(2022年4月29日)
本日は「昭和の日」。大型連休の初日だが、東京は生憎の本降りの雨。しかも肌寒い。ツツジも、サツキも、フジも、冷雨にうたれて気の毒の限り。
このぐずついた天候のごとく、このところよいニュースがない。コロナ・ウクライナ・知床事故・道志村…。そして、諸式の物価高である。世の物価はなべて上がるが、賃金は上がらない、年金は下がる。株価だけが人為的な操作で持ちこたえ、持つ者と持たざる者との格差拡大に拍車がかかる。これでどうして、政権がもっているのやら。さらには、敵基地反撃能力だの、中枢機能攻撃だの、核シェアリングだの、防衛費倍増だの。ヒステリックで物騒極まりない見解が飛びかっている不穏さ。
そう思っていたら、北海道新聞のデジタル版に、以下の記事。
「改憲の賛否再び拮抗 9条改正「不要」57% 本紙世論調査」というのだ。これは朗報である。闇夜に一筋の光明とは大袈裟だが、元気が湧く。
「5月3日の憲法記念日を前に、北海道新聞社は憲法に関する全道世論調査を行った。
憲法を「改正すべきだ」は42%(前年調査比18ポイント減)、
「必要はない」は43%(同13ポイント増)
で拮抗(きっこう)した。
前年は新型コロナウイルスへの不安の高まりなどを背景に改憲意見が強まったが、再び賛否が二分する状態に戻った。
戦争放棄を定めた憲法9条については「改正すべきではない」が前年から横ばいの57%で、「改正すべきだ」の35%(同1ポイント減)を上回った。
自民党などはロシアによるウクライナ侵攻を機に9条改正に向けた議論の進展を図っているが、市民の間に改憲論は強まっていないことが浮き彫りになった。」
これが、憲法記念日直前の、全道の憲法意識なのだという。これから、順次全国の世論調査が実施され結果が発表されることになるだろうが、「市民の間に改憲論は強まっていない 」とは幸先のよい調査結果ではないか。
いま、ロシアのウクライナ侵攻を奇貨として、反憲法勢力が懸命に笛を吹いている。曰わく、「自分の国は自力で防衛しなければならない」「平和を望むなら、軍事力の増強が不可欠である」「それに桎梏となっている憲法を、とりわけ9条を変えなければならない」と。
この笛を吹いている側の勢力が、自・公・維・国の保守4党。しかし、国民はけっしてこの笛に踊らされてはいないのだ。むしろ、平和への危機意識が「9条守れ」の声に結実しているのではないか。道新の世論調査が、貴重なその第一報となった。さて、これから、メーデーがあり、憲法記念日となる。改憲阻止の世論を大きくしていきたいもの。
ところで、「昭和の日」である。昭和という時代は1945年8月敗戦の前と後に2分される。戦前は富国強兵を国是とし、侵略戦争と植民地支配の軍国主義の時代であった。戦後は一転して、「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」から再出発した、平和憲法に支えられた時代。戦前が臣民すべてに天皇のための滅私奉公が強いられた時代であり、戦後が主権者国民の自由や人権を尊重すべき原則の時代、といってもよい。
本日は、戦前の軍国主義昭和を否定し、戦後の平和主義昭和を肯定的に評価すべき日でなくてはならないが、なんと、本来の「昭和の日」に、もっともふさわしからぬ人物の誕生日を選んだことになる。疑いもなく、昭和天皇と諡(おくりな)された裕仁こそが、戦前の狂信的軍国主義を象徴する人物にほかならないのだから。
あの昭和前期の軍国主義の時代、国民には裕仁や軍部の手口が、見えなかった。いま、プーチン・ロシアが、隣国ウクライナに侵略戦争中の「昭和の日」を迎えてこのことを思い起こすべきだろう。
プーチンの国内世論の支持はすこぶる高いと報じられている。皇軍の侵略を支えた日本国民の民意はそれを圧倒するものだったろう。プーチンの手口はヒロヒトの軍隊とよく似ている。戦前の日本の歴史を見据えて、プーチン・ロシアの責任を見極めよう。そして、プーチンもヒロヒト同様に、内外に戦争の惨禍をもたらした戦争犯罪者であり、平和への敵であることを確認しなければならない。
戦前の軍国主義昭和を否定し、戦後の平和主義昭和を肯定する立場からは、憲法の理念を擁護し、憲法の改正を阻む決意あってしかるべきである。そうであって初めて、「昭和の日」の意義がある。
(2022年3月28日・連続更新9年まであと3日)
先週の水曜日、3月23日に那覇地裁(山口和宏裁判長)で、政教分離に関する訴訟の判決が言い渡された。市民2人が原告となって那覇市を訴えた住民訴訟でのこと。請求の内容は、「那覇市営の松山公園内にある久米至聖廟(孔子廟)は宗教的施設なのだから、市の設置許可は憲法の政教分離に反する。よって、『那覇市が、施設を管理する法人に撤去を求めないことの違法の確認を求める』」というもの。
この訴訟には前訴があり、「那覇市が無償で、宗教施設と認定せざるを得ない孔子廟に公園敷地を提供していることは違憲」という最高裁判決が確定している。今回の判決は、「今は、適正な対価の支払いを受けている」ことを主たる理由として請求を棄却した。なお、原告になった市民とは右翼活動家で、弁護団も原告と政治信条を同じくするグループ。
さて、あらためて政教分離とは何であるか。日本国憲法第20条1項本文は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と信教の自由を宣言する。そして、これに続けて「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と定める。宗教の側を主語として、政治権力との癒着を禁じている。さらに、同条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と、公権力の側からの宗教への接近を禁じている。これが、憲法上の政教分離原則である。
政教分離の「政」とは国家、あるいは公権力を指す。「教」とは宗教のこと。国家と宗教は、互いに利用しようと相寄る衝動を内在するのだが、癒着を許してはならない。厳格に高く厚い壁で分離されなくてはならないのだ。
なぜ、政教分離が必要か、そして重要なのか。「憲法の政教分離の規定は、戦前に国家と神道が結びついて軍国主義に利用され、戦争に突き進んだ反省に基づいて設けられた」(毎日新聞社説)、「かつて(日本は)国家神道を精神的支柱にして戦争への道を突き進んだ。政教分離の原則は、多大な犠牲をもたらした戦前の深い反省に立脚し、つくられたのだ」(沖縄タイムス社説)などと説明される。
この原則を日本国憲法に書き込んだのは、戦前に《国家と神道》が結びついて《国家神道》たるものが形成され、これが軍国主義の精神的支柱になって、日本を破滅に追い込んだ悲惨な歴史を経験したからである。国家神道の復活を許してはならない。これが、政教分離の本旨である。そのとおりだが、《国家神道》とは、今の世にややイメージしにくい言葉となっている。平たく、『天皇教』と表現した方が分かり易い。創唱者イエス・キリストの名をとってキリスト教、仏陀を始祖とするから仏教。また、キリストや仏陀を聖なる信仰の対象とするから、キリスト教と称し仏教と言う。ならば、天皇の祖先を神として崇拝し、当代の天皇を現人神とも祖先神の祭司ともするのが、明治以来の新興宗教・「天皇教」である。 この「天皇教」は、権力が作りあげた政治宗教であった。天皇の祖先神のご託宣をもって、この日本を天皇が統治する正当性の根拠とする荒唐無稽の教義の信仰を臣民に強制した。睦仁・嘉仁・裕仁と3代続いた教祖は、教祖であるだけでなく、統治権の総覧者とも大元帥ともされた。
この天皇教が、臣民たちに「事あるときは誰も皆 命を捨てよ 君のため」と教えた。天皇のために戦え、天皇のために死ね、と大真面目で教えたのだ。直接教えたのは、学校の教師たちだった。全国各地の教場こそが、天皇教の布教所であり、天皇のために死ぬことを名誉とする兵士を養成し、侵略戦争の人的資源としたのだ。
目も眩むような、この一億総マインドコントロール、それこそが天皇教=国家神道であり、戦後新憲法制定に際しての旧体制への反省が政教分離の規定となった。
当然のことながら、戦前の天皇制支配に対する反省のありかたを徹底すれば、天皇制の廃絶以外にはない。しかし、占領政策の思惑は戦後改革の不徹底を余儀なくさせ、日本国憲法に象徴天皇制を残した。この象徴天皇を、再び危険な神なる天皇に先祖がえりさせてはいけない、天皇教の復活を許さない、そのための歯止めの装置が政教分離なのだ。
だから、憲法の政教分離に関する憲法規定は、本来が、『公権力』と天皇教の基盤となった『神道』との癒着を禁じたものである。それゆえに、リベラルの陣営は厳格な政教分離の解釈を求める。靖国神社公式参拝・玉串料訴訟、即位の礼・大嘗祭訴訟、護国神社訴訟、地鎮祭訴訟、忠魂碑訴訟等々は、そのようなリベラル側からの訴訟であった。これに反して、右翼や歴史修正主義派は、天皇教の権威復活を求めて、可能な限りの政教分離の緩やかな解釈を求めるということになる。
ところが、世の中にはいくつもの捻れという現象が起きる。那覇孔子廟訴訟(前訴)がまさしくそれで、今回の訴訟もその続編である。後に知事となった翁長雄志那覇市長(当時)に打撃を与えようとの提訴ではあったが、前訴では比較的厳格な政教分離解釈を導き出している。リベラル派としては、喜んでよい。
今回の判決では、「歴史や学術上価値の高い公園施設として市が設置を許可しており、実際に多数の観光客らが訪れたり、教養講座が開かれたりしていると指摘。最高裁判決後、久米崇聖会が市に年間約576万円の使用料を支払っていることにも触れ『特段の便益の提供とは言えない』として、政教分離原則に反しないと判示した」と報じられている。喜ぶべきほどのこともなく、残念と思うほどのこともない判決と言ってよいだろう。
(2022年3月19日)
「週刊金曜日」(22/03/18・1369号)が、天皇制と水平社宣言を並んで取りあげて、それぞれが熱のこもった誌面を構成している。各記事の中では触れられてはいないが、偶然にこう並んだはずはない。天皇と部落差別とは光と影の存在、相互依存の関係にある。その目次は下記のとおり。
天皇制 皇位継承問題 焦点は「直系か傍系か」だ 永田政徳
「菊タブー」に物申す 女性天皇の是非よりも国民主権から問え
今こそ天皇制存続についての議論を 鈴木裕子
日本初の人権宣言「水平社宣言」から100年
「人権擁護の法整備」の大切さを訴える 西村秀樹
部落解放同盟中央本部 組坂繁之執行委員長に聞く
「貧困・格差解消に翼を広げる」
あらためて、西光万吉という人物に敬意を表明したい。彼の発案になる「水平社」というネーミングが素晴らしい。そのとおりこの人間社会は「水平」なのだ。人間皆同じ、高い人も低い人も、尊いも卑しむべき人もないのだ。誰にも恐れ入る必要はないし、誰をも見下したり差別してはならない。それが、この社会を見る目の原点、「公理」である。
ところが、天皇はこの公理と決定的に不調和な異物である。一部の人間の思惑で無理矢理拵えられた「貴」によって社会の水平が破られ、他方に「賤」が作られた。人間平等という原理を受容しては「貴種」「貴族」の存在はあり得ないのだから、皇室やら皇族をありがたがる愚物には、論理的にも現実的にも人間の不平等が必要なのだ。天皇信仰と部落差別とは、表裏一体のものとして、ともに廃絶しなければならない。
特定の人や集団に対する差別観は、別の特定の人や集団に対する神聖視に支えられている。部落差別や、在日差別をあってはならないと考える人は、あらゆる差別の根源としてある天皇への神聖視や敬意表明の強制を容認してはならない。人間社会皆等しく「水平」であることの実践が必要なのだ。「週刊金曜日」記事が、天皇や皇族への一切の敬語を使っていないことで、実に清々しいものになっている。
不合理な差別をなくするためには、まず天皇という逆差別の存在をなくして「水平」を実現しなければならない。そのための第一歩として、天皇や皇室の神聖性を打破しなくてはならない。バカバカしい敬語の強要に敢えて異を唱えなければならない。同調圧力に屈してはならない。
「金曜日」誌上で鈴木裕子が力説するとおり、女性天皇容認でよしとするのではなく、「今こそ天皇制存続についての議論が必要」なのだ。しかも、実のところは、天皇も皇族も、自分の生まれを呪っているに違いないのだから。
そして思う。旧優生保護法下、ある人々には不妊・断種が強制された。そして、皇室の女性には男子の出産が強制されたのだ。同じ人間に対する扱いとしての、目の眩むような恐るべきこの落差。
優生思想を唾棄すべきものとする多くの人に申しあげたい。天皇の存在を容認する思想も、実は優生思想の半面なのだ。あらゆる差別に反対する立場からは、けっして天皇の存在を容認してはならない。
(2022年2月20日)
小林多喜二は虐殺された。天皇の手先である思想警察の手によってである。多喜二の無念を忘れてはならない。権力の暴虐を忘れてはならない。
子どものころに教えられた。あの壮大なピラミッドを作ったのは、クフなど歴代のファラオである。設計者でも石工でも運搬者でもない。万里の長城を築いたのは皇帝であって、使役された土工ではない。東大寺を建立したのは聖武天皇であって、作業に従事した宮大工ではない。ならば、多喜二を虐殺したのは、特高ではなく明らかに天皇・裕仁である。
1933年2月20日、多喜二はスパイの手引きで路上格闘の末特高警察に身体を拘束された。拉致された築地警察署内で拷問を受け、その日のうちに虐殺された。なんの法的手続を経ることもない文字どおりの虐殺であった。スパイの名は三船留吉。多喜二殺害の責任者は特高警察部長安倍源基。その手を虐殺の血で染めたのは、特高課長毛利基、特高係長中川成夫、警部山県為三らである。が、多喜二の虐殺者として歴史に名を留めるべきは、明らかに天皇・裕仁である。
私は、多喜二の殺害に関わった特高らを殺人鬼だとは思わない。彼らは、天皇に忠実な警察官として、当時の共産党員を天人ともに許さざる不忠の輩と真面目に思い込んでいたのであろう。天皇の神聖を害し、天皇の統治を撹乱し、天皇の宸襟を煩わす非国民。それに対する制裁は法を超越した正義であって、躊躇すべき理由はない。
多喜二は、天皇の警察によって、天皇のために虐殺された。天皇の名による正義を実現する目的で…。天皇が多喜二を虐殺したと言って何の不都合があろうか。裕仁は、虐殺された多喜二と、その母の無念に思いをいたしたことがあっただろうか。
多喜二は、その鋭い文筆故に満29歳と4か月で命を落とした。治安維持法で弾圧された人々の崇高な活動と悲惨を描いて、自らも弾圧に倒れた。その時代、言論の自由は保障されていなかった。今の日本に言論の自由はあるか、正確には答えにくいが、多喜二の時代よりははるかにマシと言ってよい。その自由は十分に活用されているだろうか。再び錆び付く恐れはないだろうか。
もっとも、多喜二が虐殺されたあの時代にも、天皇を賛美し帝国の興隆を鼓吹する旺盛な言論活動は、誰からも制約されることなく社会に溢れていた。時の権力や有力者に迎合する言論をことさらに自由という意味はない。
表現の自由は、政治的・経済的な強者に対する批判と、権威を否定する言論においてこそ保障されなければならない。このような言論が、これを制圧しあるいは報復しようという大きな圧力と対峙せざるを得ないからである。このような言論はそれ自体貴重であり萎縮させられてはならない。
言い古された言葉であるが、言論の自由とは、政治権力や社会の権威が憎む言論の自由でなくてはならない。また、社会の多数者にとって心地よからぬ少数者の言論の自由でなくてはならない。まさしく、多喜二の言論がその典型であった。
今、言論の自由を押さえ込み、表現者の口を封じペンを折る手段として、必ずしも暴力が有効な時代ではない。が、天皇や天皇制批判の言論が、十分であるとは思えない。
多喜二の命日くらいには、天皇と天皇制の害悪を遠慮なく表現しようではないか。「国民の総意に任せる」などと傍観者を決めこむのではなく、自身の意見をはっきりと言おう。表現の自由を錆びつかせないためにも。
(2022年2月17日)
「志学」と言えば、15歳。学問を志す15歳は稀少でも、誰もが高校入試の試練を受けなければならない歳。かつて、高校全入をスローガンに「15の春は泣かせない」と言ったのは、京都の蜷川虎三革新府政だった。が、現実には、当時も今も15の春は悲喜こもごもである。
悲喜こもごもは切実で、入試の選考には厳格な公平性が求められる。カネやコネでの入学には社会の拒否感が高い。「裏口入学」という言葉には、許されざる悪事というニュアンスが感じられる。また、カネやコネで合格した当人のプライドが傷つくことにもなろうし、周囲の目が弾劾し軽蔑し続けることにもなろう。
のみならず、高等教育や後期中等教育を受ける権利についての公正の確保は、この社会の階層の固定化防止の基本である。金持ちやコネのある者の子女には高等教育を受ける道が広く開かれ、カネやコネのない者には障壁が高いということになれば、この社会の階層の流動化が阻害され、社会の不公平な構成を固定化することになる。
秋篠宮の長男が15歳である。宮内庁は昨日(2月16日)、お茶の水女子大付属中学に在籍している彼が、筑波大付属高(東京都文京区)に合格し、4月に入学すると公表した。注目されるこの「合格」、果たして公正であろうか。疑問なしとしない。
彼の筑波大付属高への「進学」は、お茶の水・筑波両校間の「提携校進学制度」を利用したものと公表されている。一般受験での合格ではない。しかも、この「提携校進学制度」は、彼の高校卒業時までの時限的なものだという。万人の見るところ、この「天皇職就位予定者」のために特別に作られた制度と言わざるを得ない。
宮内庁の発表では、「成績などの条件を満たしたことから「提携校進学制度」を使って出願し、学力検査を受けた上で16日に合格が確定した」となっている。しかし、「提携校進学制度」を利用しての出願の要件は明確にされていないし、彼の受けた学力検査成績が一般入試の合格水準に達しているかどうかについての言及もない。彼のために特別に作られた制度を利用しての「合格」であった可能性を認める内容の発表なのだ。つまり、彼は「皇族というコネで国立校に入学」という疑惑を生涯抱え込んだことになる。
いま、彼の義兄がニューヨーク州の司法試験に挑戦している。誰も、そこに「皇室関係者特別優遇枠」があろうとは思わない。だから、実力をもってするその挑戦はすがすがしい。すがすがしさは、リスクと裏腹である。それに比較して、15歳の挑戦はすがすがしさに欠けるのだ。
折も折、同日(2月16日)宮内庁は、秋篠宮家の長男のコンクール入選作文の一部が、「他の文献の表現と酷似していた」「引用元を明記せず、不十分だった」と明らかにした。このことについて、意地悪く「盗用」「剽窃」という報道も見受けられる。これは、15歳には厳しい指弾であろう。
問題が指摘された作文は、昨年3月に北九州市主催の「第12回子どもノンフィクション文学賞」中学生の部で第2位の佳作に選ばれた「小笠原諸島を訪ねて」と題した旅行記、だという。選考委員だった那須正幹が「紀行文のお手本のような作品」と言っており、最相葉月も褒めているのだから出来はよいのだろう。だが、これも、「ほんとに自分で書いた?」「どこまで自分で書いた?」という疑惑に晒されることになった。
この15歳、出自によって良質の教育を受ける機会に恵まれ、同時に出自によって国民からの厳しい疑惑の目に晒されることになった。意地の悪い監視圧力の脅威と言ってよい。皇族として生まれることは、実は辛いのだ。
同じ日、同じ15歳が、北京で涙を流した。ドーピング問題の渦中にある、カミラ・ワリエワ。2か月前彼女の検体から検出された薬物は、禁止物質トリメタジジンだけでなく、禁止薬物には指定されていない「ハイポキセン」と「L―カルニチン」を含む、いずれも強心効果をもつ3種類の薬物であったという。
反ドーピング機構は、「3種類を組み合わせた服用の利点として『持久力の向上、疲労の軽減、酸素の消費効率を高める』ようだ」と指摘しているという。複数の医師による「いずれも15歳が常用しないもの」「3種組み合わせで競技力向上につながる」とのコメントが報道されている。常識的には、ロシアのスポーツ界が、いまだにドーピングの悪弊を払拭し得ていないものと見られる。
もちろん、秋篠宮家15歳の脱法合格も、ロシア選手15歳のドーピングも、飽くまで疑惑である。しかし、疑惑を招いたことに、いずれも無責ではない。本人も周囲も、敢えて瓜田に沓を入れ、李下に冠を正したことを重く受けとめなければならない。 付言すれば、ワリエワはこの立場から逃れる術をもっている。選手をやめて他の道を選択することは自由だ。この若さである、人生の再出発が十分に可能なのだ。それに比較して憐れむべきは秋篠宮家15歳である。彼には、当面この境遇から逃れる術が見出し難い。二人の姉とは立場が違うのだ。痛ましい悲劇というしかない。
(2022年2月12日)
「建国記念の日」にこだわりたい。昨日付の産経社説(「主張」)が、「建国記念の日 子供たちに意義を教えよ」というもの。この非論理、このバカバカしい論調が危険極まりない。陳腐なアナクロと看過するのではなく、批判や非難が必要である。「現在の滴る細流が、明日は抗しがたい奔流となりかねない」のだから。私も、子どもたちに語りかけてみよう。産経に騙されてはならないと。
皆さん、誰もが自分の意見を言ってもよい社会です。この世にはいろんな意見が入り乱れています。ですから、とんでもない意見も堂々と述べられていることに気を付けなければなりません。自分の頭で考えて、納得できるものでことを選ばなくてはなりません。たとえば、産経のような大新聞の社説を読むときにも、とんでもないことが述べられているのではないかと批判の目を失ってはいけません。もちろん、私(澤藤)の意見についてもです。
「辛(かのと)酉(とり)の年の1月1日、初代の神武天皇が大和の橿原宮で即位した。よってこの年を天皇の元(はじめ)の年となす―と、日本の建国の由来が、日本書紀に記されている。」
ここには、「日本の建国の由来」が書かれていますが、二つのことに気を付けてください。一つは、「日本の建国の由来」が史実に基づくものではなく、神話をもとに語られていることです。そしてもう一つは、初代天皇の即位を「建国」としていることです。
未開の時代にはそれぞれの部族がそれぞれの神話を作りあげましたが、文明が進歩するにつれて、考古学や歴史学に基づく客観的な史実を重視するようになりました。いまだに、国の成り立ちを神話に求めて「これこそ自国のプライドの源泉」とメルヘンを語ることは、独りよがりではありますが微笑ましいとも言えましょう。しかし、神話に基づいて「日本=天皇」と言いたくてならない産経のような主張には警戒を要します。悪徳商法の騙しに警戒しなければならないように、です。
明治維新以来敗戦まで、日本は紛れもなく「天皇の国」でした。そこでは、天皇の天皇による天皇のための政治が行われ、天皇の命令として国民は軍隊に組織され、侵略戦争が行われました。また苛酷な植民地支配も行われたのです。「天皇の国」は、軍国国家、侵略国家でした。戦後の憲法は、その反省から出発しています。
今、強調すべきは、天皇の支配する国であった日本を徹底して清算することで、「平和を望む国民が主権者の日本」の姿をき近隣諸国に見てもらうことではないでしょうか。戦争を起こした天皇(裕仁)はその責任を認めず、謝罪しないまま亡くなりました。いま、「日本=天皇」と繰り返すことは、とんでもない時代錯誤だと言わざるを得ません。
「この日は今の暦の紀元前660年2月11日にあたり、現存する国々の中では世界最古の建国とされる。科学的根拠がないから必要ないという批判はあたらない。大切なのは、日本が建てられた物語を私たちの先祖が大切に語り継いできた積み重ねである。」
「科学的根拠がないから必要ない」の意味上の主語は、「建国記念の日」のようです。しかし紀元節復活反対は、「建国記念の日は科学的根拠がないから必要ないという批判」をしているわけではありません。少なくも私は、「必要ない」ではなく、「有害だから認めない」と批判をしているのです。なぜ有害なのか、天皇という存在、天皇を戴くという制度が、諸悪の根源だと考えるからです。
「日本が建てられた物語を私たちの先祖が大切に語り継いできた」は、大嘘だと思います。神武東征の物語とは架空のものにせよ、勝者が敗者を武力で制圧した物語です。勝者の物語だけが残りましたが、敗者の怨みの物語は消えていったのです。
明治期にまったく新しく作られた近代天皇制は、暴力に支えられたものでした。大逆罪、不敬罪、治安警察法、治安維持法、国防保安法、新聞紙法、出版法…。天皇の権威を認めない者にはいくつもの弾圧法規による重罰が科せられました。正式な裁判を経ることなく、特高警察に虐殺された人も少なくありません。この史実に目を背けることは許されません。
「建国神話を軍国主義と強引に結びつけた批判が一部に残っているのは残念である。日教組などの影響力が強い学校現場でも、建国の由来や意義はほとんど教えられていない。」
「建国神話と軍国主義とは、故なく強引に結びつけられた」ものではありません。「日本書紀」には、神武天皇が大和橿原に都を定めたときの神勅に、「八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや」とあります。ここから「八紘一宇」(世界を、天皇を中心とする一つの家とする)というスローガンが生まれ、朝鮮・満州・蒙古・中国への侵略を正当化したのです。
正義凛(りん)たる 旗の下
明朗アジア うち建てん
力と意気を 示せ今
紀元は二千六百年
ああ弥栄(いやさか)の 日はのぼる
国民は、これに乗せられました。今、同じことを安倍晋三や産経がやろうとしています。批判の精神が必要なのです。
「中学校学習指導要領は「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努めること」と定めている。国の成り立ちを知らなければ、真に国を愛せようか。」
このような立場を歴史修正主義と言います。あるいは、「愛国史観」と言ってもよいでしょう。本来、大切なのは客観的・科学的に歴史的真実を見つめる姿勢です。ところが、産経の態度はそうではありません。まず、「国を愛する」ことが求められています。そのうえで、「国を愛する」立場から「国の成り立ち」を学べというのです。しかも、その国の成り立ちが、非科学的な架空のものであることは産経とても認めざるを得ません。要するに、史実も科学もどうでもよい。大事なのは、神話を信じて伝承することだ。そうすれば、子どもたちに、天皇制の素晴らしさを植え付けることができる、と言っているのです。
「きょう、子供たちに日本の建国の由来と意義を教えよう。そして私たちに繁栄した祖国、ふるさとをバトンタッチしてくれた先人に感謝しよう。」
産経新聞の立場は、基本的に戦前と変わらないものです。私はこう言うべきだと思います。「きょう、子供たちに、日本の建国の由来とされているものが、実は後の世の政治権力が捏造したまったくのウソであることをしっかりと教えよう。さらに、そのウソが国民を戦争に駆りたてるために利用された危険なものであることも教えなければならない。そして、天皇制政府の暴虐に抵抗して虐殺された先人を悼み、それでも抵抗を続けた人々を讃え感謝しよう。」
(2022年2月11日)
「建国記念の日」である。言わずと知れた旧紀元節。かつて、この日が当てずっぽうに「初代天皇即位の日」とされ、それゆえに「建国の日」とされた。天皇制の発祥と、日本の建国とは同義だった特異な時代でのこと。また、この日は大日本帝国憲法公布の日ともされた。いまどき、こんな日をめでたがってはならない。
ところが、この日を奉祝しようという一群の勢力がある。いまだに、天皇制という洗脳装置によるマインドコントロール状態を脱しきれていない哀れな人々と、この哀れな人々を利用しようとたくらむ輩と。その勢力にとっては、本日こそが「褒むべき天皇制起源の祝祭日」であり、「歴史修正主義奉祝記念日」でもある。
本日を我が国の「建国記念」の日とすることは、我が国を「フェイク国家」と貶め、明治期に急拵えされた天皇制絶対主義のチャチな欺しを容認しているという証しにほかならない。
我が国の近代は珍妙な宗教国家であった。ようやくにして1945年8月に、あるいは遅くとも1947年5月には、旧国家から断絶して国家存立の基本原理をまったく新たにする「普通の価値観国家」となった。が、この断絶にはいくつもの穴があって、往々にして戦前と戦後が相通じている局面に遭遇せざるを得ない。戦前と戦後の断絶を明確に認識する史観と、連続性を強調する史観とがせめぎあっている。本日は、そのことを意識させられる日。
本日、《「建国記念の日」を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ》なるものが官邸のホームページに掲載された。その幾つかの節を取りあげたい。
「「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、遠く我が国の成り立ちをしのび、今日に至るまでの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日です。」
典型的な連続史観の表白である。「愛すべき国の成り立ちは、連綿たる遠い過去にある」として、そのように位置づけられた国の発展を願う、という。国民主権国家、平和国家、人権尊重国家として生まれ変わったこの国の大原則を大切にしよう、とは言わないのだ。
「長い歴史の中で、我が国は、幾度となく、大きな困難や過酷な試練に直面しましたが、その度に、先人たちは、勇気と希望を持って立ち上がり、明治維新や戦後高度経済成長など、幾多の奇跡を実現してきました。」
これにも驚かざるを得ない。神権天皇制を拵え上げ、その集大成としての欽定大日本帝国憲法制定に至った明治維新を「勇気と希望をもってする奇跡」と全面肯定し、戦後民主主義と日本国憲法の価値には言及しない。「建国記念の日」とは、明治政府がデッチ上げた皇国史観再確認の日のごとくである。
岸田メッセージには、わずかに「自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきました」とあるが、いかにも歯切れが悪い。「自由と民主主義を守り」は、自由民主党という党名の枠内のものであろうし、「人権を尊重し、法を貴ぶ」は、大日本帝国憲法の法律の留保を連想させる。たとえば、第29条「日本臣民は法律の範圍?に於て言論?作集會及結?の自由を有す」のように。せっかく「人権を尊重し」と言いながら、これに「為政者の作った法を貴ぶ」をくっつけることによって、人権制約を強調しているのだ。
「先人たちの足跡の重みをかみしめながら、国民の命と暮らしを守り抜き、全ての人が生きがいを感じられる社会を目指す。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私は、その決意を新たにしております。」
この岸田の決意の内容が、悪かろうはずはない。しかし、「建国記念の日」を迎えるに当ってのメッセージとなると、どうしても違和感を拭えないのだ。ちょうど、「靖国に詣でて平和を祈念する」「伊勢神宮で民主主義を語る」がごとくの甚だしい場違いなのだ。
言うまでもないことだが、明治政府は天皇の権威を拵えあげ、これをもって国民を統合し統治しようとの設計図を描いた。天皇は神であり、道徳・文化の源泉であり、しかも大元帥であって、それ故に統治権の総覧者とされた。神権天皇制とは、この壮大なデマとフェイクに基づくマインドコントロールの体系であった。このフィクションを国民に対して刷り込むために国家権力が総力をあげた。学問・教育とメディアを徹底して国家統制とした。そのための弾圧法体制を幾重にも整備した。理性を持つ者は、沈黙するか面従腹背を余儀なくされ、あるいは非国民として徹底して弾圧された。
紀元節とは、そのような諸悪の根源であった天皇制の起源と意味付けされた日である。言わば、「天皇制の誕生日」なのだ。とうてい穏やかには迎えられない。
赤旗が、本日の主張で「負の歴史刻んだ過去の直視を」と、紀元節問題を取りあげている。要旨以下の通り。
「きょうは「建国記念の日」です。もともとは戦前の「紀元節」でした。明治政府が1873年、天皇の権威を国民に浸透させるため、「日本書紀」に書かれた建国神話をもとに、架空の人物である神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で即位した日としてつくりあげたもので、科学的・歴史的根拠はありません。
朝鮮半島の支配をロシアと争った日露戦争の宣戦布告も1904年2月10日におこなわれ、11日に新聞発表されました。国民を侵略戦争に駆り立てるために「紀元節」を利用することは、1941年12月8日に開始されたアジア・太平洋戦争のもとでいっそう強められました。
負の歴史を背負った「紀元節」は戦後、国民主権と思想・学問・信教の自由を定め、恒久平和を掲げた日本国憲法の制定に伴い、48年に廃止されました。ところが佐藤栄作内閣が66年、祝日法を改悪して「建国記念の日」を制定し、「紀元節」を復活させて今日に至っています。
日本政府が侵略と植民地支配の負の歴史を認めようとしないのは、根深い歴史修正主義の考えがあるからです。登録推薦を行うのなら、戦時中の朝鮮人強制労働の歴史を認めるべきです。
今こそ歴史の事実と向き合い、憲法9条にたったアジアの平和外交への転換が求められています。」
ここに間違ったことは書かれていない。まったくそのとおりではある。が、教科書を読ませられるような淡々たる印象はどうしたことか。この文面には、天皇制に対する怒りのほとばしりがない。天皇制に虐殺された多くの共産党員の怨念が感じられない。社会進歩を目指した真面目な活動家たちや、その思想・信条や信仰のゆえに天皇制に弾圧された人々への、苦悩や怒りへの共感が感じられない。
そして、今なお権力の道具として危険な存在である象徴天皇制への警戒心もみられない。本来は、今日こそ天皇制の危険を訴えるべき日ではないか。
(2022年1月7日)
年末に、「拝謁記」が出版された。「拝謁」とは、臣下が王や君主に面会することである。もっとも、この出版は古代・中世の記録ではない。20世紀後半の、現行日本国憲法制定後における、大真面目な「凡庸な君主と聡明な臣下」の面談記録なのだ。臣下の側の筆の運びが、いかにも「拝謁」の文体となっている。この臣下は、この時代に、この「君主」に対して、こうまでへりくだらねばならなかったのだろうか。その内容の一部を下記で一読できるし、可視化した映像を視聴もできる。このような非対称の人間関係には、生理的嫌悪を禁じえない。
昭和天皇「拝謁記」―戦争への悔恨
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/?tab=1&diary=1
昭和天皇は何を語ったのか?初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」?
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190817_2
この凡庸な君主たる人、私の子どもの頃の記憶では、「あっ、そー」としかしゃべることのできなかった御仁。 「あっ、そー」 だけでなくしゃべることができるんだ。とはいうものの、どうしてこんなにふんぞり返っていられるのだろう。記録されたとおりの調子でしかしゃべることができないのだろうか。滑稽でもあり、哀れでもある。
「凡庸な君主」とは天皇(裕仁)、「聡明な臣下」とは初代宮内庁長官 田島道治。正確な書名は、「拝謁記 1 昭和24年2月~25年9月 (昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録 第一巻 ? 2021/12)である。この「拝謁記」は、2019年8月、NHKによるスクープという形で世に出た資料。この度の岩波からの出版によって新たな話題となっている。
「特徴的なことは、録音を起こしたような会話の記述」「昭和天皇の生々しい肉声が記された超一級の資料」「好悪の感情を隠さない天皇の人間的側面が明らかになっている」とされ、さらに「昭和天皇が戦争への後悔を繰り返し語り、深い悔恨と反省の気持ちを表明したいと強く希望していた」(が、叶わなかった)ことが、田島の筆によってメモされている。
2000万もの被侵略国の人々を殺し、310万もの日本人の死にも責任を負わねばならないこの天皇(裕仁)が、「戦争への後悔を繰り返し語り、深い悔恨と反省の気持ちを表明したい」と言っても…今さら…なあ。人の責任には、どうにか取り返しのつくものと、どうにも取り返しのつかぬものがある。あんたの責任は、どうしたところで取り返しのつくものではない。そうだろう。
ところで、興味深いのは、この「拝謁記」に「松川事件」に関する記述がみえること。天皇(裕仁)の方から、田島に「松川事件」の「真相」について語りかけているのだ。1953(昭和28)年11月11日の田島の記録の全文が以下のとおり。(カタカナ書きの部分はひらがなに直す)
(昭和天皇の発言) 「一寸(ちょっと)法務大臣にきいたが松川事件はアメリカがやつて共産党の所為(せい)にしたとかいふ事だが」「これら過失はあるが汚物を何とかしたといふので司令官が社会党に謝罪にいつてる」
(田島のメモ) 「田島初耳にて柳条溝事件(原文ママ)の如き心地し容易ならぬ事と思ふ」
松川事件は、連合国軍総司令部の統治下だった1949年夏、下山事件、三鷹事件に続いて起こった。戦後最大の冤罪事件であり、権力によるデッチ上げ事件である。最終的に無罪を勝ち取った法廷闘争の金字塔たる事件。
福島市松川町の旧国鉄東北線で線路のレールが何者かによって外され、通過した列車が脱線・転覆し、乗務員3人が死亡した。国鉄と東芝の労働組合幹部など20人が逮捕・起訴された。ときの政権によって共産党の犯罪と喧伝され、多くの共産党員が被告人とされた。1950年12月6日一審福島地裁判決では20人の被告人全員が有罪判決を受けている。内5名が死刑であった。
1953年(昭和28年)12月22日の二審仙台高裁判決では、3人が無罪となっているものの17人が有罪(うち死刑4人)であった。天皇(裕仁)の松川事件への言及は、この二審判決直前の時期に当たる。
この17人の有罪は、国民的な裁判批判の大運動展開の後に、事件から14年後に全員の無罪が確定した。が、事件の真犯人は今に至るも未解明である。当時鉄道を管理統制していた占領軍ならこの事件を起こせる、占領軍以外には起こせない、と言われていた。天皇(裕仁)は、それ以上の具体的な情報を持っていたのだろう。「法務大臣にきいたが松川事件はアメリカがやって共産党の所為にした」は、いま天皇(裕仁)生きていれば、内容を問い質したいところである。
なお、当時の法務大臣は、指揮権発動で失脚したことで名高い犬養健(1952年?1953年)であり、その前任は反共活動で名高い木村篤太郎である。裕仁に情報を入れたのは、このどちらかであろう。
しかし、残念ながら、「拝謁記」のこの日の記述はノートの最後のページに書かれ、いつもの詳細さに欠けている。田島自身が、「此日の記事は紙面を考へ要約なり」として筆を置いている。NHKが解読を依頼した現代史専門家らは、次のようにコメントしている。
「汚物の意味は不明だが、法務大臣が天皇に報告するからには、根拠不明のうわさ話などではなく、アメリカから日本の捜査当局にもたらされた話だろう。これはこれまで根拠なく語られてきた謀略説を裏付ける初めての史料ではないか」「衝撃的な話だが、この記述だけでは評価しようがない。真偽が定かでない記述は慎重に扱うべきだ」
きっといつか、解明される日が来るだろう。「松川事件の真犯人」と、「共産党のせいにした」権力の策動が。
(2021年12月28日)
菅原龍憲という方がいる。浄土真宗本願寺派の僧侶で、政教分離や靖国問題に関心を持つ人たちの間では著名な存在。右顧左眄することのない、その発言の歯切れの良さが魅力である。公開されているFacebookに、下記の言葉が躍っている。
「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」というのが戦没者を顕彰する常套文句だ。一方では「尊い犠牲のうえに、生み出された憲法九条を踏みにじるな」という。どっちむいても「尊い犠牲者」ばかりで被害者はいない。被害者がいなければ当然加害者もいない。おーーい
私は戦死者たちを「犠牲者」と呼ぶことにはどうしても違和感をおぼえてしまう。加害、被害が明確にならない。靖国神社に祀られているのは「尊い犠牲者」ばかりだ。被害者は誰ひとりとしていない。だから当然のように加害者もいない。
1985年8月のこの日―どうしても私の胸をよぎるのは、中曽根康弘が閣僚たちを引き連れて、威風堂々と靖国神社を公式参拝したときのことだ。神社の白洲で拍手と歓声をもって彼らを迎え入れた遺族たちの姿が忘れられない。とても切なく哀しい光景として胸の底にとどまっている。
「あのおばさん、亡くなって何年になるかね?」「ええっ!?」突拍子もなく妻が言いだした。
わたしが靖国訴訟を起こしたときを境に、パタッとお寺に来なくなった門徒のおばさんのことだ。母の代から何十年と、なにをさておいてもお寺に駆けつけてくれた、お寺の主のようなひとだった。
「あのときが、一番辛かったね?」妻がポツンとつぶやいた。おばさんも戦没者遺族であった。
今もっとも危機にさらされているのは「平和に生きる権利(平和的生存権)」(憲法前文)である。それは殺されないだけでなく、殺さない権利、日本人が被害者になるだけでなく、再び加害者にならないとする権利である。
まったく同感である。管原さんの言葉に深く共鳴する。深く共鳴しながらも、多少付言せざるを得ない。
もう40年も以前こと、私が盛岡地裁に提出する予定の《岩手靖国違憲訴訟・玉串料訴訟》訴状案文をつくったとき、原告や支援者から思いがけない「反論」に接して戸惑った経験がある。「こんなに露骨に戦死を無意味とする書き方では遺族を敵にまわすことになる」「それは、情において忍びないだけでなく、運動上もマイナスではないか」という強い反発だった。
もちろん、その反対論もあった。私にはこちらの方がしっくりする。「戦死の美化をそのままにしていては、戦争の絶対悪を語ることができない」「戦争国家の思惑で作り出された《英霊》観を払拭しなければ、再びの《英霊》をつくることになる」「結局のところ戦死は犬死である。そのことを徹底して明確にしなければ、天皇制国家の罪業を明らかにすることはできない」というものだった。
これに対して、「戦没者遺族の感情への配慮を抜きにして、平和運動はなり立たない」「孤立したら結局負けになる」という反論がなされた。
私は、「戦死=犬死」とまでは言い切れなかったが、戦争を糾弾し、再びの戦争を防止するには、侵略戦争が国の内外に強いた死の無意味さの認識が出発点だと思っていた。「戦死が貴い」ことはあり得ず「命」こそが貴い。戦争は「貴い命を無意味に奪った」のだ。これを「犬死」といっても間違いではなかろうが、この言葉を聞かされる戦没者遺族には、つらいものがあろう。戦没者の生前の存在自体が貶められる思いを拭えないだろうから。兵士の死をどう評価し、どう表現すべきか、難しいと思った。
どんな死も掛け替えのない尊い命の喪失なのだから、遺族にとって無念このうえなく辛いことである。いかなる立場からにせよその死を意義あるものとして国家や社会が遇してくれれば、幾分とも気持ちは慰藉される。その微妙な気持ちに泥を塗るごとき「戦死=犬死」論が遺族の耳にはいるのは困難である。しかし、その死を「徹底して無意味な強いられた死」と見つめ、再びの戦争を繰り返さず、再びの戦死者を出してはならないとする国民意識の出発点とすることができれば、その死は新たな意義を獲得する。「無意味な兵士の死」は、その死の悲惨さ無意味さを見つめるところから新たな意味を獲得するというべきではないか。
「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」という言いまわしは、眉に唾して聞かなければならない。この一文、意味の上で「尊い」は、「命」ではなく「お国」と「犠牲」に掛かるのだ。だから、「尊いお国のために戦い、本来は尊くもない命をお国のために犠牲にされたその死にゆえに尊いご英霊」ということであろう。端的に言えば、尊いのは兵士の「命」ではなく、その「死」だというのだ。
これに対して、「尊い犠牲のうえに、生み出された憲法九条を踏みにじるな」というときの「尊い」は、文意の上では「命」にかかっている。貴い命が死を余儀なくされたことを「犠牲」と言っている。だから、この一文は、「尊い命を無意味に失わしめられた悲惨な犠牲を繰り返してはならない。その思いから生み出された憲法九条を踏みにじってはならない」と言っていると理解しなければならない。
だから、私には「どっちむいても「尊い犠牲者」ばかり 」と、靖国派と九条派を同列に、どっちもどっちだと言ってはならないと思える。
管原は言う。「尊い犠牲者」ばかりで被害者はいない。被害者がいなければ当然加害者もいない。おーーい。
誰が加害者か。遠慮せずに指摘しなければならない。当然のことながら、まずは天皇(裕仁)である。そして、制度とイデオロギーの両面で天皇制を支えた政府であり軍部であり、産業界である。それに加担した教育者・マスコミ・文学者・科学者・宗教者、そして町々の小さな権力であったろう。
最大の教訓は、国民の精神を支配する道具として、この上なく有効だった天皇という存在の危険性である。天皇にいささかの権限も権威も与えてはならない。
2021年12月24日)
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」とは、福沢諭吉の「学問のすゝめ」冒頭の一節として知られる。その福沢が、「帝室論」においては、「帝室は尊貴にして全ての臣民に等しく君臨する」趣旨を述べている。天皇・皇族を人と解する限りにおいては、この2命題の絶対矛盾を解くことはできない。野蛮社会に特有の特定人物を人の形を借りた神とする迷妄が、かろうじて両命題を矛盾のないものとして説明することができようか。
かつて国民の迷妄によって現人神とされた天皇(裕仁)が、敗戦後に「人間宣言」をして以来、この絶対矛盾が解かれぬ難問となって主権者国民の前に投げ出されている。
私は中学生の頃に、社会科の教師と何度かこんな質疑を繰り返したことを覚えている。
「先生、天皇は人間やな」
「そや。天皇も人間や。昔は神さまや言われてはったが今はちゃう」
「人間はみな平等やいうのに、なんで天皇だけは別やねん。なんであなにえばってんや。なんでまわりがヘイコラしてんのや。なんであのオッサン、税金で喰えるんや」
「ものにはな、必ず例外ちゅうもんがあるんや。人間平等いうても天皇だけは例外やねん」
「センセ。なんで例外や。みんな平等にしたらええやんか。あのオッサンも働いて自分のカセギで食うて見たらどないや」
「みんなが、天皇だけは例外て認めとんのや。天皇が勝手に決めたんやのうて、みんなが天皇だけは例外と決めて認めてんやから、それでええんやないか」
「ホンマに天皇だけは例外でかまへんてみんな納得してんのやろか。昔は神さまやいうことで欺されて、今はまた例外いうて欺されてんとちゃうか」
「サワフジなあ、あんまりそういうことは大きな声で言わん方がええんや」
「ほんでな先生。こんなおっきな例外を大っぴらに認めとったらな、人間平等はウソちゅうことにならへんやろか」
「サワフジなあ。悪いこと言わんから、今はそんなん言わん方がええ。ホンマに、気ぃつけなあかんで」
「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議に関する有識者会議」というとてつもなく長い名前の諮問会議が、一昨日(12月22日)最終報告を答申した。毒にも薬にもならないこの答申を出した会議の座長が、清家篤・慶應義塾元塾長である。小泉信三の例もある。慶應は、天皇にとっての安全パイなのだ。そう思われていることに、慶應出身者は恥じなければならない。
私は、中学生当時に抱いた天皇についての素朴な疑問を持ち続けて今に至っている。福沢諭吉はもちろん、小泉信三も、清家篤も、その疑問に答えてはくれない。疑問は疑問のままだが、天皇制に疑問を呈し、あるいは批判する言論には、脅迫や暴力による制裁があることを知るようになった。中学の社会科の教師が、「大きな声で天皇の批判はせん方がよい」と言ったことの意味を長じて後に知ることになる。天皇制維持の半分は、右翼暴力への恐怖によって支えられているのだ。
通称「安定的な皇位継承のあり方・有識者会議」の報告は、皇位継承の具体策については特に示すことなく、皇族数の確保が喫緊の課題だとして、次の検討を求めている。
?女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する
・子は皇位継承資格を持たず、配偶者も一般国民
・現在の女性皇族には十分留意する
?旧宮家の男系男子が養子になり皇族に復帰する
・旧11宮家の子孫を想定
・皇位継承資格は持たない
?旧宮家の男系男子を法律で直接皇族にする
・?と?で皇族数を確保できない場合に検討する
という、「2案+1」の検討を求めた内容となっている。
報告書を受け取った岸田首相は「国家の基本に関する極めて重要かつ難しい事柄について、大変バランスの取れた議論をしていただいた」と述べたという。わたしには、「国家の基本に関する極めて重要なことがら」とはとうてい思えない。また、「安定的な皇位継承」が必要という前提自体が大きくバランスを欠いたものとなっている。「果たして、皇位の継承は必要か」という問題意識をもたねばならない。