澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

北海道銀行カーリングチームのなんとも爽やかなフェアプレイ。

(2021年2月16日)
私は、スポーツの観戦に興味がない。母校が出場した高校野球だけが例外だった。甲子園は同窓会の場でもあったから顔を出したが、それ以外にはスポーツ観戦の記憶がない。子供が幼いころ、アンドレア・ジャイアントの興行を見に行ったことがある。あれをスポーツと言えば、もう一つの例外であったろうか。

スポーツのルールをよく知らない。とりわけ、「氷上のチェス」といわれるカーリングである。話題となってもついていけないし、何が面白いかさっぱり分からない。

ところが、昨日(2月15日)の朝のこと、寝床で聞いていたラジオのスポーツニュースで目が覚めた。カーリング日本選手権の女子決勝、北海道銀行が平昌五輪銅メダルのロコ・ソラーレに7?6で勝利したという。この報告だけなら面白くもおかしくもないのだが、その解説に驚いた。

こんなことは常識なのだろうか。カーリングの試合には『審判がない』のだそうだ。各自がフェアプレー精神にのっとって試合を行うことが当然とされ、ルール違反は飽くまで自己申告制だという。問題あれば、審判の裁定ではなく競技者間の協議で解決するのだとか。私には初耳のこと。スポーツは野蛮と決めつけてきたは間違いか。なんと成熟したスポーツの世界があるものだろうか。

報じられた試合は、北京オリンピック出場もかかっていた。道銀は、この試合に敗れれば確定的に出場権を失うのだという。当事者にとっては大事な試合。

その大事な試合の競り合いの中での第4エンド、A選手のラストショットがハウスの中心にピタリとみごとに決まって道銀勝利の流れがつかめたという局面。ここで、スイープしていた同じチームのB選手のブラシがストーンにわずかに当たったのだという。これはファウル。せっかくの得点のチャンスが失われただけでなく、反則点として相手チームに2点を献上することになった。この反則が、審判の指摘によるものではなくB選手の自己申告なのだという。

ラジオの解説によれば、ここで後れをとった道銀チームの誰もがBの自己申告を当然として動じることはなかったという。健気に声を掛け合って全員で前向きに試合を進め、1点を追う最終第10エンドで2点を奪って逆転劇を演じた、というハッピーエンド。正直のところ詳細はよく把握しきれないが、できすぎたお話。

自チームの不利を承知でファウルを自己申告した道銀選手のフェアプレーに拍手を送りたい。しかも、ラジオの解説によれば、ビデオをよく見ると、錯綜した状況ではあったが実はファウルではなかったようなのだという。それほど微妙な「ファウル」の自己申告だったのだ。

言うまでもなく、北海道銀行とそのカーリング・チームとは、「別人格」である。銀行業務と選手のプレーとは、もちろん別のことである。しかし、このフェアプレーは銀行のイメージを大いに高めたに違いない。道銀の行員が、顧客を欺したり、告知すべきことを故意に隠したりはしないだろう。きっとフェアな姿勢で接してくれる、こういう企業イメージが形作られた。

かつて、三菱銀行などが融資とセットで変額保険を売った。銀行の堅実なイメージを信頼してリスク商品を売り付けられた顧客は怒った。最近では、日本郵政の職員が、官業時代の郵便局の固いイメージを信頼した多くの顧客に「かんぽ生命の保険商品」を不正販売した。スルガ銀行の例もある。今や、金融機関の信用の劣化はとどまるところを知らず、昔日とは隔世の感がある。しかし、北海道銀行だけは、率直・正直・フェアでクリーンなイメージを獲得した。

企業は消費者に選択をしてもらわねばならない立場だから、その顧客に対するイメージは重要である。通常、企業は消費者の好イメージを求めて行動する。

DHCという企業が、デマやヘイトやスラップやステマで、何重にも自らのイメージを傷つけていることが信じがたい。会長吉田嘉明は、化粧品や健康食品の販売をしながら「ヤケクソくじ」などという不潔なネーミングをしている。フェアもクリーンも皆無である。こんな企業が真っ当な経営をしているとはとても思えない。

そして、NHKである。森下俊三というトンデモ人物を経営委員として再任させたことは、ジャーナリズムとしてのNHKにとって致命的なイメージダウンである。森下再任の人事は、官邸・総務省にしっかりと紐付けられ、これに抵抗できないNHKというイメージを天下に植え付けた。官邸と自公与党の愚行というしかない。

このような汚濁の世の中で、道銀カーリングチームのなんと爽やかなこと。まさしく、泥中に咲いた蓮の華さながらである。

竹田恒泰のスラップ完敗判決から学ぶべきこと

(2021年2月7日)
一昨日(2月5日)、東京地裁民事1部(前沢達朗裁判長)が、典型的なスラップ訴訟に請求棄却の判決を言い渡した。スラップ提起の原告を断罪した判決と言って過言でない。

このスラップを仕掛けた原告が竹田恒泰という「人権侵害常習犯の差別主義者」。訴えられたのは山崎雅弘(戦史・紛争研究家)。状況から見て、竹田は山崎のツィートによる言論を嫌忌し本気で抑え込もうとした。弁護士を通じて、提訴を脅しにツイートの削除を要求したが山崎は毅然としてこの要求を撥ねつけた。勢いの赴くところ竹田は提訴を余儀なくされ、法廷では負けるべくして負けたのだ。

竹田恒泰は提訴時にこの訴訟を勝てる見込みのないことを知っていたはずである。それでも敢えて提訴したのは、仮に敗訴したとしても、山崎に応訴の負担を掛けさせることによって、今後の竹田批判の言論を牽制することが可能になると考えたのだろう。また、山崎以外の他の言論人に対して、「同種の竹田批判の言論には損害賠償請求の提訴をするぞ」という恫喝を意図したものでもある。

竹田恒泰による山崎雅弘に対するスラップ提訴の真の被害者は、表現の自由そのものなのである。だからこそ、内田樹を筆頭とする多くの人々が、彼らもスラップ予告の恫喝を受けながらも、(あるいは恫喝を受けたが故に)山崎雅弘支援に立ち上がっている。

竹田恒泰が嫌った山崎のツィートとは、「朝日町教育委員会か竹田恒泰を講演に招聘したことを批判」するものである。私(澤藤)は今回初めて知ったが、竹田恒泰のごときヘイトにまみれた言論人の講演を子どもたちに聴かせようという教育委員会が、この世に現実に存在するのだ。「差別や偏見、いじめはいけません」と子どもたちに教える責任を負う教育委員会が、差別やいじめの常習者を、税金で謝礼を払う行事に登壇させているのだ。山崎雅弘のツィートは、「許される」というレベルではない。適切な批判として、称賛に値すると言わねばならない。

名誉毀損の根拠となったツィートは、18年11月富山県朝日町で地元中高生らに講演する予定だった竹田恒泰について、山崎が「教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯」などと批判した5件。思いがけなくも主催者の同町教育委員会に妨害予告の電話があり、講演会は中止となった。その後、竹田の代理人弁護士から、山崎に下記のツィートの抹消と500万円の慰謝料請求がなされた。請求拒否には、民事訴訟だけでなく、刑事告訴まで予告されていた。
そのツィートをまずお読みいただきたい。

「竹田恒泰という人物が普段どんなことを書いているか、ツイッターを見ればすぐ確認できる。それでもこの人物を招いて、町内の中・高校生に自国優越思想の妄想を植え付ける講演をさせる富山県朝日町の教育委員会に、教育に携わる資格はないだろう。社会の壊れ方がとにかく酷い。(2019年11月8日)」

「竹田恒泰という人物が過去に書いたツイートを4つほど紹介するだけでも、この人物が教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者だとすぐわかる。富山県朝日町の教育委員会が、何も知らずに彼をわざわざ東京から招聘するわけがない。つまり今は教育委員会にも差別主義者がいる可能性が高い。(同日)」

「(教育行政が音を立てて崩れている。
twitter.com/20191001start/…)
これも問題ですね。大阪市教育委員会の後援ということは、竹田恒泰氏の日頃の発言内容を「問題だ」と思わない、民族差別や国籍差別、男女差別に鈍感/無感覚な人間が、大阪市教育委員会という公的組織の内部の要職にいることを意味します。(2019年11月9日)」

「今回の件が問題なのは、本来なら「差別や偏見、いじめはいけません」と子どもに教える責任を負う教育委員会という公的機関が、特定国やその出身者に対する差別やいじめの常習者である竹田恒泰氏を、税金で謝礼を払う行事に登壇させることです。差別やいじめを是認することになります。(同日)」

これを一読しての感想で、憲法感覚や言語感覚、あるいは民主主義的感性の成熟度が試される。この山崎の言論に、「いったいどこに問題があるというのか」「これを違法というなら、表現の自由はなくなる」「山崎が表現の自由市場に投じた一言論ではないか。竹田に異議があれば反論すればよいだけのこと」「これを違法として抹消せよというのは表現の自由への挑戦ではないか」と反応あれば健全なものだ。

「もしかしたらこれ違法?」「言いすぎじゃない?」と、少しでも懸念を感じる人は、民主主義社会の主権者としてあまりに臆病な自らの姿勢を反省していただかねばならない。言論の自由市場における率直で活発な意見の交換によって、われわれの社会は、大きな誤りから免れ、遅々としてでも進歩できるのだ。

訴訟では、竹田側は山崎ツィートを、「誹謗中傷し、人格攻撃を繰り返し、侮辱する行為だ」と主張したそうだが、まったくの無理筋。これは「独自の主張」として一蹴されるしかない。

今回の判決は、「竹田氏の思想を『自国優越思想』と論評することは、公正な論評で論評の域を逸脱するものとはいえない」として、竹田氏の請求を棄却した。

また判決は「竹田氏が元従軍慰安婦に攻撃的・侮辱的な発言を繰り返し、在日韓国人・朝鮮人を排除する発言を繰り返していることに照らせば、発言を人権侵害の点で捉える相応の根拠がある」と指摘。投稿が社会的評価を低下させるものであっても「一定の批判は甘受すべきた」として、名誉侵害には当たらないと判断したとも報じられている。

幾つかの感想がある。何よりも、このスラップの提訴と判決は、地方教育行政と右翼言論人との親密な結びつきを露わにした。竹田にしてみれば、影響力の源泉としても収入源としても、重要なものであったろう。これは完全に断ち切らなければならない。「差別言論を常套とする者は公教育から切り離さなくてはならない」「違法なヘイト講演による差別意識を生徒に注入してはならない」という良識をもって、右翼言論人の跳梁を許さない世論の形成が重要である。この点、山崎ツィートに学びたい。

報じられていることを前提としての判断だが、竹田恒泰のスラップは提訴自体が明らかに違法である。スラップを違法とする要件は、DHCスラップ「反撃」訴訟における東京地裁民事1部の前沢達朗判決(2019年10月4日)が、次のように定式化している。

「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについての提訴も、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が違法行為になる」
これを、控訴審の東京高裁第5民事部判決も踏襲し、「通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる」根拠を詳細に判示している。
表現の自由擁護のためには、竹田恒泰のスラップ提訴を違法とする損害賠償請求の「反撃」訴訟の提起(控訴があれば控訴審での反訴、控訴なく確定すれば別訴で)があってしかるべきではないか。

「山崎雅弘さんの裁判を支援する会」が結成され、表現の自由を大切に思う多くの人々が結集してこの訴訟を支えている。その代表が内田樹氏である。敬意を表するとともに、反スラップの運動の広がりを心強く思う。
https://yamazakisanwosien.wixsite.com/mysite

DHCスラップ訴訟・「反撃」訴訟の経過と成果ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第182弾

(2021年1月24日)
DHCスラップ訴訟・「反撃」訴訟についての経過と勝訴判決確定の意義について、まとめておきたい。

◆ スラップとは何か
スラップは、法社会学的な現象に付された用語であって、法的に厳密な定義があるわけではない。常識的に理解されているところでは、「特定の表現を封殺する目的で提起される民事訴訟」を指す。封殺目的の「表現」の多くは言論だが、個人の行為や集団行動を対象とすることもある。訴訟提起を嫌っての報復的スラップも散見される。

民事訴訟本来の目的は自らの権利の実現や救済あるいは予防を求めるものであるが、スラップは、他者の表現を標的としてこれを攻撃し萎縮せしめることを目的とする。しかも、スラップの多くは、「社会的強者から」の「社会的に有益な表現に対する」攻撃である。民事訴訟の提起という手段を通じて、特定の表現者を威嚇・恫喝せしめる側面に着目して、「威嚇訴訟」「恫喝訴訟」などとも呼ばれる。典型的なスラップは、被告を威嚇・恫喝するにふさわしい、高額の損害賠償請求訴訟という形をとる。

スラップは、その意図と効果において表現の自由封殺の反社会性をもちながら、憲法上の国民の権利とされている民事訴訟提起を手段とするところに違法性判断の難しさがある。

◆ スラップの実際
攻撃の対象とされる表現の内容・態様は多岐にわたる。政治的言論であったり、市民運動における社会的発言であったり。集団的な抗議行動の場合も、労働運動上の行為であることもある。また、企業の活動を批判する消費者問題分野の言論に対する攻撃はあとをたたない。

まだスラップという言葉がなかった1996年12月、幸福の科学は山口広弁護士に、8億円の損害賠償請求訴訟を提起した。明らかに、「幸福の科学に対する元信者からの訴訟の提起はやめておけ」という恫喝の意図による提訴だった。この件は、山口弁護士側の反訴において、高額請求訴訟提起の違法性が認定されて、100万円の慰謝料が認容されている。

また、2000年代初頭に頻発したスラップ常習企業・武富士の一連の事件がある。私自身は、「武富士の闇」訴訟を担当した。多重債務問題に取り組んでいた弁護士集団が武富士の「闇」を抉りだした書物を刊行したところ、武富士は執筆者である3人の消費者問題に携わる弁護士と出版社を被告として、5500万円の損害賠償請求訴訟を提起した。この提訴に対しては、多くの消費者弁護士が弁護団を結成して訴訟実務を担当し、武富士が名誉毀損と指摘する31か所の記載のすべてについて、真実性、相当性を立証して請求を棄却させた。

しかも反訴においては、武富士の提訴を違法として、被告にされた者一人ついて120万円、計480万円の賠償が認容された。この事件では、私が弁護団長を務めたが、10年余を経て私自身がスラップの標的とされた。その事件が、DHCスラップ訴訟である。

◆ 私が経験したDHCスラップ訴訟
私は、「憲法日記」というブログを毎日書き続けている。権力や権威、社会的強者に対する批判で一貫している内容。「当たり障りのないことは書かない。当たり障りのあることだけを書く」をモットーとして、連続更新は2850日を越えた。

2014年春、そのブログにサプリメント販売大手DHCのオーナー吉田嘉明の醜行を取りあげた。彼自身が週刊新潮の手記「さらば、器量なき政治家・渡辺喜美」で暴露した、みんなの党の党首(当時)渡辺喜美に政治資金として8億円の裏金を提供した事実を、「政治を金で買おうという薄汚い行為」と手厳しく批判したもの。

そして、吉田の裏金政治資金提供の動機を「利潤追求のために行政規制の緩和を求めたもの」として消費者問題の視点から批判した。DHC・吉田嘉明がスラップ訴訟で、違法と主張したブログ記事の主要な一つが、次の記載である。

 「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。『抵抗勢力』を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。これが、おそらくは氷山の一角なのだ。」

この記事が、DHCと吉田嘉明の名誉を毀損し損害賠償請求の根拠とされた。この表現がDHC・吉田嘉明の社会的評価を低下せしめるものであることは当然だが、このような批判の言論は民主主義の社会形成には有用であり不可欠なのだ。この、私の吉田嘉明批判の言論が違法として許されないことになれば、誇張ではなく民主主義は死滅する。

◆ DHCスラップ訴訟被告の実体験
突然に、生まれて初めて被告とされた。提訴時の請求慰謝料額は2000万円。私は、「黙れ」と恫喝されたと理解し、弁護士として絶対に黙ってはならないと覚悟を決めた。同じブログに、猛然と「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めた。現在第180弾余まで書き進めている。

このシリーズを書き始めたとたんにDHC・吉田嘉明側の弁護士(今村憲・二弁)から警告があり、警告を無視したところ慰謝料請求金額は6000万円に拡張された。吉田自ら提訴の動機を告白しているに等しい。

スラップの対象となった私のブログは、政治とカネをめぐっての典型的な政治的言論であり、「消費者利益擁護の行政規制を緩和・撤廃してはならない」と警告を発するもので、社会に許容される言論であるばかりではなく、民主主義社会に有益な言論にほかならない。

DHC・吉田嘉明は、同時期に自分に不都合な批判の言論を選んで、10件のスラップを提起している。最低請求金額が2000万円、最高額は2億円であった。かつては、武富士がスラップ常習企業として名高く、これを担当していたのが弘中惇一?弁護士であった。時代を経て、武富士に代わってDHC・吉田嘉明がその座を襲い、弘中弁護士に代わって今村憲弁護士(第二東京弁護士会)が多数のスラップを担当した。

当然のことながら、このスラップ訴訟は、一審の請求棄却判決、控訴審の控訴棄却判決、そして最高裁での上告受理申立不受理決定をもって、私の勝訴で確定した。しかし、DHC・吉田側が意図した、「DHCを批判すると面倒なことになるぞ」という恫喝の社会的な影響は残されたままである。スラップを違法とする「反撃」訴訟が必要と考えた。

◆ 「反撃」訴訟一審判決に示されたスラップ違法の要件
2019年10月4日、そのDHCスラップ「反撃」訴訟で、一審勝訴の判決を得た。先行した「DHCスラップ訴訟」の提起を違法として、慰謝料100万円と反撃訴訟の弁護士費用10万円の賠償を命じたもの。係属裁判所は東京地裁民事1部(前澤達朗裁判長)である。

主たる争点は、スラップ提訴の違法性(ないしは過失)の有無であるところ、一審判決はこう述べている。

 「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについての提訴も、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が違法行為になる」

 つまり、本来憲法上の権利であるはずの提訴が違法となる場合に関する最高裁判例の判断枠組みにしたがって、当該提訴が「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合」にあたるか否かを大枠のメルクマールとしつつ、スラップ違法のより具体的な要件を、
(1) 客観的要件 当該提訴が請求の根拠を欠くこと
 (2) 主観的要件 「請求の根拠を欠くことを知っていた」あるいは、「通常人であれば容易にそのことを知り得た」こと。
と整理したもので、今後の同様事例のリーディングケースとして意義のある判決例になっていると思われる。
そのうえで、同判決は110万円の損害賠償を認めた。うち100万円は慰謝料、10万円が反撃訴訟追行のための弁護士費用である。

◆ 控訴審判決が言及したスラップの違法要素
この一審判決にDHC・吉田嘉明が控訴し、私(澤藤)も附帯控訴して、控訴審が東京高裁第5民事部(秋吉仁美裁判長)に係属した。控訴審は口頭弁論1回で結審し、2020年3月18日に判決言い渡しとなった。

控訴審判決は、原判決同様の枠組みと要件でスラップの違法を認め、スラップ応訴の損害額を慰謝料100万円に応訴の弁護士費用50万円の加算を認めて、150万円に増額して認定した。「反撃」訴訟の弁護士費用15万円を加えて、認容額は165万円となった。

控訴審判決において、さらに注目すべきは、次のとおり、スラップ訴訟における違法性判断の要素を的確に認定していることである。
(1) 被控訴人(澤藤)の本件各記述が、いずれも公正な論評として名誉殼損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められる
(2) にもかかわらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHCスラップ訴訟のこと)を提起し、その請求額が、当初合計2000万円、スラップ批判ブログ掲載後には請求額が拡張され、合計6000万円と、通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであった
(3) 本件各記述のような意見、論評、批判が多数出るであろうことは、控訴人らとしても当然予想されたと推認されるところ、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、それに対し、言論という方法で対抗せず、直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という手段で臨んでいる
(4) ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し、判決に至ったものは、いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては、控訴人らの損害賠償請求が棄却されて確定している

以上の諸点から、「前件訴訟(スラップ訴訟)の提起等は、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり、不法行為と捉えたとしても、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。」と結論している。欣快の至りと言うほかはない。

DHC・吉田嘉明は、これを不服として、上告兼上告受理申立に及んだが、2021年1月14日、上告棄却・不受理の各決定となって、6年9月に及んだ全争訟が私の勝訴で確定した。

本件の判決は、スラップを違法と断じる要件を整理し明確にした点で、意義のあるものとなっている。

◆ 違法スラップによる損害論
一審判決は、スラップを提起された私の精神的な損害額を100万円と認定した。「どうせ勝訴の見込みのない訴訟提起ではないか。被告(澤藤)に、さしたる心理的な負担はなかろう」というニュアンスである。

それはともかく、6000万円の訴訟を提起されて、受けて立たなければならない立場に追い込まれたのだ。スラップ訴訟に応訴のための弁護士費用の相当額を損害として認めてしかるべきであるところ、一審判決での認容額はゼロであった。ここでも、「6000万円の請求といっても所詮は虚仮威しで、どうせ認容される筋合いではないのだから弁護士費用など認める必要もなかろう」というニュアンスが感じられる。

これに対して、控訴審判決は、スラップ訴訟の応訴費用として弁護士費用50万円だけを認めている。スラップ防止のためには、被告とされた者の慰謝料だけでなく、応訴弁護士費用を損害として認容する判例の定着が不可欠である。とりわけ、スラップの提起者には、請求金額に応じた被告側の応訴弁護士費用を負担させることが重要だと思う。「高額スラップの提起には、高額な応訴側弁護士費用負担の覚悟」が必要とならねばならない。

スラップの威嚇効果は、損害賠償の高額性にあるのだから、この点が実務に重要な論点となっている。控訴審の50万円の認容は、一審のゼロよりはマシだが、6000万円請求事件の応訴弁護士費用が50万円でよいはずはない。2017年7月19日東京地裁判決(山田真紀裁判長)は、N国側がNHKを被告として提起した《10万円請求のスラップ訴訟》に対して、応訴のための弁護士費用54万円満額を損害として認容している。これは素晴らしい。今後に生かすべき課題と言えよう。

◆ DHCスラップ訴訟を終えての教訓
DHC・吉田嘉明が、私だけでなく他に9件のスラップを提起していることを知った時には、これはシメタと思った。10件、10人の被告が連携すれば、強力なDHC包囲網が作れると思ったからだ。しかし、その構想は実現しなかった。

結局、「反撃」訴訟を提起したのは私一人だった。スラップ提起後にDHC・吉田嘉明を批判し続けたのも、多分私一人だけ。被告とされた者の気持ちはよく分かる。一刻も早く、こんな不愉快な訴訟とは縁を切りたいということなのだ。

しかし、今にして思う。スラップとは徹底して闘わねばならない。スラップ常習企業やスラップ常習弁護士に成功体験を与えてはならない。

あらためて噛みしめたい。「スラップを恐れて正当な言論に萎縮あってはならない」「スラップあれば、反撃して徹底的に闘わなければならない」。

DHCスラップ訴訟・「反撃」訴訟 勝訴確定の記者レク ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第181弾

(2021年1月21日)
本日午前11時、東京地裁司法記者クラブで、DHCスラップ訴訟確定の記者レクを行った。登壇者は下記の3名
当事者(DHCスラップ訴訟被告・『反撃訴訟』原告)である私
訴訟経過と判決を解説した弁護団長 光前幸一弁護士
解説と司会を担当した、弁護士澤藤大河

★ まず伝えたことは、DHCスラップ訴訟・DHCスラップ「反撃」訴訟が、私の勝訴、DHC側の完敗で確定したこと。
1月14日 最高裁(一小)が下記の決定をして、翌日通知が届いた。
   DHC・吉田嘉明の上告を棄却
   DHC・吉田嘉明の上告受理申立を不受理
この決定によって、東京高裁第5民事部(秋吉仁美裁判長)の2020年3月18日 判決(DHC・吉田嘉明のスラップ訴訟提起を違法として、165万円の損害賠償認容の判決)が確定した。

★ これは、表現の自由妨害を企図するスラップ常習企業に痛打であり、表現の自由顕現を目指すわれわれには欣快の至りである。

★ DHCとは、スラップ常習企業であるだけでなく、政治家への裏金提供、オーナー吉田嘉明の在日差別発言、文春On-lineで明らかとなった消費者への欺罔など、問題だらけの企業である。

★ スラップ訴訟とは、自らの権利の救済や実現のためではなく、被告を威嚇・恫喝して、その言論や行動を萎縮せしめる目的の民事提訴を言う。

★ DHC・吉田嘉明は、対澤藤事件と同じ時期に、計10件のスラップを提訴している。これに反撃して最後まで闘い抜いたのは、残念ながら、澤藤一人であった。

★ 確定した判決ではスラップ違法の要件は、次のように定式化された。
下記の「Aを前提に、B1かB2」であれば、提訴は違法となる。
A 「その提訴は客観的に勝てない」
B1「提訴者が、勝てないことを知っている」
B2「常識的に勝てないことが分かるはず」
つまり、スラップ違法の方程式がこれ。
 A+(B1 or B2)=違法スラップ

★ その上で、一審判決も二審判決も「DHC・吉田嘉明のスラップの提訴は客観的に勝てるはずのものではなく、しかも、提訴者が、勝てないことを知っていたか、勝てないことが容易に分かるはずの提訴」だったことを認定した。次のとおりである。

「この(スラップ)訴訟における被告ら(DHC・吉田嘉明)の請求は事実的・法律的根拠を欠くものという他はない」(A要件

「(DHC・吉田嘉明らは)請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易にそのことを知り得たと言えるのにあえて訴えを提起したものとして、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ、原告(澤藤)に対する違法行為と認められる」(B2要件

★ スラップ訴訟の損害論
一審判決は、慰謝料100万円+反撃訴訟の弁護士費用10万円=110万円
控訴審審判決は、スラップ応訴費用50万を損害として認め下記にあらためた。
慰謝料100万+スラップ応訴費用50万+反撃訴訟弁護士費用15万=165万円

★ この事件の教訓は、「スラップの恫喝を恐れての言論の萎縮などあってはならない。」「スラップには反撃訴訟で徹底して闘うべし」ということである。

★ 最後に私が強調したのは、DHCを典型とする問題企業には、社会からの制裁が必要であること。反撃訴訟での勝訴だけでは足りない。訴訟を切っ掛けに、明るみに出た、このDHCという違法体質の批判には、DHC製品不買運動が必要だと言うこと。あらゆる人々の日々の消費生活における商品選択の積み重ねで、世の中を少しずつ変えることができる。「DHCの製品、私は買いません」という、一人ひとりの消費者の自覚的な意識と行動が、デマやヘイトやスラップや政治家への裏金提供や、ステルスマーケティングなどの不当・違法行為をなくしていくことにつながる。これが、消費者運動のあるべき姿であり、正しい意味における「消費者主権」の意味である。

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   DHCスラップ訴訟・DHC『反撃訴訟』経過の概略

☆スラップ提訴以前
2013年4月1日 ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」新装開店
(以来毎日連続更新・昨日で2851回)
2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
「さらば器量なき政治家」 渡辺喜美に8億円の裏金提供を自ら暴露
2014年3月31日 澤藤・違法とされたブログ(1)掲載
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日  違法とされたブログ(2)掲載
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日  違法とされたブログ(3)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
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☆DHCスラップ訴訟の経過
(原告 DHC・吉田嘉明、被告 澤藤統一郎
東京地裁民事24部 H26年(ワ)第9408号)
2014年4月16日 提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪・削除請求)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」 以下続く
8月20日 705号法廷 実質第1回弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額)
新たに下記2ブログ記事が名誉毀損とされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務
2015年7月1日 第8回(実質第7回)弁論 結審(阪本勝裁判長)
2015年9月2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2015年12月24日 控訴審第1回口頭弁論 同日結審
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年10月4日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立不受理決定
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☆DHCスラップ「反撃」訴訟の経過
(本訴 原告 DHC・吉田嘉明、被告 澤藤 ⇒本訴はすぐ取り下げ)
(反訴 原告 澤藤、反訴被告 DHC・吉田嘉明)
2017年9月4日 DHC・吉田嘉明が澤藤を被告として
債務不存在確認請求訴訟を提起   H29年(ワ)第30018号
東京地方裁判所民事1部に係属⇒裁判長 後藤健(41期)
2017年11月10日 澤藤から反訴提起 H29年(ワ)第38149号
損害賠償請求660万円
2018年10月26日 裁判長交代・前澤達朗(48期)
2019年1月11日 人証採用決定(3名)
澤藤と吉田両本人と 証人内海拓郎(DHC総務部長)
2019年4月19日 吉田呼出に応ぜず不出頭 澤藤と内海拓郎尋問
2019年7月4日  結審
2019年10月4日 判決言い渡し勝訴110万円の請求認容
損害認容はスラップの慰謝料100万円と反撃訴訟弁護士費用10万円
2020年3月18日 東京高裁第5民事部(秋吉仁美裁判長)控訴審判決
50万円の応訴費用を認めて、165万円の認容判決とした。
2021年 1月14日 最高裁(第1小法廷)上告棄却・上告受理申立不受理

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私は何を書いて、DHC・吉田嘉明からスラップの標的とされたか。

DHC・吉田嘉明スラップ事件資料 6000万円請求の根拠とされた5本のブログ

2019年10月4日、スラップ「反撃」訴訟の一審勝訴判決以来、会う人ごとに「おめでとう」「よかったね」と言われ続けている。とても気分は良い。そして、「この裁判を知ってからDHCは買ってないよ」「ウチは、DHCは以前から買ってない」と,多くの人から聞かされる。面倒を厭わず闘い続けた甲斐があったと思う。本当によかった。弁護団や支援の皆様には感謝の言葉しかない。

しかし、なかには、「いったい、DHCと吉田嘉明にどんな悪口を言って、裁判までされたの?」という質問をする方もいる。かすかに、「裁判までされたのは、よほどの悪口雑言を言ったからでしょう」というニュアンスが感じられる。

そこで、私が、名誉毀損として訴えられたブログのすべてを掲載しておきたい。そのブログは全部で5本。名誉毀損とされた表現の個所は合計16個所ある。これを並べてお読みいただきたい。私のブログは吉田嘉明を厳しく批判するものだ。吉田の耳に痛いことは当然として、この私の言論が許されざる違法なものであるかどうか、読者ご自身の憲法感覚でご判断いただきたい。

2014年3月27日、吉田嘉明の独占手記「さらば器量なき政治家・渡辺喜美」掲載の週刊新潮(4月3日号)が発売になった。私は、これを批判するブログを3本書いて、DHC・吉田嘉明から、2000万円の損害賠償請求の訴えの提起を受けた。損害賠償請求と併せて、ブログ記事の削除と謝罪文掲載の請求もあった。私のブログ記事掲載は、同年3月31日、4月2日、4月8日のこと。これを違法とするDHC・吉田嘉明の訴え提起は、4月16日のことだった。

その3本の「2000万円相当ブログ」は下記のとおり。

https://article9.jp/wordpress/?p=2371?(2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

https://article9.jp/wordpress/?p=2386?(2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

https://article9.jp/wordpress/?p=2426?(2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

この提訴の訴状に不備があったのか、訴状の私への送達は遅れて、5月16日となった。友人と相談して、弁護団態勢を組む目途が付いた頃から、私は不退転の決意で反撃に出た。当ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの掲載を開始したのだ。その第1回が、同年7月13日のこと。
2014年7月
13日 第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
18日 第5弾「この頑迷な批判拒否体質(1)」
19日 第6弾「この頑迷な批判拒否体質(2)」
20日 第7弾「この頑迷な批判拒否体質(3)」
22日 第8弾「グララアガア、グララアガア」
23日 第9弾「私こそは『幸せな被告』」
25日 第10弾「『表現の自由』が危ない」
27日 第11弾「経済的強者に対する濫訴防止策が必要だ」
31日 第12弾「言論弾圧と運動弾圧のスラップ2類型」
同年8月
3日 第13弾「スラップ訴訟は両刃の剣」
4日 第14弾「スラップ訴訟被害者よ、団結しよう。」
8日 第15弾「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ」
10日 第16弾「8月20日(水)法廷と報告集会のご案内」
13日 第17弾「DHCスラップ訴訟資料の公開予告」
20日 第18弾「満席の法廷でDHCスラップの口頭弁論」
21日 第19弾「既に現実化しているスラップの萎縮効果」
22日 番外「ことの本質は『批判の自由』を守り抜くことにある」
31日 第20弾「これが、損害賠償額4000万円相当の根拠とされたブログの記事」
同年9月
14日 第22弾「DHCが提起したスラップ訴訟の数々」
15日 第23弾「DHC会長の8億円拠出は『浄財』ではない」
16日 第24弾「第2回口頭弁論までの経過報告」
17日 第25弾「第2回口頭弁論後の報告集会で」
(以下略、現在181弾まで)

以上のとおり、私は猛烈に書き続けた。怒りこそが、エネルギーの源泉である。私のブログを検索していただければ、すべてを読むことができる。「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの最初の方ものは、読み物としてもできのよい面白いものではないか。

しかし、吉田嘉明にしてみれば、黙れと恫喝したのに反撃されたことが面白くないものと映ったようだ。8月29日付の書面で、2000万円の損害賠償請求金額は6000万円に跳ね上がった。その根拠とされたものが、第1弾と、第15弾の2本のブログ、第1弾の5個所と、第2弾の1個所が名誉毀損の表現部分だという。

https://article9.jp/wordpress/?p=3036(2014年7月13日)
いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾

https://article9.jp/wordpress/?p=3267?(2014年8月8日)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾

以上の経過で、損害賠償請求の根拠とされた私のブログは、合計2000万円相当の3本と、合計4000万円相当の2本となった。これを以下のとおり、再掲しておきたい。なお、赤字部分が名誉毀損表現として特定された文章である。

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「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

「徳洲会・猪瀬」5000万円問題が冷めやらぬうちに、「DHC・渡辺喜美」8億円問題が出てきた。2010年参院選の前に3億円、12年衆院選の前に5億円。さすが公党の党首、東京都知事よりも一桁上を行く。

私は、「猪瀬」問題に矮小化してはならないと思う。飽くまで「徳洲会・猪瀬」問題だ。この問題に世人が怒ったのは「政治が金で動かされる」ことへの拒否感からだ。「政治が金で買われること」のおぞましさからなのだ。政治家に金を出して利益をむさぼろうという輩と、汚い金をもらってスポンサーに尻尾を振るみっともない政治家と、両者をともに指弾しなければならない。この民衆の怒りは、実体法上の贈収賄としての訴追の要求となる。

「DHC・渡辺喜美」問題も同様だ。吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。

もっとも、刑事的な犯罪性という点では「徳洲会・猪瀬」事件が、捜査の進展次第で容易に贈収賄の立件に結びつきやすい。「DHC・渡辺喜美」問題は、贈収賄の色彩がやや淡い。これは、知事(あるいは副知事)と国会議員との職務権限の特定性の差にある。しかし、徳洲会は歴とした病院経営体。社会への貢献は否定し得ない。DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。

DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。

もうひとつの問題として、政治資金、選挙資金、そして政治家の資産状況の透明性確保の要請がある。政治が金で動かされることのないよう、政治にまつわる金の動きを、世人の目に可視化して監視できるように制度設計はされている。その潜脱を許してはならない。

選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。

この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。

DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。
(2014年3月31日)

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「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

「ヨッシー日記」と標題した渡辺喜美のブログがある。そこに、3月31日付で「DHC会長からの借入金について」とする、興味の尽きない記事が掲載されている。興味を惹く第1点は、事件についての法的な弁明の構成。これは渡辺の人間性や政治姿勢をよく表している。そして、もう一点は、DHC吉田嘉明のやり口に触れているところ。こちらは、金を持つ者への政治家の諂いと、金で政治が歪められている実態の氷山の一角を見せてくれる。いずれにせよ、貴重な読み物である。

渡辺の法的弁明は、一読して相当に腹の立つ内容。おそらくは、弁護士の代筆が下敷きにある。「本件は法の取り締まりの対象とはならない」という挑戦的な姿勢。政治倫理や、政治資金の透明性の確保などへの配慮は微塵もない。要するに刑事制裁の対象となる違法はないよ、という開き直りである。法的に固く防御しているつもりで、政治的には却って墓穴を掘っている。

ここでの渡辺の「論法」は、「吉田嘉明から渡辺喜美が、みんなの党各候補者の選挙運動資金調達目的で金を借りたとしても、その借入を報告すべき制度上の義務はなく、法律違反の問題は生じない」ということに尽きる。謂わば、法の隙間の処罰不能な安全地帯にいるのだという宣言である。

もちろん、「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律」には違反している。この法律は、「(第1条)国会議員の資産の状況等を国民の不断の監視と批判の下におくため、国会議員の資産等を公開する措置を講ずること等により、政治倫理の確立を期し、もって民主政治の健全な発達に資することを目的とする。」として、政治家の資産と所得の公開を求めている。しかし、これには処罰規定がない。倫理の問題としては責められても、強制捜査も起訴も心配しなくて済む。

では、公職選挙法上の選挙運動資金収支として報告義務の違反にはならないか。渡辺は、「選挙資金として(渡辺から吉田に対する)融資の申し込みをしたというメールが存在すると報道がありました。たとえそれがホンモノであったとしても法律違反は生じません。」と開き直る。自分の選挙ではないからだ。報告義務を負うのは各候補者であり、各陣営の会計選任者だからということ。

では、政党の党首が選挙運動費用として党員候補者に使わせる目的で金を借りたら、その借入の事実を政治資金収支報告書に記載すべきではないか。これも、「党首が個人の活動に使った分は、政治資金規正法上、政治家個人には報告の義務はありません。そのような制度がないということです。個人財産は借金も含めて使用・収益・処分は自由にできるからです」とここでも開き直っている。

もっとも、渡辺がDHCの吉田から借りた金を、党の政治資金や候補者の選挙運動資金として貸し付ければ、その段階で、借り入れた側に、借入金として報告義務が生じる。この点はどうしても逃げ切れない。8億の金がどう流れたのか、調査の結果を待って辻褄が合うのかどうか検討を要する。

今の段階では、「一般的に、党首が選挙での躍進を願って活動資金を調達するのは当然のことです。一般論ですが、借り受けた資金は党への貸付金として選挙運動を含む党活動に使えます。その分は党の政治資金収支報告書に記載し、報告します。」という、開き直りでもあるが貴重な言質でもあるこの言葉を胸に納めておこう。

いずれにしても、みんなの党は総力をあげて渡辺の8億円の使途を追求しなければならない。でなければ、自浄能力のない政党として国民の批判に堪え得ず、全員沈没の憂き目をみることになるだろう。

興味を惹くもう1点は、政治家と大口スポンサーとの関係の醜さの露呈である。金をもらうときのスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、大旦那然としたDHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。その結論は、「吉田会長は再三にわたり『言うことを聞かないのであれば、渡辺代表の追い落としをする』、と言っておられたので今回実行に移したものと思われます。」というもの。

それにしても、渡辺や江田にとって、大口スポンサーは吉田一人だったのだろうか。たまたま吉田とは蜜月の関係が破綻して、闇に隠れていた旦那が世に名乗りをあげた。しかし、闇に隠れたままのスポンサーが数多くいるのではないか。そのような輩が、政治を動かしているのではないだろうか。

たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。

同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。

サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。

大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。

これが、おそらくは氷山の一角なのだ。
(2014年4月2日)

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政治資金の動きはガラス張りでなければならない

本日(4月8日)の、朝日・毎日・東京・日経・読売・産経の主要各紙すべてが、みんなの党・渡辺喜美の党代表辞任を社説で取りあげている。標題を一覧するだけで、何を言わんとしているか察しがつく。

朝日新聞  渡辺氏の借金―辞任で落着とはならぬ
毎日新聞  渡辺代表辞任 不信に沈んだ個人商店
東京新聞  渡辺代表辞任 8億円使途解明を急げ
日本経済  党首辞任はけじめにならない
読売新聞  渡辺代表辞任 8億円の使い道がまだ不明だ
産経新聞  渡辺代表辞任 疑惑への説明責任は残る

各紙とも、「政治資金や選挙資金の流れには徹底した透明性が必要」を前提として、「渡辺の代表辞任は当然」としながら、「これで幕引きとしてはならない」、「事実関係とりわけ8億円の使途に徹底して切り込め」という内容。渡辺の弁解内容や、その弁明の不自然さについての指摘も共通。

毎日の「構造改革が旗印のはずだった同党だが最近は渡辺氏が主導し特定秘密保護法や集団的自衛権行使問題など自民党への急接近が目立ち、与党との対立軸もぼやけていた。いわゆる第三極勢自体の存在意義が問われている。」と指摘していること、東京が「『みんなの党は自慢じゃないけど、お金もない、組織もない、支援団体もない。でも、しがらみがない。だから思い切った改革プランを提示できる』と訴え、党勢を伸ばしてきた。党首が借入金とはいえ8億円もの巨資を使えるにもかかわらず、『お金がない』と清新さを訴えて支持を広げていたとしたら、有権者を欺いたことにならないか」と言及していることが、辛口として目立つ程度。これに対して、産経は「新執行部は渡辺氏にさらなる説明を促し「政治とカネ」の問題に率先して取り組み、出直しの第一歩にしてもらいたい」と第三極の立ち直りにエールを送る立ち場。

もの足りないのは、巨額の金を融通することで、みんなの党を陰で操っていたスポンサーに対する批判の言が見られないこと。政治を金で歪めてはならない。金をもつ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。

DHCの吉田嘉明は、その許すべからざることをやったのだ。化粧品やサプリメントを販売してもっと儲けるためには、厚生行政や消費者保護の規制が邪魔だ。小売業者を保護する規制も邪魔だ。労働者をもっと安価に使えるように、労働行政の規制もなくしたい。その本音を、「官僚と闘う」「官僚機構の打破」にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。

自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。

政治資金規正法違反の犯罪が成立するか否かについては、朝日の解説記事の中にある、「資金提供の方法が寄付か貸付金かは関係なく、『個人からのお金を政治資金として使うのであれば、すべて政治資金収支報告書に記載する必要がある』として、違法性が問われるべき」との考え方に賛意を表したい。

仮に、今回の「吉田・渡辺ケース」が政治資金規正法に抵触しないとしたら、それこそ法の不備である。政治献金については細かく規制に服するが、「政治貸金」の形となれば一切規制を免れてしまうことの不合理は明らかである。巨額の金がアンダーテーブルで政治家に手渡され、その金が選挙や党勢拡大にものを言っても、貸金であれば公開の必要がなくなるということは到底納得し得ない。明らかに法の趣旨に反する。ましてや本件では、最初の3億円の授受には借用証が作成されたが、2回目の5億円の授受には借用証がないというのだ。透明性の確保に関して、献金と貸金での取扱いに差を設けることの不合理は明らかではないか。

主要6紙がこぞって社説に掲げているとおり、事件の幕引きは許されない。まずは「みんなの党」内部での徹底した調査の結果を注視したい。その上で、国会(政倫審)や司法での追求が必要になるだろう。

政治と金の問題の追求は決しておろそかにしてはならない。
(2014年4月8日)

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いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾

当ブログは新しい報告シリーズを開始する。本日はその第1弾。
興味津々たる民事訴訟の進展をリアルタイムでお伝えしたい。なんと、私がその当事者なのだ。被告訴訟代理人ではなく、被告本人となったのはわが人生における初めての経験。

その訴訟の名称は、『DHCスラップ訴訟』。むろん、私が命名した。東京地裁民事24部に係属し、原告は株式会社ディーエイチシーとその代表者である吉田嘉明(敬称は省略)。そして、被告が私。DHCとその代表者が、私を訴えたのだ。請求額2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟である。

私はこの訴訟を典型的なスラップ訴訟だと考えている。
スラップSLAPPとは、Strategic Lawsuit Against Public Participationの頭文字を綴った造語だという。たまたま、これが「平手でピシャリと叩く」という意味の単語と一致して広く使われるようになった。定着した訳語はまだないが、恫喝訴訟・威圧目的訴訟・イヤガラセ訴訟などと言ってよい。政治的・経済的な強者の立場にある者が、自己に対する批判の言論や行動を嫌悪して、言論の口封じや萎縮の効果を狙っての不当な提訴をいう。自分に対する批判に腹を立て、二度とこのような言論を許さないと、高額の損害賠償請求訴訟を提起するのが代表的なかたち。まさしく、本件がそのような訴訟である。

DHCは、大手のサプリメント・化粧品等の販売事業会社。通信販売の手法で業績を拡大したとされる。2012年8月時点で通信販売会員数は1039万人だというから相当なもの。その代表者吉田嘉明が、みんなの党代表の渡辺喜美に8億円の金銭(裏金)を渡していたことが明るみに出て、話題となった。もう一度、思い出していただきたい。

私は改憲への危機感から「澤藤統一郎の憲法日記」と題する当ブログを毎日書き続けてきた。憲法の諸分野に関連するテーマをできるだけ幅広く取りあげようと心掛けており、「政治とカネ」の問題は、避けて通れない重大な課題としてその一分野をなす。そのつもりで、「UE社・石原宏高事件」も、「徳洲会・猪瀬直樹事件」も当ブログは何度も取り上げてきた。その同種の問題として「DHC・渡辺喜美事件」についても3度言及した。それが、下記3本のブログである。

https://article9.jp/wordpress/?p=2371?(2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

https://article9.jp/wordpress/?p=2386?(2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

https://article9.jp/wordpress/?p=2426?(2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

是非とも以上の3本の記事をよくお読みいただきたい。いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」ことへの批判を内容とするものである。

DHC側には、この批判が耳に痛かったようだ。この批判の言論を封じようとして高額損害賠償請求訴訟を提起した。訴状では、この3本の記事の中の8か所が、原告らの名誉を毀損すると主張されている。

原告側の狙いが、批判の言論封殺にあることは目に見えている。わたしは「黙れ」と威嚇されているのだ。だから、黙るわけにはいかない。彼らの期待する言論の萎縮効果ではなく、言論意欲の刺激効果を示さねばならない。この訴訟の進展を当ブログで逐一公開して、スラップ訴訟のなんたるかを世に明らかにするとともに、スラップ訴訟への応訴のモデルを提示してみたいと思う。丁寧に分かりやすく、訴訟の進展を公開していきたい。

万が一にも、私がブログに掲載したこの程度の言論が違法ということになれば、憲法21条をもつこの国において、政治的表現の自由は窒息死してしまうことになる。これは、ひとり私の利害に関わる問題にとどまらない。この国の憲法原則にかかわる重大な問題と言わねばならない。

本来、司法は弱者のためにある。政治的・経済的弱者こそが、裁判所を権利侵害救済機関として必要としている。にもかかわらず、政治的・経済的弱者の司法へのアクセスには障害が大きく、真に必要な提訴をなしがたい現実がある。これに比して、経済的強者には司法へのアクセス障害はない。それどころか、不当な提訴の濫発が可能である。不当な提訴でも、高額請求訴訟の被告とされた側には大きな応訴の負担がのしかかることになる。スラップ訴訟とは、まさしくそのような効果を狙っての提訴にほかならない。

このような訴訟が効を奏するようでは世も末である。決して『DHCスラップ訴訟』を許してはならない。

応訴の弁護団をつくっていただくよう呼びかけたところ、現在77人の弁護士に参加の申し出をいただいており、さらに多くの方の参集が見込まれている。複数の研究者のご援助もいただいており、スラップ訴訟対応のモデル事例を作りたいと思っている。

本件には、いくつもの重要で興味深い論点がある。本日を第1弾として、当ブログで順次各論点を掘り下げて報告していきたい。ご期待をいただきたい。

なお、東京地裁に提訴された本件の事実上の第1回口頭弁論は、8月20日(水)の午前10時30分に開かれる。私も意見陳述を予定している。

是非とも、多くの皆様に日本国憲法の側に立って、ご支援をお願い申しあげたい。「DHCスラップ訴訟を許さない」と声を上げていただきたい。
(2014年7月13日)
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「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾

政治資金規正法は、1948年に制定された。主として政治家や政治団体が取り扱う政治資金を規正しているが、政治資金を拠出する一般人も規正の対象となりうる。政治資金についての規正が必要なのは、民主主義における政治過程が、カネで歪められてはならないからだ。

政治資金規正法第1条が、やや長めに法の目的を次のとおり宣言している。
「この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。」

立派な目的ではないか。これがザル法であってはならない。これをザル法とする解釈に与してもならない。カネで政治を歪めることを許してはならない。

改めて仔細に読み直すと、うなずくべきことが多々ある。とりわけ、「議会制民主政治の下」では、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われなければならない」と述べていることには、我が意を得たりという思いだ。

キーワードは、「国民の不断の監視と批判」である。法は、国民に政治家や政権への賛同を求めていない、暖かい目で見守るよう期待もしていない。主権者国民は、政党・政治団体・公職の候補者・すべての議員への、絶えざる監視と批判を心掛けなければならない。当然のことながら、政治家にカネを与えて政治をカネで動かそうという輩にも、である。

砕いて言えば、「カネの面から民主主義を守ろう」というのが、この法律の趣旨なのだ。「政治とカネの関係を国民の目に見えるよう透明性を確保する。金持ちが政治をカネで歪めることができないように規正もする。けれども、結局は国民がしっかりと目を光らせて、監視と批判をしてないと民主主義の健全な発展はできないよ」と言っているのだ。

「政治資金収支の公開」と「政治資金授受の規正」が2本の柱だ。なによりもすべての政治資金を「表金」としてその流れを公開させることが大前提。「裏金」の授受を禁止し、政治資金の流れの透明性を徹底することによって、カネの力による民主主義政治過程の歪みを防止することを目的としている。

今私は、政治とカネの関係について、当ブログに何本もの辛口の記事を書いた。そのうちの3本が名誉毀損に当たるとして、2000万円の損害賠償請求訴訟の被告とされている。私を訴えたのは、株式会社DHCとその代表者吉田嘉明である。

どんな罵詈雑言が2000万円の賠償の根拠とされたのか、興味のある方もおられよう。下記3本のブログをご覧いただきたい。

https://article9.jp/wordpress/?p=2371?(2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

https://article9.jp/wordpress/?p=2386?(2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

https://article9.jp/wordpress/?p=2426?(2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」とする批判を内容とするものである。

私は、主権者の一人として「国民の不断の監視と批判を求めている」法の期待に応えたのだ。ある一人の大金持ちから、小なりとはいえ公党の党首にいろんな名目で累計10億円ものカネがわたった。そのうち、表の金は寄付が許される法の規正限度の上限額に張り付いている。にもかかわらず、その法規正の限度を超えた巨額のカネの授受が行われた。はじめ3億、2度目は5億円だった。これは「表のカネ」ではない。政治資金でありながら、届出のないことにおいて「裏金」なのだ。

事実上の有権解釈を示している、『逐条解説 政治資金規正法〔第2次改訂版〕』(ぎょうせい・2002年)88頁は、法の透明性の確保の理念について、「いわば隠密裡に政治資金が授受されることを禁止して、もって政治活動の公明と公正を期そうとするものである」と解説している。

にもかかわらず、3億円、5億円という巨額な裏金の授受を規正できないとする法の解釈は、政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならない。

この透明性を欠いた巨額カネの流れを、監視し批判の声を挙げた私は、主権者として期待される働きをしたのだ。逆ギレて私を提訴するとは、石流れ木の葉が沈むに等しい。これが、スラップなのだ。明らかに間違っている。

憲法と政治資金規正法の理念から見て、恥ずべきは原告らの側である。本件提訴は、それ自体が甚だしい訴権の濫用として、直ちに却下されなければならない。(2014年8月8日)

 

私に「6000万円支払え」と訴訟を提起した根拠が、以上のブログ記事である。これを違法として「6000万円支払え」と請求した人物が、DHCの吉田嘉明。そして、弁護士今村憲が、「その提訴は却ってあなたの不名誉になるから止めなさい」とアドバイスすることなく、代理人として提訴した。読者諸賢の読後感はいかがだろうか。

問題は2段階ある。まずは、私のこの内容の言論が違法とされてよいのか、ということ。そして、この内容の言論を違法として提訴し、表現者に応訴の負担をかけることが許されてよいのか、ということ。

 私は、自分の記事を読み直して、いずれの記事も正鵠を射たものであると確信する。私は、民主主義社会の主権者の一人として、なすべき正統な言論を表明したのだ。DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の違法と悪質さについて、改めて憤りを深くしている。

 

 

 

DHCスラップ訴訟・反撃訴訟の経過と判決の意義 ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第180弾

(2021年1月17日)
1 DHC・吉田嘉明完敗確定の意義
6年9か月に及んだ、DHC・吉田嘉明と私(澤藤)との典型的なスラップ訴訟をめぐる法廷闘争が終わった。繰り返し確認しておくことになるが、私の完勝である。ということは、DHC・吉田嘉明完敗の確定である。裁判は、都合6回あった。私の6戦全勝、DHC・吉田嘉明の6戦全敗である。DHC・吉田には何の策もなく負けるべくして負けた。この経過と判決内容とは、私の勝利というだけではなく、基本権である表現の自由の勝利である。この社会には、まだDHC・吉田のごとき者を批判する自由は保障されているのだ。

判決によってその権利性が保障された私の言論は、無内容なものではない。DHC・吉田嘉明が、カネの力でこの国の政治を歪めようとすることへの批判の言論にほかならない。DHC・吉田嘉明が政治家渡辺喜美に対する8億円の裏金提供が目論んだ政治の歪みとは、規制緩和の「美名」のもと、企業の利潤追求に障害となる行政規制をなくして消費者利益を奪いとろうとしたものであった。そのことを批判した私の言論は、民主主義政治にとっても消費者利益にとっても、極めて有益な、真っ当な言論であった。DHC・吉田嘉明が、私を恫喝して妨害しようとした言論とは、そのようなものである。

雉も鳴かずば撃たれることはない。DHC・吉田嘉明は無謀な鳴き声をあげたばかりに撃たれたのだ。吉田嘉明が、何をたくらんで、どのような鳴き声を上げたのか、そして、どのように撃たれたのか。私は、その経過と貴重な表現の自由勝利の結論を世に広める責務を負うに至っている。取りあえずは、このブログで問題を整理し、広くメディアにも訴えたい。

結論を先に明確にしておきたい。今回のDHC・吉田嘉明完敗の最大の教訓は、「DHC・吉田嘉明ごときに恫喝されて、DHC・吉田嘉明に対する批判に臆してはならない」ということである。デマ・ヘイト・スラップ・ステマ・ブラック体質、極右の言論…、何とも多くの病巣を抱え込んだ問題企業・問題人物としてのDHC・吉田嘉明である。これに対する言論での批判は、事実に基づくものである限り、果敢に行わねばならない。スラップの提訴を恐れるが故のいささかの怯みもあってはならないのだ。また、言論によるものではなく、消費者運動としてのDHC製品不買運動にも積極的に取り組むべきである。少しでも、この社会をよりよりものとするために。

2 DHCスラップ訴訟経過の概要
時系列の経過概略は末尾にまとめたとおりである。事件の発端は、2014年3月27日発行の週刊新潮記事だった。ここに吉田嘉明が「さらば器量なき政治家」という手記を掲載し、この記事で吉田嘉明は、当時「みんなの党」の党首であった政治家渡辺喜美に2回にわたって合計8億円の裏金を提供したことを自ら暴露した。この巨額の裏金の動きは、追及されて明るみに出たのではない。当の本人が、無邪気なまでに「自発的に自白」しているのだ。

通常、政治家への裏金提供を批判するには、その真実性を確かめなければならない。ところが本件では、その必要がない。このことは批判の言論の正当性を獲得するためのハードルが格段に低くなっていることを意味する。何のことはない、吉田嘉明は自ら批判の言論を招き寄せ、これを防戦するためにスラップ訴訟を掛けまくったのだ。DHC・吉田嘉明が起こしたスラップ訴訟は計10件。そして、提訴を脅しの道具として、その余の多数の批判の言論を封殺した。

私はこの吉田嘉明の記事を批判した3本のブログ記事を書いて、スラップ訴訟の被告とされた。当初は3本のブログが名誉毀損言論とされ、慰謝料請求額は2000万円だった。ところが、私がこの訴訟をスラップとして、猛然と反撃を始めるや、名誉毀損ブログは2本増やされ、慰謝料請求額は6000万円に拡張された。むちゃくちゃとしかいいようがない。

法廷での意見陳述では、私は次のことを強調した。
「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。」というフランス人権宣言第4条の古典的定義は間違っている。憲法上の権利とは「他人を害することを敢えてなし得ること」である。誰をも傷つけない言論には、「自由」も「権利」も語る実益がない。DHC・吉田嘉明の、経済的・社会的な利益や権利に影響する言論をであって初めて、その言論の法的保障を論じる意味がある。被告(澤藤)の言論は、原告ら(DHC・吉田嘉明)の社会的評価をせしめるものであってなお、その表明の自由が保障されなければならない。

法廷の都度、人が集まり、「民主主義の学校」が開かれた。こうして迎えた東京地裁一審判決は、当然のことではあるが、DHC・吉田嘉明の請求を全部棄却した。つまり、私の全面勝訴である。これを不服としてDHC・吉田嘉明は東京高裁に控訴したが1回結審で控訴棄却の判決となり、さらに最高裁に上告受理申立をして不受理決定となった。ここまでが、第1ラウンド。これを「DHCスラップ訴訟」と呼んでいる。

DHC・吉田が私を被告としたDHCスラップ訴訟は、私が勝つべくして勝った。多くの人々の支援を受けたことがありがたかった。多くの友人弁護士が、法廷に駆けつけてくれた。理論も勢いも気迫も、当方が圧倒していた。判決内容は特に目新しいものではなく手堅い判断であった。

3 反撃訴訟の一審判決
次に第2ラウンドが始まった。今度は、攻守ところを換えての「DHCスラップ反撃訴訟」である。DHC・吉田嘉明の違法なスラップ提訴によって、私が損害を被ったという不法行為損害賠償請求訴訟である。もっとも、私の方が面倒な提訴を逡巡している間に、DHC・吉田嘉明が私を被告として、債務不存在確認請求訴訟を提起した。ここでも雉が鳴いたのだ。

私は、DHC・吉田嘉明が提起した訴訟に反訴を提起して、これを「DHCスラップ『反撃』訴訟」と呼んだ。争点は、DHC・吉田嘉明が起こした提訴の違法性の有無であった。「結果としては勝てなかった提訴」ではなく、「そのような提訴自体が違法となる提訴」の要件を明確にしなければならない。「権利救済のためにあるはずの裁判制度を,言論を萎縮させるための道具として利用させることを許してはならない。」と、弁護団は強く主張した。

DHC・吉田嘉明の私に対する提訴は、歴としたスラップ、明々白々な違法提訴なのだ。そのことを反映して、DHCスラップ『反撃』訴訟一審判決は、逡巡のあとのない、迷いのない判断を示している。

裁判所の判断の枠組みは、以下の最高裁判例に照らして、《民事訴訟裁判制度の趣旨目的に照らして、著しく相当性を欠く場合にあたるか否か》というものとなった。

「訴えの提起は,提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,同人が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り,相手方に対する違法行為になるものというべきである(最高裁判所・1988年1月26日第三小法廷判決)。

その上で、大要次のように判断する。

「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して訴えを提起し、損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについても、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が澤藤に対する違法行為になる」

噛み砕いて言えば、こんなものである。
「澤藤ブログが、DHC・吉田嘉明の耳には痛く面白くないとしても、裁判をしてもどうせ勝てっこない。しかも、勝てっこないことは分かっていたはず。仮にそのことが分かっていなかったとしても、普通の人なら容易に分かったはずなのだから、そんな提訴はしてはいけない。してはいけない提訴をしたことは澤藤に対する違法行為として、損害賠償の責任を負わねばならない」

問題となっている提訴が、以下の「Aを前提に、B1かB2」であれば、違法となるということである。
 A 「その提訴は客観的に勝てない」
 B1「提訴者が、勝てないことを知っている」
 B2「常識的に勝てないことが分かるはず」
つまり、これが対スラップ勝利の方程式。
 A+(B1orB2)=違法スラップ

DHC・吉田嘉明の澤藤に対する提訴が、A「客観的に勝てない」ものであることは、既に答が出ている。吉田嘉明の訴えは全面的に請求棄却で確定しているからだ。残るは、B1「提訴者が勝てないことを知っている」、あるいはB2「常識的に勝てないことが分かるはず」と言えるか。判決は、迷いを見せずに、これを肯定した。この判定過程が、この判決の真骨頂である。

そのうえで、同判決は110万円の損害賠償を認めた。うち100万円は慰謝料、10万円が弁護士費用である。

4 控訴審判決が言及したスラップの違法要素
DHC・吉田嘉明が控訴し、私(澤藤)も附帯控訴して、東京高裁第5民事部(秋吉仁美裁判長)に係属した。口頭弁論1回で結審し、2020年3月18日に判決言い渡しとなった。
結論は、原判決同様の枠組みと要件でスラップの違法を認め、スラップ応訴の損害額を150万円に増額して認定。「反撃」訴訟の弁護士費用を加えて、認容額は165万円となった。
注目すべきは、次のとおり、スラップ訴訟における違法性判断の要素を認定していることである。
(1) 被控訴人(澤藤)の本件各記述が、いずれも公正な論評として名誉殼損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められる
(2) にもかかわらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHCスラップ訴訟のこと)を提起し、その請求額が、当初合計2000万円、スラップ批判のブログ掲載後は、請求額が拡張され、合計6000万円と、通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであった
(3) 本件各記述のような意見、論評、批判が多数出るであろうことは、控訴人らとしても当然予想されたと推認されるところ、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、それに対し、言論という方法で対抗せず、直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という手段で臨んでいる
(4) ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し、判決に至ったものは、いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては、控訴人らの損害賠償請求が棄却されて確定している
以上の諸点から、「前件訴訟(スラップ訴訟)の提起等は、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり、不法行為と捉えたとしても、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。」と結論している。欣快の至りと言うほかはない。

5 スラップ応訴の弁護士費用について
一審判決は、スラップ応訴の弁護士費用をまったく認めなかった。これに対して、控訴審判決は50万円を認めている。
スラップ防止のためには、被告とされた者の慰謝料だけでなく、応訴弁護士費用を損害として認容する判例の定着が必要である。とりわけ、スラップの請求金額に応じた被告側の応訴弁護士費用を負担させることが重要である。「高額スラップの提起には、高額な応訴側弁護士費用負担の覚悟」が必要とならねばならない。
スラップの威嚇効果は、損害賠償の高額性にあるのだから、この点が実務に重要な論点となっている。二審では50万円の認容だったが、6000万円請求事件の弁護士費用が50万円でよいはずはない。これが今後の課題となろう。

6 最高裁は、東京高裁の判決を是認した。本件での一審・二審判決の判断の枠組みが、スラップを違法と判断するリーディングとなると思われる。これまで、スラップといえば、引用される判例は武富士のケースであった。いま、武富士からDHCにバトンが引き継がれた感がある。

最後に繰り返したい。DHC・吉田嘉明ごときに恫喝されて、DHC・吉田嘉明に対する批判に臆してはならない。デマ・ヘイト・スラップ・ステマ・ブラック体質、極右の言論…、何とも多くの病巣を抱え込んだ問題企業・問題人物としてのDHC・吉田嘉明である。社会の健全化は批判によって初めてなる。スラップ常習企業であるが故に、これを批判の届かない聖域にしてはならない。

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DHCスラップ訴訟・反撃訴訟経過

2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
2014年3月31日・4月2日・4月8日 違法とされた3本のブログ掲載

2014年4月16日 DHCスラップ訴訟提起
2014年7月13日 ブログ「『DHCスラップ訴訟』を許さない」開始
2014年8月29日 請求の拡張(2000万円から6000万円へ請求増額)
2015年9月 2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立に不受理決定

2017年 9月 4日 DHC・吉田嘉明が債務不存在確認請求訴訟を提起
2017年11月10日 澤藤から反訴提起。その後、本訴取り下げ
2019年10月 4日 反訴について判決言い渡し。110万円の請求認容
2020年 3月18日 控訴審判決165万円の認容判決
2021年 1月14日 最高裁(第1小法廷)上告棄却・上告受理申立不受理

DHC・吉田嘉明との法廷闘争は私の完勝で確定した。しかし、闘いはまだ終わらない。 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第179弾

(2021年1月15日)

本日午後、最高裁(第1小法廷)から、私(澤藤)宛の特別送達を受領した。内容は下記のとおり、DHC・吉田嘉明の私に対する上告を棄却し、上告受理申立を不受理とする決定。これで、私はDHC・吉田嘉明に対して、裁判6連勝である。6年9か月に及ぶDHC・吉田嘉明と私との法廷闘争は、最終決着がついた。これ以上はない私の完勝である。つまりは、これ以下はないDHC・吉田嘉明の完敗という決着なのだ。

調     書  (決定)

事件の表示  令和2年(オ)第995号
       令和2年(受)第1245号
決 定 日  令和3年1月14日
裁 判 所  最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官 山口 厚
   裁判官 池上政幸
   裁判官 小池 裕
   裁判官 木澤克之
   裁判官 深山卓也

当事者等   別紙当事者目録記載のとおり
原判決の表示 東京高等裁判所令和元年(ネ)第4710号,
       同2年(ネ)第134号(令和2年3月18日判決)

裁判官全員一致の意見で,次のとおり決定。
第1 主文
 1 本件上告を棄却する。
 2 本件を上告審として受理しない。
 3 上告費用及び中立費用は上告人兼申立人らの負担とする。
第2 理由
 1 上告について
   民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ,本件上告の理由は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって,明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
 2 上告受理申立てについて
   本件申立ての理由によれば,本件は,民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。

        令和3年1月14日
最高裁判所第一小法廷
裁判所書記官 長谷川和秀 印

当事者目録

上告人兼申立人      吉田嘉明
上告人兼申立人       株式会社ディーエイチシー
同代表者代表取締役    高橋芳枝
上記両名訴訟代理人弁護士 今村 憲
被上告人兼相手方     澤藤統一郎

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DHC・吉田嘉明が私(澤藤)を被告として、無礼かつ無謀極まるスラップ訴訟を敢えて提起したのは、2014年4月のこと。訴状の日付は同月16日となっている。このスラップ常習企業の代理人弁護士の名を特に記しておきたい。今村憲(第二東京弁護士会)という。彼が、法律専門職の立場において、また弁護士の職業倫理の観点から、依頼者であるDHC・吉田嘉明に対して「勝ち目はないから提訴はおやめなさい」「この提訴は違法と認定されて、あなたに損害賠償責任が生じる恐れがありますよ」と、アドバイスした形跡はない。漫然と素人であるスラップ常習の依頼者に違法提訴を行わせ、損害賠償責任を負担させるに至ったこの弁護士の責任は決して軽いものではない。

この典型的なスラップ訴訟の訴状が私に届いたのが2014年5月16日である。私のブログの3本の記事を、DHC・吉田嘉明に対する名誉毀損に当たるとして、記事の削除と謝罪文の掲載を求めるとともに、2000万円の慰謝料を支払えという過大な請求であった。

こうして、DHC・吉田嘉明と私との法廷での熾烈な争いが始まった。この提訴の目的は、明らかに私に対する恫喝であった。「DHC・吉田嘉明の批判をするな」「黙れ」と、高額請求訴訟がメッセージを発していた。私だけでなく、広く社会に「DHC・吉田嘉明を批判すると、面倒なことになるぞ」「だから、そういう批判はやめておくのが賢い」と思わせることを狙っての提訴でもあった。

私は、弁護士として決してこの恫喝に屈してはならないと、自分に言い聞かせた。そして、猛然と当ブログに《「DHCスラップ訴訟」を許さない》シリーズを書き始めた。そしたらどうだ。慰謝料請求額は、2000万円から6000万円に跳ね上がった。どう見ても、スラップを自白した請求拡張ではないか。

その後、当然のことながら、東京地裁一審判決は、DHC・吉田嘉明の請求を全部棄却した。これを不服としてDHC・吉田嘉明は何の成算もないまま東京高裁に控訴したが1回結審で控訴棄却の判決となり、さらに最高裁に上告受理申立をして不受理の決定となった。DHC・吉田嘉明の3連敗である。全て今村憲が代理人となっていた。

こうして、DHC・吉田嘉明が私(澤藤)を被告として訴えた「DHCスラップ訴訟」はDHC・吉田嘉明側の完敗で終わった。しかし、DHC・吉田嘉明にも代理人にも、敗訴するような訴訟を提起したことを謝罪する姿勢は毫もなかった。こうして、DHC・吉田嘉明も代理人も、スラップ訴訟の所期の目的は幾分なりとも果たしたのだ。DHC・吉田嘉明を批判すると面倒なことになるという社会に蔓延した通念は、払拭されないまま残ったことになる。

そこで私は、DHC・吉田嘉明によるスラップ提訴そのもの違法の確認が不可欠と考えた。こうして、第2ラウンドが始まることになる。DHC・吉田嘉明に違法な提訴を理由とする損害を賠償せよと通知をしたところ、DHC・吉田嘉明から私を被告とする債務不存在確認請求訴訟の提起があった。信じがたいことに、DHC・吉田嘉明の方から、飛んで火に入ってきたのだ。これを受けて立って、損害賠償請求の反訴を提起し、この反訴を「反撃訴訟」と名付けた。

言うまでもないことだが、スラップ訴訟から身を守って請求棄却判決を得ることと、スラップを違法とする反撃訴訟で、損害賠償判決を勝ち取ることとの間には、その困難さにおいて大きな落差がある。私の弁護団は、表現の自由の顕現のために、この課題に挑戦し、みごとな判決を勝ち取った。

この反撃訴訟での東京地裁一審の判決の認容額は110万円であった。これに双方が控訴しての東京高裁判決が165万円の認容額となった。昨年(2020年)3月18日のことである。これで、裁判は私の5連勝となった。

この判決を不服として、DHC・吉田嘉明から上告・上告受理申立があって、最高裁(一小)への記録到着が同年9月14日。それからちょうど4か月を経て、昨日の棄却・不受理決定となった。これで6連勝。この結論に最高裁がいささかの迷いも見せた形跡はない。

こうして、2014年4月のDHC・吉田嘉明によるスラップ提訴の違法が確定した。私は、スラップ常習企業DHCとそのオーナーである吉田嘉明の、表現の自由を蹂躙しようという姿勢を罪深いものと思う。のみならず、DHC・吉田嘉明はその右翼的体質からデマ・ヘイトを繰り返し、消費者に対する欺しやブラック企業としての体質も露わにしている。DHCは、民主主義社会の異物である。その治療が必要なのだ。

この6年余の間に、当ブログではおよそ200回、DHCの問題を抉り訴え続け、DHC製品の不買を呼びかけてきた。

https://article9.jp/wordpress/?cat=12

そして、反撃訴訟判決の1・2審の判決理由は、この種訴訟のリーディングケースたりうるものとなった。その意味では、DHC・吉田嘉明の愚行に向き合って、厖大な時間と労力を注ぎ込んだことが、決して無駄ではなかったと胸を張ることができる。同時に、献身的に訴訟を追行して立派な判決を勝ち取った、光前幸一団長を先頭とする弁護団の皆様に敬意と感謝の意を表する。

法廷での争いは、これで終わる。しかし、私はなお、このブログでDHC製品の不買を訴え続ける。DHCと吉田嘉明の体質が、真っ当なものへと変容するに至るその日まで。

《デマ(D)と、ヘイト(H)と、チート(C)のDHC》 その社会的制裁が必要だ。

(2020年12月30日)
一昨日(12月28日)の夕刻、DHCの内部事情の取材にもとづいて、文春オンラインが下記の長大な記事をアップした。

【DHC現役社員が告発】ヘイト炎上の源泉は会長のヤバすぎる“差別通達”《タレントの出自に関する記述も》
DHC現役社員が告発 #1
https://bunshun.jp/articles/-/42628

DHC会長が全社員に口コミサイトへ“サクラ投稿”奨励「ゴールド社員の称号を与える」《消費者庁は「非常にグレー」》
DHC現役社員が告発 #2
https://bunshun.jp/articles/-/42629

【内部文書入手】DHCのヤバすぎる勤務実態「産休取得で降格、査定基準に“愛社精神指数”、ボーナスのお礼を会長にファクス」
DHC現役社員が告発 #3
https://bunshun.jp/articles/-/42630

これは読み応え十分である。産業社会学の基礎文献になり得る貴重なドキュメント。「#1」の記事が主としてヘイトを、「#2」が全社を挙げての消費者に対するダマシを、そして「#3」がこの会社のオーナー吉田嘉明の恐るべき独善的なブラック体質を語っている。安倍政権が「ウソとゴマカシのデパート」と揶揄されたが、DHCも負けてはいない。デマとヘイトにとどまらず、消費者へのウソとゴマカシ、自社従業員に対するイジメと締め付けのデパートにほかならない。

私は、これまで繰り返し、DHCを
D デマと
H ヘイトの
C カンパニー と呼び、
デマとヘイトとスラップ常習企業として、3拍子揃った反社会的企業と言ってきた。が、文春オンラインのこの記事を読んで考え直した。DHCとは、3拍子では足りない。少なくとも、6拍子を揃えた稀有なトンデモ企業なのだ。

D は、デマ。沖縄の平和運動を貶めるデマ。
H は、ヘイト。在日に対する、いわれなき偏見。
C は、チートのC。悪質な消費者ダマシ。
S スラップ常習企業。表現の自由の敵対者。
O オーナーのブラック体質。労働者保護の敵対者。
S 政治家への裏金提供企業。民主主義の敵対者。

つまりDHCとは、平和と真実と友愛と民主主義に敵対し、消費者をダマシ、労働者の人格を貶め、法令遵守の精神に欠けた反社会的企業である。

とりわけ、「DHC現役社員が告発 #2」の、「DHC会長が全社員に口コミサイトへ“サクラ投稿”奨励」「ゴールド社員の称号を与える」《消費者庁は「非常にグレー」》は、貴重で有益な記事だ。この会社のステマ(ステルスマーケティング)の悪質ぶりは本当にひどい。

結局DHCは、消費者を欺して商品を売り付けてきたのだ。欺されてきたDHC製品の購買者よ、怒らねばならない。消費者からのDHCに対する制裁がどうしても必要である。もう、金輪際、DHC製品を購入するのはやめようではないか。

この社会の一隅に、こういう非道で独善的な組織が存在している現実に戦慄せざるを得ない。これ、ひとえにオーナー吉田嘉明の罪業である。なにゆえ、こんな企業がこの現代の日本に存在しうるのだろうか。労働運動も、労働行政も、消費者運動も、消費者行政も、厚生行政も、市場原理も、なにゆえかくも無力なのだろうか。

安倍晋三をのさばらせたのは、山口4区(下関・長門)の有権者だけではない。私を含む日本国民だ。DHC・吉田嘉明を好き放題に増長させたのも、DHC製品購入者だけの責任ではない。メディアにも行政にも大きな責任がある。そして私自身を含む社会の無関心や不正への寛容がもたらしたものと言うべきであろう。DHCという存在は、この社会の歪みから生じているのだ。

DHCのこれからの消長は、日本国民の良識の水準を示すものになるだろう。

露骨に企業のホンネを見せつけた、「アキタフーズ」と「DHC・吉田嘉明」。

(2020年12月27日)
久しぶりに安倍晋三の「記者会見」や「委員会答弁」に接して、あらためて腹立たしい思い。この男、日本の政治を腐敗させた元兇。あわよくば憲法を壊そうとまでしたのだ。そしてこの男、国会での数々のウソを「心から反省」「政治責任を痛感」などと言いながら、議員に居座ると開き直っている。いま、「安倍晋三の議員辞職を求める」「議員をやめろ、アベヤメロ」というスローガンが実践的に重要だと思う。

そのアベ政治の負の遺産が、あちこちに吹き出している。その中の一つとして、吉川貴盛元農水相の受託収賄疑惑がある。賄賂としての現金授受は3度にわたり、合計500万円。授受の趣旨や職務との関連性が明確である。そして、この賄賂の収受の後に政策が動いている。

吉川貴盛が安倍内閣の農水大臣だったのは2018年10月2日?2019年9月11日、ごく最近のこと。果たして腐敗は農水大臣限りのものなのか、またアキタフーズだけのことなのか疑心暗鬼とならざるをえない。

批判の目は、吉川とその背後のアベ政治に向けられているが、吉川に汚いカネを渡した鶏卵生産大手「アキタフーズ」(広島県福山市)に注目したい。3回にわたって直接に現金を渡した贈賄実行者が、グループの「元代表(87才)」だというが、氏名を特定しての報道はなされていない。便宜、この人物をAとしておこう。

報道によれば、Aは、家畜にとってストレスの少ない飼育環境を目指す「アニマルウェルフェア」(AW)をめぐり、農水族を中心とした政治家らに陳情を重ねていたという。

「アニマルウェルフェア」(AW)とは、部外者にはなじみがないが、農水省はこう説明している。

我が国も加盟しており、世界の動物衛生の向上を目的とする政府間機関である国際獣疫事務局(OIE)の勧告において、「アニマルウェルフェアとは、動物の生活とその死に関わる環境と関連する動物の身体的・心的状態」と定義されています。
アニマルウェルフェアについては、家畜を快適な環境下で飼養することにより、家畜のストレスや疾病を減らすことが重要であり、結果として、生産性の向上や安全な畜産物の生産にもつながることから、農林水産省としては、アニマルウェルフェアの考え方を踏まえた家畜の飼養管理の普及に努めています。

《生産性の向上》と《安全な畜産物の生産》が、政策目的として挙げられているが、コスト高になることから業者は反対したのだ。明らかに、「アニマルウェルフェア」(AW)とは、消費者利益のための業者規制の政策である。この政策を嫌った業界から主務大臣への賄賂の提供は、営利追求を本質とする企業の恒常的な衝動の表れにほかならない。このような犯罪の誘発は、安倍政権の業者に甘い体質の表れとみるべきであろう。安倍自身の責任も小さくはない。

消費者の声を背にした行政による業者規制と、それに対する業界からの反発は、この社会の政治と経済の基本構造に根差している。消費者や労働者や生活者は行政を通じて業者に対する厳格な規制を求め、業界は常にこの規制を緩和せよ撤廃せよと蠢動する。

常識的に、Aは自社の利益のために行政を動かそうと画策した。しかし、賄賂の提供が明るみに出た今、「(鶏卵)業界のため」の現金提供だったと「弁明」しているという。個別企業でも業界でも、薄汚い事業者は、政治や行政に携わる者に、カネを渡し利益を供与して、自社の儲けの障害となる行政規制を取り除こうとあがくのだ。

6年前の「週刊新潮記事」を思い出す。ある経営者の「独占手記」の次の一節である。

 私の経営する会社は主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく何やかやと縛りをかけてきます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には特別厳しいのかと勘ぐったりするぐらいです。
 いずれにせよ50年近くのリアルな経営に従事してきた私から見れば、厚労省に限らず官僚たちが手を出せば出すほど日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり霞が関官僚機構の打破こそが今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが私の求める政治家でした。ですから声高に《脱官僚》を主張していた渡辺喜美さんに興味を持つのは自然のこと。少なくとも5年前はそうでした。

 よくもまあ、こうまで露骨に消費者利益のための社会的規制に悪罵を投げつけられるものと驚嘆せざるをえない。記者から追い詰められて、こうしゃべったのではなく、無邪気に自分から「手記」を書いたのだ。およそ、企業の社会的責任(CSR)や、企業倫理コンプライアンスなどの世のトレンドとは無縁の、「非良心派経営」の典型。これが、DHCの吉田嘉明の「独占手記」である。タイトルは、「さらば器量なき政治家 渡辺喜美」。これに「借金8億円を裏金にして隠したみんなの党代表」と副題が付いている。

私は、吉田嘉明の渡辺喜美(当時、みんなの党代表)に対する、8億円の政治資金支援に関して、「矜持のない政治家を金で買った」「金で政治を買おうというこの行動は…徹底して批判されなくてはならない」、「DHC吉田が8億出しても惜しくないのは…『規制緩和という政治』を買い取りたいからなのだ」、「金を持つ者がその金の力で政治を自らの利益をはかるように誘導することを許してはならない。DHCの吉田嘉明はその許すべからざることをやったのだ」「自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。…渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか」と批判の記事をブログに掲載した。

このブログを怪しからんとして、DHC・吉田嘉明は私に、6000万円請求のスラップ訴訟を提起した。こういう恥ずかしい訴訟を受任する弁護士も現実に存在するのだ。

明らかに「吉田嘉明はカネで政治を買おうとした」のだ。「カネで政治を買おうとした」とは、言論の応酬によってのみ成り立つべき民主主義の政治過程において、カネの力で政治への影響力を獲得しようと企図したとの意である。渡辺喜美は小なりとはいえ公党の党首である。ワンマンとしても知られていた。渡辺に巨額のカネを注ぎこむことによって、一政党を事実上支配し、国政に自らの意図する方向での影響力を及ぼすことができると考えたものと合理的に推察される。これは、常識的な思考のしからしめるところである。

もとより、政治が個人や企業の経済力によって左右されるようなことがあってはならない。「民主的な政治過程がカネの力で歪められてはならない」「カネで政治を買ってはならない」という規範は、憲法上の理念や教科書上の倫理にとどまるものではなく、政治資金規正法が刑罰の制裁をもって具体的に規正しているところである。同法は、政治資金の動きの透明性を徹底することだけでなく、個人や企業(政治資金出捐者)と政治家・政治団体(政治資金受領者)間の政治資金の授受の限度額を法定して、「カネの力で民主的な政治過程が歪められることのないよう」規正し、国民による政治に「不断の監視と批判」を実効あらしめるべきことを法定している。

「アキタフーズ」のAが主務大臣に500万円を提供したという報道に照らして、DHC・吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円提供の事実の重大性を再認識せざるをえない。私のDHC・吉田嘉明に対する批判は、「許される言論」の範疇ではない。私は、民主主義に望まれる主権者の行動として、「カネの力で民主的な政治過程が歪められることのないよう」「不断の監視と批判」を実行したのだ。

最近は、DHC批判は、デマとヘイトとスラップに集中しているが、カネで政治を買おうという、その体質の根本をも批判の対象としなければならない。

「アパ・DHC・高須」ー 極右御三家に、なぜメディアが甘い。

(2020年12月20日)
冬晴れの日曜日。澄みきった空の色が格別。不忍池には薄氷が張っていた。枯れた蓮の隙間を縫って、オオバンの動きが速い。池の周りは、桜や銀杏の落葉が美しい。今日は、目に入るものものがみな美しい。その景色の中で、たった一つ美しからざるものがアパホテル。経営者の歴史修正主義の醜態が建物の美観を損ね、風景をも害している。これさえなければ、ここは散歩者の楽園である。

 アパホテル たえてこの地になかりせば 上野の風情はのどけからまし

ネットニュースを配信している「リテラ」が、《経済界「極右&ヘイト」ミシュラン発表!》という記事を載せたことがある。極右度と、影響度を★で表している。今も、たいして変わらないだろう。

《極右度》星五つと四つは、以下の企業である。

●アパホテル(アパグループ)
極右度 ★★★★★
影響度 ★★★

●DHC
極右度 ★★★★★
影響度 ★★★

●高須クリニック
極右度 ★★★★★
影響度 ?

●出光興産
極右度 ★★★★★
影響度 ★★

●JR東海
極右度 ★★★★
影響度 ★★★★★

●フジ住宅
極右度 ★★★★
影響度 ★★

●アリさんマークの引越社
極右度 ★★★★
影響度 ★

やはり、目立つのは、「アパホテル」「DHC」「高須クリニック」の御三家だろう。「アパホテル」と「DHC」の極右ぶりについては、当ブログで随分書いてきたから繰り返さない。高須クリニック(高須克弥)については、十分には書いて来なかった。あらためて、リテラから引用させていただく。

●高須クリニック
ネトウヨを自認する院長の暴走がとまらない! ホロコーストの否定まで
高須クリニックは「企業」という感じでもないが、院長の高須克弥氏の問題発言の連発ぶりを見ていると、やはりリストアップしておく必要があるだろう。
熱烈な安倍政権の支持者である高須院長は、一昨年の安保法制の際もツイッターで〈平和ボケの若者を悲しく思います!〉と反対デモやSEALDsを攻撃し、韓国や中国に対しても「竹島くらい日本が制圧しちゃえばいいんだよ」「韓国の海軍なんてたいしたことないでしょ。自衛隊が本気を出せば制圧できる」「尖閣の上空を侵犯している中国の無人機だったら、警告をした上で撃ち落としてもいいじゃないの?」(「NEWSポストセブン」)と、タカ派丸出し。挙句の果てに、ナチスの賛美まで飛び出した。

〈ヒトラーは無私の人。ドイツ国民が選んで指示してた。ドイツそのもの。都合の悪いことは全部ヒトラーとナチスのせいにして逃げたドイツ国民はズルい!〉(原文ママ)
〈ドイツのキール大学で僕にナチスの偉大さを教えて下さった黒木名誉教授にお会いした。励まして下さった!嬉しい なう〉
〈ナチスはがんばる女性の支援に積極的でした。スポーツも振興してました。僕は変わってません〉
〈ナチスが消滅してもナチスの科学は不滅〉
〈南京もアウシュビッツも捏造だと思う〉

さて、今回のDHCの差別発言について、本日(12月20日)のリテラ記事が、厳しく断罪している。その矛先は、日本マスコミに向けられている。

「DHC吉田会長の韓国差別コメント問題をなぜテレビは取り上げないのか? 広告料くれればレイシストまでもちあげる日本マスコミ」

https://lite-ra.com/2020/12/post-5734.html

概要、以下のとおりである。

 まともな民主主義社会であれば、吉田会長やDHCという企業は社会的生命を絶たれてもおかしくない。ところが、吉田会長もDHCもこの件について、なんの謝罪も撤回もしていない。コンビニやドラッグストアではいまもDHCの商品が堂々と売られている。いったいなぜこんなことが許されているのか。

 大きいのはメディアの責任だ。今回の吉田会長の差別発言はネットで大きな騒ぎになり、〈#差別企業DHCの商品は買いません〉などの抗議ハッシュタグがトレンド入りしている。また、BBCが「日本の化粧品会社トップの“レイシスト”コメントに批判」と報じるなど、海外メディアの批判報道が相次いでいる。

 ところが、日本のマスコミはほとんど厳しい追及をしていない。共同通信や東京新聞、朝日新聞、毎日新聞など一部のリベラルなメディアはこの問題を批判的に伝えたが、読売、産経、日経などはスルーだった。さらに、テレビにいたってはどの局もまったく吉田会長の差別問題を取り上げなかった。芸能人の不倫程度であれだけ大騒ぎするワイドショーもこの問題には1秒たりとも触れず、逆にいまも、テレビでは同社のCMが流れている。

 コラムニストの小田嶋隆氏は16日、ツイッターでマスコミや日本社会がDHCのヘイトを容認している裏に「金」の問題があると喝破していた。小田嶋氏の指摘するとおり、こんなひどい差別をしても、マスコミがなんの追及もしないのは、DHCが大きなスポンサーで自分たちにお金を落としてくれる存在だからだ。

 そのとおり。まったく同感である。

「#差別企業DHCの商品は買いません」

(2020年12月17日)
DHCという問題だらけの企業。その創業者でありワンマン経営者でもあるのが吉田嘉明。2014年以来の、私との法廷闘争の相手方である。もちろん、法廷闘争は彼が私に仕掛けてきた不当なもの。それを私が受けて立ち、厳しく反撃して今最終盤を迎えている。

ところでこの人、根っからの差別主義者。何があってか、朝鮮・韓国に対する民族的差別感情に凝り固まっている。通常の社会人の感覚としては、差別主義者と言われることは恥ずべきことである。ところがこの人、差別表現を繰り返して懲りない。

差別的表現は違法である。とりわけ、在日差別には特別法ができている。通称ヘイトスピーチ解消法(正式には「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(施行2016年6月3日)には、下記の前文が置かれている。

我が国においては、近年、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、適法に居住するその出身者又はその子孫を、我が国の地域社会から排除することをせん動する不当な差別的言動が行われ、その出身者又はその子孫が多大な苦痛を強いられるとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている。
もとより、このような不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのまま看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない。
ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進すべく、この法律を制定する。

私は法廷においても当ブログにおいても、吉田嘉明の唾棄すべき差別表現を指摘し指弾してきた。それもあってか、ここしばらくは彼のヘイト発言は鳴りを潜め、おとなしくしていたようである。が、またぞろ吉田嘉明の在日差別発言が話題になっている。そのことを、昨日(12月16日)ハフポスト日本版のネット記事で知った。

ハフポストの記事のタイトルは、《DHCに「差別だ」と批判あがる。競合他社を在日コリアンへの蔑称を使い批判》というもの。

「競合他社」とはサントリーのこと。「在日コリアンへの蔑称を使い批判」とは、「チョントリー」とという、不愉快極まる品のない差別表現のこと。社会常識を弁えないというに留まらない。およそ、よい齢をした大人の言うことではない。いや、《許されざる違法な差別発言》と言わねばならない。DHCはワンマン企業といえども株式会社ではないか。この会社には、トップのヘイト発言をチェックするコンプライアンスの機能は働いていないのか。

問題の一文は、「ヤケクソくじについて」と題する吉田嘉明自身のDHC製品宣伝文。DHCの公式オンラインショップとされているサイトに掲載されている。問題箇所を抜粋すれば、以下のとおりである。

(同業他社は)DHCでなら500円で売れるものを5000円近くで販売しているわけですから、売上金額の集計では、多くなるのは当たり前です。消費者の一部は、はっきり言ってバカですから、値段が高ければそれだけ中身もいいのではないかと思ってせっせと買っているようです。

サントリーのCMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人です。そのためネットではチョントリーと揶揄されているようです。DHCは起用タレントをはじめ、すべてが純粋な日本企業です。

ハフポストは、「文章の中での表現について、根拠は一切示されていない」「ハフポスト日本版では、DHCにメールで見解を聞いている」「DHCから返答があった場合は追記する。」とした上で、「DHCにネットで批判が寄せられている」ことを以下のように紹介している。

この文章が話題になると、Twitterでは抗議の声があがった。「#差別企業DHCの商品は買いません」というハッシュタグは、12月16日午前10時現在日本のトレンド2位に。「企業のトップとしてこういう発言を出すのはどうか」「有名企業が使っていて許されるのか」などといった投稿が寄せられている。

ハフポスト日本版がDHC広報部に電話したところ、「電話では取材を受けられないので、メールを送ってほしい」との返答があった。そのため、Twitter上での批判に対する受け止めや、この文章が差別に該当すると考えるかなどをメールで問い合わせている。返答があった場合、追記する。

差別表現には、直ちに反撃が生じるのは、結構なことだ。「#差別企業DHCの商品は買いません」というハッシュタグを検索すると、2人の著名人の発言があった。

町山智浩氏 これは韓国人に対する差別ではない。コリアン系日本人に対する差別だ。芸能界、テレビ界はどうして声を上げないのか。どうしてDHCと戦わないのか。どうしておれみたいなミジンコがいつまでも孤独に地道に叫び続けなきゃならないのか。

小田嶋隆氏 DHCの問題はAPAホテルと高須クリニックの問題でもある。つまり「カネを持っていれば差別が容認される社会」のお話だ。DHCの問題は、単に「差別を拡散する企業が実在している」というだけの話ではない。そういう企業がテレビで番組を持ち、CMを打ち、有名タレントを起用し、コンビニに棚を確保し、新聞に広告を掲載することを許しているこの国の現状こそが問題だと思う。カネさえ払えば何をやってもいいのか、という。

また、こんなツィートもあった。「(吉田嘉明の)この文章を読んでもまだDHCの商品使う人がいたり、DHCの広告を受ける担当者がいたり、DHCの番組制作に関わってたりする人たちがいることが、本当に恐ろしい。他者への差別にそこまで無関心になれる社会が何よりも恐ろしい。心底恐ろしい。」

私は、日本に住む皆様に心からお願いしたい。ぜひとも、「#差別企業DHCの商品は買いません」を実行していただきたい。この日本の社会を、住みやすく差別のない真っ当なものにするために。

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