明日沖縄「慰霊の日」に、今年も先人の心を受け継ぐ「平和の詩」。
(2020年6月22日)
明日6月23日は、沖縄県が制定した「慰霊の日」である。75年前の1945年6月23日、沖縄戦における日本軍の組織的抵抗終わった日。
沖縄戦は、この上なく痛ましい犠牲を余儀なくさせた国内唯一の地上戦であった。同年3月23日の米艦隊の沖縄本島攻撃をもって沖縄戦開始とされる。米軍は3月26日慶良間諸島に上陸し、さらに4月1日には沖縄本島の中部・北谷(ちゃたん)に上陸した。以来主戦場は南下し続け、首里が占領されても絶望的な戦闘は終わらず、6月23日に至って本島南端の摩文仁に置かれた32軍司令官牛島中将の自決によって、ようやく日本軍の組織的抵抗が終わった。そして、その後も県民の犠牲は続いた。
この間、沖縄県民の多くが軍と行動をともにし、「鉄の嵐」といわれる米軍の苛烈な砲撃に晒され続けた。日本軍の死者9万4000人、住民の死者もほぼ9万4000人とされている。日本軍の死者の中には、沖縄県出身将兵の死者2万8000人が含まれている。
沖縄戦は、本土決戦を控えての「時間稼ぎ」であった。32軍の将兵も沖縄県民も、国体護持のための捨て石にされたのだ。裕仁の「遅すぎた聖断」の犠牲者として記憶されねばならない。
今、最後の激戦地摩文仁には平和祈念公園があり、沖縄戦の戦没者名を刻む「平和の礎」が建立されている。敵味方なく、人種や民族や差別なく、全ての戦没者を平等に追悼する思想に基づくものである。その刻銘には、今回新たに54人が追加され、刻銘総数は24万1468人になったという。
刻銘の数だけのそれぞれの悲劇があり、その家族や友人たちの涙があった。その思いを受け継いで、毎年慰霊の日には、県が主催する沖縄全戦没者追悼式が挙行され、毎年感動的な「平和の詩」が朗読される。
明日の慰霊の日の「平和の詩」は、県立首里高校3年の?良朱香音さん(17)が朗読する。朱香音は難読だが、アカネと読むのだろう。県立首里高校は、旧制県立一中の後身であって、著名な卒業者を輩出している。
そのうちの一人、大田昌秀。一中在学時代に摩文仁で戦闘に参加して多くの級友を失った経験をもち、戦後琉球大学の教授から沖縄県知事となった。その知事の時代に、平和の礎を造っている。
そして、もう一人。ひめゆり学徒隊の引率教官だった仲宗根政善(国語学者・後に琉大副学長)。そのよく知られた歌2首。
南の巖の果てまで守り来て散りにし龍の児雲湧き昇る
岩まくらかたくもあらん安らかにねむれとぞ祈る学びの友は
?良朱香音さんは、先輩たちの心を受け継いで、「あなたがあの時」と題する詩を朗読する。あなたとは、沖縄戦で辛酸を嘗めた一人ひとりの県民である。
◇ ◇ ◇
あなたがあの時
沖縄県立首里高等学校3年 ?良朱香音
「懐中電灯を消してください」
一つ、また一つ光が消えていく
真っ暗になったその場所は
まだ昼間だというのに
あまりにも暗い
少し湿った空気を感じながら
私はあの時を想像する
あなたがまだ一人で歩けなかったあの時
あなたの兄は人を殺すことを習った
あなたの姉は学校へ行けなくなった
あなたが走れるようになったあの時
あなたが駆け回るはずだった野原は
真っ赤っか 友だちなんて誰もいない
あなたが青春を奪われたあの時
あなたはもうボロボロ
家族もいない 食べ物もない
ただ真っ暗なこの壕の中で
あなたの見た光は、幻となって消えた。
「はい、ではつけていいですよ」
一つ、また一つ光が増えていく
照らされたその場所は
もう真っ暗ではないというのに
あまりにも暗い
体中にじんわりとかく汗を感じながら
私はあの時を想像する
あなたが声を上げて泣かなかったあの時
あなたの母はあなたを殺さずに済んだ
あなたは生き延びた
あなたが少女に白旗を持たせたあの時
彼女は真っ直ぐに旗を掲げた
少女は助かった
ありがとう
あなたがあの時
あの人を助けてくれたおかげで
私は今 ここにいる
あなたがあの時
前を見続けてくれたおかげで
この島は今 ここにある
あなたがあの時
勇気を振り絞って語ってくれたおかげで
私たちは 知った
永遠に解かれることのない戦争の呪いを
決して失われてはいけない平和の尊さを
ありがとう
「頭、気をつけてね」
外の光が私を包む
真っ暗闇のあの中で
あなたが見つめた希望の光
私は消さない 消させない
梅雨晴れの午後の光を感じながら
私は平和な世界を創造する
あなたがあの時
私を見つめたまっすぐな視線
未来に向けた穏やかな横顔を
私は忘れない
平和を求める仲間として