旧友からの音信は嬉しいもの。私の場合は、大学の教養課程の語学(中国語)クラスをともにした27人の仲間が最も懐かしい。人生のスタートラインに立つ手前で、見通しの効かない不透明な将来を語りあった貴重な友人たち。
あれから50年にもなるが、あのころの友人のそれぞれの未来は相互に交換可能だったのだと思う。別にあったかも知れない自分の人生を考えるとき、リアリテイを伴って思い浮かべることができるのは他の26人の現実の来し方。そのなかの一人に、「朝日」に就職して記者人生を全うし、その後「熊野新聞」に移った小村滋君がいる。「もしかしたら、私にも朝日や毎日、あるいはNHKの記者としての人生だってあり得たのかも知れない」「いやそれはあり得ないかな」などと考える。
昨年久しぶりの同級会で、小村君は、新宮の大逆事件関係者顕彰運動について熱く語った。今は廃止された刑法の大逆罪は、法定刑が死刑しかない。その罪名で起訴された者が、首魁幸徳秋水以下の26名。1911年1月に言い渡された判決は死刑24名、有期刑2名であった。この恐るべき天皇制政府による蛮行の犠牲者の中に、「紀州新宮グループ」がある。大石誠之助、高木顕明、成石勘三郎、成石平四郎、峰尾節堂、崎久保誓一の6名。
小村君は、地元の記者として、彼らの事蹟を発掘していたとのこと。いま、彼ら受難者は、「平和・博愛・自由・人権の先覚者」とされ、その「志を継ぐ」という碑が地元に建立されているそうだ。小村君などの地道な調査によるものなのだろう。
さて、刑死100年を記念して、新宮グループの中心人物だった大石誠之助を新宮市の名誉市民にしようという運動が盛りあがったのだそうだ。大石は「ドクトル(毒取る)」の異名で慕われた社会主義者の名物医師。その診療所の玄関には、「(診察費は)できるだけ払ってください」という札が掛かっていたという。
2011年3月新宮市議会は、市民運動が進めてきた「大石誠之助を名誉市民に」と求める請願について、なんと7対10の賛成少数で不採択とした。小村君はこれを残念がる。そして、「新宮の大逆事件に触れていただくときには、大石誠之助を名誉市民にする運動では、共産党市議団の裏切りで市議会で否決されたことを書くように」と念を押されている。共産党市議団にも言い分はあるのだろうが、残念ながら小村君の信頼を裏切ってしまったようだ。細かい経緯は、「大逆事件と大石誠之助ー熊野100年の目覚め」(現代書館刊)に書いてあるそうだ。この書物も、実質小村君が編集したものだという。
ところで、その小村君からEメールで「気まま通信」がときおり送られてくる。配信先は20人程度だそうだ。これは究極のミニコミ。今回は、大阪十三のミニシアターで観た映画「圧殺の海」の感想。辺野古基地建設反対に体を張る人々を描いたドキュメンタリーだ。「気まま通信」では彼の興奮が伝わってくる。これだけは観ておかなくては、と思わせる文章になっている。以下は、その抜粋。
「沖縄ファン」をヤマトに増やそうー映画「圧殺の海」を見て
黒いカーテンを開けると、小さな部屋に、ほぼ満席の観客の視線が一斉に私を見たように思った。「こんなに沢山の仲間がいる」私は、会場に暖かいものがあふれている気がした。ひとり一人、数えたら35人。
安倍政権は昨年7月から辺野古新基地建設に着工、これを阻止しようとする住民を圧倒的な力で押さえこもうとしてせめぎ合いが続いている。
カメラはいつも住民の側にいた。キャンプ・シュワブのゲート前で機動隊と揉み合うときも、海にカヌーで漕ぎ出して海保のボートに追い回され海に投げ出されたときも、カメラは住民の側から、海の中から、当局側を捉えていた。
そして11月の沖縄知事選、12月の総選挙で沖縄4選挙区とも辺野古反対の「オール沖縄」が勝った。にも拘わらず、安倍首相ら閣僚は、面会を求める翁長・沖縄知事に会わなかった。映画は、選挙結果について菅官房長官が「辺野古は粛々と進めるだけ」と鉄仮面のような表情で語るのを映し出していた。
映画が終わって、私は興奮を胸にエレベーターホールに出た。他の30人余も恐らく同じ気分だったろう。「昼食でも一緒しましょう!わざわざ和歌山から来た人を何もなしで返すわけにはいかん」ちょっと恰幅のいい男性が、背の低い日焼けした男性に話しかけていた。大きな声が、映画の興奮の余韻を表していた。「和歌山はどちらですか」「海南です」と二人の問答。私もエレベーターに一緒に乗り込んだ。和歌山かぁ、私も和歌山県の端っこにいた、昼食を一緒したい、と申し込もうか、いやいや見ず知らずが割り込んで邪魔してもなあ。結局、私は遠慮した。しかし胸に暖かいものが湧いた。
この映画は続映を重ねている。「問い合わせが多いので」という。ヤマトンチュウも捨てたもんじゃない。いや沖縄の民意を露骨に敵視し無視する安倍政権の態度が沖縄びいきをふやしているのかもしれない。ヤマトンチュウは元来、判官びいきなのだ。巨人・大鵬・卵焼き人種も多いが、弱い阪神や広島ファンも多いのだ。
1月30日の朝日新聞夕刊に、沖縄県に「ふるさと納税」する人が増えているというコラムが掲載された。例年、1月は1桁しかないのに今年は21日までに96件471万円余が送られてきた。安倍政権の沖縄への対応に対し、「ささやかながら沖縄を応援したい」との声が県税務課に届いているという。
沖縄の大村博さんからの年賀状に『日本の平和と民主主義の展望は沖縄から生まれると言ってよいでしょう』とあった。その前段には、保守やら革新やら古い枠組みを破って、反基地・反辺野古に結集した『オール沖縄』が、昨年の選挙で全勝したことが誇らしげに書かれていた。大村さんは、昨年8月に設立された「琉球・沖縄の自己決定権を樹立する会」の代表幹事の一人だ。「樹立する会」は、沖縄の非武の伝統に基づき基地のない島、東シナ海を平和と共生の海とし、沖縄に国連アジア本部の誘致をめざすという。私も、この会に入れてもらった。新宮の「くまの文化通信」の仲間にも入会希望者はいる。沖縄のささやかな応援団は確実に増えている。これが「本土」に平和と民主主義の展望を開くことに繋がり、大村さんの年賀状の予言が実現するのだ。2015年の初夢でもある。
映画の上映スケジュールは、下記「森の映画社」のサイトをご覧いただきたい。
http://america-banzai.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html
東京では、ポレポレ東中野で2月14日(土)?3月13日(金)まで。
小村君があれだけ勧める映画だ。私も観に行こうと思う。沖縄での闘いに連帯の気持を表すためにも。
(2015年2月19日)
高倉健が亡くなって懐かしむ声が高い。
彼は、ヤクザ映画で売り出した俳優。さすがに、ヤクザ、暴力団、博徒、テキ屋などという言葉は避けて、映画資本は「任侠」という言葉を選んだ。その任侠映画シリーズの花形鶴田浩二の弟分という役回りで、高倉は大衆の支持を得た。
現実の暴力団・博徒集団は、民衆の嫌われ者である。右翼組織と一体化して、政治権力や企業の手先ともなった。安保反対のデモ隊にも三池争議のピケ隊にも襲いかかった野蛮な憎むべき輩。それが、映画では美化されて民衆の喝采を得た。
アウトローや反権力は、民衆の憧れとなる一面をもっている。スパルタカス、水滸伝、ロビンフッド、カリブの海賊、アルセーヌルパン、アテルイ、平将門、国定忠治…。政治権力や社会秩序の圧力が重苦しいと感じる多くの人々の願望と空想の中で、偶像化された反逆児が自由人として羽ばたいた。あるいは、社会秩序からの自由を求めながら結局は挫折する者の生き方の美学が多くの人に受けいれられた。
それだけでなく、鶴田浩二や高倉健の世界では、民衆の道徳が語られたのではないだろうか。「弱きを助け強きを挫く」のがその動かしがたい基本。弱き立場の民衆は、これを支持した。「強きに与して」の「弱い者いじめ」は、最も恥ずべき卑怯な振るまいとして醜く描かれた。
そして、常に「筋目」を通すことが語られた。「義理」や「仁義」に外れることが嫌われる。嘘をつくこと、策略で人を陥れることは専ら悪役の役所。任侠映画は、意外に健全な民衆の道徳観に支えられていた。
安倍晋三という役者は、どうやらこの典型的な任侠道に大きく外れた悪役を演じているのではないか。筋目を外して、「強きに与して強い者いじめ」ばかり。高倉健に喝采を送った民衆が、これからも安倍晋三を支持するとは考えにくい。
本日の赤旗を引用する。「野中広務元自民党幹事長が、15日放送のTBS『時事放談』で、安倍首相の政治姿勢を厳しく批判した」というもの。その批判が、「安倍は、保守の筋目を外している」という、老ヤクザ、いや任侠の言に聞こえる。
「首相の施政方針演説について野中氏は、『昭和16年に東条英機首相の大政翼賛会の国会演説のラジオ放送を耳にしたときと変わらない』『重要な部分には触れないで非常に勇ましい感じで発言された』と述べました。
沖縄県辺野古への米軍新基地建設を民意に背いて強行する姿勢については、『沖縄を差別しないために政治生命を懸けてきた1人として、絶対に許すことができない。県民の痛みが分からない政治だと思い、強く憤慨している』
また来年度予算案について『防衛費だけ増えていく、そういう国づくりが本当にいいのか』と疑問を投げかけ『一番大切な中国の問題、韓国の問題を正面から捉えようという意欲がないのではないか』と指摘しました。最後に『私は戦争をしてきた生き残りの1人だ。どうか現役の政治家に“戦争は愚かなものだ”“絶対にやってはならない”ということを分かってほしい』と訴えました。」
先代親分の代貸しが、老いの身でこう呟いているのだ。
「今の組長は、筋目をはずそうとしていらっしゃる。ふたたびの出入りはしないことを誓っての組の再出発だった。これこそが筋目だということをもうお忘れか。
先の出入りを知る者も少なくなった。勇ましい言葉は組を滅ぼすこととわきまえてもらわなくてはならない。今の組長のやり方は危なっかしくって見ちゃいられない。
隣の組とは腹を割って話し合わなくっちゃならない。その懐の広さが、親分の親分たる力量の見せどころ。ところが、今の組長は貫禄に乏しく、セールスはできても、手打ちのための話し合いができない。これじゃダメだ。
そして、なによりも弱いものの立場に立って親身になってこその任侠道ではないか。いじめられている者を、かさにかかって痛めつけるようでは、任侠道もおしまいだ。今の組長、道に外れている。
それに嘘をついてはいけない。大事なことを言わないのは嘘なのだ。大事なことは言わずに、些細なことを大袈裟に言うことで組員を騙し、組の外にいる人々との緊張を高めて、最後は出入りにもっていこうとしている。
これは、先の出入りの前の時代とよく似たやり方だ。今の組長のじいさまの代が、そんなことをやって組を壊滅の寸前までもっていったのだ。私は強く危惧し憤慨している。また同じことを繰り返してはならない」
(2015年2月16日)
私はアベシンゾウ。ナイカクソウリダイジンだ。日本の行政権のトップの地位にある。権力がこの我が手にあるわけだ。私のこの地位この権限は、民意によって授けられたもの。だから、私は常に民意を大切にする。一度だって、民意を無視したことなどない。だから、この間の選挙も勝てたんだ。
もっとも、民意ったっていろいろある。あちらを立てればこちらが立たない。すべての民意を大切にしろと言われても、そりゃ無理な話だ。だから、取捨選択はやむを得ない。政権与党に擦り寄るかわいい民意には暖かく、政権与党に背を向けるかわいくない民意には冷たいのは、そりゃ人情だ。そのくらいの選択権や優先権はあるだろう。なんたって、私はソウリダイジンなんだから。
政権側が選挙に勝ったときには、胸を張って「民意は多数決に表れる」と言うんだ。「私には民意に従う義務がある」なんてね。「民意に背中を押してもらった」なんてのもうまい言葉じゃないか。ところが、実は最近の世論調査では旗色が悪い。憲法改正や集団的自衛権行使容認、特定秘密保護法だけではなく、原発再稼働でも、安全保障政策一般でも雇用政策でも、福祉でも教育でも、「民意は安倍政権から離反しつつある」とか、「安倍政権は民意にそむきつつある」なんていう論調がある。
そういうときに、うっかり「政権に冷たい民意は尊重しない」と口を滑らせてはいけない。どう言えばよいかについては、十分にレクチャーを受けている。
基本は、「見かけの民意」と「真の民意」の使い分けさ。選挙結果や世論調査の結果がどう出ようとも、あるいはメディアが口を揃え、デモがどんなに政権批判で盛り上がっても、「それは見かけの民意に過ぎず真の民意ではない」とがんばるんだ。「沈黙の民意こそが真の民意」ということだ。
もちろん、政権に批判的な民意は「見かけの民意」だ。扇動された浅はかな民意であって、丁寧に説明し説得させていただきますと言うんだ。そして、政権に物わかりのよい好都合な民意の方を「真の民意」として無条件に尊重する。たとえ、そんな声がなくても、「声なき声」を聞くのさ。1960年安保闘争のときの岸信介、私のお祖父さん譲りの手口。サイレントマジョリティといっても同じことだ。それで、だいたいは思い通りになるんだ。だからちっとも間違ってはいないだろう。
ところが問題は沖縄だ。選挙では政権に擦り寄る賢い仲井真陣営に勝ってもらわねば困ると思ったんだ。かわいげのある仲井真側が勝てば「辺野古基地新設が沖縄の民意だ」というつもりだった。それで、沖縄に振興策の大判振る舞いを約束した。この手で沖縄の民意は政権側にがっちり握ったはずだったんだ。だって、世の中、すべて金目の問題じゃないか。子どもじゃあるまいし、「魚心あれば水心」って分かるだろう。
ところがどうだ。沖縄県民の民意はかわいげがない。知事選じゃ翁長圧勝だし、続く総選挙では四つの小選挙区全部で政権側の敗北だ。あらためてはっきりさせておこう。私が民意を尊重するというのは、私が選挙に勝ったときのセリフ。負けたときは、「これは真の民意ではない。丁寧に政権の考えを説明しご理解いただくまで説得申しあげる」ことになる。当然、丁寧な説明や説得が成功するまでは、沖縄振興資金の大盤振る舞いはオアズケさ。「安倍政権のやり方は汚い」「ずるい」「おかしい」「えげつない」「破廉恥」。なんとでも言うがいい。ありゃあ餌だ。食いつかなかった魚に餌をやる釣り師はいない。
それにしても、沖縄の怒りはすごいな。地元紙が吼えている。「対話拒否 安倍政権は知事と向き合え」(琉球新報社説)なんてね。
「安倍政権は県知事選と衆院選の県内選挙区で完敗した意味をよく理解できていないのではないか。そうとしか思えない振る舞いだ。サトウキビ交付金に関して県が上京中の翁長雄志知事と西川公也農相の面会を求めたのに対し、農林水産省はこれを断った。農水省は日程を理由としたが、農相はJA関係者の要請には応じ、自民党の地元国会議員が同行している」「昨年末、就任あいさつで上京した翁長知事に対し、安倍晋三首相や菅義偉官房長官らは会わなかった。今回の対応もその延長線上にあるが、翁長知事への冷遇が県民感情をさらに悪化させている現実が首相らには分からないようだ」「自民党本部も、沖縄振興予算について議論する8日の沖縄振興調査会に翁長知事の出席を求めなかった。こちらも前県政時とは手のひらを返したような対応だ」「沖縄の民意を今こそ直視し、その非民主的な対応を恥じるべきだ」
赤旗も手厳しいね。
「安倍政権は、辺野古新基地推進の方針を何ら変えないばかりか、民意を聞かずに沖縄振興予算も減額するという『ムチとムチ』政策を押し通すかまえ。沖縄の民意を聞かないばかりか、行政府としての公正な対応さえ投げ捨てています」
おっしゃるとおりだよ。見てのとおりだ。かわいくない沖縄に嫌がらせをしているんだよ。いやなら政権にすり寄っておいで、と言っているんだ。その辺のところ、私の陰険さが、沖縄県民に十分には理解されていないんじゃないの?
それでも、私は民意を尊重しているんだ。選挙に勝ったのは沖縄の見かけの民意に過ぎない。真の沖縄の民意は、政権にすり寄って、金さえもらえば辺野古移転大賛成に決まっている。間違った見かけの民意にお灸を据えて、隠れた真の民意に道をゆずらせるのが私のつとめなのだ。
こうも言ってみようか。
「民意の尊重が私の任務だ。本土の民意が、十全の抑止力を確保するために辺野古新基地の建設を求めている。これと両立しない沖縄の民意を尊重できないのもやむを得ない」
それじゃ、沖縄は踏んだり蹴ったりじゃないかって? でもね、大所高所に立って我慢してもらわなくちゃならないこともある。きっと、沖縄の良識派穏健派が、真の民意を掘り起こして、政権にすり寄って来ると思うよ。まさか、私のイヤガラセが県民と国民の怒りの火に油を注ぐことにはならない…だろう。もしや、琉球独立運動の盛り上がりを招くようなことになれば…それは悪夢だが…。
(2015年1月10日)
はからずも、沖縄知事選が総選挙の前哨戦となった。沖縄には、安倍暴走政治の矛盾が凝縮している。その沖縄で、三選を目指す政権テコ入れ候補が現職の強みを発揮できずに惨敗した。これは政権の大きな痛手である。まずは幸先のよい前哨戦の勝利、翁長候補の当選を素直に喜びたい。
これに続いて、今日(11月16日)の7?9月期GDP速報値。年率換算値で、実質GDP1.6%減、名目では3.0%の減である。アベノミクスの失敗があきらかになった。アベノミクスのトリクルダウンとは、「いつかは実現する下層へのおこぼれ効果」のこと。実は、いつまで経ってもおこぼれのないことが明確になってきたではないか。
さあ、いよいよ安倍政権の「終わりの始まり」の本格化だ。この事態に何のための解散かはよく分からないが、安倍政権にとっての「じり貧回避解散」「いまのうちならまだしも解散」「居直り・目眩まし解散」なのだろう。
さて、今回の沖縄知事選。当選者は真正保守の人で、革新候補ではない。「革新知事」だった大田昌秀は、11月13日の時事通信インタビューで、状況を次のように説明している。
「翁長氏は‥保守本流を名乗り、自民党県連幹事長をして基地受け入れの中心人物だった。選挙前に、自分は過去はこういう理由で基地を容認したが、今はこういう理由で反対に回っているということを説明すべきだ。しかし、そういうことを全然しない。だから信用できないところが出てくる」「(革新政党は)結局、勝ち馬に乗るという発想だ。力をなくして、資金も工面できない状況。勝ち馬に乗った方が有利になるし、楽になる。いろんな理由があるだろうが、一面的に勝ち馬に乗るということだけでやっていくと、沖縄を救えない。選挙前に、なぜ現職が基地を受け入れたか、それに対してなぜ反対するのかをきちんと訴えていく。これが革新(のあるべき姿)だと思う。情けない。」
おそらく、事態は太田が指摘するとおりなのだろう。しかし私は、今回の選挙について、革新の姿勢を情けないとは思わない。勝てる選挙は勝ちに行かねばならない。候補者調整もあり。政策調整もあり。勝つためならば、譲るべきは譲らねばならない。「他の重要政策が相違しているのに、ワンイシューだけの候補者一本化はあり得ない」などと頑固なことを言っていたのでは、万年負け組で終わることにしかならない。沖縄の革新が、「普天間の辺野古移設反対」のワンイシューでの選挙共闘に踏み切ったことは正しい選択だったと思う。
率直に言って、翁長候補の政治姿勢には大きな違和感を感じる。たとえば、憲法のとらえ方。沖縄タイムス(電子版)11月8日付で「沖縄知事選公約くらべ読み:『憲法』」という記事がある。ここで、憲法9条に対する各候補者の見解が紹介されている。要約抜粋では不正確となりかねないので、全文を転載して、コメントしておきたい。◆が沖タイ記事の転記、◇が私のコメントである。
◆改憲論は多角的に 翁長雄志氏
憲法はわが国の基本的な秩序を示す最高理念として、最も基本的な国家統治の法規範である。現憲法が施行されてから、わが国は一人の戦死者も出さず、そして殺傷することなく、今日におよんでいるという事実に対し、現憲法の果たした役割は、非常に大きなものがあると考えている。
一方で、核拡散の問題や国際テロの恐怖などを背景に、憲法9条を含む憲法改正論議が高まっている。改正の可否については、これまでの時代背景と現在に変化が生じているのかという視点とさらに諸外国、特にアジアの視点が欠落しているのではないかと思われる。また、個人や政党などにおいても、さまざまな考え方や意見があり、十分に時間をかけて論議するべきであり、主権者である国民のさまざまな議論を通して関心を持ち、より一層の理解を深めることが重要だと考えている。
◇何を言っているのか意味不明。保守を基盤に革新も寄り合っての所帯で、意思統一ができてないから、こんな拙劣な文章になるのだろう。
「憲法はわが国の基本的な秩序を示す最高理念として、最も基本的な国家統治の法規範である」は、まったく無意味・無内容な一文。「現憲法が施行されてから、わが国は一人の戦死者も出さず、そして殺傷することなく、今日におよんでいるという事実に対し、現憲法の果たした役割は、非常に大きなものがあると考えている」は現行憲法の肯定的評価として意味をもつ文章。「だから、憲法改正には反対」、少なくとも「改正には慎重でなくてはならない」と続けば論理が整合するが、そうはならない。「一方で、核拡散の問題や国際テロの恐怖などを背景に、憲法9条を含む憲法改正論議が高まっている」は、批判をともなわない改憲論の紹介となつている。そして、「改正の可否については、これまでの時代背景と現在に変化が生じているのかという視点とさらに諸外国、特にアジアの視点が欠落しているのではないかと思われる」は、意味不明の文章というより、文章の体をなしていない。結論のように読める「より一層の理解を深めることが重要」は、無内容きわまる。
善意に理解して、「積極的改憲論ではありませんよとの精一杯のアピール」なのだろう。要するに、憲法原則について、翁長候補と革新陣営との共通項を見出すのは困難ではないか。このような「真正保守候補」を革新陣営が推したのだ。
これに比べて、喜納候補の憲法論は歯切れがよい。
◆集団的自衛権不可 喜納昌吉氏
現行憲法には国会議員の免責特権をはじめ、重大な欠陥があり、前文と9条の崇高な精神を継承・発展させて改憲すべきである。
1条から8条はなくし、国民主権を第1章とすべきだ。
第1条は国民の抵抗権。
「すべての国民は外国の侵略あるいは国家の圧政により、生命および基本的人権がおびやかされる場合、可能なあらゆる手段・方法をもってこれに抵抗し、これを排除する権利を有する」旨を明記すべきだ。
9条には第3項を加え「集団的自衛権についてはこれを認めない」と明記するべきである。
現政権による「集団的自衛権の行使容認」は国家による武力の行使、すなわち戦争の容認であり、明らかな憲法違反だ。
これを閣議決定による「解釈変更」で強行したのは、まさに「ナチスの手口」によるクーデター。
◇個人的にはシンパシーを感じる主張。基本姿勢において「護憲派」ではなく、人権・民主主義・平和主義を徹底する立場からの「改憲派」なのだ。天皇制をなくすことを公言するその意気やよし。しかし、問題は、この主張では勝てる見込みがないことだ。この人と組むことは、私個人なら喜んでするが、政党や政治勢力としては難しかろう。この人を組織の中に抱えていた、かつての民主党とは、懐の広い政党であったと感嘆の思いである。
さらに、今回知事選の最大の争点(もちろん、唯一の争点ではない)とされた辺野古米軍基地建設の是非について、同じシリーズの11月3日付「辺野古に対する考え方」を見てみよう。まず、喜納の見解、そして翁長の意見。
◆承認取り消し可能 喜納氏
普天間飛行場の無条件閉鎖は、アメリカとの交渉により不可能ではない。
アメリカ高官から「辺野古は無理。普天間は引き取る」旨の発言を野田佳彦首相(当時)と共に聞いた。辺野古基地建設を合法的、平和的に阻止するには、埋め立て承認を新知事が行政法に基づき職権で取り消すしかない。
私は、知事就任後、すみやかにそれを行う。埋め立て承認は公有水面埋立法の環境保全への配慮に違反しており、知事の判断で取り消し、文書で通告するだけで止められる。
反対・阻止を叫んでも、実力阻止するなら別だが、取り消しあるいは撤回を選挙前にはっきり約束できない人は信用できない。
◇「辺野古基地建設を合法的、平和的に阻止するには、埋め立て承認を新知事が行政法に基づき職権で取り消すしかない。私は、知事就任後、すみやかにそれを行う」というのが、最大の争点での確固たる公約である。きっぱりとしたわかりやすい立場。問題は、「職権取り消しは法的に可能なのか」という点にあるが、国との争いを覚悟して、取り消しまたは撤回を行うという心意気やよしではないか。
本来、選挙戦ではこの点をめぐっての論戦の展開が必要だったのではないか。
◆国外か県外で解決 翁長氏
世論調査が示す現状を見ると、普天間飛行場の名護市辺野古移設に対する県民の反対は、ことし4月下旬の74%から8月末には8割超に増加しており、地元の理解の得られない移設案を実現することは、事実上不可能である。
日本国土の0・6%の面積の沖縄に、日本の米軍専用施設の74%が存在することは異常事態である。日本の安全保障は、日本全体で負担すべきものでこれ以上の押し付けは、沖縄にとって限界であることを強く認識してもらいたい。
沖縄の基地問題の解決は、県内移設でなく国外・県外移設により解決が図られるべきである。従って普天間飛行場の移設については、昨年1月に全市町村長、全市町村議長、全県議らの「オール沖縄」で政府に要請した普天間飛行場の県外・国外移設、県内移設反対の「建白書」の精神で取り組んでいく。
◇「辺野古移設に対する県民の反対は、8割超に増加しており、地元の理解の得られない移設案を実現することは、事実上不可能である」と、県民世論を語ることに終始して自分の意見の言及がない。
何よりも、喜納候補の「埋め立て承認を職権で取り消す」という具体的提案への賛否も対案も示されていない。「あらゆる手段を行使して辺野古移設を阻止する」「埋め立て承認に瑕疵がないはずはない」は具体性を欠き迫力のないことこのうえない。具体的に、「このような瑕疵がある」「だから取り消し可能」と指摘をしての選挙戦であって欲しかった。
なお、普通、瑕疵がある場合は行政行為の取り消しが可能だが、瑕疵のない行政行為を撤回することは、当該行為による受益者が存在する場合にはできないと考えられている。もっとも、県民の圧倒的多数が移設反対、したがって公有水面埋め立ての承認にも反対の意思を表明した政治的効果はこの上なく大きい。
以上に見た、憲法理念擁護という革新の大義からみても、具体的な辺野古移設反対の手段を公約している点からも、喜納候補に肩入れしたいところ。しかし、現実には喜納候補では勝てそうもなく、結果も予想のとおりだった。選挙に勝てなければ、県政を変えられない。辺野古基地新設を阻止する力を手に入れられない。とすれば、憲法問題には目をつぶっても、一歩前進を勝ち取るにしくはない。これが、保革相乗り選挙なのだ。
理念と現実の角逐は常のこと。理念を貫こうとすれば陣営はやせ細る。当選という目標には票を取るためにはには原則を2014年沖縄知事選は「辺野古移設反対のワンイシューで候補者を一本化」しての勝利の成功例であり、同じ年の東京都知事選は「反原発のワンイシューでは一本化できない」として惨敗した失敗例であった。
とは言え、新知事は真正保守の人。一抹の不安がないわけではない。辺野古移転反対の公約実現について県政がぶれることのないよう、しっかりと知事を支え、かつ見守ること。それが沖縄の革新陣営との責務となるだろう。
(2014年11月17日)
来週の日曜日(16日)が沖縄県知事選・那覇市長選の投票日。安倍政権の「終わりの始まり」を象徴する結果となる様相だ。闘いは勢いのある陣営が味方の数を増やしていく。今回の知事選は、勢いの差が歴然としつつある。
知事も市長も、一地方の権力である。住民の一部に、「勝ち馬に乗り遅れてはならなない」との思惑が働かないはずはない。安倍政権が推す仲井真陣営にくっついていたのでは、実利実益は期待し得ないのだ。公明党の知事選自主投票は、事態をよく物語っている。
共同通信社が7・8両日の知事選世論調査を行い、その結果による情勢が報道されている。「翁長雄志がリードし、仲井真弘多が追う展開」「2割が投票先を決めておらず、情勢が変化する可能性もある」という結論だが、仔細に読めば両候補の勢いに大差あることが示唆されている。
「翁長は共産、社民両党と、沖縄社会大衆党の支持層の9割超を固めた」「無党派層の5割超に浸透。自主投票の公明党支持層からも4割弱の支持を得た」という。これに対して、「仲井真は自民党支持層の5割超を固めたが、公明党支持層は3割、無党派層でも2割弱と浸透し切れていない」「また、自民党支持層の3割弱が翁長氏に流れている」という。
しかも、「最大の争点として、6割超が米軍普天間飛行場の辺野古移設問題と回答。賛否では6割超が『反対』『どちらかといえば反対』と答え、『賛成』『どちらかといえば賛成」は3割だった」との県民意識である。これからの一週間に何が起こるかは分からないが、今のままなら勝負あったというところ。
また、沖縄タイムスが、同日、朝日、琉球朝日放送と合同で情勢調査を実施し、「中盤情勢」を報告している。共同の調査と同様に、「翁長が優位に立ち、仲井真が追っている」という報道。
「翁長は幅広い年代から支持されており、全体の7割を占める無党派層にも浸透している。支援を受けている社民、社大、共産支持者を固め、自主投票の民主も大半が支持している」「仲井真氏は推薦を受けた自民の支持者の約8割を固めた。年代別では20?40代で一定の支持を集めている。無党派層で引き離されている」「 自主投票の公明支持層は、翁長氏と仲井真氏に割れている」
琉球新報社の11月1・2日調査では、宮古だけは、「仲井真、下地が競り合い、翁長が後を追う展開」とされていたが、今回調査ではこのような報道はない。
なお、新報調査の注目すべきは、争点についてのもの。
「知事選で最大の争点となる米軍普天間飛行場の移設問題では、現行計画通り『名護市辺野古へ移設すべきだ』と答えた人の割合が15・1%にとどまった。『国外移設』は28・7%、『沖縄県以外の国内移設』(県外移設)は22・8%、『無条件の閉鎖・撤去』は22・3%で、県内移設反対は73・8%に上る」という報道。これが沖縄の世論なのだ。
もっとも、現地からの発信では、次のような厳しい見方もある。楽観論は禁物のようだ。
「県民との約束を破って辺野古の埋め立てを承認してしまった現知事と、辺野古の基地建設を認めない県民の悲願を達成するために生まれた、初のオール沖縄の候補。当初、この勝負は闘うまでもないと思えた。ところが、先週の地元紙の調査ではその差は10ポイント程度という予想外の結果が出た。翁長候補ならダブルスコアで勝てるはずだという初期の強気な読みは、どうやら楽観論に過ぎたようだ。」(映像作家・三上智恵)
安倍政権の危機感も相当なもの。8日にはテコ入れのために、菅義偉官房長官が沖縄入りしている。9日は小泉進次郎が沖縄入りの予定。菅は、仲井真陣営が開催した経済界の集会で、「安倍政権は基地負担軽減を一つ一つ必ず実現する」と表明。「官房長官が地方選挙の応援に入るのは異例で、仲井真氏にてこ入れする政権の姿勢を鮮明にした」(時事)と報じられている。なお、赤旗によると、菅は8日の仲井真陣営の集会で、翁長候補に触れて、「『オール沖縄』というが、ふたを開けてみると共産党中心の革新候補じゃないか」と発言したという。さすが安倍政権の番頭。今の時代に、反共攻撃はまだ有効とのアタマなのだ。
さて、小泉進次郎は沖縄で何を語るのだろうか。先の見えた安倍一族との心中を望むはずもない、若い世代の保守が沖縄で語る内容に注目したい。
(2014年11月9日)
世界が注目したスコットランドの独立は、今回実現しなかった。住民投票の結果は、反対が200万1926票(55・25%)、賛成は161万7989票(44・65%)と意外の大差だったという。
結果はともかく、主権国家の一部の独立の可否が、武力ではなく投票によって、つまりは住民の意思によって決せられることに「文明の成熟」を感じる。イギリス政府の懐の深さに脱帽せざるを得ない。また、16才以上の住民を有権者として、84・6%という高投票率がスコットランド住民の意識の高さと関心をものがたっている。
独立推進派は、独立後の非核化や、北欧型の高福祉社会の実現を掲げて支持を拡大した。「英国の核戦略は、スコットランド・グラスゴー近くの軍港に駐留する原子力潜水艦に依存している。イングランドには停泊可能な港がなく、また造れないので、そこにしか置けない」(琉球新報)のだそうだ。しかし、独立に伴う経済的なリスクの大きさを訴えた反対派に負けたとの解説が一般的だ。理念が現実に、勝ちを譲ったというところか。
独立派は負けはしたが、スコットランドの住民が、「英国にとどまっていたところで収奪されるばかりで何のメリットもない」と判断すれば、英国から離脱して独立できるのだ。「国家は所与のものではなく、人民の意思によって構成されるもの」であることを見せてもらった思いである。
とはいえ、通常はその意思の如何にかかわりなく、国民個人は国家から独立し得ない。一県一市も町内会も、一国から独立できない。恐るべき不自由ではないか。
井上ひさしの小説「吉里吉里人」を思い出す。東北地方の一寒村「吉里吉里村」(人口4200人)が突如独立宣言して、「吉里吉里国」を建国する。日本政府からの数々の悪政に愛想をつかしての壮挙である。「イエン」を独自の通貨とし、地元方言(東北弁)を公用国語とし、破天荒な国旗・国歌を定め、平和立国の宣言をする。これは、究極の地方自治、反権力の究極のロマンである。もちろん中央政府からの過酷な弾圧に遭うことになり、果敢に「独立戦争」を闘うもハッピーエンドとはならない。吉里吉里人には、独立のための住民投票の権利が与えられないのだ。
吉里吉里だけではない。ウイグルも、チベットも、チェチェンにも、ウクライナ東部にも、あるいはバスクにもカタルニアにも住民の意思による独立の権利は認められない。住民投票の機会が与えられれば、確実に独立するだろうに、である。まことに、国家とは厄介なものだ。民族的多数派は、決して少数派の独立を認めようとしない。イヤも応もなく、少数派は国家に縛り付けられ続けることになる。
わが国ではどうだろう。アイヌ民族の独立はともかく、琉球諸島の独立は考えられないだろうか。その現実性はないだろうか。日本にとどまっていることにメリット少なく、基地を押し付けられているデメリットだけだとすれば、琉球人の自律を求めて日本から独立し、明治政府の琉球処分(1874年)あるいは島津服属(1609年)以前の琉球に戻ろうという願いは無理からぬものではないか。スコットランドがイングランドに併合されてから307年だという。琉球の日本への併合の歴史とたいした差はない。
また、さらに思う。国家とは何か。大企業や大資本・財界の利益のための国家に、労働者や低所得者が、なにゆえかくも縛りつけられて離脱できないのだろうか。この国のどこででも、吉里吉里国のごとくに、独立運動が起こって不思議はないのだ。
あらゆる地域で、あらゆる分野で、安倍政権のくびきからの自由を求めて、無数の吉里吉里人の蜂起よ起これ。まず精神の次元で、この日本に囚われることなくそれぞれが自らの吉里吉里国を建国しようではないか。その伸びやかな自律の精神が現実の日本を変えていくことになるだろう。
(2014年9月19日)
一昨日(9月9日)、昭和天皇実録とジャーナリズムの関係について当ブログで取りあげた。中央各紙の社説を紹介したが、その後気になって、いくつかの地方紙の社説にも目を通した。さすがに、中央各紙よりは地方紙の社説の水準が高く、姿勢もよい。
中でも琉球新報9月10日付社説が出色である。これに比べてのことだが、沖縄タイムスの10日付社説「[昭和天皇実録]戦後史の理不尽を正せ」はやや歯切れが悪く影が薄い。
琉球新報社説のタイトルは、「昭和天皇実録 二つの責任を明記すべきだ」というもの。二つの責任とは、「戦争責任」と「戦後責任」のこと。沖縄県民の立場からの視点を明確にして、天皇の戦時中の戦争遂行についての責任と、戦後の戦争処理についての責任を、ともに明確にせよという迫力十分な内容。
同社説は、「昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回、切り捨てられている」という。内2回が「戦争責任」、1回が「戦後責任」に当たる。
「最初は沖縄戦だ。近衛文麿元首相が『国体護持』の立場から1945年2月、早期和平を天皇に進言した。天皇は『今一度戦果を挙げなければ実現は困難』との見方を示した。その結果、沖縄戦は避けられなくなり、日本防衛の『捨て石』にされた。だが、実録から沖縄を見捨てたという認識があったのかどうか分からない。」
戦況を把握している者にとって、1945年2月には日本の敗戦は必至であった。国民の犠牲を少なくするには早期に戦争を終結すべきが明らかであった。しかし、天皇は『今一度戦果を挙げなければ実現は困難』と言い続けたのだ。この天皇の姿勢は、同年8月12日午後の皇族会議での発言(「国体護持ができなければ戦争を継続するのか」と聞かれ、天皇は「勿論だ」と答えている)まで一貫して確認されている。
この間に、東京大空襲があり、沖縄戦地上戦があり、各地の空襲が続き、広島・長崎の惨劇があり、そしてソ連参戦による悲劇が続いた。外地でも、多くの兵と非戦闘員が亡くなり、生き残ったものも塗炭の辛酸を味わった。天皇一人の責任ではないにせよ、天皇の責任は限りなく大きい。
「二つ目は45年7月、天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された『和平交渉の要綱』は、日本の領土について『沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする』として、沖縄放棄の方針が示された。なぜ沖縄を日本から『捨てる』選択をしたのか。この点も実録は明確にしていない。」
国民を赤子として慈しむ、天皇のイメージ作りの演出が行われたが、実は、国体護持のためには「臣民」を「捨てる」ことにためらいはなかったのだ。沖縄県には、天皇の責任を徹底して追求する資格がある。
そして、最後が沖縄の現状に今も影響をもたらしている戦後責任。「天皇メッセージ」としてよく知られた事件だ。
「三つ目が沖縄の軍事占領を希望した『天皇メッセージ』だ。天皇は47年9月、米側にメッセージを送り『25年から50年、あるいはそれ以上』沖縄を米国に貸し出す方針を示した。実録は米側報告書を引用するが、天皇が実際に話したのかどうか明確ではない。『天皇メッセージ』から67年。天皇の意向通り沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中して『軍事植民地』状態が続く。『象徴天皇』でありながら、なぜ沖縄の命運を左右する外交に深く関与したのか。実録にその経緯が明らかにされていない。」
社説は次のように結ばれている。
「私たちが知りたいのは少なくとも三つの局面で発せられた昭和天皇の肉声だ。天皇の発言をぼかし、沖縄訪問を希望していたことを繰り返し記述して『贖罪意識』を印象付けようとしているように映る。沖縄に関する限り、昭和天皇には『戦争責任』と『戦後責任』がある。この点をあいまいにすれば、歴史の検証に耐えられない。」
この社説が求めていることは、歴史の要所において、沖縄県民の命を奪い、あるいは不幸をもたらした国家の政策に、昭和天皇(裕仁)個人がどのように関わっていたかを明確にすることだ。未曾有の大戦争に天皇はどう関わり、戦後はどう振る舞ったのか。無数の人々の不幸に、どのような責任をもつべきなのかを明確にせよ、との要求なのだ。
私は、感動をもってこの社説を読んだ。ジャーナリズムは、この国の中央では瀕死の状態にあるものの、沖縄で健全な姿を示している。
(2014年9月11日)
沖縄県には、2か条の「沖縄県慰霊の日を定める条例」がある。1974年10月21日に制定されたもの。その全文が以下のとおり。
「第1条 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。
第2条 慰霊の日は、6月23日とする。」
本日が、その沖縄県の「慰霊の日」。「その日は県はもちろん県下の全市町村とも閉庁となり、沖縄戦の最後の激戦地であった南部の戦跡地で『沖縄全戦役者追悼式』が行われます」(大田昌秀「沖縄 平和の礎」岩波新書)。
この日の慰霊の対象は全戦没者である。戦争の犠牲となった「尊い生命」に敵味方の分け隔てのあろうはずはなく、軍人と民間人の区別もあり得ない。男性も女性も、大人も子どもも、日本人も朝鮮人も中国人も米国人も、すべて等しく「その死を悼み慰める」対象とする。「戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する」立ち場からは、当然にそうならざるを得ない。
味方だけを慰霊する、皇軍の軍人・軍属だけを祀る、という靖国の思想の偏頗さは微塵もない。一途にひたすらに、すべての人の命を大切にして平和を希求する日。それが、今日、6月23日。
6月23日は沖縄戦終了の日とされる。酸鼻を極めた国内で唯一の地上戦終了の日。第32軍(沖縄守備軍)司令官牛島満と長勇参謀長が自決し、旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日をもって、沖縄戦終了の日というのだ。
私は、学生時代に、初めてのパスポートを手に、ドルの支配する沖縄を訪れた。右側の車線を走るバスで南部の戦跡を回った。牛島中将の割腹の姿を模したものという黎明の塔を見て6月23日を脳裡に刻した。沖縄戦は1945年4月1日の米軍沖縄本島上陸から牛島割腹の6月23日までと教えられた。
大田昌秀はこれに異を唱えている。終戦50年を記念して、知事として沖縄戦の犠牲者のすべての名を永遠に記録しようという「平和の礎」建設の計画に関連して語っている。
「さて、沖縄戦で亡くなられた方々のお名前を刻んでいこうとする場合に、沖縄戦がいつ始まっていつ終わったのかがはっきりしないと非常に困ります。ところが、その簡単に思えるようなことでも、意見が分かれているのです。」
大田は、1945年3月26日米軍の慶良間諸島上陸から、米第10陸軍沖司令官スチルウェル大将との間で降伏文書の正式調印がなされた9月7日までという。形式的な問題ではなく、そのようにしないと3月の慶良間諸島住民700人の集団自決強要の犠牲者や、6月26日久米島での地元の住民40人の死(その半数は日本海軍の兵隊によって殺戮されたと表現している)などが沖縄戦の慰霊対象から落ちてしまう、という(前掲書)。なお、大田は久米島の出身である。
毎日新聞「今日沖縄慰霊の日」の関連記事に、懐かしい顔の写真が掲載されている。端慶山茂君。司法修習同期の沖縄出身弁護士。1年4か月の東京での実務修習を一緒にした。国に対して法的な戦争責任を追求する訴訟を始めたと報道されている。
「沖縄本島で地上戦が本格化する前にも、日本の支配下にあったサイパンやパラオなどの南洋諸島に移り住み、米軍との戦闘(南洋戦)で命を落とした沖縄の人々が大勢いた。民間人2万5000人以上が死亡し、補償から外れた被害者や遺族も1万人以上いるとされるが、国の調査は行われておらず、実態は今も不明のままだ。23日は、沖縄戦の戦没者を弔う沖縄慰霊の日だが、南洋戦に巻き込まれた32人は、国に賠償を求めて那覇地裁で争っている。」という。
毎日の記事は、こう伝えている。
「南洋諸島には日本の植民地政策のもと、沖縄県を中心に約10万人の民間人が移住した。瑞慶山(ずけやま)茂さん(71)の両親も、沖縄からパラオのコロール島に移住した。1歳だった1944年夏、米軍の攻撃を受けて島から逃れようと一家が乗った船が沈没した。瑞慶山さんは母に抱かれて漂流中に救助されたが、3歳の姉はおぼれて亡くなった。後に母から聞かされたこの時の話が忘れられず、被害者を掘り起こして訴訟を起こすことを決意した。」
鉄の暴風と言われた沖縄戦のことはともかく、南方植民地の悲惨な経験については、彼から聞かされたことはない。確か北部の辺土名の出身と記憶している。パラオのできごととは結びつかない。当時は語るべく心の整理ができていなかったのではないだろうか。いまや、その訴訟がライフワークなのだろう。
訴訟は、「(国の)国民を保護する義務に違反した責任、戦争行為で民間人の命を危険にさらした責任、戦後70年近く損害の回復を怠った責任を問い、国に謝罪と1人当たり1100万円の損害賠償を求めている」という。
戦争の惨禍は国がもたらすもの。過去の戦争の被害については、端慶山君に倣って、徹底して国家の責任を追求しよう。そのことが、再びの戦争の惨禍を防止することにつながる。
今日は、「慰霊」の日。死者を悼み慰めることは、再びの戦争を絶対に繰り返さないと誓いを新たにすることでもある。集団的自衛権の行使容認にも、集団安全保障としての武力行使にも反対の意思を再確認する日だ。
(2014年6月23日)
本日(6月9日)沖縄タイムス(デジタル版)が、興味深いアンケート結果を発表している。同社と福島民報社の「両県首長アンケート」という共同企画。「調査は、沖縄県内の全41市町村、福島県内の全59市町村の計100人の首長が対象。沖縄県の宮古島市長、福島県の相馬市長を除く、98人から6月初めまでに回答を得た」とのこと。
米軍基地を押し付けられている沖縄と、原発災害に喘いでいる福島、それぞれがお互いの問題をどう見ているか。福島が沖縄を見る目と沖縄が福島を見る目、そして両者が自分の問題を見つめる視点との大きな落差。全国民が、わがこととしてこの結果を考えなければならない。このアンケートを企画した両紙に敬意を表したい。
沖縄タイムスの見出しはこうだ。『「辺野古反対」沖縄53%、福島9% 両県首長アンケート』。沖縄にとって愕然たるこの落差。沖縄のもどかしさが伝わってくる。
記事を抜粋して紹介する。
「沖縄タイムス社と福島民報社は合同で、沖縄・福島両県の全市町村長を対象に、国の安全保障政策やエネルギー政策などに関するアンケートを実施した。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について、沖縄県内で過半数の21人(53%)が「進めるべきではない」と回答したのに対し、福島県内では5人(9%)にとどまった。一方、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けた国のエネルギー基本計画については、両県ともに「評価しない」が最も多く、沖縄で19人(48%)、福島で38人(66%)に上った。
東京電力福島第1原発事故を受け、脱原発を求める傾向が沖縄、福島両県で広がる一方、普天間問題については両県で意識のギャップが浮き彫りになった。」
対比が明瞭になるよう、整理してみよう。
(1) 普天間飛行場の辺野古移設について、
「進めるべきではない」 沖縄 53% 福島 9%
「どちらとも言えない」 沖縄 30% 福島 72%
「無回答」 沖縄 13% 福島 5%
「進めるべき」 沖縄 5% 福島 14%
(2) エネルギー基本計画について
「評価しない」 沖縄 48% 福島 66%
「どちらとも言えない」 沖縄 38% 福島 31%
「評価する」 沖縄 0% 福島 3%
「無回答」 沖縄 15% 福島
このブログを書いている時点では、福島民報側の記事は出ていない。おそらくは、沖縄タイムスとは違った見出しになり、原発・エネルギー問題についての「意識のギャップ」が語られることになるだろう。
キーワードは「意識のギャップ」。同じアンケートを、東京や大阪でやったらどのような結果になるだろうか。おそらくは、「自分の地域の問題ではない」という、当事者地域との「意識のギャップ」があからさまに出ることになるのではないか。
基地も原発も日本全体の問題である。しかし、当事者地域とその他の地域。問題を押し付けられた「地方」と、その犠牲の上に繁栄している「中央」。その落差を埋めなければならない。その作業は、まずは「意識のギャップ」存在の確認が第一歩となる。
(2014年6月9日)