよそ異なる、歯の浮くような久辺三区へのサービスぶりはどうだ。これぞ、世辞の見本というところ。
「久辺三区につきましては、…移設事業の実施に当たりましては、直接最も大きな影響を受けることから、同区が実施する米軍再編の影響を緩和をし、生活環境の保全、また住民の生活の安定に資する事業に対しまして、直接補助が可能となるわけでございます。防衛省としては、今回の交付要領の制定を機に、今後とも久辺三区からの御要望につきまして、きめ細かく応えて参りたいと思っております。」
これに対する稲嶺・名護市長のコメントは次のようなものだ。
「全国でこの地域だけを対象としたものだということを考えると、公共のために使う補助金として本当に妥当なものか理解を超える」「補助金の対象事業として挙げられているものは、すべて地方自治体が地域住民に対して支援をしていく内容のものと解釈される。それからすると、当該自治体の頭越しに直接やるということは、地方自治をないがしろにするもの以外、何ものでもない。この地域だけ対象となると、分断工作というか、“アメとムチ”の最たるものだ」
沖縄タイムスは、次のように報道している。
「防衛省は3区からの事業申請を受け、早ければ年内にも交付を開始する。新基地建設に反対する名護市を介さず頭越しに支援する異例の措置。辺野古に反対する稲嶺進市長や県をけん制する狙いもあり、県内から強い反発が上がっている。
一方、辺野古区の嘉陽宗克区長と久志区の宮里武継区長は菅氏の『地元は(辺野古移設に)条件付き賛成』との認識を否定しているほか、久志区は受け取りの可否で賛否が割れているなど、3区の認識は一致していない。」
政府必死の分断工作も、その成否はまだ定かならずというところ。では、もっと餌を撒くか、あるいは恫喝という奥の手も使うことにするか。アベ政権のことだ、どんな汚い奥の手を使うことになるのか分からない。
政治家が、政策の実行のためとして有権者にカネをバラマケば、疑いもなく公選法違反の「買収」となる。金でなくても、一切の利益の供与が買収罪の犯罪行為を構成する。政府の税金を使ってのバラマキは、お咎めなしなのだろうか。法にのっとり、適正手続が確保され、平等原則が確認されて初めての補助金支出でなくてはならない。
よこしまな動機から、まず補助金支出先を久辺三区と決めておいて、久辺三区だけに支出ができるような要件を作っての補助金支出。もちろん、立法措置もないままである。政府主体の有権者買収と言われてもしかたあるまい。辺野古新基地反対運動の分断と各個撃破策だと言われても、だ。
(2015年11月28日・連続第972回)
辺野古新基地建設に関連して翁長知事が名護市辺野古沿岸海面の埋め立て承認を取り消し、国(国交相)はこの承認取り消しを違法として、福岡高裁那覇支部に「承認処分取消の撤回を求める」訴訟(辺野古代執行訴訟)を提起した。地方自治法に定められた特例の代執行手続としての一環の行政訴訟である。
国交相の沖縄県知事に対する提訴(辺野古代執行訴訟)に関して、本日(11月18日)の東京新聞社説がこう述べている。
「翁長知事が埋め立て承認を取り消したのは、直近の国政、地方両方の選挙を通じて県内移設反対を示した沖縄県民の民意に基づく。安全保障は国の責務だが、政府が国家権力を振りかざして一地域に過重な米軍基地負担を強いるのは、民主主義の手続きを無視する傲慢だ。憲法が保障する法の下の平等に反し、地方の運営は住民が行うという、憲法に定める『地方自治の本旨』にもそぐわない。」
また、同社説は「菅義偉官房長官はきのう記者会見で『わが国は法治国家』と提訴を正当化したが、法治国家だからこそ、最高法規である憲法を蔑ろにする安倍内閣の振る舞いを看過するわけにはいかない。」と手厳しい。
毎日社説は、端的に「国は安全保障という『公益』を強調し、沖縄は人権、地方自治、民主主義のあるべき姿を問いかける。その対立がこの問題の本質だろう。」という。なるほど、このあたりが、衆目の一致するところであろうか。
訴訟では、本案前の問題として、まず訴えの適法性が争われることになるだろう。国は、地方自治法が定めた特別の訴訟類型の訴訟として高裁に提訴している。その訴訟類型該当の要件を充足していなければ、本案の審理に入ることなく却下を免れない。
このことに関連して本日の毎日の解説記事が次のように紹介している。
「承認取り消しについて行政不服審査を請求する一方で代執行を求めて提訴する手法を『強権的』と批判する専門家も多い。不服審査には行政法学者93人が「国が『私人』になりすまして国民を救済する制度を利用している」と声明を出したが、国土交通相は承認取り消しの一時執行停止を決めた。
この対応について、声明の呼び掛け人の一人、名古屋大の紙野健二法学部教授は『代執行を定めた地方自治法は、判決が出るまで執行停止を想定していない。不服審査請求は、先回りして承認取り消しの効力を止め、工事を継続したまま代執行に入るための手段だった』と推測する。専修大の白藤博行法学部長(地方自治法)は『代執行は他に是正する手段がないときに認められた例外的手段。不服審査と代執行訴訟との両立は地方自治の精神を骨抜きにする』と批判した。」
一方で私人になりすまして審査請求・執行停止の甘い汁を吸っておきながら、今度は国の立場で代執行訴訟の提起。こういうご都合主義が許されるのか、それとも「手続における法の正義は国にこそ厳格に求められる」と、本案の審理に入ることなく、訴えは不適法で、それ故の却下の判決(または決定)となるのか。注目したいところ。
報道されている「訴状の要旨」は以下のとおりである。
「請求の趣旨」は、「被告は、平成27年10月13日付の公有水面埋め立て承認処分の取り消しを撤回せよ」というもの。
請求原因中の「法的な争点」は次の2点とされている。
(1) 不利益の比較(「処分の取り消しによって生じる不利益」と、「取り消しをしないことによる不利益」の比較)
(2) 知事の権限(知事には、国政の重大事項について適否を審査・判断する権限はない)
「翁長承認取消処分」は、「仲井眞承認」に法的瑕疵があることを根拠にしてのものである。つまりは、本来承認してはならない沖縄防衛局の公有水面埋め立て承認申請を、前知事が真面目な調査もせずに間違って承認してしまった、しかも、法には、厳格な条件が満たされない限り「承認してはならない」とされている。事後的にではあるが、本来承認してはならないことが明らかになったから取り消した、と丁寧に理由を述べている。けっして、理由なく「仲井眞承認」を撤回したのではない。
だから常識的には、今回の提訴では「仲井眞承認」の瑕疵として指摘された一項目ずつが吟味されるのであろうと思っていた。しかし、様相は明らかに異なっている。いかにも大上段なのだ。「国家権力を振りかざして」の形容がぴったりの上から目線の主張となっている。東京社説が言うとおりの傲慢に満ちている。メディアに紹介された「要旨」を見ての限りだが、安倍や菅らのこれまでの姿勢を反映した訴状の記載となっいるという印象なのだ。
翁長承認取消処分を取り消すことなく放置した場合の不利益として強調されているものは、「約19年にわたって日米両国が積み上げてきた努力が、わが国の一方的な行為で無に帰し、両国の信頼関係に亀裂が入り崩壊しかねないことがもたらす日米間の外交上、政治上、経済上の計り知れない不利益」である。
そして、知事の権限については、次のとおり。
「(被告翁長知事は)取り消し処分の理由として、普天聞飛行場の代替施設を、沖縄県内や辺野古沿岸域に建設することは適正かつ合理的とする根拠が乏しいと主張するが、しかし、法定受託事務として一定範囲の権限を与えられた知事が、米軍施設・区域の配置といった、国の存立や安全保障に影響を及ぼし国の将来を決するような国政の重大事項について、その適否を審査・判断する権限はない。」
公有水面埋立法の条文や承認要件の一々の吟味などは問題ではない。天下国家の問題なのだから、国家の承認申請を、知事風情が承認取消などトンデモナイと、居丈高に言っているのだ。それは、国(国交相)側が、訴訟上の主張としては無意味な政治的主張を述べているのではない。
おそらくは、担当裁判官にプレッシャーを与えることを意識しているのだ。「これだけの政治的、軍事的、外交的重要案件なのだ。このような重さのある事件で、国側を敗訴させるような判決をおまえは書けるのか」という一種の恫喝を感じる。
砂川事件最高裁判決では、大法廷の裁判体が、事案の重さを司法は受け止めがたいとして裁判所自身の合違憲判断をせずに逃げた。逃げ込んだ先が、統治行為論という判断回避の手法だった。しかも、全裁判官一致の判断だった。辺野古代執行訴訟でも、国は同じことを考えているのだ。
さて、今回の訴訟で、はたして司法は躊躇することなく淡々と公有水面埋立法の承認要件の具備如何を判断できるだろうか。それとも、国の意向に逆らう判決を出すことに躊躇せざるを得ないとするであろうか。
憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。「憲法が想定するとおりの地方自治であるか」だけではなく、「憲法が想定するとおりの裁判所であり裁判官であるか」も問われているのだ。
(2015年11月18日・連続第963回)
昨日(11月7日)の琉球新報が、辺野古埋め立て問題に関する、沖縄県対政権対立構造の最新状況を要領よく報道している。見出しは、「知事、是正勧告を拒否 『取り消しは適法』 国交相に公開質問状」というもの。「是正勧告拒否」と「公開質問状」の2点がメイン。それに、予想される「代執行訴訟」や「沖縄防衛局と一部業者の癒着」、「警視庁機動隊投入問題」などにも言及されている。
是正勧告とは、国から知事に対する、「辺野古海面の埋立承認の取消を、違法だから取り消せ」というもの。「取り消しを取り消せ」という面倒に至った経過の概要を説明すれば、以下のとおり。
☆国の機関である沖縄防衛局が辺野古新基地建設のために辺野古沿岸海域の埋立を企画して、公有水面埋立法に基づいて沖縄県に法が必要としている承認を求めた
☆この承認申請に、県民世論は圧倒的に反対だったが、2013年12月任期切れ直前に仲井眞弘多前知事が世論を裏切って突如承認した
☆辺野古新基地建設反対の県民世論に押されて、仲井眞を破って新知事に当選した翁長現知事は、前知事の承認には瑕疵があったとして、承認を取り消した
☆地方自治法の規定では、県の行為に違法がある場合、国はこれを是正する権限があり、是正勧告⇒是正指示⇒代執行 と踏むべき手続が定められている。
☆国は、沖縄県知事に対して、「承認取り消しを取り消すよう勧告した」
新報の記事は、翁長知事が敢然とこの勧告を拒否したこと、併せて公開質問状を発したことを報じている。再度経過を要約すれば以下のとおり。
沖縄防衛局埋立申請→仲井眞・承認→着手→翁長・承認取り消し→国交相・取消を取消すよう勧告→知事拒否・併せて公開質問状
(新報の是正勧告拒否関連記事)
「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画をめぐり、石井啓一国土交通相が翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しを取り消すよう求めた是正勧告について、県は6日、拒否する文書を石井国交相宛てに送付した。翁長知事は同日開いた会見で「取り消しは適法と考えていて勧告に従うことはできない」と述べた。翁長知事が勧告の次の段階で出される是正指示にも従わない方針を示したことから、石井国交相が今月中にも翁長知事の承認取り消し処分を国が代わりに取り消す代執行を求めて高裁に提訴する公算が大きくなった。」
(新報の公開質問状記事)
「県は同日、石井国交相が、審査請求と執行停止を申し立てた沖縄防衛局を「私人」と認める一方で、代執行手続きでは防衛局を「行政機関」と位置付けていることの整合性など5項目を問う公開質問状も国交相宛てに送付した。13日までに回答するよう求めている。県が大臣に公開質問状を送るのは異例。」
(新報の代執行訴訟関連記事)
「県弁護団は同日の翁長知事の会見の席で、来月にも開かれる代執行訴訟の口頭弁論に翁長知事が出廷し、意見陳述することを検討していると明らかにした。」
(新報の政府への不信表明関連記事)
「公開質問状を送付したことについて、翁長知事は『沖縄防衛局長のみならず国交相までもが自らの都合に応じて立場を使い分けている。さらに警視庁の機動隊員を大量投入するなど、なりふり構わず移設を強行しようとしている。政府は通り一遍の言葉ではなく、国民、県民に対し明確に説明責任を果たすべきだ』と述べた。
沖縄防衛局が設置した環境監視等委員会の一部委員が辺野古移設工事の受注業者から寄付などを受けていた問題に関し、翁長知事は『県の質問に対する防衛局の回答は既存の議事要旨などを基に指導助言機能は適切に果たされていると主張するのみだ。国民、県民の疑念は払拭されるどころかますます深まっていく』と指摘し、十分な内容の報告をするよう再度求めていく姿勢を示した。」
なお、沖縄県のホームページが、この記者会見の「知事読み上げ文」を掲載している。
「本日は、国土交通大臣が行った辺野古新基地建設に係る公有水面埋立承認取消処分を取り消せとの勧告等について、私から報告申し上げます。
1点目に是正の勧告の拒否についてですが、本日、去る10月28日付けで国土交通大臣が地方自治法第245条の8第1項の規定により行った、「辺野古新基地建設に係る公有水面埋立承認取消処分を取り消せ」との勧告について、勧告には従わない旨の文書を同大臣あて発送いたしました。
県は、本年7月の第三者委員会の検討結果を受けてこれを精査した結果、承認には取り消し得べき瑕疵があるものと認め、取消しを行ったものです。したがいまして、本件取消しは適法と考えており、勧告に従うことはできません。
2点目に公開質問状についてですが、承認取消しに対する審査請求、審査請求手続における執行停止決定及び代執行手続への移行といった一連の政府の対応において、沖縄防衛局長のみならず、国土交通大臣までが、自らの都合に応じて立場を使い分け、さらに警視庁の機動隊員を大量投入するなど、まさしくなりふり構わず移設を強行しようとしております。
政府は、これらの対応について、通り一遍の言葉ではなく、国民、県民に対して明確に説明責任を果たすべきであると考えます。
そこで県では、本日、国土交通大臣に対して、この点についての公開質問を行うこととし、公開質問状を送付いたしましたので、報告します。
3点目に環境監視等委員会の寄付等についてですが、昨日、本県から沖縄防衛局長に照会した環境監視等委員会への寄付及び報酬に対する回答がありました。既存の議事要旨等を基に委員会の指導助言機能は適切に果たされていると主張するのみで、委員就任後に寄付金が大幅に増額された委員がいるにもかかわらず、議事録の公表もありません。
国民、県民の疑念は払拭されるどころか、ますます深まっていくのではないでしょうか。
改めて、十分な内容の調査結果の報告や、議事録の公開等を強く求めてまいります。
今後も、辺野古に新基地は造らせないという公約の実現に向け、全力で取り組む考えであります。」
さて、11月13日までにと回答期限を切った、沖縄県知事から国交相宛の公開質問状である。その全文はやはり県のホームページに掲載されている。この公開質問状は関心をもつ者に必読と思われるので、全文を掲載しておきたい。((審査請求に関し)(関与の制度に関し)の小見出しは、澤藤が補った)
公開質問状の送付について
平成27年10月27日、国土交通大臣は、沖縄防衛局長の審査請求手続における執行停止の申立てを受けて、審査庁として沖縄県知事が行った埋立承認取消処分の執行停止を決定しております。
その一方で、同日、政府は本件取消処分について是正を図るため、地方自治法に基づく代執行等の手続に着手することを閣議了解し、これを受けて、翌28日には、国土交通大臣が沖縄県知事に対し、勧告を行っております。
これらの承認取消しに対する審査請求、審査請求手続における執行停止決定及び代執行手続への移行との判断といった一連の政府の判断は、都合に応じて自らの立場を使い分けるものであり、強く非難されるべきものであります。
本県では、政府がこのような対応を取っていることについて、国民や県民に対して明確に説明責任を果たすべきであると考え、別紙のとおり公開質問を行うものです。
つきましては、平成27年11月13目(金)までにご回答いただくようよろしくお願い致します。
(審査請求に関し)
質問1 辺野古沿岸部の埋立事業は、日本政府が日米両政府の合意の履行として、閣議決定に基づき実施されている「国家の事業」であることは、明らかだと考えますが、いかがでしょうか。
質問2 上記埋立事業が「国家の事業」であるとしますと、沖縄防衛局の埋立申請は、必然的に「国」(固有の資格)としての埋立申請と解されるのが自然であるかと考えますが、何ゆえに、同申請が「私人」としての申請と解されることになるのでしょうか。
質問3 公有水面埋立法が、埋立申請につき、「私人」の申請と「国」の申請を区別していないということであれば、同法で、「国以外の者」の申請と「国」の申請を区別して定めている理由をどのように考えればよいのでしょうか、貴職の見解を明らかにしていただきたい。
質問4 平成11年の地方分権一括法により、地方自治法の中に国が地方自治体の判断に介入する「関与の制度」(第11章 国と地方公共団体との関係及び普通地方公共団体相互間の関係)が新設されています。国と地方公共団体との紛争は、同手続きを利用して解決されるべきであるというのが同制度の趣旨と思われますが、貴職は、何ゆえに同制度の利用にとどめず、敢えて行政不服審査法に基づく審査請求制度を利用して、行政内部で「執行停止」の決定をしたのか、その意図を明らかにしていただきたい。
(「関与の制度」に関し)
質問5 地方自治法245条の8第1項は、国による代執行等の手続について、「本項から第8項までに規定する措置以外の方法によってその是正を図ることが困難」な場合に限って勧告、指示を行うことができ、同指示に知事が従わないときに高等裁判所に訴えを提起できると規定されています。
今回、国土交通大臣は勧告書において「貴職が行った取消処分について、法その他の法令には他の機関がこれを取り消す規程はなく」と述べ、代執行等の手続によらなければ「その是正を図ることが困難」であるとしています。
その一方、勧告に先立ち、国土交通大臣は沖縄防衛局の行った審査請求を適法な申請と認めて執行停止決定を行っています。この決定は、国土苦痛大臣が自らには本件審査請求における裁決によって沖縄県知事の行った埋立承認取消処分を取り消す権限を有すると判断したことを意味するものと考えます。
すなわち、国土交通大臣は、当該埋立承認取消しに関して、一方では審査請求での解決が可能と考えており、他方では、代執行等の手続によらなければその解決をはかることが困難として、勧告を行っていることになります。
何ゆえに、このような矛盾した判断がなされているのか、分かりやすいご説明をいただきたい。
これは、相当なものだ。おそるおそるの「お伺い書」でも、「上申書」でもない。まったく対等な立場であることを前提として、地方自治体からの国(実は政権)への果たし状のようなものではないか。堂々と、「あなたの方が間違っている」と言ってのけ、「そのことを県民や国民に分かっていただくための公開質問」だというのである。前代未聞の痛快事ではないか。
国交大臣に代わって、この公開質問状の各質問事項に回答を起案してみよう。思っていることを飾らずホンネでだ。
(はじめに)
まず、このような公開質問状をいただいたことを大変遺憾に存じます。ことは、法的なことがらなのですから、当職と貴職との間で、粛々と意見の交換を行うべきが筋であって、敢えて公開での意見を求める必要は毫もないと言わざるを得ません。
貴職の立場は、冷静に法を踏まえた意見を交換しようとの真摯さに欠け、本件を政治的闘争の具とされているものと評されても反論の余地がないものと考えます。普天間基地の周辺にあって同基地の移転を強く求めている住民の願いや、条件の整備次第では辺野古への基地移転を承諾することを表明している久辺3区の人々の立場にも、配慮をされた姿勢を保持されますよう、一言申しあげておきます。
また、法は明らかに、国に地方自治体に優越する地位と権限を付与しています。これは、各地方の住民の利益のために法の下の平等を貫き、統一した法の支配を貫徹するための必然的な要求と考えられるところです。
そのような立場にある国が、国民の安全保障という最高の憲法的価値の実現と沖縄県民の負担軽減の両者を実現する方策として、腐心の結果の辺野古移転であることに、十分の理解をしていただくようお願いいたします。
これまでも繰り返し申しあげてきましたとおり、これが唯一の現実的手段なのですから、貴県において受容できないとしても、辺野古移転は強行せざるを得ません。この内閣の方針は、実は内閣の母体となっている国会の意思でもあり、砂川大法廷判決で示された統治行為論から、消極的にもせよ司法も容認することが明白と考えられるところです。このことは貴職もよくご存じのとおりではありませんか。政治的パフォーマンスが無駄であることは明白なのですから、ぜひとも自治体のあるべき立場として、国の政策にご協力いただくよう、敢えて苦言を呈する次第です。
(審査請求に関する、質問1?4への回答)
質問1及び2に対して
辺野古沿岸部の海面埋立事業は、閣議決定に基づき実施されている「国家の事業」であることは言うまでもなく、ご指摘のとおりです。しかし、承認権を有している県知事との関係においては、その決定の可否によって権利の行使の可否が左右されるという意味で、私人の立場と変わらないものと考え、審査請求が可能と考えております。ひとつの行為が、法的に多面的な性格をもつことは珍しいことではなく、海面埋立事業が、「国家の事業としての性格」と「知事の承認に服する私人と変わらない性格」の両面をもつものと考えて、不都合はないと思料するものです。
質問3に対して
公有水面埋立法が、埋立申請について「国以外の者」の申請と「国」の申請を区別して定めていることはご指摘のとおりですが、本件のようにひとつの事業が両様の性格を持つと評価される場合には、選択的に「国以外の者」の申請手続と「国」の申請手続のどちらをも選択することが可能と考えてなんの差し支えもありません。
また、仮に最終的に裁判所が法上競合と解釈して、「国以外の者」の申請は不可と判断するとなればそれはそのときのこと。それまでは、当職としては、両者の任意の選択が可能だと考える次第です。
質問4に対して
法の解釈に幅があれば、可能な限り自己に好都合の解釈を選択することは許容されてしかるべきです。とりわけ、国は主権者国民の全体を代表する立場にありますから、国すなわち国民全体の利益のための法解釈の選択は積極的に肯定されるべきだと考えます。ですから、本件について、私人と同等の立場で行政不服審査法に基づく審査請求制度を利用すると同時に、地方自治体の判断に介入する「関与の制度」を活用することの両者を選択して不都合はないと判断しました。けっして明らかに明文規定に反するわけではないうえに、安全保障に関わる重要事として紛争の早期解決に至ることが許容されると考えたからです。それ以外の「意図」はありません。
(「関与の制度」に関する問に対する回答)
質問5に対して
上述のとおり、本件埋立事業に2面の性格がある以上、両様の対応が可能で、「矛盾した判断」との指摘は当たりません。
また、仮に最終的な司法の法解釈が「矛盾」との判断に至れば、それに従うだけのこと。実務的な法的主張が、予備的な主張であったり、選択的な主張であったりすることになんの奇異もありません。
むしろ、「何ゆえに、このような矛盾した判断がなされているのか、分かりやすいご説明をいただきたい」という貴職の居丈高な態度について、何ゆえにそこまで言わねばならないのか分かりやすいご説明をいただきたく存じます。
おそらくは、この程度の屁理屈しか言えないだろう。ならば、公開質問への回答は、逃げるに如かずということにならざるをえまい。
(2015年11月8日・連続第952回)
10月27日、石井啓一国交大臣は辺野古新基地建設問題で、沖縄県の翁長知事が出した辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しについて、国(沖縄防衛局)の申し立のとおりに執行停止を決定した。併せて代執行の手続をとる方針まで発表した。懸念したとおり、「右手(沖縄防衛局)の悪さを、左手(国交相)が止められるはずはなかった」のだ。右手も左手も、所詮は同じ穴の貉に過ぎないのだから。いや、左手の右手に対する熱烈支援のボルテージの高さは、予想を超えたものとなっている。その熱の入れ方が、本来私人のための手続である審査請求の制度を国が使用する不自然さと不合理を際立たせることになっている。
その同じ10月27日、沖縄弁護士会が臨時総会を開いて、翁長雄志知事の辺野古埋め立て承認取り消しを尊重するよう国に求める総会決議を採択した。
http://www.okiben.org/modules/contribution/index.php?page=article&storyid=136
「決議は、米軍基地の過重負担や環境保全の重要性から新基地建設に懸念を示した。基地建設には住民の同意が必要とし、県民が基地被害に悩まされた歴史を踏まえ『今度こそは住民の意思を率直に受け止めなければならない』と指摘した。政府が行政不服審査法を用いたことには『地方公共団体の判断を無視するものであり、地方自治が危機にひんしていると言わざるを得ない』とした」(琉球新報)。この新報の記事は、「住民の意思」をキーワードに「地方自治が危機にひんしている」とまとめている。
会長声明ではなく、わざわざ臨時総会を開催しての弁護士会の総意を表明する決議である。表題は、「辺野古新基地建設にかかる沖縄県知事の公有水面埋立承認取消処分の尊重を求める決議」というもの。相当の長文だが、とても読み易い。多くの人に読んでもらおうという気持で執筆されているからだろう。法的に緻密な議論を展開しようとの趣旨ではなく、骨太に理念を説いている。
冒頭で、「本件取消処分には単に公用水面埋立法上の問題にとどまらず、『住民の同意なくして国が新たな米軍基地を建設できるかどうか』という根本的な問題がある。これは沖縄の将来と日本の民主主義・地方自治等の観点から重要な憲法問題である」と問題提起されている。
「沖縄住民の同意なくして、どうして国が新たな米軍基地の建設を強行できるのか」
これが、沖縄弁護士会が発した重い問である。このことこそが、憲法の根幹に関わる問題との認識なのだ。
この長い決議のサワリは、以下の個所である。
「3 沖縄県内への新たな基地の建設には、沖縄県民の同意が求められるべきこと
日本国憲法は、地方自治を保障し、地方自治体が「地方自治の本旨」に基づいて組織、運営されねばならないと定めている(92条)。この「地方自治の本旨」とは、国から独立した団体において自らの意思にもとづいて運営されるという団体自治と、住民自らの意思に基づいて地域の事項を決定するという住民自治を内容とする。基本的人権の尊重と国民主権の原理のもとにおいて、団体自治は地方分権を通じた自由を、住民自治は地方での民主主義を制度的に保障するものとして、統治機構の根幹を構成している。したがって、住民の生命や身体、財産に大きな影響を及ぼす新しい米軍基地の建設という極めて重大な問題が住民の意思に基づいてなされなければならないということ、そしてそれが地方の判断として尊重されるべきことは、まさに憲法上の要請であるというべきである。
とりわけ沖縄県における米軍基地は、戦時下において接収された土地と1951年のサンフランシスコ講和条約後に「銃剣とブルドーザー」によって強制的に奪われた土地に建設されたもので土地の所有者あるいは沖縄県民の意思に基づいて建設されたものでは決してない。
しかし今、国は、沖縄県内の世論調査では反対が多数を占め、県と地元市の首長が反対の意思表示をしているにもかかわらず、建設工事を進めようとしている。
過去と同じように住民の意思に基づかずに基地建設を進めるということはあってはならない。今度こそは住民の意思を率直に受け止めなければならない。」
いま、明らかに沖縄の圧倒的民意が、「辺野古新基地建設反対」「辺野古沿岸・大浦湾の環境を守れ」「翁長知事支持」にある。これを無視しての新基地建設がどうして出来るのか。
おそらく、「価値観を異にする国」「民主主義や人権が軽んじられる政権」ではこのような発問はありえない。国家や党の決定に住民が逆らうことができるとは、考えがたいからだ。安倍政権とは、明らかに「日本国憲法の民主主義とは価値観を異にする国」を作っており、自民・公明の与党は「民主主義や人権を軽んじて平然たる政権」を支えているのだ。
安倍政権と与党とは、沖縄の民意を、暴力と金の力で徹底して押さえ込もうとしている。到底近代以降の普通の民主主義国のありかたではない。
本日(10月30日)の東京と朝日の社説が、期せずして同じ論点に触れている。
「なぜ沖縄だけが過重な負担を強いられるのか、日米安全保障条約体制が日本の平和に必要なら、日本国民が等しく基地負担を負うべきではないか。それが沖縄県民の訴えであり、私たちも共感する。しかし、安倍政権は選挙で示された県民の民意をも顧みず、『抑止力』を掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める。法令の乱用であり、民主主義への逆行にほかならない。」(東京)
「辺野古に最新鋭の基地が造られれば、撤去は難しい。恒久的な基地になりかねない。それに「NO」を告げる沖縄の民意は、昨年の名護市長選、県知事選、総選挙の四つの小選挙区で反対派が相次いで勝利したことで明らかである。政府にとって沖縄の民意は、耳を傾ける対象ではないのか。」「ひとつの県の民意が無視され続けている。民主主義国として、この現実を見過ごすことはできない。日本は人権を重んじる国なのか。地域の将来に、自分たちの意思を反映させられる国なのか―。私たちの日本が、普遍的な価値観を大事にする国であるのかどうか。そこが問われている。」(朝日)
この国の政権は、いまや民主主義にも人権にも理解なく、立憲主義をも蹂躙して恥じない、ひどく真っ当ならざる存在に堕してしまっている。国民が、抵抗をあきらめたら、文字どおりこの国に未来はない。戦争案阻止の闘いに続いて、全国民こぞっての辺野古新基地建設反対の運動を通じて、ぜひともこの国の政権をまともなものに取り替えようではないか。
(2015年10月30日・連続第943回)
「沖縄県の翁長雄志知事は本(21日)夕、県庁で臨時記者会見を開き、名護市辺野古の新基地建設をめぐり、国土交通相に提出した意見書と弁明書の内容を発表した。知事の埋め立て承認取り消しに対し、沖縄防衛局が行政不服審査法に基づき、国交相に無効審査を請求し、裁決まで執行を停止するよう申し立てたことに、「防衛局長が自らを一般国民と同じ立場であると主張したこと、同じ内閣の一員である国交相に審査請求を行ったことは不当」と反論した。(沖縄タイムス)
先日から私の頭の中で未整理のままモヤモヤしていたのが、この「防衛局長が自らを一般国民と同じ立場であると主張し、同じ内閣の一員である国交相に審査請求を行った」のは不当ということ。つまり、行政不服審査法に基づく審査請求も執行停止も、国民の権利救済のための制度なのだ。ところが、その制度を国がチャッカリ利用しようとしているのはおかしいじゃないか、というモヤモヤ。本来は、弱い立場の国民の権利救済のための制度なのに、国(沖縄防衛局)の権利を救済しようと、国(国土交通大臣)が乗り出しているという奇妙な構図。こんな舞台設定はおかしいじゃないか、という問題意識なのだ。「弁明書」も「意見書」も未見なのだが、少し整理してみたい。
一昨日、東京弁護士会が「沖縄県知事による公有水面埋立承認の取消しに関する会長声明」を発表している。強制加入の弁護士会の声明だから、歯切れの悪さは残るものの、この点について次のとおり述べている。(読み易いように、加工している)
「行政不服審査法は、『行政庁の違法又は不当な処分…に関し、国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開くことによって、簡易迅速な手続による国民の権利利益の救済を図る…ことを目的とする』ものである(同法第1条)。本件承認取消処分にかかる紛争は、国と普通地方公共団体の関係いわば行政機関相互の関係にかかわる問題であるところ、地方自治法は、国と地方公共団体…の紛争解決の手続について、…国地方係争処理委員会による審査(同法第250条の13)、…等を定めている。そうすると、本件承認取消処分にかかる紛争について、国の機関が、『一般私人と同様の立場』で『審査請求をする資格を当然に有する』などとして行政不服審査法による手続を進めることは、行政不服審査法の目的を逸脱するうえ、事実上、国土交通大臣の判断をもって沖縄県知事の判断に代えるもので、地方自治法が定める(本来の)手続を回避する不服申立と言わざるを得ず、地方自治の本旨に悖るもの…である。」
要するに、国(沖縄防衛局)がいま行っている手続は、国民のために開かれた道であって、国には別の道が用意されている。国(沖縄防衛局)は道を間違えているのだから、本来の道に立ち帰って正しい道を歩みなさい、と言っているのだ。おそらく、これが真っ当な考え方。これなら私のモヤモヤもスッキリすることになる。
公有水面埋立法は、一般国民の埋立申請に対しては「免許」とし、国の申請に関しては「承認」と条文も用語も区別している。本来が、別メニューなのだ。
その上、行政不服審査法の改正新法(成立日2014年6月6日、未施行)7条2項には、「国の機関又は地方公共団体その他の公共団体若しくはその機関に対する処分で、これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の相手方となるもの及びその不作為については、この法律の規定は、適用しない。」と明記されている。これは、法改正の前後を通じて変わらない原則とされている。
従って、問題は「固有の資格」の解釈如何となる。通説的には、「固有の資格とは、一般私人では立つことができない立場をいう」とされている。つまり、国(沖縄防衛局)側は「国は一般私人とまったく同様の立場で埋立申請をしたのだ」と言い、沖縄県は「私人とはまったく違う立場で埋立申請をしているではないか」ということになる。
「県内の弁護士や行政法研究者らでつくる『撤回問題法的検討会』は14日、県庁を訪れ、翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しに対して沖縄防衛局が行政不服審査法に基づいて国土交通相に行った審査請求は、不適法だとする意見書を提出した。検討会は『国交相が執行停止を決定するのなら不適法な審査請求を認めたということなので、それは違法な措置だ』と主張した」(琉球新報)と報じられている。
この意見書が「固有の資格」について詳細に論じて、本件埋立申請が「一般私人とは違う」立場でなされた理由を次のように簡潔にまとめている。
「本件の場合、沖縄防衛局による申請は『日米両政府における外交上の合意の履行』という性格を有し、かつ、『閣議決定』に基づく埋立申請であり、単なる土地所有権取得目的の申請とは評価されず、その実態は、国益目的にて行われる『国の事業』を実施するための埋立申請と評価されるものである。」
当然だろう。辺野古海域の埋立申請が「私人とまったく同様の立場で」なされたとは、苦しい言い分でしかない。同意見書のこの点についての結論は、以下のとおりである。
「埋立に至る経緯,理由,事業実態及び対象水域の特殊性を考慮に入れると,沖縄防衛局の埋立申請は,行政手続法及び行政不服審査法を適用して『国民の権利利益の救済』を図る必要性を有するものではなく,『一般私人と同様の立場』で“一事業者”として行なっている申請と解する法的実態を有していない。」「本件埋立事業は,『国民の権利利益』とは無関係な“国家ぐるみの事業”という実態を有することは明らかであり,『固有の資格』に基づく申請として,行政手続法及び行政不服審査法の適用を排除すべき十分な理由が存するものである。」
さて、あらためて申しあげる。国(沖縄防衛局)がいま行っている「審査請求の手続」は、国民のために開かれた道であって、国の行くべき道ではない。国には「国地方係争処理委員会による審査」等の別の道が用意されている。国(沖縄防衛局)は道を間違えているのだから、本来の道に立ち帰って正しい道を歩みなさい。「審査請求」に付随する執行停止は、間違った道に迷い込んだ国(沖縄防衛局)にはそもそも申請の資格がない。
国交相よ、石井啓一よ。安倍政権におもねるあまり、法の解釈を枉げてはならない。間違ってもならない。
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「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い
そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。
ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2
賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
https://bit.ly/1X82GIB
第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fb1b.html
https://article9.jp/wordpress/?p=5768
(2015年10月21日・第934回)
昨日(10月13日)、翁長雄志沖縄県知事が、米軍辺野古新基地建設のための公有水面埋め立承認を取り消し文書をもって沖縄防衛局に通知した。圧倒的な県民世論を背景にしての英断だが、翁長知事のぶれない硬骨の姿勢にあらためて敬意を表したい。
政治的には、この知事の動きで勝負あったというべきだろう。安倍政権は、辺野古新基地建設断念をオバマに報告すべきなのだ。次のように言ってみてはどうだろう。
「大統領閣下、ワタクシ安倍はご要望に応えるべく精一杯の努力はいたしましたが、結局辺野古新基地建設は断念せざるを得ません。地元沖縄県民の世論がこれを許さないからです。」「ワタクシも、かなり汚い手を使って、金の力で地元民の分断と切り崩しを謀ったのですが、ますます評判が悪くなるばかり。もうあきらめざるを得ない事態なのです。」「ご認識なかったかも知れませんが、日本は民主主義を標榜する国なのです。地元沖縄の基地反対世論が、ここまで盛り上がり明確になった以上は、もはやこれを押し潰そうとすることは逆効果。」「おそらくは、ホンネとタテマエの両面において価値観を同じくするお国のこと。民主主義のタテマエで処理をせざるを得ない事態に立ち至った事情を、ご了承いただけるものと拝察いたします。」
ところが、安倍政権はこういう賢明な態度を採らなかった。昨日(13日)国(安倍内閣)は海域埋立の法的根拠を失ったが、埋め立てを強行する構えを崩さず、本日(14日)行政不服審査法に基づく審査請求と執行停止の申立を行った。悪あがきというほかはない。
国が、審査請求を申し立てた先は、公有水面埋立法を管轄する国土交通大臣。その任にあるのは、今月7日付で就任したばかりの新米大臣・石井啓一(公明党)である。その石井啓一の姿勢が、いま厳しく問われている。
翁長知事の埋め立て承認取り消しによって、安倍政権対オール沖縄の対立構造が鮮明になった。また、この問題こそが、戦争法反対闘争後の「安倍対反安倍」の全国的対決を再現するテーマである。戦争法反対運動で構図が明らかとなった、「安倍・自・公」対「野党連合・市民・学生・若者・女性・学者」の対立のテーマでもある。この対立が形づくるせめぎ合いのど真ん中に、公明党の石井が出てきたのだ。
下駄の雪同然に自民にくっついてその存在感を喪失し、支持率も大きく下げた公明党の大臣である。安倍内閣の一員として、「やっぱり下駄の雪」で終わるのか、それとも沖縄県民に向き合って「さすが平和の党」と評判を取り戻すのか。さあ、ここがロドースだ。飛んで見ろ。
とりわけ注目されるのは、国からの審査請求と同時になされた執行停止申立の取り扱いである。県知事の埋め立て承認が取消された現在、国は埋立工事を続行できる立場にはない。行政不服審査法第34条1項が「審査請求は、処分の効力、処分の執行又は手続きの続行を妨げない」(国が知事の承認取消を不服として審査請求をしても、取消処分の効力は続行する)と、執行不停止を原則としているからである。
但し、同条2項「処分庁の上級行政庁である審査庁は、必要があると認めるときは、審査請求人の申立てにより又は職権で、執行停止をすることができる」に基づいて、国交相の執行停止決定があれば、国は審査請求が裁決に至るまでの審議期間の埋立工事続行が可能となる。
石井啓一よ、公明党よ。安倍自民の下駄の雪との批判を覚悟で執行停止申立を認容するか、それともオール沖縄の世論に配慮して執行停止の申立を却下するか。沖縄県民だけでなく、心ある国民が固唾を飲んで見守っているぞ。憲法の民主主義と恒久平和主義も見守っている。おそらくは「平和の党」に期待する創価学会員もだ。公明党の姿勢が厳しく鋭く問われているのだ。
メディアの代表的な見方は下記のようなもの。
「承認が取り消されたものの、政府は行政不服審査法に基づいて公有水面埋立法を所管する国土交通相に不服審査請求し、取り消しの一時停止も求めるため、政府の移設作業が大幅に中断する可能性は低い。」(毎日)
国土交通相とて所詮は安倍内閣という同じ穴のムジナだからという見方だ。しかし、果たしてそうだろうか。
普段は馴染みのない、カタカナ書きの公有水面埋立法を繙いてみる。
第4条1項の本文が興味を惹く。「都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ」という。つまり、原則不許可で、限定列挙した要件に適合する場合以外には許可をしてはならないという建て付けなのだ。
問題は、同条1号「国土利用上適正且合理的ナルコト」、及び2号「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」の免許要件である。「左の各号の一に適合」ではなく、「左の各号に適合」しなければならないのだから、その全部に適合しなければ「免許(国が許可を求める場合は、「免許」が「承認」になる。法42条1項)をしてはならない」ということなのだ。
取消処分の理由は、「前知事の承認には瑕疵が認められた」ということにある。要するに、「法4条1項1号と2号の要件を満たしていないことが明らかになった」としてその詳細が縷々述べられている。
その中で圧倒的に紙幅が割かれているのが「環境保全措置(の欠如)」についての叙述。項目だけを列挙すれば以下のとおりである。
1 辺野古周辺の生態系
2 ウミガメ類
3 サンゴ類
4 海草藻類
5 ジュゴン
6 埋立土砂による外来種の侵入
7 航空機騒音・低周波音
そして、総論として強調されているのは、「いったん埋立が実施されると現況の自然への回帰がほぼ不可能」という悲鳴なのだ。
石井啓一よ、公明党よ。「安全保障こそが公共の利益、ウミガメやサンゴやジュゴンどころではない」などとのたもうてはならない。ウミガメもジュゴンも、人類を包み込んでいる生態系の貴重な一部なのだ。失われた自然環境や生態系は回復不可能ではないか。審査請求にたいする裁決が出るまでの間、広大な海を破壊し尽くす、あの工事をストップせよ。執行停止の名による環境破壊の続行を認めてはならない。
いま、環境保全・生態系維持は錦の御旗だ。この理念に反感を持つものはいない。逆らえる者はない。これを尊重せよ。ピンチをチャンスに変えよ。安倍晋三には、「法の原則と環境保全の重要性からこうなりました。長い目で見ればこの方が内閣支持率の向上につながりますよ」と報告すれば済むことではないか。さすれば、石井の名が上がる。公明党の支持率も上向くことになるだろう。
でなければ、公明党がどこまでも自民党の下駄の雪であり、公明党出身閣僚も同じ穴のムジナであることを天下にさらけ出すことになる。石井の名を下げ、公明党の支持率をさらに急降下させることになるだろう。
(2015年10月14日・連続927回)