DHCスラップ訴訟・反撃訴訟の経過と判決の意義 ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第180弾
(2021年1月17日)
1 DHC・吉田嘉明完敗確定の意義
6年9か月に及んだ、DHC・吉田嘉明と私(澤藤)との典型的なスラップ訴訟をめぐる法廷闘争が終わった。繰り返し確認しておくことになるが、私の完勝である。ということは、DHC・吉田嘉明完敗の確定である。裁判は、都合6回あった。私の6戦全勝、DHC・吉田嘉明の6戦全敗である。DHC・吉田には何の策もなく負けるべくして負けた。この経過と判決内容とは、私の勝利というだけではなく、基本権である表現の自由の勝利である。この社会には、まだDHC・吉田のごとき者を批判する自由は保障されているのだ。
判決によってその権利性が保障された私の言論は、無内容なものではない。DHC・吉田嘉明が、カネの力でこの国の政治を歪めようとすることへの批判の言論にほかならない。DHC・吉田嘉明が政治家渡辺喜美に対する8億円の裏金提供が目論んだ政治の歪みとは、規制緩和の「美名」のもと、企業の利潤追求に障害となる行政規制をなくして消費者利益を奪いとろうとしたものであった。そのことを批判した私の言論は、民主主義政治にとっても消費者利益にとっても、極めて有益な、真っ当な言論であった。DHC・吉田嘉明が、私を恫喝して妨害しようとした言論とは、そのようなものである。
雉も鳴かずば撃たれることはない。DHC・吉田嘉明は無謀な鳴き声をあげたばかりに撃たれたのだ。吉田嘉明が、何をたくらんで、どのような鳴き声を上げたのか、そして、どのように撃たれたのか。私は、その経過と貴重な表現の自由勝利の結論を世に広める責務を負うに至っている。取りあえずは、このブログで問題を整理し、広くメディアにも訴えたい。
結論を先に明確にしておきたい。今回のDHC・吉田嘉明完敗の最大の教訓は、「DHC・吉田嘉明ごときに恫喝されて、DHC・吉田嘉明に対する批判に臆してはならない」ということである。デマ・ヘイト・スラップ・ステマ・ブラック体質、極右の言論…、何とも多くの病巣を抱え込んだ問題企業・問題人物としてのDHC・吉田嘉明である。これに対する言論での批判は、事実に基づくものである限り、果敢に行わねばならない。スラップの提訴を恐れるが故のいささかの怯みもあってはならないのだ。また、言論によるものではなく、消費者運動としてのDHC製品不買運動にも積極的に取り組むべきである。少しでも、この社会をよりよりものとするために。
2 DHCスラップ訴訟経過の概要
時系列の経過概略は末尾にまとめたとおりである。事件の発端は、2014年3月27日発行の週刊新潮記事だった。ここに吉田嘉明が「さらば器量なき政治家」という手記を掲載し、この記事で吉田嘉明は、当時「みんなの党」の党首であった政治家渡辺喜美に2回にわたって合計8億円の裏金を提供したことを自ら暴露した。この巨額の裏金の動きは、追及されて明るみに出たのではない。当の本人が、無邪気なまでに「自発的に自白」しているのだ。
通常、政治家への裏金提供を批判するには、その真実性を確かめなければならない。ところが本件では、その必要がない。このことは批判の言論の正当性を獲得するためのハードルが格段に低くなっていることを意味する。何のことはない、吉田嘉明は自ら批判の言論を招き寄せ、これを防戦するためにスラップ訴訟を掛けまくったのだ。DHC・吉田嘉明が起こしたスラップ訴訟は計10件。そして、提訴を脅しの道具として、その余の多数の批判の言論を封殺した。
私はこの吉田嘉明の記事を批判した3本のブログ記事を書いて、スラップ訴訟の被告とされた。当初は3本のブログが名誉毀損言論とされ、慰謝料請求額は2000万円だった。ところが、私がこの訴訟をスラップとして、猛然と反撃を始めるや、名誉毀損ブログは2本増やされ、慰謝料請求額は6000万円に拡張された。むちゃくちゃとしかいいようがない。
法廷での意見陳述では、私は次のことを強調した。
「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。」というフランス人権宣言第4条の古典的定義は間違っている。憲法上の権利とは「他人を害することを敢えてなし得ること」である。誰をも傷つけない言論には、「自由」も「権利」も語る実益がない。DHC・吉田嘉明の、経済的・社会的な利益や権利に影響する言論をであって初めて、その言論の法的保障を論じる意味がある。被告(澤藤)の言論は、原告ら(DHC・吉田嘉明)の社会的評価をせしめるものであってなお、その表明の自由が保障されなければならない。
法廷の都度、人が集まり、「民主主義の学校」が開かれた。こうして迎えた東京地裁一審判決は、当然のことではあるが、DHC・吉田嘉明の請求を全部棄却した。つまり、私の全面勝訴である。これを不服としてDHC・吉田嘉明は東京高裁に控訴したが1回結審で控訴棄却の判決となり、さらに最高裁に上告受理申立をして不受理決定となった。ここまでが、第1ラウンド。これを「DHCスラップ訴訟」と呼んでいる。
DHC・吉田が私を被告としたDHCスラップ訴訟は、私が勝つべくして勝った。多くの人々の支援を受けたことがありがたかった。多くの友人弁護士が、法廷に駆けつけてくれた。理論も勢いも気迫も、当方が圧倒していた。判決内容は特に目新しいものではなく手堅い判断であった。
3 反撃訴訟の一審判決
次に第2ラウンドが始まった。今度は、攻守ところを換えての「DHCスラップ反撃訴訟」である。DHC・吉田嘉明の違法なスラップ提訴によって、私が損害を被ったという不法行為損害賠償請求訴訟である。もっとも、私の方が面倒な提訴を逡巡している間に、DHC・吉田嘉明が私を被告として、債務不存在確認請求訴訟を提起した。ここでも雉が鳴いたのだ。
私は、DHC・吉田嘉明が提起した訴訟に反訴を提起して、これを「DHCスラップ『反撃』訴訟」と呼んだ。争点は、DHC・吉田嘉明が起こした提訴の違法性の有無であった。「結果としては勝てなかった提訴」ではなく、「そのような提訴自体が違法となる提訴」の要件を明確にしなければならない。「権利救済のためにあるはずの裁判制度を,言論を萎縮させるための道具として利用させることを許してはならない。」と、弁護団は強く主張した。
DHC・吉田嘉明の私に対する提訴は、歴としたスラップ、明々白々な違法提訴なのだ。そのことを反映して、DHCスラップ『反撃』訴訟一審判決は、逡巡のあとのない、迷いのない判断を示している。
裁判所の判断の枠組みは、以下の最高裁判例に照らして、《民事訴訟裁判制度の趣旨目的に照らして、著しく相当性を欠く場合にあたるか否か》というものとなった。
「訴えの提起は,提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,同人が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り,相手方に対する違法行為になるものというべきである(最高裁判所・1988年1月26日第三小法廷判決)。
その上で、大要次のように判断する。
「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して訴えを提起し、損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについても、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が澤藤に対する違法行為になる」
噛み砕いて言えば、こんなものである。
「澤藤ブログが、DHC・吉田嘉明の耳には痛く面白くないとしても、裁判をしてもどうせ勝てっこない。しかも、勝てっこないことは分かっていたはず。仮にそのことが分かっていなかったとしても、普通の人なら容易に分かったはずなのだから、そんな提訴はしてはいけない。してはいけない提訴をしたことは澤藤に対する違法行為として、損害賠償の責任を負わねばならない」
問題となっている提訴が、以下の「Aを前提に、B1かB2」であれば、違法となるということである。
A 「その提訴は客観的に勝てない」
B1「提訴者が、勝てないことを知っている」
B2「常識的に勝てないことが分かるはず」
つまり、これが対スラップ勝利の方程式。
A+(B1orB2)=違法スラップ
DHC・吉田嘉明の澤藤に対する提訴が、A「客観的に勝てない」ものであることは、既に答が出ている。吉田嘉明の訴えは全面的に請求棄却で確定しているからだ。残るは、B1「提訴者が勝てないことを知っている」、あるいはB2「常識的に勝てないことが分かるはず」と言えるか。判決は、迷いを見せずに、これを肯定した。この判定過程が、この判決の真骨頂である。
そのうえで、同判決は110万円の損害賠償を認めた。うち100万円は慰謝料、10万円が弁護士費用である。
4 控訴審判決が言及したスラップの違法要素
DHC・吉田嘉明が控訴し、私(澤藤)も附帯控訴して、東京高裁第5民事部(秋吉仁美裁判長)に係属した。口頭弁論1回で結審し、2020年3月18日に判決言い渡しとなった。
結論は、原判決同様の枠組みと要件でスラップの違法を認め、スラップ応訴の損害額を150万円に増額して認定。「反撃」訴訟の弁護士費用を加えて、認容額は165万円となった。
注目すべきは、次のとおり、スラップ訴訟における違法性判断の要素を認定していることである。
(1) 被控訴人(澤藤)の本件各記述が、いずれも公正な論評として名誉殼損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められる
(2) にもかかわらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHCスラップ訴訟のこと)を提起し、その請求額が、当初合計2000万円、スラップ批判のブログ掲載後は、請求額が拡張され、合計6000万円と、通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであった
(3) 本件各記述のような意見、論評、批判が多数出るであろうことは、控訴人らとしても当然予想されたと推認されるところ、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、それに対し、言論という方法で対抗せず、直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という手段で臨んでいる
(4) ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し、判決に至ったものは、いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては、控訴人らの損害賠償請求が棄却されて確定している
以上の諸点から、「前件訴訟(スラップ訴訟)の提起等は、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり、不法行為と捉えたとしても、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。」と結論している。欣快の至りと言うほかはない。
5 スラップ応訴の弁護士費用について
一審判決は、スラップ応訴の弁護士費用をまったく認めなかった。これに対して、控訴審判決は50万円を認めている。
スラップ防止のためには、被告とされた者の慰謝料だけでなく、応訴弁護士費用を損害として認容する判例の定着が必要である。とりわけ、スラップの請求金額に応じた被告側の応訴弁護士費用を負担させることが重要である。「高額スラップの提起には、高額な応訴側弁護士費用負担の覚悟」が必要とならねばならない。
スラップの威嚇効果は、損害賠償の高額性にあるのだから、この点が実務に重要な論点となっている。二審では50万円の認容だったが、6000万円請求事件の弁護士費用が50万円でよいはずはない。これが今後の課題となろう。
6 最高裁は、東京高裁の判決を是認した。本件での一審・二審判決の判断の枠組みが、スラップを違法と判断するリーディングとなると思われる。これまで、スラップといえば、引用される判例は武富士のケースであった。いま、武富士からDHCにバトンが引き継がれた感がある。
最後に繰り返したい。DHC・吉田嘉明ごときに恫喝されて、DHC・吉田嘉明に対する批判に臆してはならない。デマ・ヘイト・スラップ・ステマ・ブラック体質、極右の言論…、何とも多くの病巣を抱え込んだ問題企業・問題人物としてのDHC・吉田嘉明である。社会の健全化は批判によって初めてなる。スラップ常習企業であるが故に、これを批判の届かない聖域にしてはならない。
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DHCスラップ訴訟・反撃訴訟経過
2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
2014年3月31日・4月2日・4月8日 違法とされた3本のブログ掲載
2014年4月16日 DHCスラップ訴訟提起
2014年7月13日 ブログ「『DHCスラップ訴訟』を許さない」開始
2014年8月29日 請求の拡張(2000万円から6000万円へ請求増額)
2015年9月 2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立に不受理決定
2017年 9月 4日 DHC・吉田嘉明が債務不存在確認請求訴訟を提起
2017年11月10日 澤藤から反訴提起。その後、本訴取り下げ
2019年10月 4日 反訴について判決言い渡し。110万円の請求認容
2020年 3月18日 控訴審判決165万円の認容判決
2021年 1月14日 最高裁(第1小法廷)上告棄却・上告受理申立不受理