本日は、DHCスラップ訴訟の第5回(第1回は被告欠席なので、実質第4回)口頭弁論期日。多数の被告弁護団やご支援の皆様に法廷に詰めかけていただき、心強いことこのうえない。私への応援ではなく、言論の自由や民主主義へのご支援であることは重々心得つつも、まことにありがたいと思う。
次回第6回期日は、来年の2月25日(水)午前10時30分(631号法廷)と指定された。今度も、満席の傍聴をぜひともお願いしたい。僭越ながら、言論の自由や民主主義に成り代わってのお願いを申しあげる。
次回の法廷では原告が準備書面を提出する番となる。おそらくは、これで原被告双方の主張が基本的に出尽くすことになるだろう。しかも、DHC吉田が原告となっている、別件の「8億円授受事件」批判記事についての名誉毀損損害賠償請求訴訟についての第1号判決が1月15日に出ることになっている。当事者双方も裁判所も、これを参考にしながら審理を急ぐことになるだろうと思われる。
もっとも、今のところ裁判所の審理の進め方はこまかな技術面にこだわるものとなって、やむを得ないかと思いつつも、私にはやや不満の残るところ。この事件は、政治的言論の自由の問題として、そのシチュエーションの理解がもっとも大切なところではないか。私のブログのDHC・吉田への批判の記事は、「政治とカネの問題」に関する典型的な政治的言論なのだ。その政治的言論において批判の対象とした人物は、単なる「私人」ではない。まずは一企業のオーナーで大金持ちという社会的な強者である。サプリメントや化粧品という人の健康に関わる商品の製造販売に携わる事業者として社会が関心をもたざるを得ない立場にもある。さらに、公党の党首に巨額の政治資金を注ぎこむという態様で政治や行政に強く深くコミットした「公人」なのである。しかも、自らの事業が厚生行政の監督下にあることを意識して、行政規制の厳しさに不平を募らせている人物。それだけではない。手記を発表して、みんなの党・渡辺喜美への巨額の金員提供を自ら曝露した人物なのだ。その人物が、政治資金規正法に基づく届出のない巨額の金員を、人に知られることなく有力政治家に提供していたというのだ。カネを出す方も受けとる方も、政治理念は「規制緩和」「官僚勢力打倒」で一致していたという。批判を甘受せざるを得ないとするこれだけの舞台装置が整うことも珍しいのではないだろうか。
このように整えられた舞台に立って、私はDHC吉田の渡辺喜美への8億円の提供を批判したのだ。「金の力で政治を歪めるもの」「より大きく儲けるためのもの」との表現はすこぶる真っ当な批判の表現ではないか。何らの論理の飛躍もなく、経験則に違反するところもない。むしろ、民主主義社会の主権者がなすべき適切で必要な言論と言ってよい。当然のこととしてDHC吉田は、この批判を甘受しなければならない。
裁判所には大局を見ての判断を求めたい。政治にまつわるカネの動きを批判する典型的な政治的言論が問題になっていることを十分に認識のうえ、憲法21条の趣旨に立脚した審理を願いたい。
今回の法廷では被告準備書面(4)が提出され、光前弁護団長から要旨が陳述された。今回に限らず、毎回の被告準備書面がとても充実している。言論の自由の問題にしても、政治とカネの問題にしても、被告準備書面はよく書き込んでいると思う。法廷と報告集会とが、憲法理念の教室になり得ているという充実感がある。ここまでの書面提出で、私はゆったりと安心の気持になっている。私は、大船に乗った気持で、よい正月を迎えることができそうだ。
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DHCスラップ訴訟被告準備書面(4)要約
第1 「事実の摘示」と「論評」の区別についての総論
1 政治批判に関する言論の自由の重要性
本件に好個の参考判例として陸山会報道事件東京地裁判決を引用して論じる。
「憲法21条1項が保障する言論、出版その他一切の表現の自由は、基本的人権のうちでも特別に重要なものであり、特に、国政に関わる国会議員の政治的姿勢、言動等に関しては、国民の自由な論評、批判が十二分に保障されなければならないことは、民主国家の基本中の基本である。不法行為としての名誉毀損は、人の社会的評価に係る問題であるが、個人の立場には様々なものがあるのであり、特に政治家、とりわけ国会議員は、単なる公人にすぎないものではない。議員は、芸能人や犯罪被疑者とは異なるのであり、その社会的評価は、自由な表現、批判の中で形成されなければならないのであって、最大限の自由な論評、批判に曝されなければならない。このことは、論評としての域を逸脱していないかどうかについての判断に際しても、特に留意すべき事柄であり、いやしくも裁判所が、限定のない広範な情報の中で形成されるべき自由な政治的意見の形成過程に介入し、損害賠償の名のもとにこれを阻害することはあってならない」
本件ブログは、富裕者による政治家に対する多額の裏資金提供という、よりダイレクトに「政治とカネ」という民主主義制度の根幹にわたる問題に関する記事の正当性、公益性が論じられている事案である。政治家への裏資金の授受をテーマとしたブログであるから、批判の対象は、金銭の提供を受けた政治家とともに、政治家に巨額の資金を交付して国の政策を左右しようとする富裕者である。しかも、行政の規制を桎梏と表明している大企業のオーナー経営者である。
公人たる政治家にかかわり、多額の資金を交付して国の政策を左右しようとする実業家や資本家にも、国民の自由な表現による批判が最大限保障されなければならないことは理の当然というべきである。政治家への批判の言論の自由を「民主国家の基本中の基本」として、これを手厚く保障すべきとする理由は、そのまま本件にも当てはまる。
2 ブログ全体の記載をふまえて違法性が判断されるべきこと
また、同東京地裁判決は、違法性の判断方法について次のとおり述べている。
「雑誌記事が名誉毀損の不法行為を構成するかどうか、それが違法であるかどうかを検討するに際しては、当該記事全体を読んだことを前提として、一般の正常な読者の普通の注意と読み方とを基準に判断すべきものであり、これを読まないまま、断片的な文言を偶々目にした者による迂闊な印象いかんを想像して、このような感じ方をする者がいるかもしれないというだけで名誉毀損の成否を判断することは許されないというべきである。」
3 名誉毀損における事実の摘示と論評の区別について
「摘示された事実による名誉毀損と一定の事実に基づく意見、論評による名誉毀損とは、社会的評価を低下させると認められる表現が摘示された事実自体によるものであるか、それとも意見、論評部分によるものであるかによって区別されるべきであり、上記区別は、一般の読者の普通の注意と読み方によって当該記事を解釈することにより行うべきものであると解するのが相当である。」
主張対照表の記載に明示したとおり、原告らが「原告らの社会的評価を低下させる」と主張する被告ブログの表現のすべては、「一般の読者の普通の注意と読み方によって当該記事を解釈」する限り、「摘示された事実自体」ではなく、真実もしくは真実相当性を具備した事実に基づく、きわめて常識的で合理的な「意見、論評」であることは明らかというべきである。
以上を前提として、当該各意見論評の前提となる事実及びその証拠方法について以下のとおり特定する。(以下略)
(2014年12月24日)
私自身が被告となっている「DHCスラップ訴訟」の次回口頭弁論期日の日程が間近になってまいりました。法廷傍聴と法廷後の報告集会について再度のご案内を申し上げます。
12月24日(水)午前11時? 口頭弁論
東京地裁631号法廷(霞ヶ関の裁判所庁舎6階南側)
同日11時30分? 報告集会
弁護士会館5階・東京弁護士会508号室
前回期日での裁判長からの指示に基づいて、被告が準備書面を陳述することになります。その内容については、12月12日「憲法日記」(第30弾)をご覧ください。
https://article9.jp/wordpress/?p=4008
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再三言ってきたことだが、私には水に落ちた犬を打つ趣味はない。多分人間が甘いのだ。石原慎太郎も猪瀬直樹も徳田虎雄も既に水に落ちている。今さら、打つ気にはなれない。
渡辺喜美も水に落ちた。今や散々の体たらくである。みんなの党は分裂し、彼は代表を降りざるを得なくなった。その後党執行部と対立し、身動きできなくなったみんなの党は解散、そしてこの度の無所属立候補での落選。小選挙区で落ちれば、比例復活の目はない無所属出馬の無念を体現した。
渡辺は、既にバッジを外したタダの人である。その失意の身に、追い打ちをかけるがごとき東京地検特捜の事情聴取。人生ままならないと悲哀をかこつ身となっている。だが、渡辺に限っては同情しない。特捜よ、手をゆるめずにもっと打つべしと、声を掛けたい心境。捜査が、まだ水に落ちぬ者への身辺にまで及ぶことに期待してのことである。
ようやくにして8億円授受事件の経過が捜査機関の手によって解明されようとしている。この捜査を中途半端なものに終わられてはならない。8億円という巨額の政治資金が、たまたま週刊新潮の吉田手記があったから明るみに出た。あの手記がなければ、「裏金」は裏のままでひっそりとその存在が世に知られることはなく、そのカネでみんなの党は政治活動をおこなったのだ。この「裏金」が政治資金である以上は、その授受と非公開が政治資金規正法の理念に反していることに疑いはない。
政治資金の動きには透明性が求められる。透明性が確保されてはじめて、「政治がカネで歪められていないか」について国民の監視と批判が可能となる。透明性を確保して、政治とカネとの関係を国民の不断の監視と批判に曝すべきことこそが、政治資金規正法の基本理念である。
現実に著しく透明性を欠く巨額の政治資金の授受があった。この事実が「裏金」として伏せられていたことについては、政治資金として金銭を受領した政治家だけでなく、政治資金を提供したスポンサーの側にも批判がおよぶべきは理の当然ではないか。心ある国民が、一党の党首である渡辺に巨額の金を提供して政治を動かそうとした、DHC・吉田の思惑に多大の関心をもっている。その関心に応え、資金提供者の思惑の如何を検証すべきは捜査機関の任務というべきである。
渡辺に対する捜査の進展が吉田の思惑をも解明して、「政治資金の提供として政治献金であれば違法なところ、貸金だから違法性を欠く」という渡辺・吉田共通の弁明に切り込んでもらいたい。そこまで踏み込まずして、検察に対する国民の信頼は成り立ち得ない。
今、DHCスラップ訴訟は、新たな状況において、新たな意味合いを帯びるに至っている。
ぜひ、法廷を傍聴のうえ、報告集会の意見交換にもご参加いただきたい。政治的言論の自由を確保するためにも、政治がカネで歪められることを繰り返させないためにも。
(2014年12月22日)
私自身が被告となっている「DHCスラップ訴訟」の次回口頭弁論期日の日程が間近になってまいりました。法廷傍聴と報告集会のご案内を申し上げます。
12月24日(水)午前11時? 口頭弁論
東京地裁631号法廷(霞ヶ関の裁判所庁舎6階南側)
同日11時30分? 報告集会
場所は東京弁護士会室508号室(弁護士会館5階)
今回の法廷では、前回期日での裁判長からの指示に基づいて、被告が準備書面を陳述することになります。まず、裁判所から求められた準備書面の内容は以下のとおりです。
☆前々回(9月17日)の期日に、裁判長は原被告の双方に対して「主張対照表」のフォーマットへの書き込みを指示しました。「現在、東京地裁での名誉毀損訴訟の審理においては、通常このような対照表を作成するかたちで行っていますので」とのコメントを付してのことでした。
☆ところで、名誉毀損訴訟の事案類型は、「事実摘示型」と「論評型」の2類型に大別されます。「事実摘示型」は、特定の人物の「社会的評価を低下させる事実」を摘示(曝露)するタイプの言論を違法と主張するもの。「論評型」は、既知の事実を前提とした批判(評価)の言論を違法と主張するもの。各々の判断枠組みが異なります。この対照表のフォーマットは、「事実摘示型」の審理に親和性をもつもののように思われるものとなっています。
☆これまで原告は、私のブログの文言を寸断して、「あれも事実の摘示」「これも事実の摘示」と言ってきました。これに対して、被告は「事実の摘示ではない」「全ては、原告吉田が週刊誌に告白した事実と社会的に周知されている事実から合理的に推論した意見ないし論評である」と反論してきました。
ちなみに、事実摘示型の言論は原則として違法とされ、違法性を阻却される要件が充足されるかという観点で審理が進行します。違法性阻却事由は、(1)当該の言論が公共に係るもので、(2)もっぱら公益をはかる目的でなされ、(3)かつ、その内容が真実である(あるいは真実であると信じるについて相当の理由がある)場合とされます。
「(1)公共性、(2)公益性、そして(3)真実性(ないし相当性)」の3要件と定式化されているものです。この3要件を充たして初めて、他人の名誉を毀損し、社会的評価を低下させる言論が違法ではなくなって許容されるという枠組みなのです。
これに対して、論評型では、「事実について述べることとは違って、意見や見解を述べることは自由」という原則をもって処理されます。問題とされている言論の真実性や真実相当性が問題となる余地はなく、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱」していない限りは違法性がないと判断されることになります。
名誉毀損事件の圧倒的多数は事実摘示型です。芸能人やスポーツ選手のスキャンダル報道がその典型。特ダネ・スクープと言われるすっぱ抜き報道も事実摘示です。本件で、私が週刊新潮の記事以前に「DHC吉田から、渡辺喜美に8億円の金が密かに渡っていていた」とすっぱ抜けば紛れもない「事実摘示型」。その摘示事実が真実であることの立証が最大の問題となるところ。しかし、8億円授受の事実をすっぱ抜いたのは吉田自身ではありませんか。私は、その事実に基づいてごく常識的な意見を言ったに過ぎません。私の言論は、既知の事実を前提とする論評なのですから、表現内容の真実性や相当性を問題にする余地はありません。原告が私のブログを名誉毀損だと主張すれば、典型的な「論評型」の訴訟となるわけです。
この「事実摘示型」「論評型」との分類は、決して形式論理に基づくものではなく、憲法21条の表現の自由を重視しつつ、表現によって名誉を侵害される人の人格的価値の尊重とのバランスをどうとるべきかという観点から生まれてきた審理方法なのです。
☆原告は、何が何でも私の言論を封じることが目的ですから、従前の通りにこの主張対照表に「あれも事実の摘示」「これも事実の摘示」と書き込みました。これに対して、被告は「すべては原告吉田自身が週刊誌に告白した事実から合理的に推論した論評である」と書き込みました。結局は、対照表の作成にさしたる意味はなかったことになります。
☆前回(11月12日)の法廷では、裁判長はさらに、被告に対して「論評が前提とする事実を、『吉田が週刊誌に告白した事実』というだけではなく、もっと特定していただきたい」というものとなりました。裁判所の求めているところや、裁判所の考え方などを明確化するためのやり取りをかなり長時間続けて、裁判所の基本的な枠組みについての考え方が、常識的なものと確認できたので、被告弁護団はその指示に従うことを了解しました。
☆もっとも、被告本人の私には、裁判所の訴訟指揮に釈然としないものが残ります。本件は、企業経営者が8億円もの巨額のカネを政党の党首に注ぎこんだことに対する批判の言論です。その行為は、民主主義の政治過程を金の力で歪めてはならないとの観点から批判し、社会に警告を発したものです。しかも、その企業経営者は、サプリメントや化粧品の製造販売の事業を営み、常々厚生行政や消費者行政に服する立場にあって、その行政による監督の厳格さに不平不満を募らせていた人物なのです。しかも、本来このような政治に注ぎこまれるカネについては、本来公開されて批判の対象としなければならないとするのが政治資金規正法の基本理念。原告吉田の行為は、渡辺喜美の行為とともに批判されて当然というのではなく、それ自体強い批判を必要とするものと信じて疑いません。
☆もし仮に、私のブログに掲載された言論が、いささかでも違法ということになれば、およそ政治的な言論は成り立たなくなります。同種のスラップ訴訟が頻発することとなるでしょう。これを恐れたジャーナリズム総萎縮の事態が出来することとならざるを得ません。批判の言論は封じられ、おべんちゃらの言論だけが横行します。それは、憲法21条が画に描いた餅になることを意味しています。まがまがしい民主主義衰退の未来図以外の何ものでもありません。
☆次回期日に陳述予定の被告準備書面(4)は、そのような基本視点から、本件を飽くまで論評型として審理するよう迫る内容となっています。具体的には、報告集会で弁護団から詳しく解説されることになります。
どうぞ、法廷傍聴と報告集会にお越しください。
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別件のご報告です。
私と同じ弁護士ブロガーで、私と同様にDHC・吉田の8億円拠出をブログで批判して、私と同じ日(本年4月16日)にDHCと吉田から名誉毀損損害賠償請求の提訴を受けた人がいます。提訴の請求金額は2000万円。当初の私に対する請求金額と同額です。その方の係属部は東京地裁民事第30部。そして、その人の場合は、「サクサクと審理を進め、早期に勝訴判決を獲得」という方針で、証拠調べ期日を設けることなく、10月16日に早くも結審しました。結審3か月後の15年1月15日に判決言い渡しが予定となっています。この判決に注目せざるを得ません。
また、DHCと吉田は「8億円授受事件」の批判的報道に関して、2件の仮処分命令申立を行っています。いずれも、東京地裁民事9部(保全事件専門部)で却下され、さらに東京高裁の抗告審でも敗訴しています。つまり計4回の決定がDHC吉田の主張を一蹴しているのです。彼らの濫訴は明らかといってよいと思います。
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『DHCスラップ訴訟』ご報告
《経過》(問題とされたのは下記ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」)
ブログ 3月31日 「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
4月 2日 「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
4月 8日 政治資金の動きはガラス張りでなければならない
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12 『DHCスラップ訴訟』関連記事
4月16日 原告ら提訴(原告代理人 山田昭・今村憲・木村祐太)
係属は民事24部合議A係 石栗正子裁判長
事件番号平成26年(ワ)第9408号
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
6月12日 弁護団予備会議(参加者17名・大型弁護団結成の方針を確認)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
この席で原告訴訟代理人から請求拡張予定の発言
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾」
第1弾?第4弾 「いけません 口封じ目的の濫訴」「万国のブロガー団結せよ」「言っちゃった カネで政治を買ってると」「弁護士が被告になって」(7月13?16日) 現在30弾まで
7月16日 原告準備書面1 第1弾?第3弾に対して「損害拡大」の警告
7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生提言)
8月13日 被告準備書面(1) ・委任状・意見陳述要旨提出。
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
被告本人・弁護団長意見陳述。
11時? 東弁508号室で報告集会(北健一氏・田島先生ご報告)
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 準備書面2提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」と、8月8日「第15弾」
9月12日 DHCから(株)テーミスに対する訴え(35部)取り下げ。
9月16日 被告準備書面(2) 提出
9月17日 10時30分 705号法廷 第3回(実質第2回)弁論期日。
11時? 東弁507号室で報告集会(スラップ被害者の報告)
10月28日 原告準備書面3 主張対照表(原告主張部分)提出
11月10日 被告準備書面(3) 主張対照表(被告主張部分)提出
11月12日 10時? 631号法廷 第4回(実質第3回)口頭弁論
11時? 第一東京弁護士会講堂で報告集会(三宅勝久氏報告)
12月24日 11時? 631号法廷 第5回(実質第4回)口頭弁論
11時30分? 東弁508号室で報告集会兼弁護団会議
※ 弁護団・経過報告(光前弁護団長)
※ 意見交換
テーマ1 審理の進行について
本日までの審理の経過をどう見るか。
今後の主張をどう組み立てるか。
テーマ2 反訴の可否とタイミングをどうするか。
テーマ3 今後の立証をどうするか。
テーマ4 DHCスラップ他事件との連携をどうするか。
テーマ5 マスコミにどう訴え、どう取材してもらうか
《この事件をどうとらえるか》
*政治的言論に対する封殺訴訟である。
*言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評 「カネで政治を買う」ことへの批判
*具体的には、サプリメント規制緩和(機能表示規制緩和問題)を求めるもの
*言論妨害の主体は、権力ではなく、経済的社会的強者
*言論妨害態様が、高額損害賠償請求訴訟の提訴(濫訴)となっている。
*ブログというツールが国民を表現の自由の権利主体とする⇒これを育てたい
*強者が訴権を濫用することの問題点
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『DHCスラップ訴訟』応訴にご支援を
このブログに目をとめた弁護士で、『DHCスラップ訴訟』被告弁護団参加のご意思ある方は東京弁護士会の澤藤(登録番号12697)までご連絡をお願いします。
また、訴訟費用や運動費用に充当するための「DHCスラップ訴訟を許さぬ会」の下記銀行口座を開設しています。ご支援のお気持ちをカンパで表していただけたら、有り難いと存じます。
東京東信用金庫 四谷支店
普通預金 3546719
名義 許さぬ会 代表者佐藤むつみ
(カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)
(2014年12月12日)
本日、私が被告になっている「DHCスラップ訴訟」(東京地裁民事第24部)の第4回(実質第3回)口頭弁論が開かれた。
前回(9月17日)の期日では、裁判長は原被告の双方に「主張対照表」の作成を指示した。「現在、東京地裁での名誉毀損訴訟の審理においては通常このような対照表を作成するかたちで行っていますので」とのコメントを付しての指示であった。
名誉毀損訴訟の事案類型は、「事実摘示型」と「論評型」の2類型に大別される。
前者は、特定の人物の「社会的評価を低下させる事実」を摘示(曝露)するタイプの言論を違法と主張するもの。後者は、既知の事実を前提とした批判(評価)の言論を違法と主張するもの。各々の判断枠組みが異なる。
事実摘示型の言論は原則として違法とされ、違法性を阻却される要件が充足されるかという観点で審理が進行する。違法性阻却事由は、(1)当該の言論が公共に係るもので、(2)もっぱら公益をはかる目的でなされ、(3)かつその内容が真実である(あるいは真実であると信じるについて相当の理由がある)場合とされる。(1)公共性、(2)公益性、そして(3)真実性(ないし相当性)と定式化される。この3点を充たして始めて、他人の名誉を毀損する言論が許容されるという枠組みでの判断なのだ。
これに対して、論評型では、問題とされている言論の真実性や真実相当性が問題となる余地はなく、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱」していない限りは違法性がないとされる。
本件において対照表を作成することに、さしたる意味はない。原告は、私のブログの文言を寸断して、「これも事実の摘示」「あれも事実の摘示」という。これに対して、被告は「事実の摘示であることを争う」「全ては、原告吉田が週刊誌に告白した事実と社会的に周知されている事実から合理的に推論した論評である」と反論する。
もちろん、本件名誉毀損訴訟は典型的な「論評型」と理解しなければならない。DHC吉田嘉明からみんなの党渡辺喜美に8億円ものカネが渡されていたことを曝露したのは私のブログではない。吉田自らが週刊誌で曝露したことなのだ。私は、吉田の手記を前提に論評したに過ぎない。つまりは、論評の前提となる事実は、吉田自身が提供したものなのだ。仮に吉田手記が真実でないと仮定しても、私が真実と信じるについて相当な理由があることは明白である。私の言論は、既知の事実を前提とする論評なのだ。
本日の裁判所の仕切は、被告に対して「論評が前提とする事実を、『吉田が週刊誌に告白した事実』というだけではなく、もっと特定していただきたい」というものだった。裁判所の求めているところや、裁判所の考え方などを明確化するためのやり取りがかなり長時間続いたが、裁判所の基本的な枠組みについての考え方が、常識的なものと確認できたので指示に従うことを了解した。
とは言うものの、釈然としないものが残る。本件は、8億円ものカネを政党の党首に注ぎこんだ人物を対象に、その行為を民主主義の政治過程を金の力で歪めてはならないとの観点から批判し、社会に警告を発したものである。私のこのような言論が、仮に、いささかでも違法というのであれば、およそ政治的言論は成り立たなくなる。同種のスラップ訴訟が頻発することとなり、これを恐れたジャーナリズム総萎縮の事態が出来することとならざるを得ない。それは、憲法21条が画に描いた餅になることを意味している。民主主義の衰退の由々しき事態でもある。
裁判所には、そうさせないための訴訟指揮を期待したい。
次回の口頭弁論期日は、年末ぎりぎり12月24日午前11時?11時30分。631号法廷である。
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法廷終了後、第一東京弁護士会の講堂を借りて、報告集会を行った。
弁護団長の経過説明のあと、三宅勝久さんの「『名誉毀損裁判』という訴訟テロにどう立ち向かうか」という報告に耳を傾けた。
三宅さんは、武富士の記事を書いて1億1000万円の損害賠償請求訴訟の被告となったジャーリスト。三宅さんは、スラップ訴訟という言葉を使わない。生々しさがないという。「訴訟テロ」という表現がぴったりだという。
印象に残ったのは、不当な恫喝目的訴訟には逆効果を突きつけなければならない、という提言。具体的には下記の5点を挙げた。
1 訴訟テロの被害者は、屈することなく、脅しには効果がないという断固たる姿勢をみせる。
2 訴訟テロを起こすことが、真っ当ではない企業だという評判が広がり、業績が落ちる。株価も落ちる。
3 訴訟(反訴)を通じて、訴訟テロ企業に関するより多くの問題を明らかにする。消費者被害、労働被害を発掘し、社会にあらたな話題を提供する。
4 訴訟テロ企業を支援したり、脅しに屈しているメディアが、相応の社会的批判を受ける結果となる。
5 訴訟テロ支援弁護士が社会的に批判を浴び、同様の仕事をしにくくなる。
訴訟提起が言論の沈黙や萎縮をねらっているのだから、決して沈黙してはならない。萎縮してもならないのだと思う。
なお、8億円事件の金銭交付側批判の言論を対象とする「DHCスラップ訴訟」は、私を被告とする事件を含め計10件ある。そのうち、1件(東京地裁民事第35部係属事件)が訴えの取り下げで終了している。そして、1件(同30部係属事件)が10月16日第4回口頭弁論で終結して1月15日に判決の言い渡しが予定されている。証拠調べなく、結審したことから、事件が論評型として審理を遂げたものと推測して間違いはなさそうであるし、被告側の勝訴も動かしがたいところ。
私の件について直ちに訴権の濫用として訴えの却下が現実的でないとすれば、むしろじっくりと吉田嘉明原告尋問と渡辺喜美証人尋問によって8億円授受の動機や思惑を徹底して明らかにすべきというのが、弁護団結成以来の確認となっている。
主張整理の経過を見つつ、別件の判決内容にも注目しながら、立証計画を具体化すべき時期にさしかかってきている。
それにしても、今回も多くの弁護士と支援の方々に法廷にまで足を運んでいただき、また集会にもご参加いただいた。
厚く感謝を申し上げます。次回もよろしくお願いします。
(2014年11月12日)
私が被告となっているDHCスラップ訴訟次回口頭弁論期日の日程が明後日になりました。念のため、確認のご連絡です。
11月12日(水)午前10時? 口頭弁論
法廷は東京地裁631号(霞ヶ関の裁判所庁舎6階南側)。
同日10時30分? 報告集会
場所は第一東京弁護士会講堂(弁護士会館12階)
(法廷も集会も、いつもと違いますので、お間違えなく)
今回の法廷では、今後の審理の方向が決まると思われます。方向というのは、証拠調べ手続きに期日の回数を重ねなければならない訴訟になるか。証拠調べは比較的簡単に済ませるものになるか、です。その意味では、重大な期日になるかも知れません。
報告集会では、口頭弁論期日での裁判所の姿勢を踏まえて、今後の進行についての意見交換をしたいと思います。
そして、今回の報告集会では、スラップ訴訟の苦い被害経験と貴重な完全勝利の経験の両者をお持ちのフリージャーナリスト三宅勝久さんに貴重なお話しを伺うことにいたします。
三宅さんは、「週刊金曜日」に書いた記事によって、あの武富士から5500万円のスラップ訴訟を提起されました。しかもその請求金額は、審理の途中から倍の1億1000万円に増額されたのです。この裁判の苦労たるやたいへんなもの。貴重な時間と労力と、そして訴訟にかかる費用の凄まじさ。三宅さんは、財力ある者が金に飽かせて不当訴訟を浴びせることで生じる苦痛の生き証人というべきでしよう。
しかし、幸いにして三宅さんは完全勝訴をします。被告とされた事件の勝訴だけでなく、武富士の提訴を不法行為とする攻守ところを変えた訴訟でも勝訴します。その経過を通じての苦労だけでなく、スラップ訴訟対応のノウハウも、スラップ防止の制度をどう作るべきかご意見も伺いたいところです。期待いたしましょう。
なお、別件のご報告です。
私と同じ弁護士ブロガーで、私と同様にDHC・吉田への8億円拠出をブログで批判して、私と同じ日(本年4月16日)にDHCと吉田から名誉毀損損害賠償請求の提訴を受けた人がいます。提訴の請求金額は2000万円。当初の私に対する請求金額と同額です。その方の係属部は東京地裁民事第30部。そして、その人の場合は、「サクサクと審理を進め、早期に勝訴判決を獲得」という方針で、10月16日に早くも結審しました。結審3か月後の15年1月15日に判決言い渡しが予定となっています。
本件のごときスラップ訴訟で原告の請求が認容されることは、万に一つもあり得ないところですが、問題は勝ち方。ここはきっちりと勝たねばなりません。こだわる勝ち方というのは、名誉毀損のパターンには「事実摘示型」と「論評型」との2類型ががありますが、その「論評型」の典型として勝ちたいのです。
名誉毀損訴訟は、原告の「人格権(名誉権)」と被告の「言論の自由」という、それぞれが有する憲法価値が角逐します。裁判所はどちらかに軍配を上げなければなりません。当然のことながら、名誉権にも言論の内容にも軽重があり、局面ごとにこの両者を調整する視点も変わってきます。「事実摘示型」では、主として原告が「社会に知られたくない事実」を曝露する言論についての裁判所の判断枠組みです。その場合は、原則違法で、(1)当該の言論が公共に係るもので、(2)もっぱら公益をはかる目的でなされ、(3)かつその内容が真実、あるいは表現者が真実であると信じるについて相当の理由がある場合には、違法性が阻却されて、言論の自由が勝つという構造になります。真実性や真実相当性の立証に、被告は汗をかかなければなりません。
これに対して、「論評型」では、言論の自由の側からものを見て、真実性や真実相当性が問題となる余地はなく、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱」していない限りは違法性がないことになります。政治的言論、しかも「政治とカネ」のテーマについて、縦横に批判の自由が認められないはずがありません。
前回以後の書面の交換は、このような意見の応酬となっています。本件を「公正な論評」の典型事例として、最大限に政治的言論の自由を認める、きっちりした勝訴判決を得たいと思います。是非とも、法廷傍聴と報告集会にお越しください。
(2014年11月10日)
私が被告となっているDHCスラップ訴訟次回口頭弁論期日の日程は以下のとおりです。
11月12日(水)午前10時? 口頭弁論
法廷は東京地裁631号(霞ヶ関の裁判所庁舎6階南側)。
同日10時30分? 報告集会
場所は第一東京弁護士会講堂(弁護士会館12階)
(法廷も集会も、いつもと違いますので、お間違えなく)
今回の法廷では、今後の審理の方向が決まると思われます。方向というのは、証拠調べ手続きに期日の回数を重ねなければならない訴訟になるか。証拠調べは比較的簡単に済ませるものになるか、です。その意味では、重大な期日になるかも知れません。
報告集会では、口頭弁論期日での裁判所の姿勢を踏まえて、今後の進行についての意見交換をしたいと思います。
そして、今回の報告集会では、スラップ訴訟の苦い被害経験と貴重な完全勝利の経験をともにお持ちのフリージャーナリスト三宅勝久さんに貴重なお話しを伺うことにいたします。
三宅さんは、「週刊金曜日」に書いた記事によって、あの武富士から5500万円のスラップ訴訟を提起されました。しかもその請求金額は、途中から倍の1億1000万円に増額されたのです。この裁判の苦労たるやたいへんなもの。貴重な時間と労力と、そして訴訟にかかる費用の凄まじさ。三宅さんは、財力ある者が金に飽かせて不当訴訟を浴びせることで生じる苦痛の生き証人というべきでしよう。
しかし、幸いにして三宅さんは完全勝訴をします。被告とされた事件の勝訴だけでなく、武富士の提訴を不法行為とする攻守ところを変えた訴訟でも勝訴します。その経過を通じての苦労だけでなく、スラップ訴訟対応のノウハウも、スラップ防止の制度をどう作るべきかご意見も伺いたいところです。期待いたしましょう。
なお、別件のご報告です。
私と同じ弁護士ブロガーで、私と同様にDHC・吉田への8億円拠出をブログで批判して、私と同じ日(本年4月16日)にDHCと吉田から名誉毀損損害賠償請求の提訴を受けた人がいます。提訴の請求金額は2000万円。当初の私に対する請求金額と同額です。その方の係属部は東京地裁民事第30部。そして、その人の場合は、「サクサクと審理を進め、早期に勝訴判決を獲得」という方針で、10月16日に早くも結審しました。結審3か月後の15年1月15日に判決言い渡しが予定となっています。
本件のごときスラップ訴訟で原告の請求が認容されることは、万に一つもあり得ないところですが、問題は勝ち方。ここはきっちりと勝たねばなりません。こだわる勝ち方というのは、名誉毀損のパターンには「事実摘示型」と「論評型」との2類型ががありますが、方針としては、「論評型」の典型として勝ちたいのです。
名誉毀損訴訟は、原告の「人格権(名誉権)」と被告の「言論の自由」という、それぞれが有する憲法価値が角逐します。裁判所はどちらかに軍配を上げなければなりません。当然のことながら、名誉権にも言論の内容にも軽重があり、局面ごとにこの両者を調整する視点も変わってきます。「事実摘示型」では、主として原告が社会に知られたくない事実を曝露する言論についての裁判所の判断枠組みです。その場合は、原則違法で、(1)当該の言論が公共に係るもので、(2)もっぱら公益をはかる目的でなされ、(3)かつその内容が真実、あるいは表現者が真実であると信じるについて相当の理由がある場合には、違法性が阻却されて、言論の自由が勝つという構造になります。真実性や真実相当性に、被告は汗をかかなければなりません。
これに対して、「論評型」では、言論の自由の側からものを見て、真実性や真実相当性が問題となる余地はなく、「人心攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱」していない限りは違法性がないことになります。政治的言論、しかも「政治とカネ」のテーマについて、縦横に批判の自由が認められないはずがありません。
本件を「公正な論評」の典型事例として、最大限に政治的言論の自由を認める、きっちりした勝訴判決を得たいと思います。是非とも、法廷傍聴と報告集会にお越しください。
(2014年10月31日)
お招きいただき、ジャーナリストの皆様にお話をする機会を与えていただいたことに感謝申し上げます。
私は現役の弁護士なのですが、二つの「副業」をしています。一つはブロガーで、もう一つは「被告」という仕事です。この二つの副業が密接に関連していることは当然として、実は本業とも一体のものだというのが、私の認識です。
私は、「澤藤統一郎の憲法日記」というブログを毎日書き続けています。盆も正月も日曜祝日もなく、文字どおり毎日書き続けています。安倍政権が成立して改憲の危機を感じ、自分なりにできることをしなければという思いからの発信です。改憲阻止は、私なりの弁護士の使命に照らしての思いでもあります。
憲法は紙に書いてあるだけでは何の値打ちもありません。憲法の理念をもって社会の現実と切り結ぶとき、初めて憲法は生きたものとなります。そのような視点から、ブログでは多くの問題を取り上げてきました。そのテーマの一つに、政治とカネの問題があります。「政治に注ぎこむカネは見返りの大きな投資」「少なくとも、商売の環境を整えるための保険料の支払い」「結局は政治は金目」というのが、有産階級とその利益を代弁する保守政治家の本音なのです。健全な民主主義過程の攪乱要素の最大のものは、政治に注ぎこまれるカネ。私はそう信じて疑いません。
「カネで政治は買える」「カネなくして、人は動かず票も動かない」という認識のもと、大企業や大金持ちは政治にカネを注ぎこみたくてならない。一方、政治家はカネにたかりたくてならない。この癒着の構造を断ち切って、富裕者による富裕者のための政治から脱却しなければならない。
カネで政治を動かすことが悪だというのが、私の信念。カネを出す方、配る方が「主犯」で罪が深く、カネにたかる汚い政治家は「従犯」だと考えています。だから、カジノで儲けようとして石原宏高に便宜を図ったUE社、医療行政の手心を狙って猪瀬にカネを出した徳洲会を批判しました。同様に、みんなの党・渡辺喜美に巨額の金を注ぎこんだDHCも批判しました。
メディアの多くが「渡辺喜美の問題」ととらえていましたが、私は「DHC・渡辺」問題ではないか、と考えていました。どうして、メデイアは渡辺を叩いて、DHCの側を叩かないのか、不思議でしょうがない。で、私は、3度このことをブログに書きました。そうしたところ、DHCと吉田嘉明から、私を被告とする2000万円の損害賠償請求の訴状が届きました。以来、二つ目の副業が始まりました。
2000万円の提訴には不愉快でもあり驚きもしましたが、要するに「俺を批判すればやっかいなことになるぞ」「だから、黙っておれ」という意思表示だと理解しました。人を黙らせるためには、相手によっては脅かして「黙れ」ということが効果的なこともあります。私の場合は、「黙れ」と言われたら黙ってはおられない。「DHCと吉田は、こんな不当な提訴をしている」「これが、批判を封じることを目的とした典型的なスラップ訴訟」と、提訴後繰りかえしブログに記事を書きました。これまで25回に及んでいます。
黙らない私に対して、DHCと吉田は2000万円の損害賠償請求額を、増額してきました。今のところ、6000万円の請求になっています。もちろん、私は、口をつぐんで批判の言論を止めるつもりはない。もしかしたら、請求金額はもっともっと増えるかも知れません。
私は、DHCと吉田の提訴は、日本のジャーナリズムにとって看過し得ない大きな問題だと考えています。メデイアも、ジャーナリストも、傍観していてよいはずはありません。本日はそのことを訴えたいのです。
DHCと吉田の提訴は、明らかに言論の封殺を意図した提訴です。高額の損害賠償請求訴訟の濫発という手段で、自分に対する批判の言論を封じようというのです。弁護士の私でさえ、提訴されたことへの煩わしさには辟易の思いです。フリーのジャーナリストなどで同様の目に遭えばさぞかしたいへんだろうと、身に沁みて理解できます。金に飽かしての濫訴を許していては、強者を批判するジャーナリズム本来の機能が失われかねません。
しかも、DHC・吉田が封じようとしたものは、政治とカネの問題をめぐる優れて政治的な言論です。やや具体的には、典型的な「金持ちと政治家とのカネを介在しての癒着」を批判する言論なのです。明らかに、DHC・吉田は、自分を批判する政治的言論の萎縮をねらっています。問題はすでに私一人のものではありません。政治的言論の自由が萎縮してしまうのか否かの問題となっているのです。メディアが、あるいはジャーナリストが、私を被告にするDHC側の提訴を批判しないことが、また私には不思議でならない。
いま、吉田清治証言紹介記事の取消をきっかけに、朝日バッシングの異様な事態が展開されています。首相の座にいる安倍晋三が河野談話見直し派の尖兵であったことは、誰もが知っているとおりです。歴史修正主義者が大手を振う時代の空気に悪乗りした右翼が、「従軍慰安婦」報道に携わった元朝日の記者に脅迫状を送ったり、脅迫電話を掛けたりしています。
靖国派と言われる閣僚や政治家たち、そして匿名のネット記事で悪罵を投げ続けている右翼たち。こういう連中に、悪罵や脅迫は効果がないのだということを分からせなければなりません。大学に対して、「朝日の元記者を、教員として採用することをやめろ」という脅迫があれば、大学も市民も元記者を守り抜いて脅迫をしても効果がないもの、徒労に終わると分からせなければなりません。万が一にも、「脅かせば脅かしただけの効果がある」「退職強要が成功する」などいう「実績」を作らせてはならないと思うのです。
DHC・吉田の提訴にも、ジャーナリズムが挙って批判の声を上げることが大切だと思います。DHCは私の件を含め10件の訴訟を起こしました。異常というしかありません。これを機に、わが国でもスラップ訴訟防止のための法制度や制裁措置を定めるべきことを検討しなければならないと思います。
それと並んで、本件のようなスラップ訴訟提起を、それ自体がみっともなく恥ずかしい行為だという社会の合意を作らねばなりません。健全な民主的良識を備えた者、多少なりとも憲法感覚や常識的な法意識を持った者には、決してスラップ訴訟などというみっともないことはせぬものだ。仮に、黙っておられない言論があれば、言論には言論をもって対抗すべきという文化を育てなければならないと思うのです。それには、あらゆるメデイアが、ジャーナリストが、本件スラップ訴訟を傍観することなく、批判を重ねていただくことに尽きると思います。そうしなければ、日本のメディアは危ういのではないか、本気で心配せざるを得ません。
はからずも、私はその事件当事者の立場にあります。ぜひ、皆様のご支援をよろしくお願いします。
(2014年10月24日)
滅多にないことだが、時に寸鉄人を刺すごときコラムにぶつかって膝を打つことがある。9月21日付東京新聞25面の「本音のコラム・日本版マッカーシズム」(山口二郎)ははまさにそれ。そして、その下欄に続く「週刊誌を読む・池上さん『朝日たたき』にクギ」篠田博之)も、池上彰コメントを紹介して、実に的確に朝日バッシングの風潮を批判している。その姿勢に学びたい。
山口コラムの冒頭は、以下の通り。
「このところの朝日新聞攻撃は異様である。為政者とそれを翼賛するメディアのうそは垂れ流され、権力に批判的なメディアのミスは徹底的に叩かれる。」
まったくその通りだ。記事が不正確だからたたかれたのではない。朝日だから、従軍慰安婦批判だから、反原発の論調だったから、「徹底的に叩かれた」のだ。だから、まさしく異様、まさしく常軌を逸した、たたき方になっているのだ。
「為政者とそれを翼賛するメディアのうそは垂れ流され」の例示として、山口は、「安倍首相は『福島第一原発の汚染水はアンダーコントロール』と世界に向かって大うそをついたことについて、撤回、謝罪したのか。読売や産経も、自分の誤りは棚に上げている」という。指摘の通り、為政者のうそは、汚染水同様に垂れ流され、右派のメディアはこれを批判しようとはしない。
篠田が紹介する池上彰コメントは、週刊文春に掲載された「罪なき者、石を投げよ」というもの。今、朝日に石を投げているお調子者にたいして、「汝らにも罪あり」と、その卑劣さをたしなめる内容だという。
そのなかに、「為政者を翼賛するメディアのうそ」の具体例として、次のくだりがある。
「私(池上)は、かつて、ある新聞社の社内報(記事審査報)に連載コラムを持っていました。このコラムの中で、その新聞社の報道姿勢に注文(批判に近いもの)をつけた途端、担当者が私に会いに来て、『外部筆者に連載をお願いするシステムを止めることにしました』と通告されました。‥後で新聞社内から、『経営トップが池上の原稿を読んで激怒した』という情報が漏れてきました。‥新聞社が、どういう理由であれ、外部筆者の連載を突然止める手法に驚いた私は、新聞業界全体の恥になると考え、この話を私の中に封印してきました。しかし、この歴史を知らない若い記者たちが、朝日新聞を批判する記事を書いているのを見て、ここで敢えて書くことにしました。その新聞社の記者たちは、『石を投げる』ことはできないと思うのですが。」
「ある新聞社」とは朝日のライバル紙。いま、朝日たたきをしながら「自社の新聞を購読するよう勧誘するチラシを大量に配布している」と、苦言が呈されている社。固有名詞こそ出てこないが、誰にでも推測が可能である。
山口は、現在の朝日たたきの現象を「日本版マッカーシズム」と警告する。
「この状況は1950年代の米国で猛威を振るったマッカーシズムを思わせる。マッカーシーという政治家が反対者に「非米」「共産党シンパ」というレッテルを貼って社会的生命を奪ったのがマッカーシズムである。今、日本のマッカーシーたちが政府や報道機関を占拠し、権力に対する批判を封殺しようとしている。
ここで黙るわけにはいかない。権力者や体制側メディアのうそについても、追求しなければならない。マッカーシズムを止めたのは、エド・マーローという冷静なジャーナリストだった。彼は自分の番組で、マッカーシーのうそを暴いた」「いまの日本の自由と民主政治を守るために、学者もジャーナリストも、言論に関わるものがみな、エド・マーローの仕事をしなければならない。権力者のうそを黙って見過ごすことは、大きな罪である」
全くそのとおり。深く同感する。
篠田コラムは次のように終わっている。
「池上さんは、『売国』という表現が、戦時中に言論封殺に使われた言葉であること指摘し、こう書いている。『言論機関の一員として、こんな用語は使わないようにすることが、せめてもの矜持ではないでしょうか』。池上さんに拍手だ」
マッカーシーは、「非米」「共産党シンパ」という言葉を攻撃に用いて「赤狩り」をやった。いま、日本の右派メディアは口をそろえて、「売国」「反日」「国益を損なう」という言葉を用いてリベラル・バッシングに狂奔している。
マッカーシズムが全米を席巻していた頃、多くのメディアは、マッカーシーやその手先を批判しなかった。「共産党シンパ」を擁護したとして、自らが「非米活動委員会」に呼び出され、アカの烙印を押されることを恐れたからである。威嚇され、萎縮した結果が、マッカーシズムの脅威を助長した。ジャーナリストは、肝心なときに黙ってはならない。いや、ジャーナリストだけではない。民主主義を標榜する社会の市民は、主権者として声を上げ続けなくてはならないのだ。
私も、山口や篠田の姿勢に倣って肝に銘じよう。
「ここで黙るわけにはいかない。権力者や体制側メディア、あるいは社会的強者の嘘やごまかしを、徹底して追求しよう」「いまの日本の自由と民主政治を守るために、言論に関わる者の一人として、私もエド・マーローになろう。権力者の嘘を黙って見過ごすことは、大きな罪なのだから」
(2014年9月23日)
「被告本人」の澤藤です。
弁護団の皆様、ご支援の皆様。本日も多数の方にご参集いただき、まことにありがとうございます。遠方からわざわざお越しいただいた方には、とりわけ感謝申しあげます。
先日、スラップ訴訟被害者の方からお話しを聞く機会がありました。
解雇争議中の4人の労働組合員に対して、会社が5000万円の損害賠償請求訴訟を起こしたのです。理由は、組合が運営するサイトに会社に対する名誉毀損の記事を掲載したというもの。まさしく、典型的なスラップ訴訟です。この訴訟は、結果としては会社の全面敗訴になるのですが、訴訟提起自体がもつインパクトの凄まじさのお話しが印象に残りました。
ある日突然、裁判所から各組合員の自宅に、ものものしい特別送達での訴状が届きます。封筒を開けてみて、5000万円支払えという裁判が自分に対して起こされていることを知ることになります。普通の金銭感覚では、びっくり仰天。「足が震え、電話の声が上ずった」と聞きました。当然のことと思います。
普段、訴状や答弁書、準備書面を見なれている弁護士の私でさえ、自分自身に2000万円請求の訴状を受領したときには驚愕しました。そして、こんな馬鹿げたことに時間と労力を注ぎこまなければならないことに、不愉快極まる思いを押さえることができませんでした。
しかし、同時に怒りと闘志も湧いてきました。こんなことに負けてはいられない。私は、このような不正と闘わねばならない立場にあるのだと自分に言いきかせました。はからずも、自分が「表現の自由」というかけがえのない憲法理念を擁護する戦列の最前線に立たされたのだ。一歩も退いてはならない。そう、思い定めたのです。
批判を嫌って、フラップ訴訟を濫発するぞと威嚇する相手には、敬して遠ざけるのが賢明な処し方でしょう。たまたま見かけたあるブログは、「DHC法務部から、記事の削除を求める申入を受けた。不本意だが、実際に裁判をやられかねないので、いったんは削除することにする。その上で、澤藤という弁護士がDHCと争っているとのことなので、そちらの裁判の帰趨を見守りたい。澤藤が勝訴すれば、そのときは再掲載することにしたい」と言っています。
これが、常識的な対応と言って良いでしょう。「表現の自由に対するDHCからの介入は不愉快だが、現実に裁判をやられたのではたまらん。そんな事態は避けるのが賢明」。こういう対応を卑怯だとか、だらしないなどと非難することなどとうていできません。しかし、みんなが、賢く常識的な対応をしていたのでは、萎縮効果を狙ったスラップ訴訟濫発者の思う壺になってしまいます。誰かが、最前線で、歯止めの役割を果たさなければなりません。
私は、弁護士とは、そのような役割の担い手となるにふさわしい存在と思ってきました。弁護士とは、社会正義と人権の守り手としての任務を持った職能です。自らの言論の自由を侵害されたときに、自らの自由のみならず、国民一般の自由の擁護のために最前線で闘わねばならない。そう、思うのです。おそらくは、多くのジャーナリストも同じ思いなのでしょう。
親しい方からは、賢く常識的に振る舞うようアドバイスもいただいています。しかし、ここは、愚かでも非常識でも、意地を張って一念を通さねばなりません。自分の利益のためだけでなく、権利一般を擁護するために、全力を尽くさねばならない。
幸いなことに、そのような思いに共感して一肌脱いでやろうというたくさんの弁護士からご支援をいただいています。まことにありがたく、心強い限りです。ここ一番、がんばらねばなりません。
先ほど「那須南九条の会」の高野さんから、「DHCスラップ訴訟を共に闘う決議をした」とのご報告をいただきました。渡辺喜美代議士の地元から「支援するのではない。共に闘うのだ」という力強い運動の芽生えに励まされます。やはり、闘うことを宣言して、多くの人に支援を呼び掛けたことの正しさに確信を持ちました。
この問題をどうとらえるか。弁護団での議論が少しずつ、煮詰まってきていると思います。この訴訟は、政治的言論に対する封殺訴訟です。言論を妨害した主体は、権力ではなく、経済的社会的な強者です。妨害された言論の媒体はブログ。これは、インターネット時代に、国民のだれもが表現の自由の権利主体になれるツールにほかなりません。そして、妨害された言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評。さらに具体的には、経済界が3兆円市場として虎視眈々と狙っているサプリメント規制緩和(機能表示規制緩和問題)に関する批判の言論なのです。言論封殺の態様は、名誉毀損名下に行われる高額損害賠償請求訴訟です。まさしく濫訴、まさしく訴権の濫用と言わねばなりません。強者の不当極まる訴権の濫用に対して、これをどう制裁し予防すべきか。憲法21条論の、今日的な具体的テーマです。
この訴訟への応訴は憲法21条という憲法理念を守る闘いであり、政治とカネをめぐる問題でもあり、国民の健康を左右する消費者問題でもあります。まさしく、私一人の問題ではなく、国民みんなの権利に関わること。当事者となると、口をついて出るのはどうしても「お願いします」という言葉になるのですが、ここでは敢えて、「みなさん、ぜひ一緒に闘ってください」と申しあげます。
(2014年9月17日)
明日(9月17日)が、「DHCスラップ訴訟」の事実上第2回口頭弁論期日。
午前10時半に、東京地裁705号法廷。多くの方の傍聴をお願いしたい。
法廷での手続終了後の午前11時から、東京弁護士会(5階)の507号室で、弁護団会議兼報告集会が行われる。集会では、佳境に入ってきた訴訟進行の現段階での争点や今後の展望について、弁護団からの報告や解説がなされる。加えて、現実にスラップを経験した被害者からの生々しい報告もある。ご参加のうえ、政治的言論の自由擁護の運動にご参加いただきたい。
下記は、当日の集会で配布予定のレジメの一部である。経過報告をまとめたもの。
『DHCスラップ訴訟』ご報告
《経過》(問題とされたのは下記ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」)
ブログ 3月31日 「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
4月 2日 「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
4月 8日 政治資金の動きはガラス張りでなければならない
参照 https://article9.jp/wordpress/ 澤藤統一郎の憲法日記
https://article9.jp/wordpress/?cat=12 『DHCスラップ訴訟』関連
4月16日 原告ら提訴(係属は民事24部合議A係 石栗正子裁判長)
事件番号平成26年(ワ)第9408号
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
答弁書は、本案前の答弁として訴権の濫用を根拠として却下を求め、
本案では請求の趣旨に対する答弁と、請求原因に対する認否のみ。
6月12日 弁護団予備会議(参加者17名・大型弁護団結成の方針を確認)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
この席で原告訴訟代理人から請求拡張予定の発言
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない・シリーズ第1弾」
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」(7月13日)
第2弾「万国のブロガー団結せよ」(7月14日)
第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」(7月15日)
第4弾「弁護士が被告になって」(7月16日)
以下、現在第24弾まで
7月16日 原告準備書面1 第1弾?第3弾に対して「損害拡大」の警告
7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生提言)
8月13日 被告準備書面(1) ・委任状・意見陳述要旨提出。
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
被告本人・弁護団長意見陳述。
11時? 東弁508号室で報告集会(北健一氏・田島先生ご報告)
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 準備書面2提出
新たに下記の2ブログが名誉毀損だとされる。
7月13日 いけません 口封じ目的の濫訴
?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第1弾
8月8日 「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ・第15弾
9月16日 被告準備書面(2) 提出
9月17日(本日) 10時30分 705号法廷 第3回(実質第2回)弁論期日。
11時? 東弁507号室で報告集会(スラップ被害者の報告)
《弁護団体制》現在110名 弁護団長(光前幸一弁護士)
《この問題をどうとらえるか》
*政治的言論に対する封殺訴訟である。
*言論を妨害した主体は、権力ではなく、経済的社会的強者
*妨害された言論の媒体はブログ。
(国民を表現の自由の権利主体とするツール)
*妨害された言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評
サプリメント規制緩和(機能表示規制緩和問題)に関する批判
*言論妨害の態様は、高額損害賠償請求訴訟の提訴(濫訴)
*強者が訴権を濫用することの問題⇒これをどう制裁し防御するか
《今後の課題》
※争点 「訴権の濫用」「公正な論評」「政治とカネ」「規制緩和」
8億円「貸付」の動機論争。「見返りを期待」か「国民のための浄財」か。
※今後さらに請求の拡張? もしかしたら何度でも、くり返し?
※反訴の可否・タイミング
※他の『DHCスラップ訴訟』被告との連携
本件を含め東京地裁に10件の同種事件が係属(別紙)
※これまでのスラップ訴訟経験者・弁護団からの経験を学ぶ
※原告代理人弁護士(山田昭・今村憲・木村祐太)への責任追及の可否
※マスコミにどう訴え、どう取材してもらうか
《訴訟上の争点の枠組》
*「事実を摘示」しての名誉毀損か、「論評」か。その切り分けが重要となる。
また、記述を全体として考察するか、個別に分断して判断するか。
*「事実摘示による名誉毀損の免責法理」の各要件該当性
?ことがらの公共性
?目的における公益性
?真実性(または相当性)
*「公正な論評の法理」要件該当性
?公共性 ?公益性
?真実性(論評の前提とされる事実の真実性、または相当性)
?人身攻撃に及ぶなど論評の域を逸脱していないこと
《応訴の運動を、「劇場」と「教室」に》
まずは、楽しい劇場に。
誰もがその観客であり、また誰もがアクターとなる 刺激的な劇場。
そして有益な教室に。
この現実を素材に 誰もが教師であり、誰もが生徒である教室。
ともに新しいことを学ぶ場としての教室に。
(2014年9月16日)