(2022年4月30日)
4月25日の那覇市臨時市議会。「本土復帰50年に際し、市民・県民の生命を守る任務遂行に対する感謝決議案」なるものが上程され、採決の結果賛成多数で可決となった。このタイトルには感謝の宛先についての記載はなく、決議の手交や郵送は行わないというが、自衛隊に感謝する内容である。自衛隊への「感謝決議」は県議会を含め、沖縄県内の市町村議会では初めてのことと報じられている。自民党議員が提案し、これに共産党が賛成にまわったことが、大きな話題となっている。
提案理由は以下のとおりである。
「本年で本土復帰 50 周年を迎えるにあたり、関係機関が行った緊急患者等の災害派遣で市民県民の多くの命が救われた。
よって本市議会は、関係機関に対し感謝の意を表すためこの案を提出する。」
採択された決議の全文を引用しておきたい。
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「戦後 27 年の米国統治を経て沖縄県が本土復帰をして、本年は 50 年の節目を迎える。
多くの離島を抱える島しょ県の沖縄は、これまで「島チャビ(離島苦)」に挑戦しながら振興発展の歩みを進めてきた。復帰とともに配備された自衛隊は、本来任務ではなかった緊急患者空輸を昭和 47 年、粟国島を皮切りに開始し、本市消防局や医療機関と連携しながら、本年 4 月 6 日に南大東島の緊急患者空輸をもって搬送数が総計 1 万件を超えるに至った。
その他にも災害派遣として市内外における不発弾処理や、行方不明漁船等の捜索など市民・県民の生命を守る活動を継続して行っている。
また、海上保安庁も同様に本土復帰以来、3 千百件余の離島患者空輸や漁船等からの救助をおこなっているほか、ドクターヘリも同様な任務を行い、この復帰 50年には様々な行政機関や医療機関などの連携と協力があり市民・県民の生命と財産が守られてきた。
よって本議会は本土復帰 50 年に際し、関係機関並びに関係各位における市民・県民の生命を守る任務遂行に対して、深甚なる敬意と感謝の意を表するものである。
令和 4 年(2022 年)4 月 25 日
那 覇 市 議 会
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市議会の定数は40。欠員が2で、採決に加わらない議長を除くと、決議の投票権者数は37。そのうち15名が退席して表決に加わらず、有効投票数は22となった。無所属の2人が反対にまわり、採決結果は賛成20、反対2。この賛成票20の中に、共産党の5票がある。
地元紙報道の見出しは、【自民・共産が賛成 那覇市議会 感謝決議 自衛隊 緊急搬送】(琉球新報)、【自衛隊に感謝決議 那覇市議会で県内初 離島患者の搬送1万件で】【自衛隊への感謝決議 「党派を超えて可決され喜ばしい」と岸防衛相 那覇市議会で共産も賛成】(沖縄タイムス)など。
採決時退席したのは、立憲民主・社大、公明、ニライ会派など。ときは、ウクライナ侵攻のさなか。ところは、参院選・知事選を間近にした沖縄の県庁所在地である。影響は大きい。なんとも、分かりにくいことが起きるものだ。
琉球新報社説の一節は次のように述べている。「共産党は決議が民生に限った内容だとして賛成した。これまでの自衛隊に対する党の立場とどのように整合を図ったのかは分かりづらい」。私も同様の感想を持つ。
今、「自衛隊に感謝を」「自衛隊を侮辱するな」「国土の防衛という崇高な任務に敬意を」という、意識的な世論づくりが進行している。当然のことながら、9条改憲の地ならしである。その策動に乗せられてはならない。にもかかわらず、9条改憲反対の中心勢力である共産党が、「自衛隊感謝決議に賛成」とは、いったいどうしたことか。
アジア太平洋戦争での唯一の地上戦において、日本軍の被害を経験した沖縄ではないか。住民がガマから追い出され、あるいは集団自決を強要され、「軍隊は住民を守らない」と骨身に沁みた沖縄県民ではないか。その地での自衛隊感謝決議自体が信じがたい。
「離党の患者搬送や、災害派遣や、あるいは不発弾処理や、行方不明漁船等の捜索等々の市民・県民の生命を守る活動に限っての感謝」だから問題ないと言ってはならない。自衛隊の『本質』『本務』は、紛れもなく軍事力の行使にあって、民生にはない。自衛隊の『非本質』的部門における『非本務』活動をもって、自衛隊の存在を肯定評価してはならない。
本来、必要な民生活動を自衛隊に任せていてはならない。それぞれの専門活動機関を創設し、専門性の高い活動を目指すべきである。離党の患者救援や災害派遣は、その用途に特化した機材や装備を有し専門的な訓練を積んだ機関に任せるべきべきである。軍事用装備品の流用で済ましてよいはずはないのだから。
そして、ことさらに自衛隊に感謝してはならない。全ての公務員が国民に奉仕しているのだ。警察も消防も清掃も海保も気象庁も、そして教育も司法も行刑も…。自衛隊の任務のみを崇高としたり、特別に感謝の対象とすべき理由はない。
さらに、日本国憲法は、武力を保持しないと定めている。自衛隊はその存在自体が違憲である可能性が高い。仮にこれを違憲な存在でないとすれば、専守防衛に徹した規模や装備や編成に限定しなければならない。果たして、自衛隊は違憲の存在ではないのか。この議論の徹底を躊躇させる空気はきわめて危険である。
自衛隊とは、暴走すれば、国民の人権も民主主義も破壊する危険な暴力装置である。これに対しては、徹底した文民(主権者国民)の統制下に置かねばならない。自衛隊のあり方に対する批判を躊躇させる空気が社会に蔓延したときには、軍国主義という病が相当に進行していると考えざるを得ない。その病は、国民にこの上ない不幸をもたらす業病である。予防がなによりも肝腎なのだ。
だから、自衛隊感謝決議は、自衛隊批判を口にしにくくする空気作りの第一歩として危険なのだ。ましてや、共産党が賛成となればなおさらではないか。革新を名乗る党が、このような決議に賛同してはならない。猛省を促したい。
(2022年4月19日)
来月15日で、沖縄の本土復帰から50年となる。その企画記事が目に付くようになったが、毎日の「沖縄の人々は日の丸の向こうに何を見ていたのか」という連載に注目したい。「沖縄の人々が日の丸を通して見ていたもの」は、時代によって違うのだ。そのことのレポートとなっている。
昨日の記事のタイトルは、「基地の街に並んだ日の丸 あれから半世紀『沖縄の真の復帰まだ』」という、複雑なニュアンス。
「その数日間は戦後の沖縄で日の丸が最も盛んに振られた日々だったのかもしれない。1964年9月、日本本土に先駆けて沖縄に到着した東京オリンピックの聖火は、日の丸の小旗で熱烈に迎えられた。そこは当時、米国が統治する島だったのに、だ。」
取材対象となったのは、当時大学2年生だった岸本義弘さん(77)。「沖縄本島中部のコザ市(現・沖縄市)のセンター通りで聖火を引き継いだ。沿道に詰めかけた観衆から拍手と「頑張れー」の声援が湧いた。米兵相手の飲食店が建ち並ぶコザ。そんな基地の街にも日の丸が等間隔で並び、小学生たちも竹ざおに日の丸の旗を付けて振った。
岸本さんは太平洋戦争の末期、米軍が沖縄に上陸する直前の45年2月に生まれた。生後まもなく、父は戦場で、母は空襲で亡くなった。戦後、島を占領統治したのは両親の命を奪った米軍だった。「ほとんど植民地扱いでしょ。米軍が憎たらしかった」。だからこそ、聖火を囲む無数の日の丸に感激した。「これで日本国民になったと思った。復帰はもう間近だと」
その岸本さんが今はこう呟く。「沖縄の人がいくら反対しても基地は県内に押しつけられる。沖縄は日本になりきれていない。本土の人ももう少し一緒になって考えてほしい。それが本当の意味での復帰ではないか」
そして、本日は、もう少し遡った時代についての記事。「日の丸、御真影がよりどころ 士気高揚、皇民化…結末は沖縄戦」というおどろおどろしいタイトル。
「戦後27年間の米国統治下の一時期、沖縄で「祖国復帰」への願いを込めて盛んに振られた日の丸。だが、時代をさかのぼると、その旗は県民を巻き込んだ太平洋戦争末期の沖縄戦に至る経過の中で、重要な役割を担ったものでもあった。」
1879年のいわゆる「琉球処分」で、約450年にわたる琉球王国が廃止され、県が設置された沖縄。約20年後には沖縄でも徴兵制が始まり、日中戦争(1937年開戦)では沖縄からも兵士が前線に派遣された。集落の人々は日の丸の小旗を振って兵士たちを見送った。
1941年12月、日本軍による米ハワイの真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争。當真嗣長(とうましちょう)さん(91)が通っていた国民学校の教室には世界地図が貼られ、日本軍が南方の地域を占領する度に、子供たちが紙に描いた日の丸を貼り付けていった。當真さんの心は高揚した。
子供たちの心を震わせたのは日の丸だけではなかった。1887年以降、沖縄の学校には順次、天皇の写真「御真影」が配られ、奉安殿と呼ばれた建物などに納められた。現在の那覇市にあった沖縄師範学校女子部の生徒だった黒島奈江子さん(98)は「絶対的なものだった。恐れ多くて、奉安殿の前ではせきさえできなかった」と証言する。祝日は奉安殿に日の丸が掲げられ、生徒たちは敬礼を求められた。
沖縄では、日本との同化を図るため、学校を拠点に皇民化が強力に推し進められた。日本は天皇を中心とする国家体制を造り上げ、大陸へと進出していった。その結末が沖縄戦だった。
沖縄では、時代によって「日の丸」のもつ意味が変わってきたのだ。かつては、新興天皇制政府の専制のシンボルであり、皇国にまつろわぬ人々への弾圧のシンボルであった。やがては県民がこれに服属を表明するシンボルとなり、本土から捨て石とされた沖縄戦では皇国に対する忠誠心のシンボルとなった。
新憲法制定後に、まだ主権者気取りだった天皇(裕仁)から捨てられた沖縄は日本が独立したあとも、米軍の統治下におかれた。このような事態において、「日の丸」はその意味を変えた。横暴な占領者アメリカに対する抵抗のシンボルとなり、当時の沖縄における本土復帰運動のシンボルともなった。
私は、66年暮れの1か月余復帰前の沖縄に滞在する機会を得てそのことを実感している。64年東京オリンピックの「日の丸」を打ち振った沖縄の人々の思いが痛いほど分かる。が、琉球処分やその後の沖縄の歴史を思えば、「日の丸」を打ち振った人々の胸の底にある切なさも思わずにはおられない。
「本当の意味での復帰」は、まだない。そもそも、沖縄が「復帰」を求めた日本とはどんな国あるいは社会だったのだろうか。そして、これから沖縄にとって、「日の丸」とはどんな意味をもつことになるのだろうか。復帰50年、答は見えてこない。
(2022年1月24日)
岸本洋平さん、あなたの渾身の奮闘に敬意を表します。そして、岸本さんを市長にと投票された1万4439人の名護市民の皆様、本当にご苦労様でした。
選挙の結果はなんとも残念でした。もし勝利していたら、どんなにか日本中のみんなが喜んだことでしょう。でも、結果以上に闘うこと自体が大きな意味をもつこともあります。岸本さんと支援の皆様方の毅然とした姿勢が、日本中の多くの人たちの励ましとなりました。
「所詮大きなものには勝てっこない。勝てない無駄な闘いはせぬのが利口。不利な闘いをするよりは勝つ方に付くのが得に決まっている。勝つ方に付いて取れるものを少しでも多く取るのが処世の常道。『長いものには巻かれよ』というではないか」。こんな考えに染まらず、『一寸の虫にも五分の魂』を見せていただいたのが、岸本洋平さんたちの闘いでした。
岸本洋平さんと支持者の皆様。あなた方の志には、人を感動させるものがあります。故郷の美ら海を孫子に伝えよう、誇るべき自然環境を守ろう、あの戦争の記憶を教訓に平和を守ろう、米軍基地がもたらす様々なトラブルから故郷の平和な暮らしを守ろう。それは、誰にも通じる思い、誰にも共感できる願いです。
私には、渡具知さんたちが当選してバンザイと言っているその姿に大きな違和感があります。その気持が理解できないのです。おそらく彼らの胸の内には、当選してもなお整理の付かない忸怩たる思いがあるに違いないのです。彼らには大義がありません。ただ政権が投げて寄こしたアメにたかろうというのですから。
私は、この選挙に政治の理想と現実を見る思いがします。政治には理想が必要です。理念が欠かせません。岸本さん、あなた方は理念を掲げました。それは自然環境の持続性であり、平和に生きる権利であり、本当の意味での住民自治の思想でした。それに対して、渡具知さんたちは現実を選択しました。「米軍再編交付金の給付なければ、地域振興も住民福祉も成り立たないではないか」という現実。しかし、その現実は孫子の代までに及ぶ大きな負の遺産とセットになったもの。結局は、中央政府の強権ににひれ伏したのです。
この局面では、理想を選んだあなたたちは、現実を選択した彼らに敗れました。しかし、その闘いは、けっして終わっていません。まだまだ長い闘いは続くことになります。
この大切な選挙挙戦の敗北が明らかになった昨夜の午後10時過ぎ、雨の中の静まり返った選挙事務所で、岸本さんは赤いネクタイを締め直し、支持者に深々と頭を下げ、「結果を重く受け止める。私の力不足」と声を絞り出したと報じられています。そのうえで、辺野古の新基地建設については「民意は反対だったと受け止めている」と言い切ったとも。
「オール沖縄」の象徴だった、故翁長雄志前知事の妻樹子さんはこう言ったそうではありませんか。「相手は辺野古を受け入れると言って当選していない。この選挙結果は辺野古についての民意ではない。そう、政府は自覚してほしい」と。
玉城デニー知事も同じです。記者団に「新基地問題に何の懸念もない。軟弱地盤を抱える工事で完成は不可能だ」という従来の姿勢を崩さなかった、と。
重苦しい、大事な選挙の敗北ですが、飽くまで長い闘いの一局面。岸本さんには、これからの新基地建設反対闘争の新しいリーダーとしてのご活躍を期待いたします。
本土の私たちも、非力ではありますが、精一杯の応援をしたいと思います。けっして他人事としてではなく、そうです、自らの問題として。
(2022年1月22日)
早いもので、名護市長選挙の投開票が明日(1月23日)となった。選挙は、民意反映の手続だが、この民意の何たるかは必ずしも選挙結果のとおりのものではない。名護市民の新基地建設反対世論は、賛成派を圧倒している。これが最大争点である以上、本来はオール沖縄派の岸本ようへい候補の圧勝である。
ところが、政権は基地負担を地元に押し付ける見返りとして、地元に交付金・助成金をばらまいている。渡具知候補が勝てば、このばらまきで引き続き地元が潤う、岸本が勝てばこのバラマキはストップだという脅しと誘導がかけられている。
カネで選挙がゆがめられてはならないというのが、民主主義の大原則である。にもかかわらず、名護の選挙は完全に札束で選挙民をひっぱたいての選挙になっている。これでもなお、公正な選挙なのか。カネでゆがめられた投票行動は本当に「民意」反映の機会なのか。
そのハンディを背負っての選挙戦であり、明日の投開票である。清々しい、「本当の民意」の勝利の報を待ちたい。
もう一つ、選挙についての話題に触れておきたい。今夏の参院選に対する連合の方針に関しての問題である。昨夕の朝日新聞デジタル記事の見出しが、「『なんて乱暴な』立憲幹部は絶句 連合の野党離れ、なくした政治の軸」という見出し。
例の芳野友子率いる連合本部が今夏の参院選に向けた方針(案)を出した。支援政党を明記せず、支援しない政党だけを明記した。唯一の非支援政党とは、自民党でも維新でもなく、労働者の党を名乗る日本共産党のことである。日本共産党を支援しないというだけではなく、日本共産党と連携する候補者を一切支援しないとする基本方針案をまとめたという。
恐るべき反共主義である。共産党を支援しないというだけではなく、露骨に共産党の共闘を妨害しようというのだ。なるほど、連合の新年交歓会に、岸田文雄が招かれるわけだ。連合とは、労働者の組織ではない。資本の手先、財界の犬、政権の回し者でしかない。
朝日の記事は、「なんて乱暴な……」。「連合の基本方針案を知った立憲幹部は絶句し、『今までのような共産との連携はできなくなり、新しい方法を考えないといけない。これで得をするのは自民党だけだ』とこぼした」というもの。
とはいうものの、連合には、傘下の労働者の投票行動を左右するだけの力量があるのだろうか。連合の推薦の有無が選挙結果を左右するほどの影響力を持つものだろうか。大政翼賛の時代でもあるまいし、労組組合の連合体が、こんな露骨に反共主義を剥き出しにして、組織がもつのだろうか。むしろ、分裂の気運が盛り上がることになるのではなかろうか。
読売の報道では、「連合、参院選の支援政党明示せず…基本方針案『目的が異なる政党等と連携する候補者は推薦しない』」となっている。
もしかしたら連合は、日本共産党を買いかぶって、「連合は資本主義体制を大前提に組合員の労働条件向上だけを目的とするが、日本共産党は政治闘争至上主義の革命を目的とする集団として相容れない」と説明するのかも知れない。
しかし、ホンネのところはこうであろう。
「連合は恵まれた大企業正規労働者と公務員労働者の組織だ。だから、現自民党政権にベッタリくっついて楽に甘い汁を吸うことを目的としている。だから、政権にも資本にも最も厳しく敵対している日本共産党は、けっして連合の目的と相容れない存在なのだ」
自民党の元政調会長の亀井静香がこう批判しているという(『月刊日本』12月号)。これを、常識というべきであろう。
「立憲の支持母体の連合というのは、革新の仮面をかぶってるけど中身は自民党なんだよ。労使協調と言ってるだろう。経営者は自民党支持なんだから、結局自民党が勝つほうが今の労使協調体制を維持するのには都合がいいんだ。本当の労働者政党が政権を取ったら困ると思ってるんだよ」
連合は、労働者のために闘わないというだけではない。反共を唱えて、労働者のために闘おうという政党の足を引っ張って、積極的な妨害を企てているのだ。
連合も、今夏の参院選での「民意」反映を意識的にゆがめようという存在。民主主義に敵対する組織と言ってよい。このままの方針であれば、先は長くない。
(2022年1月16日)
2020年は「沖縄の年」である。本土復帰50周年を機に「沖縄返還」とは何であったのか、安保とは、対米従属とは、地位協定とは、基地とは。そして憲法9条とは何かが問われざるを得ない。その問への回答が、沖縄知事選や参院選の結果ともなるのだ。その成果を期待したい。
「沖縄の年」幕開けの闘いが本日告示の名護市長選である。辺野古新基地建設問題が争点化した1998年市長選以来、7回目の選挙だという。今回は自公が擁立する現職の渡具知武豊候補に、新基地建設に反対する「オール沖縄」勢力から新人岸本ようへい候補が立候補して、一騎打ちとなった。
争点は紛れもなく、辺野古新基地建設への賛否である。岸本候補が反対を明言し、渡具知候補が意見を言わないという構図。渡具知は前回同様「国と県による係争が決着を見るまではこれを見守る」としか言わない。
これは、「一寸の虫にも五分の魂」派と、「長いものには巻かれろ」派との対決である。一揆における「立百姓」と「寝百姓」の対峙の関係でもあり、資本と闘う「第一組合」と御用の「第二組合」との関係でもある。原発建設の賛否をめぐっても、カジノ誘致をめぐっても同様の構図を見ることができる。
権力が地元に犠牲を押し付けるときに、「一寸の虫にも五分の魂」派は敢然と闘う。しかし、「長いものには巻かれた」方が目先の利益にはなる。それは当然のこと、押し付けられた犠牲を懐柔するためには「アメ」が必要なのだ。「長いものに巻かれ」れば、いっときアメをしゃぶることはできる。しかし、それは掛け替えのない「魂」を売り渡すことにほかならない。取り返しのつかないことになる。
2019年の県民投票では、名護市民の73%が新基地建設反対の民意を示しているという。しかも今、改良工事が不可能なマヨネーズ状の軟弱地盤によって新基地の完成が見通せない問題も出てきている。オスプレイの事故も頻発している。民意が辺野古基地建設反対にあることは明らかだ。
だから、権力の手先である渡具知陣営としては、権力が配るアメで民意を誘導するしかない。そのアメの最たるものが、「米軍再編交付金」である。これあればこそ、名護市内の子どもたちの『給食費』、『保育料』、『子ども医療費』の無償化がある。渡具知派は、「新基地建設反対では、この施策を継続できない」ともっぱら利益誘導の選挙である。
辺野古新基地の耐用年数は200年とされている。名護市民は、半永久的な基地被害を甘受しようというのだろうか。4年前の選挙の際に、小泉進次郎という無責任な保守政治家が名護高校の生徒に、渡具知陣営への支持を語りかけて話題となった。結局は、「長いものには巻かれる」方が利口だというのだ。プライドを売れ、魂を売れ、故郷を売れ。自治を売れ。その見返りに補助金・交付金をもらって潤った方が賢いやり方じゃないかというわけだ。
岸本陣営は、再編交付金に頼らず、行財政改革などで三つの子育て無償化策の継続を訴えるほか、進学や子育てなどを支援する「子ども太陽基金」創設、名護市ネット販売課新設による生産品販売・起業支援、名桜大薬学部新設などを掲げるという。具体的には、三つの無償化にかかる費用7・1億円のうち、稲嶺前市政が再編交付金に頼らず、一部無償化を前進させた2・7億円の土台があると説明。残りの約4・5億円については「基金をつくり、再生可能エネルギーなどの導入による光熱費の削減とともに、新たな税収を期待できる市有地の活用で必ず無償化の継続はできます」と政策を掲げている。
名護市長選の闘いの構図は、《自公勢力》対《立憲野党+市民》の対峙構造とよく似ている。岸本陣営には、共産、立民、社民、社大、「にぬふぁぶし」、「れいわ」の諸政党の結集がある。
沖縄県内で新型コロナウイルスの感染が急拡大しているさなか、両陣営がどう支持拡大を訴えるのかも注目される市長選。今月23日の投開票で決着する。ぜひとも、「五分の魂」を守り抜こうというオール沖縄派の勝利を期待したい。
(2022年1月8日)
我が国には日本国憲法を頂点とする法体系が構築されて「法の支配」が貫徹されている…はずである。しかし、現実には「安保法体系」というもう一つの法体系が我がもの顔に日本国憲法の法体系を侵蝕している。
田中耕太郎長官時代の最高裁大法廷が、「統治行為論」という「法論理」で、「安保法体系」の「日本国憲法体系」からの独立性、ないしはアンタッチャブルな正確を容認してしまった。以来、「安保法体系」は、ひっそりと日陰に存在しているのではない。大手を振って堂々と自らを誇示しているのだ。
「安保法体系」が突出するところ、日本国憲法が保障する平和主義だけでなく、人権尊重も影をひそめることになる。いつの間にか安保容認論に毒された世論の下においても、ときに安保法体系の反国民性が無視し得ないものとして映ることがある。いま、沖縄で猖獗を極めつつあるオミクロン株の蔓延はその典型である。
沖縄県における感染状況が急激に悪化している。1月6日の新規感染者は981人、7日は1414人、そして本日(1月8日)が1759人と報告されている。メディアはようやく「地位協定という穴」「日本の主権侵害」として報道を始めたが、問題は以前からのものだ。
「米軍基地が集中する沖縄県で新型コロナウイルスの感染が急拡大している。感染力の強い変異株「オミクロン株」が基地を経由して市中に広がった可能性が高く、5日の県内の新規感染者数は昨夏の緊急事態宣言中以来となる600人台となった。同じく基地がある山口県でも感染者が急増しており、日本の水際対策が米軍に適用できない日米地位協定の規定と米軍の甘い感染防止対策が、国内のオミクロン株流行を早めた形だ。
政府は新型コロナの封じ込め策として、海外からの入国者を制限するなどの水際対策を続けてきた。だが、海外から軍用機などで入ってくる米軍関係者は規制の対象外となる。協定は在日米軍と米軍関係者らの法的地位を定めた取り決めだが、米側に大きな権限が与えられ、日本の主権が事実上及ばないためだ。」(1月6日・毎日)
NHKの集計によれば、昨日(7日)までの1週間における人口10万人当たり感染者数は、都道府県単位で沖縄県がダントツの239.23人、次いで岩国基地を要する山口県が46.91人となっている。
この沖縄の感染者数に驚かざるを得ないが、琉球新報の本日(1月8日)の報道では、基地内の感染密度はこれよりはるか高い。「沖縄米軍のコロナ感染 世界最悪級に…10万人当たり1905人 本紙試算」との見出しで、「基地内の直近1週間の新規感染者数を人口10万人当たりに換算すると2千人に迫り、世界最悪レベルとなる」とされている。
同紙は、「2021年12月26日までの1週間、新規感染者数が最も多い米国は人口10万人当たり358・2人。新規感染者数が米国に次いで多い英国は同901・3人となっている」とも報じており、最悪の基地内感染から、基地外に「滲み出している」ことがよく分かる。沖縄でも、岩国でも、オミクロン株のゲノム解析から、感染の拡がりが基地の中から外に出たことが「確認」されてもいるという。
玉城知事は2日の会見で「県の危機意識が米軍に共有されていない。激しい怒りを覚える」と指摘。「日米両政府はこの問題を矮小化せず、日米地位協定の構造的な問題だという意識を持ってほしい」と強調した。ただ、政府の地位協定見直しの姿勢は消極的と伝えられている。
地位協定は、1960年締結の「新安保条約」に基づいて、旧「行政協定」に替わるものとして締結された。その第9条1項と2項が以下のとおりである。(3?6項略)
1 この条の規定に従うことを条件として、合衆国は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族である者を日本国に入れることができる。
2 合衆国軍隊の構成員は、旅券及び査証に関する日本国の法令の適用から除外される。合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族は、外国人の登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外される。ただし、日本国の領域における永久的な居所又は住所を要求する権利を取得するものとみなされない。
この条文を根拠に、基地内の軍人軍属には、出入国審査・住民登録の義務がない。出入国の際の必須手続であるCIQ(税関 (Customs)、出入国管理 (Immigration)、検疫 (Quarantine))の全てが免除される。だから、日本国法に基づく強制ができない。
米兵は、オミクロンとともに米国から日本国内の基地に直行し、あるいは空港でのチェックをスルーして、フリーパスで基地に入ることができる。そして、基地のゲートから街の酒場へも繰り出すことができる。そう。日本憲法の法体系を凌駕する、安保法体系が健在だからこそなのだ。
(2022年1月4日)
暮に所用あって上野に一度、銀座に一度外出の機会があった。驚いたのは、そのときの人混み。どこもかしこもマスクをした人々の、密・密・密である。怖じ気づいて、正月三が日はこもりっきりであった。これから来るであろう第6波が恐ろしい。
それでも、正月である。人並みに、今年の希望や抱負も語らねばならないところだが、さして元気が出ない。弁護士として受任した仕事を、丁寧に誠実にやり遂げること、という当たり前のこと以上にはさしたるものはない。
強いて抱負らしいものを挙げれば、DHCスラップ訴訟の顛末を書物にして刊行したい。スラップというものの害悪と、この害悪をもたらした者の責任を明確にし、スラップを警戒する世論を高めるとともに、スラップ防止の方策までを考えたい。これは、私の責務である。
そして、当ブログを書き続ける。来年の3月末で、このブログは連載開始以来満10年となる。2023年3月31日に「自分で祝する、10年間毎日連続更新達成」の表題で記事を掲載するまで多分書き続ける。これは執念である。
DHC・吉田嘉明以外にも、このブログにはこれまで複数のクレームを経験している。当ブログに市井の庶民からの苦情はあり得ないが、私の批判が目障り耳障りという様々な人はいるのだ。そのためにこそ、このブロクを書き続ける意味はある。
もっとも、毎回長文に過ぎるという批判を頂戴し続けてきた。今年こそは、短く読み易く、分かり易く、鋭い記事を書きたいもの。
今年のブログのテーマは、何よりも国会内外における改憲策動と阻止運動の動きが中心とならざるを得ないが、その次には沖縄に注目したい。復帰50年である。そして知事選。辺野古新基地建設継続の可否も正念場となろう。既に、米軍基地からのコロナ感染が話題となっている。その県民の怒りの中での名護市長選が間近である。今年の沖縄には目が離せない。
そして中国である。2月には北京冬季五輪が開催される。ナチス・ドイツ以来の大々的な国威発揚オリンピックとなることだろう。そして、IOCが商業主義の立場からこれに迎合する醜悪な事態となることが予想される。
今秋には、「中国共産党第20回大会」が開催される。党結成100周年で20回目となる。党規約上5年に1度の党大会だが、文革期には13年も開催されなかったこともあるという。今回の党大会が注目されるのは、習近平独裁体制の確立という点である。
「18年の憲法改正で、2期10年までとされていた国家主席の任期制限を撤廃。総書記に任期制限はないため、不文律の「68歳定年」さえ破れば、習氏は来年以降も最高指導者の地位を保つことができる。(時事)」というのが、メディアの解説。習はこの大会で、異例の総書記三選を果たすことになるだろうというのが、報じられているところ。この独裁、ブレーキの利かないものになりはしまいか。
中国共産党政治理論誌「求是」が新年に、昨年11月の習近平演説の内容を明らかにした。習は、1989年の天安門事件について「深刻な政治的動乱に対する断固たる措置で党と国家の生死と存亡がかかる戦いに勝利した」と評価し、天安門事件を朝鮮戦争と同じ国家の危機だったとして事態を収拾できなければ「中華民族の偉大な復興の過程も絶たれていた」とまで述べたという。
この演説は天安門上から、広場の群衆を見下ろす形で行われた。30年前に、民主化を求める多くの人々が犠牲になった場所である。そこで、習は民主主義を求める民衆への弾圧を「戦いに勝利」と言ったのだ。「戦い」の相手は丸腰だ。武器を持たない、市民と学生。これに銃を向け発砲したことを、「やむを得なかった」「忸怩たる思い」「胸が痛む」と言わずに、「戦いの偉大な成果」としてあらためて誇った。
偉大な党の統制に服さない市民には同様に銃を向けるという宣言以外のなにものでもない。恐るべき大国の恐るべき指導者による、恐るべき姿勢。これが、当分続くことになるのだ。
(2021年12月26日)
街中に参院選予定候補のポスターが目につくようになった。我が家にも、山添拓のポスターが2枚。今年10月の総選挙の結果が革新の側に厳しかっただけに、来夏の参院選の重みが一入である。
とりわけ来年復帰50周年を迎える沖縄である。いくつもの課題を抱えた沖縄の選挙には全国の関心が集まる。2022年は沖縄にとっての「選挙イヤー」であるが、注目度の高いのは、県知事選をハイライトに下記の各選挙。
名護市長選挙 1月23日
南城市長選挙 1月23日
沖縄県議会議員選挙 6月24日
参議院議員通常選挙 7月25日
沖縄県知事選挙 9月29日
那覇市長選挙 11月15日
緒戦となる、名護・南城両市長選は来月16日が告示。その後を占う選挙として、注目せざるを得ない。とりわけ、辺野古新基地を抱えている名護市長選に大きな関心が集まっている。
前回2018年名護市長選挙では、オール沖縄が擁立した現職の稲嶺進候補が、渡久地候補にまさかの敗北を喫した。政党勢力としては、《立民・民進・共産・自由・社民・社大》対《自民・公明・維新》の対立構造であった。
今回選挙も保革の一騎打ちとなる。オール沖縄陣営からは、新基地建設阻止を掲げて岸本ようへい市議(49)《立民・共産・社民・沖縄社大・「新しい風・にぬふぁぶし」》と、渡具知武豊現市長(60)《自公政権丸抱え》が立候補する。前回も同様だが、渡具知陣営は「辺野古新基地建設」に賛否を明らかにしない。「見守る」というだけ。
政権に擁立されている立場だから、口が裂けても「反対」とは言えない。しかし、「賛成」「基地容認」と明言すれば、市民感情を刺激する。ダンマリを決めこむしかないのだ。
辺野古新基地建設反対の立場を明言する岸本ようへい(予定候補)のホームページが下記のとおりである。明快で、とてもよくできている。好感がもてる。説得力がある。応援したくなる。ぜひ、拡散をお願いしたい。
https://www.yoheikishimoto.com/
「オール沖縄」が闘っている相手は、実は渡具知候補ではない。中央政府であり、自公政権とその補完勢力なのだ。「オール沖縄派」対「非オール沖縄派」とは、《沖縄県民》と《沖縄を支配している内地権力への服従者》との対抗関係なのだ。渡久地派とは懐柔された政権派にほかならない。
だから、中央政府(自公政権)は露骨に、「非オール沖縄派」に利益を供与し、そのことで投票を誘導する。その最も分かり易い利益供与が、「米軍再編交付金」というつかみガネである。
「渡具知氏は初当選した18年の前回市長選で辺野古移設の是非に言及しない戦略を徹底。その後も「国と県の裁判の推移を見守る」と繰り返してきた。一方、自公政権は市長選で支援した渡具知氏が就任すると、移設に反対した稲嶺進市長時代(10?18年)に凍結していた米軍再編交付金の交付を再開。渡具知氏は再編交付金を財源に学校給食費や保育料の無償化を進めた。」(2021年毎日新聞)
「再編交付金は、米軍再編で負担が増える自治体に交付される。(名護市は)09年度には約3億8千万円を受け取り、道路整備などに充ててきた。だが10年の市長選で移設反対の稲嶺氏が当選すると、交付は止まった。市の13事業が宙に浮き、2事業は中止や保留となった」「前市議の新顔渡具知武豊氏はこの点を突く。借金増加は稲嶺市政が移設反対に固執しすぎているためだとし、再編交付金を含め『国から受け取れる財源は受け取る』と主張する。集会では『政府としっかり協議し、ありとあらゆる予算を獲得するために汗をかく』と声を張った。ただ、普天間移設については、ほとんど触れない」(2018年朝日)
私が入手した「岸本ようへい・後援会ニュース」(内部資料)の表紙には、大きな字で「必ず守る! 保育料・給食費・子ども医療費は これからも無料」とあった。前市政を批判するのではなく、前市政を踏襲して「これからも無料」と訴える選挙公約の押し出し方に違和感があった。このことについて、次のように報道されている。
「渡具知氏が子育て支援策の財源としてきた国の米軍再編交付金は、移設に反対する岸本氏が当選した場合に凍結される可能性が高く、岸本陣営は『交付金がなくなれば、無償化も打ち切られるのでは……』という市民の不安を打ち消すことに躍起だ」(毎日新聞)
なるほど、名護市のホームページを閲覧すると、米軍再編交付金による事業を次のように報告している。政府はこの財源を、基地建設反対の「オール沖縄」派が勝てば止める、基地建設反対とは言わない「非オール沖縄」の市長には給付を継続する、というのだ。
幼保助成事業 (6か年) 2,613,835,000円
学校給食事業 (4か年) 1,021,989,000円
こども医療費助成事業 (4か年) 394,659,000円
これっておかしくないか。卑劣ではないか。汚くないか。地方自治を尊重し、地元の民意に耳を傾けようというのではなく、中央政府のつかみ金で市長選を左右しているのだ。カネで言うことを聞かせようという姿勢。同じことは、県知事選についても行われている。「岸田政権、沖縄振興予算で揺さぶり」と報道されているとおりである。
「来年度当初予算案について、玉城知事は3000億円台の維持を求めていたが、政府は前年度比で約300億円減の2680億円程度とする。3000億円を下回るのは12年度以来、10年ぶり。振興予算は安倍晋三元首相が13年に3000億円台を確保する意向を表明し、18?21年度はいずれも3010億円だった。」
「防衛省が申請した辺野古移設の設計変更を不承認処分とした玉城知事に対し、官邸関係者は「移設は反対だが、振興予算は確保したいというのは虫がよすぎるのではないか」と指摘。基地問題と沖縄振興を絡める「リンク論」を安倍・菅両政権以上に前面に押し出し、沖縄の切り崩しを図る構えだ」(毎日新聞)
余りに露骨ではないか。こういうやり口を「札束で頬を叩く」というのだ。沖縄県民を見くびっているのではないか。根本のところから、民主主義に反しているのではないか。
(2020年9月9日)
久しぶりに、小村滋君から「アジぶら通信?」の配信を受けた。「アジぶら通信」は、究極のミニコミだが、さすがに朝日記者OBの筆。読ませるし、何よりも怒りのボルテージが高い。
今回はワンテーマで、《沖縄のコロナ禍「地位協定」が呼ぶ》という記事。本年7月の在沖米軍基地におけるクラスターの発生と、これに対する県と政府の対応の落差を中心にまとめたもの。情報源は琉球新報である。いつにもまして、怒りのボルテージが高い。
小村君は、誰に怒っているのだろう。文面から読み取れるものは、何よりも無法な米軍に対する怒りである。それだけでなく、米大統領にひたすら追従する安倍政権と菅官房長官にも怒っている。せめて、韓国・オーストラリア並みのプライドをどうして持てないのだと。そしておそらくは、安倍政権を容認し沖縄の事態を傍観している本土の我々にも怒っているのだろう。
一方、安倍政権にもの申す玉城知事、米軍を追及する沖縄2紙やTVの在沖メディア、そして沖縄の人々には、「我が国民主主義のトップランナー」として敬意を表している。
そして、彼は結論として、「米軍無法の根源『地位協定』を改定させることが、安保条約反対に目覚めさせる近道ではないのか。」という。
米軍無法の根源を「地位協定」と認識し、まずは明らかに不合理な「地位協定」改定を目指し、さらには「安保条約反対」にまで及ぼうというのが彼の立場なのだ。そうでなくては、沖縄県民も本土の基地周辺住民も、いつまでも米軍の無法を甘受せざるを得ないまま。彼のように沖縄に寄り添えば、彼のような考えになるしかないのだ。
以下、「アジぶら通信」を、当ブログの体裁に合わせて再構成し、紹介させていただく。
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リード《前提となる基礎知識》
※米国の基地から直行
沖縄の米軍基地で7月に発生した、新型コロナウィルスの感染拡大は、日米地位協定の治外法権ぶりの新たな一面をあぶり出した。地位協定9条は、その2項で「合衆国軍隊の構成員及び軍属は旅券及び査証に関する日本国の法令の適用から除外される。……構成員及び軍属並びにそれらの家族は、外国人登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外される。」としている。
※復帰後に新たな占領状態
1952年4月28日の対日平和条約発効で終わるはずだった米軍の日本占領が、同時に発効した日米安保条約に引き継がれた。その安保条約に基づいて出来たのが「日米行政協定」であり、60年安保により現在の「地位協定」になった。沖縄は、戦後ひたすら米軍の占領状態だったから、安保条約は適用されなかった。72年の日本復帰から地位協定の理不尽に捕らえられた。沖縄戦から75年の今夏、沖縄県民は、新型コロナと米軍と安倍政権という「三敵」と闘った。
毎年7月、8月は米軍の異動時期だ。海兵隊は、米国本土の基地から5千?7千人が沖縄の基地に飛んでくる。毎年繰り返されるローテーション異動だが、地位協定の通り、日本の法律の適用を受けず、米軍の自由に行われる。検疫も、パスポート検査もなく。6月下旬から7月に。沖縄では4月30日以降2か月余り新型コロナ感染者が全く出なかった時期だ。
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本文《2020年7月・沖縄で何が起こったか》
※突然、基地従業員に足止め
7月7日、米軍普天間飛行場で基地従業員が説明もなく足止めされた。米兵のクラスター(集団感染)発生ではないか、と基地従業員から新聞社などに電話が殺到。大規模感染が明らかになった後も、メールやSNSで基地従業員などから情報提供が続いた。
在日米海兵隊は、6月中旬、コロナへの警戒レベルを引き下げ、基地外での行動制限を緩和した。7月になると部隊展開計画に基づき、新型コロナまん延の米国から多くの兵士が沖縄に移動してきた。6月中旬から7月4日の米独立記念日の前後、沖縄本島中部の基地周辺でバーベキュー名目のビーチパーティーに大勢の米兵が集まり、県民の姿もあったという。
※情報を出さない米軍、連絡しない防衛省や安倍政権。
7月7日夕5時、米海兵隊から入った情報は「普天間で複数感染。感染源は不明」。米軍に大規模クラスター発生の概略を掴むのは5日後の11日だった。
7?11日の間キャンプ・ハンセンで複数人感染など連日、1面トップで報道。しかし米軍は感染者数を報道向けに公表しない方針で「県は、米軍の了解が得られた時だけ報道陣に知らせる」とした。勝手に知らせた場合、今後は県にも知らせない、と言われたらしい。
県議会は10日、「米軍に感染情報開示を要求」全会派一致で決議した。さらに「地位協定の抜本改定」を求める意見書も全会派一致で採択した。
しかし菅官房長官は10日、東京での記者会見で「米軍病院から地元保健所に必要情報は伝えられ共有しているはず」と粛々と述べた。河野防衛相も「情報開示は十分」との見方を示した。また北谷町の民間ホテルを米軍が借り上げ、移動者隔離に使用することが明らかになり、町長は「基地内で隔離してほしい」と沖縄防衛局に抗議した。海兵隊にも抗議しようとしたが、防衛省で玉城知事らと河野防衛相で決めたこと、と断られたという。
だが県議会の全会一致「情報開示要求」決議が米軍には効いたらしい。11日、クラーディー在沖米四軍調整官と玉城知事との電話会談が行われ、米軍普天間飛行場とキャンプ・ハンセンで7?11日までに61人がコロナに感染したことが明らかになった。玉城知事が米軍調整官に要求した7項目には、この二つの基地の閉鎖の他に、ローテーション配備で沖縄に入ってくる人数・時期の情報の要求もあった。
12、13日でさらに34人の感染が判明。「海兵隊クラスター」がはっきりすると、県の政府への苛立ちが増した。相変わらず「必要情報は共有」とする菅官房長官ら政府側の開き直り記事も。
これと並んで、玉城知事の怒りのツイッターが掲載された。
日本政府が米軍に対して国民の命を守るためにとるべき協議や措置などを事務方任せにしているのではと憂慮しています。どれだけの数の外国からの人が、どこから国境を越えて日本へ入り、どのようにして、どこへ移動しているのか。全く情報がないなんて異常としか言いようがありません。
※韓国、米軍を二重チェック
しかし在韓米軍は、情報開示の方針を変えなかった。感染者数は勿論。感染が判明した経緯、陽性確認後はどこで隔離されていたか。全て公表した。
韓国では米軍人たちは韓国到着後にPCR検査を受け、2週間の隔離を経て、再びPCR検査を受ける。感染していても3割が陰性反応になるため、二重チェックが欠かせない。それに引き換え日本ではPCR検査も隔離も米軍任せ、チェックするすべもない。
※豪は一時、米軍の配備停止
豪州の場合、海兵隊は一時駐留扱い
米軍感染は7月下旬になっても止まらず、県民感染を越えて増え続けた=25日付電子版
だから配備を断ることができる。豪州国防相は3月末、米軍内の感染拡大を知って海兵隊のローテーション配備停止を決めた。その後、5月に米側と話合い、隊員規模を半分にして、6月に配備が決まった。厳格な検疫とPCR検査が実施された。
日本の場合、地位協定3条で日本が提供する施設について米軍に排他的管理権が与えられている。日本は一切口も手も出せないのだ。
サテ、感染者数の追及に戻ろう。7月15日キャンプ・ハンセンで新たに36人の感染者が出て、合計136人になった。この日、県と米海軍病院が初めて会合を持った。米側は「感染者は殆ど軽症か無症状で基地内で隔離」といい、感染者が増えたのはPCR検査を積極的に進めた結果という。感染者のうち、少なくとも23人は基地外に出て、県民と接触していた。問題は県民への感染の広まりだろう。
その後、感染米兵46人が基地外に出ていた、と報じた。
※知事、防衛相らに面会
玉城知事は15日、基地を抱える仲間・金武町長、當眞・宜野座村長と上京し、河野防衛相らと話し合った。
玉城知事らは「米本国からの異動中止」「検疫などに国内法を適用するよう地位協定の抜本改定」などを求め、「県民は大きな不安に追い込まれているのが現状」と訴えた。河野防衛相は「不安を抱かせ申し訳ない」と陳謝し、地元と連携して対策に当たりたい、とした。茂木外相も「真摯に取り組んでいく」と応じた。官邸では安倍首相も菅官房長官も会わなかった。玉城知事は、米大使館でヤング臨時代理大使と会い、対策を要請した。
※市中感染への不安が…
16日、キャンプ・ハンセンを拠点とするタクシー運転手がコロナ感染したと確認された。また基地従業員やその家族が一部の病院で出入りを制限された。市中感染への不安の行きすぎた反応だろう。
市中感染への不安は、国が推進する「Go To トラベル」への懸念となって現れた。同紙が実施した県内41市町村長へのアンケートに7割の29首長が「22日からのGo To延期を」訴えた。
玉城知事たちの東京への訴えは、一応の効果を生んだ。17日、記者会見した河野防衛相は、日本に入国する全ての米軍関係者にPCR検査を義務付けるよう、日米間で調整していることを明らかにした。米国を出発する際と日本に入国した際、それぞれPCR検査を実施するよう日本政府が要請し、米国も応じる構えだという。一方で沖縄県など基地負担都府県が求めている地位協定の抜本改定は「運用で対応」といつも通り否定した。
※全基地従業員へPCR検査
無責任な米軍と日本政府の間に挟まれた基地従業員のコロナ対策も、県が声を上げなければならなかった。玉城知事は20日、米軍基地の日本人従業員のPCR検査を沖縄防衛局と連携して実施すると県庁で発表した。普天間やハンセンから始め、沖縄の全従業員に実施するとした。
24日、沖縄の米海兵隊で新型コロナ感染者が新たに42人ふえ、205人に達した。この数字は県民の感染者数172人を上回っていた。
その後も米軍の感染者は増え続け、28日には240人に。県民感染者232人を上回り続けた。県民感染者には、人数は定かではないが、基地従業員も含まれていた。しかし7月29日には本土からの「Go To」関係者や那覇の繁華街でのクラスターで44人の県内感染者を出し、米軍関係者を逆転した。以後、感染の主役は県内感染者に移ったように見える。
(2020年6月22日)
明日6月23日は、沖縄県が制定した「慰霊の日」である。75年前の1945年6月23日、沖縄戦における日本軍の組織的抵抗終わった日。
沖縄戦は、この上なく痛ましい犠牲を余儀なくさせた国内唯一の地上戦であった。同年3月23日の米艦隊の沖縄本島攻撃をもって沖縄戦開始とされる。米軍は3月26日慶良間諸島に上陸し、さらに4月1日には沖縄本島の中部・北谷(ちゃたん)に上陸した。以来主戦場は南下し続け、首里が占領されても絶望的な戦闘は終わらず、6月23日に至って本島南端の摩文仁に置かれた32軍司令官牛島中将の自決によって、ようやく日本軍の組織的抵抗が終わった。そして、その後も県民の犠牲は続いた。
この間、沖縄県民の多くが軍と行動をともにし、「鉄の嵐」といわれる米軍の苛烈な砲撃に晒され続けた。日本軍の死者9万4000人、住民の死者もほぼ9万4000人とされている。日本軍の死者の中には、沖縄県出身将兵の死者2万8000人が含まれている。
沖縄戦は、本土決戦を控えての「時間稼ぎ」であった。32軍の将兵も沖縄県民も、国体護持のための捨て石にされたのだ。裕仁の「遅すぎた聖断」の犠牲者として記憶されねばならない。
今、最後の激戦地摩文仁には平和祈念公園があり、沖縄戦の戦没者名を刻む「平和の礎」が建立されている。敵味方なく、人種や民族や差別なく、全ての戦没者を平等に追悼する思想に基づくものである。その刻銘には、今回新たに54人が追加され、刻銘総数は24万1468人になったという。
刻銘の数だけのそれぞれの悲劇があり、その家族や友人たちの涙があった。その思いを受け継いで、毎年慰霊の日には、県が主催する沖縄全戦没者追悼式が挙行され、毎年感動的な「平和の詩」が朗読される。
明日の慰霊の日の「平和の詩」は、県立首里高校3年の?良朱香音さん(17)が朗読する。朱香音は難読だが、アカネと読むのだろう。県立首里高校は、旧制県立一中の後身であって、著名な卒業者を輩出している。
そのうちの一人、大田昌秀。一中在学時代に摩文仁で戦闘に参加して多くの級友を失った経験をもち、戦後琉球大学の教授から沖縄県知事となった。その知事の時代に、平和の礎を造っている。
そして、もう一人。ひめゆり学徒隊の引率教官だった仲宗根政善(国語学者・後に琉大副学長)。そのよく知られた歌2首。
南の巖の果てまで守り来て散りにし龍の児雲湧き昇る
岩まくらかたくもあらん安らかにねむれとぞ祈る学びの友は
?良朱香音さんは、先輩たちの心を受け継いで、「あなたがあの時」と題する詩を朗読する。あなたとは、沖縄戦で辛酸を嘗めた一人ひとりの県民である。
◇ ◇ ◇
あなたがあの時
沖縄県立首里高等学校3年 ?良朱香音
「懐中電灯を消してください」
一つ、また一つ光が消えていく
真っ暗になったその場所は
まだ昼間だというのに
あまりにも暗い
少し湿った空気を感じながら
私はあの時を想像する
あなたがまだ一人で歩けなかったあの時
あなたの兄は人を殺すことを習った
あなたの姉は学校へ行けなくなった
あなたが走れるようになったあの時
あなたが駆け回るはずだった野原は
真っ赤っか 友だちなんて誰もいない
あなたが青春を奪われたあの時
あなたはもうボロボロ
家族もいない 食べ物もない
ただ真っ暗なこの壕の中で
あなたの見た光は、幻となって消えた。
「はい、ではつけていいですよ」
一つ、また一つ光が増えていく
照らされたその場所は
もう真っ暗ではないというのに
あまりにも暗い
体中にじんわりとかく汗を感じながら
私はあの時を想像する
あなたが声を上げて泣かなかったあの時
あなたの母はあなたを殺さずに済んだ
あなたは生き延びた
あなたが少女に白旗を持たせたあの時
彼女は真っ直ぐに旗を掲げた
少女は助かった
ありがとう
あなたがあの時
あの人を助けてくれたおかげで
私は今 ここにいる
あなたがあの時
前を見続けてくれたおかげで
この島は今 ここにある
あなたがあの時
勇気を振り絞って語ってくれたおかげで
私たちは 知った
永遠に解かれることのない戦争の呪いを
決して失われてはいけない平和の尊さを
ありがとう
「頭、気をつけてね」
外の光が私を包む
真っ暗闇のあの中で
あなたが見つめた希望の光
私は消さない 消させない
梅雨晴れの午後の光を感じながら
私は平和な世界を創造する
あなたがあの時
私を見つめたまっすぐな視線
未来に向けた穏やかな横顔を
私は忘れない
平和を求める仲間として